夕食の後、お父さんがやってきた。今日もデパートのロゴが入った大きな紙袋 を持っていて、中から次々本を出してくる。
「完結してる漫画がいいなら、これなんておすすめだよ。短編集だけどね。どれもびっくりするオチで、はじめて読んだ時は衝撃を受けたんだから」
「お父さんがそんなに漫画好きだったなんて、知らなかった」
そう言うと、お父さんはちょっと照れ臭そうに目の横の皺を深くした。
「学生時代は漫画ばっか り読んでたよ。研究で論文をたくさん読むから、ちょうどいい息抜きになってね。その時の本は、もうほとんど家にないけど。だから古本屋さんで買い集めてるんだ」
わたしが退屈しないようにそんなことをしてくれてるんだと思うと、じんっと目頭が熱くなる。わたしにとってお父さんがたったひとりの家族であるように、お父さんにとってもわたしはたったひとりの娘なんだ。
その娘が病気でもうすぐ死んじゃうなんて、お父さんの気持ちを想像したら泣きたくなってくる。
お父さんには、わたしが死ななくて済むこと、言っちゃ駄目なのかな。知れば、安心してくれるはず。でもどう説明したって、信じてもらえるとは思わない。未来人がやってきたなんて言ったら、笑い飛ばされるに決まってる。希織にしたみたいに、お父さんを楓馬に会わせる? でも楓馬、なんて言うかな。また、わたし以外の人の運命を変えちゃう、とか言い出すのかな。
そんなことを考えていると、お父さんのわたしを見る目がすごく優しげになっているのに気がついた。
「どうしたの? お父さん」
声をかけるとはっとして、頬を赤くする。
「いや、なんていうか、その……」
「なんなの、今すごくぼうっとしてたけど」
「なんでもないよ。その、陽彩、お母さんに似てきたなと思っただけで」
お母さん。わたしはその存在を、写真でしか知らない。
わたしを産んでまもなく、病気で死んでしまったお母さん。優しく微笑んでもらった記憶も、頭を撫でてもらった記憶もない。お父さんが二人分の愛情を注いでくれたとはいえ、やっぱり寂しさは感じていた。他の子に当たり前にいる存在が自分にはない、というのは、生まれつき身体の一部が欠けているような感覚がある。
「お父さんはお母さんの、どこを好きになったの?」
そう言うと、お父さんはあからさまに照れた顔をした。
「なんだよ、陽彩ってば。なんでそんな昔のこと言わなきゃいけないんだよ」
「だって、今までそういう話したことなかったじゃない。自分がどんな恋愛の末生まれたのか、わたしにとってはけっこう大事なことだよ」
お父さんは照れながら困ったように眉根を寄せ、やがてぽつりと言った。
「まあ、最初は顔……かな」
「はあ、何それ!?」
想像以上の軽薄な発言に責めるような口調になってしまう。お父さんはあわてて言葉を足す。
「いや、それぐらいお母さんは美人だったんだよ。お母さんのことを狙ってる男なんてたくさんいたし、すごく競争率の高い女性で。お父さんはこんなんだから、絶対無理だろうな、って最初は思ってた」
「で、そこからどうやって結婚に至ったの?」
お父さんが昔を懐かしむ優しい顔になる。
「お母さんはお父さんの研究に興味を持ってくれた。研究以外何も夢中になれるものがない、他にとりえもない。そんなお父さんのことを決して馬鹿にしないで、研究のことをいろいろ聞いてくれた。お父さんとお母さんが同じ研究室にいたのは知ってるだろ?」
「うん。出会った時、お母さんはまだ学生だったんだよね。お父さんも働き始めたばっかりだったって」
「そう。大学生なんて、人生でいちばん充実した、キラキラした時だ。さっきも言ったけどお母さんの周りには素敵な人がたくさんいたし、最初はアプローチしても軽くあしらわれるだけで……でも、熱心に何度も話をするうちに、少しずつ好きになってくれたんだ。結婚する時も、大変だったんだよ。お母さんはまだ若い上に身体が弱いから、お母さんのお父さんとお母さん……陽彩のおじいちゃんとおばあちゃんだね。すごく反対されて」
「そうだったの?」
お母さんの側のおじいちゃんとおばあちゃんはニコニコしていて優しい印象しかないから、意外だった。
「まさしく、娘をお前になんかやれるか、って感じだったよ。でもあの時、助けてくれた人がいてね……お礼を言いたいけど、今どこにいるのやら」
そこでお父さんははっとした。壁の時計が二十時五十五分を指している。消灯の二十一時までには、ここを出なくちゃいけない。
「とにかく、陽彩のお母さんは素敵な女性だったよ。だから、お父さんは絶対、お母さんからプレゼントされた陽彩を守らなきゃいけないんだ」
急に真面目な口調になって、わたしの肩に手を置いた。
「陽彩を救う方法、お父さん、まだあきらめてないからな。陽彩は、お母さんがお父さんにプレゼントしてくれた、大切な宝物なんだから」
「うん……」
やっぱり、言いたかった。わたしは死ななくて済むんだよ、って。お父さんの苦しみを取り除いてあげたかった。
お父さんはお母さんにわたしをプレゼントされたって言うけれど、わたしからすれば、お母さんはわたしにお父さんをプレゼントしてくれたんだ。
「完結してる漫画がいいなら、これなんておすすめだよ。短編集だけどね。どれもびっくりするオチで、はじめて読んだ時は衝撃を受けたんだから」
「お父さんがそんなに漫画好きだったなんて、知らなかった」
そう言うと、お父さんはちょっと照れ臭そうに目の横の皺を深くした。
「学生時代は漫画ばっか り読んでたよ。研究で論文をたくさん読むから、ちょうどいい息抜きになってね。その時の本は、もうほとんど家にないけど。だから古本屋さんで買い集めてるんだ」
わたしが退屈しないようにそんなことをしてくれてるんだと思うと、じんっと目頭が熱くなる。わたしにとってお父さんがたったひとりの家族であるように、お父さんにとってもわたしはたったひとりの娘なんだ。
その娘が病気でもうすぐ死んじゃうなんて、お父さんの気持ちを想像したら泣きたくなってくる。
お父さんには、わたしが死ななくて済むこと、言っちゃ駄目なのかな。知れば、安心してくれるはず。でもどう説明したって、信じてもらえるとは思わない。未来人がやってきたなんて言ったら、笑い飛ばされるに決まってる。希織にしたみたいに、お父さんを楓馬に会わせる? でも楓馬、なんて言うかな。また、わたし以外の人の運命を変えちゃう、とか言い出すのかな。
そんなことを考えていると、お父さんのわたしを見る目がすごく優しげになっているのに気がついた。
「どうしたの? お父さん」
声をかけるとはっとして、頬を赤くする。
「いや、なんていうか、その……」
「なんなの、今すごくぼうっとしてたけど」
「なんでもないよ。その、陽彩、お母さんに似てきたなと思っただけで」
お母さん。わたしはその存在を、写真でしか知らない。
わたしを産んでまもなく、病気で死んでしまったお母さん。優しく微笑んでもらった記憶も、頭を撫でてもらった記憶もない。お父さんが二人分の愛情を注いでくれたとはいえ、やっぱり寂しさは感じていた。他の子に当たり前にいる存在が自分にはない、というのは、生まれつき身体の一部が欠けているような感覚がある。
「お父さんはお母さんの、どこを好きになったの?」
そう言うと、お父さんはあからさまに照れた顔をした。
「なんだよ、陽彩ってば。なんでそんな昔のこと言わなきゃいけないんだよ」
「だって、今までそういう話したことなかったじゃない。自分がどんな恋愛の末生まれたのか、わたしにとってはけっこう大事なことだよ」
お父さんは照れながら困ったように眉根を寄せ、やがてぽつりと言った。
「まあ、最初は顔……かな」
「はあ、何それ!?」
想像以上の軽薄な発言に責めるような口調になってしまう。お父さんはあわてて言葉を足す。
「いや、それぐらいお母さんは美人だったんだよ。お母さんのことを狙ってる男なんてたくさんいたし、すごく競争率の高い女性で。お父さんはこんなんだから、絶対無理だろうな、って最初は思ってた」
「で、そこからどうやって結婚に至ったの?」
お父さんが昔を懐かしむ優しい顔になる。
「お母さんはお父さんの研究に興味を持ってくれた。研究以外何も夢中になれるものがない、他にとりえもない。そんなお父さんのことを決して馬鹿にしないで、研究のことをいろいろ聞いてくれた。お父さんとお母さんが同じ研究室にいたのは知ってるだろ?」
「うん。出会った時、お母さんはまだ学生だったんだよね。お父さんも働き始めたばっかりだったって」
「そう。大学生なんて、人生でいちばん充実した、キラキラした時だ。さっきも言ったけどお母さんの周りには素敵な人がたくさんいたし、最初はアプローチしても軽くあしらわれるだけで……でも、熱心に何度も話をするうちに、少しずつ好きになってくれたんだ。結婚する時も、大変だったんだよ。お母さんはまだ若い上に身体が弱いから、お母さんのお父さんとお母さん……陽彩のおじいちゃんとおばあちゃんだね。すごく反対されて」
「そうだったの?」
お母さんの側のおじいちゃんとおばあちゃんはニコニコしていて優しい印象しかないから、意外だった。
「まさしく、娘をお前になんかやれるか、って感じだったよ。でもあの時、助けてくれた人がいてね……お礼を言いたいけど、今どこにいるのやら」
そこでお父さんははっとした。壁の時計が二十時五十五分を指している。消灯の二十一時までには、ここを出なくちゃいけない。
「とにかく、陽彩のお母さんは素敵な女性だったよ。だから、お父さんは絶対、お母さんからプレゼントされた陽彩を守らなきゃいけないんだ」
急に真面目な口調になって、わたしの肩に手を置いた。
「陽彩を救う方法、お父さん、まだあきらめてないからな。陽彩は、お母さんがお父さんにプレゼントしてくれた、大切な宝物なんだから」
「うん……」
やっぱり、言いたかった。わたしは死ななくて済むんだよ、って。お父さんの苦しみを取り除いてあげたかった。
お父さんはお母さんにわたしをプレゼントされたって言うけれど、わたしからすれば、お母さんはわたしにお父さんをプレゼントしてくれたんだ。



