希織が帰って、晩ご飯の時間があって、それが終わった頃にお父さんがやってきた。面会時刻は十八時までだけど、わたしの場合は事情が事情だし、お父さんは昼間に時間をつくる作るのが難しいからって、特別に許可が出ている。


「ごめんな、毎日、やってくる 来るのがこんなに遅くなっちゃって」
「ううん、いいの。来てくれるだけうれしい。お父さんは今、なんの研究をしてるの?」
「くわしいことは陽彩にも言えないが。AIに関する研究、とだけ言っておこうかな」
「すごい!」


 お父さんが目尻に皺を寄せて、うれしそうな顔をする。その笑みにもどこか力がないのは、他のなん 誰でもないわたしのせいだ。


「今、医者の友だちに聞いて、なんとか陽彩を助ける方法を探しているところなんだ」


 パジャマや本を大きなカバンから取り出した後、お父さんは言った。


「陽彩の心臓は手術が難しいって言われたけれど、なかには中には、陽彩を手術できるお医者さんがいるかもしれない」
「……うん」
「だから陽彩も、あきらめちゃだめ駄目だぞ」


 お父さんの言葉が、弱った心臓にずしんと響く。

 お父さんはまだ、あきらめられていないんだ。わたしの命が残りわずかだって、認めたくないんだ。当たり前だよね、親だもん。わたしよりも、残される人のほうが悲しいに決まってる。

 わたし自身はっていうと、完全に絶望してはいるけれど、 もうあきらめちゃっている。そもそも心臓に異常があるのは小さい頃から知ってたし、運動とか、生活に制限があることで、なんとなく自分は長くは生きられないんじゃないかとは 思ってた。

 とはいえ、やっぱり早過ぎるけれど。四十歳くらいまでは、他の人と同じように無事に過ごせるんじゃないかって、そういう確信があったから 。


「他に読みたい本とか、漫画はないか?」
「完結してない漫画はやだな。完結してるのがいい」
「じゃあ、今度お父さんのおすすめを持ってくるよ」

「お父さんのおすすめなんて、古臭くない?」
「昔の漫画をなめちゃいけないよ。メッセージが明確で、心に響くものがたくさんある。絵が古臭いからって、質が悪いわけじゃないんだから」


 そう言って、お父さんは帰っていった。

 個室にひとりになると、またもやもやとあまり楽しくないことばかり考えてしまう。

 研究所に勤めるお父さんとは、小さい頃からあまり一緒にいられることがなかった。何日も研究所に泊まり込みで、その間はシッターさんに面倒をみて見てもらっていて、お父さんと顔を合わせない、そんなこと 日もあった。


 それでも、お父さんの愛情を薄いと思ったことは一度もない。死んだお母さんの分まで、わたしのことをせいいっぱい愛してくれたお父さん。忙しくても、たまに家にいる時はいろんなことを話してくれて、わたしとの時間を大事にしてくれた。そんなお父さんだから後を継ぎたい、お父さんの期待に応えて、わたしも研究者の道に進みたいって思ったんだ。

 そんなお父さんに、わたしは親より先に死ぬというひどい裏切り をしている。


 はあと大きなため息が出た。このままじゃ、思考はどんどん悪いほうに向かっていくだけ。気分を切り替えるために、お父さんが持ってきてくれた本に手を伸ばした。わたしのために、本屋さんで買ってきてくれたんだろう、きれいな表紙の今どきっぽい本だった。裏表紙であらすじを確認する。いじめで自殺した女の子が、幽霊になって現世に戻ってくる――か。

 いじめはたしかにつらいだろうけれど、自殺なんてうらやましいな。自分の終わりを自分で決められるんだもの、ぜいたくな死に方だ。

 わたしは、強制的に人生をシャットダウンされちゃうっていうのに。
 本を開いたところで、個室のドアが開いた。覗いた顔を見て、思わずげっと声が出た。


「……変態コスプレ男」


 やれやれ、といった顔で楓馬が笑った。


「ひどくない? 変態とか。それにこの服、コスプレじゃないし」
「どう考えてもコスプレでしょ、そんな服、ファッションで着てたとしてたらセンスを疑うよ。それにあんた、わたしのストーカーじゃん。どうやってわたしの個人情報とか、ここに入院してるのかとか、調べたのかわからないけれど」

「やっぱり、僕が未来から来たっていうのは信じてくれないんだね」
「当たり前でしょう!」


 SF映画じゃあるまいし、どうやって信じようっていうのか。これでも天才科学者の娘だ、わたしはリアリストだ。


「昨日は、僕も悪かったなって思ってる。いきなりあんなこと言われても、信じられるわけないよね」


 楓馬はあくまで自分の未来人設定を崩さないらしい。どこまで中二病なのか。ひょっとして、精神科の患者さんとか? 格好以外、心を病んでる感じはしないけれど。


「だから今日は、陽彩ちゃんに信じてもらえるようにしようと思って」
「どういうこと?」
「百年後には、未来の科学で開発された、便利な道具がいろいろあるんだ。それを使って、陽彩ちゃんの望みを叶えてあげる」
「……ナントカえもんみたい」


 あきれながら、これで勝った、と思っていた。この人、やっぱり馬鹿だ。自分が絶対にできないこと言っちゃって。どうせ病人の望みなんてたいしたことないことだと思ってるのかもしれないけれど、なめられたもんだ。こうなったら、突拍子もないリクエストをして、困らせてやる。


「じゃあ、これ見て」


 昼間希織と一緒に書いたノートの一ページ目を見せた。楓馬の目が丸くなる。


「バーでお酒を飲む……?」
「そう、わたし、まだ十六だもん。法的に飲酒しちゃいけない年齢だけど、せっかくだからこの世におさらばする前に、お酒ぐらい飲んでみたいなって。でも、無理だよね? 外出許可なんて下りないし、だいたいこの姿かたち でどうやって年確パスするのって感じ。どう見ても高校生だもん。さあ、どうするのよあんた」

「かんたんだよ」
「へっ?」


 楓馬が得意げに笑うので、思わず変な声をあげてしまった。

 楓馬が腰についているベルトに手をかざした。手品のように、なんにもない空間からすっと時計が現れる。四角い文字盤に、白いベルトの無機質な時計。小さなダイヤルがついている。


「これは見た目の年齢を、好きなふうに操れる時計なんだ。大人にもおばあさんにも、なんなら赤ちゃんにだってなれる。これで、年齢確認はなんなくパスできるよ」


 楓馬のよどみない説明が、ちっとも頭に入ってこなかった。