希織が帰って、夕ご飯の時間になって、それからお父さんが面会に来て。
消灯時間になり、わたしは参考書を取り出した。勉強なんてもう無意味だって思ってたけど、でも 入院時、これだけは他の小説や漫画と一緒に持ってきてしまった。英語の本で中学校まで習う文法が網羅してあって、たくさん書き込みや付箋がある、いちばんよく使っていた、大事な本。
天才科学者の娘なので、一応、勉強は得意なほうだ。わたしがテストで百点をとる取るとお父さんは頭をくしゃくしゃやって褒めてくれて、その笑顔が見たくてもっともっととがんばった。家庭教師をつけてもらったり塾に入る前から、自主的に勉強をしていた。
まあ、そんなところさえも、希織以外の人からは「近寄りがたいガリ勉」なんて言われて、距離を置かれる原因になってたけれど。
何度も開いたページをめくっていると、ドアが開いた。白い頭が覗く。
「楓馬」
出した声がはずんでいるのが自分でもわかった。
楓馬が目元にぎゅっと笑い皺を作る。
「こんばんは、陽彩ちゃん。ごめんね、来るのがこの時間になっちゃって」
「今日はもう来ないのかなって、待ちわびてたよ。楓馬に会うの楽しみにしてたから」
言ってしまって、つい頬が赤くなる。
わたし、会ったばかりの男の子になんかすごい恥ずかしいこと言ってない?
「うれしいよ、そう言ってもらえると」
目元の皺をよりいっそう深くして、椅子に腰掛ける楓馬。なんだか大人な反応に、胸がきゅん、とうずく。
「今日は何してた?」
「検査もないし、いつもどおり。相変わらず、薬はたくさん飲んでるけど」
「薬かあ。未来からもっといい薬、持ってくればよかったな」
昨日のサプリメントを思い出す。未来の医療技術って、発達していそうだ。楓馬は振る舞いがすごく大人っぽいから、実はこの見た目で三十歳くらいだったりするのかもしれない。不老不死が叶って、病気もない未来。そうなってたらいいな。
「ねえ、未来ってどんな世界になってるの?」
「それは教えられない。昨日も言ったけど」
「ケチ」
「また昨日と同じこと言ってるし」
「だって知りたいんだもーん!」
ノリよく、ぽんぽん進む会話。なんか、希織や樹里ちゃんやお父さん以外の人と、こんなに楽しく話せるのって、内向的なわたしにはすごく珍しいことのような気がする。いつも人との 間に壁を作って、距離を置いて生きてきてしまったから。
楓馬はその壁を簡単に取っ払って、わたしの心の真ん中にすとんと落ちて きた。
「ねえ、楓馬に会わせたい人がいるの」
そう言うと、楓馬は軽く目を見開いた。
「誰なの?」
「わたしの友だち」
「なんで僕に会わせたいって思ったの?」
「だって、未来人に会ったって言っても、信じてくれないし」
楓馬がもう一度目をぱちくりさせる。
「陽彩ちゃんって、思ってたより大胆なところあるよね。普通、そういうことなかなか人に言えないもんだと思うんだけど……」
「まあ、言ったら馬鹿だと思われちゃうしね。でも希織は違うの、幼馴染で、ほとんど唯一の友だちだから」
「でも信じてくれなかったんでしょ?」
「だから、直接会ってもらうの。百聞は一見に如(し)かず、って言うでしょ」
ついでにお願い! と手を合わせるポーズをすると、楓馬は神妙な面持ちになった。
「歴史に干渉することは禁止されているからな……陽彩ちゃんの運命を変えるのはいいんだけれど、他の人の運命まで変わると困る」
「そこをお願い! てか、そんなに簡単に運命なんて変わらないよ」
「変わるんだよ。バタフライエフェクトって知ってる?」
「ああ……蝶のはばたきが嵐になるとか、そんなんでしょ? 風が吹けば桶屋が儲かる的な、アレだよね。でもほんとかなって思う」
「それが、ほんとなんだよ」
楓馬が軽く身を乗り出す。
「世界を変えるような大変革は、ちょっとした出来事からはじまる。世界じゅうを巻き込むような戦争だって、最初はこんなことがきっかけなの、ってことだったりするだろう? 歴史って、そんな些細なことの連続で運命が変わって、作られていくんだ。たとえばAの運命が変わると、その家族のBの運命も変わる。そうなると、歴史は結果的にだいぶ変わってしまったりする。 言いたいことわかる?」
「まあ、なんとなく」
某国民的猫型ロボットのアニメに出てくる、タイムパトロールを思い浮かべていた。主人公たちが過去にさかのぼってあれこれやると、最後は必ず登場してくるあの人たち。
楓馬は百年後で、タイムパトロール的な仕事をしているのかもしれない。そのへんを聞いたら、また守秘義務とか言ってはぐらかされそうだけど。
「とにかく、この時代で陽彩ちゃん以外の人に会うことは、できれば避けたいんだよね。その希織ちゃんが、誰かに僕のこと言わないって保証もないし」
「希織なら大丈夫だよ! 口、かたいもん!」
「うーん。そこまで言うなら、仕方ないな。大事な友だちだもんね。上に確認してみるよ。数日、時間もらえる?」
「わかった、ありがとう!」
「まったく、ニンゲンは本当に愚かで浅はかだな」
楓馬の後ろから、ひょこっとパオが顔を出す。
「友だちに楓馬を自慢したいんだろう? 未来人がそんなに珍しいのかい」
「珍しいに決まってるじゃない! 幽霊とか宇宙人ならまだしも、未来人だよ? タイムマシンが発明されたって、証明してるようなものでしょ?」
「タイムマシンねえ。あの車がそんなに価値のあるものとはに そんなに価値が あるものだとは 思えないね」
「そりゃ、パオや楓馬からすれば当たり前なんだけど、わたしの感覚では天地がひっくりかえるような大騒ぎなの!」
ふん、とパオが憮然とした顔で鼻を鳴らし、楓馬がパオのおでこをちょんとつつく。
「毒舌はそこまで。パオ、上にメールするから、手伝ってくれる」
「はいはい、仕事ならきちんとやりますよ」
「じゃあ、僕たちは今日はこれで。あまり一緒にいられなくてごめんね、陽彩ちゃん」
楓馬がそう言ってにっこり笑って、心の奥がぽっと熱くなった。
消灯時間になり、わたしは参考書を取り出した。勉強なんてもう無意味だって思ってたけど、でも 入院時、これだけは他の小説や漫画と一緒に持ってきてしまった。英語の本で中学校まで習う文法が網羅してあって、たくさん書き込みや付箋がある、いちばんよく使っていた、大事な本。
天才科学者の娘なので、一応、勉強は得意なほうだ。わたしがテストで百点をとる取るとお父さんは頭をくしゃくしゃやって褒めてくれて、その笑顔が見たくてもっともっととがんばった。家庭教師をつけてもらったり塾に入る前から、自主的に勉強をしていた。
まあ、そんなところさえも、希織以外の人からは「近寄りがたいガリ勉」なんて言われて、距離を置かれる原因になってたけれど。
何度も開いたページをめくっていると、ドアが開いた。白い頭が覗く。
「楓馬」
出した声がはずんでいるのが自分でもわかった。
楓馬が目元にぎゅっと笑い皺を作る。
「こんばんは、陽彩ちゃん。ごめんね、来るのがこの時間になっちゃって」
「今日はもう来ないのかなって、待ちわびてたよ。楓馬に会うの楽しみにしてたから」
言ってしまって、つい頬が赤くなる。
わたし、会ったばかりの男の子になんかすごい恥ずかしいこと言ってない?
「うれしいよ、そう言ってもらえると」
目元の皺をよりいっそう深くして、椅子に腰掛ける楓馬。なんだか大人な反応に、胸がきゅん、とうずく。
「今日は何してた?」
「検査もないし、いつもどおり。相変わらず、薬はたくさん飲んでるけど」
「薬かあ。未来からもっといい薬、持ってくればよかったな」
昨日のサプリメントを思い出す。未来の医療技術って、発達していそうだ。楓馬は振る舞いがすごく大人っぽいから、実はこの見た目で三十歳くらいだったりするのかもしれない。不老不死が叶って、病気もない未来。そうなってたらいいな。
「ねえ、未来ってどんな世界になってるの?」
「それは教えられない。昨日も言ったけど」
「ケチ」
「また昨日と同じこと言ってるし」
「だって知りたいんだもーん!」
ノリよく、ぽんぽん進む会話。なんか、希織や樹里ちゃんやお父さん以外の人と、こんなに楽しく話せるのって、内向的なわたしにはすごく珍しいことのような気がする。いつも人との 間に壁を作って、距離を置いて生きてきてしまったから。
楓馬はその壁を簡単に取っ払って、わたしの心の真ん中にすとんと落ちて きた。
「ねえ、楓馬に会わせたい人がいるの」
そう言うと、楓馬は軽く目を見開いた。
「誰なの?」
「わたしの友だち」
「なんで僕に会わせたいって思ったの?」
「だって、未来人に会ったって言っても、信じてくれないし」
楓馬がもう一度目をぱちくりさせる。
「陽彩ちゃんって、思ってたより大胆なところあるよね。普通、そういうことなかなか人に言えないもんだと思うんだけど……」
「まあ、言ったら馬鹿だと思われちゃうしね。でも希織は違うの、幼馴染で、ほとんど唯一の友だちだから」
「でも信じてくれなかったんでしょ?」
「だから、直接会ってもらうの。百聞は一見に如(し)かず、って言うでしょ」
ついでにお願い! と手を合わせるポーズをすると、楓馬は神妙な面持ちになった。
「歴史に干渉することは禁止されているからな……陽彩ちゃんの運命を変えるのはいいんだけれど、他の人の運命まで変わると困る」
「そこをお願い! てか、そんなに簡単に運命なんて変わらないよ」
「変わるんだよ。バタフライエフェクトって知ってる?」
「ああ……蝶のはばたきが嵐になるとか、そんなんでしょ? 風が吹けば桶屋が儲かる的な、アレだよね。でもほんとかなって思う」
「それが、ほんとなんだよ」
楓馬が軽く身を乗り出す。
「世界を変えるような大変革は、ちょっとした出来事からはじまる。世界じゅうを巻き込むような戦争だって、最初はこんなことがきっかけなの、ってことだったりするだろう? 歴史って、そんな些細なことの連続で運命が変わって、作られていくんだ。たとえばAの運命が変わると、その家族のBの運命も変わる。そうなると、歴史は結果的にだいぶ変わってしまったりする。 言いたいことわかる?」
「まあ、なんとなく」
某国民的猫型ロボットのアニメに出てくる、タイムパトロールを思い浮かべていた。主人公たちが過去にさかのぼってあれこれやると、最後は必ず登場してくるあの人たち。
楓馬は百年後で、タイムパトロール的な仕事をしているのかもしれない。そのへんを聞いたら、また守秘義務とか言ってはぐらかされそうだけど。
「とにかく、この時代で陽彩ちゃん以外の人に会うことは、できれば避けたいんだよね。その希織ちゃんが、誰かに僕のこと言わないって保証もないし」
「希織なら大丈夫だよ! 口、かたいもん!」
「うーん。そこまで言うなら、仕方ないな。大事な友だちだもんね。上に確認してみるよ。数日、時間もらえる?」
「わかった、ありがとう!」
「まったく、ニンゲンは本当に愚かで浅はかだな」
楓馬の後ろから、ひょこっとパオが顔を出す。
「友だちに楓馬を自慢したいんだろう? 未来人がそんなに珍しいのかい」
「珍しいに決まってるじゃない! 幽霊とか宇宙人ならまだしも、未来人だよ? タイムマシンが発明されたって、証明してるようなものでしょ?」
「タイムマシンねえ。あの車がそんなに価値のあるものとはに そんなに価値が あるものだとは 思えないね」
「そりゃ、パオや楓馬からすれば当たり前なんだけど、わたしの感覚では天地がひっくりかえるような大騒ぎなの!」
ふん、とパオが憮然とした顔で鼻を鳴らし、楓馬がパオのおでこをちょんとつつく。
「毒舌はそこまで。パオ、上にメールするから、手伝ってくれる」
「はいはい、仕事ならきちんとやりますよ」
「じゃあ、僕たちは今日はこれで。あまり一緒にいられなくてごめんね、陽彩ちゃん」
楓馬がそう言ってにっこり笑って、心の奥がぽっと熱くなった。



