雪成に新たなお菓子を所望され、燈華は頭を抱えながら店の手伝いに勤しむ日々を送っていた。シュークリームを買ったために中身が減ってしまった大福の箱を振ると、「まだ全然足りないよ」と言うように弱々しい音がした。

 シュークリームの次に頼まれたのはワッフルなるものだった。八百美堂へ赴いて確認すると、どうやら格子模様の焼き菓子らしい。値段を見て、しょんぼりしながら帰宅した。

 そんな、ある日のこと。

 燈華は親友に誘われて喫茶店を訪れていた。買いたいものがあってお金を貯めているので外で飲食をする余裕がないと言うと、気前のいい親友は奢るよと一言。

「今日は燈華に話を聞いてもらいたくて。拘束することになるんだからわたしがお金を出すよ」
「本当に何を頼んでもいいの?」
「うん」

 好きにしていいと言いつつも、彼女は財布の中とお品書きを見比べていた。大きなリボンを頭に着けて、袴を穿いた学生の姿をしている燈華の親友・茉莉(まつり)。その本性は(かわうそ)であり、漁船をいくつか所有している紫藤(しどう)家の娘だ。燈華とは同い年の幼馴染で、学校では燎里の三学年上の先輩である。

 女給に注文を伝えて間もなく、二人の前にはクリームソーダとミルクセーキが運ばれて来た。テーブルに前足を載せて椅子から立ち上がり、燈華はクリームソーダに載っているアイスクリームを舌先で舐めた。

 茉莉はミルクセーキを一口飲んでから小さく溜息を吐いた。いつも悩みなどなさそうな雰囲気で楽しそうにしている茉莉にしては珍しい様子に、燈華はクリームソーダを飲んでいた顔を上げる。

「茉莉、何かあったの」
「何もなくて悩んでいるの」
「……どういうこと?」

 茉莉はミルクセーキの入ったグラスを弄ぶ。氷が小さく音を立て、グラスの外側に付いた水滴が静かに伝う。

「学校の先輩に、手紙を出したんだ。人間に化けた姿も、本来の姿もとてもかっこいい(むじな)の先輩がいて」
「へぇ」

 貉とは穴熊(あなぐま)のことである。獺も、貉も、鼬の仲間は皆変化に長けているとされる。

「でも、返事がないの。先輩良家のお坊ちゃまで女の子にモテるから、わたしなんかの手紙は読んでくれなかったのかな」
「茉莉はその貉の先輩が好きなんだ」
「ん、好きというか、憧れに近い感じもするんだけど……。とにかく、お近付きになりたくて」

 人間の学校は十代頃になると男女で分かれるものも多いが、妖怪達が通う学校は年齢も性別も関係なく一緒である。なぜなら、わざわざ好き好んで学校に通う妖怪は人間に比べると少ないうえ、種によって外見年齢と実年齢と精神年齢が異なることもあるからだ。とはいえ、基本的には上の学年ほど実年齢が上の者が多い。

 茉莉が憧れているのは学年が二つ上の、六年生の貉だった。妖怪の学校は人間基準での外見年齢や精神年齢がおおよそ十三歳から十八歳くらいまでが通う、人間から見ると六年制に見える学校である。実際には妖怪にとってたった一年は短く体も心も人間の一年分も成長しないことに加え、教師も生徒も適当に授業に参加している者が多いため、一つの学年に何年間も在籍している生徒がほとんどである。

「声をかけるのが恥ずかしくて、思いを手紙にしたためて送ったの。でも先輩の下駄箱いつも手紙でいっぱいで」
「それはすごいね」

 家柄も良く眉目秀麗、成績優秀で人間の学校へ編入してもやって行けるとも言われているそうだ。そう言われても、燈華には学校の人気者の姿を想像するのは難しい。こんな感じかなとなんとなく思い浮かべるが、おそらく違う。

「もっとたくさん手紙を出すべきなのかな。それとも思い切って話しかけるべきなのかしら。恋か憧れかわからないけど、こういうのは初めてだからどうするべきか悩んじゃって」

 親友のお悩み相談。力になってあげたいが燈華は上手く返してやれる自信が全くない。茉莉は先輩の姿を適当な空中に描きながら、ほのかに頬を染めた。

「先輩のことばかり考えちゃうんだ。廊下で見かけたらどきどきしちゃって。先輩を思い浮かべるだけでわくわくしちゃう。もしお話なんてできたら、わたしきっと全身の毛が爆発するわ」
「……へぇ」
「燈華はそういう相手いないの?」
「私はそういう人はいない……」

 言い切る前に、激流のような勢いで雪成の姿が大量に脳裏に浮かんだ。ぼん、と尻尾の毛が広がる。

「燈華……?」
「い、いない。いないいない。いない」
「えっ! もしかしているの」
「いいいいない! いな、いないな」

 なぜ、今このタイミングで雪成のことを考えてしまったのだろう。自分はどうしてしまったのだろう。燈華は目を回しながら、誤魔化すようにクリームソーダを飲んだ。

 茉莉は面白いものを見付けたという顔になる。鼬の仲間のほとんどは凶暴な肉食獣である。獲物を見付けた顔になった茉莉はミルクセーキのグラスから口を離す。

「バレバレよ。何年親友やってると思ってるの。わたし達の間に隠し事は無しでしょ。ね、教えてよ。誰にも言わないから。わたしだって先輩の話したんだし」
「いー、いない。いないんだって、本当に。本当なのよ」
「えー、本当?」
「気になる人、なんて……。……い」

 雪成の顔が、頭にこびりついて離れない。

「ま、茉莉……」
「な、何よ急に神妙な顔になって」
「妖怪が人間を好きになることってあるのかな。捕食の対象として食べてしまいたいと思うんじゃなくて、恋をすることって……あるのかな」
「え……。燈華、まさか、気になっているの、人間が」
「人間……。人間だって本人は言ってた……」
「自称人間? 何それ。化けるのがめちゃくちゃ上手くて自信たっぷりってこと?」
「分からない……。私は、彼のこと何もしらない。知りたい。出会ってからずっと彼のことを考えている。思い浮かべるだけで、なんだか胸が高鳴る。尻尾が爆発して、どきどき、した」

 からかう様子だった茉莉も徐々に真剣な顔になっていた。

 店内の客は誰も彼も各々のやっていることや話していることに夢中で、燈華たちの会話に聞き耳を立てている者などいない。それでも、なんだかひそひそ話してしまう。茉莉は少し身を乗り出して、口の横に手を添えた。

「それは恋よ、燈華」
「ひぃ」

 人に言われることで、自分の中で答えを見付けられていなかったものが「これだ」と示されて固定される。燈華は身震いをした。

 親友殿が言うには、どうやら自分は雪成に恋をしているらしい。

 嬉しいのか、恥ずかしいのか、燈華の動きはぎこちない。がちがちになりながらクリームソーダを飲み、茉莉の言葉を反芻し、己が雪成を好いているらしいという事実を嚥下する。