「いいかレイヴ、おまえはここで、あのモンスターを足止めするんだ!」
「――え? 皆さんはどこへ?」
「心配するな、オレに策がある。いいか、絶対にあれを通すなよ!」
「わ、分かりました。足止めですね?」

 俺は迫りくる巨大なモンスターへと向き直る。
 その隙に、パーティーメンバーである残りの四人は全速力で元来た道を引き返していった。いったいどんな策があるのだろう?
 駆け出し冒険者である自分をパーティーへ迎え入れ、さらにこんな大役まで任せてくれるなんて。さすがはベテラン冒険者。
 ――なんて尊敬の念すら抱いていたのに。

「あの馬鹿、本当に足止めするつもりだぜ? 勝てるわけねえってのに、これだから自分の力量も分からない駆け出しはっ!」
「ははっ、まあおかげで俺らは逃げられたんだ。感謝くらいはしてやろうぜ」
「私たちが生き残った方がずっと有益ですもんね」

 俺は、走り去る彼らの嘲笑を聞いてしまった。
 ――なんだ、そういうことか。あいつら俺を盾にして逃げたのか。

「――じゃあもう、遠慮はいらねえってことだな!」

 俺は目の前のモンスターを一撃で斬り倒し、剣についた血を振り払った。
 にしても、図体がでかいだけのこんな雑魚相手に逃げるなんて、あいつら何か勘違いでもしたのか?
 せっかく先輩たちを立てようと思ってここまで補助役に徹してたのに……。

 俺は先輩冒険者たちの行動に疑問を覚えながらも、奥地へと進んでいった。

 ◇◇◇

「――この扉の先が、ラスボスのいる部屋か」

 俺はダンジョンの最下層エリアまでたどり着き、大きな鉄扉を前に改めて気を引き締める。
 いったいどんなラスボスが登場するのだろう?
 どんな相手にせよ、きっとこれまでとは段違いに強いはずだ。
 初のダンジョン探索で、まさか一人でラスボスに挑むとは思いもしなかったけど。
 でも来てしまったものは仕方がない。
 俺は意を決して、重い鉄扉に手をかける。

 ギギギギギギ……。

 鈍い音とともに二枚の扉が開き、中には薄暗くだだっ広い空間が広がっていた。
 さあ、どこに潜んでいるんだラスボスよ!
 俺は慎重に一歩ずつ進みながら、ラスボスの気配を探っていく。
 しかし暗闇に目が慣れて視界が広がり始めたそのとき。

「あわわ、ついに踏破者さんが来てしまいました……」
「キィ! キキィ!」
「ぷる、ぷるるるるる!」

 その先にいたのは恐ろしいラスボスではなく、ぼろぼろの服を着た、重そうな首輪をつけられた女の子だった。

 ――え? どういうことだ?
 そういう、女の子に化けるタイプのモンスターってことか?
 けどその割には――。

 女の子の周りには、ラスボスとは無関係そうなモンスターが何体もいて、彼女は渡さないぞと言わんばかりに威嚇してくる。
 ――もしかして、ここはラスボスの部屋ではない? 
 いやでもそんなはずは――って、そんなことを考えてる場合じゃないな。
 まずはあの子を助けないと!

「待ってろ、今助けてやるからな!」
「へっ!? え、えっと、あの――!?」
「俺はただの冒険者だ。モンスターじゃないから安心してくれ」

 俺は剣を構え、全身に魔力をまとわせる。
 そしてモンスターへ斬りかかろうとしたそのとき。

「ち、違うんです! この子たちは悪いモンスターじゃありませんっ!」
「――へ? え、いやでも」
「私は見ての通り奴隷です。この子たちは、私が見世物として殺されそうになっていたのを助けてくれたんです。ずっとここで私を守ってくれてたんです。だからお願い、殺さないで……」

 その子は、涙ながらにそう訴えてきた。
 その間に彼女のことを解析してみたが、なりすます類のモンスターなどではなく、どうやらいたって普通の人間らしい。

「わ、分かった。……そっちへ行ってもいいか?」
「は、はい。この子たちにも、襲わないように伝えます」
「えっ? そんなことができるのか?」
「は、はい。私、なぜか昔から動物やモンスターと会話ができるんです……」

 この世界には、時折不思議な能力を持って生まれてくる人間がいると言われている。
 恐らくこの子の能力もその類だろう。
 俺はモンスターたちが大人しくなったのを見届けて、慎重に奴隷の女の子がいる方へと向かった。

 近くで見ると、その子の体には無数の傷跡があった。
 彼女の細く小さな体に不釣り合いな鉄製の首輪には、太い鎖までついている。
 手にすると、ずっしりとした重さと冷たさが伝わってくる。
 こんなものをつけて生活するなんて、大人だって気が狂いそうだ。
 ――でも、これなら俺でも外せるな。

「あ、あの……?」
「あ、ああ、すまない。首輪、重いだろ。外してやるから少しじっとしててくれ」
「えっ、で、でもその首輪には――!」
「大丈夫だ。大丈夫だから俺に任せろ」

 俺は首輪に施されていた魔法を一つ一つ丁寧に解いていく。
 最後の魔法を解き終わると、首輪はサラサラと砂のように分解され、鎖もろともすっかり消えてしまった。

「う、うそ……首輪が……」
「これでもう大丈夫だ。――っと、あっちこっち擦れて血が出てるじゃねえか」

 俺は傷の治療ついでに、浄化魔法で土と埃にまみれた体を綺麗にしてやった。
 少女は「これは夢、でしょうか?」などと言いながら自らを抱き、呆然としつつ目に涙を浮かべている。
 周囲のモンスターたちは、その様子をじっと見つめていた。

「――あ、ありがとう、ございます」
「ああ。もう痛いところはないか?」
「は、はいっ、平気です。――あの、お名前を聞いてもいいですか?」
「俺はレイヴだ。おまえは?」
「わ、私はニアと申します。本当に、なんとお礼を申し上げたらいいか――」

 少女――ニアは、改めて俺の方を向いて正座をして、深々と頭を下げた。
 浄化魔法でサラサラになった長い髪が、するりと肌を伝って地面へ流れる。

「礼なんていいよ。俺はたまたまダンジョンを踏破するためにここへ来ただけだからな。――そういや、ラスボスはいったいどこに」
「ラスボスさんは、今別の階へ食材を取りに行っていまして……」
「え? えっと……つまりどういうことだ?」
「もう少し上の階に、ラスボスさんの隠し菜園があるそうなんです」

 俺の思ってたラスボスと違う!
 そんな無害そうなやつ、めちゃくちゃ討伐しづらいんだが!?
 つーか隠し菜園ってなんだよ!
 ニアの言葉に困惑し、そんなことを考えていたそのとき。

「――あらあ? お客さん?」
「!?」

 突然、何の前触れもなく強大な魔力が噴き出すのを感じた。
 慌てて臨戦態勢を取り背後を見ると、そこには――花がたくさんついたドレスを身にまとった、大きな籠を持ったふわふわ髪の女性が立っていた。

「ラスボスさん! おかえりなさい!」
「ただいま。……そちらの方は? もしかして挑戦者かしら?」
「あー……いや、えっと……」
「……あら? ニア、あなた首輪が――!」
「は、はいっ! この方――レイヴ様が外してくださったんです!」
「まあ……!」

 ラスボスさんと呼ばれた女性は、手にしていたかごをその場に置いて、ニアの方へと駆け寄る。
 そして、首輪が外れてすっかり綺麗になっているニアを見て抱き着いた。

「なんてことなの……! よかった、本当によかったわ……! この首輪、あなたが外してくれたのね? ありがとう」
「えっ、あ、いや……はい……」

 ラスボスさんは、その繊細さを感じさせる両手で俺の手を握り、ぶんぶんと上下に振りながら何度も何度もお礼を言った。
 どうしよう、この状況で討伐しに来ましたなんて言えない!

 ――いや、そもそも討伐する必要があるのか?
 たとえ本当にラスボスであったとしても、人間の子をずっと大事に守ってきた彼女を討伐するなんて、むしろ俺が悪者では?
 でも、このダンジョンを放っておくわけにもいかないしな……。

「あ、あの――」
「ニアを救ってくれたあなたにぜひともお礼がしたいわ。――そうだ、あなた私を倒しに来たのよね? だったら私の命をあげるわ。さあ召し上がれ♪」

 ラスボスさんはそう言って両手を広げ、無防備な状態でその身を差し出す。
 というか召し上がれってなんだよ! 変な言い方するな!

「いやいやいやいや! ちょ――ちょっと待て!」
「どうしたの?」
「どうしたのじゃねえ! まったく何考えてるんだおまえ! もっと自分の命を大事にしなさい!」
「ええ、だって私のこと倒しに来たのよね? 遠慮しなくてもいいのよ? それが私の運命だもの」
「そうだけど! そうだったけど! でもそんな――」

 そんなふうに言われてサクッと殺せるかああああああ!
 まったく何なんだこいつ!

「――と、とにかく気が変わったんだよ。俺はおまえを殺さない」
「あらあら。それならどうしようかしらね? うーん……あ、そうだわ! それならこのダンジョンでどう?」
「……え? え、ダンジョンでどう、とは?」
「だからね、このダンジョンをまるっとあなたにあげる、ってことでどう?」

 ――――え?
 はああああああああああ!?

「あ、でも私たち、ここを追い出されたら行き場がないの。だから私たちもセットで引き取ってもらえると助かるわ♪」

 ラスボスさんがそう言うと、周囲のモンスターたちもうんうんとうなずいた。
 それでいいのかおまえら!!!

「い、いや、あの……でも俺、ここへは探索に来ただけで……」
「大丈夫、あなたがいない間は私たちが管理しておくわ。あと、あなた以外は入れないようにしておくわね。――ひとまず、ここじゃなんだからもう少し明るい場所へ行きましょうか。――転移!」

 ラスボスさんがそう言うと、足元が光り、次の瞬間には美しい緑が広がる草原に立っていた。どこだここ!?
 すぐ近くには小さな農園と家が一軒ぽつんと建っていて、それらをぐるっと囲むように低めの柵が作られている。

「あ、あの、ここは……?」
「ここは私の家よ。ラスボスには、こうしてダンジョン内に異空間を作ることができる能力があるの」
「は、はあ」

 ラスボスさんは黄緑色の髪と瞳をしていて、ふわふわの髪が太陽に照らされてキラキラと輝いている。
 よく見ると綺麗だし可愛いな……。
 ってかここ、空も太陽もあるけどダンジョンの中なのか。

「わ、わあ……! 私ここ、初めて来ました!」
「あれ? そうなのか?」
「あの首輪にかけられた魔法のせいで、この階層へ連れてこられなかったの。ニアがこうして自由に動けるようになったのも、レイヴさんのおかげよ」

 ニアは華奢な体つきではあるものの、ラスボスさんやモンスターたちからちゃんと食事をもらっていたのか、飢えている様子はなかった。
 金色のセミロングなサラサラヘアが風でそよそよと揺れている。
 無言のまま空を見つめる琥珀色の目からは、涙があふれていた。

「レイヴさん、お願いがあるの。ニアを外の世界へ連れて行ってくれないかしら」
「――え?」
「あの子、両親も頼れる人もいないんですって。それに遠い町から連れてこられたみたいで、帰れる場所もないって――」
「……い、いやでも俺は」

 俺はつい最近まで、祖父母とともに遠い辺境の森で暮らしていた。
 祖父母は魔王を倒したパーティーの元勇者と元聖女で、とんでもなく強かった。
 だが残念なことに、俺はそんな超人的才能を持ってはいない。
 森にはモンスターも生息していたため、最低限戦えるくらいの実戦経験はあるが、それでも所詮はその程度だ。
 もっと強くなりたいと山を下りて冒険者となったが、まだまだ駆け出しでこの先どうなるかも分からない。
 ちなみに両親は冒険者らしいが、俺が十五歳のときに出て行ったっきり戻っておらず生死も不明な状態だ。

 そんな状況で子どもを連れていくなんて――。
 ――いやでも、たしかにここに置いていくってのもな。

「ニア、おまえはどうしたい?」
「え――。えっと、その、私は……」

 ニアは、俺とラスボスさんの様子を伺いつつも黙り込んでしまった。
 きっと、奴隷として虐げられていたことも関係しているのだろう。

「……ニア、あなたは人間の世界へ戻るべきだと思うわ。これまでは首輪のせいでどうにもできなかったけど、今はそれもなくなったのだから。ちゃんと人間と一緒に、人として生きなさい」

 ラスボスさんは優しくニアを抱きしめ、「お願いよ」とそう言い聞かせる。
 ニアにとっては、会ったばかりの男についていくなんて不安しかないだろう。
 これまで奴隷だったのだから尚更だ。

「……ニア、俺には子育て経験なんてないし、しがない駆け出し冒険者だし、仲間もいない。正直うまくやれる自信はない。でも頑張るから、嫌じゃなければ一緒についてきてくれないか?」

 ニアを不安にさせてはいけないと思った俺は、とりあえずそう伝えてみることにした。
 まあこいつらとはいつでも会えるわけだし、何かあったら相談に乗ってもらおう。

「あらあら~、レイヴさんったらニアのことをそんなに――!? うふ」
「――は!? おい待て、人をロリコンみたいに言うなよ! ニアに変態だと思われたらどうすんだ!」

 頬に手を当ててくねくねしているラスボスさんを一喝し、俺は改めてニアに向き直り、視線を合わせる。

「――ニア、心配するな。このダンジョンは俺のものになったらしいし、せっかくだから活用していくつもりだ。だからいつだって来られる」
「は、はいっ。あ、あの、それじゃあ私――レイヴ様のものになります!!!」

 ニアは覚悟を決めたように、声を大にしてそう宣言した。
 なんか違う!!!!!

「あらあらあらあら~♡ ふふ♡ お幸せにね~♡」
「おいこら、ダンジョン追い出すぞ」
「あああああ待って! 冗談! 冗談よ! だからそれはやめてええええ。本当に行く場所ないのよ!」

 ――まったく。
 なんか初っ端からとんでもないことに巻き込まれた気がする。
 冒険者ってのは波乱万丈なんだな……。

 けどまあ、ダンジョンをまるっと手にいれたのは大きい――か。
 外の世界にはない特別なアイテムや素材が眠っているっていうし、訓練場としても使えるかもしれない。
 そういえば、このラスボスさんにもいつか手合わせ願いたいな。

「それじゃあええと――行こうか、ニア」
「はいっ! レイヴ様! ――あ、ご主人様の方がいいでしょうか」
「いやいやいやいや。普通にレイヴって呼んでくれ」
「そう、ですか? ではレイヴ様とお呼びします」

 まずは手に入れた素材を売って、食料と宿を確保して、こいつの身なりを整えて、それから――。
 ああ、金を……金を稼がないとまずい……。
 ちゃんと足りるだろうか?
 あのでかいのすら雑魚だったからな……。

 俺はそんなことを考えながら、ニアとともに地上へ向かったのだった。