3度目のインタビューは前回から2週間ほど開けてから行われた。筆者の仕事の都合と東氏の体調の悪化で中々予定がつかなかった為である。2週間ぶりに会った東氏は少し痩せているように見えた。
インタビュアー:お久しぶりです。お身体は大丈夫ですか?
東氏:……大丈夫に見えますか?身体中が痛むし指も脚もないんですよ。それに昨日は熱もありました。
インタビュアー:すみません、お大事になさってください。早速で申し訳ありませんがインタビューを始めさせていただきます。前回はお二人で富士山へ行き五合目まで登ったところまでお聞きしました。それからについてお話しいただけますか?
東氏:別にいいですが、その前に一つお聞きしてもいいですか?
インタビュアー:はい、なんでしょう。
東氏:私の話を聞いて、あなたはどうするつもりなんです?
インタビュアー:インタビューを依頼した際にお伝えしましたがネットと紙両方で記事にします。勿論ギャラもお出しします。
東氏:そうやって人の不幸をネタにするつもりなんですね。
インタビュアー:聞こえが悪いですがそうなってしまいます。ですがスタンスとしては痛ましく繰り返してはならない教訓としての記事にしたいと思っていますし、初めに同意をいただいていたはずです。ですがもし東さんの心象を害するようでしたらインタビューを中止していただいても問題ございません。
東氏:……いえ、いいですよ。体調が悪くて口が悪くなってしまいました。すみません。
インタビュアー:こちらこそすみません。体調が悪くなりましたら申し上げてください
東氏:では、そうですね、五合目でビバークしてから次の日のことでしたか。朝は5時ごろに起きて朝ごはんを食べてからテントを片付けました。朝の気温は0℃を下回っていましたね。天気も微妙で曇り空で雪が降っていました。
前の日の夜のことについて大山は何も言わず、テキパキとテントを折りたたんでザックにしまっていました。
大山の言った通りに先ずはワカンを装着して山行を始めました。出発したのは6時くらいでしたね。
インタビュアー:出発してからの大山さんとはどのような会話をされましたか?
東氏:あまり会話はしませんでした。もともと大山はあまり喋る方ではないのですが、大山は私の前を黙って歩いて
いて、時折り振り返っては私たちの後ろの雪の斜面の方をじっと見ていました。私は彼はそうやって意味ありげに後ろを振り返るたびに前の日の夜の事を思い出して気味が悪かったです。私には見えていない何かを、大山が見ている。そう思うと私の前を歩く男を信用してついてきてよかったのか疑わしく感じられました。愛する伴侶を失った事で彼が何かスピリチュアルな思考に至ってしまってるのではないかとも思い、半分疑い、半分同情していました。
インタビュアー:同情ですか。
東氏:家族を失った人の家に宗教の勧誘が来るというのはよく聞く話ですから、深い心の傷を負った大山をそういう連中が拐かしているのではないかと思ったんです。元々彼は山を神聖視していたりと信仰心のようなものを持ち合わせていましたから、宗教にハマってしまったと言われたら納得せざるを得ない部分はありましたから。
インタビュアー:確かに、これまで聞いてきた彼の人となりを聞くとそう思えますね。
東氏:ええ、でも自分で言っといてなんですが、そうだとも言い切れない部分もあるんです。彼はスピリチュアルな側面も確かにありましたがなによりもリアリストでした。見たままのものを受け入れ、中途半端なものは信じない。そういう頑固さがありました。ですから彼がゴーグル越しに静かに私の背後を見つめている時、そこにはやはり何かがいたのではないかという恐怖がありました。
インタビュアー:後ろにいたもの、それはなんだったと思いますか?
東氏:私にはわかりません。わからないほうがよいのです。そうしてゆっくりとワカンを装着した登山靴で雪の積もった斜面を登っていると次第に歩いている時に雪面から伝わってくる感覚が固く鋭くなってきました。彼のいうとおり、柔らかく積もった雪面から次第に固く凍った氷面に変わってきていたのです。それに気づいた頃にはうすら赤い朝日が昇っていて、私の右頬を温かく照らしていました。そこで我々はワカンを外し、アイゼンへと付け替えたのです。
インタビュアー:その時は何時ごろでしたか?
東氏:そうですね、出発したのが6時ごろでしたからおそらく7時くらいだったと思います。その時にはすでに七合目あたりだったので八合目はすぐだと思いました。ですが………。
インタビュアー:ですが?
東氏:アイゼンを装着し、少し水分補給をしてからザックを背負うと少し離れたところに赤い点々が雪面に広がっているのが見えました。大山もそれに気づき、彼は何も言わずにそれに向かって歩き出しました。私も気になり黙って着いて行くと……。
インタビュアー:何があったんです。
東氏:近づくとそこには羽を乱暴に毟り取られ、首を切られたライチョウの死骸が転がっていたのです。しかも1羽ではなく何羽も同じように首を切られてそこら中に散らばっていたのです。
インタビュアー:えっ?
東氏:信じられませんよね。私もそうでしたし。私は暫くの間、目の前の光景に呆気に取られ、雪の上でカカシのように突っ立っていました。大山も同様に無惨な姿のライチョウを見つめていましたが急に下の方を向いて私に言ったのです。
「アレだ」
と、私も彼と同じ方向を見ると私たちの立つ雪面の更に下の方に黒い何かがいました。私はそれを視界に捉えた時身体中の血液が一気に無くなったかのように悪寒が駆け巡りました。
クマです。それも非常に大きく、痩せていて手足の長い個体でした。きっと飢えていたのでしょう。
そいつは真っ直ぐに私たちを下から見上げ、じっとしていました。
大山は「行くぞ」とだけ言い、クマの方を注意深く見守りながら私たちはその場を後にしました。
その場にいればクマは我々の事を獲物を奪いにきた無礼者を思うかもしれないからです。
私も背中にじっとりと汗をかきながら大山について行きました。
インタビュアー:クマはどうしたんですか?
東氏:クマは怒り狂って我々を追いかけてくる事はせず、ライチョウの死骸があった場所へ向かうと何羽か選んで食べていたようでした。その間もたまに頭を上げてこちらの様子を伺っていましたが。
インタビュアー:恐ろしいですね。そのあとは順調通り?
東氏:ええ、なるべく足を滑らせないように凍っていない場所を選んで歩みを進めていました。次第に西の方から吹いてくる風が強くなってきてはいましたが午前中のうちに八合目の山小屋までたどり着くことが出来ました。
一度そこで荷物を下ろし、私たちはこの後のことについて話し合いをしました。
インタビュアー:何について話し合ったのですか?
東氏:私はやはり天候は少し悪くなってはいるものの、逆に今日のうちに頂上まで登ってしまったほうが良いと提案したんです。今後良くなるという予報でもないしまだ午前中で体力にも余裕があったからです。大山は少し考えると言って開けた場所に立ってまた下の方を見つめていました。私はそこから離れた場所で荷物を整理していましたが、横からのが彼の口元はなにか話しているようでした。私からは見えない、聞こえない何かとです。正直私はすでに彼の事を気味が悪く、近寄りがたく感じていました。彼はなにか夢想の中にいるようでもあり、強い決意をもってここにやっているようにも見えたからです。
インタビュアー:強い決意、ですか。
東氏:ええ、暫く彼はそうしていたかと思うと、ダウンのポケットに両手を突っ込みながら私の元へ戻ってきて、
「とりあえず九合目までは言ってみて様子を見る。そこでダメそうだったら戻る」
とだけ言い、ザックを背負いました。先ほどまで頑なに八合目でビバークすると言っていた男がどんな心変わりなのかと訝しみましたか、それを口にするのは辞めました。
出発する際にチラリと下の方を見ましたがすでに赤い点々は見えなくなっていました。風によって運ばれた雪によって隠されたのでしょう。
でもそこから大変でした。さっきまでは少し風が吹いていた程度だったのですが八合目から出発すると直ぐに猛烈な風が頂上の方から踏みつけてきたのです。空も真っ白い雲で覆われ、眼下には雪面が広がり、猛烈な風で舞い上がる雪によって空と地面の境目が真っ白に塗りつぶされました。雪山での遭難の理由の多くがこのように周りの全てが真っ白になるホワイトアウトによって人間の方向感覚が狂い、自分の進みたい方向と実際に歩いている方向の乖離が生まれるせいなんです。
ですが富士山は円錐状の山のため、前後左右の方向感覚が狂っても上下がわかっていれば、頂上に向かって登る事自体は可能です。私たちは滑落に備えてピッケルを構えながら風に耐えつつ斜面を登りました。
インタビュアー:想像するだけで寒気がしますね、恐ろしい。
東氏:ええ、でも我々は一度冬富士に挑戦していましたからここまでは想定通りでした。前を歩く大山のトレースを辿りながら体力の消耗を抑えつつ登っているとあることに気づきました。
インタビュアー:あること?
東氏:猛烈な風の中雪面を登る私の耳には四つの音が聞こえていました。
ゴウゴウ ゴウゴウ
という突風の音。
ザク ザク
これは前を歩く大山の足音。
ザッ ザッ
そしてもちろん、大山の跡を追う私の足音。
ザク ザク
風と私たちの足音に紛れて私の後ろ、少し離れたところから足音が聞こえたんです。他に聞こえる音よりも小さく、ゆっくりとした足音ですが、何故かそれらをすり抜けて私の鼓膜へダイレクトに聞こえてきたんです。
まるで気づいているんだろ?と言わんばかりでした。
先ほどのクマの事を思い出し、顔だけ後ろを振り向くとそこには何もいませんでした。ただ私たちの足跡があるだけです。
インタビュアー:大山さんは?
東氏:私が後ろを振り向いて何もいない事を確認してから前を向き直ると、大山も同様に振り向いて後ろを見ていました。ですが今回は大山は見ていたのは私の後ろではなく、私でした。ゴーグル越しに光のない真っ黒な目で私を見ていたのです。一瞬、沈黙がありました。お互いに動く事なく、風の音だけが聞こえていました。
大山はサッと前を向き直り歩みを再開しました。
そうしているうちに我々はなんとか九合目の小屋まで辿り着きました。急な雪面を一気に登ってきたために体力は消耗されましたが正直、このまま頂上へアタックもできそうな気がしました。相変わらず風が強く、10m先が見えないような状態でしたが私は大山に提案しました。すると大山は「無理だ」と言ったのです。
私は怒りを覚えました。彼は確かにいくつもの難関なアルペンを制覇してきた男です。ですが私の大学山岳部で国内の様々な冬山を登ってきましたし、それを彼も知っています。それなのに大山は私をまるで登山初心者のように扱ってくることに私は激しい怒りを湧き上がらせたのです。
なめるな、と。私は大山の前に立ち、ここから頂上へは私が前を歩くから着いてこいと言いました。
そしてザックを背負い直し出発した直後です……。
インタビュアー:どうしたのですか?
東氏:突然、激しい頭痛と吐き気に襲われました。高山病の症状かと一瞬よぎりましたが、あまりに突発的な症状に混乱し、私は膝をつき頭を抑えました。頭を何本もの針で繰り返し刺すような痛みと胃や腸を掻き回されるような不快感が私の脳を支配していたんです。
そうしてうずくまる私の横に立ち、奴が言いました。
「分かるだろ?順番があるんだ。9の次は8なんだよ」
そして私たちは九合目の山小屋を後にして八合目の山小屋まで戻ることにしました。下る最中も激しい頭痛と吐き気は治らず、自分は今立って歩いているのかそれとも雪の上で転がって仰向けになっているのかが分からなくなり、何度も滑落しかけました。
大山は妙に優しく、私の荷物の一部を持って私に声をかけながら前を歩いていました。
私は目も回るようになり、前を歩く大山がぶれて頭が二つあるようにも見えました。
そうしているうちに私たちは八合目の山小屋まで戻り、冬季では山小屋は開いていないのでテントを立てて中で体を休めたのです。
インタビュアー:順番とは何のことですか?
東氏:……私には、分かりません。彼には私が見えていないものが見えていたんでしょう。私はテントの中で早々にシュラフを敷いて中で目を閉じました。まだ日は落ちていない時間でしたが目を閉じた瞬間に私は気絶したように眠りました。そして真夜中に目を覚ましました。真っ暗なテントの中で目を覚ますと外からの強風でテント全体がカタカタと揺れて形が歪んでいました。
体を少し起こすと大山はおらず彼のシュラフは空っぽでした。
また1人で用を足しに行ったかと思って重い体を起こして外を出ると、真っ暗な中で動くものが見えたんです。
大山かと思い近づくとそこには真っ赤なドレスを着た女性が立っていました。
行方不明の大山久子がそこにいたんです。披露宴のお色直しで着ていた真っ赤なドレスを纏って雪の上に立っていました。
ただそれは大山久子ではない、私の本能はそう告げました。それは体と顔は大山久子そのものでしたが、頭が二つあったのです。真っ赤なドレスを纏い、煌びやかなアクセサリーをつけ、首を二又に分けて大山久子の顔を二つ生やしてこちらをじっと見つめていました。
私はこの時、大山がずっと見ていたのはコレだったのだと確信しました。
彼が雪の斜面で何もない場所を見つめていたとき、何もないと思っていたところにはこれがいたのだと。
二つの頭の大山久子がゆっくりと口を開き、こちらに何か語りかけようとした瞬間、私は目を覚ましました。
時計は夜中の1時を差し、隣には大山が眠っていました。
インタビュアー:体調が悪くなり、恐ろしい夢を見たのですね。
東氏:いいえ、あれは確かに夢でしたが本当のことだと思っています。そもそもあの山での出来事自体全て夢のようなものだったのです。
そろそろ今日は終わりでも良いですか?少し疲れました。
インタビュアー:そうですね、お話聞かせていただきありがとうございました。
東氏:はい、はじめに嫌な事を言ってしまいすみませんでした。そういえば壊れたスマートフォンはどうでしたか?
インタビュアー:今はなんとか中身が見れないか試しています。
東氏:そうですか、まあでも見れない方がいいかもしれませんよ。
