怪我をしてもすぐに治るようになる。まぁ、それはええ事やけどな、何年たっても歳をとらん。
太郎は気持ちが悪いと囁かれるうになったんで、思い切って岡山の本土に移動して山の民に混じって暮らすようになった。
山の民は家族単位で生活するんや。
川の魚やら鰻やらスッポやらンや鯉といったもの村の一軒一軒をまわって売るんやけど、これは今で言うところの訪問販売やな。いや、飛び込みの営業と言うべきかもしれへんな。
わしは、彼等から毒流しという技法を教えてもらった。
川辺の草の中には毒性のあるものがある。それを石で潰した汁を川に流して一時的に魚を痺させるんやけどなぁ、アユはデリケートやから強い毒性の草は使ったらあかんぞ。
逆に、鰻は強い毒性の草を使って掴まえた。川下の魚の為に解毒効果のあるものを置いておく。人間には草の毒は影響ないから心配いらん。
木地屋。たたら師。炭焼き。修験道者。山には色んな奴がおった。
わしは、山の民と共に川魚の漁場を求めて移動した。川から川へと岡山から広島まで行った。
山の民のオナゴが小さい子供を連れて川魚を藁の紐に通して売るんや。
わし、その家族の長女の十七歳ぐらいの娘に惚れとった。
冬は、竹細工やら箒を作る。あの娘は、わしが手に怪我をしたらヨモギを乾燥させたもので止血してくれたわ。
笑うと目が糸みたいに細くなってなぁ、かえらしいねん。
結婚したいけどな、わしは不老不死や。普通と違う。迷いに迷ったけど、七年一緒に過ごしてから黙って余所に行った。その後、播磨に移り住んで皮なめしの仕事を手伝った。明石では留め船の番人をした。
山守、池守、川番人。今でいう派遣社員みたいな感じで暮らしてきた。
鎌倉時代は、主に兵庫県の沿岸部をウロウロしながら過ごした。
それで、室町時代になると、わしは思い切って、天皇のおられる京都に行くことにしたんや。
太郎は気持ちが悪いと囁かれるうになったんで、思い切って岡山の本土に移動して山の民に混じって暮らすようになった。
山の民は家族単位で生活するんや。
川の魚やら鰻やらスッポやらンや鯉といったもの村の一軒一軒をまわって売るんやけど、これは今で言うところの訪問販売やな。いや、飛び込みの営業と言うべきかもしれへんな。
わしは、彼等から毒流しという技法を教えてもらった。
川辺の草の中には毒性のあるものがある。それを石で潰した汁を川に流して一時的に魚を痺させるんやけどなぁ、アユはデリケートやから強い毒性の草は使ったらあかんぞ。
逆に、鰻は強い毒性の草を使って掴まえた。川下の魚の為に解毒効果のあるものを置いておく。人間には草の毒は影響ないから心配いらん。
木地屋。たたら師。炭焼き。修験道者。山には色んな奴がおった。
わしは、山の民と共に川魚の漁場を求めて移動した。川から川へと岡山から広島まで行った。
山の民のオナゴが小さい子供を連れて川魚を藁の紐に通して売るんや。
わし、その家族の長女の十七歳ぐらいの娘に惚れとった。
冬は、竹細工やら箒を作る。あの娘は、わしが手に怪我をしたらヨモギを乾燥させたもので止血してくれたわ。
笑うと目が糸みたいに細くなってなぁ、かえらしいねん。
結婚したいけどな、わしは不老不死や。普通と違う。迷いに迷ったけど、七年一緒に過ごしてから黙って余所に行った。その後、播磨に移り住んで皮なめしの仕事を手伝った。明石では留め船の番人をした。
山守、池守、川番人。今でいう派遣社員みたいな感じで暮らしてきた。
鎌倉時代は、主に兵庫県の沿岸部をウロウロしながら過ごした。
それで、室町時代になると、わしは思い切って、天皇のおられる京都に行くことにしたんや。
