暗闇の中、凛はただ走り続けた。倉庫を抜け、路地をいくつも駆け抜け、気づけば街の外れの静かな住宅街に辿り着いていた。背後に追っ手の気配はもう感じられなかったが、鼓動の高鳴りは収まらない。

「私が…この実験の証拠?」

その言葉が頭の中をぐるぐると回り続けていた。売ったはずの記憶が国家の闇とつながっているなんて、想像もしていなかった。

「どうすれば…」

路上にしゃがみ込み、彼女は男から渡された最後の記憶カードを見つめた。これは全てのピースをつなげるものだという。だがそれを見ることで、自分が知りたくないことまで思い出してしまうのではないかという恐怖があった。

「逃げるだけじゃ終わらない…」

凛は震える手でカードをポケットにしまい、顔を上げた。もう一度、記憶取引所に戻ろう――そこにしか、この謎を解く手がかりはない。



翌日、凛は変装をして記憶取引所へ向かった。追われている身である以上、正面から堂々と入るのは危険だったが、どうしても確かめたいことがあった。

取引所の建物の裏手には、従業員用の搬入口がある。凛はそこに隠れ、配送トラックが入るタイミングを待って忍び込んだ。

建物の中は無機質な白い壁と薄暗い照明で満たされていた。表側の明るい雰囲気とは対照的に、裏側は異様な静けさが漂っている。廊下を慎重に進みながら、凛は脳裏に浮かぶ疑問を整理した。
•なぜ自分が記憶の被験体に選ばれたのか?
•取引所は何のために記憶を改ざんしているのか?
•家族を失った真相は?

彼女はその答えを求め、施設の奥へと進んだ。



途中、凛は警備員が出入りするエレベーターを見つけた。エレベーターの横には「セキュリティ認証が必要」と書かれている。だが、ちょうどその場に立ち寄った従業員がセキュリティカードを落としたのを目ざとく見つける。

「ありがとう…」

呟きながら、そのカードを拾い上げた凛は、エレベーターに乗り込み、地下階のボタンを押した。

エレベーターが動き始めると同時に、胸の鼓動が早くなる。この先に何が待ち受けているのかを考えると、不安と恐怖が入り混じった感情が押し寄せてきた。



地下階に到着すると、そこは完全に別世界だった。白いタイルの壁、冷たい空気、そして行き交う白衣の研究者たち。彼らは凛に気づく様子もなく、それぞれの仕事に没頭している。

凛は足音を忍ばせながら、施設の奥へと進む。そして、ある部屋の扉越しに聞き覚えのある声を耳にした。

「被験体No.7、高月凛…彼女の記憶データには、非常に興味深い反応が見られる。分離した記憶を再構成する実験は成功したが、まだすべてを完全に削除できてはいない。」

凛は息を呑んだ。その声は、以前再生した記憶カードに登場した白衣の男と同じものだった。

彼女は隙間から部屋の中を覗き込む。そこには巨大なモニターに映し出された記憶のデータと、それを操作する研究者たちがいた。その中心に立つ男こそ、彼女の記憶を操作してきた張本人だった。

「記憶を完全に抹消するには、再度接触が必要だ。彼女を見つけ次第、処分しろ。」

その言葉を聞いた瞬間、凛は体が震えた。彼らはまだ彼女の記憶を完全に消し去っていない。そして、消せない部分こそが「国家機密」の証拠だ。



凛は急いでその場を立ち去り、施設内をさらに奥へ進んだ。途中、記憶データを保管するメインサーバールームを発見する。そこで、彼女は再び最後の記憶カードを取り出した。

「これをここに繋げれば…全てを暴ける。」

凛は周囲を警戒しながら、記憶カードをサーバーに接続した。次の瞬間、モニターに彼女が追体験してきた記憶の全貌が映し出される。

それは、記憶取引所が政府と結託して行っていた人体実験の詳細だった。被験体たちの記憶を改ざんし、機密情報を隠蔽する。あるいは、危険な情報を無意識の中に埋め込み、操作可能な兵士として使う計画だった。

そして、その中には、凛の家族がその実験の副産物として命を奪われた真相も含まれていた。



「おい!何をしている!」

背後から警備員たちが駆け込んでくる。凛は振り返り、モニターに映る映像を一瞬だけ見た。

「こんなもの、許されるはずがない…」

彼女はサーバーのデータを全世界に公開する選択肢と、全てを破壊して消し去る選択肢の間で迷う。だが、追手が迫る中、彼女はモニターの「全データ拡散」のボタンを迷わず押した。



「早く止めろ!データが外部に流出する!」

研究者たちの叫び声が響く中、凛は混乱に乗じて施設から脱出した。後ろでは警報が鳴り響き、混乱の中で彼女はただ走り続けた。

その瞬間、取引所が隠し続けてきた真実が世界中に広まりつつあった。