息をしのばせて ひそめて個室を出ると、まだ消灯前。病院の廊下にはぽつぽつ行きかう人がいたけれど、誰もわたしに声をかけてこない。樹里ちゃんが廊下で池澤さんとおしゃべりしていた時はどきりとしたけれど、二人ともこちらを見ようともしなかった。

 わたし、本当に十六歳の南部陽彩には見えないんだ。

 楓馬の車は病院の屋上に停まっていた。降り続いていた雨が止んで、夜空を満月に近い白い月が、ぼんやりと照らしていた。その光を受けて、車の四角いボンネットがきらりと光る。


「これ……デロリヤン?」


 三作作られた往年の名作、『バック・トゥ・ザ・フューチャー 』で主人公が科学者ドクと共に過去や未来を行き来する車。普通の車は曲線的なデザインが多いのに、デロリヤアンは鋭角的なフォルムだからよく覚えている。


「そう、よくわかったね」
「未来の人もバックトゥザフューチャー、知ってるの?」
「ああ、映画でしょ? 僕も見たことあるよ。でもこのデロリアンヤは、過去や未来に行けるだけじゃなくて、空中や水中も走れるんだ」

「空飛べるの!?!?」
「飛べるよ。未来では空中にも道路標識があるんだ」
「……なんか、未来の道路交通法ってややこしそう」


 楓馬がふっと笑い、助手席のドアを開けてくれる。紳士っぽい仕草につい、胸が高鳴る。

 楓馬がキーを差し込み、エンジンがかかる。やがてデロリヤンが夜の上を滑り出した。道路もレールもない、眼下に夜景を眺めながらの夜のドライブ。うっとりしていると、後部座席から声がした。


「二十一世紀のトーキョーは、なに何もなくてうんざりする。東(とう)京(きょう)東京 タワーだのスカイツリーだの、ニンゲンは高いものばかり建ててえらくなった気になりやがって」

「誰っ!?」


 思わず振り向くと、紫色の球体が飛んでいた。表面に顔がついている。ぱたぱたぱた、と両手が翼になっていて器用にはばたいていて、ころんっとした身体には不釣り合いな細っこい足がついていた。


「な、なんなのこのヤバい生物! 鳥? 虫? 宇宙人? 楓馬、未来から地球外生物まで持ち込んできたの!?!?」
「失礼な! ワタシは最新型の秘書ロボットだぞ」


 小さく頬をふくらませる自称秘書ロボットを目の前に、わたしは固まっていた。百年後だからロボットくらいいそうだけど、こんな流(りゅう)暢(ちょう)にしゃべるロボットが開発されているとは思わなかった。


「パオは僕の秘書ロボットなんだ。未来では、生まれた時からひとり一台、秘書ロボットが与えられる。教育から仕事のサポートまで、なんでもしてくれるんだよ。まあ、パオは僕の親代わりってところかな」
「親……ロボットが?」
「これだから古いニンゲンは。過去の常識を持ち込みやがって」


 わたしはこっそり楓馬の耳元に口を寄せる。


「未来のロボットって、みんな口、悪いの?」
「パオは特別だよ」


 楓馬の特別、には愛情がこめ込められている気がした。