警護にかこつけて船主から銭を徴収する水夫もおったわ。
 世間は、金をくれという奴を海賊と言うたり水軍と呼んだりしとった。
 関銭というのはな、今で言うところの高速道路の料金所みたいなもんやな。
 港の管理者と船乗りが港の使用料で揉めた時なんかは、無理やり、積み荷を奪う事もある。それも船主からすれば、それも海賊行為っちゅうことになる。
 藤原純友の乱で政府の備蓄米を略奪した奴等の子孫がわしの島には大勢おったのう。
 瀬戸内の方では、『寄船』というてな、事故で船の積み荷が漂着すると拾った人のもんになるんや。米俵を見つけたら儲けもんじゃ。
 わしのおかぁは女郎でな、風待ちや潮待ちする船員の相手をしとった。誰が、わしのおとうなのかは知らん。おかぁが亡くなった後、ちょうど源平合戦が起きた。
 二十二歳のわしは平家側の船を漕いだ。銭さえくれるなら誰の船でも漕ぐ。
 その日、あっちこっちから矢がビュンビュン飛んできた。
 かなわんわ。たまったもんやないのう。
 源氏の奴等は卑怯やった。武士よりも先に操船の舵取りする者を徹底的に狙い撃ちにしよる。義経が、そういうふうに指示したんや。
 漕ぎ手が死んだら船は自由に動かんからな。こうなったら、武士もお手上げや。
 おがげで、わしの仲間が続々と死んでしもうた。分かりやすく言うと、義経は民間人を狙い撃ちしたんや。今で言うところの立派な戦争犯罪や。
 そやから、わしは、今でも義経のことが嫌いじゃ。
 当時としては掟破りの卑怯なやり方でな、あいつが兄貴に嫌われるのも無理ないわな。
 わしの五歳年下の弟は、わしの目の前で目玉に矢が刺さった状態で海に落ちたぞ。
 地獄に引きずりこまれるみたいな悲痛な顔をしとったわ。