翌日のお昼ご飯の後、わたしは個室の洗面所で身支度を整えていた。といってもパジャマ姿だし、コスメも持ってきていないので、できることはほとんどない。でもいつもより入念に化粧水をつけて、髪の毛をしっかりとかした。鏡の中のわたしはかたい表情をしていたので、リラックスしようとほっぺたを揉むと、ちょっとだけやわらかい顔になった気がした。
「よし」
ひとりごと独り言を言って病室を後にする。手にはもちろん、楓馬がくれた弓矢を持って。
樹里ちゃんの個室はいつもお医者さんや看護婦さん、樹里ちゃんの親が行きかっているので、人がいないタイミングを見計らって中に入る。命の危機がある樹里ちゃんのために、部屋の中にはものものしい機械がたくさん設置されていた。
樹里ちゃんの容態は相変わらずよくなかった。鼻には管が刺さったままで、個室に入ってきたわたしを見てもちらりと視線をやって、力ない笑いを浮かべるだけだ。昨日よりも生きる活力が失われてしまっているのを感じて、手のひらの中の弓矢を握り直した。
今のうちに、できることをしなきゃいけない。
「あたしね、気管切開するかもしれないんだって」
樹里ちゃんがどこか他人事のような口調で言った。
「そしたら、しゃべれなくなる。だから今日、陽彩ちゃんが来てくれてよかった。最期に少しでも、話したかったから」
「樹里ちゃん、これあげる」
弓矢を目の前にかかげる掲げると、樹里ちゃんは不思議そうな顔をした。
「これ、おまじないグッズなんだけど。告白を成功させるお守り」
「告白……?」
「そう。これを持って気持ちを伝えると、成功しやすくなる」
きょとんとしている樹里ちゃんに、力強く言った。
「樹里ちゃん、気持ち伝えなよ。もうすぐしゃべれなくなるなら、なおさらだよ」
「前も言ったけど」
喉の筋肉が弱っているんだろう、樹里ちゃんの発音がなんとなくたどたどしい。悲しそうな目を天井に向ける。
「もうすぐ死ぬ人間からの告白なんて、重いって。あたしは、澄夜には幸せになってほしいの。あたしのことなんて早く忘れて、他の女の子と恋をして、幸せになってほしい。だからあたしの気持ちは、澄夜の足枷(あしかせ) になる」
「足枷になんて、なるわけない」
樹里ちゃんがはっとした顔をして、そこで自分の声が思いのほか強くなっていたことに気づいた。昂(たかぶ) る気持ちを抑え、樹里ちゃんの心に届く言葉を探す。
「誰かに好きって言ってもらえるのは、自分の存在を丸ごと、無条件で肯定してもらえることなんじゃないかな。たとえその人の気持ちに応えられなくたって、すごくうれしいと思うの。だから樹里ちゃんが澄夜くんに気持ちを伝えれば、それは澄夜くんにとって少なくとも自信になる。あなたのことが好きです、って言葉は、この世でいちばん素敵なプレゼントだって、わたしは思う」
わたしは、楓馬に好きって言われてうれしかったから。
別に可愛かわいくなんてなんてない、これといったとりえなんてない、そんなわたしを認めて、存在を全肯定してくれたその言葉に、胸がいっぱいになった。
樹里ちゃんがもし澄夜くんに最期に何かしてあげたいと思うのなら、気持ちを伝えることがいちばんなんじゃないのか。
樹里ちゃんはちょっと目を潤ませて、その目を伏せた。
「ありがとう、陽彩ちゃん」
泣き笑いの表情で、そろそろと手を差し出し、弓矢を受け取る。樹里ちゃんの手が思いのほか小さくなっていた。指が痩せて、冬の枯れ枝みたいだった。
「よし」
ひとりごと独り言を言って病室を後にする。手にはもちろん、楓馬がくれた弓矢を持って。
樹里ちゃんの個室はいつもお医者さんや看護婦さん、樹里ちゃんの親が行きかっているので、人がいないタイミングを見計らって中に入る。命の危機がある樹里ちゃんのために、部屋の中にはものものしい機械がたくさん設置されていた。
樹里ちゃんの容態は相変わらずよくなかった。鼻には管が刺さったままで、個室に入ってきたわたしを見てもちらりと視線をやって、力ない笑いを浮かべるだけだ。昨日よりも生きる活力が失われてしまっているのを感じて、手のひらの中の弓矢を握り直した。
今のうちに、できることをしなきゃいけない。
「あたしね、気管切開するかもしれないんだって」
樹里ちゃんがどこか他人事のような口調で言った。
「そしたら、しゃべれなくなる。だから今日、陽彩ちゃんが来てくれてよかった。最期に少しでも、話したかったから」
「樹里ちゃん、これあげる」
弓矢を目の前にかかげる掲げると、樹里ちゃんは不思議そうな顔をした。
「これ、おまじないグッズなんだけど。告白を成功させるお守り」
「告白……?」
「そう。これを持って気持ちを伝えると、成功しやすくなる」
きょとんとしている樹里ちゃんに、力強く言った。
「樹里ちゃん、気持ち伝えなよ。もうすぐしゃべれなくなるなら、なおさらだよ」
「前も言ったけど」
喉の筋肉が弱っているんだろう、樹里ちゃんの発音がなんとなくたどたどしい。悲しそうな目を天井に向ける。
「もうすぐ死ぬ人間からの告白なんて、重いって。あたしは、澄夜には幸せになってほしいの。あたしのことなんて早く忘れて、他の女の子と恋をして、幸せになってほしい。だからあたしの気持ちは、澄夜の足枷(あしかせ) になる」
「足枷になんて、なるわけない」
樹里ちゃんがはっとした顔をして、そこで自分の声が思いのほか強くなっていたことに気づいた。昂(たかぶ) る気持ちを抑え、樹里ちゃんの心に届く言葉を探す。
「誰かに好きって言ってもらえるのは、自分の存在を丸ごと、無条件で肯定してもらえることなんじゃないかな。たとえその人の気持ちに応えられなくたって、すごくうれしいと思うの。だから樹里ちゃんが澄夜くんに気持ちを伝えれば、それは澄夜くんにとって少なくとも自信になる。あなたのことが好きです、って言葉は、この世でいちばん素敵なプレゼントだって、わたしは思う」
わたしは、楓馬に好きって言われてうれしかったから。
別に可愛かわいくなんてなんてない、これといったとりえなんてない、そんなわたしを認めて、存在を全肯定してくれたその言葉に、胸がいっぱいになった。
樹里ちゃんがもし澄夜くんに最期に何かしてあげたいと思うのなら、気持ちを伝えることがいちばんなんじゃないのか。
樹里ちゃんはちょっと目を潤ませて、その目を伏せた。
「ありがとう、陽彩ちゃん」
泣き笑いの表情で、そろそろと手を差し出し、弓矢を受け取る。樹里ちゃんの手が思いのほか小さくなっていた。指が痩せて、冬の枯れ枝みたいだった。



