じめじめと鬱陶しい梅雨が終わって夏がやってきた。

 体調の良い日は、病院の庭をぶらぶら散歩する。健康だった時には辟易 したほどの夏本番の暑さが、今は生きている証拠みたいに感じられて愛しい。ケヤキの木々に挟まれた小道を歩いていると、頭上からジーと蝉の声が降ってくる。

 海のように深い悲しみとどうやって、これから付き合っていったらいいのか、まだわからない。


「陽彩さん」
 聞き覚えのある声にびっくりして振り向くと、澄夜くんがいた。夏の日差しが真っ黒い髪をところどころ、茶色く染めている。


「病室にいないから、ここにいるかもと思って。会えてよかった」
「澄夜くん……」

 目の前の相手にかけるべき言葉を必死に探す。樹里ちゃんとたった一ヵ月ほど友だちだっただけのわたしがこんなに悲しんでいるんだ、澄夜くんの落ち込みは途方もないだろう。


「大変、だったね」
 ようやく見つかった言葉は、自分でもあきれるほど無難だった。澄夜くんが口元だけで笑う。


「家族じゃないから俺は樹里の最期は看取れなかったけれど、でもお別れは言えました。樹里に会えてよかった、って 伝えられた」
 その時のことを思い出したのか、澄夜くんの目が悲しそうに揺れる。


「樹里はもうしゃべれなくて自分の意思を目で伝えるしかなかったんだけれど、わかった、って小さくうなずいてくれましたよ……あとこれ、陽彩さんに」
 澄夜くんが取り出したのは、わたしが樹里ちゃんにあげた弓矢だった。


「気管切開する前、これを樹里から託されたんです。あたしが死んだら、陽彩ちゃんにって」
「え……」
「陽彩ちゃんのおかげで、澄夜と両想いになれたからって」

 思わずぶんぶん、首を振っていた。
 わたしは何もしていないし、何もできていない。樹里ちゃんが恋をつかんだのは、樹里ちゃん自身の力だ。


 でも、うれしかった。そんなふうに思ってくれたことが。この弓矢を、わたしに遺してくれたことが。


「ありがとう……大切にするね」

 そう言うと、澄夜くんはまぶしそうに目を細めた。

 ジー、と蝉たちの声が重なっていた。