食べ物のにおいが漂ってきて、だんだん意識がくっきりしていく。

 目が覚めると、池澤さんがちょうど部屋の中に入ってきたところだった。朝食の載ったワゴンを押している。


「おはよう、ひーちゃん」
「おはようございます」
 普通の挨拶なのに、それだけで何かを感じ取ったのか、池澤さんは追及するように聞いてくる。


「ひーちゃん、なんかあった? 考え込んでるような顔しちゃって」
「え? そうでてすか?」
「うん、悩んでる、というのも違うなあ。考え込んでるって感じ」


 池澤さんにぐいと顔を覗き込まれ、わたしはつい目を逸らした。
 楓馬が帰った後、ベッドに潜ってもなかなか眠れなかった。楓馬のあの衝撃発言が頭の中をぐるぐるして、それどころじゃなかった。

 生まれてはじ初めて告白された。はっきり言われた、好きだって。
 好き? わたしを? 楓馬が?

 ――どうしよう。また顔が熱くなってきた。


「ひーちゃん、顔真っ赤よ?」
 池澤さんがベッドのテーブルの上にお皿を並べながら不思議そうに言う。わたしはあわてて笑ってごまかした。


「い、いや、なんか、朝からちょっと熱っぽくて……」
「あらやだ、大変。すぐに熱測らなきゃ」


 体温計を脇に挟むけれど、当然平熱だった。熱いのは心だけで、身体じゃない。
 突然胸に放り込まれた好きだという言葉が、不思議な熱を持ってぽかぽかしている。
 次に楓馬に会ったら、いったいどんな顔をすればいいんだろう。




 とりあえず希織に相談することにした。

 わたしは男の子と付き合うどころか好きになったこともないし、当然告白されるのもはじ初めて。今度楓馬に会って返事を求められたとしても、何を言えばいいのかわからない。あの時、考えさせて、なんて無難なことを言ってしまったのが悔やまれる。

 恋愛に明るい希織なら、何かしらのアドバイスをくれる気がした。


「すごいねえ陽彩、未来人から告白されるなんて」
 学校が終わってからやってきた希織は、椅子に腰掛けるとわたしの顔をしげしげ と見ながら言った。


「未来人……そうだね。たしかに楓馬、未来人だし」
「未来人に会うってだけでも大変なことなのに、その人から告白されちゃうなんて、いったいどうなってるの、陽彩の人生」
「そんなのわたしが知りたいよ」


 はあ、 と思わずため息が出た。

 本当に、楓馬はわたしのどこを好きになってくれたのか。付き合いたいというのは本心なのか。楓馬のことを疑うわけじゃないけれど、楓馬のことをなんにも知らないし、楓馬だってわたしのことをろくに知らないはず。楓馬の言葉を素直に信じていいのか、わからない。


「で、どうするの?」
 希織が真顔になって言った。


「どうするって?」
「返事に決まってるじゃない! 楓馬くんと付き合うの? どうするの?」
「それは……」


 瞼の裏に楓馬の顔がまざまざと浮かんできて、それだけでぼっと頬が熱くなる。
 改めて思う。わたしは楓馬に告白されたんだ……。
 希織がわたしを見てにやっと笑った。


「そんな反応するってことは、まんざらじゃないんじゃん」
「まんざらでもない、というか、なんというか。単に、告白されるのがはじめてで、浮かれてしまっているというか……」
「本当に嫌な相手なら、浮かれたりしないでしょ?」

「うーん、それはそう、かも……」
「それにしても、いいなー陽彩! 楓馬くんと付き合ったら、いいこといっぱいありそうじゃん! なんせ相手は未来人なんだし」
「まあ、それはそうなんだけど、さ……」


 そんなふうに無邪気に受け止めていいのかな、と思ってしまう。楓馬はわたしのどこを、どう好きになってくれたのか。それを聞かないと、楓馬の言葉を完全には信じられない。


「ねえ、希織」
「何?」
「付き合うって、具体的にどういうことなの?」
「はー何それ、そこから!?」


 希織は本気で驚いていた。実際、わたしの恋愛のレベルって、小学生並みなんだからしょうがない。


「付き合うっていったら、やることいろいろあるでしょ。休みの日には二人で映画や遊園地に行ったり、放課後一緒に帰って、マックとかファミレスで何時間もダベったり。帰ってからも寝るまで ずっとメッセージのやり取りして 、おやすみをどっちから言うかでちょっと揉めたりとか」
「希織、そんなことしてたの?」


 希織は中学時代、付き合っている人がいた。同じクラスの男の子でサッカー部だったはず。卒業と同時に別れちゃったらしいけど。


「あたしのことはいいでしょ」
 照れているのか、希織はちょっと怒った声になった。


「ていうか、それ、友だちとするんじゃ駄目なの? 映画だって遊園地だって、希織と一緒に行ったよね? 寝る前のメッセージとか電話だってよくするし」
「わかってないなあ陽彩は。好きな人とするから楽しいんじゃん」
「うーん、そんなものなの?」


 好きな人って、希織のことも大好きだけど、さすがにそういう意味じゃないってことはわかる。
 そんなわたしに向かってちょっとあき呆れた顔をした後、希織は言った。


「陽彩は、どうなの? 楓馬くんと一緒にいて、楽しくないの?」
「そりゃ……楽しいけど」


 二十歳に化けて、ホテルのバーで一緒にお酒を飲んだこと。男の人にリードされてる、という感じがあって、楓馬がすごく大人に見えて、なんだか身体の中心がぽかぽかする、変な感じだった。
 あれはたしかに、楽しいというか、すごく素敵な経験だった。
 楓馬がハンドルを握る横顔は格好よくて、ちょっとドキドキしてしまったことも否めない。


「だったら、いいじゃん。すっごく好き、ほんとに好き、までいかなくてもさ。相手と一緒にいて楽しい、そこだけクリアできれば、あたしは付き合ってみてもいいと思うよ」
 ぽん、と希織がわたしの背中をたたく。


「そもそも、最初から両想いでスタートする関係のほうがまれだと思うんだよね、あたし。ちょっといいな、ぐらいからはじまる恋だってあると思うの。その人のことが好きかどうかは、付き合ってから考えればいいんじゃない?」
「それは……みんな、そうしてるの?」

「うーん。まあ、そうなんじゃない? うちらもう高校生なんだし、恋愛に関してはみんな鷹揚に構えているというか」
「じゃあ希織も元彼のこと、最初はそんなに好きじゃなかったの?」

「最初はねー。でも付き合っていくうちにだんだん良さに気付づいて、夢中になって……て、あたしのことはどうでもいいの! 今は陽彩の話!」


 希織に正面から見据えられ、両肩をつかまれる。急に圧が強くなって、ちょっとたじろいた。


「とにかく、次楓馬くんに会ったら返事しなさい。もちろん、オッケーって言うのよ」
「う、うん……」

 たしかに楓馬は優しいし、大人っぽいし、彼氏としてこれ以上の相手はいないだろう。そして楓馬と過ごす時間は、とても楽しい。
 でも、こんなに簡単に結論を出していいものなんだろうか。