第一章 出会い
 生まれ時はよく笑う子と言われた。けど、いつしか笑うことは無くなった。
 いつも笑顔だった僕が笑わなくなったことで、家族は俺のことを獣を見るような目で見るようになった。
 家族から向けられる視線は、心をどんどんむしばんでいった。
 ある日、母親からは「あなたは私の子じゃない」と言われた。
 当時は訳が分からなかった。
 けど、当時の僕はそんな言葉を聞いて笑った。とにかく笑った。笑えば親は笑顔になってくれる、そう思っていたから。
 けど、違った。親は更に僕の見る目を変えた。
 僕の名前を呼ぶことは無くなった。僕を「あの子」というようになった。
 それからというと、僕は感情というのが分からなくなった。いつ笑うべきか、いつ泣くべきか、何かも分からなくなった。
 そして今、僕はなんて言うのが正解なのだろうか。
「ねぇ、東山誠君。一緒に死なない?」
 世界に絶望した声で言うのは、金城琴音。
 クラスの人気者で明るく、いつも笑っている。そんな人気者が何故か僕に向かっておかしなことを言っている。
「その、僕が一緒に死ぬ理由なんてある?」
 僕は思ったより冷たいことを口に出していた。
 そんな言葉を聞いても琴音は顔色一つ変えず真剣な表情をする。
「冷たいな~」
 琴音は窓から見える桜の木を眺める。誠もまた窓から見える空を眺める。
「だって、生きる意味ないでしょ?」
 鋭く棘のある声で言う。
「僕の何が分かるんだ?」
「分かるよ。誠君の瞳死んでるもん」
 何も言い返せない。
 確実に昔から、僕の感情はわからない。だから、光を失っていると言われると言い返すことができない。
「確かに」
「そうでしょ? 私ってなんでも分かるんだよね~」
 琴音はすべてが分かるように言う。まるで、未来を知っているように。
「でもさ、俺が一緒に死ぬ理由なんてあるのか?」
「うーん。じゃあ、言い方を変えようかな」
「私のために死んでほしい」
 琴音は表情なんて一切変えないで言う。
 この人は何を言ってるんだ?
「私、心臓が悪いんだ。だから誠君の心臓が欲しい」
 すると、琴音は右手を押さえる。
 琴音はゆっくり呼吸を整える。
「ほら、こんな感じの症状が出るんだ」
 誠の目をみて、琴音は言う。
「勘違いしているけど、僕はって死にたいと思ったことないよ」
「えー。そうなの?」
 琴音はさっきまでが嘘のように、大きな声で騒ぐ。
「そうだよ。だから僕は一緒に死ねない」
「そっか~! じゃあ誠君が生きる意味って何?」
「別に、生きる意味なんてなくても生きていけるよ」
「そうかなー? 人って何かしら理由がないと生きていけないと思うけど」
「それは違くないか? 人は生きる意味なんてなくても生きて行ける。じゃあさ、生きる意味を失った人はどうやって生きて行くんだ?」
「凄い質問だね。そうだね、また新しい生きる意味や理由を探すと思うよ!」
 新しい意味や理由、そんなものなんて見つかる訳がない。
 人はいつだって過去を見る。
 あの人と過ごした僕は、あの時こうしていれば、あの日この選択を選んでおけば。
 人はいつだって過去に縋って過ごす。
 縋る理由なんて簡単だ、後悔というか意味や理由があるからだ。
「そんなに捻くれてるなら、私に心臓をあげても良いんじゃない?」
 琴音は幸せな顔で言う。
「別に俺が助ける理由なんてある?」
「うーん、生きる意味や理由がない人が生きたい理由がある人に命を与えるという素晴らしい行為したくない?」
 至って冷静な声で琴音は言う。
「確かに、少しだけ興味は湧くよ。でも、命を差し出してまでやる行為ではない」
「えー」
 教室には、夕日の光が差し込む。夕日に光によって琴音の顔が光る。
「そっか〜」
「まぁ、死にたくなったら私に連絡して! いつでも心臓をもらってあげるからさ」
  そう言いながら琴音は右手を押さえる。押さえながらも笑顔は絶やすことなかった。
「それじゃあ、明日ね」
 桜の葉のようにひらひらと手を振って教室を出た。
 静けさが当たり前になった教室に残った、誠の心臓の鼓動は速くなっていた。
「いったいなんなんだよ」
 誠の独り言は桜風によってかき消されていく。



 次の日もまた次の日も何度も琴音は僕に話しかけて来くる。
 そして、数週間が経ったある日。
「今日は恋愛について語らない?」
「そのさ、もっと大切な人に時間使った方がいいんじゃない?」
 正直琴音のやっていることに理解ができない。
 残り少ない命をこんなクソみたいな時間に使うべきではない。もっと、好きな人や家族と過ごす方がよっぽど良い。それなのに、どうして僕ばかりに構ってくるんだ。
 教室は昨日より夕日の光が差し込んでいた。
 赤くて、切ない色だった。
 それに照らされる琴音はどこか天使のようだった。
 だが、そんなことはどうでも良かった。
 数週間前の、彼女と比べて明らかに元気が無かった。それでも、僕は心臓をあげたいと思わえなかった。
「確かに、でも今は誠君と喋りたいから! だからお願い私のわがままを聞いてよ~」
「別に良いけど、心臓はあげないよ」
「うん。それで良いよ」
 そう言い、琴音は恋愛について話し始める。
「誠君って恋愛したことある?」
「ないかな」
「そっか~。じゃあ好きな人とかはいたことある?」
「いないかな」
「えー? 本当に?」
「うん」
「えー。普通は恋愛くらいしてるでしょ」
 琴音はため息を吐く。
「逆に訊くけど、好きな人できたことあるの?」
 僕は自然と口にしていた。
「ないかな」
 琴音は窓から見える景色を見つめる。
 なんとも言えない表情をしている琴音を見て、馬鹿でも分かってしまう。
 生まれたときから心臓が悪かったとしたら、恋愛なんてしている暇はない。
 恋愛は期限がないからこそ人は恋愛をする。
 好きな人といつまで付き合えるかなんて知っていると付き合う気なんて失せてしまう。
 それを、最初っから知っている琴音は恋愛なんてしたくないはずだ。
「もしかして、心臓が悪くて恋愛してないと思ってる?」
「それは、うん」
「へー。まぁ、それもあるかな。でも、本当は好きになるっていう感情が分からないんだ」
「え?」
 いつも明るくて楽しそうにしている琴音が愛という感情が分からないと言う。
 それは、なんていうか。考えてもいなかった。
 何でも楽しそうにやる琴音は悩みなんてなくて、楽しい日々を過ごしていると思っていたから。
「私は死ぬのが確定しているから、たくさん恋愛したいと思ってるよ! でもね、好きと愛とか分からないんだ」
「誰かを愛すとか、あの人と居ると楽しいとか。そんな感情が分からないんだよ」
 初めて見る琴音の弱さは女子高校らしさがある。
 悩みを打ち明けることはできず、知らず知らずにため続ける。それがストレスになって余計に追い詰める。それが人である。
 だけど、琴音はそんな感じではないと思っていた。
 僕とは住む世界が違くて、いつも笑顔で、世界に希望を持っていると思っていた。
 だけど、現実は違った。
 琴音は心臓が悪くて死ぬのが確定している。それに、愛という感情が上手く理解できていない。
 これが本当の琴音なんだと分かってしまった。
「まぁ、私は恋愛なんてできる資格はないけどね……」
「別に資格なんていらないと思うよ」
 僕はいつの間にか口が動いていた。
 僕にも理解できないけど、なんていうか、あまり悲しんで欲しくない。
 あと少しだけしか生きられないなら悔いのない人生を歩んで欲しい。
「へー。誠君がそんなことを言うんだ」
「別に僕は元からこんな性格じゃ……」
「じゃあ、私と付き合ってよ」
 琴音は笑みと少しだけ涙を零した。