お父さんは樹里ちゃんの死を、池澤さんから知ったらしい。

 大事な友だちが死んでつらいだろうけれどあまり気を落とさないようにね、という感じのことを何度も言われた。まだ生きる希望を失っちゃいけないよ、とも。余命宣告された娘のメンタルに、友だちの死がどう影響しているのか、心配でしょうがないんだろう。


「お父さんの知り合いのお医者さんで、陽彩の手術を引き受けてくれる人を見つけたよ」

 その日、お父さんはいつになく晴れやかな顔で言った。お父さんは前々からわたしを助けてくれるお医者さんを探そうと走り回っていたけれど、本当にそんなことができる人が現れてしまうなんて思ってなくて、びっくりした。


「早いほうがいいって言ってた。来週にでもここを出て、アメリカへ行こう」
「アメリカ……?」
「そのお医者さんは、アメリカにいるんだ。心臓外科が専門で難しい手術をたくさん手掛けている、信頼できる人だよ」

 あの夜倒れて以来、ずっと曇っていたお父さんの顔が今はすっきりしていた。力強くわたしの肩に手をのせ、言う。


「陽彩はこれで助かるんだ。あきらめなくてよかったな」
「待って。主治医の先生にはそのこと話したの? というか、本当に助かるの?」
「明日話をするよ。陽彩も手術なんて不安だろうけれど、心配しなくて大丈夫だ。あの有名漫画に出てくるような、すごい先生だからね。もちろん免許は持ってる」

 ジョークのつもりなのかそう言って笑うお父さん。わたしが入院してから、はじめてこんな冗談を言ったような気がする。
 楓馬はわたしの運命を変えにきた来た、と言った。


 もしかして、これは運命が変わったんだろうか……?


「退院したら、何をしようか。どこへ行きたい? 何を食べたい? ずっと病院食ばっかりだから、食べたいものがたくさんあるだろう」

 きらきらした目でこれからのことを話すお父さんを、わたしはちょっと戸惑いながら見つめていた。





「陽彩さんの病状で、手術はおすすめできません」

 白い壁と机、パソコンに椅子。無機質なほど無駄のない簡素な部屋で、主治医はわたしとお父さんに重々しい口調で告げた。


「陽彩さんの心臓は地雷を抱えています。あと一ヵ月持つかどうかも、正直怪しいくらいなんです。アメリカで手術となると渡航にもリスクが伴いますし、それに」
 言いたくないことを言う時の人間の顔だった。マスクの上の目が暗い。


「正直、その術式はまだ結果が出ているものでもありませんし、担当医の立場からして言わせていただくと、ほとんどギャンブルに近いものです。陽彩さんの体力も落ちていますし、手術をすることで陽彩さんの寿命をさらにちぢめ縮めかねない」
「そんな……!!!!」

 望みが断たれたお父さんが真っ青になり、拳をわななかせる 。見ていられなくて目を逸らした。


「本当に、手術はできないんですか? 万にひと一つ奇跡が起こって、陽彩の命が助かるとか」
「奇跡なんてそんな不確かなものに、頼るおつもりですか」

 お父さんがぐっと言葉に詰まる。研究がうまくいかない時や発明品の権利を他の人に奪われた時の表情だった。


「南部さんも、身体が弱った陽彩さんをこれ以上苦しめたくはないと思います。術後にうまく回復せずそのまま ……ということもあり得えます」
「……私は陽彩のために、何もできないんですか」

 今にも泣きそうな声だった。

「親として、娘に一秒でも長く生きていてほしいと思うのは当たり前でしょう。私は陽彩に生きてほしいんです。大人になって仕事をして、花嫁姿を見せてくれて、いつか孫に会える。そこまで多くは望みません。ただ、陽彩との楽しい時間が、あと少し欲しいだけなんです」
「――私にも、娘がいます」


 感情を見せてはいけないはずのお医者さんが、人間らしい口調になった。


「南部さんのお気持ちは痛いほどわかります。私も娘が同じ立場になったら、まったく同じ行動をとって取ってしまうでしょう。でも、今は父親ではなく、担当医師の立場として南部さんと、陽彩さんと向き合わなければいけません。担当医として言います。陽彩さんをどうかこれ以上、苦しませないでくだ下さい」

 お父さんががっくりと肩を落として、伝染した悲しみがぽんこつの心臓にじわじわと広がっていく。

 廊下で看護師らしき人の話し声がした。張りつめたところのない日常会話は、今のわたしには決して手に入らないものだ。