
姫川真依が屋上から飛び降りたのは、明らかにいじめが原因です。姫川は、同じクラスの菊田朱莉にいじめられていました。
姫川とは2年の時だけクラスが一緒でした。いつからいじめが始まっていたのかははっきりと覚えていません。そもそも初めて姫川を認識したのが、丁度菊田とその取り巻きたちにいじめられている時でした。菊田たちは姫川の筆箱でキャッチボールをしていたんです。
奴らは大人数でパスを回しながら、時にはわざと天井や床に筆箱を叩きつけていました。変な音が鳴っていたし、絶対に中身は無事じゃないと思います。姫川は困っているとも諦めているとも言えるような顔をしていました。
最終的にはキャッチボールがドッジボールに変わって、菊田たちは何度も何度も姫川に筆箱を叩きつけていました。
クラスの連中は僕のようにドン引きしている奴も居ましたが、大半はすでに知っていたようで、見て見ぬふりに徹していました。何も見ていないというようなていで顔を背けて、友達と世間話に興じているのです。多分、みんな自分が代わりにああなるのが嫌だったんだと思います。それくらい菊田のいじめは陰湿でねちっこくて、不愉快極まりないものでした。
姫川の私物は、ほとんど菊田に奪われました。何か気に入ったものがあればすぐに取り上げられ、わざとらしく「プレゼントしてくれてありがとう」と言っていました。「忘れ物しちゃった」などと言いながら姫川の机から教科書を断りもなく引き抜き、授業で使い終わると窓の外か、教室のゴミ箱に投げ捨てる。どうせまた自分で使うくせにわざわざ汚すなんて、バカですよね。そう、菊田はバカなんです。成人している男と付き合っているなんて噂もありましたが、そうやって男にかまけてばかりいて、授業も聞いてないし、当然宿題もやってきません。
提出物は毎朝姫川のノートを奪って丸写しするか、その作業すら姫川にやらせていることもありました。姫川はいつも黙って従っていて、そういうところがますます加虐心を煽っているようで、菊田のいじめはますますエスカレートしていきました。
ある日、授業中に「うっ」と小さくうなる姫川の声が聞こえてきました。そっちを見てみると、なんと姫川の肩甲骨の横のあたりにコンパスの針が刺さっていたのです。刺したのはもちろん、真後ろに座る菊田です。奴がそれを引き抜くと、針の先は赤く染まっていました。これには流石に気づいた周りの何人かが息を呑んだのが分かりました。
それまでにも授業中に奴が姫川の足を蹴ったり、脇腹をつねったりしているのは見かけたことがありますが、流石に今回のは度が過ぎていると思いました。どれくらいの出血量だったのかは、姫川が紺色のブレザーを着ていたので分かりません。床に滴り落ちる程ではないにしろ、怪我はそれなりに酷いはずです。でも、姫川にとっての本当の地獄はそのさらに先にあったのかもしれません。
コンパス事件の翌週、理科の授業中に突然けたたましい叫び声が上がりました。声の主は姫川で、立ち上がって必死に自分の首元や背中をはたこうとしていました。どうやら背中に虫が入ってしまったようなのですが、犯人はすぐに分かりました。真後ろの席にいた菊田が、心底面白そうな顔でニヤついていたからです。はじめは姫川のリアクションを楽しんでいるのだと思っていましたが、違っていました。菊田はどうやら新しい遊びを思いついたようでした。
その日から、菊田は虫を使って姫川をいじめるようになりました。姫川はどうも虫だけは心底苦手なようで、それが魔王にバレてしまったのです。
菊田は取り巻きを使って姫川を羽交い締めにしては、その辺にいる虫を乗せて遊んでいました。顔に這わせたり、服の中に入れたり、時には口の中に突っ込んだり。極々小さなクモにはじまり、イモムシやバッタ、カマキリなど……それぐらいの虫なら、校庭に出ればすぐに捕まえられます。あれは別に虫が平気な自分でもトラウマになるようなレベルでした。
もちろん姫川の暴れ具合は凄まじかったです。それでも誰も助けてはくれないし、虫を放り込まれた状態で口を押さえられているので叫ぶことも叶いません。それを見て菊田は満足そうに笑っていました。
結局姫川のそんな状況は、クラスが変わるまで続きました。3年生になってからは受験勉強が忙しくなり、隣のクラスのことまで気に掛ける余裕がなくなってしまったので、別のクラスになった姫川と菊田がどうなったのかは分かりませんでした。それでも恐らく、状況はあまり変わっていないだろうと思っていました。
しかし夏のはじめ頃、妙な噂が聞こえてくるようになったのです。
「姫川のやつ、1回イチゴでヤらせてくれるらしいぞ」
一瞬意味が分かりませんでしたが、すぐにイチゴというのが金額のことであると理解しました。要するに1万5千円払えば姫川と肉体関係を持てるという話のようです。もちろん最初は菊田あたりが流している嘘の噂だろうと思っていました。
でもそのうちに、本当に姫川とすることができたという男子生徒が現れたのです。そいつの話によれば、仲介の男に金を渡して案内された先に、姫川真依が一糸まとわぬ姿で待っていたと言うのです。
話を聞いていた連中はまだ半信半疑でした。だいたい中学生のくせにそんな大金を一体どこから調達したと言うのでしょう。でも男というのは単純で、他の連中はどうか本当であってほしいというような期待感が顔からダダ漏れになっていました。確かに姫川は中学生にしては発育が良く、痩せすぎず太りすぎずで、男子の間で度々話題になっているようでした。
顔はメガネと長い前髪のせいで一見パッとしないのですが、よく見れば色白で整っていることが分かります。と言ってもアイドルのようなかわいい系の顔ではなく、どちらかと言えば3、40歳の頃にいちばん輝いてくるような顔つきでした。
そんなだから、噂の真偽を確かめようと熱気高々になっている奴が増え始めました。僕はもちろん、そんなバカな話は最初から信じていませんでした。しかしそのうちに、噂は本当だったと言って回る輩が数人出てきたので、少なくとも姫川が何かをしていることは事実のようでした。
僕はがっかりしました。結局彼女はそうやって、誰かが親の財布から泥棒のように盗み取った汚い金で私腹を肥やす人間にまで成り下がってしまったのです。いよいよ計画を実行に移す時が来たと感じました。
そもそもどうして僕が菊田にいじめられる姫川をただ傍観していたかというと、それにはちゃんとした理由がありました。
実は僕は1度、姫川に救いの手を差し伸べていたのです。しかし彼女はそれを拒絶するだけでなく、あろうことかそんな僕の心を踏み躙りました。僕は姫川真依に裏切られたんです。
僕が姫川や菊田のことを細かく覚えているのは、たまたま席が1番後ろで、あの2人のことがよく見える位置だったからです。そしてある日の授業中、姫川は消しゴムを落としました。それは彼女の前方へ転がっていきました。
それを見ていた僕はすぐに行動を起こしました。姫川に、僕が助けを求めてもいい相手であることを知らせたかったからです。周りの連中は姫川に関わることを恐れて近づこうともしません。でも僕は違います。それを伝えたくて、授業中にもかかわらずその消しゴムを拾いに走ったんです。
でもそれを笑顔で姫川に差し出した時、あの女はまるでゴミを見るかのような目で僕を見ていました。風呂場の排水溝に絡まった髪の毛でも見るような目で。
僕は深く傷つきました。そして悟ったんです。ああ、この女は酷い目にあっても然るべき存在なのだと。そういう運命を辿るべきなのだと。だからそれ以降はただ黙って、あの女がボロボロになっていくのを傍観することにしました。
最初はそれだけで満足することが出来そうでした。僕が罰を下さずとも、菊田が代わりにやってくれる。姫川はミソギを行わなければいけない立場なのです。しかし、3年生になってどうやら彼女は変わってしまったようでした。
そこで僕はいざという時のために前々から研究していた呪術をついに発動させることに決めたのです。
今の時代、僕と同じように誰かを呪いたいと願う同志はたくさん居ます。そして彼らはその研究データをネットに残してくれているものです。僕は誰かを不幸の連続に陥れたり、愛し合う2人を強制的に別れさせたり、死んだ人の魂をこの世に呼び戻したりする方法が載っているサイトに辿り着きました。そこには誰かを死の淵に追いやる方法も書かれていました。
それから僕はその呪いを完成させるために奮闘しました。こういうものには、色々と複雑な手順があるのです。それを1つずつ丁寧に完遂させていきました。受験勉強の妨げにはなりますが、それよりも姫川に深く反省してもらう方が重要です。
するとそれからほどなくして、姫川はあっけなく死にました。表向きは菊田のいじめを苦にしてということになるでしょう。
僕としては死の間際まで追い詰めてやれればいいと思っていたのですが、どうやら僕の呪力が強すぎたようです。でも仕方のないことです。死んだ時、姫川のカバンからはそれなりの額のお金が出てきたそうです。やはりあの女は、自分の身体を売って金を儲けていたのです。同級生から大金を巻き上げるようなやつは死んで当然なのです。
姫川真依があの世でしっかり反省することを期待しています。
