走っていた。走っている。まだ、走る。
どこまで続いているのか分からない真っ暗な道を、雪成は走っていた。自分の手が見えないくらい辺りは暗くて、聞こえて来るのは自分の息遣いと足音だけだった。
きっとこれは夢だ。
そう思ったが、一向に目は覚めそうにないし、夢の中の自分は必死に走り続けていた。このまま走るしかない。
しかし、どういうことだろう。一歩、また一歩と踏み出す度に見えない足が酷く痛んだ。ガラスの破片を踏み付けているかのように、ナイフを突き立てられているかのように、鋭い牙で噛み付かれているかのように。呻き声を上げるが、その声は聞こえなかった。
やがて、遠くの方に光が見えて来た。足の痛みを堪えて、雪成はそちらへ向かって走る。
光の中に小さな人影が二つ、こちらに向かって手を振っていた。
「雪兄様!」
妹の千冬である。それならば、もう一人は。
「兄上、こちらです」
もう一人は、弟の柊平だ。帝都で暮らしている柊平が千冬と並んで手を振っているのも、夢の中だから。
深水家の人間の中で、雪成の生母が人魚であることを知っているのは大人だけである。父と、母と、古参の使用人の一部のみ。弟と妹は表向きの説明をされていて、雪成のことを父の亡くなった前妻の子と認識している。
激痛の走る足を動かして、雪成は弟と妹へ駆け寄る。家の中で、自分に笑顔を向けてくれるたった二人の小さな弟妹。二人の名前を呼んだつもりだったが、声は出なかった。
真っ暗闇の中から、弟妹の待つ光の中へ駆ける。手を伸ばせば、あともう少しで届きそうだ。
光の中に一歩踏み込んだ。その時、それまでで一番強い痛みが両足から全身に広がった。足先が、膝が、腿が、立っていることを拒む。光の中に放り出された雪成の体は、無様に地面に叩き付けられた。
上体を起こした視界に、ぱさりと青みがかった長い髪が入る。地面に着いている手の指の間には水かきがあり、腕には鱗が生えていた。雪成は血の気が引いて行くのを感じた。夢の中ではなくて現実なのではないかというくらい、はっきりとした感覚だった。じっとりと冷や汗が滲む。
「えっ……。雪兄様は……?」
「ばっ、化け物!」
顔を上げた雪成が見たのは、怯える千冬と妹を守ろうとする柊平の姿だった。柊平の足も震えている。
「化け物! あっちへ行け!」
待って! と、叫んだ。叫んで、弟妹の名前を呼んだ。けれど、雪成の口はぱくぱくと動くだけで音を発することはなかった。喘いでいる息遣いだけが耳に届く。まだ、足は痛い。もう足は足の形ではないのに。
夢を見ているのだと分かっているのに、ありとあらゆる感覚が妙にリアルだった。差し出した手を柊平に払い除けられ、雪成は俯く。
早く、目を覚ましてくれ。早く起きてくれ、俺。
叫び声は音のない喘ぎになって空間に消えて行った。
「い、行きましょう、柊兄様。雪兄様はきっと別のところに」
「うん」
手を繋いで弟妹が逃げて行く。
行かないでくれと伸ばした手は虚空を掴んで、そして、頭を抱える。大声で叫んだが、音は何も出なかった。下半身を埋める美しい鱗がいつになくきらきらと光っていて、自分の体だというのに随分と気色悪かった。
そして、気が付けば足元から水が上がって来ていた。水位はどんどん上がり、遂には雪成の全身を飲み込んだ。
人魚の姿なのに、水の中で息ができなかった。陸を目指してもがく手は鱗を光らせるだけでどこにも辿り着かない。
やがて、最後に。
吐き出した空気に混ざって、体が泡になって消えてしまった。
燈華が深水邸へワッフルを持って来た三日後の朝。明け方まで降り続いた雨は上がり、深水邸の庭の草木はぽたぽたと小さな雫を落としていた。離れの池では雀が三羽水浴びをしていた。小さな小さな水音と囀りが聞こえる、雲間から朝日が差し込む穏やかな朝である。
静かな時間が流れていたが、一羽の雀が水から出たところで離れから叫び声がした。雀達は驚いて三羽共飛び去ってしまう。
ようやく声が出て、自分の叫び声で雪成は目を覚ました。飛び起き、掛け布団を跳ね除け、足に手を滑らせる。
「足……ちゃんと、ある……」
全身汗でびっしょりだった。寝巻が体に張り付いている。
「俺……。俺……人間……っ」
確認するように何度か足を撫でる。雪成はゆっくりと大きな深呼吸をして、乱れた精神を半ば強引に落ち着かせた。
酷い夢だった、と呟く。あれは夢であると自分に言い聞かせて、現実の自分は何ともなっていないと理解させる。そして、両足を抱えて蹲った。
幼い頃から、雪成に甘えられる相手はいない。不安になった時に縋り付ける相手もいない。赤ん坊のころはある程度付きっ切りで世話をされていたはずだが、物心付いた頃には離れで一人過ごすようになっていた。幼い雪成に家の者がしてくれたことと言えば、時々本や玩具を与えてくれたことくらいだ。自分のことを慰めてくれるのは自分しかいない。心配なことがあれば足を抱えて、小さく息を吐いた。今もそれは変わらない。
玄関の戸を叩く音がして、雪成は顔を上げた。
「雪成様ぁ、雪成様ぁ、おはようございますー」
女中の声である。放り出した掛布団に足を取られ、ふらつきながら寝室を出る。
「な、なに……なんだ」
「悲鳴のようなものが聞こえたので。どうかされましたか」
すりガラス越しに女中の影が動いていた。雪成は平静を装って答える。
「いや、何でもない」
「お加減が悪いのでしたら、本日の朝餉は時間をずらしたり献立を変更したりしましょうか」
「大丈夫だ。いつも通りでいい」
「そうですか。かしこまりました」
女中の影が見えなくなる。
雪成は玄関から離れ、寝室に戻った。寝巻が体に張り付いてしまうほど汗をかいているのなら、このまま着替えても不快感が残るだろう。できることなら風呂に入りたいが、朝から湯船に水を溜めるのは面倒だ。雪成はしばし布団の横に佇む。その間もじっとりとした寝巻が肌にくっ付いたり離れたりしていた。
「……池」
そう呟くと、雪成は箪笥から着替えと手拭いを手に取って寝室を後にした。縁側から庭に飛び出し、池に飛び込む。見かけよりも深さのある池は勢いよく入っても底に体をぶつけることはない。沈んだ体が水面から出た時、雪成の姿は人魚に変化していた。
深水雪成は人間である。燈華の証言通り妖怪からは人間として認識され、肉体も超人的な身体能力を持っているわけでもない。しかし、その身に流れる人魚の血が水を恋しがる。かつて母がそうしていたように、日課のように風呂や池に浸かった。水の中にいると、心なしか心身が落ち着いたのだ。
自分は人間であると己に言い聞かせ、化け物になる夢を見て幼子のように震えてしまうというのに。皮肉にも、水の中は雪成にとって心地の良い場所だった。
しばらく池の中を適当に周回していると、生垣に何かが引っかかっているのが目に入った。雪成は上半身を水から出して、小さな木の枝葉を揺さ振る。
すると、木片がころりと落ちて来た。自然物というよりも人工物のようで、何かの部品らしく成型されている。
「……何だ?」
平たい木の板である。
「ゴミ?」
昨夜の雨風でどこかから飛ばされて来たのだろうか。のそのそと池から這い出て、雪成は木片を拾い上げると人間の足で立ち上がった。手拭いで髪や顔を拭い、寝巻を絞ってから離れに上がる。そして着替える前に木片をどうしようか悩み、結局屑籠に放ってしまった。
雪成が異変に気が付いたのは朝食後。雨上がりの匂いが残る庭を描くために画材を手に外へ出た時である。
今日の画題は離れの池ではなく、深水邸の庭。離れの玄関から外に出て、生垣の外周を回って丁度良さそうな場所を探す。イーゼルを立てる位置を調整していると、花壇の中に木片が落ちているのが見えた。母と千冬が一緒に世話をしている花壇だが、満開の時期はとっくに過ぎている。今は次の春を待っている状態だ。眠りについている花達の間から、雪成は木片を拾い上げた。
「ゴミ……なのか?」
辺りを見回すと、塀の近くにも同じような木片が落ちていた。一つだけならば気にならないが、いくつも見付かると気になってくる。
雪成は木片を全て拾い上げる。生垣で見付けたものを含めて、全部で五つ。いずれも大きさはばらばらで、一つの何かだったものを分解した後のようだった。それぞれが別々のものの部品なのか、同じものの部品なのかは不明である。
拾った木片をひとまず縁側に置き、雪成は気の進まない気分になりながら母屋へ向かった。玄関の前で落ち葉を拾っている使用人を見付け、声をかける。母屋の中には入らないで済みそうである。
「ゆ、雪成様! おはようございます」
若い使用人の男は、体が弱いはずの雪成が簡易な着流し姿で現れたことに驚いているようだった。コートはいらないのかと、心配そうな眼差しだ。
「おはよう。確認したいことがあるのだけれど、いいかな」
「は、はい。何なりとお申し付けください」
「母屋の方で、外に出していた棚や箱が壊れてはいないだろうか。庭とか、中庭とかで。ほら、こんなに落ち葉が溜まるくらいの雨風だったから」
「いえ、そのような話は聞いていません。確かに酷い雨でしたが、野分ほどではありませんでしたし」
「そう」
「何かありましたか」
「いや、何でもないよ。ありがとう。片付け頑張ってくれ」
使用人ににこやかに笑みを向けて、雪成は離れへ撤退する。
「家のものでないのなら、外から? 外から、こんなに?」
屑籠に捨ててしまったものも取り出して、木片を五つ並べる。並べたところで、元の形は分からないし別々のものであるという確証もない。
雫浜では、時々不可思議な出来事が起こる。人間は随分と長い時間を妖怪達と共に過ごしているが、彼らについて知らないことは未だに多く、彼らが引き起こす様々な現象に未だに悩まされることも少なくない。例え善良なる隣人であっても、その本能や自然発生する力によって何かが起こることがあった。
この木片も、雨風に乗ったどこかの鎌鼬が何かを誤って壊してしまったのかもしれない。仮にそうだとして、これは一体何なのか。
妖怪達の方で何か話題になっているものはないだろうか。そんな質問を燈華にしてみてもいいだろう。
「あの妖怪は、今日は来るのかな……」
イーゼルの位置を改めて調整しながら、雪成は塀の穴に目を向けた。
どこまで続いているのか分からない真っ暗な道を、雪成は走っていた。自分の手が見えないくらい辺りは暗くて、聞こえて来るのは自分の息遣いと足音だけだった。
きっとこれは夢だ。
そう思ったが、一向に目は覚めそうにないし、夢の中の自分は必死に走り続けていた。このまま走るしかない。
しかし、どういうことだろう。一歩、また一歩と踏み出す度に見えない足が酷く痛んだ。ガラスの破片を踏み付けているかのように、ナイフを突き立てられているかのように、鋭い牙で噛み付かれているかのように。呻き声を上げるが、その声は聞こえなかった。
やがて、遠くの方に光が見えて来た。足の痛みを堪えて、雪成はそちらへ向かって走る。
光の中に小さな人影が二つ、こちらに向かって手を振っていた。
「雪兄様!」
妹の千冬である。それならば、もう一人は。
「兄上、こちらです」
もう一人は、弟の柊平だ。帝都で暮らしている柊平が千冬と並んで手を振っているのも、夢の中だから。
深水家の人間の中で、雪成の生母が人魚であることを知っているのは大人だけである。父と、母と、古参の使用人の一部のみ。弟と妹は表向きの説明をされていて、雪成のことを父の亡くなった前妻の子と認識している。
激痛の走る足を動かして、雪成は弟と妹へ駆け寄る。家の中で、自分に笑顔を向けてくれるたった二人の小さな弟妹。二人の名前を呼んだつもりだったが、声は出なかった。
真っ暗闇の中から、弟妹の待つ光の中へ駆ける。手を伸ばせば、あともう少しで届きそうだ。
光の中に一歩踏み込んだ。その時、それまでで一番強い痛みが両足から全身に広がった。足先が、膝が、腿が、立っていることを拒む。光の中に放り出された雪成の体は、無様に地面に叩き付けられた。
上体を起こした視界に、ぱさりと青みがかった長い髪が入る。地面に着いている手の指の間には水かきがあり、腕には鱗が生えていた。雪成は血の気が引いて行くのを感じた。夢の中ではなくて現実なのではないかというくらい、はっきりとした感覚だった。じっとりと冷や汗が滲む。
「えっ……。雪兄様は……?」
「ばっ、化け物!」
顔を上げた雪成が見たのは、怯える千冬と妹を守ろうとする柊平の姿だった。柊平の足も震えている。
「化け物! あっちへ行け!」
待って! と、叫んだ。叫んで、弟妹の名前を呼んだ。けれど、雪成の口はぱくぱくと動くだけで音を発することはなかった。喘いでいる息遣いだけが耳に届く。まだ、足は痛い。もう足は足の形ではないのに。
夢を見ているのだと分かっているのに、ありとあらゆる感覚が妙にリアルだった。差し出した手を柊平に払い除けられ、雪成は俯く。
早く、目を覚ましてくれ。早く起きてくれ、俺。
叫び声は音のない喘ぎになって空間に消えて行った。
「い、行きましょう、柊兄様。雪兄様はきっと別のところに」
「うん」
手を繋いで弟妹が逃げて行く。
行かないでくれと伸ばした手は虚空を掴んで、そして、頭を抱える。大声で叫んだが、音は何も出なかった。下半身を埋める美しい鱗がいつになくきらきらと光っていて、自分の体だというのに随分と気色悪かった。
そして、気が付けば足元から水が上がって来ていた。水位はどんどん上がり、遂には雪成の全身を飲み込んだ。
人魚の姿なのに、水の中で息ができなかった。陸を目指してもがく手は鱗を光らせるだけでどこにも辿り着かない。
やがて、最後に。
吐き出した空気に混ざって、体が泡になって消えてしまった。
燈華が深水邸へワッフルを持って来た三日後の朝。明け方まで降り続いた雨は上がり、深水邸の庭の草木はぽたぽたと小さな雫を落としていた。離れの池では雀が三羽水浴びをしていた。小さな小さな水音と囀りが聞こえる、雲間から朝日が差し込む穏やかな朝である。
静かな時間が流れていたが、一羽の雀が水から出たところで離れから叫び声がした。雀達は驚いて三羽共飛び去ってしまう。
ようやく声が出て、自分の叫び声で雪成は目を覚ました。飛び起き、掛け布団を跳ね除け、足に手を滑らせる。
「足……ちゃんと、ある……」
全身汗でびっしょりだった。寝巻が体に張り付いている。
「俺……。俺……人間……っ」
確認するように何度か足を撫でる。雪成はゆっくりと大きな深呼吸をして、乱れた精神を半ば強引に落ち着かせた。
酷い夢だった、と呟く。あれは夢であると自分に言い聞かせて、現実の自分は何ともなっていないと理解させる。そして、両足を抱えて蹲った。
幼い頃から、雪成に甘えられる相手はいない。不安になった時に縋り付ける相手もいない。赤ん坊のころはある程度付きっ切りで世話をされていたはずだが、物心付いた頃には離れで一人過ごすようになっていた。幼い雪成に家の者がしてくれたことと言えば、時々本や玩具を与えてくれたことくらいだ。自分のことを慰めてくれるのは自分しかいない。心配なことがあれば足を抱えて、小さく息を吐いた。今もそれは変わらない。
玄関の戸を叩く音がして、雪成は顔を上げた。
「雪成様ぁ、雪成様ぁ、おはようございますー」
女中の声である。放り出した掛布団に足を取られ、ふらつきながら寝室を出る。
「な、なに……なんだ」
「悲鳴のようなものが聞こえたので。どうかされましたか」
すりガラス越しに女中の影が動いていた。雪成は平静を装って答える。
「いや、何でもない」
「お加減が悪いのでしたら、本日の朝餉は時間をずらしたり献立を変更したりしましょうか」
「大丈夫だ。いつも通りでいい」
「そうですか。かしこまりました」
女中の影が見えなくなる。
雪成は玄関から離れ、寝室に戻った。寝巻が体に張り付いてしまうほど汗をかいているのなら、このまま着替えても不快感が残るだろう。できることなら風呂に入りたいが、朝から湯船に水を溜めるのは面倒だ。雪成はしばし布団の横に佇む。その間もじっとりとした寝巻が肌にくっ付いたり離れたりしていた。
「……池」
そう呟くと、雪成は箪笥から着替えと手拭いを手に取って寝室を後にした。縁側から庭に飛び出し、池に飛び込む。見かけよりも深さのある池は勢いよく入っても底に体をぶつけることはない。沈んだ体が水面から出た時、雪成の姿は人魚に変化していた。
深水雪成は人間である。燈華の証言通り妖怪からは人間として認識され、肉体も超人的な身体能力を持っているわけでもない。しかし、その身に流れる人魚の血が水を恋しがる。かつて母がそうしていたように、日課のように風呂や池に浸かった。水の中にいると、心なしか心身が落ち着いたのだ。
自分は人間であると己に言い聞かせ、化け物になる夢を見て幼子のように震えてしまうというのに。皮肉にも、水の中は雪成にとって心地の良い場所だった。
しばらく池の中を適当に周回していると、生垣に何かが引っかかっているのが目に入った。雪成は上半身を水から出して、小さな木の枝葉を揺さ振る。
すると、木片がころりと落ちて来た。自然物というよりも人工物のようで、何かの部品らしく成型されている。
「……何だ?」
平たい木の板である。
「ゴミ?」
昨夜の雨風でどこかから飛ばされて来たのだろうか。のそのそと池から這い出て、雪成は木片を拾い上げると人間の足で立ち上がった。手拭いで髪や顔を拭い、寝巻を絞ってから離れに上がる。そして着替える前に木片をどうしようか悩み、結局屑籠に放ってしまった。
雪成が異変に気が付いたのは朝食後。雨上がりの匂いが残る庭を描くために画材を手に外へ出た時である。
今日の画題は離れの池ではなく、深水邸の庭。離れの玄関から外に出て、生垣の外周を回って丁度良さそうな場所を探す。イーゼルを立てる位置を調整していると、花壇の中に木片が落ちているのが見えた。母と千冬が一緒に世話をしている花壇だが、満開の時期はとっくに過ぎている。今は次の春を待っている状態だ。眠りについている花達の間から、雪成は木片を拾い上げた。
「ゴミ……なのか?」
辺りを見回すと、塀の近くにも同じような木片が落ちていた。一つだけならば気にならないが、いくつも見付かると気になってくる。
雪成は木片を全て拾い上げる。生垣で見付けたものを含めて、全部で五つ。いずれも大きさはばらばらで、一つの何かだったものを分解した後のようだった。それぞれが別々のものの部品なのか、同じものの部品なのかは不明である。
拾った木片をひとまず縁側に置き、雪成は気の進まない気分になりながら母屋へ向かった。玄関の前で落ち葉を拾っている使用人を見付け、声をかける。母屋の中には入らないで済みそうである。
「ゆ、雪成様! おはようございます」
若い使用人の男は、体が弱いはずの雪成が簡易な着流し姿で現れたことに驚いているようだった。コートはいらないのかと、心配そうな眼差しだ。
「おはよう。確認したいことがあるのだけれど、いいかな」
「は、はい。何なりとお申し付けください」
「母屋の方で、外に出していた棚や箱が壊れてはいないだろうか。庭とか、中庭とかで。ほら、こんなに落ち葉が溜まるくらいの雨風だったから」
「いえ、そのような話は聞いていません。確かに酷い雨でしたが、野分ほどではありませんでしたし」
「そう」
「何かありましたか」
「いや、何でもないよ。ありがとう。片付け頑張ってくれ」
使用人ににこやかに笑みを向けて、雪成は離れへ撤退する。
「家のものでないのなら、外から? 外から、こんなに?」
屑籠に捨ててしまったものも取り出して、木片を五つ並べる。並べたところで、元の形は分からないし別々のものであるという確証もない。
雫浜では、時々不可思議な出来事が起こる。人間は随分と長い時間を妖怪達と共に過ごしているが、彼らについて知らないことは未だに多く、彼らが引き起こす様々な現象に未だに悩まされることも少なくない。例え善良なる隣人であっても、その本能や自然発生する力によって何かが起こることがあった。
この木片も、雨風に乗ったどこかの鎌鼬が何かを誤って壊してしまったのかもしれない。仮にそうだとして、これは一体何なのか。
妖怪達の方で何か話題になっているものはないだろうか。そんな質問を燈華にしてみてもいいだろう。
「あの妖怪は、今日は来るのかな……」
イーゼルの位置を改めて調整しながら、雪成は塀の穴に目を向けた。

