2月23日
ツプサパフチが目撃されたのは東が救助されてからすぐだった。
初めは東を救助した山岳警備隊の1人が山で消えた。次に東を受け入れた病院の看護師と患者が数名消えた。そうして病院の周囲の町で頭が二つある女の目撃情報が増え始め、1人、また1人と消えていき、その町が空っぽになった時、頭が二つある女は「さくらんぼ女」と呼称を変えて別の町で目撃された。そしてすぐに別の町も消えた。
静岡がほとんど無人になったとき、東は東京の警察病院へ移送されていた。そこで私は彼の身元の調査と精神鑑定を依頼された。
最後のインタビューへ行った時、病院からほとんどの職員、看護師、医者の姿が見えなくなっていた。東だけが変わらずベッドから身を起こして窓の外を眺めていた。
自分が死の病のキャリアだとも知らずに。
2月24日
息子の通う学校は完全にその機能を失った。児童は一斉に消え、教員が気が狂い、とても通わせられる状態ではなかった。人と関わることを避けるため息子を家から出さないことにした。私もとても仕事ができる状況ではなかったため家にいることにした。息子に「さくらんぼ女」を見たことがあるかと尋ねたところ「僕はないけど、隣のクラスの杉田君は見たことあるって」と答えたので、杉田君は今どうしているかと聞いたところ、息子は黙ってしまった。
2月25日
息子が友達と遊びたいというのでダメだと言った。
ウーバーイーツが来ない。
2月26日
息子に、友達とオンラインゲームで遊ぶことを許した。
最近のゲームはよく分からない。
2月27日
中国と韓国、アメリカで「さくらんぼ女」の目撃情報があったらしい。日本人の入国禁止は意味がなかったようだ。中国では「さくらんぼ女」にまつわる行方不明現象を日本発祥の感染病と定義づけた。
アメリカではアジア人狩りが激化しているようだ。
3月1日
とある有名なユーチューバーの動画にツプサパフチが映っていたらしい。
3月3日
息子がオンラインゲームで遊んでいた友達のお母さんの行方がわからないらしい。
その子と遊ぶことを禁止した。
息子は泣いた。
3月5日
近くのコンビニが閉まっていた。店長が消えたのだろうか。
3月6日
私はまだツプサパフチを見ていない。
3月7日
私の仕事関係の知り合いも少しずつ所在がわからなくなってきた。
3月8日
夕食を食べている時、息子が俯きながら、
ツプサパフチを見た、と打ち明けた。
どこで見たのかと聞くと、お昼頃に和室でテレビをつけながらうたた寝をしていると、急にテレビの音量が大きくなり、目が覚めてそちらを向くと旅番組が流れていたという。
名前もわからないような芸人のコンビがちょけながら街中を歩いていると頭が二つある赤いワンピースの女が急にカメラに映り込んだのだという。
すると、芸人たちはその異様な存在に対し、驚くわけでも怯えるわけでもなく、「 さんはどうですか?ここら辺はよく来るんですか?」などと話を振るのだ。
その女はにやけた芸人の質問に答えることはせず、長い黒髪の隙間から大きな目を滲ませてカメラの方をじっと見つめていた。
状況を細かに話す息子は、始めこそ怯えた表情を見せていた。顔の筋肉は強張り、目線は下の方を向いていた。
だが、話を進めるにつれて、息子はまるで珍しい虫や魚を捕まえたかのように身振り手振りを加えながら私にツプサパフチのことを説明した。
私はその様子に圧倒されたが、それともう一つ、ある事実によって絶望した。
息子にはツプサパフチという単語を口にしたことはなかった。息子はツプサパフチなんて言葉は知らないはずだった。息子はいつ、どこでその名前を知ったのか?
息子はツプサパフチに狙われていた。
3月10日
息子はまだ連れて行かれていない。一昨日以来、息子は家の外から出していない。階段にもだ。
とにかく、息子を上に上がらせるようなことはさせていない。そのおかげなのか、それともツプサパフチにおちょくられているのか、息子はまだこの家にいる。
息子を留める手段を見つけなければ。
3月11日
ツプサパフチが人間を異界へ送る事について、明確なルールは存在しない。確認しようがない。
だが、いくつかの傾向があると思われる
まず、ツプサパフチを1度以上見たことがあるか、知っていること。
ツプサパフチを見るという行為には、直接目撃することは当然として画像や動画も含まれる。場合によっては他人からその存在を知らされることも“見る”に値するだろう。
そして、ツプサパフチにとって有益でないもの。これは憶測に過ぎないがツプサパフチの目的は感染を広げることだ。自分を知る人間、恐怖する人間を増やし、別の世界にも広げていく、新種の病原菌のようにあらゆる並行世界を汚染していくことだ。
しかし、ツプサパフチはものを考えないウィルスとは違う。アレには意思があるように思える。とは言ってもコミュニケーションを取れるような知性は無いだろうが、気まぐれに特定の人間を異界に送らないことはあるようだ。
ツプサパフチにとって有益で無い人間、興味のない人間はさっさと異界へ送り、別の世界を汚染するキャリアにする。
だが、ツプサパフチにとって有益か興味の持てる人間はすぐには送らず、自身を異界へ広げて行く助けをさせているのではないか?
大山直人、奴は妻をツプサパフチによって異界に送られた結果、ツプサパフチと異界の存在に強い興味を持ち、自身を異界へ送るように仕向けた。
それをツプサパフチが利用しているのではないか?大山は異界アルペンを実行した際に東を連れ立って行った。妻が消えた際に人形を連れて行ったのを真似したのだ。
そしてツプサパフチは東をここへ連れてきた。
では、大山はその後どうするのか?それは決まっている。自分自身が異界へ送られるまで手段を変えて何度も他人を巻き込み、異界へ行く儀式を続けるだろう。
その度にツプサパフチは大山ではなく付添人を異界へ送るのではないか?
大山の異界とツプサパフチへの関心を利用しているのではないだろうか?
そもそも、トムラウシの山の中を彷徨いていたツプサパフチを下界へ連れてきたのは大山だ。初めから利用されていた可能性さえある。
ともかく、ツプサパフチによって異界へ連れて行かれない為には奴によって有益である事を示さなくてはいけない。
でも一体どうすればいい?
3月12日
解読不能
3月13日
昨日、気晴らしに少し外を歩いていたら、小さな公園があった。公園といっても小さい砂場と滑り台があるだけの大したこともない広場だ。
そこに、女の子がいた。滑り台の階段の下に立っていて、上の方を見上げている。
どうやら、滑り台に登りたいようだった。
私は、なぜか、声をかけた。どうしたのかと。
女の子は、お父さんと一緒に遊んでいたんだけどいつの間にかいなくなっちゃった。私も家に帰ろうと思うんだけど、その前に滑り台をしたい。いつもはお父さんに支えてもらって上に登るけど、今はいないから、代わりになって欲しい、と言った。上を見上げながら。
私は、なぜか、それを了承し、滑り台の階段を登る女の子を後ろから支えた。
私はその時、階段を登る女の子の足と鉄製の階段の隙間から覗く砂場に、何かが立っているのが見えた。
ツプサパフチだ。
そう思った時、女の子が消えていた。
さっきまで階段を登っていた女の子が煙のように消えてしまった。私は滑り台の降りる方に回り込んだが、女の子が降りてきている様子はなく、砂場の方を向くとすでにそこには誰もいなかった。
私が、上に登る手助けをした。
3月15日
あれから、視界の隅にツプサパフチが見えるようになった気がする。襖の隙間、車の後部座席、冷蔵庫を開けた瞬間に二つの頭が見え隠れする。
だがそれは私も決して触れようとはしない。
ただじっと見つめてくるだけだ。
それとは逆に、息子はツプサパフチを見なくなったという。
私は手助けをする事にした。
3月17日
大荷物を持ったお婆さんが歩道橋を登ろうとしていたので、荷物を持ってやり、お婆さんを先に歩かせてやった。
お婆さんは、ありがとうねえ、最近は何かと物騒だから買い溜めしないよって思ったんだけどねえ、などと言いながら階段を登り、上まで登り切った瞬間に消えた。
歩道橋の向こう側でツプサパフチがゆらゆらしていた。
3月18日
昼頃、息子の友達が、遊びたいと言って家の前までやってきた。息子は2階にいるからと家に上げ、階段を登らせた。
夕方、息子は、今日誰か家に来たか?と聞くので、誰も来ていないと答えた。
3月20日
隣の夫婦が食料を分けて欲しいとやって来たので家にあげる事にした。
2階に洗面所があるのでそこで手を洗って来て欲しいと言うと、夫婦が階段を登り、戻ってこなかった。
隣の家に入ってみると食料はたんまりとあった。
欲深い奴らだ。
3月22日
ウーバーイーツを頼んだ。今回は来てくれたので、お茶でもどうかと家に上げた。
2階へ案内し、上へ送った。
3月24日
息子は無事だ。
私もまだ生きている。
3月28日
女児1人
4月2日
どこの小学校もほとんど機能を失っているという。息子の転校先が見つからず家にいさせている。
息子は笑顔を見せなくなって来た。
4月4日
3人家族
4月10日
老夫婦
4月12日
息子がツプサパフチを毎日見ると言う。
どこで見たのか聞くと、ベランダから手招きをしているらしい、今も。
