過去に行って若い頃のお父さんとお母さんに会って、港の見える丘で楓馬の告白を受け入れた、その翌日、午後。
ベッドのそばに腰掛けた希織が、わたしを見て『不思議の国のアリス』のチェシャ猫 みたいににやにやしていた。
「で、その後抱きしめられちゃったりとかしたの?」
「まさか。いくら夜の公園で、周りにはカップルだらけで、ムード満点だからって、そこまで熱に浮かされてないよ、お互い」
「ふーん。ま、楓馬くん真面目そうだもんね。でもあの感じは、恋愛に慣れてそうだけど。なかなかの手(て)練(だ) れだと見た」
「そうかな? て、別にどうでもいいし。所詮過去の恋愛でしょ」
「あらそ。ほんとは気になるんじゃない?」
「そんなことないってば!」
朝起きてすぐ メッセージで希織に楓馬とのことを報告すると、朝の忙しい時間にもかかわらず、すぐ返信が来た。『マジで? 今日学校終わったらすぐ行くから、どういうことか詳細聞かせて』――やってきた希織は、いつになくテンションが高かった。オクテなわたしに彼氏ができるというのは、希織にとっても一大事らしい。
「でも、ほんとによかったの? 陽彩、気持ちがはっきりしない感じだったじゃん」
「何それ。オッケーって言えって、希織が言ったんでしょ?」
「言ったけどさあ。でも陽彩って、片想いすらろくにしたことないじゃん。しかも相手は未来人でしょ、これからどんなふうに付き合ってくんだろ、って思っちゃうわけよ」
たしかに楓馬と恋人同士になったはいいものの、「付き合う」ということ自体がまだわたしのなかで中でぼんやりしている。二人でいろんなところに行っておいしいものを食べたりきれいなものを見たりしたい、そう言ってはみたものの、よくよく考えたらそれって、別に友だち同士でもできることじゃない? わざわざ「付き合う」必要ある? そんなことを考えてしまうくらい、わたしの恋愛偏差値は低い。
「ねえ、友だちと恋人の、決定的な違いってなんなの? 仲のいい男女の友だちと、付き合ってる二人と。いったい何が違うの?」
うーん、と希織はしばらく考え込んだ後言った。
「あたしたちも、もう高校生なんだし。それはやっぱり、行為があるかないか、じゃない?」
「行為……」
思わず繰り返してしまって、頬がぼっと熱くなる。希織が噴き出した。
「あはは、陽彩、今エッチなこと考えてたでしょ」
「考えてないし! ていうか希織、昨日付き合い始めたばっかりの人に、そんなこと言う!?!?」
「いやだから、これは一般論で。それに希織が想像してるほどのことじゃないよ。キスとかハグとか、あるいは手を繋つないだりとか。友だち同士ならしなくて恋人同士ならすること、いろいろあるでしょ」
笑いながら言う希織を前に、今度はわたしが考え込んでしまった。
一般論ではそのとおりなんだろう。でもわたしは少女漫画や恋愛ドラマや、そういうもので見せ場としてラブシーンが描かれても、心を動かされたことがない。登場人物たちの気持ちに共感できず、自分とは関係ない、遠いことだと思いながら見てしまう。
中学生の時、彼氏とキスしたって話をクラスの子がしてたけど、その時も頬を紅潮させて自慢げに語るその子を、どこか冷めた気持ちで見てしまった。そんなことくらいで大人の階段を登上ったことになるのかと思ってしまうし、ましてや二人の関係がそれまでと変わったりするんだろうか。
「希織は、あるの? そういう経験」
そう聞くと、希織は目を見開いて、ぶんぶん手を振った。わかりやすくあわてている。
「あるわけないでしょ。そんなことあったらとっくに陽彩に報告してるし」
「……希織ってさ。嘘ついたり何かごまかしてる時は、目を逸らすんだよね。必ずそう。自分じゃ気づいてないかもしれないけど」
ちょっと強い声を出した。やがて希織は観念したようにふーっと息を吐き、それからちょっと赤くなって続ける。
「あるよ、一度だけ。バレンタインにデートして、その帰りに。あっというま間だったよ、顔が近づいてきて、一瞬だけちゅっと、唇と唇が触れて。それで、おやすみって。向こうもすごく、勇気がいったんだろうなあ。顔、真っ赤だった」
「ふーん……」
「ふーん、って何よ? 自分で問いただしたんだから、もっとなんかあるでしょ、リアクション」
相手はサッカー部の元彼のはずだけど、希織は卒業してまもなく、その彼と別れてる。つまり、そのキスは二人の関係を深めたり進めたり、そういうものにはならなかったということだ。希織は照れながら、すごく重要なことみたいに話したけれど、そんなにもったいぶるほどのことだとも思えない。
「ま、彼氏できたんだから、陽彩もそのうちわかるよ」
ぽん、と希織がわたしの肩をたた叩く。
「男の子を好きになるってどういうことなのか、好きな相手に好きだって言ってもらえることがどれだけ幸せか。青春時代のファーストキスは、一生の思い出になるよ」
「一生の思い出、ねえ。なんかすごく大袈裟に聞こえるなあ」
「あはは。大袈裟、かあ。陽彩はまだまだお子ちゃまだなあ」
「うるさいよ!」
希織の脇腹を軽く小突くと、希織はまったく悪びれた様子なく、ごめんごめんと笑った。
ベッドのそばに腰掛けた希織が、わたしを見て『不思議の国のアリス』のチェシャ猫 みたいににやにやしていた。
「で、その後抱きしめられちゃったりとかしたの?」
「まさか。いくら夜の公園で、周りにはカップルだらけで、ムード満点だからって、そこまで熱に浮かされてないよ、お互い」
「ふーん。ま、楓馬くん真面目そうだもんね。でもあの感じは、恋愛に慣れてそうだけど。なかなかの手(て)練(だ) れだと見た」
「そうかな? て、別にどうでもいいし。所詮過去の恋愛でしょ」
「あらそ。ほんとは気になるんじゃない?」
「そんなことないってば!」
朝起きてすぐ メッセージで希織に楓馬とのことを報告すると、朝の忙しい時間にもかかわらず、すぐ返信が来た。『マジで? 今日学校終わったらすぐ行くから、どういうことか詳細聞かせて』――やってきた希織は、いつになくテンションが高かった。オクテなわたしに彼氏ができるというのは、希織にとっても一大事らしい。
「でも、ほんとによかったの? 陽彩、気持ちがはっきりしない感じだったじゃん」
「何それ。オッケーって言えって、希織が言ったんでしょ?」
「言ったけどさあ。でも陽彩って、片想いすらろくにしたことないじゃん。しかも相手は未来人でしょ、これからどんなふうに付き合ってくんだろ、って思っちゃうわけよ」
たしかに楓馬と恋人同士になったはいいものの、「付き合う」ということ自体がまだわたしのなかで中でぼんやりしている。二人でいろんなところに行っておいしいものを食べたりきれいなものを見たりしたい、そう言ってはみたものの、よくよく考えたらそれって、別に友だち同士でもできることじゃない? わざわざ「付き合う」必要ある? そんなことを考えてしまうくらい、わたしの恋愛偏差値は低い。
「ねえ、友だちと恋人の、決定的な違いってなんなの? 仲のいい男女の友だちと、付き合ってる二人と。いったい何が違うの?」
うーん、と希織はしばらく考え込んだ後言った。
「あたしたちも、もう高校生なんだし。それはやっぱり、行為があるかないか、じゃない?」
「行為……」
思わず繰り返してしまって、頬がぼっと熱くなる。希織が噴き出した。
「あはは、陽彩、今エッチなこと考えてたでしょ」
「考えてないし! ていうか希織、昨日付き合い始めたばっかりの人に、そんなこと言う!?!?」
「いやだから、これは一般論で。それに希織が想像してるほどのことじゃないよ。キスとかハグとか、あるいは手を繋つないだりとか。友だち同士ならしなくて恋人同士ならすること、いろいろあるでしょ」
笑いながら言う希織を前に、今度はわたしが考え込んでしまった。
一般論ではそのとおりなんだろう。でもわたしは少女漫画や恋愛ドラマや、そういうもので見せ場としてラブシーンが描かれても、心を動かされたことがない。登場人物たちの気持ちに共感できず、自分とは関係ない、遠いことだと思いながら見てしまう。
中学生の時、彼氏とキスしたって話をクラスの子がしてたけど、その時も頬を紅潮させて自慢げに語るその子を、どこか冷めた気持ちで見てしまった。そんなことくらいで大人の階段を登上ったことになるのかと思ってしまうし、ましてや二人の関係がそれまでと変わったりするんだろうか。
「希織は、あるの? そういう経験」
そう聞くと、希織は目を見開いて、ぶんぶん手を振った。わかりやすくあわてている。
「あるわけないでしょ。そんなことあったらとっくに陽彩に報告してるし」
「……希織ってさ。嘘ついたり何かごまかしてる時は、目を逸らすんだよね。必ずそう。自分じゃ気づいてないかもしれないけど」
ちょっと強い声を出した。やがて希織は観念したようにふーっと息を吐き、それからちょっと赤くなって続ける。
「あるよ、一度だけ。バレンタインにデートして、その帰りに。あっというま間だったよ、顔が近づいてきて、一瞬だけちゅっと、唇と唇が触れて。それで、おやすみって。向こうもすごく、勇気がいったんだろうなあ。顔、真っ赤だった」
「ふーん……」
「ふーん、って何よ? 自分で問いただしたんだから、もっとなんかあるでしょ、リアクション」
相手はサッカー部の元彼のはずだけど、希織は卒業してまもなく、その彼と別れてる。つまり、そのキスは二人の関係を深めたり進めたり、そういうものにはならなかったということだ。希織は照れながら、すごく重要なことみたいに話したけれど、そんなにもったいぶるほどのことだとも思えない。
「ま、彼氏できたんだから、陽彩もそのうちわかるよ」
ぽん、と希織がわたしの肩をたた叩く。
「男の子を好きになるってどういうことなのか、好きな相手に好きだって言ってもらえることがどれだけ幸せか。青春時代のファーストキスは、一生の思い出になるよ」
「一生の思い出、ねえ。なんかすごく大袈裟に聞こえるなあ」
「あはは。大袈裟、かあ。陽彩はまだまだお子ちゃまだなあ」
「うるさいよ!」
希織の脇腹を軽く小突くと、希織はまったく悪びれた様子なく、ごめんごめんと笑った。



