山(やま)手(て)町(ちょう)にある『港の見える丘公園 』は、横浜の定番デートスポットらしい。楓馬がタブレットで調べてくれた情報だけど。

 その格好だとコスプレイヤーか何かみたいで目立つし一緒に歩くのは恥ずかしい、と言うと楓馬はしょげながら「一応一張羅(いっちょうら) なのに……」と文句を言いつつも、トイレで着替えてきた。眼帯をした猫がプリントされたTシャツとブラックジーンズの組み合わせは、未来人の楓馬を今どきのおしゃれ男子に見せてくれて、細身のブラックジーンズにきゅっと収まった長い脚がモデルみたいにきれい。


「楓馬、そういう服着るとほんと格好いいよ! いつもそういう服着てればいいのに」
「あのスーツはね、自動洗濯機能つきなんだよ。においも汚れも自動で洗い去ってくれる」
「へー、未来の科学技術ってすごいんだね。でも、利便性は大事だけど、おしゃれも重要だよ」

 そんな話をしながら、わたしたちは展望台を目指す。

 夜に浮かび上がるようにマンションが建っていて、無数の窓から白やオレンジの明かりが漏れている。その向こうに横たわっているのは、横浜のシンボルであるベイブリッジ。巨大な光の帯みたいな橋を、Hの形になった鉄筋コンクリートが支えている。マリンタワーも見えた。高さはあまりなさそうだけど、頂上のまあるい展望台がほわっと青白く輝いていて、どこか幻想的な雰囲気だった。


「ここにいる人たちみんな、恋人同士なのかな」
 気づくと周りはみんな、男女二人の組み合わせだ。そういう不文律(ふぶんりつ) でもあるみたいに、各ベンチに一組が座り、肩を寄せ合っている。


「そうなんじゃない? ふたり二人きりで夜景を見に来るってことは」
 軽い調子で答える楓馬。じゃあ二人きりでやってきたわたしたちも、カップルなのか。楓馬の告白に答えを出すなら、今だと思った。

 それにわたしは、まだ約束を果たしていない。


「ねえ、楓馬」
「なあに?」
 楓馬の目がわたしを見る。ビー玉みたいに澄んだ、邪気のないきれいな瞳。言葉や態度は大人っぽくても、目のまっすぐさは同い年の男の子だ。


「約束のことだけど」
「約束?」
 心底不思議そうに言うので、少々面食らった。まるで、すっかり忘れていたみたいな言い方だった。


「ほら、お願い聞いてくれたら、楓馬の言うこと、なんでもひとつ聞くってやつ」
「ああ……そんなことも言ってたね」
 楓馬が思い出したように言った。まさか、本当に忘れてたんだろうか。


「どうする? わたしに、何をしてほしい? 何か買ってほしいとかなら、ある程度応えられるよ。自慢じゃないけど、お小遣いはけっこうもらってるほうだと思うし、ちゃんと貯金もしてる。といっても、楓馬から見たら二十一世紀の日本にあるものなんて、みんな骨董品(こっとうひん) かもしれないけど」
「いいよ、別に」
「いいよ、って……」


 楓馬がふわり、とわたしの頭に手を置いて、いつのまにか緊張してかたくなっていた心がするするほぐれていった。


「僕のお願いならもう陽彩ちゃん、聞いてくれたじゃない」
「楓馬のお願い?」
「この時代の横浜で、デートしたいって目的」
 いたずらが成功した子どもみたいに笑う楓馬に、拍子抜けしてしまった。


「そんなことでいいの?」
「そんなこと、って。僕には大事なことだよ」
 頭に置いた手をそっと動かし、優しく髪を撫でながら楓馬は続ける。


「陽彩ちゃんとちょっとでも長く一緒にいること。陽彩ちゃんとたくさん思い出を作ること。僕にとっては、何よりも大事なことなんだ」


 楓馬の言葉が弱った心臓に染みわたって、身体の中心がぽかぽかとする。頭を撫でられながら何かをたしかめるみたいに楓馬を見上げる。楓馬の優しい笑顔を見ていたら、自然と言葉が出てきた。


「あのね、楓馬」
「うん」
 すっと小さく息を吸って、続ける。


「わたし、正直まだ楓馬のこと好きなのかどうかわからない。もう十六だけど初恋だってまだだし、ひとを好きになったことも付き合ったこともないし。男の子を好きになる、ってどういう感情かよくわからない。でも、はっきりしていることがあって。わたしは、楓馬と一緒にいたいの。これからも毎日、こんなふうに会って、いろんなところに行ったりおいしいものを食べたりきれいなものを見たり、そういうことをしたいの、楓馬と」


 楓馬の存在はわたしのなかで中で、いつのまにかとても大きくなっていた。恋愛感情があるかどうか以前に、わたしは楓馬が人として大事なんだ。

 もし楓馬が未来人じゃなかったとしても、そう思っていただろう。


「楓馬といるとね、一緒にいて楽しいのはもちろん、それ以上にほっとするの。わたしがわたしらしくいられるの。そんなふうに思える人、今まではお父さんと希織ぐらいしかいなかったから。楓馬はいつのまにか、わたしの心の中にいたの……だから」


 ぎゅっ、と決意をにぎり握りしめるように、両手をにぎった握った。楓馬がいつくしむような目でわたしを見ている。


「だからわたしと、付き合ってください。これからもわたしと、一緒にいてください」


 そう言った瞬間、世界じゅうが静まりかえ返って、すべてのものが息を止めたようになり、楓馬しか見えなくなった。
 握りしめたままだった両手を、楓馬の手がそっと包み込む。


「こちらこそ……喜んで」


 楓馬の頬がちょっとだけ赤くなっていた。楓馬からわたしへ、照れ笑いが伝染していく。
 こうして、横浜の港の見える丘で、わたしたちの恋がはじまった。