楓馬とパオが帰ったその日の夜も、次の日も、ほとんど眠れず未来のことばかり考えていた。
楓馬がやってきた未来は、映画に出てくるように魅力的で、キラキラしたものじゃなかった。人間がいなくなってしまうなんて、いくら科学技術が発達したとしても悲劇でしかない。
しかもその原因を作ってしまったのがわたしのお父さんだなんて、簡単に受け入れられるようなことじゃない。
夕飯の時間が終わって、お父さんがやってきた。今はあまりお父さんの顔を見る気分にはなれないけれど、せっかく 来てくれたのに追い返すわけにもいかないので、仕方なくベッドから半身を起こす。この二かヵ月でずいぶんやつれてしまったお父さんは、目だけやたらとぎらぎらしていた。
「お医者さんはああ言っているけれど、お父さんはまだあきらめていないからな。だから陽彩も、希望を持って。絶対、後ろ向きになっちゃ駄目だぞ」
言葉は力強いのに、声にはどこか暗さがある。
「うん……ありがとう」
それだけ言うと、お父さんはふっと頬の力を緩めた。口の横の皺、こんなに深かったっけ。わたしのせいで、ずいぶん老け込んでしまっている。
そのことを申し訳なく思いつつも、お父さんに本能的な恐怖心を覚えた。なんとしてでも助けたい、あきらめない。その気持ちはわかるけれど、それに執着してしまっているというか、そんな感じがした。血走った目は、わたししか見えていない。
この状態のお父さんなら、たしかにとんでもないことをしてしまうんじゃないかーー―― そんなふうにさえ、思えた。自分のお父さんなのに楓馬の話を聞いたせいで、どこか怖く感じられてしまう。
「ねえ。どんな科学技術にも、リスクってあるよね? たとえば医療技術だって、本来人を救うために使うものなのに、悪い人が人殺しに使うとか、そういうことだってあるかもしれない。お父さんの研究は、大丈夫なの?」
お父さんは軽く目を広げて、それからうれしそうな顔をした。発明や研究について語る時のお父さんの顔だ。
「すごいことに気づ付いたね、陽彩。そうなんだ、科学者には高い倫理観が求められる。歴史の中では、技術の発展、発明によって、失われたものがたくさんある。たとえばだけど、戦争の時にはいろいろな兵器が開発されて、たくさんの人の命が失われてしまった。だから、お父さんのように科学者になるっていうのは、ちゃんと考えて研究開発するってことなんだ。人はみんな、先のことを考えるのが苦手なんだよね。えらい人も目先のことだけ考えて、失敗するなんていうことはたくさんある。だからこそ、強い責任感を持って、未来を見据えて、この研究が本当にいろんな人たちを幸せにできるのか、考えてやらないといけないんだよ」
お父さんの言葉を、わたしは小さくうなずきながら聞いていた。
今の時代には百年前にはなかったものがたくさんある。
パソコンもスマホも百年前には影も形もないし、それどころかテレビや冷蔵庫すらなかった。
技術の発展は暮らしの在り方を大きく変えてしまう。それによって、問題だっておのずと出てくる。
お父さんは続ける。
「お父さんの今の研究は……そうだね、悪用する人が出てきたらかなり危険だ。でもだからこそ、ちゃんと制限はつけるつもりだよ」
「それで、本当に大丈夫なの?」
危険だってわかっているなら、そもそも開発すべきものではないんじゃないか。
楓馬は「お父さんの研究を壊す」と言った。でもできればそんな、乱暴なことはしたくない。わたしの言葉によってお父さんが研究をやめる気になってくれたら、平和的に問題は解決する。
もちろん未来がどうなるかなんて知らないお父さんはわたしの内心を知るはずもなく、穏やかに続ける。
「陽彩の言うこともわかる。でも、何事にもリスクはつきものなんだ。科学者になるというのは、リスクを承知の上で新しいことをやろうとする、勇気も必要なんだよ。あ、倫理観というより、人生哲学みたいになっちゃったかな」
ちょっと照れ臭そうに頭をかくお父さん。なんて言ったらいいのかわからなくて、無難な言葉を選んだ。
「ううん、お父さんがちゃんといろいろ考えて仕事してるの、娘としてうれしい。知れてよかった」
「そうかい? なんか恥ずかしくなっちゃうなあ」
わたしに科学者としての心構えを説けたのがよほどうれしかったんだろう、一瞬で表情が若返っている。
こんなに優しくて、使命感にあふれたいい人が、本当に人類を絶滅に追い込む引き金を引いてしまうなんて、やっぱり信じられないし信じたくない。
何より、自分のお父さんを裏切るのがわたしのやらなきゃいけないことだなんて、ひど過ぎる。
なんで神様はわたしに試練ばかり与えるのかな。
そんなことを思いながら、その日は眠りについた。
楓馬がやってきた未来は、映画に出てくるように魅力的で、キラキラしたものじゃなかった。人間がいなくなってしまうなんて、いくら科学技術が発達したとしても悲劇でしかない。
しかもその原因を作ってしまったのがわたしのお父さんだなんて、簡単に受け入れられるようなことじゃない。
夕飯の時間が終わって、お父さんがやってきた。今はあまりお父さんの顔を見る気分にはなれないけれど、せっかく 来てくれたのに追い返すわけにもいかないので、仕方なくベッドから半身を起こす。この二かヵ月でずいぶんやつれてしまったお父さんは、目だけやたらとぎらぎらしていた。
「お医者さんはああ言っているけれど、お父さんはまだあきらめていないからな。だから陽彩も、希望を持って。絶対、後ろ向きになっちゃ駄目だぞ」
言葉は力強いのに、声にはどこか暗さがある。
「うん……ありがとう」
それだけ言うと、お父さんはふっと頬の力を緩めた。口の横の皺、こんなに深かったっけ。わたしのせいで、ずいぶん老け込んでしまっている。
そのことを申し訳なく思いつつも、お父さんに本能的な恐怖心を覚えた。なんとしてでも助けたい、あきらめない。その気持ちはわかるけれど、それに執着してしまっているというか、そんな感じがした。血走った目は、わたししか見えていない。
この状態のお父さんなら、たしかにとんでもないことをしてしまうんじゃないかーー―― そんなふうにさえ、思えた。自分のお父さんなのに楓馬の話を聞いたせいで、どこか怖く感じられてしまう。
「ねえ。どんな科学技術にも、リスクってあるよね? たとえば医療技術だって、本来人を救うために使うものなのに、悪い人が人殺しに使うとか、そういうことだってあるかもしれない。お父さんの研究は、大丈夫なの?」
お父さんは軽く目を広げて、それからうれしそうな顔をした。発明や研究について語る時のお父さんの顔だ。
「すごいことに気づ付いたね、陽彩。そうなんだ、科学者には高い倫理観が求められる。歴史の中では、技術の発展、発明によって、失われたものがたくさんある。たとえばだけど、戦争の時にはいろいろな兵器が開発されて、たくさんの人の命が失われてしまった。だから、お父さんのように科学者になるっていうのは、ちゃんと考えて研究開発するってことなんだ。人はみんな、先のことを考えるのが苦手なんだよね。えらい人も目先のことだけ考えて、失敗するなんていうことはたくさんある。だからこそ、強い責任感を持って、未来を見据えて、この研究が本当にいろんな人たちを幸せにできるのか、考えてやらないといけないんだよ」
お父さんの言葉を、わたしは小さくうなずきながら聞いていた。
今の時代には百年前にはなかったものがたくさんある。
パソコンもスマホも百年前には影も形もないし、それどころかテレビや冷蔵庫すらなかった。
技術の発展は暮らしの在り方を大きく変えてしまう。それによって、問題だっておのずと出てくる。
お父さんは続ける。
「お父さんの今の研究は……そうだね、悪用する人が出てきたらかなり危険だ。でもだからこそ、ちゃんと制限はつけるつもりだよ」
「それで、本当に大丈夫なの?」
危険だってわかっているなら、そもそも開発すべきものではないんじゃないか。
楓馬は「お父さんの研究を壊す」と言った。でもできればそんな、乱暴なことはしたくない。わたしの言葉によってお父さんが研究をやめる気になってくれたら、平和的に問題は解決する。
もちろん未来がどうなるかなんて知らないお父さんはわたしの内心を知るはずもなく、穏やかに続ける。
「陽彩の言うこともわかる。でも、何事にもリスクはつきものなんだ。科学者になるというのは、リスクを承知の上で新しいことをやろうとする、勇気も必要なんだよ。あ、倫理観というより、人生哲学みたいになっちゃったかな」
ちょっと照れ臭そうに頭をかくお父さん。なんて言ったらいいのかわからなくて、無難な言葉を選んだ。
「ううん、お父さんがちゃんといろいろ考えて仕事してるの、娘としてうれしい。知れてよかった」
「そうかい? なんか恥ずかしくなっちゃうなあ」
わたしに科学者としての心構えを説けたのがよほどうれしかったんだろう、一瞬で表情が若返っている。
こんなに優しくて、使命感にあふれたいい人が、本当に人類を絶滅に追い込む引き金を引いてしまうなんて、やっぱり信じられないし信じたくない。
何より、自分のお父さんを裏切るのがわたしのやらなきゃいけないことだなんて、ひど過ぎる。
なんで神様はわたしに試練ばかり与えるのかな。
そんなことを思いながら、その日は眠りについた。



