無事、樹里ちゃんに弓矢を渡せたことを報告すると、楓馬は目を細めて喜んでくれた。
「あとはその、樹里ちゃんって子しだいだね。話聞いた感じ、まず間違いなくうまくいくと思うけど」
「うん! 楓馬、本当にありがとう」
「僕は背中を押しただけさ」
話を聞いていたパオが不機嫌そうに口を尖らせる。
「ワタシはその樹里ちゃんの気持ちもわかるけどね。もうすぐ死ぬ人間から好きだと言われたところで、なんになるのやら」
「パオ、人間はそう簡単に割り切れないんだよ」
噛んで含めるように言うと、パオはふーんと、ちっともわからない顔をした。ロボットなんだからきっと感情なんてないし、いくら説明したって伝わらないだろう。
「じゃ、いよいよこれの出番かな」
楓馬が腰のベルトからぱっと傘を取り出した。表面がてかてかした、オーロラ色のきれいなビニール傘だ。
「何? これ?」
「透明シールドの技術を応用したものでね。この傘に入っている人は、周りから見れなくなる」
「何に使うの?」
「樹里ちゃんがどう告白するか、陽彩ちゃんは気にならないの?」
いたずらっぽい楓馬の目に、何をしようとしているのか察した。すかさずパオが言う。
「のぞき見するって言うのかい? まったく、ニンゲンは趣味が悪い」
今回ばかりはパオに同意だ。でも、楓馬の提案を即却下できない。
わたしも、ちょっと気になっている。樹里ちゃんの告白が成功するかどうか。
「いいのかな……? こんなことして」
「弓矢をプレゼントしたんだし、これくらいしてもバチは当たらないんじゃない?」
「そんな、恩を着せるみたいな言い方……」
言いかけて、その先を飲み呑み込む。
樹里ちゃんと澄夜くんのこと、めちゃくちゃ気になる。正直、野次馬根性を抑えられない。
「明日の夜、樹里ちゃんの病室に澄夜くんが来るんだって」
パオが責めるような目でわたしと楓馬を見ている。やっぱり、良くないっちゃ良くないことだよね。樹里ちゃんに黙ってのぞき見するわけだし。
でも、好奇心を抑えられない。
「よし、チャンスだね」
楓馬が白い歯を見せて笑った。
次の日の夜、夕ご飯の後にわたしと楓馬、そしてパオは樹里ちゃんの病室に向かった。廊下で傘を差し、澄夜くんの到着を待つ。傘の効果はばつぐんで、通りがかる池澤さんはわたしにまったく気づいていなかった。おそろしく美形の、コスプレ会場で着るようなきらきらの銀色スーツを着た男の子と一緒なのに。
二十分くらいして、澄夜くんが来た。表情はあまり明るくない。
「来たよ」
楓馬の服の袖をひっぱり引っぱりながら小声で言う。この傘は他人から見えないようにする効果はあるけれど、声までは消してくれない。楓馬が小さくうなずいた。
澄夜くんの後ろから、するっと二人とロボット一体で傘を差したまま病室に入る。樹里ちゃんがドアの開閉音に気づいて、だるそうにこちらに顔を向ける。
その顔からすっかり生気が失われていて、樹里ちゃんの命がもうあと残り少ないのだと改めて実感して、胸が詰まる。
「何? 話って」
澄夜くんはつとめて明るく振る舞うといった感じの軽やかな笑顔で言って、ベッドの隣の椅子に腰かけた掛けた。わたしたちは少し離れたところから見守る。
「あたし、澄夜に、ずっと、言って、なかった、ことが、あるの」
一語一語、振り絞るように言う樹里ちゃん。もう、声を発するのが限界なんだろう。
「何?」
澄夜くんが聞いて、決意を固める ような間の後、樹里ちゃんがにっこり笑って言った。
「あたし、澄夜が、好き」
水を打ったような沈黙が広がる中、樹里ちゃんの身体につながれている機械の音だけが、ぴこぴこと鳴っていた。
澄夜くんが大きく目を見開いて、次の瞬間その瞳が盛り上がる。乱暴にごしごし目を拭って、澄夜くんが言った。
「なんで、そんなこと言うんだよ。なんで、そんな、これから死ぬみたいに……」
「澄夜」
「やだよ! もう死ぬみたいな、覚悟決まったような顔でそんなこと言うな! 俺の気持ちも考えろよ!!」
ほとんど叫ぶような声で言う澄夜くんを見て、樹里ちゃんはぽかんとしている。澄夜くんはなおも目元を拭いながら言った。指の隙間からぽろぽろ、大粒の涙がこぼれた。
「俺だって、樹里が好きだよ。好きで好きで好きで、しょうがないよ」
「澄夜……」
「だから、死ぬな。これからもずっと、俺の隣にいてくれ。俺の隣で笑っててくれ」
樹里ちゃんのが想いが通じたうれしさに口元を緩ませる。樹里ちゃんの目元にも涙が浮かぶ。
「ごめん。それは、できない」
「そんな……」
「わかる。もう、無理だって。小さい、頃から、ずっと、病気と、闘って、きたから」
骨と皮だけになってしまった白い腕を、樹里ちゃんが澄夜くんに伸ばす。澄夜くんは血管が痛々しく浮かんだ樹里ちゃんの手を両手で握った。
「だから、あたしは、澄夜の、幸せを、祈ってる」
「樹里……」
「澄夜の、おかげで、あたしは、幸せ、だった、から」
見ているだけのわたしの目にも涙が浮かぶ。
二人とも、まだ中学生だ。愛する人の死に慣れていないどころか、身近な人を亡くす経験も足りない。
この世でいちばん好きな人と永遠に会えなくなる苦しみを、受け止められるだろうか。
わたしだって、受け止められずに絶望していたのに。
「一年の、体育祭、覚えて、る?」
澄夜くんがきょとんとする。
「ああ、覚えてるけど。それがどうした?」
「あたし、その時、から、澄夜が好き」
その時のことを思い出したのか、懐かしそうな表情になる樹里ちゃん。
「騎馬戦で、馬が崩れて、それでも、とった、ハチマキ、離さなかった、澄夜。かっこいい、なって、思った」
「なんだよそれ。騎馬崩れるなんて、めっちゃカッコ悪いじゃん」
「あたしには、とても、カッコよく、見えたかった」
樹里ちゃんがにっこり笑い、それに応えるように、ようやく澄夜くんも笑った。
「俺が樹里を好きになったのはなーー―― 」
二人はだいぶ長いこと 、消灯時間になるまで、何十年も前から恋人同士の二人みたいに、親密に話し込んでいた。キスのひとつもなかったけれど、この世でいちばん素敵なラブシーンに見えた。
想いを伝えた樹里ちゃんの中で、命の火はがだいぶ弱くなったけど、ちゃんと燃えていた。
「あとはその、樹里ちゃんって子しだいだね。話聞いた感じ、まず間違いなくうまくいくと思うけど」
「うん! 楓馬、本当にありがとう」
「僕は背中を押しただけさ」
話を聞いていたパオが不機嫌そうに口を尖らせる。
「ワタシはその樹里ちゃんの気持ちもわかるけどね。もうすぐ死ぬ人間から好きだと言われたところで、なんになるのやら」
「パオ、人間はそう簡単に割り切れないんだよ」
噛んで含めるように言うと、パオはふーんと、ちっともわからない顔をした。ロボットなんだからきっと感情なんてないし、いくら説明したって伝わらないだろう。
「じゃ、いよいよこれの出番かな」
楓馬が腰のベルトからぱっと傘を取り出した。表面がてかてかした、オーロラ色のきれいなビニール傘だ。
「何? これ?」
「透明シールドの技術を応用したものでね。この傘に入っている人は、周りから見れなくなる」
「何に使うの?」
「樹里ちゃんがどう告白するか、陽彩ちゃんは気にならないの?」
いたずらっぽい楓馬の目に、何をしようとしているのか察した。すかさずパオが言う。
「のぞき見するって言うのかい? まったく、ニンゲンは趣味が悪い」
今回ばかりはパオに同意だ。でも、楓馬の提案を即却下できない。
わたしも、ちょっと気になっている。樹里ちゃんの告白が成功するかどうか。
「いいのかな……? こんなことして」
「弓矢をプレゼントしたんだし、これくらいしてもバチは当たらないんじゃない?」
「そんな、恩を着せるみたいな言い方……」
言いかけて、その先を飲み呑み込む。
樹里ちゃんと澄夜くんのこと、めちゃくちゃ気になる。正直、野次馬根性を抑えられない。
「明日の夜、樹里ちゃんの病室に澄夜くんが来るんだって」
パオが責めるような目でわたしと楓馬を見ている。やっぱり、良くないっちゃ良くないことだよね。樹里ちゃんに黙ってのぞき見するわけだし。
でも、好奇心を抑えられない。
「よし、チャンスだね」
楓馬が白い歯を見せて笑った。
次の日の夜、夕ご飯の後にわたしと楓馬、そしてパオは樹里ちゃんの病室に向かった。廊下で傘を差し、澄夜くんの到着を待つ。傘の効果はばつぐんで、通りがかる池澤さんはわたしにまったく気づいていなかった。おそろしく美形の、コスプレ会場で着るようなきらきらの銀色スーツを着た男の子と一緒なのに。
二十分くらいして、澄夜くんが来た。表情はあまり明るくない。
「来たよ」
楓馬の服の袖をひっぱり引っぱりながら小声で言う。この傘は他人から見えないようにする効果はあるけれど、声までは消してくれない。楓馬が小さくうなずいた。
澄夜くんの後ろから、するっと二人とロボット一体で傘を差したまま病室に入る。樹里ちゃんがドアの開閉音に気づいて、だるそうにこちらに顔を向ける。
その顔からすっかり生気が失われていて、樹里ちゃんの命がもうあと残り少ないのだと改めて実感して、胸が詰まる。
「何? 話って」
澄夜くんはつとめて明るく振る舞うといった感じの軽やかな笑顔で言って、ベッドの隣の椅子に腰かけた掛けた。わたしたちは少し離れたところから見守る。
「あたし、澄夜に、ずっと、言って、なかった、ことが、あるの」
一語一語、振り絞るように言う樹里ちゃん。もう、声を発するのが限界なんだろう。
「何?」
澄夜くんが聞いて、決意を固める ような間の後、樹里ちゃんがにっこり笑って言った。
「あたし、澄夜が、好き」
水を打ったような沈黙が広がる中、樹里ちゃんの身体につながれている機械の音だけが、ぴこぴこと鳴っていた。
澄夜くんが大きく目を見開いて、次の瞬間その瞳が盛り上がる。乱暴にごしごし目を拭って、澄夜くんが言った。
「なんで、そんなこと言うんだよ。なんで、そんな、これから死ぬみたいに……」
「澄夜」
「やだよ! もう死ぬみたいな、覚悟決まったような顔でそんなこと言うな! 俺の気持ちも考えろよ!!」
ほとんど叫ぶような声で言う澄夜くんを見て、樹里ちゃんはぽかんとしている。澄夜くんはなおも目元を拭いながら言った。指の隙間からぽろぽろ、大粒の涙がこぼれた。
「俺だって、樹里が好きだよ。好きで好きで好きで、しょうがないよ」
「澄夜……」
「だから、死ぬな。これからもずっと、俺の隣にいてくれ。俺の隣で笑っててくれ」
樹里ちゃんのが想いが通じたうれしさに口元を緩ませる。樹里ちゃんの目元にも涙が浮かぶ。
「ごめん。それは、できない」
「そんな……」
「わかる。もう、無理だって。小さい、頃から、ずっと、病気と、闘って、きたから」
骨と皮だけになってしまった白い腕を、樹里ちゃんが澄夜くんに伸ばす。澄夜くんは血管が痛々しく浮かんだ樹里ちゃんの手を両手で握った。
「だから、あたしは、澄夜の、幸せを、祈ってる」
「樹里……」
「澄夜の、おかげで、あたしは、幸せ、だった、から」
見ているだけのわたしの目にも涙が浮かぶ。
二人とも、まだ中学生だ。愛する人の死に慣れていないどころか、身近な人を亡くす経験も足りない。
この世でいちばん好きな人と永遠に会えなくなる苦しみを、受け止められるだろうか。
わたしだって、受け止められずに絶望していたのに。
「一年の、体育祭、覚えて、る?」
澄夜くんがきょとんとする。
「ああ、覚えてるけど。それがどうした?」
「あたし、その時、から、澄夜が好き」
その時のことを思い出したのか、懐かしそうな表情になる樹里ちゃん。
「騎馬戦で、馬が崩れて、それでも、とった、ハチマキ、離さなかった、澄夜。かっこいい、なって、思った」
「なんだよそれ。騎馬崩れるなんて、めっちゃカッコ悪いじゃん」
「あたしには、とても、カッコよく、見えたかった」
樹里ちゃんがにっこり笑い、それに応えるように、ようやく澄夜くんも笑った。
「俺が樹里を好きになったのはなーー―― 」
二人はだいぶ長いこと 、消灯時間になるまで、何十年も前から恋人同士の二人みたいに、親密に話し込んでいた。キスのひとつもなかったけれど、この世でいちばん素敵なラブシーンに見えた。
想いを伝えた樹里ちゃんの中で、命の火はがだいぶ弱くなったけど、ちゃんと燃えていた。



