手に職をつけようと思って蒔絵師の修行をした事もあるけどな職人は向いてなかった。
 わし、人と喋りたいねん。
 菜種油、松明、竹細工。鳥、野菜。街から街へと売り歩いたけど、応仁の乱でキナ臭くなると嫌気が差して山にこもったで。
 戦国時代は、今でいうところの隠密や伝令をやった。
 道中、山賊に刺されても死なんから、わしにはピッタリの仕事やったなぁ。
 わし、放浪生活が長く続ける間に遊芸民と知り合う機会が増えた。
 寺社の祭礼で芸をする人がおるねん。
 わし、毛坊主いうてな、辺境地で坊さんみたいなことをしたこともある。
 寺関連の仕事はけっこうあったわ。火葬場や墓場を三昧場というんやで。三昧って梵語の音訳や。
 ほんでな、墓地の葬送に従事する人達を三昧聖って言うんや。
 村から村へと渡り歩く遊芸民なんかも寺院に集まってくる。
 根無し草のわしは寺院の人等に世話になってきた。そやのに、信長は声聞師や聖や陰陽師を取り締まって殺したからムカついた。
 一揆を先導したりスパイ活動をしたから、信長は気に入らんかったみたいや。
 そやけど、そいつ等はわしの大事な友達や。
 こうなったら弔い合戦じゃ。わし、信長と戦う水軍に志願したったわ。
 織田軍の安宅船を取り囲んで、焙烙や火矢を投げ込んだんや。
 信長が光秀に殺されたと聞いた時、わしは小躍りしたわ。
 戦が落ち着いて江戸時代になると歌舞伎の裏方の仕事をするようになった。
 同じところにはおられへんから、江戸と上方を交互に移動しながら芸能の仕事にのめり込んだ。
 仲間と共に辺境の村から村へと移動した。あの頃は楽しかったわ。
 わしらの芸に笑わされたり感動させられた人間は大勢おるわいな。
 今でいうところのユーチューバーや。いや、アーティストってやつかもしれん。とにかく、みんながわしらの登場に胸をときめかせたもんや。