「燭台は見付かった?」
「これでしょ」
「そう」
燈華が蝋燭を燭台に立て、雪成が燐寸で火を点ける。花火の絵の赤い絵蝋燭に灯った火は数秒大きく燃え上がったが、やがて落ち着いて静かな燭光に変わる。
「火が灯ると一層綺麗ね。素敵な絵蝋燭が見付かってよかったわ」
「あぁ、綺麗だな。……君の火花のようだ」
「えっ……」
燈華は雪成を見上げるが、彼は真っ直ぐ蝋燭だけを見ている。
「そうかな……。そうなのかな……。綺麗……なんだ……」
雪成は何も言わなかった。口が滑ってしまったなと頭の中で頭を抱えていることなど、燈華が知る由はない。
昼間の室内を彩る花火は、大きく花を咲かせることなどなく静かに小さく燃えていた。いつの間にか二人は無言になって、なんとなく寄り添って赤い蝋燭を見つめていた。
火鉢の炭が爆ぜる。
燈華の耳と尻尾が動いた。
「あのっ、雪成さん!」
「何?」
「私、考えたの。どうして貴方のことばかり考えてしまうのかなって。それで……。それで、考えて……考えて……。私……」
蝋燭に灯った火が燈華のことを柔らかく照らす。
自分は変化のできないおかしな鼬である。こんな変な鼬が人間である雪成に近付いて、何をしようというのだろうか。燈華はそう思っていた。思っていたが、ここ数ヶ月の間彼といると落ち着いて、気持ちが暖かくなって離れがたく感じていた。
きっとこれは愛しいというもので、恋なのだろうと思った。悩んで、悩んで、茉莉にも相談して、勘違いかもしれないとも思ったが、彼のことを大切だと思う気持ちは本物だった。雪成のことを失いたくなくて、傷だらけになって戦った。そうさせるほどの強い気持ちだった。
雪成は燈華にとって命の恩人である。あの日、運河で彼に救われなければ。始まりは感謝だった。それが次第に恋慕になっていたことを危機的状況で自覚した。君は強いのだな、と寂しく儚げな人間は自嘲気味に言う。しかし、燈華も同じように思っている。強くなかったら、燈華に会うよりもずっと前に彼は海に消えていたはずである。燃える庭で、機転を利かせることだってできない。彼は強い。雪成はまるで、角灯を提げて夜の雪原を進むそりのように鼬の目を引いた。見かけたら最後、強くて、美しくて、ずっと見惚れてしまう。
伝えたら、後悔するかもしれない。でも、今の自分はきっと言える。燈華は深呼吸をして、雪成を見上げた。
「雪成さん。私は、貴方が好き。貴方に、恋をしてるんだ」
雪成は目を瞠る。驚いた様子を見せるが、返事はない。
あぁ、私、失敗してしまったんだ。燈華の瞳が震えた。言わなければよかった。悲しくなって、俯き、涙が零れないようにぎゅっと目をつぶった。逃げてしまいたかったが、逃げると余計悲しくなりそうなので動くこともできない。
「以前、君は俺にとって特別な存在なのかもしれないということを言っただろう」
声が聞こえて、燈華は恐る恐る目を開けた。雪成は燈華から少し目を逸らしている。
「初めてだった。君のようなやつは。君がいると俺は調子を狂わされて、おかしくなって。……君といると、楽しい。こんな感覚は初めてで、自分でもよく分からなくて。君は……君は、特別な人なんだ、俺にとって。他とは違う。上手く言い表すことはできないんだが、おそらく、もっと親しくなりたいと思っているんだと思う」
雪成は燈華の方を見る。蝋燭の小さな炎が、微かに赤みを帯びている彼の顔を照らしていた。汗が一筋、伝う。
「だが……俺は、人付き合いが不慣れで、不得手で、不器用だ。君からの好意は……君からの、好意、は、正直……嬉しい、たぶん……。けれど、どうすればいいのか分からない。友達すらいないのに、『好きだ』と言われて……。嬉しいのに、尋常じゃなく困っている。どうするのが正解なのか、分からない。あの夜君に言われた言葉を何度も反芻して考えたが、答えに辿り着けなかった」
「私のことは、嫌じゃない? 毛むくじゃらの獣にこんなこと言われて嫌だって思ってない?」
「それは、ない。嫌なら聞いた途端に追い出している」
燈華の耳と尻尾が大きく動き、髭が震えた。全身の毛が逆立ち、火鉢や蝋燭に負けじと火花を散らす。
私、今きっと、これまでで一番幸せな瞬間だわ!
燈華は跳ねるようにして雪成に飛び付き、彼の膝に前足を載せて立ち上がった。蝋燭の火が映り込んでいる互いの瞳が、真っ直ぐに向かい合う。
「ねえ、それなら」
鼬は雪原に飛び出し、人間は灯火に手を伸ばす。
「雪成さん。私、貴方が好き。私と、恋人を前提にお友達になってくれませんか」
随分と長い間、そのまま見つめ合っていたような気がした。緊張と興奮で高鳴る鼓動が相手に聞こえてしまうのではないかと、互いに思ってしまう。
雪見障子のガラス越しに雪が降っている様子が見えていた。障子に体を向けている雪成には、視界の端に移る雪の速さがやけにゆっくりに感じられた。燈華は襖に映っている影をちらりと見た。蝋燭によって作られた影は、自分達の心情まで映しているかのように震えている。
火鉢の炭が爆ぜ、赤い蝋燭の火が揺らぐ。
沈黙が破られ、雪成の手がそっと伸ばされた。優しく慈しむように、燈華の顔を撫でる。いつもより少し不器用な撫で方だったが、いつもよりも気持ちが入っているように思えた。
「友達……。俺の、特別な人。初めての、俺の本当の友達……。よろしく。どうか、末永く……」
燈華は雪成の手に鼻先を擦り付け返す。そして、彼のことを見上げて愛おしそうに微笑んだ。
「これでしょ」
「そう」
燈華が蝋燭を燭台に立て、雪成が燐寸で火を点ける。花火の絵の赤い絵蝋燭に灯った火は数秒大きく燃え上がったが、やがて落ち着いて静かな燭光に変わる。
「火が灯ると一層綺麗ね。素敵な絵蝋燭が見付かってよかったわ」
「あぁ、綺麗だな。……君の火花のようだ」
「えっ……」
燈華は雪成を見上げるが、彼は真っ直ぐ蝋燭だけを見ている。
「そうかな……。そうなのかな……。綺麗……なんだ……」
雪成は何も言わなかった。口が滑ってしまったなと頭の中で頭を抱えていることなど、燈華が知る由はない。
昼間の室内を彩る花火は、大きく花を咲かせることなどなく静かに小さく燃えていた。いつの間にか二人は無言になって、なんとなく寄り添って赤い蝋燭を見つめていた。
火鉢の炭が爆ぜる。
燈華の耳と尻尾が動いた。
「あのっ、雪成さん!」
「何?」
「私、考えたの。どうして貴方のことばかり考えてしまうのかなって。それで……。それで、考えて……考えて……。私……」
蝋燭に灯った火が燈華のことを柔らかく照らす。
自分は変化のできないおかしな鼬である。こんな変な鼬が人間である雪成に近付いて、何をしようというのだろうか。燈華はそう思っていた。思っていたが、ここ数ヶ月の間彼といると落ち着いて、気持ちが暖かくなって離れがたく感じていた。
きっとこれは愛しいというもので、恋なのだろうと思った。悩んで、悩んで、茉莉にも相談して、勘違いかもしれないとも思ったが、彼のことを大切だと思う気持ちは本物だった。雪成のことを失いたくなくて、傷だらけになって戦った。そうさせるほどの強い気持ちだった。
雪成は燈華にとって命の恩人である。あの日、運河で彼に救われなければ。始まりは感謝だった。それが次第に恋慕になっていたことを危機的状況で自覚した。君は強いのだな、と寂しく儚げな人間は自嘲気味に言う。しかし、燈華も同じように思っている。強くなかったら、燈華に会うよりもずっと前に彼は海に消えていたはずである。燃える庭で、機転を利かせることだってできない。彼は強い。雪成はまるで、角灯を提げて夜の雪原を進むそりのように鼬の目を引いた。見かけたら最後、強くて、美しくて、ずっと見惚れてしまう。
伝えたら、後悔するかもしれない。でも、今の自分はきっと言える。燈華は深呼吸をして、雪成を見上げた。
「雪成さん。私は、貴方が好き。貴方に、恋をしてるんだ」
雪成は目を瞠る。驚いた様子を見せるが、返事はない。
あぁ、私、失敗してしまったんだ。燈華の瞳が震えた。言わなければよかった。悲しくなって、俯き、涙が零れないようにぎゅっと目をつぶった。逃げてしまいたかったが、逃げると余計悲しくなりそうなので動くこともできない。
「以前、君は俺にとって特別な存在なのかもしれないということを言っただろう」
声が聞こえて、燈華は恐る恐る目を開けた。雪成は燈華から少し目を逸らしている。
「初めてだった。君のようなやつは。君がいると俺は調子を狂わされて、おかしくなって。……君といると、楽しい。こんな感覚は初めてで、自分でもよく分からなくて。君は……君は、特別な人なんだ、俺にとって。他とは違う。上手く言い表すことはできないんだが、おそらく、もっと親しくなりたいと思っているんだと思う」
雪成は燈華の方を見る。蝋燭の小さな炎が、微かに赤みを帯びている彼の顔を照らしていた。汗が一筋、伝う。
「だが……俺は、人付き合いが不慣れで、不得手で、不器用だ。君からの好意は……君からの、好意、は、正直……嬉しい、たぶん……。けれど、どうすればいいのか分からない。友達すらいないのに、『好きだ』と言われて……。嬉しいのに、尋常じゃなく困っている。どうするのが正解なのか、分からない。あの夜君に言われた言葉を何度も反芻して考えたが、答えに辿り着けなかった」
「私のことは、嫌じゃない? 毛むくじゃらの獣にこんなこと言われて嫌だって思ってない?」
「それは、ない。嫌なら聞いた途端に追い出している」
燈華の耳と尻尾が大きく動き、髭が震えた。全身の毛が逆立ち、火鉢や蝋燭に負けじと火花を散らす。
私、今きっと、これまでで一番幸せな瞬間だわ!
燈華は跳ねるようにして雪成に飛び付き、彼の膝に前足を載せて立ち上がった。蝋燭の火が映り込んでいる互いの瞳が、真っ直ぐに向かい合う。
「ねえ、それなら」
鼬は雪原に飛び出し、人間は灯火に手を伸ばす。
「雪成さん。私、貴方が好き。私と、恋人を前提にお友達になってくれませんか」
随分と長い間、そのまま見つめ合っていたような気がした。緊張と興奮で高鳴る鼓動が相手に聞こえてしまうのではないかと、互いに思ってしまう。
雪見障子のガラス越しに雪が降っている様子が見えていた。障子に体を向けている雪成には、視界の端に移る雪の速さがやけにゆっくりに感じられた。燈華は襖に映っている影をちらりと見た。蝋燭によって作られた影は、自分達の心情まで映しているかのように震えている。
火鉢の炭が爆ぜ、赤い蝋燭の火が揺らぐ。
沈黙が破られ、雪成の手がそっと伸ばされた。優しく慈しむように、燈華の顔を撫でる。いつもより少し不器用な撫で方だったが、いつもよりも気持ちが入っているように思えた。
「友達……。俺の、特別な人。初めての、俺の本当の友達……。よろしく。どうか、末永く……」
燈華は雪成の手に鼻先を擦り付け返す。そして、彼のことを見上げて愛おしそうに微笑んだ。

