1度目のインタビューから3日後、筆者はまた東氏の入院する大阪市の病院へ訪れた。2度目のインタビューも彼の個室で行われた。
 軽く挨拶をすませ、スマートフォンの録音アプリを起動する。

インタビュアー:こんにちは、ご気分はいかがですか?

東氏:指が数本と左脚がないこと以外は順調ですよ。

インタビュアー:反応しづらいですよ。今日は大山さんと行った冬富士での出来事についてお聞かせいただけますか?

東氏:ええ、私たちは車で御殿場口の入り口近くまで行き、荷物を揃えて1号目から登ることにしました。

インタビュアー:なぜそのルートを?

東氏:静岡の御殿場口から登った場合、南東から登って行くことになりますが基本的に冷たい風は反対側の北西から吹いてきます。つまり冷たい風が富士山に跳ね返されるわけですから南東から登る御殿場ルートは途中までは比較的苦労せず登ることができるんです。御殿場口登山道を1から歩いていき五合目まではゆっくり登って行くことにしました。
 途中までは雪のない林道ですがある地点から雪が目立つようになりました。
 彼は体力に余裕がありましたが私は登山が久しぶりな上にすでに雪が結構積もっていましたから体力を結構消耗されましたね。大山もそんな私を見抜いてか、その日は五合目付近でビバークすることにしたんです。もう少し上まで行っても良いんじゃないかと提案しましたが、天気が不安だからと返されました。

インタビュアー:一合目から五合目まで登る間に誰か別の登山者とはしませんでしたか?

東氏:そのときは会いませんでした。冬富士ですからあまり人も来ないですし、そのときは天気が悪くなりそうだという予報もありましたから。

インタビュアー:天気が悪くなる予報があったのに何故登ることにしたのですか?

東氏:彼がどうしてもこの日が良いと押し通したんです。私はいつでも良いと思いましたが頑なでした。今思うと彼は死ぬ為に登っていたわけですから天気が良かろうが悪かろうが関係なかったのですね。

インタビュアー:そのとき、彼の行動や態度に妙なところはありませんでしたか?

東氏:五合目付近で15時ごろに定着しまして、テントを立てて中でコンロに火をつけてあったまっていたんです。すると彼はコーヒーを振る舞ってくれました。学生の頃もテント内でよくコーヒーを淹れてくれたのを思い出して懐かしい気分になりました。そのとき、違和感もありました。以前彼と連絡を取ったときは彼は奥さんを失って明らかに憔悴していました。ですが富士山での彼は何かこう、すっきりとしているというか憑き物が落ちているような印象を感じました。久しぶりに登山をしたことで気が晴れたのかなとも思いましたがどうにも晴れやかというか、全てがはっきりと解決して何も心配いらないような雰囲気でした。それもあの結果を鑑みるに全てを諦めた故だったのでしょうか。

インタビュアー:テント内でも彼との会話は如何でしたか?

東氏:そうですね、山に入る前も言われていたのですが、登山中の事をカメラで撮影するように頼まれました。山の景色やお互いの表情などを写真とビデオに収めてネットにアップしてほしいと。正直、意外でしたが。

インタビュアー:意外とは?

東氏:彼は学生の頃は山であまり写真やビデオを撮りたがりませんでした。肉眼で見えるものが全てで、写真やビデオなんてものは観光地で撮れば良いとよく言っていました。本当に美しい山の景色は肉眼でしか味わえないんだと。同い年とは思えない古い考えに当時は笑っていましたが今でこそ分かります。山で見る景色は決して同じ景色を写真やビデオに収めても同じように感じることはできません。吹きつける風の音や太陽の光、煌めく雪の結晶なんてものはスマートフォンのカメラ越しでは味わえませんから。だからこそ彼が積極的に撮影をするように頼んできたことは私にとっては本当に意外だったのです。

インタビュアー:そういうことだったんですね。

東氏:私は彼の希望通り、テント内で彼や自分の写真を撮ったり、外に出て景色を撮ったりしてネットにアップしました。
 そして夜、寝る前に彼は「明日は天気の様子を見て八合目まで行く。最初はワカンを履いて行くが六合目からアイゼンを履いて行くから準備しておけ」と言いました。

インタビュアー:ワカンとアイゼンの説明をいただけますか?

東氏:ああ、すみません。ワカンとアイゼンはどちらも登山靴に装着するアタッチメントのようなもので、それぞれ別の用途で歩行をアシストします。ワカンは楕円形のパイプのような形状で登山靴の裏に装着することで雪への設置面を増やす事で足を雪に埋もれさせない効果があります。
アイゼンも靴の裏に装着しますがこちらはスパイクになっていて凍った雪面に突き出すことで滑る事を防いでくれるんです。どちらも富士山を登る際には必須で、柔らかい雪が積もっている場所ではワカンを、凍った雪面を歩く際はアイゼンを使うんです。
 富士山は六合目までは柔らかい雪が積もっていますがそこから先はカチカチに凍った雪面が多くなって滑落の危険性があるのでそこで履き替えるわけです。

インタビュアー:なるほど、ですが荷物が多くなってしまいますね。

東氏:そうですね、雪山は必要な装備がただでさえ多いですから、今言ったアタッチメントに加えてロープやハーネスなどのクライミング装備、食料や衣類、ガス缶や水……キリがないですが30kgはザラに超えますね。

インタビュアー:それを背負って歩けるんですか?

東氏:荷物の詰め方にコツがあるんですよ。パッキングというのですが重いものは上の方に、軽くてあまり頻繁に出し入れしないものは下の方に入れるとある程度は重さが緩和されます。話がそれましたね、とにかく明日は八合目まで行くということで合意してシュラフに入って就寝しました。ですが……。

インタビュアー:何か気になったことが?

東氏:はい、1日目は一合目から五合目まで。2日目は五合目から八合目まで。あまりにものんびりしすぎていると思いました。冬富士は確かに厳しい山ですが条件が良ければ日帰りも可能です。私の体力を気遣っていて、天気も気にしているとは言ったものの流石におかしいとは感じていました。

インタビュアー:なるほど、その時点でそれについて大山さんに問いただましたか?

東氏:いいえ、妙だとは思いましたが妻を亡くし傷心中の彼が自分を気遣ってくれていると思うと、彼の計画にこれ以上口を出すには良くないと思いました。そうしてテントで眠っていると夜中に物音がして目を覚ましました。テントの出入り口のファスナーを開け閉めする音が聞こえ、その方向を見ると彼のシュラフがもぬけの殻になっていました。私は彼が小便をしに行ったのだと思い、急いでダウンを羽織って自分の外に出ました。大学山岳部のころのルールで夜トイレに行くときは誰か別の人間と一緒に行くというルールだったからです。外で風に煽られて滑落などしたら大変ですから。
 外に出ると真っ暗で少し吹雪いていました。ヘッドライトをつけると目の前で白い雪がちらちらと風に煽られていました。大山を見つけると彼はライトもつけず、雪の斜面に立っていました。何をしてる、危ないじゃないかと声をかけると彼はこちらを振り向くことはなく斜面の下の方を指差しました。

「見えるか?」

 と、言うので登山者か野生動物でもいるのかと思いそちらの方へライトを当ててみると真っ白い雪が一面に広がるだけで怪しいものは何もありませんでした。私は少し怖くなり、彼へ中へ入るように促すとそれを無視して彼は続けました。

「そうか、まだお前には見えないのか。もう少し上に上がらないとな」

と言うような事をぶつぶつと言っていました。

 
インタビュアー:大山さんには何が見えていたのでしょうか?

東氏:わかりません。いや、そのときはまだ分かりませんでした。多分そのときすでに彼にはアレが見えていたんでしょう。

インタビュアー:アレ、ですか?

東氏:とにかくその時の私はまだ何も理解できていませんでしたが、彼はテントへと戻った後なんとなく彼が見ていた方向にスマートフォンのカメラを向けて1枚シャッターを切りました。フラッシュがバシッと光り、一瞬雪の斜面がパッと明るくなり、すぐにまた真っ暗になりました。画像フォルダをみるとただ真っ暗な写真があるだけで何も写ってはいませんでした。

インタビュアー:真っ暗な写真ですか……その写真を見せていただくことはできますか?

東氏:スマートフォンはあるにはあるのですが滑落した際に壊れてしまいまして電源もつかないですよ。

インタビュアー:そういう機械に詳しい者が社内にいますのでなんとかなるかもしれません。貸していただけないでしょうか?

東氏:分かりました。少々お待ちください。

インタビュアー:ありがとうございます。

東氏:はいどうぞ、ではそろそろ、検査の時間ですので。

インタビュアー:もうそんな時間ですか。今日もありがとうございました。

東氏:いいえ、1日中寝ているというのも暇ですから。

インタビュアー:それもそうですね、それでは失礼します。

東氏:あ、すみません一つお伺いしたいのですが。

インタビュアー:なんでしょう?

東氏:大山はあの後どうなりましたか?

インタビュアー:まだ分かりません、何か情報があればお伝えします。
 
東氏:それ、本当ですよね。