アカリはケイに昨夜の体験を語った。灰色の小道、耳元で聞こえた囁き、自分自身の声──それがどれほど異様だったかを、できるだけ正確に伝えた。

ケイはアカリの話を聞き終えると、深刻な表情で頷いた。

「僕の兄も……同じことを言っていました。」

ケイの声は低く、どこか遠くを見るような目をしていた。その目には、深い後悔と、どうしようもない喪失感が滲んでいるように見えた。

「5年前、兄と一緒に森で遊んでいたんです。その時、彼が『灰色の小道』に迷い込んで……戻ってきませんでした。」

アカリはその話を聞き、ケイがこの町に強い因縁を持っていることを理解した。同時に、彼がなぜこの町に留まっているのかも、少しだけ見えた気がした。

「私たちは、その小道を探すべきです。」アカリは思い切って言った。「そこに何があるのか、知りたいんです。」

「危険すぎますよ。」ケイは即座に反対した。「僕の兄がそうだったように、戻れなくなるかもしれないんです。」

「でも……放っておけません。」アカリは目を伏せながら言った。「私も、あの小道に囚われている気がするんです。」

アカリとケイはその日の夜、町外れの森へ向かうことを決めた。月明かりが薄く、雲に遮られている中、二人は慎重に足を進めていく。

森の中は静まり返っており、二人の足音だけがかすかな音を立てる。アカリは辺りを見回しながら、昨夜の記憶を辿っていた。

「このあたり……」アカリが呟いた瞬間、彼女の目に再び「灰色の小道」が現れた。周囲の空気が重くなり、木々の間から冷たい霧が漂い始める。

「……これだ。」アカリは震える声で言った。

ケイは黙って彼女の視線を追った。小道の先はどこまでも続いているように見え、奥には黒い影が揺れているようだった。

「やめておきましょう。」ケイが静かに言った。「ここから先に進むと……帰れなくなるかもしれません。」

アカリは足を止めたが、心の中で何かが引き裂かれるような感覚を覚えた。「でも……進まなきゃいけない気がするんです。」

アカリは冷たい霧が漂う「灰色の小道」をじっと見つめていた。そこには何かが確かに存在している──けれど、それが何なのか、言葉にはできなかった。ただ確実に言えるのは、この道が彼女を呼び寄せているということだ。

「行かないと……」アカリは震える声で言った。

「待ってください!」ケイが声を張った。「あなたが囁きを聞いたなら、これ以上深入りすべきじゃない。ここは戻れなくなる場所なんです!」

「でも、戻れなくなるってどういう意味ですか?」アカリは問い詰めるようにケイを見つめた。「あなたの兄が失踪したのも、この道が原因なんでしょう?」

ケイは目を逸らし、小さく頷いた。そして、ぽつりと話し始めた。

「兄は僕に言ってたんです。『自分の声が聞こえる』って。最初は冗談かと思ってた。でも、ある日を境に……兄は急に様子がおかしくなって、最後にあの小道に入ったまま、戻ってこなかった。」

ケイの声には深い後悔が滲んでいた。アカリは彼の言葉を受け止めながら、自分がこの道とどう向き合うべきなのかを考えていた。けれど、その答えが出る前に──。

「アカリ……」

また耳元で囁きが響いた。今度ははっきりとした言葉だ。それは紛れもなく、自分自身の声だった。

アカリは振り向いた。しかし、そこには誰もいなかった。ただ、霧が少しずつ濃くなり、彼女の周囲を取り囲んでいるだけだった。

「何が聞こえましたか?」ケイが心配そうに尋ねる。

「また……自分の声が。」アカリは震えながら答えた。「でも、意味がわからないんです。まるで……何かを思い出させようとしているみたいで。」

ケイは静かに首を振った。「それが囁きの正体なんです。灰霧町の伝説にある『影』は、誰もが心の中に抱えている過去を引きずり出してきます。そして、それを受け入れられないと……囁きに飲み込まれる。」

「過去……」アカリはその言葉を繰り返した。

その瞬間、彼女の頭の中に鮮明なイメージが浮かんだ。それは数年前、家族を失った事故の記憶だった。あの時、自分が運転していなければ、家族は死なずに済んだのではないか──そんな罪悪感が、今でも彼女の胸を締め付けていた。

「あなたはどうして……この町に残っているんですか?」アカリは急に聞きたくなった。

ケイは一瞬驚いたような顔をしたが、やがて答えた。「僕は兄を見捨てたんです。助けるべきだったのに……だから、ここを離れることができない。」

その言葉にアカリは胸が痛くなった。ケイもまた、自分と同じように後悔を抱えているのだ。そして、二人の間に流れる静寂は、森の中の空気の重さをさらに増幅させた。

二人は意を決して「灰色の小道」を進むことを決めた。霧はますます濃くなり、視界はほとんど奪われていた。それでも、アカリは道の奥に何かがいると確信していた。

「感じますか?」アカリが呟いた。

「ええ。」ケイもまた、何かに取り憑かれたような表情をしていた。「これは……兄の声だ。」

アカリが聞く限り、霧の中からは何の音も聞こえなかった。しかし、ケイの目は鋭く小道の奥を見つめている。

突然、霧の中から黒い影が現れた。それは不定形の何かで、人間の輪郭をぼんやりとした影にしたようなものだった。影は微かに揺れながら、二人の前に立ちはだかった。

「何……これ……?」アカリは立ち尽くした。

影は囁き始めた。だが、それは明確な言葉ではなく、ただ耳障りな音の連続だった。それでも、その音が何を意味するのか、アカリは直感で理解していた。

「あなたの罪を見ろ……」影はそう言っているように思えた。

影に向き合う中で、アカリはついに自分の中に隠されていた真実を認めざるを得なかった。家族の事故の時、自分は本当に無力だったのか? あるいは、もっと何かできたのではないか? その問いが彼女の心を引き裂いていく。

一方、ケイもまた兄への後悔と向き合っていた。「お前が兄を見捨てたんだ」と影は囁き、ケイを飲み込もうとしていた。

「アカリ……」ケイは影に向かいながら振り返った。「君は戻れるはずだ。ここから抜け出して、自分の人生を取り戻して。」

「どういうこと? あなたも一緒に戻るんでしょう?」アカリは叫んだ。

だが、ケイは静かに首を振った。「僕はここで終わりにしないといけない。兄の影を、僕自身の影を消し去るために。」

その言葉とともに、ケイは影の中へと足を踏み入れた。アカリが手を伸ばす暇もなく、彼の姿は霧の中に溶けていった。

アカリが気づいた時、彼女は町の外れに立っていた。霧は晴れ、小道も影も消えていた。すべてが夢のようだったが、彼女の胸にはケイの最後の言葉が焼き付いていた。

「自分の人生を取り戻して。」

その言葉の通り、アカリは新しい一歩を踏み出した。そして灰霧町の外に広がる道を歩きながら、彼女は決して忘れないと誓った。ケイの犠牲と、自分の中の影を受け入れた瞬間を。

作品を評価しよう!

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

リサイクル•メモリー
音匣/著

総文字数/9,490

ホラー・パニック7ページ

本棚に入れる
表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア