最悪の状況に備えてこの手記を残します。願わくば誰にも読まれることなく、自らの手で葬り去れますように。

 私の人生は不幸の連続でした。
 まずは父が窃盗罪で逮捕され、泥棒の娘と揶揄されるようになったこと。そしてそれがきっかけで両親が離婚し、母とともに引っ越したはいいものの、私の顔が父にそっくりなせいで母がネグレクトになってしまったことです。母は全く口をきいてくれなくなりました。殴るでも罵るでもなく、ただ私を無視するのです。幸か不幸かシャワーを浴びたり、自分で洗濯をして干したりすることは咎められなかったので、悪臭によって虐待が周りにバレるようなことはありませんでした。
 ただ食料に関しては、母が自分自身のために買ってきた惣菜やお菓子などを食べてしまうとひどく睨まれるので、自分で稼ぐことのできない私は当たり障りのない物を少しだけ食べて凌いでいました。だから学校の給食は貴重な栄養源だったのです。

 中学の手配も母がしてくれるわけはないので、全て自分で行いました。私は給食のある公立中学への入学手続きを進め、制服や教材などどうしても必要な物の金額をまとめた紙を持って母に頭を下げました。母は黙ってそれを受け取りました。こんな時に嫌味の一言でも言ってくれればそれだけでも私は満たされるのに、母には私など見えていないかのようでした。
 しかしそんな思いをして入った中学で、さらなる不幸に見舞われるのです。

 きっかけは恐らく、小学校が同じだった渡辺真琴ちゃんがいじめられているのをたしなめたことでした。私は学年一か、もしかすると学校一の悪女である菊田朱莉に目をつけられてしまいました。正直、割って入ればそうなることは予想していました。でも私には辛い思いをしている人を見て見ぬふりし続けるより、自分がいじめられる方がずっと楽だったのです。

 案の定、菊田の嫌がらせは小学生レベルでした。暴言に暴力、無視や嫌がらせは私にはあまり意味がありません。宿題を2回分やらされようと、自分の勉学の糧になるだけです。
 ただ、物を奪われたり捨てられたりするのはかなり堪えます。文房具などの私の私物は、小学生の頃に買ってもらった物や、大切にとっておいた友達からの誕生日プレゼントを節約して使っていました。中学生からすれば少し子供っぽいデザインです。でも子供っぽい菊田にはそれがたまらなくかわいく見えるようで、よく取られてしまいました。私はこれ以上何かを奪われないよう、暴言や無視の方が心底辛そうな芝居をしました。菊田の加虐心を満足させるためです。

 でもそうしていると菊田は背中をコンパスで刺してきました。あまりの痛さに思わず声が漏れてしまいましたが、私がイラついたのはそこではありません。大切な制服に穴を空けられたことです。そこで次の手を考えました。菊田が授業中に虫を放ってきたので、大袈裟に驚いてやったのです。
 計算通り、菊田は虫を使った嫌がらせをしてくるようになりました。私は飢えを凌ぐためにバッタを捕まえて食べることもあるくらいなので、本当はあまりダメージがありません。まぁ、生きたまま口に放り込まれるのは流石に気持ち悪いですが、物を壊されるよりはマシでした。

 菊田のせいで私はどんどん孤立していきました。母のおかげで無視をされることには慣れていましたが、それでも少しは心にくるものです。クラスメイトは代わりにいじめられることを恐れて、誰も近づこうとはしません。1度だけ私が授業中に消しゴムを落とした時に、後方の席の話したこともない男子がなぜか取りに行ってくれましたが、彼はそれを拾うふりをしてスカートの中を覗こうとしてきました。そんな人しか教室にはいなかったのです。

 折角仲良くなれたのに、真琴ちゃんとも距離ができてしまいました。彼女とは境遇が似ていて話も合うと分かり、これからもっと仲を深めたかったのですが、私と居るとまた嫌がらせをされるかもしれないので、むしろ離れていてくれてありがたかったです。
 私にとっては孤独よりも、給食にありつくことの方が重要でした。それに、卒業してしまえばもう菊田とは一生関わることはないのです。期限付きの地獄なら耐えることが出来ます。その間にしっかり勉強をして、母に頼み込んで高校に行くことを考えていました。もしそれがダメでも、働きながら高卒認定を取り、自力で大学に行こうと。そんな風に安易に考えていた自分を呪ってやりたくなります。

 それは忘れもしない、今年の1月16日のこと。私は放課後に菊田たちに連れ回され、近所の商店の前に来ていました。放課後の寄り道も、そもそも学校にお金を持ってくることさえ校則で禁止されているのですが、奴らがそれを守るわけがありません。菊田はよくここで駄菓子を買って食べたり、水鉄砲や花火を買ってそれを私に向かって放ったりしていました。私はいつものように商店の前で菊田たちが戻るのを待っていました。

 10分後、戻ってきた菊田が私に何かを差し出しました。それは買ったばかりのシャープペンシルでした。私が困惑していると、彼女は「たまには私たちからも何かプレゼントしてあげないとね」と言いました。プレゼントという言葉を聞いて思い出しました。その日は私の誕生日だったのです。
 キャラクターが描かれているわけでも、色がかわいいわけでもない、銀色のシンプルなシャーペン。でもそれは、いつも貰い物の鉛筆を少しずつ使っている私にとって喉から手が出るほど欲しい物の1つでした。今日が私の誕生日であるという情報を知った菊田が気まぐれを起こしたのだろう。数年ぶりに与えられた自分のための新しい品の輝きを目の前にして、私は疑いもせずそれを受け取ってしまったのです。

 翌日から早速それを使うことにしました。家でも学校でも、もう私の誕生日を祝ってくれる人はいません。菊田ももちろん祝う程の気持ちがあるわけではないと分かっていますが、それでも物に罪はないので、私はどこか浮かれていたのでした。
 その日の放課後、担任の須藤先生に理科準備室に来るよう言われました。先生には時々ノートを集めたり、備品を運んだりすることを頼まれていたので、今回も何か手伝って欲しいのだと思い、何の心の準備もないまま3階の廊下へと向かいました。階段をのぼりきって廊下へ出ると、ちょうど先生も準備室の前に着いたところだったので、合流して中に入りました。

 理科準備室の中は、何かの薬品のような独特な臭いで満ちていました。そのせいでいつもここに入ると、どこか学校とは別の空間に足を踏み入れてしまったような感覚になります。私は何を手伝えばいいのか尋ねようと、立ち止まっている先生を振り返りました。先生は扉を見つめて何か考え事をしている様子でした。

 私は先生に声をかけました。すると先生はゆっくりと扉の鍵に手を伸ばし、それを施錠したのです。そして戸惑う私に近づいてきてこう言いました。

「今日、クラスのとある生徒からあなたが近くの商店で万引きをしているという話を聞きました。心当たりはありますか?」

 自分の血の気が引いていくのが分かりました。とある生徒とは、菊田のことに違いありません。私は菊田に万引きした商品を渡されて、まんまと受け取って使ってしまった……彼女にはめられたのです。
 動揺した私はつい背後にあった椅子にぶつかってしまいました。それはひっくり返して机の上に置いてあったので、床に落ちると大きな音を立てました。その音にもびっくりして固まる私をよそに、先生は静かに続けました。

「商店の方からは学校が終わった頃の時間に万引きが複数回起きていることの苦情と、警察に通報するつもりだという旨を聞いています。それは今、先生が頼んでもう少し待っていてもらっていますが……これ、昨日までは持っていませんでしたよね?」

 先生は私が胸ポケットにさしていた銀色のシャーペンをスッと抜き取りました。バカな私は浮かれてそんな所にペンを入れていたのです。早く弁明しなければという焦りが、ようやく私に口を開かせてくれました。
「先生……先生! 違うんです。これは菊田さんにもらった物で……!」
 私はなんとか信じてもらおうと、先生に必死に説明しました。先生は優しい顔で頷きながら聞いてくれました。だから私は、先生が菊田よりも自分を信じてくれたのだと思い、安堵していました。

「分かりました。では、服を脱いでください」
「え……?」

 言われた言葉の内容が理解できず、固まってしまいました。口を半開きにしたまま、ただ瞬きを繰り返すだけの私に、先生はペンを見ながら淡々と続けました。
「物的証拠があるんですから、警察に通報されれば面倒なことになるのは確かです。しかも残念なことに、姫川さんは昨日ちょうど14歳の誕生日を迎えました。14歳からは刑事責任が問われるんですよ。本当にすごいタイミングだ」
 先生は笑いながら、ペンを自分の懐に入れてしまいました。
「さあ、あまり時間はありませんよ」

 ようやく自分の置かれた状況が分かってきました。要するに先生は交換条件を出してきたのです。断れば、先生は証拠のペンを持って私の情報を商店の店主に売るでしょう。そうなれば進学は絶望的ですし、就職だって難しくなります。
 優しくて紳士的で、真琴ちゃんの憧れでもあった先生の本性を知って、私はショックを受けました。でも、未来のためには従うしかなかったのです。

 結果的に商店には犯人が誰か分からないと伝えられ、生徒たちに厳重に注意するということでその件はうやむやになりました。私は証拠のシャーペンを奪われたまま、それから何度も先生に呼び出されることになったのです。
 そのうち少しずつ先生のことが分かってきました。言うことを聞いた後先生は少し優しくなるので、聞いてもいないのに色々なことを教えてくれるのです。端的に言えば、先生は怪しい呪術のようなものに傾倒していました。

「呪いなんてないと、どうして言い切れるんですか? 自分の得のために他人の不幸を願う……例えば他のメスから強いオスを奪い取りたいだなんて、サルでも願うことです。その祈りはエネルギーとなり、魂に波及し干渉する。呪術は人間がまだ人間と呼ばれるに至る前から普及し、探究され続けてきた素敵な学問なんです」
 先生は研究を重ね、従来の呪いをベースに新たな方法を独自に編み出したと言っていました。私には到底信じることができません。ですが、席替えの度に菊田と近くの席になるのも、3年生になっても菊田からも先生からも離れられなかったのも、全て自分の呪いの効果だと言うのです。

 確かに席替えは公平なくじ引きで行い、その間先生はくじから離れた所に居ますし、クラス替えだって先生の一存でそこまで自由に決めることはできないかもしれません。でも私は、やはりそんな曖昧な力の存在を信じることはできませんでした。
 すると先生は実演しましょうと言って立ち上がり、その辺にあった紙に何かを書き始めました。そして引き出しからペンチを取り出すと、おもむろに自分の左手の薬指の爪をつまんで、勢いよく剥いだのです。

 あまりの光景に息をするのも忘れました。先生は痛がる様子もなく、慣れた手つきで剥ぎ取った爪を流れ出る血液とともにビーカーに入れました。そのまま血を絞り取るように圧迫を繰り返し、ある程度の量が溜まったところで簡単に応急処置を施しました。その後は何やらよく分からない液体の薬品をそれにかけては混ぜ、また違った液体を加えて混ぜの繰り返しで、最終的にできたものを先程の紙に吸わせました。

「紙自体は何でもいいんです。それに、言ってしまえばこの液体だってさほど重要ではないんですよ。一番大事なのは文字。誓約を行う本人の直筆でなければいけません。だから最悪文字さえちゃんとしていれば、切って貼っての継ぎはぎでも効果が出ます」
 薄ピンク色に染まった紙には私を呪う旨が書かれていました。そんなものが本当にあるかどうかは分かりません。でも、この作業がしやすから理科の教師になったのだと笑っているこの男が狂っていることだけははっきりと分かりました。
 そして先生が自身の爪を1枚捧げてかけた呪いは、恐らく成功したのです。

 5月の半ば頃、私は菊田に捕まって、とある家に連れて行かれました。その先が菊田の交際相手である成人男性の家だと分かった時点で、どんなことをしてでも逃げれば良かったのです。しかしそれは叶わず、私は中で待っていた男の連れたちに好きなようにされてしまいました。菊田とその彼氏は笑いながらその様子を写真と動画に納めていました。そこからの流れはもう分かりきっています。その写真を拡散されたくなければ、大人しく従えというものです。

 今度も私は従うしかありませんでした。この時はまだ、自分の未来を諦めてはいなかったのです。幸か不幸か、先生のおかげでこういったことにも慣れてしまっている自分がいました。
 菊田の彼氏はその様子を眺めているだけで、加わってくることはありませんでした。恐らく菊田にきつく言われていたのだと思います。何度かそんなことがあるうちに、相手は知らない男性から隣のクラスの男子になり、やがて同じクラスの男子になりました。どうやら菊田は私を使ってお金を稼いでいるようでした。

 学校に行けば今まで無視を決め込んでいた人たちが、好奇な目を向けてくる人と軽蔑の眼差しで見てくる人の2つに分かれていました。それから先生は、私の現状を把握しているようでした。先生は全てを知った上で、ボロボロになっていく私のことを面白がっているのです。いやもしかすると最初から、全ては先生の狙い通りだったのかもしれません。先生はどうやら、ボロボロの私にこそ執着を持っているようでした。

 こんな思いをしてまで、自分の未来に希望を持つ必要はあるのだろうかと考えはじめていた時でした。私がいつものように呼び出しを受けて、もはや抵抗する意志すらなく菊田の彼氏の家へ向かうと、そこにいたのは彼1人でした。彼はついに菊田のことを裏切ったのです。私はもはやどうでも良くなって、給食ぐらいしか食べていないのに無駄に発育の良い自分の体について考えていました。ふと気づくと、菊田が部屋の中に突っ立っていました。

 どうやら彼の計画は失敗したようで、その場は文字通りの修羅場になりました。菊田は持ってきたジュースやお菓子を部屋中にばらまきました。私はそれをただぼーっと眺めながら、もったいないなと思っていました。やがて彼は開き直りはじめて菊田を家から追い出しました。そして私もその数十分後には、同じように放り出されました。

 翌日から、菊田はしばらく学校に来ませんでした。恐らく数日間は精神的なショックで寝込み、その後数日をかけて私への報復をどうするか、練りに練ってから登校してくるのだと思います。最悪の場合、殺されるかもしれません。

 私は段々と、自分の人生がどうでもよくなってきていました。先生の呪いは本物だったのかもしれません。素直にそれを認めて自ら終わらせてしまえば、先生は満足するのでしょうか。私は呼び出された屋上で、牽制のつもりで飛び降りるふりをしてみました。

「構いませんよ。姫川さんが死んだとしても、魂を依代に定着させる方法がありますから」
 先生はいつも通りの笑みを浮かべてそう言いました。でもその瞳の奥に、そこ知れない執着心が垣間見えました。そこで私は気づいたのです。先生の本当の目的はそれだったのではないかと。

 ようやく、自分のやるべきことが決まりました。明日の放課後、先生からの呼び出しを凌いだあとに、どこか遠くへ逃げるのです。もはや万引きのことも写真のことも気にしている場合ではありません。母には悪いですが、ある程度まとまった額を借りていくことにしました。いつかどこかで無事に生き延びることができたら、返しに来ようと思います。

 私はまだ死にたくありません。菊田にも、先生にも、誰にも殺されたくはありません。もう思い描いていた未来には辿り着けないかもしれません。先生の呪いによって、この先もずっと不幸に見舞われるかもしれません。でも生きてさえいれば、きっといつかは良いことがあるはずです。
 生き延びて、生き延びて、死ぬ時は絶対に先生に見つからないように。
 でももしも、万が一私が失敗した時に、誰かが真実を知ってくれるように……これは私の決意表明の手記です。どうか、いつか、自分の手で葬り去れますように。