平山憲明の日記③

 4月15日

 東を殺し、家に帰るとすぐに留守番をしていた息子の服を脱がせた。上半身裸になった息子の左肩が少し膨らんでいる。そして私は自分の肩を服の上から撫でると親指くらいの大きさのしこりの感触があった。
 不安そうにする息子に服を着せ、SNSで確認するが同じ症状になっている人間は今のところはいない。
 ツプサパフチの異界送りを意図的に回避している私と息子、それに東だけに起こっている現象と見て間違いはない。
 怒りと虚しさが身体中を駆け巡り、両腕に猛烈なむず痒さを感じて私は思い切り引っ掻いた。
 腕に赤い引っ掻き傷を無数に作りながら私が考えた。
 なぜ?なぜ私と息子がこんな目に遭わなくては行けないのだ?一体どうすればいい?このままアレによって異界へ連れて行かれるか、アレそのものになるのを待つしかないというのか?

 なにか助かるヒントはないかと思い、最後の東との会話の録音をつけると我々の会話の所々に女の笑い声が混じっていた。

 4月16日

 息子が熱を出し、倒れた。
 ベッドに寝かせるとしきりにうなされている。
 医者はどこもやっておらず、家に保管されていた解熱剤を飲ませて対処している。

 4月17日

 女子二人を送った。
 息子はよくならない。

 4月18日

 息子はうなされながらしきりに「ツプサパフチ」と呟いているようだ。
 息子の肩の瘤はどんどん大きくなっている。

 4月19日

 近くに住む家族3人を送った。
 息子は一日中眠っているかと思えば急に立ち上がり、ベッドの上でフラフラとしていることがある。
 異常な光景なのだが私は止める気力もなかった。もうこの家には薬も食料も尽きていた。

 4月20日

 水道が止まった。
 息子と私は昨日から何も食べていない。

 4月21日

 周辺の家屋に侵入し、食料を集めているととある家に子供が一人住んでいた。親はいるかと聞くともういないというので、二階にいるよと言い、階段を登らせた。
 階段の上にはツプサパフチが待っていた。

 4月22日

 息子の肩の瘤は東のものと同じように毛が生え、皺がより始めていた。私の瘤も少しずつ大きく、重くなっている。
 昨日得た食料を食べたものの、満たされている感覚がない。
 もしかしたら、瘤に栄養を吸われているのではないだろうか。

 4月25日

 息子のツプサパフチが目を開けた。
 息子の体を拭いていると、瘤に刻まれた皺の間から薄く目を開いており、こちらを眠たそうに見ていたのだ。

 4月26日

 朝、息子がリビングにやってきて「山に行きたい」と言う。
 そう言ったのは息子なのか、それとも肩の瘤なのか、私には分からない。
 もはやそれは瘤ではなく、人間の頭だった。
 皺によったそれはまるで老婆のようだった。

 4月30日

 富士山の麓まで車でやってきた。
 ルートは大山と東のと同じだ。
 山へ行くことを決めてから、息子の熱は引き、問題なく登れる状態になった。受け入れたおかげだろうか。
 これから山を登る。二人で異界へ行くために。
 どうか私達を同じ場所へ連れて行ってほしいものだ。
 バッグにはこれまでの記録を入れておく。
 どうかこの記録を本当に理解できる人に発見してほしい。
 この世界はもうダメだろう、ツプサパフチに埋め尽くされ、人は全ていなくなる。
 どうか私と息子が送られる世界はどうかこの悲劇を回避してほしい。
 もう、この日記に書くことは何もない、これで最後にする。
 どうか、私の記録を手にする人が、浅ましく罪深い私とは違い、心良き人であることを願う。

 シネ アシクネ
 アシクネ ツペサン
 ツペサン シネペサン
 シネペサン ツペサン
 ツプサパフチ
 ツペサン ワン
 ツプサパフチ
 シネ アシクネ
 アシクネ ツペサン
 ツペサン シネペサン
 シネペサン ツペサン
 ツプサパフチ
 ツペサン ワン
 ツプサパフチ