ここは何処だ……。

 冷たい石の床に転がり、俺はボーッと視線の先を見つめた。目の前には黒く重苦しい鉄格子が並んでいる。視線を下ろすと、手足には重く冷たい自由を封じる(かせ)がはめられていた。

 ここは……牢獄だ。

 罪人が入れられるこの場所に俺はいる。

 ここに入れられ、一体何日が過ぎただろう。

 毎日行われる尋問と拷問。

 毎日毎日、鞭で打たれ、殴られ、汚い言葉で罵られ、精神がすり切れていく。初めこそ俺は無実だと言い続けていたが、今はそれを言うことも出来ない。それは精神的に追い込まれ、言葉に出来ないのでは無い。言葉通り、言うことが出来ないのだ。

 そう……俺の舌は切られてしまったからだ。


 悔しい……悔しい……悔しい、悔しい、悔しい。


 俺が何をした?

 俺はただ平温に生きたかっただけだ。

 それなのに第三王子という中途半端な生まれのせいで、王位を狙っていると、王太子に命を狙われた。そんな事は微塵も思っていないと訴えても、第三王子派と呼ばれる貴族たちが俺の知らないところで勝手に動き、悪い方向へと進んで行く。運命に導かれるように……、逆らえない何かがそこにあるかのように……、物語の様に……俺の手を離れて動き出す。

 やめてくれ、俺を巻き込むな、お願いだから……。

 俺の願いなんて誰も聞いてはくれない。

 もう疲れた……。

 瞼をゆっくりと閉じ、暗晦(あんかい)な世界に安らぎを求める。

 闇の世界は心が凪ぐ。

 もう何も見たくない。

 聞きたくない。

 ゆっくりと意識を闇に沈めていると、耳障りな音が聞こえてきた。

「おい!起きろ!」

 乱暴に俺の腹を蹴り上げ、監視の男が俺に唾を吐きかけた。

「あっぐ……ああ……」

 何をする!

 俺はそう言ったつもりだが、口から出るのはくぐもった声だけだった。それを見た監視の男は、俺を虫けらのように見てあざ笑う。

 くそっ……。

 俺は監視の男を睨みつけると、それを見た男が怒りにまかせて拳を俺の頬にめり込ませた。俺の体は壁まで吹き飛び、背中を強打した。強烈な頬の痛みと、背中の痛みに、目の前が白くなる。グラグラと脳が揺れたせいで、視界がシャウトする。焦点の合わない瞳で、前だけを見つめていると、乱暴に牢屋から引きずり出された。

 また拷問でも始まるのかと思っていたが、今日は違うようだ。薄暗い部屋には向かわずに、階段を上るように指示された。ジャラジャラと足枷の音を立てながら前に進む。それにしても枷が邪魔をして歩きにくい。

 そう思いながら何とか階段を上って行った。

 ここは牢獄の出口へと進む階段だ。それに気づいた時、俺は外に続く扉の前に立っていた。監視の男が扉を開けると、数ヶ月ぶりの空が見えた。青く広がるその世界は自由の象徴。

 やっとだ……やっと出られた。

 そう思ったのもつかの間、俺はまた引きずられる様にして歩かされ、ボロボロの馬車に乗せられた。

 一体何処に連れて行かれるのだろうか?

 馬車が動き出して数分後、馬車が止まり扉が開いた。俺は乱暴に馬車から降ろされ、背中をドンッと押される。

 歩けと言う合図だろう。

 俺はガシャリという手足の枷音を立てながら歩かされていた。

 ふと前を見ると、俺はこの場所に見覚えがあった。ここは国で一番大きな闘技場だ。年に一度、国の英雄が集まり、武勇会が行われる場所で、更には罪人が処刑される場所でもある。

 そうか……俺は今日処刑されるのか……。

 俺は人ごとのようにそう思った。

 薄暗い闘技場の廊下を歩いていると、足枷の音と、はぁ、はぁという自分の呼吸音のみが廊下に響き渡る。

 もうそろそろか……。

 前を歩く男が立ち止まり、ニヤリと口角を上げた。

「死の闘技場へようこそ」

 扉が開かれ闘技場内に足を踏み入れると、歓声が響き渡った。俺はポカンとその場に立ち尽くし、周りを見渡した。まるで現実味が無い。夢の中にいるかようで、ボーっと観客席を見つめていると「この罪人が!」の声と共に俺に向かって石やゴミが飛んできた。その一つが俺に額に当たり、血がたらりと落ちてくる。その衝撃で一気に現実に戻された。

 怒声と罵声を浴びながら、俺はゆっくりと闘技場の真ん中まで進み空を見上げた。

 綺麗な青だ……。

 そこからゆっくりと視線を王族席に向けると、豪奢な席に肘を付き口角を上げる男と視線が交わった。

 オルダストン!!

 あいつはこの国の王太子で俺の兄、オルダストン・リデ・ブレインスターだ。

 どうしてあいつは俺を始末しようとするんだ。第二王子では無く、第三王子である俺を……それが分からない。俺は最後のあがきと思い、声をはり上がた。

「あぐっ……あがあ……があぁぁぁぁ……(俺は何もやっていない)」

 それを見たオルダストンが、声を上げて笑い出した。

「くくくっ……あははははっ!ぶざまだな。お前は今日、処刑される。俺……王太子殺害未遂の罪でな。第三王子サリオン・レア・ブレインスター、罪は死を持って償え」

 オルダストンがそう言うと、俺が入って来た入口の扉は閉められ、正面の鉄格子が開いた。暗い鉄格子の奥に目を凝らして見つめると、唸り声を上げながら獣がゆっくりと闘技場に姿を現した。

 三つ頭の大きな犬……あれはケルベロスだ。

 三つ頭の口からはだらだらとよだれが垂れ、獲物を求めて視線を彷徨わせる。そして俺と目が合うと大きな咆哮を上げた。それだけで俺の体はビリビリと威圧され、体が後退してしまう。

 恐怖で支配される。

 逃げなければ……俺は右足を後ろに引き、ゆっくりと後ずさる。しかし何処に逃げ場があるというのだろう。今更それに気づき落胆する。それでも一秒でも生き延びたい。その思いだけで俺はその場から走り出した。それと同時にケルベロスも地面を蹴る。あっという間に追いつかれ俺の背中に、ケルベロスの爪が食い込んだ。

「がはっ……」

 俺はうめき声を上げて、地面に転がった。そんな俺に近づいてきたケルベロスは、俺の右足を食いちぎる勢いで歯を立て、俺をブンブンと振り回す。

 あ゛ああぁぁぁぁ……い゛……い゛たい……痛っ……い……止めてくれ……。

 地獄のような時間だった。

 ケルベロスは俺を玩具の様になぶり遊び、死ぬほどの攻撃は与えてこない。ただ新しい玩具を見つけて弄んでいるようだ。闘技場にいる人々は、それを見て歓喜に震えている。

 何なんだこいつらは……。

 腐っている……。

 人が殺され欠けているというのに、それを見て笑顔でいられるなど、本当にこいつらは人間なのだろうか?

 その時、脳の奥底に眠っていた記憶がフラッシュバックした。

「あははは……キモイんだよ」

 脳裏にあざ笑う声が聞こえてくる。

「キモ豚が何しに来たんだよ」

「もう学校来るなって言ったよな?」

「「「ぎゃはははは!」」」

 同級生の醜く笑う声がトイレに響く。

 俺は頭を掴まれ、便器に顔を突っ込まれた。

「おら、喉が渇いただろ?水をくれてやるから全部飲み干せ」

「やめ……やだ……止めて……」

「あ゛あ?止めてだ?止めて下さいだろうがあぁぁ?」

 俺の顔を便器の中に押しつけると、顔が汚水に浸かった。男子生徒達は便器の汚水がゴボゴボと音を立てるのを見て、大笑いしている。

 何がそんなに面白いのか……。

 俺はもがきながら便器から顔を上げると、むせながらも息を整えるのに必死になった。

「ゲホゲホげほ……げぇぇぇーーー」

 むせながら俺は便器の汚水をその場に吐き出した。そこから更に胃から込み上げる物を逆らわずに吐き出す。

「うっわーっ、きったねえぇーー」

「やっべえな。きっも……」

「とりあえず写真に撮っておこうぜ」

 俺は男達に屈辱的な写真を撮られ、その場に放置された。


 それは遠い遠い昔の話し……俺の前世の記憶か……。

 くくくっ……ケルベロスに殺される瞬間に思い出すなんてな……。

 前世もクソみたいな人生だったってのに、生まれ変わっても、クソみたいな人生なんて笑えない。

 ふざけるな!

 何故このタイミングなんだ。

 これは神の陰謀か……?

 俺を絶望の淵に立たせて何が面白い。
 
 悔しさで唇を噛みしめていると、頭部から流れてきた血が額を伝い、目に入ってしまう。そのせいなのか、怒りのせいなのか、目の前が赤く染まっていく。俺は赤く染まった世界を目に焼き付けるようにしながら凝視した。

 ここにいる全員の顔を絶対に忘れない。

 俺を嘲笑うオルダストン、貴族、民、全てに俺は憎しみの念を込める。


 『滅んでしまえ』


 その瞬間、ケルベロスが俺の喉元目掛けて大きな口を開いた。それから三つ頭が俺の頭、腹部、足に同時に噛みつき、四方に引っ張る事で俺の体は引きちぎられ、バラバラになった。


 闘技場に広がる歓声を耳にして俺の意識は闇に消えていく。ケルベロスによって引きちぎられた肢体から血が滴り落ち、サリオンの悲しみの涙の様に闘技場の地面を濡らしていた。

 

『……オン……サリオン……起きなさい。サリオン・レア・ブレインスター』

 誰だ……?

 俺の名前を呼ぶのは誰だ?

 俺は起き上がれる状態じゃ無いんだ。

 そう思いながら俺はガバッと体を起こした。

「俺の体!」

 俺は自分の体を確かめるべく、ペタペタと触った。

 なんともない……確かに俺はケルベロスに引き裂かれたはずだが、俺の体には傷一つ無かった。しかも声が出せる。

「どういうことだ?」

 その場で呆けていると、脳内に声が聞こえてきた。

『サリオン、ようやく目覚めましたね』

「えっ……誰だ?それにここは?」

 周りを見渡すと何も無い、真っ白な世界に俺は立っていた。ここが何処なのか見当も付かない。まだ夢の中にいるのか……いや、違うな。ここは死後の世界なのだろう。

 ようやく苦しみから解放される。

 俺は思わず安堵の溜め息を付いた。

『サリオン、少しは落ち着きましたか?』

「ああ、あんたは?声しか聞こえないがどこにいる?話しにくい」

『そうですね。では……』

 声の主がそう言うと、俺の前に一つの球体が現れた。

『これでどうですか?』

 声に合わせて球体がゆらゆらと揺れる。

「まあ……見えないよりはましか」

『では、話を始めますね。あなたはケルベロスにかみ殺されて死にました。ここまでの記憶はありますか?』

 俺は球体を見つめながらコクリと頷いた。それを見た球体は話を進めた。

『私はこの世界の神、あなたにお願いがあります。この国はあなたの死をきっかけに、厄災や暴動がおこり、滅んでしまう運命にあります。私はそれを回避したいのです』

「何故だ?」

『それはブレインスター王国の滅亡をきっかけに、世界が消えるからです』

「…………」

『サリオン、この世界を救えるのはあなただけ。これから時間を逆行させ、あなたの幼少期である過去の世界に返します。どうかこの世界を平和に……』

「いやだ」

 球体……神が話すのを俺は遮った。

『えっ……。あの……今何と?』

「嫌だと言った」

『ですが、世界が消えて無くなってしまうのですよ?」

「別に良い。俺はブレインスター王国を滅ぼしたいと願った。それが叶うならこんなに嬉しいことは無い。くくくっ……最高だ。滅び行く世界が見られなかったのは残念だが、最高の気分だ」

 俺は高笑いをして見せた。

 神はそんな俺を見て、絶句しているのか声を掛けてこない。

「神、俺はこのままで良い。俺をこのままあの世に送ってくれ」

『そうですか…………』

 神は考え込む様に言葉に詰まってから話を続けた。

『……先ほどあなたは滅び行く世界が見られなかったのは残念だと言いましたね?』

「ああ、言ったな」

『ブレインスター王国の様子を見てみますか?』

「見れるのか?」

『あなたが望むなら』

 神はそう言うと白い世界だったそこに、映像が映し出した。そこにあるのは赤い炎で包まれた街の様子……人々が炎から逃れようと逃げ惑い、泣き叫ぶ惨劇。

 正に地獄絵図。

『どうですか?厄災に見舞われる自国の様子は?これはあなたが亡くなって一週間後の世界です』

「こんなことになるなんて……」 

『では、世界のために……』

 神はそう言いかけたが、俺は口角を上げた。

「くくくっ、良いじゃないか。やはりこのままで良い」

 神は何も言わずに俺を観察しているようだったが、俺は街が赤く燃え盛る様子を笑いながら見続けた。すると、神が諦めたように溜め息を付いた。

『あなたは世界を救う気は無いようですね』

「そうだな」

『仕方がありません。この世界は滅びるしかありません……それなら……サリオン……あなたが死んだ後の世界に行ってみますか?』

「出来るのか?俺は死んでいるんだろう?」

『私は神です。意外と融通が利くのですよ。それに滅びゆく世界ですから少しくらいの無茶をしても許されます』

 そういうものなのか?

 俺は少し考えてから、元の世界に戻ることを了承した。


 光の球……神が、俺の回りをグルリと回ると、頭上から光が降り注いだ。

『あなたに神の加護を与えます。今まで無かった魔力も与えましょう。さあ行きなさい。あなたの思うままに生きなさい』

「ああ……そうさせてもらう。くくくっ……」


『復讐の始まりだ』


 俺は感情のこもらないくすんだ瞳を見開らき、口角を上げた。

 フワリとした浮遊感の後、気づくと城下町の一角に立っていた。俺はすぐに自分の格好を確認した。死んだ直後の姿なら服はボロボロで血だらけのはずだ。しかし服は神が用意してくれたのか、町人風の服を着用していた。それにはホッと安堵の息を漏らす。しかもポケットの中には金貨が数枚入っており、随分と気の利く神だと苦笑した。服の上にはフード付きの黒いマントも着用していたため、フードを目深にかぶり歩き出す。辺りは暗く、俺は月明かりを頼りに歩いて行った。

 歩き出してすぐに酒場を見つけて入って行くと、屈強な男達が、大きな声で騒いでいる声が聞こえてくる。がはははっと下品な声で笑い合う男達を横目で見ながら、カウンターの端の席に座った。席に座ってすぐに、俺は一杯の酒と、腹に溜まる食事をお願いした。それから少しして、食事と酒が運ばれてきた。それらに口を付けながら俺は男達の話に聞き耳を立てた。

「あの王子が処刑されて一ヶ月だろ?あれから嫌なことばかりが起きてる気がするんだがよ?気のせいか?」

「ああ、俺もそう思ってるよ。町の人々は、王子の呪いじゃ無いかって騒ぎ出している」

「呪いって……あの王子、魔力無しだったんだろ?」

「まあ、そうらしいが……王族だからな……分からないぜ?あの大火事に、災害、これから更に悪いことが起こるんじゃないかって噂されてるぜ」

 どうやら俺が死んで一ヶ月経っているらしい。そう言えば神が言っていたな。俺の体を人間として元に戻すのに少し時間がいると……それに神のいたあの空間と、この世界は時間軸にずれがあるとかなんとか……。だから現在は俺が死んで一ヶ月が過ぎた世界のようだ。

 俺は食事をしながら聞き耳を立て続けた。

「それによ、町の橋むこうの平民街は今大変な事になっているらしいぞ。何でも体に発疹の出る病気が流行りだして、沢山の民が亡くなっているって話だ」

「マジかよ!どうするんだよそれ」

「教会が動き出しているって話だけどよ。怖がって教会の連中は平民街に近づかないから、治療してもらえない民がどんどん死んでるらしい」

「うわーっ、それって見殺しにしてるって事だよな?」

「まあ、結果的にそうなるな」

「病で親を亡くした子供たちがかなりいるらしいぞ。可哀そうに身寄りもなく、餓死しているらしい」

「悲惨だな」

 なるほどな。

 どうやら町では流行病が流行し始めたらしい。

 ジワジワとこの国は、滅びの道へと進んでいるようだ。

 くくくっ……。

 俺は男達の話に満足すると、酒屋の二階にある宿屋を借り、そこで一泊すると次の日、日が昇る前に宿屋を後にした。

  外に出ると町は冬の霧に覆われていた。まだ日の出前のため薄暗く、人の気配は無い。そんな寒い朝靄の中を目的の場所まで歩いて行くと、町の端にある橋が見えてきた。

 この橋から先は、感染症が広がっていると言っていたな。

 俺は感染対策のため、黒い布で鼻と口を覆った。

 この橋を渡れば平民街となっている。庶民的な街並みが広がるそこを歩きながら辺りを見渡す。

 すると路地裏から人の声が……。
 
 俺は身を潜めながら路地裏に近づいた。

「おら、さっさと歩け!声を出すんじゃねえぞ!」

 悪党面のがたいのいい男達が、子供数人を引きずるようにしてボロ馬車に乗せようとしていた。

 何だ?

 人さらい?

 それとも奴隷の子供達か?

「おら、親が流行病で死んで身寄りの無いお前達を引き取ってくれる人の所へ連れて行ってやるんだから感謝しろよ」

 ここにいる子供達は身寄りの無い子供達なのか……。そうか、だから奴隷として売り飛ばしても、犯罪に巻き込んでも誰も子供達を探す者はいない。

 完全犯罪の出来上がりだ。

 可哀そうだが仕方がない。視線を逸らし立ち去ろうとした所で俺は目を見開いた。

 あの男は……。

 ドクドクと俺の心臓が怒りと歓喜で大きな音を立てる。俺は心臓の上にある服を鷲掴みにして震えた。

 間違いない。

 あの男は俺を牢屋で監視していた男だ。

 あいつは俺がどんなに無実だと訴えても、聞く耳を持たず、鞭でなぶり続けた。俺が意識を無くしても俺の体を鞭で打ち、血が噴き出すのを見て笑っていた。

「おい、早くしろ!」

 最後の子供を引きずりながら歩く男を見て、俺は口角を上げながら「はぁはぁ」と呼吸を荒げた。

 あの男も知っている。

 拷問時に猟奇的な顔をして俺を傷つけた拷問男だ。こいつが一番俺の拷問を楽しんでいたな。俺の舌を切り落としたのもこの男だ。声の出せなくなった俺を見て、にっこりと微笑んだ男の顔は忘れられない。こいつはゾッとするほど冷たく笑う男なのだ。男達を見つめ、俺の体は喜びで震えていた。

 ここでこいつらに出会えるとは……。

 恐怖。

 悲愴。

 憎悪。

 歓喜。

 感情が高ぶり更に体が震える。

 くくくっ……良いじゃ無いか……。

 最高だ……死んでしまったら味わえない感情だ。心の奥底から滲み出てくる感情に狂喜乱舞したくなりそうだったが、それを押さえながら獲物を見つけた獣の様に俺は男達を見つめた。


『さあ……復讐の始まりだ』



 俺は子供達の乗せられたボロ馬車を追った。

 こいつらは一体何をしているんだ?

 ボロ馬車が停車したのは森の奥にある古びた屋敷だった。外から中を窺うと、悪党顔の男の他に白い服を着た男がいた。

 あいつは……。

 くくくっ……最高だな。

 類は友を呼ぶだったか?

 ホントその通りだな。

 人を猟奇的にいたぶるのが大好きな三人がここにいる。

 俺の復讐したい相手が勢揃いだ。

 白服の男は教会の人間だった。牢屋に何度もやって来て、聖職者面をしながら俺をなぶり続けた。悪いことをしたら償わなければいけないと言いながら、俺を殴る姿は聖職者とは到底思えなかった。

 白服の男は子供達の前に立つと、聖職者の顔をしてニコリと笑った。

「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。痛いことはしませんからね」

 男の笑顔と言葉に、子供達が安堵したときだった。男はニコリと笑っていた顔を猟奇的に歪めて、子供達を見た。

「寝ている間に臓器をえぐり出してあげますからね」

 その瞬間子供達がガタガタと震えだした。声も出せず震えるだけの子供達。

 胸くそ悪いな。

 そう思っても、子供達を助けるつもりは無い。この国は滅びる。今この子供達を助けて所で、生き抜くことは出来ないだろう。それならいっそここで……と思う。

 悪いな……俺は濁った瞳を伏せ、その場を後にした。

 それから数日、男たちが潜伏する屋敷を見張りながら自分の能力を確認した。神は俺に加護を与え、魔力を付与したと言っていた。魔力があるなら使いこなしたい。俺は右手に力を込め、火や水、土といった基本の魔法の詠唱を唱えた。小さな炎や水が手から出るのを見て、口角を上げた。

 魔法は一通り使えるらしい。

 魔法はイメージだ。前世である現代日本の記憶がある俺に、イメージの出来ない物なんて無い。マンガやアニメの知識を活用すればチートだろう。

 俺はそこから更に魔法の使い方を模索しながら、その時を待った。

 そして一週間後……。

 屋敷の庭に大きな魔方陣が描かれた。魔方陣の近くでは子供達が怯えた様子でガタガタと震えていた。

「一番は誰が良い?」

 そう聞いているのは聖職者の男だ。その言葉に子供達は体をビクリとさせると顔を伏せた。そんな子供達をニヤリと見てから、一列に並んだ子供達の前を聖職者は行ったり来たりし始めた。

「だーれーにーしーよーうーかーなーあぁぁぁぁ?」

 恐怖を誘う呪文の様にそう唱えながら、聖職者の男は両足をそろえた。一人の少女の前で止まった男は、俯く少女の顔を覗き込んだ。その瞬間、隣にいた少年が少女を庇うように立ちはだかる。

「妹に触るな!」

「お兄ちゃん……」

 どうやら二人は兄弟らしい。

 そんな二人を見た聖職者は人の良さそうな顔でにっこりと笑った。嘘くさいその顔を見た兄妹は、ガタガタと再び震えだす。

「妹のために、お兄ちゃんが先にあの世に行くか?」

 少女はハッと顔を上げて兄を見た。少年は気丈に妹を見て微笑んでいる。大丈夫だと言いたいのだろうが、それを口にすれば震えていることを悟られてしまう……妹を心配させないように、微笑み続ける少年。そんな二人を見た聖職者は良いことを思いついたとばかりに、パンッと手を打ち合わせた。

「分かりました。では、お兄ちゃんが命を差し出すなら妹ちゃんは助けて上げましょう。どうですか?」

 その言葉に少年が食いついた。

「本当か!俺の命の代わりに妹を助けてくれるのか?!」

 自分の命より妹が大事とばかりに、少年の瞳に希望の灯がともった時だった。

「なんてね」

 「はっ?」と少年の口から意味が分からないと言った声が漏れた。

「お前の命を差し出されたところで、妹ちゃんは助けませんよ。くくくっ……残念でしたね」

 心底ムカつく聖職者の様子に、少年は拳を振り上げた。それを拷問男が阻止をする。

「おっと、そこまでだ。あきらめな」

 幼い力では大人には到底叶わない。弱者はいつだって強者の下で抗うことしか出来ない。悔しさで少年が涙をこぼしたとき、聖職者が少女の腕を掴んだ。それを見た少年が悲鳴の様な声を上げた。

「妹に触るな!クソ野郎!」

 その言葉に聖職者は顔を歪めながら拳を振り上げ、少年の頬にその拳を叩き付けた。体重の軽い少年の体はフワリと浮き、地面に叩き付けられるように転がった。

「そこで泣き叫びながら、妹がどうなるのか見ていなさい」

 少女を引きずるようにして聖職者は魔方陣の中心に少女を連れて行く。

「大丈夫ですよ。以前も言いましたが痛いことはしません。眠りなさい」

 聖職者は魔法で少女を眠らせ、魔方陣の上に少女を横にした。

「さあ始めますよ」

 そう言うと魔方陣が発動し少女を照らすように光り出した。すると少年が悲痛な叫び声を上げた。

「やめろ!やめてくれ!お願いだからやめてくれえぇぇぇぇーーーー!!!!いやだあぁぁぁぁーーーー!!!!」

 そんな少年を見た聖職者と拷問男、監視男はニヤつきながら少年を見ていた。


 その時……。

 ドっごおぉぉぉーーーーん!

 俺は赤い閃光を魔方陣の上に叩き付けた。それは赤い光の柱となり大きな音を立てる。

「あ~あ……めんどくせえ」

 俺は魔方陣を破壊しながら少女を抱き上げ、少年の前へと歩いて行くと、少年に少女を手渡した。それを見ていた聖職者が声を荒げる。

「貴様、何者だ?!」

 フードを目深にかぶった状態で、赤い瞳だけを輝かせた。

「誰だろうな?」

 俺はフンッと鼻で笑いながら口の端を上げた。


『さあ、復讐の始まりだ』


「なんですか?復讐?あなたは、誰に何を言っているのか分かっているのですか?これでもくらえ!」

 聖職者は魔法で作り出した火の玉を俺に向かって繰り出した。俺はそれを防御魔法を使って難無く受け止める。それを見越していたのか、拷問男達が俺に向かって剣を振り上げてきた。見事な連携だが俺には通用しない。

 俺は剣の太刀筋を見ながら前後左右に避け、ニヤリと笑った。

「チートすっげぇ」

 俺は無詠唱で火の玉を作り出し、男達に放った。すると聖職者よりも強力な火の玉が男お立ち目掛けて飛んでいく。

「うわーーっ!」

 男達から上がる悲鳴を聞き、ニヤついてしまう。

「逃げろ逃げろ……逃げ惑え。死にたくなければ走り続けろ」

 俺は男達に当たらないスレスレの所に火の玉を落とし、逃げ惑う様を楽しんだ。ひとしきり楽しんだ俺は、そろそろ飽きたとばかりに火の玉を出すのを止めた。すると男達はゼーゼーと息を整えながら膝を地面に付いた。

「くくくっ、惨めだな。これで終わりだ」

「まっ……待ってくれ。たのむ……」

 聖職者の男の言葉に耳を貸すことも無く、俺は地面からツタを作り出し男達の腕や足に巻き付けた。それから少しずつ両手足を引っ張っていく。すると男達の関節がミシミシと音を立て始めた。

「待て、何をする気だ……まさか……」

 男達が青ざめるのを見て、俺は冷たい声音で言った。

「お前達の体を引き裂くんだよ」

 何でも無いように言った俺の言葉に、男達の体から冷や汗が吹き出す。

「それだけは止めてくれ。たのむ……なぜ……こんなことを……」

「なぜ?復讐のためだ。決まっているだろう?」

「復讐?俺達が何をした?!」

「覚えていない?そんなわけがないよな?」

 俺はそう言いながら目深にかぶっていたフードを上げた。すると男達の顔が青から白に変わっていく。

「なっ……そんな……ウソだろう。その赤い瞳は第三王子……」

「そんなわけが無い!」

「そうだ!そんな訳がない!あの方は……」

 拷問男、監視男、聖職者の順に恐怖に震えた声が聞こえてくる。

「そうだな。俺は死んだよ。だが復讐のために舞い戻ってきた」

「そんなバカな……」

 俺は手のひらの上に水球を作り、男達の前に見せつける。

「何をする気だ!」

「黙っていろ。体を引き裂かれたくないのだろう?」

 俺は静かにそう言うと男の顔に水球を押し当てた。そして玉の形状を保ったまま放置すると、男達がゴボゴボと水球の中でもがき苦しむ。それを見て、一度水球を取り除いた。すると男達はゲホゲホと苦しそうにムセながら、肺に入り込んだ水を吐き出した。

「苦しいだろう?地上にいながら溺れるとか恐怖だろう?」

 感情のこもらない冷酷な言葉に、男達は震え上がり俺に縋り付こうとしてきた。

「お願いです。命だけは……」

「殺さないで下さい」

「私には妻も子供もいるんです」

 聖職者が泣き落としに掛かってくるが、俺はそれを無視する。どうせ滅び行く世界だ。妻や子供がいようがいまいが関係ないだろう。

「だからどうした?」

 俺がもう一度水球を作りだすと、男達の顔が強張った。懇願すれば俺が許すとでも思っていたのだろう。男達が声を発する前に俺は水球を男の顔に押し当て、そのまま放置した。

 その様子を見つめていた子供達の方へと視線を向けたが、俺はフードを目深にかぶり、お前達には興味ないと言うように背を向けたて歩き出した。そんな俺の背中に向かって、最初に殺されかけた少年が声を掛けてきた。

「ありがとうございました」

 別に俺はこいつらを助けたわけでは無い。

 無言のまま男達の方へと視線を向けると、いつの間にか男達は事切れていた。

『復讐完了』

 俺は子供達に声を掛けること無くその場を立ち去った。


 それから程なくして、町では漆黒の英雄の話でもちきりとなる。

 子供達を救った赤い瞳の英雄。その噂を皮切りに、あちらこちらから英雄の噂が広がっていく。その噂は王城にまで届くこととなった。

 数か月の間に俺は復讐を成し遂げていき、卑劣な奴らを成敗していった。その過程で人助けをしてしまったが、それは俺のためであって、人を助けるためでは無い。しかし噂が噂を呼んでいた。

 復讐現場には王太子オルダストンにのみ分かるよう俺の痕跡を残していた。それは今後の布石のためだ。王城の豪奢な椅子に座り、怯えながら待っていろ。

 オルダストン。


 その頃、王城でオルダストンは怯えていた。

「赤目の英雄だと……そんなわけがない……」

 そんなことがあるわけがない……。

 しかし……。

 オルダストンは親指の爪を噛みながら、イライラを隠せずにいた。

 ジワジワと首を絞められるような感覚……。それに苛まれながら、絶えず膝を細かく揺すった。

 そんなわけが無い……そんなわけが無い……そんなわけが無い……あいつは……。


 俺は復讐を続けながら狼狽え、怯える兄を想像した。

 待っていろオルダストン。


『復讐は始まったばかりだ』



「くくくっ……あははははぁぁぁーーーーっ!」