雪がちらついていた。ホワイトクリスマスって言えばロマンチックかもしれないけれど、普通に寒い。手袋を持ってくればよかった。
 グレーの分厚い雲を見上げて俺は身をすくませる。
 欄干にもたれて海を見ているのは藍原(あいはら)すばる。同じクラスのまあまあ仲がいいやつ。
 クリスマスイブにお互い予定もなくて、じゃあ遊ぶかって外に出たんだけど、こんなに寒いなんて思わなかったわ。飯食って、本屋とゲーセン回って、これからどうしようかっていう午後四時。あたりはもう薄暗くて、海を進む小型船舶にはライトが灯っていた。
 
「さみい。藍原、どうする? そろそろ帰るかぁ」
藤屋(ふじや)……」

 藍原が俺を呼ぶ。思い切ったような口調で、語尾が少し跳ねた。
 それからくるりとこっちを向いた藍原は、なんだか悲しそうな顔をしていた。どうした、どうした。なんかあったか?

「好き、なんだ」
「好き? え? 何が」
「俺、藤屋のことが……好きなんだ」

 藍原は絞り出すように言って、うつむいた。耳や首まで真っ赤になっていた。
 悲しい顔だと思ったのは、緊張で表情が固まっていたからそう見えただけ。クラスメイトの藍原は、嘘みたいだけど俺のことが好きらしい。
 その『好き』は友達として、じゃない。そのくらいはわかる。

「あ、えーと」

 俺はどう反応していいかわからなくて、とりあえず笑った。馬鹿にしたようには響かなかったと思う。

「ごめん。俺、女子が好きだわ」

 うつむいた藍原の顔、眉がぎゅっと寄せられたのが見えた。

「藍原のことは友達として好きだけど、そういう感じには見られない」
「うん……」
「イブに遊ぶとか、誤解させた? 悪い。でも、そういうのは無しだから」

 俺の言葉に、藍原はぱっと顔をあげた。その表情はとても苦しそうだったけれど、それでも笑っていた。

「だよな。変なこと言って困らせてごめん」
「いや、困ってはない」
「はっきり断ってくれてありがとう。これからも今まで通りクラスメイトでいてくれると助かる」

 それはもちろんOKだ。藍原はいいヤツで、こいつと同じクラスだったから、高校生活一年目はすごく楽しかった。

「当たり前だろ。これからも友達だって」
「友達……。うん、藤屋、ありがとう」

 そう言って目を細めた藍原は、どう見ても泣きそうな顔をしている。とはいえ、俺も応えてやれる気持ちの持ち合わせがない。

「寒いし、今日は帰ろうか。藤屋、手袋もマフラーもないしね」
「あー……そうだなあ」

 結局藍原に促されるままに、公園から地下鉄の駅に向かって歩き出した。雪の粒は降り始めより大きくなっていて、本格的に積もるかもしれない。


 *


 クラスメイトの藍原に告白されたのが年末クリスマスイブ。それから年が明けて冬休みが終わった。俺、藤屋瑛人(えいと)と藍原すばるは、高校一年の三学期も今まで通りいいクラスメイトとして過ごした。
 もともと、俺と藍原は普段つるんでいるグループが違う。たまたま席が隣だったり前後だったりすることが多くて、話すようになったのだ。
 三学期の藍原はそれまでと変わらない頼りになるクラスメイトだった。課題を忘れたときは助けてくれたし、話しかければ笑顔だった。俺のくだらない話をうんうんと相槌を打って聞いてくれたし、藍原が好きなアーティストの話を振れば楽しそうに語ってくれた。
 あのクリスマスイブの告白なんか、なかったみたい。
 一方で俺は、ちょっとだけ優越感のような気持ちがあった。

(藍原は俺のことが好きなんだよな)

 藍原はこのちっぽけな公立校では結構人望がある。
 学年では成績上位、人当たりがよくて男女ともにあいつを嫌いなヤツなんていないだろう。中性的な顔立ちとはっきりした二重の目が格好良くて可愛いくて、そこらのアイドルよりイイ!と女子たちが騒いでいたような。何度か告白もされているはずだけど、彼女ができたという話は聞いたことがない。
 そんな藍原が恋していたのがまさかの俺。
 適当でちょっとチャラくて、うるさいグループの中心人物・藤屋瑛人。
 正直、悪い気はしない。あれほど優秀で人気のあるヤツに惚れられてたなんて、ちょっと自慢になるだろ? もちろん、自慢なんかしませんよ。確かこういう性的嗜好みたいなのを勝手に周囲に話すのは駄目なんだ。
 だから、藍原の告白は俺の中だけにしまっておく。それが友達ってもんだと思うし、俺の自尊心みたいな部分は満たされてるからいいんだ。
 クラスメイト、仲のいい友達。そうした関係が俺と藍原には一番居心地がいい。
 ともかく、藍原との仲は平穏なまま高校一年は終わりを告げた。
 三月末にクラス中に声をかけて、カラオケでお疲れ様会をやった。藍原が来なかったのは気になったけれど、体調でも崩したのだろうと思っていた。


 四月がやってきた。
 始業式の朝、昇降口を入ってすぐの掲示板にはクラス編成表が貼り出される。文系理系が別れるんだけれど、俺の仲が良いヤツはだいたいみんな文系。
 ああ、そうだ。藍原は理系だから別のクラスになるなあなんて眺めると、藍原の名前は理系のA組に見つかった。なお、俺は文系のD組。
 ふと、近くに藍原本人を見つけた。春休みも会わなかったし、顔を見るのは久しぶりだ。

「藍原ぁ、クラス離れちゃったなあ」

 声をかけながら近づくと、藍原はちらりとこちらを見て、すぐに視線をクラス編成表に戻した。

「文理別になるからね」

 当たり前だろうという口調だった。藍原は掲示板を眺めたままこちらを見ない。横顔がなんとなく冷たく見えたのは気のせいかな。

「ま、なんか授業は被るだろ。そん時はよろしく」
「どうだろう。被らないんじゃないかな」

 藍原がそう言って、口の端を上げた。なんだかちょっと疲れたような笑顔だった。相変わらず俺の方は見ない。
 どうした、藍原。機嫌悪い? めずらしくないか? 今まで藍原が機嫌悪かった記憶なんか、俺にはない。

「すばるー」

 呼ぶ声が聞こえ、藍原のもとへ男子と女子がやってくる。

「やっと同じクラスだね。小学校以来、嬉しい~」
「二年間よろしくな」

 顔は見たことがあるけれど名前を知らないふたりは、確か藍原の友人。小学校から一緒だとか聞いたことがあるような。

「藤屋、それじゃ」

 藍原はちらっと俺を見ると、友人ふたりとともにA組へ向かって去って行った。
 なんか変な感じだったなあと思ったものの、同じクラスになった友達に声をかけられ、俺はその違和感をあっさり忘れた。


 高校二年の新学期は順調に始まった。と、言っても俺もあまり真面目な方じゃないので、昨年と同じように留年しない範囲でいこうと思っている。俺の周りの連中はみんなそんな感じ。D組の真面目な面子には睨まれたりもするけれど、迷惑はかけないようにするから勘弁してほしい。
 藍原は真面目な優等生だったけれど、俺たちにも分け隔てなく優しかった。俺がうるさく絡んでも、課題を忘れてピンチでも、変わらない笑顔で助けてくれた。そういうところが頼りになるんだよなあ。
 そんなことを思い出していると、早速藍原に用事ができた。

「なあ、家庭科の教科書は理系も文系も一緒だよな」
「たぶん、そうだけど」
「忘れちゃったから借りてくるわ」

 休み時間、俺は意気揚々とA組に向かう。藍原に教科書を借りるためだ。他に貸してくれるヤツがいるかもしれないけど、俺の友達ってみんな俺みたいなタイプだから、家庭科の教科書なんて持っていないに違いない。藍原ならきっと貸してくれる。

「藍原ぁ」

 A組のドアのところで名前を呼ぶとすぐ目の前の席に藍原がいた。囲むように例の友達ふたりもいる。

「藤屋……」

 藍原が呆けたような様子で俺の名前を呼んだ。まるで、俺が尋ねてくるなんて予想もしていなかったといった顔だ。
 俺は藍原の前に膝をつき、テーブルに頬杖をついて顔を覗き込む。

「藍原、わりい。家庭科の教科書貸して」
「家庭科……。あったかな」
「お願い! 御礼はいちごオレ。藍原、好きだっただろ」

 藍原は何か言いたげに口を開き、それから閉じた。言葉は出てこない。
 なんだろう。何か言おうとしてやめた?

「すばる、いいよ。俺が貸すから」

 そう言って、割り込んできたのは男友達の方。

「えーと、藍原の友達。いいよ、俺、藍原に借りるから」
森川(もりかわ)だ。すばるは持ってないみたいだから、俺が貸すよ」

 え?そうなの?と藍原を見ると、困った顔で「そうして」と微笑まれた。
 そりゃ、藍原だって使わない教科書を家に置いてくることもあるだろうけれど、なんか絶妙にそっけなくない? 
 森川から教科書を渡されると、もう藍原と話す用事がなくなってしまった。

「森川、ありがとう。すぐ返しにくる」
「俺たち、四時間目は教室移動だから、すばるのこの机に置いておいてくれたらいいよ」

 A組を出てD組に戻る間、心がもやもやするのを感じた。
 森川ってヤツ、なんか感じ悪いぞ。 あと、女子の方もずっときつい顔してた。そして何より、藍原がそっけない。
 気のせいだと思うけれど、なんだろう。すごく距離を感じる。
 藍原ってあんなヤツだったっけ。誰にでも分け隔てなく優しい優等生で、キャラが違うのに俺とは結構気が合って……。
 俺相手に言葉に詰まるようなヤツじゃなかったと思うんだけどな。


 俺のこの妙な感覚は翌日にははっきりした。またしても忘れ物があって藍原に借りに行ったのだ。

「体育着?」

 藍原が俺の言葉を繰り返して、あからさまに困った顔をした。

「頼む! A組は一時間目体育だっただろ?」
「駄目だよ。汗かいたし」
「気になんないから。藍原、普段からいい匂いだし! 今もシトラス系の匂いするし!」

 俺の必死の懇願に、周囲で聞いていたA組の生徒たちが笑う。騒がしいヤツとして俺を認知している生徒は多いと思う。

「藤屋の方が背が高いから、サイズ合わないって」
「三センチくらいしか変わんないだろ! 全然合うよ。なあ、頼む~! 前回忘れて、体育の岡センにキレられてんだよ~。二回連続は避けてぇ~」

 そのときだ。俺と藍原の下にツカツカと歩み寄り、机をばんと叩いたのは藍原の女友達の方。ええと、確か宮尾(みやお)って名前だ。

「なに? 宮尾さん」
「すばるが嫌がってんのわかんない? 体育着みたいなプライベートのもの、貸したいわけないじゃない」
「いやいや、変な意味じゃないから~」

 宮尾の剣幕に、俺は空気を悪くしない返しを試みる。だって、いきなり彼女が声を荒らげたら、A組のムードが悪くなるだろ。
 しかし、俺の態度をふざけているととったようで宮尾はいっそう眉を吊り上げた。

「すばるが断ってるんだから、諦めなさいよ! だいたい毎日忘れ物を借りに来るなんて非常識よ!」

 まだ二回目ですけど……と返しても仕方ないよな。
 ちらっと藍原を見る。驚いたことに、藍原はとても気まずそうな顔をしていた。普段の藍原なら率先してこの険悪な空気を解消しようと動くのに。

(これは本当に嫌がってるっぽいな……)

 俺はうーんと考える素振りをして、それから顔の前で両手を合わせた。

「そうだな、宮尾さんの言う通り! 藍原、ごめんな! 覚悟決めて怒鳴られてくるわ~」

 そう言って俺は急いでA組から撤収した。体育着を忘れて、うるさい体育教師に怒鳴られるのはもう覚悟するしかない。
 しかし、藍原の態度が引っかかってしょうがない。
 同じクラスだった頃の藍原は、めちゃくちゃ優しかった。『次の授業あたるんだけど、全然わかんねー』と相談すれば丁寧に教えてくれた。購買で好物のチョコブレッドが売り切れてたと言えば『仕方ないなあ』と自分がゲットした分の半分をくれた。しっかり料金も請求されたから、俺が一方的に搾取していたわけじゃない。
 『帰りにマック寄ろう』と誘えば絶対に一緒に来てくれた。俺が勧めるおもしろ動画は見てくれたし、丁寧に感想までLINEしてくれた。俺が教えたアプリゲームにハマって、その話を休み時間中したのはまだほんの何か月か前の話だ。

「なんだよ、藍原~」

 クラスが変わった途端に冷たくなるとかどういうことだよ。
 俺たち友達じゃなかったのかよ。


 さらにその翌日、俺は藍原と話す絶好の機会を得た。

「あ、藍原も一緒じゃん」

 選択授業の世界史で、たまたま藍原と同じクラスになったのだ。文理合同の数少ない授業のひとつだ。クラス分けは成績順。狙ったわけじゃないけど、俺、世界史は結構成績いいんだよな。
 教室で顔を合わせた藍原は、最初戸惑った顔をした。周囲にいつも貼りついている友達ふたり組はいない。

「席の指定があるまで隣に座ろうよ」
「あー……うん」

 なかば強引に藍原と並んで座った。あんまりこっちを見ないけど、やっぱりまだ機嫌悪い? 俺、なんかしたかなあ。一年の三学期のことを思い出すけれど、何も思い当たることがない。

「なあ、今日一緒に帰んない?」

 遅れているのかチャイムが鳴っても教師がなかなか来ない。俺はチャンスとばかりに藍原に話しかける。

「今ハマッてるアプリゲー、藍原のこと招待したいんだよ。招待すると俺が水晶もらえんの。ガチャ回せるやつね。藍原も俺の招待ならすげえ水晶もらえるよ」
「……今、ゲームする時間、あんまり取れないからいいや」
「え、いそがしいんだ。藍原の部活、週一か二だろ」

 藍原は学業優先なのか、活動が少なめの天文部に所属している。俺は帰宅部なので、毎日暇だ。

「体育祭の実行委員になったから」
「そうなん? どうせ、みんなやりたがらないのを藍原が引き受けたんだろ。おまえ、そういうの多すぎ」
「はは……。ええと、今日も実行委員の集まりがあるから……」

 一緒には帰れないということだろうか。俺ははっきりと面白くない顔をしてしまった。
 あまりにノリが悪い。藍原は優等生だが、ノリが悪いヤツじゃなかった。面白いことは好きだし、一緒に色々なことで笑い合った。だから、俺は気が合うヤツだと思っていたのに。

「じゃあさ……」
「あ、先生来たよ」

 遅れていた教師が教室内にずかずかと入ってくる。席を立っていた生徒が慌ただしく座り、教師が「始めるぞ」と声をかけた。
 俺が納得できない表情で見ていると、ようやく藍原がこちらに視線をくれた。号令で立ち上がる瞬間、そっとささやく。

「もう、構ってくれなくていいよ」

 返事もできないまま会話はそこで中断。さらに教師によって座席の指定が入ったため、俺と藍原は遠く離れた席になってしまった。

(構ってくれなくていいって、なんだよ)

 世界史の授業の間中、俺は考え続けた。
 なぜ、藍原はあんな態度なんだろう。最初は藍原の友人である森川と宮尾が俺を嫌いなんだと思っていた。まあ、俺ってうるさいしチャラいし、過保護な友達なら藍原に相応しくないって考えてもおかしくない。
 だけど、藍原と話せば話すほど距離を感じる。壁を建てているのは藍原本人な気がしてきた。
 構ってくれなくていいっていうのは、友達として会話もしないって意味なのか?
 『クラスメイト』じゃなくなったら、親しくするのは終わりってことかよ。

(藍原は俺が好きなんじゃなかったのか?)

 俺はイライラとシャーペンを回しながら考えた。

(好きだって言ったのはおまえじゃねえかよ)

 人当たりがいい優等生の藍原が、俺のことを特別に見ている。それは、俺の中の温かな灯りだった。心の柔らかいところを照らしてくれていた。
 それなのに、藍原はすっかり変わってしまっている。こんなのはおかしい。
 シャーペンは俺の手からすっぽ抜け、カツーンと音をたて床を滑っていった。