以下は、音声記録と手帳の記述を組み合わせて文字起こししたものです。

 
インタビュアー:今日はよろしくお願いします。

東氏:よろしくお願いします、録音なさるのですね。

インタビュアー:はい、後で文字起こしして記事にするつもりです。

東氏:なるほど。

インタビュアー:それでは早速インタビューを始めさせていただきます。まず、今回なぜ東さんは私たちのようなマイナーなオカルト誌のインタビューに応じてくれたのでしょうか。

東氏:語弊がないようにお答えしますと、一番お声がけしていただいたのが早かったからです。いずれにしよ何らかの方法で私の知る事を世間に公開する必要があると思っていましたので。

インタビュアー:それは運が良かった。我々も東さんにお伝えすべきことがいろいろとありましたから。

東氏:大山についてですか。

インタビュアー:大山さんの事だけでなく、まあ色々と。大山さんとはどのような関係でしたか?

東氏:まず、彼とは大学山岳部からの付き合いで一緒にネパールの未踏峰に挑戦したり、剱岳のジャンダルムで滑落しかけたりと、まさに戦友といえる関係でした。

インタビュアー:戦友、ですか。彼の人となりはどうでしたか?
 
東氏:よく言えば真面目、悪く言えば頑固で少しスピリチュアルなところもありました。彼は山を心から愛していました。登山をスポーツや娯楽としてではなく、一種の儀式や神事のように聖なるものとして捉えていました。その為でしょうか、登山部の合宿などで後輩がタバコやゴミを地面に捨てると凄まじい剣幕で叱り、時には殴りつけることもありました。

インタビュアー:中々気難しいというか、ストイックな方ですね。今じゃパワハラで訴えられそうだ。
 
東氏:確かにそう思われても仕方ありません。それでも皆が彼に従ったのは彼の山の技術の高さや精神性に惹かれたからです。山に入る前には必ず登山口近くの神社に立ち寄って祈る姿が印象的で、山行を無事に終えることを祈っているのかと聞くと、「勝手の神様の家に入り、無事に帰らせてくださいなどと無礼だろう。ひとときの間、神域に踏み入り、荒らすことをどうかお許しくださいと祈っているのだ」と言っていました。

インタビュアー:大学生とは思えない精神性ですね。お二人が卒業してからはどうでしたか?
 
東氏:卒業してからは彼は山岳ガイドやらしながら全国を転々とし、私は地元の大阪に戻って今の仕事をしていましたから直接会う機会は少なくなりました。
 ですが、お互いに30歳になったときに彼の結婚式に招待され、それで久しぶりに再開しました。
 奥さんは2つ下の28歳で、僕らの後輩でした、とても美人な方でした。和風美人といった出立ちで式も神前式だったので白無垢がよく似合っていて、ゲストもみんな「月から来たかぐや姫みたいだ」と言っていました。大山はというと肌は色黒く結構彫りの深い顔で、常に顰めっ面なものですから、「田舎侍だ」と酔った仲間達に揶揄われていました。

インタビュアー:その後の大山さんは?

東氏:大山は結婚してからはサラリーマンをしながら登山活動を続けていて、エベレストやらマッキンリーにも挑戦していました。よく山の雑誌に記事が掲載されていて、友人として鼻が高かったです。
 ですが、彼の結婚式から3年ほど経ったころでしょうか。彼の妻が行方不明になったと聞きました。

インタビュアー:彼女の行方不明事件についてどこまでご存知ですか?
 
東氏:彼の奥さん、久子さんは訪問介護をしていたみたいです。ある日、いつも通り仕事に出掛けてそれっきり家には帰って来ず、そのまま行方不明になってしまったのです。
 彼は警察に届け出をしてからもあらゆる親類、友人に連絡をしたり、近所に貼り紙を出したりと必死に捜索活動をしていたみたいですが、全く手掛かりが掴めず、本当に煙のように消えてしまったようでした。
 しばらくすると大山はサラリーマンを辞め、実家の北海道に帰り、家業を手伝いながら捜索活動を続けていたようでした。

インタビュアー:大山さんも辛かったでしょうね。
 
東氏:そして彼は、妻はもうこの世界のどこにもいないことを悟り、自分がどこで何をするべきかを理解したのでしょう。そして彼は自殺の計画を立て、私に連絡をよこしたのです。私は最初の彼から連絡を受けた時、はじめは彼が何をしようとしているのか、本当の意味を知る由もありませんでした。私はただ、最愛の妻を失った親友からの登山の誘いに、彼をできる限り励ますことが出来ればと誘いに乗ったのです。

インタビュアー:大山さんから誘われた時のことを詳しく話していただけますか?
 
東氏:はい。私はその日、東京での出張を終えて新幹線で新大阪に戻ろうとチケットの時間を待って東京駅のカフェで仕事のメールを眺めていました。
 私は知っての通り、いわゆるユーチューバーをやっています。ジャンルは心霊とか噂の検証とかです。なので仕事のメールには仲間からの動画編集の進捗確認や、別のユーチューバーのコラボの誘いとか、そういうものが主でした。
 メールを横目でチェックしながら次に作成する動画のネタを考えているとズボンに突っ込んでいたスマートフォンが揺れました。大山からでした。

「12月に富士に登らないか?ビレイヤーを頼みたい」

 と、正直、驚きました。彼との最後のやり取りは半年前の彼の奥さんの捜索に関することで、それから一切の連絡を双方していませんでしたから。私も、人を上手に励ます方法は知らず、自分から連絡をする勇気がありませんでしたから。なので、彼の誘いには戸惑いはしたものの喜んで承諾しました。フリーの仕事なので予定は簡単に調整できましたから。

インタビュアー:なるほど、でもなぜ富士山だったのでしょうか?
 
東氏:冬富士には因縁というか未練がありました。我々は二人で海外の未踏峰は制覇したものの冬の富士山には一度敗北しています。あまり登山をやらない方はご存知ないかもしれませんが、冬富士は非常に難しい山として有名で、場合によってはエベレストなんかよりもハードです。夏の富士山のように観光客が半袖半ズボンで登るのとは訳が違います。

インタビュアー:そうなんですね、私は取材のために富士の樹海に入ったことはありますが富士山には登ったことがないので。
 
東氏:それも中々ハードですね。とにかく我々は大学3年生の時に2人で挑戦しました。しかし晴れる気配のない悪天候とアイスバーンに苦戦し、命の危険を感じて下山したのです。アイスバーンというのは斜面に積もった雪がカチカチに固まってしまって、まるでスケートリンクのようになってしまうことです。こうなってしまうと登山用のピッケルやアイゼンのスパイクを持ってしても中々引っかけることができず、一度滑って仕舞えばそれまでです。

インタビュアー:想像するだけで恐ろしい。

東氏:はい、頂上へ行けそうな斜面を粘って探しましたがダメであと少しのところで敗北したのです。下山か、続行かを決断するときは大いに揉めました。
 下山中に大山は渋い顔をしながら「仕方ないさ、山というのは本来は人間なんてものは歓迎しない。特に高い山となればそれだけ下界から離れ、人間にいるべきところではなくなるのだから」と言っていました。

インタビュアー:どちらが下山をしようと言ったのですか?

東氏:私です。大山は基本的には下山をあまりしたがりませんので、大吹雪の中で喧嘩になりましたね。大山の後ろについて下山している時、私は考えました。なぜ人は山に登るのだろうか、大昔の偉大な登山家はなぜエベレストに登るのかと聞かれ「そこにエベレストがあるからだ」と答えたといいます。登山そのものを目的に山に登るのは人間だけです。他の動物は山の中で生きることはすれど、頂上を目指すことはしません。未知の困難への浪漫、達成感、自然を征服することへの欲求は人間だけの自己中心的な欲求なのでしょうか?

インタビュアー:興味深いです。
 
東氏:在学中にOBが亡くなり、通夜に行った事がありました。年齢は離れていて直接お会いしたことはなかったですが、その方の活躍は監督からの話でよく聞いていました。
 OBの奥様は「辛いことだけれど、山で死ねたらあの人にとっては本望よね」と涙を流しながら語っていました。
 その帰りに私は大山と喪服のままラーメン屋に入りました。その時我々は冬富士で敗退した直後でした。もしかしたらあの時引き返さなければ自分たちも山で死んでいたかもしれない。俺たちはなんで危険な山にわざわざ行くんだろうな。と私が言うと、大山は「決まっている、下界が嫌だからだ」と呟きました。

インタビュアー:下界?まるで世界の上と下があるような。
 
東氏:登山家はしばしば、山以外の場所、普段我々が住んでいる場所を下界と言います。山より下の場所、決して位置だけの話ではありません。山は空気が綺麗で、目に入る景色は美しく、環境を汚し、ゴミを生む人間もいない。山が好きな人間は本質的には人間の住む下界が嫌いなのかもしれません。

インタビュアー:本当に気難しいというか独特の精神性を持っていたのですね。
 
東氏:ええ、大山はラーメンを啜ってから続けました。「俺はまた冬富士に行く。その時はお前も呼ぶ」
 大山の目がギラギラと光っていたように感じました。
 ですが、彼は結局在学中も、卒業してからもずっと冬富士に私を誘うことはありませんでした。

インタビュアー:それは何故でしょうか。

東氏:先ほどもお話しした通り、彼は卒業してからは海外の山々への挑戦に没頭していました。その際のメンバーは国内外のプロを集めていたんです。彼は合理的な人ですから、機会に限られた命懸けの挑戦となれば友情よりも技術のあるクライマーを選びますよ。

インタビュアー:そうなんですね。
 
東氏:とにかく、そんな因縁深い冬富士に、彼は行こうとしている。私を誘って。私にとって断る理由などありませんでした。私は承諾すると彼は計画は自分の方で練るのでまた連絡すると簡潔に返してきました。
 私はすでに新大阪行き新幹線に乗っており、気づくと窓辺から雪の積もった富士山に夕陽があたり、オレンジ色に輝いていました。
 美しく輝き、夏は観光地として賑わう一方、冬には一度踏み入れば容赦なく人間を跳ね飛ばす霊峰、その時の私は間違いなく高揚していました。彼の真意も知らずに。

 
 東氏はそう言いながら病院の窓の外を眺めている。
 今回のインタビューの1ヶ月前、東氏と大山氏は御殿場ルートから冬富士への登山を行い、頂上付近で東氏は滑落、大山氏は行方不明となった。東氏はその後、滑落地点から100m下の斜面で発見され一命を取り留めたものの、全身の骨折、凍傷、出血多量により死の縁を彷徨った、といった具合である。
 発見から2週間後、彼は病院で目覚めたものの治療の為に左脚、左手の小指と右手の親指、人差し指、中指を失った。

 それから私は依頼され、東氏へのインタビューへと至る。