ずっと見ていても、窓の外の景色が変わるわけじゃない。小粒の雨が地上を濡らし、診察やお見舞いにやってくる人と、病院から出てい行く人が見えるだけ。空は地上ぎりぎりのところまで、重たい雨雲が垂れこめ込めている。
「陽彩ちゃん」
声をかけられ、振り向くと甘(あま)池(いけ)樹(じゅ)里(り)樹里(じゅり) ちゃんがいた。ピンクのドット柄のパジャマに、頭にはオレンジのニット帽。リスとかうさぎとか、小動物を思わせる小柄で可愛かわいい子だ。
「樹里ちゃん、今日は具合いいの?」
「うん、大丈夫! ずっと病室でマンガ漫画読んでるのも、飽きちゃうからねー。ねえ、なんか飲まない? おごるよ?」
「年下におごってもらうっていうのは、ちょっと」
「年下っていったって、ひとつ違いじゃん。ほらほら、人の厚意には素直に甘えないと!」
樹里ちゃんに押し切られ、ラウンジの自動販売機でジュースを買ってもらった。わたしはオレンジ、樹里ちゃんはグレープ。樹里ちゃんは病人とは思えないほど、おいしそうにグレープジュースを飲んでいる。
入院して三週間 、約一ヵ月、同じ階に入院している樹里ちゃんと仲良くなった。他の入院患者は年配の人が多いから、若い女の子というだけでお互いに親近感がわく。
樹里ちゃんの病気は白血病。つらい 長い抗がん剤治療で抜けてしまった髪の毛を隠すため、いつもニット帽をかぶっている。でも樹里ちゃんは重い病気とは思えないほど明るい女の子で、こうして話す時はいつも笑顔だ。
「お昼のミネストローネ、まずくなかった? あんなの、ミネストローネとは言わないよ」
わたしと同じ感想を持っていたことがうれしくて、つい口元がゆるむ。
「わたしも同感」
「病院食って、もっとおいしく作れないのかね? あたしたち、食べることだけが楽しみなんだからさー」
「ほんとそう」
入院してると三度の食事くらいしか楽しみがない。その楽しみすら致命的においしくないんだから、樹里ちゃんもわたしも不満でたまらない。
「この前ね、中学で修学旅行があったんだ。あたしはもちろん行けなかったけど。これ、友だちが送ってきた写真」
樹里ちゃんがスマホで写真を見せてくれる。セーラー服姿の女の子が数人、金(きん)閣(かく)寺(じ)や清(きよ)の舞(ぶ)台(たい) で写っている写真。みんなまぶしいほどの笑顔をカメラに向けている。
「向こうは旅行気分おすそわけしてくれたつもり なんだろうけどさー、正直、微妙な気分になるよねえ。あたしだって修学旅行、行きたかったっつーの!」
「元気になったら、旅行ぐらい行けるよ」
樹里ちゃんはわたしと違って気にかけてくれる友だちがたくさんいる。それに、余命宣告されているわけじゃない。今は病気が重くても、治療がうまくいけば元通りの生活を送れるとお医者さんから言われているらしい。
そう思ったら心の隅にぽつんと墨を落としたような黒い染みができて、瞬く間に渦を巻きながら黒が広がっていった。
「そうだよね。旅行、行けるよね? 正直、京(きょう)都(と)はあんまり興味なかったりする。沖(おき)縄(なわ)とかいいなあ。海、きれいなんだろうなあ」
「わたし、沖縄は行ったことないけれど、ハワイならあるよ。お父さんの仕事についていっただけだから、あんまり観光できなかったけど」
「いいなー、うらやましい! あたしも絶対病気治して、ハワイ行こう! ハワイだけじゃなくてフランスとかドイツとか、世界じゅう行ってみたい!」
小学校の頃からわたしは、周りにうまく馴染めなかった。病気で激しい運動が禁じられているからできない遊びはたくさんあったし、お父さんは有名な天才科学者。「陽彩ちゃんってお金持ちのお嬢さまなんだね」と嫌味っぽく言ってくる子もいて、自然とみんなから距離を置いてしまうようになった。
でも樹里ちゃんは、そのままのわたしをすんなり受け入れてくれた。色眼鏡でわたしを見なかった。それは感謝すべきこと、なのに。
未来が閉ざされてしまったわたしより、未来がある樹里ちゃんのほうが幸せなんじゃないか。 自分が人生で今最低に不幸な時だから、人と比べてしまう。
樹里ちゃんに治る可能性があるのは喜ばしいことなのに、ちゃんと喜べない自分がいる。
「わたし、病室、戻るね」
オレンジジュースを飲み終わった後、笑顔を作って言った。
「あ、ごめん。あたししゃべりすぎ過ぎ? 疲れちゃった?」
「そうじゃなくて。お父さんが図書館から借りて来てくれた本があるの。もうすぐ返さなきゃだから、それまでに読んでおきたくて」
「なーる。また話そうね、陽彩ちゃん」
無邪気な樹里ちゃんの笑顔が痛い。そんな樹里ちゃんを素直に応援してあげられない自分が痛い。
余命宣告されてから、わたしはすごく性格が悪くなった。いや、もともとこんな性格だったのかもしれない。だからこそ、バチが当たったんだろうか。
樹里ちゃんに言ったことはまるきりの嘘ではなく、ベッド脇のテーブルにはお父さんが図書館から借りて来てくれた本が積み重なっている。でも今は、続きを読む気になれない。
ふて寝するみたいにベッドに潜り込み、目を閉じた。
「陽彩ちゃん」
声をかけられ、振り向くと甘(あま)池(いけ)樹(じゅ)里(り)樹里(じゅり) ちゃんがいた。ピンクのドット柄のパジャマに、頭にはオレンジのニット帽。リスとかうさぎとか、小動物を思わせる小柄で可愛かわいい子だ。
「樹里ちゃん、今日は具合いいの?」
「うん、大丈夫! ずっと病室でマンガ漫画読んでるのも、飽きちゃうからねー。ねえ、なんか飲まない? おごるよ?」
「年下におごってもらうっていうのは、ちょっと」
「年下っていったって、ひとつ違いじゃん。ほらほら、人の厚意には素直に甘えないと!」
樹里ちゃんに押し切られ、ラウンジの自動販売機でジュースを買ってもらった。わたしはオレンジ、樹里ちゃんはグレープ。樹里ちゃんは病人とは思えないほど、おいしそうにグレープジュースを飲んでいる。
入院して三週間 、約一ヵ月、同じ階に入院している樹里ちゃんと仲良くなった。他の入院患者は年配の人が多いから、若い女の子というだけでお互いに親近感がわく。
樹里ちゃんの病気は白血病。つらい 長い抗がん剤治療で抜けてしまった髪の毛を隠すため、いつもニット帽をかぶっている。でも樹里ちゃんは重い病気とは思えないほど明るい女の子で、こうして話す時はいつも笑顔だ。
「お昼のミネストローネ、まずくなかった? あんなの、ミネストローネとは言わないよ」
わたしと同じ感想を持っていたことがうれしくて、つい口元がゆるむ。
「わたしも同感」
「病院食って、もっとおいしく作れないのかね? あたしたち、食べることだけが楽しみなんだからさー」
「ほんとそう」
入院してると三度の食事くらいしか楽しみがない。その楽しみすら致命的においしくないんだから、樹里ちゃんもわたしも不満でたまらない。
「この前ね、中学で修学旅行があったんだ。あたしはもちろん行けなかったけど。これ、友だちが送ってきた写真」
樹里ちゃんがスマホで写真を見せてくれる。セーラー服姿の女の子が数人、金(きん)閣(かく)寺(じ)や清(きよ)の舞(ぶ)台(たい) で写っている写真。みんなまぶしいほどの笑顔をカメラに向けている。
「向こうは旅行気分おすそわけしてくれたつもり なんだろうけどさー、正直、微妙な気分になるよねえ。あたしだって修学旅行、行きたかったっつーの!」
「元気になったら、旅行ぐらい行けるよ」
樹里ちゃんはわたしと違って気にかけてくれる友だちがたくさんいる。それに、余命宣告されているわけじゃない。今は病気が重くても、治療がうまくいけば元通りの生活を送れるとお医者さんから言われているらしい。
そう思ったら心の隅にぽつんと墨を落としたような黒い染みができて、瞬く間に渦を巻きながら黒が広がっていった。
「そうだよね。旅行、行けるよね? 正直、京(きょう)都(と)はあんまり興味なかったりする。沖(おき)縄(なわ)とかいいなあ。海、きれいなんだろうなあ」
「わたし、沖縄は行ったことないけれど、ハワイならあるよ。お父さんの仕事についていっただけだから、あんまり観光できなかったけど」
「いいなー、うらやましい! あたしも絶対病気治して、ハワイ行こう! ハワイだけじゃなくてフランスとかドイツとか、世界じゅう行ってみたい!」
小学校の頃からわたしは、周りにうまく馴染めなかった。病気で激しい運動が禁じられているからできない遊びはたくさんあったし、お父さんは有名な天才科学者。「陽彩ちゃんってお金持ちのお嬢さまなんだね」と嫌味っぽく言ってくる子もいて、自然とみんなから距離を置いてしまうようになった。
でも樹里ちゃんは、そのままのわたしをすんなり受け入れてくれた。色眼鏡でわたしを見なかった。それは感謝すべきこと、なのに。
未来が閉ざされてしまったわたしより、未来がある樹里ちゃんのほうが幸せなんじゃないか。 自分が人生で今最低に不幸な時だから、人と比べてしまう。
樹里ちゃんに治る可能性があるのは喜ばしいことなのに、ちゃんと喜べない自分がいる。
「わたし、病室、戻るね」
オレンジジュースを飲み終わった後、笑顔を作って言った。
「あ、ごめん。あたししゃべりすぎ過ぎ? 疲れちゃった?」
「そうじゃなくて。お父さんが図書館から借りて来てくれた本があるの。もうすぐ返さなきゃだから、それまでに読んでおきたくて」
「なーる。また話そうね、陽彩ちゃん」
無邪気な樹里ちゃんの笑顔が痛い。そんな樹里ちゃんを素直に応援してあげられない自分が痛い。
余命宣告されてから、わたしはすごく性格が悪くなった。いや、もともとこんな性格だったのかもしれない。だからこそ、バチが当たったんだろうか。
樹里ちゃんに言ったことはまるきりの嘘ではなく、ベッド脇のテーブルにはお父さんが図書館から借りて来てくれた本が積み重なっている。でも今は、続きを読む気になれない。
ふて寝するみたいにベッドに潜り込み、目を閉じた。



