「ほーら希織、いっくよー!」
波打ち際まで走って、希織に思いき切り水をかけると、希織はとっさに両腕でガードしたけれど頭からびっしょり水をかぶってしまった。
「やったな。このお!」
「わー、ちょっとは手加減してよー!」
「陽彩が最初にやったんじゃん!」
そのままわたしたちはしばらく、波打ち際で遊んだ。小学校の時の、プールの授業を思い出していた。あの時も希織と一緒に、こうやって水をかけあって遊んだっけ。まだ夏にはちょっと早い時期でけっこう寒くて、でも遊んでたらどんどんあったかくなって、塩素の匂においさえいい香り、だなんて思っちゃって。
生きているって、なんて素晴らしいんだろう。
遊び疲れた後、ホテルのカフェで希織とお茶をすることにした。ビーチが見渡せるカフェで、メニューはフルーツジュースとかパフェが多い。わたしはパインジュース、希織はピーチジュースを頼んで、パンケーキは二人でシェアすることにした。ちなみに支払いができるように、楓馬からいくらかお小遣いをもらっている。
「わー、めちゃくちゃ美味おいしそう!」
「すっごい豪華だね」
ホイップクリームとフルーツが山盛りになったパンケーキは、パイナップルとかマンゴーとかいちごが宝石みたいにきらきら輝いていて、ひと口食べるとフルーツの甘さと生地のやわらかさがふんわり舌の上で溶け合い、絶妙なハーモニーを奏でる。こんなパンケーキ、食べたことない。
「陽彩とこうやって遊ぶの、久しぶりだね」
何口かパンケーキを食べた後、希織が言った。
「原宿で遊んだ時も、パンケーキ食べたよね。こっちのほうがゴージャスだけど」
「だね。また希織と遊べる日が来るなんて思わなかった。病気で、文字通り人生オワタ、って思ってたから」
「ごめんね。陽彩の話、信じられなくて」
妙に真剣な口調の希織に向かって、ぶんぶん首を横に振る。
「ううん、いいの、謝らなくて。あんな話、信じちゃうほうがおかしいもん。わたしも最初は信じられなかったし」
「でもさ、どういうことなの? 楓馬くんは陽彩の運命を変えに来たってのは聞いたけど、なんのためにそんなことするの?」
「それはね……」
そこでわたしは、希織に話をした。未来でわたしは天才科学者としていろいろな発明をする予定だから、未来を変えないために、過去で楓馬がわたしを救おうとしていることを。
希織は真摯に、わたしの話に耳を傾けてくれた。
「なるほど。じゃあ陽彩はお父さんの後を継いで、未来ですごい発明をするんだね」
「そういうことだよ。わたしにお父さんと同じようなことができるなんて、どうしても信じられないけれど」
たかだか十六年しか生きていなくても、既に自分にはお父さんのような才能はない、ということぐらいは知っている。
わたしは理系科目があまり得意じゃない。得意じゃないとはいっても、進学校に入れるくらいの成績はとれるけれど、天才科学者の娘としては微妙な成績だ。そのぶん、語学は好き。幼稚園の頃に子ども向けの英会話教室に入れてもらって、そこで日常会話レベルの英語を学んだから、実はお父さんよりも会話がうまかったりする。洋画も観るので、向こう 外国の文化には興味があった。
中学に入ると英語だけじゃ飽き足らず、お父さんに頼み込んで、フランス語やドイツ語の通信教材を取り寄せてもらい、学ぶようになった。まだうまくはしゃべれないけれど、かんたん簡単な読み書きくらいはできる。
だから、中学三年生になって、進路のことが頭にぼやぼやと浮かびはじめた頃、いつか世界じゅう、いろいろな国をまたいで活躍する人になりたい――そんな夢を、ぼんやりと持つようになった。ひどい時は何週間も研究所に缶詰で家に帰れない、そんなお父さんの人生を否定はしないけれど、自分はもっと広い場所で活躍したい。そう思っていた。
語学ができれば、就ける仕事はいろいろある。通訳、翻訳、旅行関係もいい。異なる文化に触れ、その国の人と交わる仕事は楽しそうだ。
「陽彩、そんな夢持ってたんだ。びっくりした」
「話したことなかったからね」
はじめて自分の夢を希織に話した。希織は最後のパンケーキをぱくりとたいらげてしまった後、言った。
「なんか意外だな。陽彩がそんな、アクティブな夢持ってるなんて」
「そう?」
「陽彩って、どっちかっていうとおとなしいタイプっていうのかな。そんな、世界で活躍したいみたいな、大それたこと言う子じゃないって思ってたし」
「変かな。わたしがそんなこと思うの」
「変じゃないよ。むしろ応援する」
希織が生クリームのついた唇でにこっとする。
「楓馬くんのおかげで陽彩の運命が変わったら、その夢、実現させてみたら? 生きてれば、たいがいのことはできるでしょ?」
「うーん。お父さんがなんていう言うかなぁ」
お父さんの後を継ぐのが、自分の使命。ずっとそう思って生きてきた。小学生の頃から天才科学者の娘ということでインタビューを受けたことが何回かあったけど、将来の夢を聞かれると必ず「お父さんのあとをつぐこと」と答えていた。お母さんがいないから、お父さんに育ててもらった恩をそういう形で返したかった 。
そう希織に言うと、希織はふんふんとうなずいてから言った。
「陽彩の気持ちはわかるけどさ。陽彩がすべてひとりで受け継ぐこともなくない? 他にお父さんの後を継げる、優秀な人がいるかもしれないじゃない?」
「それってなかなか難しいよ、科学の世界はなかなか どけっこうどす黒いから。本当に信頼できる人に任せないと、大変なことになる。お金の問題も出てくるし、人も巻き込んじゃうんだって。お父さんは研究内容についてはあまり話してくれないけど、そういう、科学者の裏事情みたいなのは、小さい頃からよく聞かされた」
「なるほどね……」
だから、血の繋がった娘に託せるなら、お父さんにとっても誰にとっても、いちばんいいと思っていたのだ。わたしなら悪用する心配もないし、お金の問題で揉めることもない。
「ていうか、だいたいさ。わたし、未来ですごい発明をするんだよ? そのために、わたしの命を守るため、今楓馬が来てるわけで……わたしの将来は、既に決まってるんだってば」
「でもさ、陽彩は別に、ひとつのことしかやっちゃいけないわけじゃないでしょ? お父さんの研究を継いで、なおかつ自分のやりたいことをやる。それじゃ駄目なの?」
「……希織って、なかなか欲張りなこと言うね」
「そうかなあ」
くすっと希織はほほえんだ微笑んだ。死の恐怖が取り除かれたせいか、今は希織の笑顔がただまぶしく 見える。
「人生、欲張りじゃなきゃやってられなくない? 求めよ、されば与えられん、だっけ。欲しい、って思うことは悪いことじゃないんじゃないかな」
「なるほど、ね……」
「謙虚が美徳、なんてそんなこと実際は絶対ないよ。欲しいものをまっすぐ取りに行くぐらいじゃないと、楽しくないんじゃない?」
「そう、かも」
そう言ってわたしたちは顔を見合わせ、ふふふっと笑った、その時。
心臓にぴきっとヒビが入ったような気がした。
ヒビはまたたくま瞬く間に胸全体に広がっていって、痛みで息ができなくなる。右手で胸を、左手で喉を押さえてテーブルの上に突っ伏したわたしに、希織が叫ぶ。
「陽彩! どうしたの!?」
痛みでもう、答えることができない。
ぜいぜいぜい、ありったけの力を気道に込めて、なんとか呼吸をしようとする。これは発作だ。あの日、病院に運ばれた時も、これと同じ痛みを経験した。大丈夫、落ち着いて。こういう時のために薬がある。でもここは……病院じゃない。ナースコールも薬もない。地球の反対側、ハワイに来てしまった事実に気が遠くなる。
「陽彩!!」
希織の声が遠ざかって、視界が真っ暗になる。今にも意識が途絶えそうな、その時。
「陽彩ちゃん」
楓馬の声が耳元でして、がしっとたくましい腕に抱きかかえられた、気がした。
波打ち際まで走って、希織に思いき切り水をかけると、希織はとっさに両腕でガードしたけれど頭からびっしょり水をかぶってしまった。
「やったな。このお!」
「わー、ちょっとは手加減してよー!」
「陽彩が最初にやったんじゃん!」
そのままわたしたちはしばらく、波打ち際で遊んだ。小学校の時の、プールの授業を思い出していた。あの時も希織と一緒に、こうやって水をかけあって遊んだっけ。まだ夏にはちょっと早い時期でけっこう寒くて、でも遊んでたらどんどんあったかくなって、塩素の匂においさえいい香り、だなんて思っちゃって。
生きているって、なんて素晴らしいんだろう。
遊び疲れた後、ホテルのカフェで希織とお茶をすることにした。ビーチが見渡せるカフェで、メニューはフルーツジュースとかパフェが多い。わたしはパインジュース、希織はピーチジュースを頼んで、パンケーキは二人でシェアすることにした。ちなみに支払いができるように、楓馬からいくらかお小遣いをもらっている。
「わー、めちゃくちゃ美味おいしそう!」
「すっごい豪華だね」
ホイップクリームとフルーツが山盛りになったパンケーキは、パイナップルとかマンゴーとかいちごが宝石みたいにきらきら輝いていて、ひと口食べるとフルーツの甘さと生地のやわらかさがふんわり舌の上で溶け合い、絶妙なハーモニーを奏でる。こんなパンケーキ、食べたことない。
「陽彩とこうやって遊ぶの、久しぶりだね」
何口かパンケーキを食べた後、希織が言った。
「原宿で遊んだ時も、パンケーキ食べたよね。こっちのほうがゴージャスだけど」
「だね。また希織と遊べる日が来るなんて思わなかった。病気で、文字通り人生オワタ、って思ってたから」
「ごめんね。陽彩の話、信じられなくて」
妙に真剣な口調の希織に向かって、ぶんぶん首を横に振る。
「ううん、いいの、謝らなくて。あんな話、信じちゃうほうがおかしいもん。わたしも最初は信じられなかったし」
「でもさ、どういうことなの? 楓馬くんは陽彩の運命を変えに来たってのは聞いたけど、なんのためにそんなことするの?」
「それはね……」
そこでわたしは、希織に話をした。未来でわたしは天才科学者としていろいろな発明をする予定だから、未来を変えないために、過去で楓馬がわたしを救おうとしていることを。
希織は真摯に、わたしの話に耳を傾けてくれた。
「なるほど。じゃあ陽彩はお父さんの後を継いで、未来ですごい発明をするんだね」
「そういうことだよ。わたしにお父さんと同じようなことができるなんて、どうしても信じられないけれど」
たかだか十六年しか生きていなくても、既に自分にはお父さんのような才能はない、ということぐらいは知っている。
わたしは理系科目があまり得意じゃない。得意じゃないとはいっても、進学校に入れるくらいの成績はとれるけれど、天才科学者の娘としては微妙な成績だ。そのぶん、語学は好き。幼稚園の頃に子ども向けの英会話教室に入れてもらって、そこで日常会話レベルの英語を学んだから、実はお父さんよりも会話がうまかったりする。洋画も観るので、向こう 外国の文化には興味があった。
中学に入ると英語だけじゃ飽き足らず、お父さんに頼み込んで、フランス語やドイツ語の通信教材を取り寄せてもらい、学ぶようになった。まだうまくはしゃべれないけれど、かんたん簡単な読み書きくらいはできる。
だから、中学三年生になって、進路のことが頭にぼやぼやと浮かびはじめた頃、いつか世界じゅう、いろいろな国をまたいで活躍する人になりたい――そんな夢を、ぼんやりと持つようになった。ひどい時は何週間も研究所に缶詰で家に帰れない、そんなお父さんの人生を否定はしないけれど、自分はもっと広い場所で活躍したい。そう思っていた。
語学ができれば、就ける仕事はいろいろある。通訳、翻訳、旅行関係もいい。異なる文化に触れ、その国の人と交わる仕事は楽しそうだ。
「陽彩、そんな夢持ってたんだ。びっくりした」
「話したことなかったからね」
はじめて自分の夢を希織に話した。希織は最後のパンケーキをぱくりとたいらげてしまった後、言った。
「なんか意外だな。陽彩がそんな、アクティブな夢持ってるなんて」
「そう?」
「陽彩って、どっちかっていうとおとなしいタイプっていうのかな。そんな、世界で活躍したいみたいな、大それたこと言う子じゃないって思ってたし」
「変かな。わたしがそんなこと思うの」
「変じゃないよ。むしろ応援する」
希織が生クリームのついた唇でにこっとする。
「楓馬くんのおかげで陽彩の運命が変わったら、その夢、実現させてみたら? 生きてれば、たいがいのことはできるでしょ?」
「うーん。お父さんがなんていう言うかなぁ」
お父さんの後を継ぐのが、自分の使命。ずっとそう思って生きてきた。小学生の頃から天才科学者の娘ということでインタビューを受けたことが何回かあったけど、将来の夢を聞かれると必ず「お父さんのあとをつぐこと」と答えていた。お母さんがいないから、お父さんに育ててもらった恩をそういう形で返したかった 。
そう希織に言うと、希織はふんふんとうなずいてから言った。
「陽彩の気持ちはわかるけどさ。陽彩がすべてひとりで受け継ぐこともなくない? 他にお父さんの後を継げる、優秀な人がいるかもしれないじゃない?」
「それってなかなか難しいよ、科学の世界はなかなか どけっこうどす黒いから。本当に信頼できる人に任せないと、大変なことになる。お金の問題も出てくるし、人も巻き込んじゃうんだって。お父さんは研究内容についてはあまり話してくれないけど、そういう、科学者の裏事情みたいなのは、小さい頃からよく聞かされた」
「なるほどね……」
だから、血の繋がった娘に託せるなら、お父さんにとっても誰にとっても、いちばんいいと思っていたのだ。わたしなら悪用する心配もないし、お金の問題で揉めることもない。
「ていうか、だいたいさ。わたし、未来ですごい発明をするんだよ? そのために、わたしの命を守るため、今楓馬が来てるわけで……わたしの将来は、既に決まってるんだってば」
「でもさ、陽彩は別に、ひとつのことしかやっちゃいけないわけじゃないでしょ? お父さんの研究を継いで、なおかつ自分のやりたいことをやる。それじゃ駄目なの?」
「……希織って、なかなか欲張りなこと言うね」
「そうかなあ」
くすっと希織はほほえんだ微笑んだ。死の恐怖が取り除かれたせいか、今は希織の笑顔がただまぶしく 見える。
「人生、欲張りじゃなきゃやってられなくない? 求めよ、されば与えられん、だっけ。欲しい、って思うことは悪いことじゃないんじゃないかな」
「なるほど、ね……」
「謙虚が美徳、なんてそんなこと実際は絶対ないよ。欲しいものをまっすぐ取りに行くぐらいじゃないと、楽しくないんじゃない?」
「そう、かも」
そう言ってわたしたちは顔を見合わせ、ふふふっと笑った、その時。
心臓にぴきっとヒビが入ったような気がした。
ヒビはまたたくま瞬く間に胸全体に広がっていって、痛みで息ができなくなる。右手で胸を、左手で喉を押さえてテーブルの上に突っ伏したわたしに、希織が叫ぶ。
「陽彩! どうしたの!?」
痛みでもう、答えることができない。
ぜいぜいぜい、ありったけの力を気道に込めて、なんとか呼吸をしようとする。これは発作だ。あの日、病院に運ばれた時も、これと同じ痛みを経験した。大丈夫、落ち着いて。こういう時のために薬がある。でもここは……病院じゃない。ナースコールも薬もない。地球の反対側、ハワイに来てしまった事実に気が遠くなる。
「陽彩!!」
希織の声が遠ざかって、視界が真っ暗になる。今にも意識が途絶えそうな、その時。
「陽彩ちゃん」
楓馬の声が耳元でして、がしっとたくましい腕に抱きかかえられた、気がした。



