今年も雫浜の街に白妙燭光祭りの季節がやって来た。

 大通り周辺の道や運河、神社街などが飾り付けられ、夕方になると蝋燭に火が灯る。平凡な白い蝋燭、色とりどりの蝋燭、草花や景色が描かれた絵蝋燭、装飾の施された灯籠が並び、柔らかな光が十一月の寒空の下に揺れた。

 大通りに軒を連ねる大店も店頭に灯籠を置いている。この日のために準備した豪奢な灯籠だったり、店で長く受け継がれて来た素朴な灯籠だったりする。

 そして、神社街へ向かう途中の運河沿いにはいくつもの屋台が並んだ。屋台は例えば蕎麦を売っているし、綿飴を売っているし、ラムネを売っているし、大通りから離れた店が出張店として出しているものもある。

 昼は神輿や山車を見物し、夜は蝋燭の明かりを見つめる。人々は歩いたり舟に乗ったりしながら、祭りの空気を目いっぱい味わっていた。

 お祭りを見に畑の方から来たんですよ、と清原呉服店に立ち寄った農家の妖怪が言う。市内から、市外から、果ては国外から、三日間で幾人もの人間や妖怪が中心街に出入りする。

「あっ、電気飴があるわ! 燈華、分けて食べよう」

 祭りの二日目。燈華は茉莉と一緒に屋台を巡っていた。大通りを出発し、蝋燭を見ながら屋台を見て、坂を上って神社街まで行く予定である。

 獺の姿で歩いていた茉莉は女学生の姿に変化して、小銭を手に屋台のおじさんに声をかける。

「おじさん、電気飴一つ」

 異国から仕入れた機械を駆使して砂糖をふわふわの電気飴――綿飴に変えるおじさんは人間である。隣の屋台で動物の形の飴細工を作っているおじさんは首を収めているろくろ首だ。

 茉莉は綿飴を受け取り、近くの休憩所の椅子で待っていた燈華の元へやって来る。

「見て! ふわふわ!」
「ふわふわだね」

 半分を千切り、茉莉は燈華に綿飴を渡す。前足で受け取って燈華はふわふわに口を付けた。触れたところから溶けて行く綿飴の甘さが口の中に広がる。祭りの時にしか口にできない、特別なお菓子である。

 綿飴を堪能して、次に椿屋の出張店舗で温かい大判焼きを購入した。神社街へ行く坂を人力車で進みながら、湯気が漂う餡子たっぷりの焼き菓子を頬張る。

「なんか……見回りのお巡りさんが多いわね」

 獺の姿に戻っている茉莉が髭に餡子を付けながら辺りを見る。

 一見、警備に当たっている警官は祭りの警備として一般的な数に見える。しかし見えやすいのは人間の警官だけであり、妖怪の警官は影に潜んでいる。人間の大人の両手に収まりそうな大きさの小鬼型の鳴屋(やなり)や灯籠に紛れ込んでいる火の玉風のふらり火など、人の目に付きにくいような妖怪が人間や浮かれた妖怪に見付からないようにして目を光らせていた。

 夜道で人々を襲う燃える車輪は、まだ見付かっていない。最近人間の客が減ってしまったと、燈華達を乗せて進む人力車の車輪である輪入道と片輪車の夫婦は言う。

「儂らも商売あがったりじゃ」
「これだけ見て回ってるんだから、早く見付かってほしいねぇ」

 燃える車輪の事件は、いずれも人通りの少ない夜道で起こっている。賑やかな祭りの場には犯人が現れなさそうだが、人が密集する場所でより多きな被害を起こす可能性が全くないとは言い切れない。これだけの人混みに燃える車輪が突進して来たら大惨事なので、怪異課は警備を怠ることができなかった。人間の警官を増員していないのが、楽しい祭りの中でのせめてもの威圧感の軽減である。

「穂景神社の琴古主は結構部品が見付かったって、昨日学校で先生が言っていたわ」
「そうなんだ。よかった」

 坂の中腹に差し掛かり、ぽつぽつと神社が姿を見せる。神社がそれぞれの例祭を重んじているのは当然だが、白妙燭光祭りもこの街の神社としては非常に大切なもののため気合が入っている。鳥居の前に置かれた細かな装飾が施された灯籠から広がる光は周辺に模様を散らし、暖かな空間を演出していた。異国から伝わった宗教の教会もドアの横にステンドグラスの洋燈(ランプ)を飾り、道行く人に異邦人の司祭がにこやかに手を振っている。

 二人の目的地は大豊穂景神社だ。祭りを楽しむ人々は分散しているため、普段よりも空いているように見える。人力車の夫婦に礼を言って、鳥居を潜る。

「わぁ、今年も綺麗」
「今年は絵蝋燭が多いのかな。この間、蝋燭屋さんに行く先生を見たの」
「あー、確かにそうかも。去年は洋燈多めだったわよね」

 鼬と獺が仲良く並んで光に溢れた境内を進む。

 舞台では人間や手先の器用な妖怪、そして楽器の付喪神達の雅楽が演奏されていた。舞台袖で壊れかけの筝が皆の様子を見守っているのが見える。沖風である。修復が進んでいるらしいことに、燈華はほっとした。部品を届けた甲斐があったのだ。

「燈華はさあ」
「うん?」

 いつも置かれている立派な石灯籠の前で、茉莉が立ち止まった。

「例の人間とはお祭り歩かないの?」
「……ん。それ、なんだけど……」

 燈華はきょろきょろと目を泳がせる。

「あ、あのー。あのぅ、紫藤茉莉さん」
「うん」
「く、口裏合わせをお願いしてもいいかなぁ……」

 茉莉の目が輝き、大きく歪んだ口元に牙が覗く。対して、燈華は火花を散らしながら縮こまっていた。

 絵を描く雪成と一緒に、花火を見たい。しかし、夜に出かければ「誰とお祭り?」と両親に訊かれるだろう。

「ま、茉莉と一緒にまた行ったってことにしておいてほしい」
「分かったわ。わたし明日は学校の人と行く予定なんだけど、その時に燈華もいたことにしておくね」
「わぁっ! ありがとう!」
「持つべきものは親友よね。任せておいて」
「ありがとう親友殿」

 上手くいくといいねと茉莉はにこりと笑った。尻尾の先から細く煙を昇らせながら、燈華は小さく頷いた。

 しばらく穂景神社で過ごし、やがて二人は帰路に着いた。坂を下り、貸本屋の前で燈華は茉莉と別れた。

 清原呉服店へ向かって歩いていると、暗がりから大きな影がのっそりと現れた。驚いた燈華が立ち止まると、それは異国の野生の猫のように大きな体をした、大柄な猫又(ねこまた)だった。二股に分かれた尻尾を揺らす猫又は、その大きな体とは不釣り合いな小さな鞠を口先に咥えていた。

「そこのお嬢さん」

 鞠を地面に下ろし、猫又は燈華を見遣る。元は美しかったであろう毛並みは随分と乱れていた。祭りで楽し気な街の空気から、この猫又だけ弾き出されてしまったようである。

「うちの子を見ませんでしたか」
「子猫……ですか? 見ていません。お祭りで迷子になったんなら運営本部に……」
「帰って来ていないんです……祭りの……前から……。もう、五日も……。まだ、あんなに小さいのに……」

 母猫又は鞠を咥え直して、のしのしと燈華の前から去って行った。通りの向こう側で、今度はお祭り帰りの鬼の親子に声をかけている。

「小さな子がいなくなっちゃったら、不安だよね……」

 燦悟がいなくなってしまったらどうしようと考えて、燈華は身震いした。

「早く見付かりますように」

 また別の妖怪に声をかけに行く猫又の後ろ姿を振り返りながら、燈華は呟く。

 寂しげな猫又の姿とは裏腹に、その向こうには賑やかな声が響き、蝋燭や灯籠の明かりが煌々と光っていた。