わたしは知らなかったけれど、ああいうちゃんとしたレストランで食器を落とした時、拾うのはお客さんじゃなく、ウェイターさん の仕事らしい。
「お客様、フォークを落とされたようですので、新しいものに交換いたしますね」
ウェイターさんがおじいちゃんたちに声をかけ、落としたフォークが回収された後、料理が運ばれてくる。わたしは「差し出がましいことを言ってしまってすみません。あとはみなさんだけでお話してください、わたしはただの従妹なので」と謝って、楓馬に向き直った。楓馬はにこっと笑って、テーブルの端っこでわたしだけにしか見えないようにVサインを送ってくれた。
隣のテーブルの雰囲気が、さっきまでとはあきらかに変わった。おじいちゃんは食事をしながら、お父さんに積極的に話題を振り、お父さんは相変わらず緊張した声で、それにちゃんと答えていた。会話がはずみ、時折笑い声まで起こる。
「えーと、名前はなんと言ったかな。陽一くんの従妹の君、ちょっとこっちに来なさい」
お酒が入っているらしく、酔っ払ったおじいちゃんが隣のテーブルのわたしを手招きする。派手な嘘をでっちあげてしまった以上断ることもできず、四人の輪に入る格好になってしまった。
「陽一くんには、これまで彼女はいたのかね? 従妹の君から見て、女の影はなかったかい?」
「ええと、それは……わたしの知る限りでは、なかったと思います。陽一さんは本当に真面目な人なので」
この場合、この答えでたぶん合ってる……よね? おそるおそるお父さんのほうを見ると、お父さんもお酒を飲んだのだろう、赤らんだ顔で瞳を潤ませている。
「僕にとっては、彩奈さんが正真正銘、はじめての恋人です」
「はじめての恋人って、あなた、二十七でしょ? 今どきの人にしては、ちょっとオクテなのねえ」
おばあちゃんがにやにやしながら言った。いたずらっぽい口調に、おばあちゃんもお父さんに心を許しはじめている気がした。
「僕は十代の頃は勉強ひと筋、大人になってからは研究ひと筋で生きてきて、今まで女性との出会いがありませんでした。心惹かれる人が現れたとしても、遠くから見ているだけで。でも彩奈さんの存在は、僕に勇気をくれた。見ているだけじゃなくてこの人のことをもっと知りたい、もっと話したい。そんな気持ちが、臆病さに勝って、勇気が出たんです。僕は彩奈さんを愛しています。生涯をかけて、彩奈さんを幸せにすると誓います」
「陽一さん、酔っ払いすぎ過ぎよ」
お母さんが照れているのか頬をピンクに染めて言って、お父さんに水を差しだす。おじいちゃんとおばあちゃんは、そんな二人をどこかまぶしそうに見ていた。
「陽一くんがちゃんとした青年だということはわかったが、結婚を許したわけではない。それとこれとは別だ」
食事会がなんとか無事に終わり、みんなでエレベーターを降りた後、ホテルのロビーでおじいちゃんが改まってお父さんに向き直って言った。お父さんはぴしりと背筋を伸ばす。
「簡単に許していただけるとは思っていません。何度でもお願いさせていただきます」
「頼もしい言葉だな」
おじいちゃんがふっと頬の力を緩めるのがわかった。
「また近々、君とじっくり話をする席をもうけたいと思う。それと従妹の君も、もし嫌でなければ同席してもらえるとうれしい。第三者の意見も参考までに聞きたいからね」
「え!? あ、は、はい!」
まさかこんなことを言われるとは思わなくて、裏返った声がやたらと大きくなってしまった。
「今日はありがとうね。あなたのおかげで、陽一さんの印象、だいぶよくなったみたい」
タクシーで帰るおじいちゃんとおばあちゃんを見送った後、お母さんに言われた。隣でお父さんもほっとした顔をしている。
「まさか偶然会っただけの子が陽一さんの従妹で、しかも隣のテーブルの席に座ってたなんてね。もしかしてだけど、嘘?」
「はい……嘘です、すみません……」
相手を陥れるためではなく、ひとの幸せのためについた嘘であっても、嘘は嘘だ。今さらながら罪悪感が込み上げて小さくなっていると、お母さんがにこっと笑った。
「謝らないで。うれしかったのよ、わたしと陽一さんのことを応援してくれる人がいて。それに、ちょっと感動すらしちゃった。見ず知らずの人をこんなに必死に助けられる、そんな人がいるんだもの」
そこでお母さんが何かに気づいたように、目をぱちくりさせた。
「陽一さんと従妹だっていうのは嘘、なのよね?」
「はい……嘘ですけど……」
「そう、でも不思議ね。あなたの輪郭とか口元とか、よく見ると陽一さんにちょっと似てる気がする。ひょっとしたら、すごく遠いけど、本当に血が繋つながってるのかしら」
似ているのは当たり前だ、すごく遠いどころか、まぎれもなく親子なんだもの。
楓馬がわずかに眉をびくつかせた。ここで娘だってことがばれたら、絶対にまずい。大袈裟に笑ってごまかした。
「まさか、そんなわけないじゃないですかー! きっと他人の空似(そらに) ですよ!」
「あはは、そうでしょうね。でもちょっと、あなたのご両親に会ってみたいな」
「両親に? どうして……」
「損得勘定考えず、他人に親切にできるって素敵なことだもの。だからあなたのご両親 も、きっと素敵な人のはずよね」
目を細めて言うお母さんの姿に、胸のあたりにじゅわっとあたたかなものが広がる。
わたしは、お母さんのことを知らなかった。わたしを産んでくれた人だというのは間違いないけれど、会って話したのは今日がはじめて。写真でしか知らない、既にこの世にいないお母さんは、他人以上に遠い人だった。
でも実際会ってみたら、お母さんはお父さんが語るとおり、非の打ちどころのない女性だった。
この人のお腹から生まれたから、そしてお母さんが選んだお父さんが、わたしを育ててくれたから。わたしの両親は本当に「素敵な人」だと、今は胸を張って言える。
「お客様、フォークを落とされたようですので、新しいものに交換いたしますね」
ウェイターさんがおじいちゃんたちに声をかけ、落としたフォークが回収された後、料理が運ばれてくる。わたしは「差し出がましいことを言ってしまってすみません。あとはみなさんだけでお話してください、わたしはただの従妹なので」と謝って、楓馬に向き直った。楓馬はにこっと笑って、テーブルの端っこでわたしだけにしか見えないようにVサインを送ってくれた。
隣のテーブルの雰囲気が、さっきまでとはあきらかに変わった。おじいちゃんは食事をしながら、お父さんに積極的に話題を振り、お父さんは相変わらず緊張した声で、それにちゃんと答えていた。会話がはずみ、時折笑い声まで起こる。
「えーと、名前はなんと言ったかな。陽一くんの従妹の君、ちょっとこっちに来なさい」
お酒が入っているらしく、酔っ払ったおじいちゃんが隣のテーブルのわたしを手招きする。派手な嘘をでっちあげてしまった以上断ることもできず、四人の輪に入る格好になってしまった。
「陽一くんには、これまで彼女はいたのかね? 従妹の君から見て、女の影はなかったかい?」
「ええと、それは……わたしの知る限りでは、なかったと思います。陽一さんは本当に真面目な人なので」
この場合、この答えでたぶん合ってる……よね? おそるおそるお父さんのほうを見ると、お父さんもお酒を飲んだのだろう、赤らんだ顔で瞳を潤ませている。
「僕にとっては、彩奈さんが正真正銘、はじめての恋人です」
「はじめての恋人って、あなた、二十七でしょ? 今どきの人にしては、ちょっとオクテなのねえ」
おばあちゃんがにやにやしながら言った。いたずらっぽい口調に、おばあちゃんもお父さんに心を許しはじめている気がした。
「僕は十代の頃は勉強ひと筋、大人になってからは研究ひと筋で生きてきて、今まで女性との出会いがありませんでした。心惹かれる人が現れたとしても、遠くから見ているだけで。でも彩奈さんの存在は、僕に勇気をくれた。見ているだけじゃなくてこの人のことをもっと知りたい、もっと話したい。そんな気持ちが、臆病さに勝って、勇気が出たんです。僕は彩奈さんを愛しています。生涯をかけて、彩奈さんを幸せにすると誓います」
「陽一さん、酔っ払いすぎ過ぎよ」
お母さんが照れているのか頬をピンクに染めて言って、お父さんに水を差しだす。おじいちゃんとおばあちゃんは、そんな二人をどこかまぶしそうに見ていた。
「陽一くんがちゃんとした青年だということはわかったが、結婚を許したわけではない。それとこれとは別だ」
食事会がなんとか無事に終わり、みんなでエレベーターを降りた後、ホテルのロビーでおじいちゃんが改まってお父さんに向き直って言った。お父さんはぴしりと背筋を伸ばす。
「簡単に許していただけるとは思っていません。何度でもお願いさせていただきます」
「頼もしい言葉だな」
おじいちゃんがふっと頬の力を緩めるのがわかった。
「また近々、君とじっくり話をする席をもうけたいと思う。それと従妹の君も、もし嫌でなければ同席してもらえるとうれしい。第三者の意見も参考までに聞きたいからね」
「え!? あ、は、はい!」
まさかこんなことを言われるとは思わなくて、裏返った声がやたらと大きくなってしまった。
「今日はありがとうね。あなたのおかげで、陽一さんの印象、だいぶよくなったみたい」
タクシーで帰るおじいちゃんとおばあちゃんを見送った後、お母さんに言われた。隣でお父さんもほっとした顔をしている。
「まさか偶然会っただけの子が陽一さんの従妹で、しかも隣のテーブルの席に座ってたなんてね。もしかしてだけど、嘘?」
「はい……嘘です、すみません……」
相手を陥れるためではなく、ひとの幸せのためについた嘘であっても、嘘は嘘だ。今さらながら罪悪感が込み上げて小さくなっていると、お母さんがにこっと笑った。
「謝らないで。うれしかったのよ、わたしと陽一さんのことを応援してくれる人がいて。それに、ちょっと感動すらしちゃった。見ず知らずの人をこんなに必死に助けられる、そんな人がいるんだもの」
そこでお母さんが何かに気づいたように、目をぱちくりさせた。
「陽一さんと従妹だっていうのは嘘、なのよね?」
「はい……嘘ですけど……」
「そう、でも不思議ね。あなたの輪郭とか口元とか、よく見ると陽一さんにちょっと似てる気がする。ひょっとしたら、すごく遠いけど、本当に血が繋つながってるのかしら」
似ているのは当たり前だ、すごく遠いどころか、まぎれもなく親子なんだもの。
楓馬がわずかに眉をびくつかせた。ここで娘だってことがばれたら、絶対にまずい。大袈裟に笑ってごまかした。
「まさか、そんなわけないじゃないですかー! きっと他人の空似(そらに) ですよ!」
「あはは、そうでしょうね。でもちょっと、あなたのご両親に会ってみたいな」
「両親に? どうして……」
「損得勘定考えず、他人に親切にできるって素敵なことだもの。だからあなたのご両親 も、きっと素敵な人のはずよね」
目を細めて言うお母さんの姿に、胸のあたりにじゅわっとあたたかなものが広がる。
わたしは、お母さんのことを知らなかった。わたしを産んでくれた人だというのは間違いないけれど、会って話したのは今日がはじめて。写真でしか知らない、既にこの世にいないお母さんは、他人以上に遠い人だった。
でも実際会ってみたら、お母さんはお父さんが語るとおり、非の打ちどころのない女性だった。
この人のお腹から生まれたから、そしてお母さんが選んだお父さんが、わたしを育ててくれたから。わたしの両親は本当に「素敵な人」だと、今は胸を張って言える。



