病院食はおいしくない。お味噌汁は塩分を少なめにしているのかやたらと味が薄いし、サラダの野菜は熱を加え過ぎてくたっとしている。今日のお昼はミネストローネらしいけど、これはミネストローネの名を借りたまるで別物。具材が少なくて汁にはとろみがないし、ちょっと冷めて出てくるのでぜんぜん食欲がわかない。
「もう、またこんなに残しちゃって」
三分の一ほど手つかずのわたしの食器を、担当看護師の池(いけ)澤(ざわ)さんが片付けてくれる。歳は聞いたことないけれどたぶん三十代の後半か四十代の前半、看護師歴の長そうな、いつもきびきびと動く女の人だ。
「食欲、なくて」
「そりゃ、病人用の食事なんだからおいしくないのは仕方ないけどね」
おいしくないなんてひと言も言ってないのに、しっかりと内心を言い当てられてしまう。気まずくてベッドの上に身体を起こしたまま、視線を窓の外に向けた。三日前からずっと、鬱陶しい雨が降り続いていて、三棟連なった病院の白い外壁を濡らしている。
「ちゃんと食べないと元気が出ないわよ」
「別に元気があってもすることないし、しなきゃいけないこともないんで」
お父さんが差し入れてくれた本は読み終わってしまったし、漫画も飽きた。そもそも、未完の漫画は今のわたしにとっては地雷だ。続きが出る頃にはこの世にいないんだ、と思うと絶望で頭が壊れそうになる。
わたしの事情を知っている池澤さんは、まずいことを言ってしまった、というような顔になった。あわてて笑みを貼り付つける。
「そもそも、ごろごろしてるだけでちっとも動かないんじゃ、お腹すくわけないんですよ。朝ご飯からお昼ご飯まで、ほとんど何もしてないんですもの」
「そりゃそうだけどね。病院食はちゃんとひーちゃんの身体に必要な栄養が計算されて入ってる んだから、食べなきゃ駄目なの。運動は無理だけど、院内を少し歩いてみる 歩くぐらいはしてみたら?」
そう言って池澤さんは食器をワゴンにのせ、個室を出て行いった。
ひーちゃん、か。フルネームは南(なん)部(ぶ)陽(ひ)彩(いろ) だけど、特にあだ名を持ったことがなかった。四月に十六歳になったばかりのわたしに、はじめてあだ名をつけてくれた池澤さん。親しみを込めてひーちゃんと呼んでくれるのは悪い気分じゃない。でもそれも残りわずかのこと。そう思ってしまって、胃の中のミネストローネ味のまずいスープが胸やけを起こしそうになる。
ほんとに、気分転換に歩くのもいいかもしれないな。
備え付けのスリッパを履いて、個室を出た。病院の廊下は薬品を薄めたような独特のにおいに、昼食のにおいが入り混じっている。点滴をぶら下げて歩く患者さんや看護師さんが行きかい、足音がかすかに響いていた。すれ違う人たちの表情はみんなどこか暗い。命にかかわる関わる場所だから当たり前だけれど。そしてきっと、わたしも他人から見たら落ち込んだ顔をしているんだろう。
すぐにラウンジについた。患者さんらしい人や見舞い客と思われる人が数人、おしゃべりしたりスマホをいじって いじったりしている。わたしは窓際のソファに腰を下ろし、病院の庭に目を向けた。今は六月に入って二週間、梅雨入りして以来、毎日雨が鬱陶しい。
空は重々しいグレーの雲で埋め尽くされていて、しばらく嫌な天気が続きそうだ。でも庭の隅っこでわさわさ咲いている紫陽花(あじさい) の花壇はきれいだった。ピンクに青に白、鮮やかな色彩に思わず手を伸ばしたくなる。
「無理だけどね」
皮肉たっぷりにひとり独り言をつぶやくわたしの顔には、完全に絶望した人の空っぽの笑みが貼りついているだろう。
「もう、またこんなに残しちゃって」
三分の一ほど手つかずのわたしの食器を、担当看護師の池(いけ)澤(ざわ)さんが片付けてくれる。歳は聞いたことないけれどたぶん三十代の後半か四十代の前半、看護師歴の長そうな、いつもきびきびと動く女の人だ。
「食欲、なくて」
「そりゃ、病人用の食事なんだからおいしくないのは仕方ないけどね」
おいしくないなんてひと言も言ってないのに、しっかりと内心を言い当てられてしまう。気まずくてベッドの上に身体を起こしたまま、視線を窓の外に向けた。三日前からずっと、鬱陶しい雨が降り続いていて、三棟連なった病院の白い外壁を濡らしている。
「ちゃんと食べないと元気が出ないわよ」
「別に元気があってもすることないし、しなきゃいけないこともないんで」
お父さんが差し入れてくれた本は読み終わってしまったし、漫画も飽きた。そもそも、未完の漫画は今のわたしにとっては地雷だ。続きが出る頃にはこの世にいないんだ、と思うと絶望で頭が壊れそうになる。
わたしの事情を知っている池澤さんは、まずいことを言ってしまった、というような顔になった。あわてて笑みを貼り付つける。
「そもそも、ごろごろしてるだけでちっとも動かないんじゃ、お腹すくわけないんですよ。朝ご飯からお昼ご飯まで、ほとんど何もしてないんですもの」
「そりゃそうだけどね。病院食はちゃんとひーちゃんの身体に必要な栄養が計算されて入ってる んだから、食べなきゃ駄目なの。運動は無理だけど、院内を少し歩いてみる 歩くぐらいはしてみたら?」
そう言って池澤さんは食器をワゴンにのせ、個室を出て行いった。
ひーちゃん、か。フルネームは南(なん)部(ぶ)陽(ひ)彩(いろ) だけど、特にあだ名を持ったことがなかった。四月に十六歳になったばかりのわたしに、はじめてあだ名をつけてくれた池澤さん。親しみを込めてひーちゃんと呼んでくれるのは悪い気分じゃない。でもそれも残りわずかのこと。そう思ってしまって、胃の中のミネストローネ味のまずいスープが胸やけを起こしそうになる。
ほんとに、気分転換に歩くのもいいかもしれないな。
備え付けのスリッパを履いて、個室を出た。病院の廊下は薬品を薄めたような独特のにおいに、昼食のにおいが入り混じっている。点滴をぶら下げて歩く患者さんや看護師さんが行きかい、足音がかすかに響いていた。すれ違う人たちの表情はみんなどこか暗い。命にかかわる関わる場所だから当たり前だけれど。そしてきっと、わたしも他人から見たら落ち込んだ顔をしているんだろう。
すぐにラウンジについた。患者さんらしい人や見舞い客と思われる人が数人、おしゃべりしたりスマホをいじって いじったりしている。わたしは窓際のソファに腰を下ろし、病院の庭に目を向けた。今は六月に入って二週間、梅雨入りして以来、毎日雨が鬱陶しい。
空は重々しいグレーの雲で埋め尽くされていて、しばらく嫌な天気が続きそうだ。でも庭の隅っこでわさわさ咲いている紫陽花(あじさい) の花壇はきれいだった。ピンクに青に白、鮮やかな色彩に思わず手を伸ばしたくなる。
「無理だけどね」
皮肉たっぷりにひとり独り言をつぶやくわたしの顔には、完全に絶望した人の空っぽの笑みが貼りついているだろう。



