「彩奈さんとお付き合いさせていただいております、南部陽一です」
カチンコチンにかたまった固まったお父さんがそう言って頭を下げる。テーブルの真向かいに座るおじいちゃんとおばあちゃんは、そろって渋い顔。二人の若い頃の姿をついまじまじと見てしまったけれど、すぐそんな場合じゃないと自分を叱る。やや間があった後、おじいちゃんが口を開いた。
「陽一くんと言ったね。彩奈から、同じ研究室に勤めていると聞いたけれど」
「はい、機械工学の分野を研究し、ロボットや人工知能の開発に携わっています」
「ずいぶん若いみたいだが、いくつなんだ」
「二十七です」
おじいちゃんの額の皺が深くなった。わたしの前ではいつもニコニコしていたやさしい優しいおじいちゃんだけど、今は表情が険しい。二十年分若くなったのもあって、怖く見える。
「あら、まだそんな歳なのね」
おばあちゃんも言う。その声にははっきりと棘があり、聞いているだけのわたしまで背筋をひやりと撫でられた感じがした。
「今は助手の身分です。しかしいずれは教授を目指すべく、日夜研究に勤しんでいます」
「陽一さんはね、すごいのよ。陽一さんが開発に携わったロボットが、もうすぐ発売されるの。工業用のロボットで、これが導入されると人件費が大幅に削減できるのよ。今から、海外にも輸出するって話も来ててね」
「彩奈は黙ってなさい」
ぴしゃりとおじいちゃんに遮られ、お母さんは不満そうな顔で口をつぐむ。おじいちゃんがお父さんにぎろり、と視線を向けた。
「彩奈の病気のことは知っているか」
「はい、なんとなくですが、本人から聞いています」
相変わらずカチンコチンのお父さんが額に脂汗を滲ませて言った。
お母さんもわたしと同じく、心臓の病気だったことはお父さんに聞かされていた。生まれつき心臓に異常があって、でも手術ができなくて、薬を飲んで発作を抑えている――わたしの病状とまったく同じだ。わたしを産んでまもなく死んでしまったのも、出産という大仕事に心臓が耐えられなかったんだろう。お父さんがはっきりそう言ったわけじゃないけれど、なんとなく察している。
「彩奈は生まれつき心臓に異常を抱えている。幸い、薬と通院で今までは普通の生活を送れていたが、これからはどうなるかわからない。普通の人より早く身体にガタが来るかもしれないし、それに結婚となると将来子どもができる可能性もあるだろう。その時、彩奈は命を失うリスクを負う」
「お父さん、何もそんな話しなくても」
「黙ってなさいと言ってるだろう」
さっきよりもおじいちゃんの口調は鋭かった。お母さんはほとんどおじいちゃんをにらみつけるような顔で黙り込む。
「私たちが反対しているのは、君が頼りなく見えるからという理由だけじゃない。大事な娘が本来よりも早く命を失うリスクを抱えようとしているんだ、当然のことだろう。見たところ君には、彩奈を支えられるほどの甲斐性はなさそうだしね」
「なんてこと言うのよ!」
お母さんがついに怒った声を出した。眉がつり吊り上がって、美人が怒ると本当に怖い。思わず隣のテーブルのわたしまで気(け)圧(お)されてしまったくらいだ。
「陽一さんは見た目はこのとおり、パッと見は頼りなさそうに見えるかもしれないけれど、素敵な人よ! とても研究熱心で自分の研究のことを話している時は目がきらきらしているし、それに、わたしの病気のことを知っても離れていかなかった。今まで付き合ってた人のなかには中には、そうじゃない人もいた。
病気の女なんて面倒臭くさいって、心臓のことを話した途端去られてしまったこともあった。でも陽一さんは違うの! 今だって、通院に付き添ってくれてるのよ。わたしとはこれからずっと一緒だから、わたしの身体のことはちゃんと知っておきたいって。こんな誠実で素敵な人、他にいないの! わたしはこの人に決めたの」
まくしたてるお母さんの言葉に、わたしは感動していた 。
こんな素敵な人は他にいない、この人に決めたって、自分の結婚を反対している両親に、まっすぐ反論できるなんて。
今のわたしと、十歳も違わない 。まだ若いお母さんのなかに中に、こんな熱さが秘められていたなんて。少なくともわたしがお母さんの立場だったら、こうやって食ってかかることなんてできなかっただろう。
「彩奈、お父さんの話も聞きなさい」
ぴんと背筋を伸ばしたおばあちゃんが口を開く。若い頃のおばあちゃんは、少しだけお母さんに似ていた。一歩も引かない、といった顔で続ける。
「お父さんはね、ただ意地悪な気持ちであなたたちの結婚に反対しているわけじゃないの。単に彩奈のことが心配なだけなのよ。あなたは覚えていないだろうけれど、赤ちゃんの頃は生死の縁 を淵を彷徨ったこともあったの。その時、わたしたちは生きた心地がしなかったわ。結婚して、もしこの先子どもができたら、また命のリスクを抱えることになるのよ? 親のわたしたちだって、すごく苦しかったの。彩奈は陽一さんにそんな思いをさせるの?」
「何よ、それじゃあわたしは一生ひとりで生きていけっていうの? むしろ、結婚して子どもを持つのなら、体力がある若いうちのほうが身体の負担は少ないんじゃない?」
「何も一生ひとりでいろと言っているわけじゃない。お前はまだ若いし、もう少し考えなさいと言っているだけだ。だいたい、結婚するならもっとましな男を連れてきたらどうだ? こんなぼさっとした男を連れてくることないだろう」
「お父さん失礼よ! ぼさっとした、なんて!」
「あ、あの……みなさん落ち着いて……」
お父さんがおどおどと声をかけるけれど、それがおじいちゃんの逆鱗に触れたらしい。おじいちゃんは勢いよく、グーでテーブルを殴りながら言った。
「君は黙ってなさい!!」
きーーー―――ん、 と響く鼓膜が破れそうになるほどの大声。店内にいた人たちがいっせいにこっちを振り向く。
同時に、殴ったはずみでテーブルの端にあったフォークが落ちて、わたしの足先へ転がってきた。
考える前に、身体が動いた。
「あの、これ、落としました」
フォークを拾って渡そうとすると、受け取ろうとしたお母さんと目が合った。お母さんはわたしを見てびっくりした顔になる。
「あら、あなた、さっきの……」
「すみません。お話聞いてしまったんですが」
視界の端で、楓馬がおろおろしながらこっちを見ているのがわかる。接触するな、歴史に干渉するな。そう言いたいんだろう。でも今はむしろ、歴史に干渉しないと駄目な気がする。だってこのまま婚約が決裂しちゃったら、わたしが生まれなくなっちゃうんだもの。
「お父様とお母様の言いたいこともよくわかるんですが……なんていうかその、寂しいだけじゃないんでしょうか」
言ってしまった途端、おじいちゃんとおばあちゃんが目をぱちくりさせる。当然だ、娘の結婚話に赤の他人、しかもこんな小娘が割り込んでくるんだから。でもこんな顔をされたくらいで引き下がるわけにはいかない。
今この瞬間、わたしがこの世に生を受けるかどうかの一大事がかかっている。
「さっきから聞いていると、甲斐性がないとか、もっとましな男を連れてこいとか……娘さんの身体のことを心配しているようで、本当はただ自分の手を離れてほしくないというか、他の誰かのものになってほしくないというか、そんな気持ちで難癖をつけているような印象だったので……たしかに娘さんはこんなにきれいに、立派に成長したんですから、結婚してしまったら寂しいのはわかります。
でも娘さんは、幸せになりたくて、陽一さんを選んだはずです。自分の幸せを他でないお父さんとお母さんに応援してほしくて、こうして紹介したと思うんです。娘さんだって、結婚して子どもができたら、命を失うリスクを負うことはわかっています。でもそれでも、陽一さんと一緒にいたいって言ってる娘さんの声にどうか耳を傾けてはくれませんか。少なくとも、この人に決めた、って。こんなにはっきり言える相手と出会えることって、そうそうないんじゃないでしょうか」
わたしは、恋を知らない。この人が好き、この人と幸せになりたい。そんな男の子と出会ったことなんてまだないから、こんなことぐらいしか言えない。
でもわたしは知っている。お父さんとお母さんがちゃんと愛し合った結果、わたしが生まれたこと。だからこそお父さんが、わたしをせいいっぱい愛してくれることを。
「娘さん、すごく素敵な女性じゃないですか。反対しているお父さんとお母さんに向き合って、それでもわたしはこの人が好きなの、ってまっすぐ言えるって。それって、すごいことだなって……親としていろいろ思うことはあると思うんですが、娘さんを信じてあげることはできませんか」
「なんなんだ君は! ひとの会話を盗み聞きしていた上、他人のくせに勝手に話に入ってくるなんて!」
おじいちゃんがだるまみたいに真っ赤な顔になって怒り出した。こんなおじいちゃん、はじ初めて見る。どうやらわたしの説得はまるで逆効果、逆鱗に触れてしまったらしい。
「あなた、ずいぶん若いわね。まだ高校生じゃない? ひとの会話に割り込んでくるなんて、親御さんはどういったしつけをしているのかしら」
おばあちゃんも今まで聞いたことのない冷たい声で言った。楓馬が頭を抱えている。
「子どもは黙ってなさい! これは大人の話なんだ、他人が口を挟むことじゃない」
「いいえ、挟まさせていただきます。わたしは他人じゃないので。わたしは」
ちらりとお父さんのほうを見ると、お父さんは眼鏡の向こうの目をおろおろさせていた。
こうなったら、口を挟む口実を作ってしまえ。嘘も方便だ。
「わたしは、南部陽一さんの従妹(いとこ) です」
四人がいっせいに目を見開いた。お父さんにいたって至っては、目玉が今にもこぼれんばかりだ。
「小さい時、陽一さんはよくわたしと遊んでくれました。眠れない夜には、絵本を読み聞かせてくれた」
若い頃のお父さんの顔に、よく見知ったお父さんの顔が重なる。小さい頃わたしはラプンツェルの絵本が好きで、寝る前はしつこく読み聞かせをせがんだ。わたしのリクエストに、お父さんは嫌な顔をしないで応えてくれた。何十回、何百回と繰り返されたお話を、今もすみずみまで覚えている。
「料理は決して上手くないのに、料理本とにらめっこして、おいしいご飯を作ってくれました。オムライスは味が濃すぎた過ぎたしハンバーグは生焼けだったけど、失敗してごめんね、って言いながら一緒に食べてくれて、それがうれしかった」
他の子どもたちがお母さんにおいしいご飯を作ってもらっているのを知って、自分にはお母さんがいないから無理だとあきらめるしかなかった。そんなわたしの気持ちを察して、お父さんはよく台所に立った。お父さんの料理には失敗がつきものだったけど、それでも愛情のこもった家庭の味がした。
「学校で嫌なことがあって泣いていると、陽彩はいい子だから大丈夫だよ、そのうちきっと陽彩のことをわかってくれる友だちができるよ、って励ましてくれた。わたしはつい人との間に壁を作る子になっちゃったけれど、おとうさ――陽一さんのおかげ陰で、人を信じられない子にはなりませんでした」
元気が出ない時、お父さんは「どうしたの?」と優しく訊いてくれた。何があったか話しながら泣いてしまうといつも頭をわしゃわしゃと撫でてくれて、「陽彩がいい子だってお父さんは知ってるよ」と言ってくれた。それがどれだけ、心強かったか。
「陽一さんは見た目こそぱっとしないし、実際、ひとを惹きつけられるカリスマ性みたいなものはあんまりないけれど、でもすごくいい人です。人の 心をあったかくくるんで、元気づける力を持っている人です。だから娘さんのことだって、ちゃんと支えてくれるはずです。娘さんを、娘さんが選んだ陽一さんを、信じてあげてください」
そう言って頭を下げた時、胸がじんと熱くなって、涙が出そうになった。
カチンコチンにかたまった固まったお父さんがそう言って頭を下げる。テーブルの真向かいに座るおじいちゃんとおばあちゃんは、そろって渋い顔。二人の若い頃の姿をついまじまじと見てしまったけれど、すぐそんな場合じゃないと自分を叱る。やや間があった後、おじいちゃんが口を開いた。
「陽一くんと言ったね。彩奈から、同じ研究室に勤めていると聞いたけれど」
「はい、機械工学の分野を研究し、ロボットや人工知能の開発に携わっています」
「ずいぶん若いみたいだが、いくつなんだ」
「二十七です」
おじいちゃんの額の皺が深くなった。わたしの前ではいつもニコニコしていたやさしい優しいおじいちゃんだけど、今は表情が険しい。二十年分若くなったのもあって、怖く見える。
「あら、まだそんな歳なのね」
おばあちゃんも言う。その声にははっきりと棘があり、聞いているだけのわたしまで背筋をひやりと撫でられた感じがした。
「今は助手の身分です。しかしいずれは教授を目指すべく、日夜研究に勤しんでいます」
「陽一さんはね、すごいのよ。陽一さんが開発に携わったロボットが、もうすぐ発売されるの。工業用のロボットで、これが導入されると人件費が大幅に削減できるのよ。今から、海外にも輸出するって話も来ててね」
「彩奈は黙ってなさい」
ぴしゃりとおじいちゃんに遮られ、お母さんは不満そうな顔で口をつぐむ。おじいちゃんがお父さんにぎろり、と視線を向けた。
「彩奈の病気のことは知っているか」
「はい、なんとなくですが、本人から聞いています」
相変わらずカチンコチンのお父さんが額に脂汗を滲ませて言った。
お母さんもわたしと同じく、心臓の病気だったことはお父さんに聞かされていた。生まれつき心臓に異常があって、でも手術ができなくて、薬を飲んで発作を抑えている――わたしの病状とまったく同じだ。わたしを産んでまもなく死んでしまったのも、出産という大仕事に心臓が耐えられなかったんだろう。お父さんがはっきりそう言ったわけじゃないけれど、なんとなく察している。
「彩奈は生まれつき心臓に異常を抱えている。幸い、薬と通院で今までは普通の生活を送れていたが、これからはどうなるかわからない。普通の人より早く身体にガタが来るかもしれないし、それに結婚となると将来子どもができる可能性もあるだろう。その時、彩奈は命を失うリスクを負う」
「お父さん、何もそんな話しなくても」
「黙ってなさいと言ってるだろう」
さっきよりもおじいちゃんの口調は鋭かった。お母さんはほとんどおじいちゃんをにらみつけるような顔で黙り込む。
「私たちが反対しているのは、君が頼りなく見えるからという理由だけじゃない。大事な娘が本来よりも早く命を失うリスクを抱えようとしているんだ、当然のことだろう。見たところ君には、彩奈を支えられるほどの甲斐性はなさそうだしね」
「なんてこと言うのよ!」
お母さんがついに怒った声を出した。眉がつり吊り上がって、美人が怒ると本当に怖い。思わず隣のテーブルのわたしまで気(け)圧(お)されてしまったくらいだ。
「陽一さんは見た目はこのとおり、パッと見は頼りなさそうに見えるかもしれないけれど、素敵な人よ! とても研究熱心で自分の研究のことを話している時は目がきらきらしているし、それに、わたしの病気のことを知っても離れていかなかった。今まで付き合ってた人のなかには中には、そうじゃない人もいた。
病気の女なんて面倒臭くさいって、心臓のことを話した途端去られてしまったこともあった。でも陽一さんは違うの! 今だって、通院に付き添ってくれてるのよ。わたしとはこれからずっと一緒だから、わたしの身体のことはちゃんと知っておきたいって。こんな誠実で素敵な人、他にいないの! わたしはこの人に決めたの」
まくしたてるお母さんの言葉に、わたしは感動していた 。
こんな素敵な人は他にいない、この人に決めたって、自分の結婚を反対している両親に、まっすぐ反論できるなんて。
今のわたしと、十歳も違わない 。まだ若いお母さんのなかに中に、こんな熱さが秘められていたなんて。少なくともわたしがお母さんの立場だったら、こうやって食ってかかることなんてできなかっただろう。
「彩奈、お父さんの話も聞きなさい」
ぴんと背筋を伸ばしたおばあちゃんが口を開く。若い頃のおばあちゃんは、少しだけお母さんに似ていた。一歩も引かない、といった顔で続ける。
「お父さんはね、ただ意地悪な気持ちであなたたちの結婚に反対しているわけじゃないの。単に彩奈のことが心配なだけなのよ。あなたは覚えていないだろうけれど、赤ちゃんの頃は生死の縁 を淵を彷徨ったこともあったの。その時、わたしたちは生きた心地がしなかったわ。結婚して、もしこの先子どもができたら、また命のリスクを抱えることになるのよ? 親のわたしたちだって、すごく苦しかったの。彩奈は陽一さんにそんな思いをさせるの?」
「何よ、それじゃあわたしは一生ひとりで生きていけっていうの? むしろ、結婚して子どもを持つのなら、体力がある若いうちのほうが身体の負担は少ないんじゃない?」
「何も一生ひとりでいろと言っているわけじゃない。お前はまだ若いし、もう少し考えなさいと言っているだけだ。だいたい、結婚するならもっとましな男を連れてきたらどうだ? こんなぼさっとした男を連れてくることないだろう」
「お父さん失礼よ! ぼさっとした、なんて!」
「あ、あの……みなさん落ち着いて……」
お父さんがおどおどと声をかけるけれど、それがおじいちゃんの逆鱗に触れたらしい。おじいちゃんは勢いよく、グーでテーブルを殴りながら言った。
「君は黙ってなさい!!」
きーーー―――ん、 と響く鼓膜が破れそうになるほどの大声。店内にいた人たちがいっせいにこっちを振り向く。
同時に、殴ったはずみでテーブルの端にあったフォークが落ちて、わたしの足先へ転がってきた。
考える前に、身体が動いた。
「あの、これ、落としました」
フォークを拾って渡そうとすると、受け取ろうとしたお母さんと目が合った。お母さんはわたしを見てびっくりした顔になる。
「あら、あなた、さっきの……」
「すみません。お話聞いてしまったんですが」
視界の端で、楓馬がおろおろしながらこっちを見ているのがわかる。接触するな、歴史に干渉するな。そう言いたいんだろう。でも今はむしろ、歴史に干渉しないと駄目な気がする。だってこのまま婚約が決裂しちゃったら、わたしが生まれなくなっちゃうんだもの。
「お父様とお母様の言いたいこともよくわかるんですが……なんていうかその、寂しいだけじゃないんでしょうか」
言ってしまった途端、おじいちゃんとおばあちゃんが目をぱちくりさせる。当然だ、娘の結婚話に赤の他人、しかもこんな小娘が割り込んでくるんだから。でもこんな顔をされたくらいで引き下がるわけにはいかない。
今この瞬間、わたしがこの世に生を受けるかどうかの一大事がかかっている。
「さっきから聞いていると、甲斐性がないとか、もっとましな男を連れてこいとか……娘さんの身体のことを心配しているようで、本当はただ自分の手を離れてほしくないというか、他の誰かのものになってほしくないというか、そんな気持ちで難癖をつけているような印象だったので……たしかに娘さんはこんなにきれいに、立派に成長したんですから、結婚してしまったら寂しいのはわかります。
でも娘さんは、幸せになりたくて、陽一さんを選んだはずです。自分の幸せを他でないお父さんとお母さんに応援してほしくて、こうして紹介したと思うんです。娘さんだって、結婚して子どもができたら、命を失うリスクを負うことはわかっています。でもそれでも、陽一さんと一緒にいたいって言ってる娘さんの声にどうか耳を傾けてはくれませんか。少なくとも、この人に決めた、って。こんなにはっきり言える相手と出会えることって、そうそうないんじゃないでしょうか」
わたしは、恋を知らない。この人が好き、この人と幸せになりたい。そんな男の子と出会ったことなんてまだないから、こんなことぐらいしか言えない。
でもわたしは知っている。お父さんとお母さんがちゃんと愛し合った結果、わたしが生まれたこと。だからこそお父さんが、わたしをせいいっぱい愛してくれることを。
「娘さん、すごく素敵な女性じゃないですか。反対しているお父さんとお母さんに向き合って、それでもわたしはこの人が好きなの、ってまっすぐ言えるって。それって、すごいことだなって……親としていろいろ思うことはあると思うんですが、娘さんを信じてあげることはできませんか」
「なんなんだ君は! ひとの会話を盗み聞きしていた上、他人のくせに勝手に話に入ってくるなんて!」
おじいちゃんがだるまみたいに真っ赤な顔になって怒り出した。こんなおじいちゃん、はじ初めて見る。どうやらわたしの説得はまるで逆効果、逆鱗に触れてしまったらしい。
「あなた、ずいぶん若いわね。まだ高校生じゃない? ひとの会話に割り込んでくるなんて、親御さんはどういったしつけをしているのかしら」
おばあちゃんも今まで聞いたことのない冷たい声で言った。楓馬が頭を抱えている。
「子どもは黙ってなさい! これは大人の話なんだ、他人が口を挟むことじゃない」
「いいえ、挟まさせていただきます。わたしは他人じゃないので。わたしは」
ちらりとお父さんのほうを見ると、お父さんは眼鏡の向こうの目をおろおろさせていた。
こうなったら、口を挟む口実を作ってしまえ。嘘も方便だ。
「わたしは、南部陽一さんの従妹(いとこ) です」
四人がいっせいに目を見開いた。お父さんにいたって至っては、目玉が今にもこぼれんばかりだ。
「小さい時、陽一さんはよくわたしと遊んでくれました。眠れない夜には、絵本を読み聞かせてくれた」
若い頃のお父さんの顔に、よく見知ったお父さんの顔が重なる。小さい頃わたしはラプンツェルの絵本が好きで、寝る前はしつこく読み聞かせをせがんだ。わたしのリクエストに、お父さんは嫌な顔をしないで応えてくれた。何十回、何百回と繰り返されたお話を、今もすみずみまで覚えている。
「料理は決して上手くないのに、料理本とにらめっこして、おいしいご飯を作ってくれました。オムライスは味が濃すぎた過ぎたしハンバーグは生焼けだったけど、失敗してごめんね、って言いながら一緒に食べてくれて、それがうれしかった」
他の子どもたちがお母さんにおいしいご飯を作ってもらっているのを知って、自分にはお母さんがいないから無理だとあきらめるしかなかった。そんなわたしの気持ちを察して、お父さんはよく台所に立った。お父さんの料理には失敗がつきものだったけど、それでも愛情のこもった家庭の味がした。
「学校で嫌なことがあって泣いていると、陽彩はいい子だから大丈夫だよ、そのうちきっと陽彩のことをわかってくれる友だちができるよ、って励ましてくれた。わたしはつい人との間に壁を作る子になっちゃったけれど、おとうさ――陽一さんのおかげ陰で、人を信じられない子にはなりませんでした」
元気が出ない時、お父さんは「どうしたの?」と優しく訊いてくれた。何があったか話しながら泣いてしまうといつも頭をわしゃわしゃと撫でてくれて、「陽彩がいい子だってお父さんは知ってるよ」と言ってくれた。それがどれだけ、心強かったか。
「陽一さんは見た目こそぱっとしないし、実際、ひとを惹きつけられるカリスマ性みたいなものはあんまりないけれど、でもすごくいい人です。人の 心をあったかくくるんで、元気づける力を持っている人です。だから娘さんのことだって、ちゃんと支えてくれるはずです。娘さんを、娘さんが選んだ陽一さんを、信じてあげてください」
そう言って頭を下げた時、胸がじんと熱くなって、涙が出そうになった。



