光のトンネルをデロリヤンが疾走していたのは、時間にしてほんの十数秒だったと思う。
気がつけばデロリヤンは失速していて、瞼の裏まで感じられる激しい白い光もなくなっていた。遠くから車が走るぶうんという音や、鳥のさえずりが聞こえてくる。
おそるおそる目を開けて、わたしは息を呑んだ。
「ここ……駐車場?」
周りにびっしりと車が停まっている。スペースが一台分ずつ白線で区切ってあって、どう見ても駐車場だ。車の列の向こうに、白い建物がいくつか連なっている。
「ここは横浜の大学の研究室だよ」
楓馬がにこやかに言った。
「時間はちょうど、午後の六時だね。七月だからまだ明るいけれど……この近くに、陽彩ちゃんのお父さんとお母さんがいるかもしれない。今の時間ならちょうど、仕事が終わって出てくる頃じゃないかな」
「ありがとう、楓馬! ちょっと探してくる」
「おいおい、待ってよ陽彩ちゃん!」
近くに若い頃のお父さんとお母さんがいると思うと、じっとしていられない。飛び出すように外へ出たわたしに楓馬がついてくる。梅雨が明け、やってきたばかりの夏の暑さがじわっと腕にまとわりつく。
「パオには留守番してもらうことにした」
「そのほうがいいね、余計なことばっかり言うし」
「あれでいいところもあるんだよ、彼は」
そんなことを話しながら、わたしと楓馬は研究室の入り口を探すため、足を動かした。
研究室にはたくさんの人が出入りしている。まだ学生っぽい人もいれば、もっと歳をとった人、 いかにも教授らしい貫禄を持った人もいる。何人かの人にじろじろ見られて、楓馬の時計で見た目の年齢を操作しておけばよかった、と後悔した。こんなところ、女子高生がうろうろしてたら目立つに決まっている。いや、目立つのはそのせいだけじゃない。
「楓馬! なんで着替えなかったの!?!?」
「え?」
楓馬はなんで責められているのかわからないのか、ぽかんとしていた。
「わたしにはパジャマじゃまずいとか言ってたくせに、自分のほうが目立ってるじゃない! 今からでもいいから、トイレかどこかでささっと着替えてきてよ、普通の服に!」
「うーん、そんなに目立つかな……」
「目立つってば!」
言い合いをしていたわたしたちは、後ろから駆けてくる人に気付づかなかった。
どん、と肩がぶつかり、その拍子でその人が持っているバッグが落ちた。財布にハンカチに携帯――スマホじゃない、いわゆるガラケーと呼ばれている携帯だった――が、地面にざざざざっ、とちらばる。
「わあ、ごめんなさい!」
あわてて楓馬と一緒に落ちたものを拾って渡すと、その人の顔を見た途端、心臓がひっくりかえりそうになった。
「おかあ、さん……?」
「え?」
目の前にいるのは、まぎれもなく何度も写真で見たわたしのお母さんだった。
きれいな卵型の輪郭に、整った目鼻立ち。この時まだ二十代前半のはずなのに、既に大人の女性の品格を漂わせている。写真で見る以上にずっと、きれいな人だ。
ていうかわたし、今、お母さんって言っちゃった……!?!?
「ああ、いや、その! あなたがわたしのお母さんに似ていたので、つい……ごめんなさい!」
思わず不思議なことを言って謝ってしまった。ああ、顔から火が出そう。でも、「お母さん」はふっと優しく笑ってくれた。その笑顔は花のよう、という表現がぴったりで、うっとりするほど美しい。
「大丈夫よ、こちらこそ、ぶつかってしまってごめんなさいね」
「お母さん」が荷物をバッグに入れて立ち上がる。よく見ると、お母さんはこの暑い時期にはふさわしくない、黒いスーツ姿だった。さっきから見かける人たちは、季節に合わせたラフな服装の人が多かったのに、お母さんはフォーマルな格好をしなきゃいけない用事があるんだろうか。
「彩奈さーん!」
駆け寄ってきた男の人に声をかけられ、お母さんが振り向いた。
その男の人はすぐにお父さんだとわかった。度の強そうな眼鏡に、鳥の巣みたいなぼさぼさの頭。スーツの代わりに白衣を着せたら、いかにも研究者っぽいだろう。二十年前のお父さんはたしかに今よりも若々しいけれど、見た目は二十年間であまり変化がなかったらしい。 眼鏡もぼさぼさ頭も、昔からだったんだなあ。
「ごめん、会議が延びちゃって。七時に間に合うかな?」
「大丈夫よ、タクシーを拾いましょう。念のため、遅れるかもしれないってお父さんとお母さんにメールしておくわ」
「はじめての顔合わせで遅くなるなんて……いきなり印象が最悪だなあ」
「大丈夫よ、陽一さん。きっとお父さんもお母さんも気に入ってくれるから、陽一さんのこと」
その会話で、なんでこの二人がこんな暑い日にスーツ姿なのかがわかる。
どうもこれから、おじいちゃんとおばあちゃんと、最初の顔合わせをするらしい。つまり、結婚の挨拶というわけだろう。お父さんは既に緊張しているのか、表情が少し引き攣(つ) っている。
「ええと……この子たちは?」
お父さんがわたしを見て、どきっとする。お父さんから見ても、お母さんとわたしが一緒にいるのは不思議らしい。お父さんはまさかわたしが未来から来た自分の娘だなんて想像もしないんだから、仕方ないけれど。
「落とした荷物を拾ってくれたのよ。ありがとう、二人とも。じゃあね」
「は、はい……!」
肩を並べて歩いていく二人の背中が完全に見えなくなる前に、楓馬に言った。
「楓馬はデロリヤンに戻ってて!」
「え? 陽彩ちゃん一人ひとりでどうする気?」
「こうなったら、お父さんとお母さんが無事顔合わせできるか、見届けたいの!」
「ええ!?」
「わかってるよ、歴史に干渉することはしないから! じゃあ、後でね」
「ちょっと、陽彩ちゃん……!」
止まっていられない。二人を見失ったら終わりだ。わたしは走り出し、二人を追いかける。
気がつけばデロリヤンは失速していて、瞼の裏まで感じられる激しい白い光もなくなっていた。遠くから車が走るぶうんという音や、鳥のさえずりが聞こえてくる。
おそるおそる目を開けて、わたしは息を呑んだ。
「ここ……駐車場?」
周りにびっしりと車が停まっている。スペースが一台分ずつ白線で区切ってあって、どう見ても駐車場だ。車の列の向こうに、白い建物がいくつか連なっている。
「ここは横浜の大学の研究室だよ」
楓馬がにこやかに言った。
「時間はちょうど、午後の六時だね。七月だからまだ明るいけれど……この近くに、陽彩ちゃんのお父さんとお母さんがいるかもしれない。今の時間ならちょうど、仕事が終わって出てくる頃じゃないかな」
「ありがとう、楓馬! ちょっと探してくる」
「おいおい、待ってよ陽彩ちゃん!」
近くに若い頃のお父さんとお母さんがいると思うと、じっとしていられない。飛び出すように外へ出たわたしに楓馬がついてくる。梅雨が明け、やってきたばかりの夏の暑さがじわっと腕にまとわりつく。
「パオには留守番してもらうことにした」
「そのほうがいいね、余計なことばっかり言うし」
「あれでいいところもあるんだよ、彼は」
そんなことを話しながら、わたしと楓馬は研究室の入り口を探すため、足を動かした。
研究室にはたくさんの人が出入りしている。まだ学生っぽい人もいれば、もっと歳をとった人、 いかにも教授らしい貫禄を持った人もいる。何人かの人にじろじろ見られて、楓馬の時計で見た目の年齢を操作しておけばよかった、と後悔した。こんなところ、女子高生がうろうろしてたら目立つに決まっている。いや、目立つのはそのせいだけじゃない。
「楓馬! なんで着替えなかったの!?!?」
「え?」
楓馬はなんで責められているのかわからないのか、ぽかんとしていた。
「わたしにはパジャマじゃまずいとか言ってたくせに、自分のほうが目立ってるじゃない! 今からでもいいから、トイレかどこかでささっと着替えてきてよ、普通の服に!」
「うーん、そんなに目立つかな……」
「目立つってば!」
言い合いをしていたわたしたちは、後ろから駆けてくる人に気付づかなかった。
どん、と肩がぶつかり、その拍子でその人が持っているバッグが落ちた。財布にハンカチに携帯――スマホじゃない、いわゆるガラケーと呼ばれている携帯だった――が、地面にざざざざっ、とちらばる。
「わあ、ごめんなさい!」
あわてて楓馬と一緒に落ちたものを拾って渡すと、その人の顔を見た途端、心臓がひっくりかえりそうになった。
「おかあ、さん……?」
「え?」
目の前にいるのは、まぎれもなく何度も写真で見たわたしのお母さんだった。
きれいな卵型の輪郭に、整った目鼻立ち。この時まだ二十代前半のはずなのに、既に大人の女性の品格を漂わせている。写真で見る以上にずっと、きれいな人だ。
ていうかわたし、今、お母さんって言っちゃった……!?!?
「ああ、いや、その! あなたがわたしのお母さんに似ていたので、つい……ごめんなさい!」
思わず不思議なことを言って謝ってしまった。ああ、顔から火が出そう。でも、「お母さん」はふっと優しく笑ってくれた。その笑顔は花のよう、という表現がぴったりで、うっとりするほど美しい。
「大丈夫よ、こちらこそ、ぶつかってしまってごめんなさいね」
「お母さん」が荷物をバッグに入れて立ち上がる。よく見ると、お母さんはこの暑い時期にはふさわしくない、黒いスーツ姿だった。さっきから見かける人たちは、季節に合わせたラフな服装の人が多かったのに、お母さんはフォーマルな格好をしなきゃいけない用事があるんだろうか。
「彩奈さーん!」
駆け寄ってきた男の人に声をかけられ、お母さんが振り向いた。
その男の人はすぐにお父さんだとわかった。度の強そうな眼鏡に、鳥の巣みたいなぼさぼさの頭。スーツの代わりに白衣を着せたら、いかにも研究者っぽいだろう。二十年前のお父さんはたしかに今よりも若々しいけれど、見た目は二十年間であまり変化がなかったらしい。 眼鏡もぼさぼさ頭も、昔からだったんだなあ。
「ごめん、会議が延びちゃって。七時に間に合うかな?」
「大丈夫よ、タクシーを拾いましょう。念のため、遅れるかもしれないってお父さんとお母さんにメールしておくわ」
「はじめての顔合わせで遅くなるなんて……いきなり印象が最悪だなあ」
「大丈夫よ、陽一さん。きっとお父さんもお母さんも気に入ってくれるから、陽一さんのこと」
その会話で、なんでこの二人がこんな暑い日にスーツ姿なのかがわかる。
どうもこれから、おじいちゃんとおばあちゃんと、最初の顔合わせをするらしい。つまり、結婚の挨拶というわけだろう。お父さんは既に緊張しているのか、表情が少し引き攣(つ) っている。
「ええと……この子たちは?」
お父さんがわたしを見て、どきっとする。お父さんから見ても、お母さんとわたしが一緒にいるのは不思議らしい。お父さんはまさかわたしが未来から来た自分の娘だなんて想像もしないんだから、仕方ないけれど。
「落とした荷物を拾ってくれたのよ。ありがとう、二人とも。じゃあね」
「は、はい……!」
肩を並べて歩いていく二人の背中が完全に見えなくなる前に、楓馬に言った。
「楓馬はデロリヤンに戻ってて!」
「え? 陽彩ちゃん一人ひとりでどうする気?」
「こうなったら、お父さんとお母さんが無事顔合わせできるか、見届けたいの!」
「ええ!?」
「わかってるよ、歴史に干渉することはしないから! じゃあ、後でね」
「ちょっと、陽彩ちゃん……!」
止まっていられない。二人を見失ったら終わりだ。わたしは走り出し、二人を追いかける。



