地下鉄を途中で降りて、ドーナツのチェーン店に入る。篠原ともよく立ち寄る場所だ。
 この時間帯は学生たちの溜まり場になっており、同じ制服もちらほら見かける。

 席取りに回った俺が偶然座ったのも、同級生の隣だった。

 四人グループのうち一人だけ、一年の時にクラスが同じで面識がある。
 顔を合わすのは久しぶりだが、向こうも俺を覚えていたらしい。

「あれっ、陽太じゃん。久しぶり。クラス変わってから全然絡まなくなったよな〜」
「理系クラスとは合同授業もないから、ホント会わないよね」

 俺は元クラスメイトと軽く挨拶を済ませた後、彼のツレに向かって何となく頭を下げる。
 彼らも簡単な挨拶を返してくれ、穏やかな空気が漂い始めたその時――。

 目の前にドンッとトレーが置かれた。
 シロが不機嫌な顔で、俺を見下ろしている。

「先輩、コーヒーとアメリカンハニードーナツでしたよね」

 言葉は丁寧だが、すこぶる態度が悪い。
 隣の席の同級生たちにまで噛みついていきそうな雰囲気だ。

「シロ……そんな態度をとるなら俺は帰るよ」
「今日は俺との時間を作ってくれたんじゃなかったですっけ」
 
 シロは「俺との」部分を強調して、隣の席の元クラスメイトを睨む。
 騒がしい店内に一瞬、静寂が訪れたような気がした。

「混んできたし、俺らそろそろ出ようか」
「そうだな。ゆっくり歩けば丁度良い時間だろ」

 俺がシロを宥めるよりも先に、隣の席が動き始める。

「二木、悪い」
「カラオケの予約時間までの暇つぶしだったから、気にすんな。また話聞かせろよ」

 嫌な空気になってもおかしくない状況を、元クラスメイトと同級生たちは笑って流してくれた。

 そんな彼らを「大人だなぁ」と思う一方で、流石に目の前の幼くて独占欲の強い幼馴染を、どうにかしなければならないと思う。

 俺が当たられるだけであれば良いのだが、誰かを傷つけたり、気を遣わせるようでは駄目だ。

「志郎」

 強い口調で名前を呼ぶと、シロはびくっと肩を跳ね上げる。

「ごめんなさい。でも、久しぶりの二人きりになれるチャンスを邪魔されたくなかった」

 先ほどまでの太々しさはどこへやら。シロはみるみるうちにしゅんとなる。

「分かった。会えなかった分の話も聞くし、これからは会う時間もとるから、ああいうのはやめてくれ。不満がある時は俺にだけ言って」
「……はい」

 叱っていたはずなのに、しょぼくれるシロが可愛くて、頭を撫でてやりたい衝動に駆られた。

「あの金髪ピアスの人かっこよくない?」

 透明の敷居を挟んで反対側の席から、きゃっきゃと楽しそうな女子の声が聞こえてくる。

「本当だ。連絡先渡しちゃいなよ」
「そういうんじゃなくて、目の保養」

 会話の内容から、俺の話をしていると気づいただろうに、シロは女子たちに背を向けたまま、なんとか耐えている。

「我慢できて偉いな、シロ」

 やっぱり頭を撫でてやりたい。でも駄目だ。
 シロにもプライドがあるだろうと思い、伸ばしかけた手を引っ込めた。

 代わりに、ちらちらとこちらを見てくる女子高生たちに手を振ってやる。すると、バレていたのが気まずかったのか、彼女たちは百面相をした後、急に大人しくなった。

(コーヒー、お代わり頼もうかな)

 空になったマグカップを持って立ち上がると、俺の行く道に、制服を着崩した派手な男が立ち塞がる。

「なにガンつけてんだぁ?」
「ええっと……?」

 俺は思わず「どちら様?」と言ってしまいそうになる。

 言いがかりだ。
 少なくとも俺の視界には映っていなかった。

(さぁ、どうしたもんか)

 この男はきっと、自分より弱そうなら絡む相手は誰でも良いのだ。
 下手に刺激すると面倒なことになると思い、俺はしばらく考え込む。

 結論よりも先に、大人しくしていたはずのシロが口を挟んだ。

「喧嘩売りたいなら買いますけど。俺、柔道黒帯ですよ」

 そういえば、シロはずっと柔道を習っていたっけ。
 本人は嫌だったのに、父親が習わせたかったとかだったと思う。

 黒帯がどれほどすごいものなのかは分からないが、なんとなく強そうだ。
 俺に絡んできた相手も、舌打ちをしてあっさり退散してしまう。

「今のはありがと。助かった」
「……いつもこうなの?」

 シロは訝しげな目で俺を見る。

「いや、こんなに重なることは流石にないよ。シロ、なんか引き寄せてる?」
「引き寄せてるのは陽くんだよね」

 そんなことを言われましても。元クラスメイトと出くわしたのは偶然だし、ガラの悪い連中に絡まれるなんて初めてのことだ。

 女子に連絡先を渡されることは――まぁ、ないとは言えないが、それも頻繁に起こることではない。

「俺だけの陽くんでいてほしい。他の人と仲良くしないで」

 シロはほとんど氷だけになったカフェオレを、ストローでかき混ぜながら、ひどく重たいことを言う。

「それは無理だよ」

 俺は即答した。
 シロは顔を曇らせ、唇を噛んで俯くが、話には続きがある。

「でも、シロは特別」
「え?」
「俺、小中の友達に会いたいとかあまりないんだけど、シロが追ってきてくれたのは嬉しかった」

 俺は席に座り直し、皿に残っていたアメリカンハニードーナツの残骸を口に放り込む。
 期間限定だから試してみたが、どうも俺には甘すぎる。

 指についた砂糖を舐めたのが気に障ったのか、シロは険しい顔つきでこちらを見つめていた。

「どうした?」
「陽くん、卒業式の日に話したこと、覚えてる?」
「卒業式の日……?」

 俺が中学を卒業する時の話だろうか。
 あの日は確か、一年は登校不要だというのに、シロはわざわざ制服姿で学校に来て、俺の帰りを待ってくれていた。

 俺はいつものように同級生よりシロを優先して、「春休みの間に引っ越すよ」 なんて話をしながら、家まで一緒に帰った記憶がある。

「何か話したっけ。離れたくないってシロが泣いたのは覚えてるんだけど……」
「覚えてないならいいよ」

 シロはそれからぶすっとしてしまい、折角の二人きりの時間は無言のまま過ぎていったのだった。