翌朝。鳥のさえずりに目を覚ます。
見慣れない天井をぼんやりと眺めながら、昨日のことが夢ではないんだと自覚する。
布団から起き上がり、昨日来ていた服に着替えて廊下に出る扉を開ける。
「うーん。朝日はこっちも変わらないんだな」
朝日を浴びて伸びながら、呑気(のんき)にそう思う。
これからどうするかと考えていると、お腹がくう~と空腹を訴える。
「そういえば、昨日は何も食べてなかった。台所ってどこだろ」
まあ、歩いていればたどり着くか。
屋敷の散策もかねて朝食を作りに台所に向かう。
「ん? この匂い」
少し歩いていると、かすかにいい匂いが漂ってくる。
匂いにつられて行くと、目的地の台所だった。
「おお。すごい!」
まるで時代劇に出てくるレトロな台所を目の当たりにし、興奮する。
「お! 嬢ちゃん。早いな」
珍しい光景を眺めていると、昨日と同じ服装をした鬼の妖怪、アクロさんが姿を現した。
「えっと。アクロさん。おはようございます。何なさっているんですか?」
「ああ。おはよう。今か? あいつ等の朝食を作ってる」
「アクロさんが?」
「ああ。まあ、この見た目だしな。料理なんてできそうにないだろ」
「そ、そんなことないです!」
まさかの人物が朝食を作っていることに疑問に思って口にしてしまい、慌てて謝る。
「何作っているんですか? 手伝いますよ」
「ああ。悪い。もう終わるところなんだよな。あー、そうだ」
わたしよりも長い爪で右の頬を搔きながら考えていたアクロさんは、渋い顔をしながらお願いしてきた。
「なら、アズマのこと起こしに行ってくれるか?」
「わかりました」
「アズマの部屋はお前さんとこの部屋の近くの角を曲がったところだ。大変だろうけど、がんばってくれ」
台所を出て行く途中、背後から掛けられた言葉の意味に内心首を傾げながら、アズマさんの部屋へと向かった。
わたしの部屋の前に来た時、足元に花びらが落ちているのを見つける。
何かと思い花びらを拾うと、綺麗なピンク色をしていた。
「きれい。まるで桜みたいって違う。違う。今はアズマさんを起こさないと」
きれいな花びらに見惚れていて目的を忘れかけていた。
角を曲がり、少し廊下を歩いた先。アズマさんの部屋に着き、呼びかける。
「アズマさん。朝です。起きてください」
数秒待ってみたが、返事は帰ってこない。
「アズマさん?」
さっきより声を少し大きくしてまた呼んでみるが、また返事はない。
「いないのかな。アズマさん。入りますよ?」
不在かどうか確認するため、少し襖を開ける。
部屋の中央に布団が敷かれ、もっこりと膨らんでいる。主がいることを確認し部屋の中に入る。
「アズマさん。起きてください」
布団に近付き、再度声を掛ける。
「アズマさん」
「う、うーん」
まだ起きないため、次は声を掛けながら揺らす。すると、少し唸り声が聞こえてくる。
「もう朝ですよ。いい加減起きてください」
「うーん。もう少し」
「もう少しではありません。まったく」
世の中のお母さんはこうも大変なのかと、しみじみ思っていると突然、腕を掴まれて布団に引きずり込まれる。
「ちょ、ちょっと。アズマさん!」
「うるさい。静かにしてろ」
驚いて声を上げるが、寝起きの低い声で注意される。
し、静かにしろって言われても……!
一応、拘束している腕から抜け出そうともがいてみるが、ビクともしない。
「動くな」
身動きしていたのが良くなかったのか。アズマさんのわたしを抱きしめる腕の力がより強くなり、二人の距離もより近くなった。
む、胸が……!
着物が少しはだけて男の人特有の筋肉がついた、胸が目の前にある。
この状況で胸がさっきからドキドキして、頬が熱い。早くどうにかしないといけないが、身動きが取れない。
申し訳ないけど、こうなったら。
最終手段を使おうとしたその時。廊下からリンリンと涼やかな鈴の音と、軽やかな足音が聞こえてくる。
「アズマ様! 朝ですよー!」
デジャブのようにすぱーん! と勢いよく障子が開かれた音がし、ハギさんの声が聞こえてきた。
「もう、朝ですよ。布団から出てください」
ヤバい。こっちに来る!
段々近付いてくる足音。
「ちょ。待ってー――」
「もう。早くしてください!」
わたしの静止よりが聞こえなかったのか。ハギさんは勢いよく掛布団と引っぺがした。
「え?」
掛布団を持ったまま、動きが止まっているハギさん。
誰でもこの状況なら、動くが止まってもおかしくないと思う。わたしもそうなるだろうから。
でも、流石に男性に抱き抱えられている場面を見られたのはまずい。
「えっと。これには深い事情が……」
「……た、大変だー!」
わたしが弁明しようとするが、ハギさんは大声を上げて、部屋を出て行ってしまった。
「ご、誤解です!」
「ん。なに、あさ?」
わたしの声にやっと目を覚ましたアズマさんは、自分の腕の中にいるわたしに視線を向ける。
「あれ? 何でアンタがここに?」
寝ぼけていたから覚えていないのはしょうがないことだが、沸々と怒りがこみ上げてくる。
「あ、あなたのせいです!」
こうして、妖怪の世界での初めての朝は慌ただしく幕を開けた。
あれから、目覚めたアズマさんにやっと離してもらい急いでハギさんの後を追い、弁明をした。
何とか誤解が解けどっと疲れているところに、ことの発端である人が遅れて広間にやって来た。全員揃ったことろで、みんなで朝ごはんを食べ始めた。
「あ。そういえば。アズマ様。お姉さんは何者何ですか?」
「あれ? 言ってなかったか?」
「何も」
「何にも聞いてないな」
ハギさんの質問に首を傾げるアズマさん。そんなアズマさんの言葉に頷くクロさんとアクロさん。
「ごめん、ごめん。すっかり紹介した気になってた。なら、改めて。こっちに来てくれるか」
自分の隣をポンポンと叩かれ招かれる。みんなに注目され緊張しながら、隣に座る。
「このお嬢さんは、神楽柳。森にいたところを俺が拾ったんだ」
「よ、よろしくお願いします」
紹介され頭を下げる。
「うん。よろしく!」
「よろしくな」
「……」
アズマさんはわたしをここに置くことに前向きだったが、他のみなさんはどんな反応をするのか。もし、反対され追い出されでもしたらどうしようと色々考えていたが、歓迎されている感じで逆に拍子抜けしてしまう。
「……」
「ん? どうした?」
「いや。こんな反応されるとは思わず」
「はは。まあ、アズマの拾い癖なんて、今に始まったことじゃないしな」
「そうそう。このバカ力の鬼も、アズマ様が拾ったんだし」
「……お前もだろ」
拾い癖……。
領地を統治している人がそんな感じでいいのかと若干呆れる。
「まあ。そういうことだ。しばらくはここで暮らす。みな、困っていたら助けてやってくれ」
「「「はい」」」
わたしの話はそこで終わり、その後は各々部屋に帰って行った。
「はあ。暇だな」
わたしも自分の部屋に帰ったが、特にやる事もなく床に寝転がっていた。
首を横に向け置いてあるスマホを見る。部屋に着いてからスマホが使えないかいじってみたが、反応は無く画面は真っ暗なまま。HINAさんの声も聞こえてこない。
もう一度はあとため息を吐く。
このまま、時が過ぎるのを待つかと考えていたら、廊下から足音が聞え、部屋の前で止まった。
「おーい。いるか?」
誰かと思っていると、軽快な声でアズマさんだとわかった。
何かあったのかな。
起き上がり、障子を開ける。
「ああ、よかった。いたんだな」
「どうしたんですか?」
「なあ。今暇か?」
「はい。暇です」
誤魔化すことでもないから正直に頷く。
「はは。なら、少しオレに付き合ってくれるか?」
アズマさんはそう言うと、不敵に笑った。
アズマさんの後についていき、屋敷の外に出る。そこには他の方々がすでに揃っていた。
「あ、来た来た!」
わたしたちの姿を見つけたハギさんは、まるで犬のように喜んで駆け寄ってきた。
猫なのに、犬みたい。
失礼なことかもしれないが、そうしてもハギさんの行動を見ているとそう思ってしまう。
「何かあるんですか?」
「これから、街の見回りに行くんだよ」
わたしの疑問にハギさんは優しく教えてくれる。
「見回るだけなのに、武器がいるんですか?」
さっきまで持っていなかったそれぞれ違う武器が目に入る。見回るだけなら、いらなそうなのに。
「まあな。あって困ることはないからな」
そういうもんか。
一人納得していると、上から何かかぶされて視界を奪われる。
ま、前が見えない。
一人バタバタしていると、誰かが助けてくれた。
「た、助かった」
「ハハ。アンタ何やってるんだ」
「可愛かったね」
恥ずかしいところを見られて頬が熱くなる。
「わ、忘れてください。それより、これは何ですか?」
外套のようだけど。
「ああ。それはアンタを守るためのものだよ」
守る? 誰から?
首を傾げていると、アズマさんが補足してくれる。
「ここには妖怪しかいない。人間であるアンタは珍しいんだ。だから正体を隠しとかないと、どっかにさらわれてちまう。まあ、オレたちが傍にいるから変なことをしてくる奴なんていないだろうが。念のためな」
「はい。わかりました」
少し怖いことを言われ、体が強張り声も硬くなったことがわかった。
その様子を見て苦笑するアズマさん。
「大丈夫だ。アンタのことは必ず守ってやるから」
わたしの頭に手を置き、安心させるように微笑んでくれた。その笑みを見て肩の力が抜ける。
「はい。ありがとうございます」
これ以上心配させないよう微笑む。
すると、なぜかアズマさんは目を見開き、少し頬を赤く染めた。
「どうかしましたか?」
「い、いや。何でもない。ほら行くぞ」
今度はわたしが心配になり、アズマさんの顔をよく見るため見上げるが、顔をそらされそのまま歩いて行ってしまう。
何か気に障ることしたかな。
不安に思い、後ろ姿を見つめていると、今まで黙って様子を見ていた三人の声が聞こえた。
「アズマ様が照れてた」
「ああ。照れてたな」
「……照れてた」
照れてたんだ。
三人の話を聞いて、アズマさんが可愛く見えて少し頬が緩む。
「おい! 早くしろ!」
いつまでも来ないわたしたちにしびれを切らした大声が聞こえてきて、大急ぎで彼の後を追って、街に出かけた。
「きゃあ! アズマ様!」
「ハギ君~! 今日もかわいい!」
「アクロさん。今日も素敵な筋肉をありがとう!」
「クロ様! こっち向いて~!」
……すごい人だかり。
街に来たはいいが、わたし以外の四人は街の妖怪たちに囲まれてしまった。まるでアイドルにあったファンみたいだ。
巻き込まれるのは避けたかったので、人だかりをかき分けてわたしは、少し離れた場所でその様子を見守っていた。
「ねえ。新しい簪(かんざし)があるみたい!」
「え。本当! 見に行ってみよう!」
ぼうっとしながら、待っていると近くにいた妖怪の女の子たちが、何か話している声が聞こえてきた。
簪(かんざし)?
気になり女の子たちが話していた簪(かんざし)が置いてあるお店に向かう。
わあ。きれい……!
そこには、色鮮やかな簪(かんざし)が並んでいた。
他にもいたお客さんも簪のきれいさにうっとりしている。一つ一つ丁寧に作られているのがわかり、職人さんのこだわりが感じられた。
友達とどの簪が似合うか話し合う姿を見ていると、普通の人間の女の子と同じなんだなと思った。
「どうした? 何か気になる物でもあるのか?」
「うひゃあ!」
じっと眺めていると、不意に背後から近い距離で声を掛けられて、変な声が出てしまう。
「あ、アズマさん!」
背後を振り返り、声を掛けてきた人物に声を上げる。
さっきまで街の妖怪というか、ファンだと思う女の子たちに囲まれていたアズマさんがいた。突然のことにさっきまで簪に夢中だった子たちも簪そっちのけで、アズマさんにくぎ付けだ。
「それが欲しいのか?」
「ち、違います! ただ、かわいいなと思って見ていただけで!」
わたしが手に持っていた紅い簪を尋ねられ、否定し急いで元の場所に戻す。
「アンタに似合うと思うぞ。ちょっと貸してみな」
せっかく元の場所に戻したのに、アズマさんはさっきまでわたしが持っていた簪を取り、深く被っていたフードを少しずらして、髪に近付けた。
「うん。似合ってる。アンタにぴったりだ」
「~~~っ!」
男の人にそんなこと言われたことなんてないから、恥ずかしくて顔を背けてしまう。
この人は何でそんなセリフを、何てこともない顔で言えるの!
と心の中で文句を言う。
「じゃ、コレ買うな」
色々文句を言っている間に買う流れになってしまい、急いで服の裾を掴み止める。
「い、いらないです!」
「いらないってことないだろ。似合ってたし」
「お金ないですし」
「心配すんな。コレはオレからのプレゼントだ」
「わたしは居候の身ですし! 買ってもらうなんて出来ません!」
「そんなこと気にしなくていいのに」
「気にするんです!」
どちらも譲らない攻防。
もし、ここでわたしが折れてしまったら、今後もアズマさんは何でも買おうとする。そんな予感がした。
お店の妖怪には悪いが、ここは一歩も引けない。
そうして、数分間は同じような攻防を繰り広げたているとついに。
「はあ。わかった」
やっとアズマさんが折れてくれた。
よかった。
簪を渋々元の場所に戻すアズマさんを見て、ふうと息を付く。
「ねえ。何あの子」
「アズマ様に向かってあの態度」
「どこの女よ」
安堵していると、背後からコソコソと話声が聞こえてきた。
背後を振り返ると、さっきまで黙って様子を眺めていた女の子たちが集まっていた。
まあ。こういう時は、無視が一番かな。
下手に刺激すると、もっと厄介なことになりそうなのでそう判断した。
「あ、なあ! じゃあ櫛(くし)はどうだ?」
それまで真剣に何かを眺めていたアズマさんは、木製の小柄な櫛を持っていた。
「櫛ですか?」
「ああ。櫛なら毎朝髪を梳かすのに、使うだろ」
「そうですね。無いよりかはあった方が助かります」
「だろ? ならこれをプレゼントさせてくれ」
「……わかりました。このお返しはいつか返します」
「別に気にしなくていいって。俺がしたくてするんだし」
「なら、わたしもしたくてするので」
お会計も終わり、二人でまた攻防していると。
「あら? アズマさん」
お店の外で商品を眺めていたきれいな身なりをした女性が声を掛けてきた。
わあ。きれい。
きれいな黒髪を豪華(ごうか)な髪飾りで一つに止め、黒髪に映える紅い着物を着ていた。頭にはアズマさんたちと同じ獣の耳があり、尻尾もあった。
耳の形がハギさんと同じだから、おそらくこの女性も猫又だろう。尻尾もよく見ると二本に分かれている。
「お久しぶりですわね」
「ああ。久しぶりだな。キンカ」
アズマさんの知り合いのようで、軽い挨拶を交わす。
「わたくし、今ちょうど南の領地から帰ってきたところなんです。アズマさんは何をしていらっしゃったんですか?」
「俺は街の見回りを」
「そうですか。アズマさんは、この土地の領主。お忙しい身ですものね。誰かのために割く時間なんて、ありませんものね」
扇(おうぎ)で口元を隠し、笑っているが最後の言葉を言い終わる時は、鋭い視線に変わった。
美人の起こった顔にビクッと肩が跳ね、怖くなってアズマの後ろに隠れる。
少し顔を出すと、そのことが気に入らないのか。キンカさんと呼ばれた女性はさらに鋭い視線をわたしに向け、何事もなかったかのように笑顔に戻り話を続ける。
「ところで。縁談の件。考えてくれましたか?」
「またその話しか。何度も断ってるだろ。俺は誰かと婚約する気はない」
「どうしてです? わたくしの家と縁ができれば、貴方にとってもいい話しだと思いますよ」
アズマさんの婚約者さんなのかな。
話しを聞いて、そう思ったが反応を見るに違うなとすぐにわかった。
アズマさんが迷惑そうな態度に対して、キンカさんは自分と婚約すればどういいのか語るだけ。相手ことを見ずにただただ自分に都合がいいように進めようとしているのが、はたから見てもわかった。
「今は、お家が破綻してあんなみすぼらしいお邸に住んでいるようですが。わたくしの話をのんでいただければ」
「すまんが。俺はあの家を捨てる気はない」
それまでやんわりと断っていたアズマさんだったが、家の話になった途端空気が変わった。さきほどまでより、声を低くしてキンカさんを睨みつける。
「あの家は俺に残された最後の形見だ。それをバカにするような奴とは、婚約なんて持っての他だ。じゃあな。行くぞ、柳」
「ちょ! アズマさん!」
話しを一方的に切り上げ、背後にいたわたしの腕を掴み、速足にその場を去る。
まるで彼女の静止なんて耳に届いていないかのように。
「あの。いいんですか? お話」
「大したことじゃない。気にするな」
流石に彼女が可愛そうに思い、聞いてみるがアズマさんは静かな声でそう言った。
静かな声だったが、どこかこれ以上踏み込んでくるなと言われている。そう感じたわたしは、その後は何も言えなかった。
後ろが気になり振り向くが、もうあのお店は視えなくなっていた。
視線を戻して、アズマさんの顔を見ると、泣きたそうな。迷子の子供のような。そんな不安そうな顔をしていた。
何と声を掛けようかと思ったが、彼とあの女性とのわだかまりを知らないわたしが、何を言えばいいのかわからず。結局何も言えずに、ただ引っ張られながら歩くことしか出来なかった。
「あ、いたいた! もう、どこ行ってたんですか!」
「悪い。悪い」
しばらく歩いていると、前からハギさんたちがこちらに向かって走ってくるのが見えた。
足を止め、みなさんと合流しハギさんからお叱りを聞き流すアズマさん。
「……何かあったか」
「いや。何も。それより、街の様子はどうだった」
その態度に異変を感じたのか、問題がないか問うクロさんの質問も軽く受け流した。
「いつもと変わらねえ。と言いたいが最近、妖魔が近くにいるらしい」
「そうか。遅くなる前に何か対策をしないとな」
アクロさんからの報告に真剣な表情になるアズマさん。
妖魔って何だろう?
さきほど出た聞き慣れない言葉に内心首を傾げていると。
「きゃあ!」
「よ、妖魔が出たぞ!」
街の妖怪が大声を出して走ってきた。
「急ぐぞ!」
いち早く動いたのはクロさんとアクロさん。次にハギさん。
みなさんが動く中、何が起きているのかわからないわたしにアズマさんが近寄ってきて、抱き上げられる。
「緊急なんでな。振り落とされないようにしろよ」
「うわっ!」
逃げ惑う妖怪たちの波に呑まれないよう屋根に移動して、森を駆け抜けた時と同じスピードで、走っていった。
「きゃああ!」
「逃げろ!」
現場に着くと、そこには見たこともない黒い謎のバケモノが家を壊していた。
その恐ろしさに怯むわたしを落ち着かせるように、アズマさんは微笑んだ。
「数は?」
「一体だけみたいだ」
「そうか」
わたしを下ろし、アクロさんと短いやり取りをする。
「……アズマ。オレがやる」
「ああ。任せたぞ。クロ」
まさか。一人であのバケモノの相手をするのかと疑い、アズマさんに視線を向ける。
「い、いいんですか? クロさん一人で」
「大丈夫だ。アイツは強い。妖魔一匹ぐらいじゃあ、やられない」
彼は焦るわたしとは違い、いたって冷静にバケモノに向かっていくクロさんを見つめる。
その横顔を見ていると、確かな信頼が彼らの間にはあるんだと思った。
これ以上騒いでも迷惑になると思い、わたしも黙ってクロさんを見つめる。
「……」
「グオオ!」
クロさんの存在に気付き、咆哮(ほうこう)を上げるバケモノ。遠くにいても響くその声に思わず耳を塞ぐ。
あんなの一人で本当に相手に出来るの?
ここにいてもわかる。あのバケモノは只者(ただもの)じゃない。下手をしたら殺される。
大丈夫だと言われても、やはり心配がなくなるわけではない。もう一度アズマさんの方を向き、視線で訴える。すると、わたしの視線に気づいたのか。彼はこちらに顔を向け微笑んだ。
「まだ。心配か?」
「はい」
「平気さ。さ、見てろ。これが、オレの右腕の実力だ」
アズマさんがそう言い終わるのと同時に、もう一度バケモノが咆哮を上げ、クロさん目掛けて走り出す。
危ない! 逃げて!
だが、わたしの思いが届くはずがなく、彼はただ真っ直ぐ歩くだけ。
大きな爪を構え、大きく振り下ろす。
やられる!
そう思ったが。
「グオ?」
あれ?
バケモノが爪を振り下ろすまでそこにいたはずのクロさんの姿が忽然(こつぜん)と消えていた。
ど、どこにいったの? さっきまでいたのに。
何が起きたのかわからず混乱する。それはバケモノも同じなようで、クロさんを必死に探していた。
「これがアイツの力だ」
頭上から得意げな声が聞こえる。見上げるとアズマさんがさきほどと同じように微笑んで、私を見下ろしていた。
「な、何があったんですか? クロさんはどこに?」
「そうだな。簡単に教えるのもつまらないし……。アイツと昨日会った時のこと覚えてるか?」
「は、はい」
「なら、アイツがどこから出てきたのかも覚えてるか?」
どこから……?
うーんと頭をひねり、昨日のことを思い出す。
えっと。確か……。
「足元をよく見な」
足元?
思い出せないわたしにアズマさんがヒントをくれる。
ヒントを元に足元を見るが、そこにあるのは影だけだった。
影……あ!
「思い出したみたいだな」
アズマさんの言葉に頷く。
そうか。陰に隠れたんだ。
相手の一瞬を付き隠れる。こんな技、手慣れている人じゃないとできやしない。
すごい……。
心の中で感心していると、バケモノの背後に人影があった。
バケモノも気づき、振り返るがそれよりも早く何かが妖魔の腕を切り裂く。片腕を落とされたバケモノは、クロさんを睨みつける。クロさんは短剣を両手に持ち、敵を威圧する。
その威圧にバケモノは怯み、そのままこの場を去って森に消えて行った。
「ハギ。被害の方は?」
「そこまで出てないよ。一匹だけだったから少し建物が壊れたくらい。怪我人もいない」
クロさんの戦いを見届け、残った三人は手分けして被害の状況を確認した。
とそこに。
「おや。そこにいるのは、出来損ないの妖狐じゃないか」
大軍を引き連れた男性がやってきた。
「面倒くさいのが来たな」
アズマさんはまるで苦虫を潰したかのよう顔を男性に向ける。
「酷いな。僕は事実を言っているだけじゃないか」
男性は余裕そうな表情をしながら肩を竦めて見せる。
「武器をしまえ。お前ら」
「だが」
「いいから」
そのことが気に入らなかったのか。アズマさん以外の三人は各々の武器を構え、男性と対峙したが、アズマさんに言われ渋々武器を仕舞った。
「ふん。躾(しつ)けがなっていないな。これだから低俗の者は」
その様子を見ていた男性は、嫌味をこぼす。
「あの。彼らは一体?」
「あれは、治安維持部隊。さっきの妖魔が出たりした時に、妖魔を倒したりする組織の部隊だよ」
男性が何者なのか気になり尋ねると、近くにいたハギさんが小声で教えてくれた。
「治安維持部隊。でも、来るのが遅かったですよね。もし、みなさんが来ていなかったら、今頃もっと被害が出ていたんじゃ」
「ああ。アイツらは身分の高い者たちしか助けない。それ以外の者が死んでも自分たちは関係ない。悪いのは俺たちだと難癖(なんくせ)をつけてくる」
アクロさんの言葉に「何でそんなことを」と疑問に思うと、
「元々、妖魔を倒すのは領主であるアズマ様たちの役なんだ。でも、十年前の悲劇でアズマ様の家の信用は落ちた。そこで発足されたのが治安維持部隊なんだ」
ハギさんが彼らと治安維持部隊の方たちとの因縁(いんねん)を話してくれた。
「でも、みなさん。さっきまでいろんな妖怪に囲まれていましたよね?」
「それは、アズマが信用を取り戻したからだ。だが、全ての者が納得したわけではない。あの悲劇はそれほどまでに、民の心に深く根付いている」
わたしたちがそうこう話をしている間に、治安維持部隊の隊長さんらしき妖怪と、アズマさんの話も終わりを迎えた。
「まあ。いい。僕たちも暇ではないんでね。失礼させてもらおう」
「待てよ。ここはほったらかしかよ」
「はっ。こんなみすぼらしところ。助けたところで何も利益になりはしない。言っただろ、暇じゃないんだ。そんなこと言うなら、君がどうにかすればいいだろ。ああ、君は民から嫌われているんだったか。アハハ! これは失敬。それにしても、君もかわいそうだな。君は民のために頑張っているというのに、その民たちは君のことを信用していないんだから」
「……そうだな」
男性からの嫌味を品検に受け止めるアズマさん。
「ふん。行くぞ」
その態度が気に入らなかったのか。男性は鼻を鳴らし後ろに控えていた部隊を率いて。この場から去っていった。
「……アズマさん」
心配になり優しく声を掛ける。
「ん? どうした?」
「……いえ。何でもありません」
「そうか? じゃあ、俺たちも帰るか。ここはもう大丈夫みたいだいしな」
いつもと変わらない。軽快な声が返って来て少し拍子抜けした。
周りを見てみると、いつの間にか妖怪たちが力を合わせて、瓦礫(がれき)の撤去(てっきょ)をしていた。
と眺めていると、こちらを睨んでいる妖怪たちの視線を見てしまい、怯んだ。
憎悪。嫌悪。
ここの妖怪たちの視線からはそれらが感じられた。
怖くなり視線を下げるわたし。
すると、背に暖かい感触がして、隣に視線をやるとアズマさんがいた。わたしの視線に気づき、微笑み優しく掌を添えて押してくれた。
あの事件。
それがどれだけアズマさんたち。この街に住む妖怪たちの心に傷をつけたのか。
初めての街の見回りは山ほど知りたいことばかりの出来事で幕を閉じた。
「はあ」
「さっきからため息ばっかりついてるけど。幸せが逃げるわよ」
邸に戻ってからというもの、ため息ばかり吐くわたしに、HINAさんは呆れた声を出した。
「わたし、アズマさんたちのこと何も知らないと思って」
今日あったことを思い出しながらそうこぼす。
「まあ。昨日会ったばかりの他人だもの。知らなくて当然よ」
「それはそうなんですが。ただ、何ていうか。彼らを知らないで、どうやって世界を救えばいいのかわからなくて」
元の世界に帰りたい。
そのことは今でも変わらないが、この世界の現状を目の当たりに、考えがだんだんと揺らいでいた。
「あら。あまり乗り気じゃなかったくせに。どういう風の吹き回し?」
「さっきも言った通りです。わたしは、彼らを知らない。でも、今日一日彼らと供に行動して、少しわかりました。彼らはあのバケモノ、妖魔から街の妖怪たちを守るために必死に戦っている。でも、その努力も知らずに批難される。そんなのおかしいと思って。だから」
そこで言葉を区切り、決心を固める。
「だから、わたし決めました。彼らと友達になって、彼らのことを知って一緒に世界を救おうって。何でわたしが適任なのか、今もよくわからないけど。けど、わたしなりに彼らと向き合おうと思います」
そうわたしは宣言した。
「そう。あなたはそういう子よね」
「ん? 何か言いました?」
「いいえ。何も♪ それで、何から始めるの?」
HINAさんから問いかけられ、考えを言う。
「まずは、みなさんにわたしのことを話します。何で人間であるわたしがこの世界に来たのか。彼らはまだ知りません。そんな人間を置いておくのも、嫌だと思いますし」
「まあ。いいんじゃない。あなたのことは別に秘密にしろとは言われていないし。あ、でも、私のことは言わないでちょうだい」
「わかりました。ありがとうございます」
HINAさんからの了承も得てお礼を言う。
そうと決まれば、善は急げ。
立ち上がり、部屋を出て邸にいるみなさんを探しに行った。
「で。どうしたんだ? 改まって」
アズマさんの掛け声に、広間に集まっていたみなさんの視線が、わたしに集中する。
緊張したが、一つ深呼吸をしてゆっくりと一人ひとりの目を見つめる。そして。
「みなさん。ごめんなさい!」
勢いよく頭を下げた。
「ど、どうしたの? お姉さん。頭下げて」
「そうだぞ。顔を上げろ」
いきなりの事で驚いた声を出すハギさんと、アクロさん。
ゆっくりと顔を上げて、話を進める。
「実は、わたし。みなさんに言わなければならないことがあるんです。わたしがこの世界に来たのは、みなさんの世界を救うためなんです」
いきなりそんなことを言われても、誰も信じないだろう。
でも、嘘偽りでないと伝わって欲しい一心で、話を続ける。
「何を言っているのかわからないと思います。わたしもいきなり見たこともない種族の人にこんなこと言われたら、戸惑います。でも、今はそれでもいいです。だってまだお互いのことを何も知らないんだから。これから知り、そしてわたしの言ったことを信じて欲しいんです」
もう一度、みなさんの目を見つめる。
「お願いします。みなさんの力をわたしに貸してください!」
そして、もう一度頭を下げる。
長い沈黙が続いた。
みなさんいきなりこんなこと言われても、信じてはくれないか。
まあ。当たり前か。と諦めかけた時。
「アンタがあの森にいたのは、そういうことだったのか」
アズマさんの落ち着いた声が聞こえてきた。
ゆっくりと顔を上げ、アズマさんの視線を真っ直ぐに見つめる。
「はい」
アズマさんと初めて出会った時のことを思い出し、肯定する。
「あんたの話、わかった。オレは力を貸すぜ」
「アズマさん!」
「ボクも」
「俺も」
アズマさんの後に続き、ハギさんとアクロさんも承諾してくれた
「クロは? オマエは反対か?」
まだ答えを出していない最後の一人。クロさんの方に視線が集まる。
クロさんは静かに全員の視線を受け止める。
「…………アズマに害をなす者でないなら。別に」
ぶっきらぼうな言葉だったが、クロさんも了承してくれた。
「みなさん。ありがとうございます!」
全員の答えを聞き、もう一度感謝の意を込めた礼を贈った。
「あ、いた」
広間でみなさんと話をしている途中、姿を消したアズマさんを探していると、そう遠くないところで月を眺めているのを見つけた。
月光に照らされ輝く金色の髪。憂いをおびた横顔。その姿が美しく、幻想的でつい見惚れてしまう。
「お。柳か。どうした」
わたしの視線に気づいたアズマさんは、月からこちらに視線をやり、いつもの笑顔を向けてくる。
「突然いなくなったので。探しましたよ」
「すまない。月を眺めたくなってな」
もう一度月に視線を向けるアズマさん。
彼の視線をたどり、わたしも月を見る。今日は満月だった。
「お隣いいですか?」
「ああ」
彼に近付き、隣に腰掛ける。
「きれいですね」
「そうだな」
二人静かに月を眺める。
「ありがとな。柳」
「え?」
不意のアズマさんからの言葉の意味がわからず首を傾げる。
「オレたちに秘密を打ち明けてくれて。それに、知らない世界なのに、救いたいと言ってくれて」
「そんな! 大層なことではありません」
「でも、アンタは元の世界に帰りたいって昨日言ってたよな。それなのに」
「……確かに。元の世界に帰りたいのは、今でも変わりません。もしかしたら帰れないかもしれない。でも、このまま野放しにしていたらもっと妖魔による被害が出てしまう。それは、視たくありません。叶うなら、笑って暮らして欲しい。そう思ったんです」
わたしの言葉を聞き、アズマさんは頷く。
「そうか」
「わたしが言った中に、アズマさんたちも含まれてしますから」
「オレたち?」
「はい」
真っ直ぐに彼の目を見つめる。
彼のきれいな緑色の瞳に、真剣な顔のわたしが映っている。
「みなさんは妖魔と命を懸けて戦っているんですよね。それなのに、みなさんが笑って暮らせないなんて嫌です。頑張っている方には、きちんとそれに見合う暮らしをして欲しいんです! 部隊の方に何か言われても、気にしていてはダメです」
「バレてたのか」
苦笑をするアズマさん。
「なんとなくです。出会ったばかりですが、何だか元気がないような気がして」
日中の出来事が数多をよぎる。
「……上手くごまかせてたと思ったんだが。まさかアンタにバレるなんてな。オレもまだまだってことか」
はあとため息を吐く。
「何か苦しい、辛いことがあったら一人で抱え込まないでください。わたし一人では力になれないこともあるかもしれないけど。クロさん、ハギさん、それにアクロさんもいますから。頼ってください」
「……そうだな」
そう言うと、アズマさんは体を傾けてきた。
「ア、アズマさん!」
いきなりの事で驚く。
アズマさんの頭はわたしの右肩の乗っている。
いきなりの至近距離で心が落ち着かない。
「頼っていいんだろ?」
和らいだ声で問いかけられ、ぎこちなく頷く。
「なら。このままで」
穏やかない時間。
だが、この状況をどうすればいいかわからないわたしは、ドキドキする心臓と、熱くなる頬をしながらなんてことを言ってしまったのだろうと、少し後悔した。
わたしが初めて妖魔を見てから、数日が経った。
あれから、わたしはこの世界の文字の勉強をした。
少しでも、この世界に馴染み、わたしにある力が何なのか知るためだ。
初めは筆で文字を書くのに悪戦苦闘(あくせんくとう)したが、今では少し上手く書けるようになってきた。それに、勉強は元からそこまで嫌いでもなかったから、新しく学べて楽しい。
勉強を教えてくれるのは、ハギ君かアズマさん。ちなみに、ハギ君の呼び方が変わったのは、彼から「ボクに対しては、敬語はいらないよ」と言われたためである。
アクロさんは勉強が苦手なようで、代わりに体力をつける稽古(けいこ)をしてもらっている。もし、妖魔に運悪く出会っても、逃げれるためと教わったが、正直結構きつい。
クロさんは、他のみなさんと違いいつもどこにいるのかわからないから、何も教えてもらえていないが、時々部屋の前に薬草に関する本が置いてある。アズマさん曰く、クロさんは薬草に詳しいため、まとめてくれているのではと言っていた。一度、そのことをお礼したら、「……オレではない」と言われすぐにどこかに消えてしまった。わかりにくいが、これはクロさんなりの優しさなんだと思い、大切に使わせてもらっている。
でも、ここ最近は一人でしている。
その理由は、ここ数日妖魔の目撃が頻繁(ひんぱん)にあり警戒のため、見回りに行って、誰もこの屋敷にはいないから。
一人みなさんの無事を願いながら待つだけではなく、何か手伝えることはないかと聞いたが「アンタはここにいろ。そして、オレたちのことを出迎えて欲しい」と言われた。そんなことを言われたら、大人しく引き下がるしかないため、毎日勉強の復習か、書庫にある書物を読んで待っている。
「暇ねえ」
「はい」
少し休憩していると、今まで静かだったスマホからHINAさんの声がして、相槌を打つ。
「ここが静かなのも、変な感じね」
「はい。いつも誰かしらいますからね」
「騒がしいのも嫌だけど。静かなのもなんだかね」
「そうですね」
すると、「キュウ~」と情けないお腹の音が部屋に鳴り響いた。
「すごいお腹の音ね」
「うっ。恥かしい」
「そういえば、もうお昼ね。何か食べないの?」
「勝手に台所を使ってもいいのかな」
「いいでしょ。さ、行くわよ」
少し躊躇(ためら)ったが、もう一度お腹が鳴り我慢(がまん)できなくなり、HINAさんの後を追い台所に向かった。
「ごちそうさまでした」
「あなた料理できたのね」
食べ終わり、食器を洗っているとHINAさんに意外な声で尋ねられる。
「まあ、少し。元の世界では、お義母さんの手伝いをしていただけですが。あ!」
とそこで、ある名案を思い付く。
「アズマさんたちに料理を作ればいいんだ!」
それは、疲れているみなさんに手料理を作ればいいということだ。
「いきなりどうしたの?」
「何かお返しができればなと思っていたんです。そっか。この手があった。あ、でも、何が好きなんだろ」
うーんと悩み出すわたしに、HINAさんは、
「狐はやっぱり、油揚げじゃない。猫は魚。鬼は肉。狼は……何でもいいんじゃない」
と言う。
「そんな安直な」
「いいから。いいから。で、材料はあるの?」
呆れるわたしとは反対に、HINAさんは楽しそうな声で問いかけてくる。
冷蔵庫のような棚に近付き、中をのぞく。
最初見た時は、そういう原理をしているのかと不思議に思ったが、妖怪の世界だからなにか特別な力で動いているのだろうと納得した。
「えっと。魚と肉はあるけど。油揚げがない」
「なら、街に行きましょ」
「でも、今はいかない方がいいんじゃ」
「そんなに長いはしないし。平気よ。お金はあの狐からもらっているでしょ」
「まあ。何かあった時のためにと、多めに」
この世界に来て、不便がないようにとお金を渡してくれたアズマさんだが、結構な大金を渡され、流石に遠慮した。一時間くらいの言い合いの末、半分のお金になったが使うのにためらい、今でも部屋の箪笥(たんす)に入っている。
多分だが、日本円にしたらすごい額が眠っている。
「お金の心配もないと。なら、早く行きましょ」
さっさと行ってしまうHINAさん。
「ちょ、ちょっと、HINAさん! もー、何でこんなにせっかちなの!」
急ぎ台所を出て、部屋で出かける用の仕度をし、街に出かけた。
「良かったわね。無事に買えて」
「はい。後は帰って何を作ろう」
無事に油揚げを買い終わり、HINAさんと並んで歩いていた時。
「きゃああ!」
「妖魔だ!」
少し離れた所から悲鳴が聞こえてきた。
妖魔という単語を聞き、いてもたってもいられず気づいたら被害が出ている所に向かって走っていた。
「ちょ、柳! 貴方何してるの!」
「何もないか見に行くだけです」
「危ないわ! 貴方は妖魔と戦い力なんてないのに!」
「でも、このまま逃げるだけは嫌なんです」
静止するHINAさん。
確かに彼女の言う通り、わたしには力がないがどうしても放って置けなかった。
「まったく。仕方ないわね。遠くから見るだけよ。いい?」
「はい。ありがとうHINAさん」
わたしの思いが通じたのか。呆れた声を出しながらHINAさんは、引き下がってくれた。
そのことにお礼を言い、走る速度を速める。
「後で狐に怒られても、知らないからね」
確かに怒られるだろうな。と思ったが、それは甘んじて受け入れようと思うのだった。
「酷い」
「これは、またすごいことになったわね」
現場に着くと、そこは酷い有様だった。
初めて妖魔が襲っていた時は被害が少なかったが、今回は多くの建物が壊されあちこちで助けを呼ぶ叫び声や、泣き声が響き渡る。
周りの様子を見ながら歩きていると、一人しゃがみこんでいる女性が目に入る。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ。私は平気。でも、子どもが」
女性の傍に近付き、しゃがみこむ。
女性にはケガがないことを確認し安堵したが、その後の言葉に緊張が走る。
「お子さんはどこに?」
「妖魔に連れて行かれて」
まさかの最悪の事態になった。
「妖魔はどこに行きましたか?」
「森の方に。今、治安維持隊に連絡をして。待っている所なの」
女性が指示した方に顔を向ける。
そして、もう一度女性の方に顔を向け、安心させるために、
「わたしが、お子さんを連れてきます」
と言葉を掛けた。
「あ、あなたじゃ無理よ! 気持ちは嬉しいけど、大人に任せなさい」
「でも、今この瞬間にも、お子さんが妖魔に襲われているかもしれないんですよ! それなのに、ただここで待っているだけなんて、わたしは出来ません!」
そう言って女性の静止を振り切り、次は森に向かって走り出す。
その後をまた、HINAさんが追いかけて大声を上げる。
「ちょっと! 見てるだけって言ったでしょ」
「子どもを助けないと!」
もう何をしても聞く耳を持たないとわかったのか。HINAさんは呆れながらも、ついてきた。
「まったくもお。子どもを見つけたら、すぐに母親の元に戻るのよ!」
「はい!」
返事をして、目的の森に向かって全速力で向かった。
「これは」
森の入り口付近に着くと、そこに見たこともない大きな足跡があった。
「妖魔の足跡ね」
冷静にHINAさんは分析する。
「気を付けるのよ。妖魔は理性がないバケモノ。いつでも襲ってくるんだか」
無言で頷き、森の奥へと続く足跡を追って、森に入っていった。
妖魔に警戒しながら子ども子ども探しをして、奥まで来た所ですすり泣くこえがかすかに聞こえてきた。
その声の方向に向かって足を進めると、
「あ、あそこ!」
探していた子どもを発見した。
「良かった。いた。僕、大丈夫?」
「うっ。ひっく。う、うん」
素早く少年に近付き、どこか大きな怪我はないか確認する。
多少擦り傷はあるが、大きな怪我はないようだ。
「もう、大丈夫だよ。お姉ちゃんとお母さんの所に行こう」
安心させるために、優しく声を掛ける
「怪我してる。ちょっと待ってね」
念のため、持って来て正解だった。
肩から下げていたカバンから、薬草を取り出す。
これは、クロさんが「……持っとけ」と投げやりに寄こした物だ。
薬草を取り出し、少年の手当てをするための準備を素早く進める。
「ちょっと沁みるけど、我慢してね」
鼻をすすりながらも頷く少年に、微笑み傷口に薬を塗る。傷口に薬が沁(し)みるのか時折、顔をしかめる少年だが、大人しく手当てをさせてくれた。
「よし。これで怪我はいいかな。歩ける?」
手当てが終わり、バックに薬草を戻し少年に手を差し出す。わたしが差し出した手を一瞬ためらっていたが、掴んでくれた。
少年を立たせて、慎重(しんちょう)にこの場を去ろうとした時。
「柳!」
今まで静かだったスマホから声がし、背後を見てみると妖魔の姿を捉えた。
「妖魔……!」
急いで気の陰に隠れる。
「大丈夫。怖くないよ」
妖魔の存在に震える少年を慰(なぐさ)め、どう切り抜けるか考える。
「僕、走れる?」
「う、うん」
「なら、森を抜けて、街のみんながいる所まで逃げて」
「お、おねえちゃんは?」
「わたしは、妖魔を引き付けるから」
怯える少年に安心させるため、笑顔で答える。
本当はわたしも妖魔が怖くて仕方がない。
逃げ出してしまいたい。
でも、少年を見つけてみせると、彼のお母さんと約束したからこの役目を放りだしわけにはいかない。
「で、でも。おねえちゃんが」
「大丈夫。お姉ちゃんこう見えて、結構鍛えてるから」
腕を上げて、鍛えているアピールをする。
少年は不安そうな顔をしていたが、わたしの様子を見て頷いてくれた。
「いい。三・二・一で行くよ」
行動をする合図を決める。
「三……二……一……!」
少年は隠れていた木陰から全速力で、走って行った。
だが、その物音に妖魔が反応してしまう。
「グオオオ!」
少年に向かって走り出す妖魔。
「あんたの相手はわたしよ! バケモノ!」
妖魔の死角から持っていた荷物を投げる。そして、妖魔が不意打ちに怯んでいる間に距離を取る。
「こっちよ!」
妖魔の注意を少年からわたしに反らすことに成功し、捕まらないそうわたしも全速力で森を掛ける。
「はあ、はあ、はあ……!」
随分森の奥まで来た頃。息が切れてきたため、少しスピードを緩める
「な、何とか撒(ま)けた」
後ろを振り返ると、妖魔は追って来ていなかった。
上手くいったことに安堵し、近くの木に寄りかかる。
「柳! あんたって子は!」
わたしが休んでいると、怒った声を出してHINAさんがカバンから飛び出してくる。
「もう危ないことはしないで!」
「ご、ごめんなさい」
いつもと違う態度に本当に申し訳なくなる。
「心臓に悪いんだから。もう本当にやめてよ!」
「わかったから。HINAさん静かに!」
でも、流石に大きな声を出すから宥(なだ)めるのに時間がかかった。
「でも、ここどこなんだろ」
HINAさんを宥(なだ)め終わり、改めて周囲を見回す。
「随分(ずいぶん)と奥の方まで、走ってきたわね。あの鬼の稽古(けいこ)がこんなところで、役に立つなんて」
「日々の積み重ねのおかげですね」
アクロさん。ありがとうございます。
と心の中で官署の言葉を述べた。
「ここにいても、妖魔に見つかるし移動しましょ」
「はい。その前に」
地面に落ちている石を掴み、近くの木に少し傷をつける。
「何やってるの?」
「こうやって何か目印を置いていけば、誰か来た時に助けてもらえるので」
目印もつけ終わり、いざその場から移動しようと思ったが。
「グルルルル!」
背後から不気味なうめき声が聞こえてきた。
「柳!」
HINAさんの声に咄嗟(とっさ)にその場から逃げる。次の瞬間には、わたしがいた場所に鋭い爪が空を切った。
もし、あのままいたら確実に———!
死を想像して、鳥肌(とりはだ)が立つ。
「とにかく逃げないと!」
妖魔が攻撃の態勢になる前に、急いでその場から逃げた。
「はあ、はあ、はあ……!」
さきほどよりも足がおぼつかない。
死が。恐怖が。背後から近づいてくる。
「あっ!」
と、逃げるのに夢中になっていて木の幹に気付くことが出来なかった。そのまま足を捕られ転んでしまう。
「グオオオオ!」
すぐに立ち上がろうとするが、妖魔がこちらに飛び掛かってくる光景が目に入る。
「柳! 逃げて!」
HINAさんの必死な声が遠くから聴こえる気がする。
あ、わたし。死ぬんだ。
すべての光景がスローモーションに見える。
死を覚悟したわたしは、目を閉じる。
ごめんね。みんな。お母さん。
ごめんなさい。みなさん。
最後の瞬間。元の世界の友達。家族の顔が脳裏を過る。
それと、この世界でわたしに優しくしてくれた彼らの顔も。
「柳!」
絶望的な場面に、救いの声が聞こえてくる。
誰かに抱えられているのか。浮遊感がする。恐る恐る目を開けると、そこには。
「ア、アズマさん……!」
そこには、わたしを抱え妖魔と対峙する、この世界で信頼できる狐の妖怪だった。
「無事……じゃないな。でも、よくここまで逃げた。後はオレに任せろ」
森を逃げる時にできた擦り傷と、さっき転んだ時にできた怪我を見て眉(まゆ)を顰(ひそ)めるアズマさん。近くの木にわたしを降ろし、改めて正面から妖魔を見据える。
「妖魔……オレの領地で俺の大切な民を傷つけたこと。後悔させてやるよ」
「グオオオオ!」
いつもより低い声で妖魔を威嚇(いかく)するアズマさん。出会ってまだ数日だが、見たこともないその様子に、わたしは声を出すことも出来なかった。
妖魔も彼の様子に警戒し、一際大きな咆哮を上げ高く跳躍した。
「炎よ。燃え上れ」
アズマさんが言葉を紡ぐと、掌から赤い炎が燃え上がる。
きれい。
この危機的状況で、そう思うのはおかいしいかもしれないが、その炎に見惚れる。
「グギャアア!」
アズマさん目掛けて飛び掛かってきた妖魔に、容赦なくその炎を投げつける。
炎の威力が強かったのか。妖魔をその場にのたうちまわった。
「消えろ」
妖魔を見下ろしながら、ドスのきいた声でアズマさんは言う。その威圧にやられて妖魔は尻尾を撒いて、逃げて行った。
「つ、強い」
アズマさん実力を目の当たりにして、感嘆の声を漏らす。
「当たり前だろ。でなきゃ、領主なんて務まらない。怪我、見せてくれ」
片膝をついて、わたしの傷を見る。
「あーあ。派手に転んだな。待ってろ」
彼は高価そうな着物を迷いなく破き、包帯の代わりとして膝に巻き付ける。
「……どうしてわかったんですか?」
「ん? ああ、子どもが助けを求めに来たんだよ」
手当てをしてもらっている間、手持ち無沙汰になり問いかける。
「オレたちも妖魔のことを聞いて、急いで現場に向かった。そこで息を切らした子どもが森にまだ女の人がいるって教えてくれてな」
アズマさんの話を聞き、無事に少年が街にたどり着いたことを知れて、安堵する。
「よかった。あの子。無事だったんだ」
「無事だったんだ。じゃないぞ」
アズマさんは、安堵するわたしに呆れた声を出し、軽く頭を叩いた。
「いて。もう、何するんですか」
「お仕置き。確かに子どもが助かったのはよかったが、アンタも危なかったんだぞ。オレがあと少しここに着くのが遅れてたら、妖魔に殺されてたんだからな」
「はい……」
今日はいろんな人に怒られてばかりだな。
流石に今回は危ないことをした自覚があったので、反省する。
「無事だったからよかったが。オマエが妖魔に殺されそうなところを見て、肝が冷えた。もうこんな無茶なことはしないでくれ。もう、誰も死なせたくないんだ」
「アズマさん……」
真剣な。だが哀しい目を向けられる。
「さて。帰るか。オマエの手当ても屋敷に帰ってきちんとしないとだしな。人間は妖怪と違って脆(もろ)いんだろ」
じっと見つめていると、顔を反らされる。少し残念に思っていると、手を差し出され手を伸ばす。
「あの、アズマさん」
立ち上がり、手をつないだまま帰ろうとするアズマさんの背中に声を掛ける。
「助けてくれてありがとうございます」
「バーカ。当たり前だろ。オマエも大事なオレの領民だからな」
彼は、いつもの余裕そうな笑顔を向けてくれた。
頼りになるなと思っていると。
「あ。足痛むなら、おぶってやろうか♪」
「遠慮します」
頼りになるなと思って見直したのに。
「あ、柳お姉さん! アズマ様!」
森を抜け、街の入り口までやってくると、ハギ君、アクロさん、クロさんが待っていた。
「無事か!?」
わたしたちの姿を見て、三人はこちらに走って来てくれた。
「オレはな。柳は怪我をしてる」
アズマさんの言葉に三人の視線が、わたしに向く。
「わ! ほんとだ! 早く手当てしないと!」
わたしのボロボロの姿を見て、ハギ君は慌てた様子になる。
「……薬草は?」
「あ、子どもに使っちゃって」
クロさんの言葉に正直に答えると、呆れたため息を吐かれる。
「……はあ。馬鹿なのか」
「ちょっと、クロ! そんな言い方ないでしょ! お姉さんは子どもを助けたのに」
「コイツのために、渡したんだ。自分に使わないでどうする」
「だったら、余分に渡しておけばよかったじゃん!」
ケンカを始める二人に、アズマさんが仲裁に入る。
「ハイハイ。そこまで。いい加減柳の手当てのために、邸に帰らせてくれ」
アズマさんの言葉に一旦ケンカを止めてくれる。
「早く行こ!」
「……走らせるな。ネコ」
わたしの手を取り、引っ張るハギ君。その様子にまたクロさんが突っかかり、ケンカが再発しそうになった。
「うわ。痛そう」
「ああ。結構派手にやられたな」
「……自業自得」
三者三葉の言葉を投げかけられる。
邸に戻り、わたしの部屋で手当てをしてもらっていた。
でも、何でみなさんいるんだろ。
こんなに大勢に囲まれ少し緊張する。
「オマエ等。気が散るから部屋から出て行け!」
わたしの手当てをしてくれていたアズマさんは、三人を引っ張って部屋から追い出した。
「たく。他にもやる事があるだろうに」
「あははは」
「笑いごとじゃないからな。たく」
その様子が面白くて笑ったら、怒られてしまった。
「……女なんだから。もっと自分を大事にしろ。傷なんて残したくないだろ」
「はい……あの、怒ってますか?」
「別に。怒ってない」
ぶっきらぼうな声で返される。
これは、相当怒ってるよな。
どう言えば納得してもらえるかと考える。
「でも、妖魔から逃げれたのは、アクロさんとの日々の鍛錬のおかげなので」
思い付いたことを言ったが、何も反応が返ってこなかった。
「……ごめんなさい。ご心配をおかけして」
「はあ。本当に。オレの身にもなってくれ。もうこんなことはしないと、約束できるか?」
居候の身であるから、これ以上は迷惑をかけてはいけない。
それはわかっているが。
「それは……出来ません」
約束は出来ない。
「わたしは、みなさんのことを、この世界のことをもっと知りたいんです。それに、アズマさんたちが傷つくのを黙って見ているのも、わたしは嫌です。だから、出来ません。あ、でも。もう怪我をしないよう、もっと鍛錬もしていこうと思います」
明るい声でそう宣言する。
「そうか。オレたちのことを思ってくれるのは、ありがたいがそれとこれとは話が別だ。約束出来ないような悪い子には、お仕置きが必要だよな」
途端、アズマさんは悪戯(いたずら)めいた目を向けてきた。
「な、何をするきですか?」
「こうするんだよ」
逃げないと!
本能がそう告げ、掴まれている足を引っ込めようとしたが、わたしの行動などお見通しのように、強い力でさらに引っ張られる。
予想していなかったことで、態勢が崩れる。
なんとか手を後ろにして倒れることは防げたが、足を持ち上げられているため恥ずかしい格好をさらしてしまっている。
恥ずかしさに悶えていると、アズマさんは傷口に口を近づけていき、
「な!?」
傷を舐めた。
「な、何してるんですか!?」
「ん? 何って。傷を舐めてるだけだ」
「そ、そんなことしないでください。汚いですから」
まさかの行動に驚き、恥ずかしさなどどこかに吹き飛んだ。
この状況をどうにかしようと、暴れるが力ではかなわなかった。
「ん。暴れるな。消毒ができないだろ」
暴れるわたしを大人しくさせるため、アズマさんはつぅーと太ももに爪を這わせる。
「ひゃ! く、くすぐったいです」
「言っただろ。お仕置きだって」
くすぐったさに身じろぐ。
「自分の身を大事にしない奴には、こうしてわからせないとな。ん」
大人しくなったことを確認すると、中断していた傷口への口づけを再開する。
もう、限界……!
「わ、わかりました。から。もう、話してください」
「ほんとか?」
吐息が膝に当たる。
ビクっと肩を跳ねさせながら、何とかコクコクと首を縦に振る。
「……なら。いい。次やったら、もっと恥ずかしいお仕置きだからな」
やっと、解放される。
持ち上げられていた足をゆっくりと降ろされる。
息が上がり、身体が火照っているわたしとは、正反対にアズマさんはどこ吹く風だ。
その様子に面白くないと思っていると、
「あれ? 傷が治ってる」
さっきまであったはずの膝の傷が跡形もなく、なくなっていることに気付いた。
「ああ。舐めてる時に少し妖力を使って、傷を治しといた」
「ありがとうございます」
「今回だけだからな。にしても、オマエの血美味かったな。飲んだことなんてないはずなのに、どこか懐かしさもあって……うっ!」
「アズマさん!」
話している途中、いきなり苦し気なうめき声を出し、倒れるアズマさん。
急いで彼のもとに駆け寄るが、何が起きているのかわからず、どうすることも出来なかった。
「くっ……! な、なんだ。胸が、苦しい……!」
「大丈夫ですか! アズマさん!」
「はあ、はあ、はあ……くっ!」
瞬間。
アズマさんの身体が光輝く。
「きゃ!」
あまりの眩しさに、目をつぶる。
光が徐々に収まり、目を開けるとそこには、目を疑う光景があった。
「ア、アズマさん……?」
いつもの姿と違うアズマさんがそこにいたのだ。
普段は金髪の髪が、月の光のような白銀に。
二本の尻尾が、九本に増えてゆらゆらと揺れていた。
「これは……!」
アズマさんは、自身の姿を見て驚く。
「なるほど。だから懐かしく感じたのか」
わたしを置いて一人納得するアズマさん。
すると、再び光が彼を包み、収まるころにはいつもの姿に戻っていた。
「元に戻った……?」
たった今、目の前で起きたことが処理しきれずに、呆然としていると。
「アズマ様! 大丈夫!?」
部屋から追い出された三人が、バタバタをやってきた。
「おお。オマエ等。どうした?」
「一瞬、今まで感じたことのない強い妖力を感じた」
「ここに来る途中で、その妖力がなくなったが。平気か?」
クロさん、アクロさんの質問にあっけらかんとした声で答えるアズマさん。
「見ての通り。何もねえよ」
「よかった。もしかしたら、鬼か龍が来たのかと思って、ドキドキしたよ」
「アイツらが自分の領地から出ることなんて滅多にないぞ」
カラカラと笑っていたアズマさんだったが、すぐに真面目な顔になり三人を見回す。
「それよりも、みんな、一度広間に行くぞ。話したいことがある」
ただ事ではないと感じたのか。部屋に緊張が走る。
「今のこと、アイツ等に話してもいいか?」
「はい」
「ありがとな」
手を借り、立ち上がる。
そして、広間に行くため部屋を後にした
見慣れない天井をぼんやりと眺めながら、昨日のことが夢ではないんだと自覚する。
布団から起き上がり、昨日来ていた服に着替えて廊下に出る扉を開ける。
「うーん。朝日はこっちも変わらないんだな」
朝日を浴びて伸びながら、呑気(のんき)にそう思う。
これからどうするかと考えていると、お腹がくう~と空腹を訴える。
「そういえば、昨日は何も食べてなかった。台所ってどこだろ」
まあ、歩いていればたどり着くか。
屋敷の散策もかねて朝食を作りに台所に向かう。
「ん? この匂い」
少し歩いていると、かすかにいい匂いが漂ってくる。
匂いにつられて行くと、目的地の台所だった。
「おお。すごい!」
まるで時代劇に出てくるレトロな台所を目の当たりにし、興奮する。
「お! 嬢ちゃん。早いな」
珍しい光景を眺めていると、昨日と同じ服装をした鬼の妖怪、アクロさんが姿を現した。
「えっと。アクロさん。おはようございます。何なさっているんですか?」
「ああ。おはよう。今か? あいつ等の朝食を作ってる」
「アクロさんが?」
「ああ。まあ、この見た目だしな。料理なんてできそうにないだろ」
「そ、そんなことないです!」
まさかの人物が朝食を作っていることに疑問に思って口にしてしまい、慌てて謝る。
「何作っているんですか? 手伝いますよ」
「ああ。悪い。もう終わるところなんだよな。あー、そうだ」
わたしよりも長い爪で右の頬を搔きながら考えていたアクロさんは、渋い顔をしながらお願いしてきた。
「なら、アズマのこと起こしに行ってくれるか?」
「わかりました」
「アズマの部屋はお前さんとこの部屋の近くの角を曲がったところだ。大変だろうけど、がんばってくれ」
台所を出て行く途中、背後から掛けられた言葉の意味に内心首を傾げながら、アズマさんの部屋へと向かった。
わたしの部屋の前に来た時、足元に花びらが落ちているのを見つける。
何かと思い花びらを拾うと、綺麗なピンク色をしていた。
「きれい。まるで桜みたいって違う。違う。今はアズマさんを起こさないと」
きれいな花びらに見惚れていて目的を忘れかけていた。
角を曲がり、少し廊下を歩いた先。アズマさんの部屋に着き、呼びかける。
「アズマさん。朝です。起きてください」
数秒待ってみたが、返事は帰ってこない。
「アズマさん?」
さっきより声を少し大きくしてまた呼んでみるが、また返事はない。
「いないのかな。アズマさん。入りますよ?」
不在かどうか確認するため、少し襖を開ける。
部屋の中央に布団が敷かれ、もっこりと膨らんでいる。主がいることを確認し部屋の中に入る。
「アズマさん。起きてください」
布団に近付き、再度声を掛ける。
「アズマさん」
「う、うーん」
まだ起きないため、次は声を掛けながら揺らす。すると、少し唸り声が聞こえてくる。
「もう朝ですよ。いい加減起きてください」
「うーん。もう少し」
「もう少しではありません。まったく」
世の中のお母さんはこうも大変なのかと、しみじみ思っていると突然、腕を掴まれて布団に引きずり込まれる。
「ちょ、ちょっと。アズマさん!」
「うるさい。静かにしてろ」
驚いて声を上げるが、寝起きの低い声で注意される。
し、静かにしろって言われても……!
一応、拘束している腕から抜け出そうともがいてみるが、ビクともしない。
「動くな」
身動きしていたのが良くなかったのか。アズマさんのわたしを抱きしめる腕の力がより強くなり、二人の距離もより近くなった。
む、胸が……!
着物が少しはだけて男の人特有の筋肉がついた、胸が目の前にある。
この状況で胸がさっきからドキドキして、頬が熱い。早くどうにかしないといけないが、身動きが取れない。
申し訳ないけど、こうなったら。
最終手段を使おうとしたその時。廊下からリンリンと涼やかな鈴の音と、軽やかな足音が聞こえてくる。
「アズマ様! 朝ですよー!」
デジャブのようにすぱーん! と勢いよく障子が開かれた音がし、ハギさんの声が聞こえてきた。
「もう、朝ですよ。布団から出てください」
ヤバい。こっちに来る!
段々近付いてくる足音。
「ちょ。待ってー――」
「もう。早くしてください!」
わたしの静止よりが聞こえなかったのか。ハギさんは勢いよく掛布団と引っぺがした。
「え?」
掛布団を持ったまま、動きが止まっているハギさん。
誰でもこの状況なら、動くが止まってもおかしくないと思う。わたしもそうなるだろうから。
でも、流石に男性に抱き抱えられている場面を見られたのはまずい。
「えっと。これには深い事情が……」
「……た、大変だー!」
わたしが弁明しようとするが、ハギさんは大声を上げて、部屋を出て行ってしまった。
「ご、誤解です!」
「ん。なに、あさ?」
わたしの声にやっと目を覚ましたアズマさんは、自分の腕の中にいるわたしに視線を向ける。
「あれ? 何でアンタがここに?」
寝ぼけていたから覚えていないのはしょうがないことだが、沸々と怒りがこみ上げてくる。
「あ、あなたのせいです!」
こうして、妖怪の世界での初めての朝は慌ただしく幕を開けた。
あれから、目覚めたアズマさんにやっと離してもらい急いでハギさんの後を追い、弁明をした。
何とか誤解が解けどっと疲れているところに、ことの発端である人が遅れて広間にやって来た。全員揃ったことろで、みんなで朝ごはんを食べ始めた。
「あ。そういえば。アズマ様。お姉さんは何者何ですか?」
「あれ? 言ってなかったか?」
「何も」
「何にも聞いてないな」
ハギさんの質問に首を傾げるアズマさん。そんなアズマさんの言葉に頷くクロさんとアクロさん。
「ごめん、ごめん。すっかり紹介した気になってた。なら、改めて。こっちに来てくれるか」
自分の隣をポンポンと叩かれ招かれる。みんなに注目され緊張しながら、隣に座る。
「このお嬢さんは、神楽柳。森にいたところを俺が拾ったんだ」
「よ、よろしくお願いします」
紹介され頭を下げる。
「うん。よろしく!」
「よろしくな」
「……」
アズマさんはわたしをここに置くことに前向きだったが、他のみなさんはどんな反応をするのか。もし、反対され追い出されでもしたらどうしようと色々考えていたが、歓迎されている感じで逆に拍子抜けしてしまう。
「……」
「ん? どうした?」
「いや。こんな反応されるとは思わず」
「はは。まあ、アズマの拾い癖なんて、今に始まったことじゃないしな」
「そうそう。このバカ力の鬼も、アズマ様が拾ったんだし」
「……お前もだろ」
拾い癖……。
領地を統治している人がそんな感じでいいのかと若干呆れる。
「まあ。そういうことだ。しばらくはここで暮らす。みな、困っていたら助けてやってくれ」
「「「はい」」」
わたしの話はそこで終わり、その後は各々部屋に帰って行った。
「はあ。暇だな」
わたしも自分の部屋に帰ったが、特にやる事もなく床に寝転がっていた。
首を横に向け置いてあるスマホを見る。部屋に着いてからスマホが使えないかいじってみたが、反応は無く画面は真っ暗なまま。HINAさんの声も聞こえてこない。
もう一度はあとため息を吐く。
このまま、時が過ぎるのを待つかと考えていたら、廊下から足音が聞え、部屋の前で止まった。
「おーい。いるか?」
誰かと思っていると、軽快な声でアズマさんだとわかった。
何かあったのかな。
起き上がり、障子を開ける。
「ああ、よかった。いたんだな」
「どうしたんですか?」
「なあ。今暇か?」
「はい。暇です」
誤魔化すことでもないから正直に頷く。
「はは。なら、少しオレに付き合ってくれるか?」
アズマさんはそう言うと、不敵に笑った。
アズマさんの後についていき、屋敷の外に出る。そこには他の方々がすでに揃っていた。
「あ、来た来た!」
わたしたちの姿を見つけたハギさんは、まるで犬のように喜んで駆け寄ってきた。
猫なのに、犬みたい。
失礼なことかもしれないが、そうしてもハギさんの行動を見ているとそう思ってしまう。
「何かあるんですか?」
「これから、街の見回りに行くんだよ」
わたしの疑問にハギさんは優しく教えてくれる。
「見回るだけなのに、武器がいるんですか?」
さっきまで持っていなかったそれぞれ違う武器が目に入る。見回るだけなら、いらなそうなのに。
「まあな。あって困ることはないからな」
そういうもんか。
一人納得していると、上から何かかぶされて視界を奪われる。
ま、前が見えない。
一人バタバタしていると、誰かが助けてくれた。
「た、助かった」
「ハハ。アンタ何やってるんだ」
「可愛かったね」
恥ずかしいところを見られて頬が熱くなる。
「わ、忘れてください。それより、これは何ですか?」
外套のようだけど。
「ああ。それはアンタを守るためのものだよ」
守る? 誰から?
首を傾げていると、アズマさんが補足してくれる。
「ここには妖怪しかいない。人間であるアンタは珍しいんだ。だから正体を隠しとかないと、どっかにさらわれてちまう。まあ、オレたちが傍にいるから変なことをしてくる奴なんていないだろうが。念のためな」
「はい。わかりました」
少し怖いことを言われ、体が強張り声も硬くなったことがわかった。
その様子を見て苦笑するアズマさん。
「大丈夫だ。アンタのことは必ず守ってやるから」
わたしの頭に手を置き、安心させるように微笑んでくれた。その笑みを見て肩の力が抜ける。
「はい。ありがとうございます」
これ以上心配させないよう微笑む。
すると、なぜかアズマさんは目を見開き、少し頬を赤く染めた。
「どうかしましたか?」
「い、いや。何でもない。ほら行くぞ」
今度はわたしが心配になり、アズマさんの顔をよく見るため見上げるが、顔をそらされそのまま歩いて行ってしまう。
何か気に障ることしたかな。
不安に思い、後ろ姿を見つめていると、今まで黙って様子を見ていた三人の声が聞こえた。
「アズマ様が照れてた」
「ああ。照れてたな」
「……照れてた」
照れてたんだ。
三人の話を聞いて、アズマさんが可愛く見えて少し頬が緩む。
「おい! 早くしろ!」
いつまでも来ないわたしたちにしびれを切らした大声が聞こえてきて、大急ぎで彼の後を追って、街に出かけた。
「きゃあ! アズマ様!」
「ハギ君~! 今日もかわいい!」
「アクロさん。今日も素敵な筋肉をありがとう!」
「クロ様! こっち向いて~!」
……すごい人だかり。
街に来たはいいが、わたし以外の四人は街の妖怪たちに囲まれてしまった。まるでアイドルにあったファンみたいだ。
巻き込まれるのは避けたかったので、人だかりをかき分けてわたしは、少し離れた場所でその様子を見守っていた。
「ねえ。新しい簪(かんざし)があるみたい!」
「え。本当! 見に行ってみよう!」
ぼうっとしながら、待っていると近くにいた妖怪の女の子たちが、何か話している声が聞こえてきた。
簪(かんざし)?
気になり女の子たちが話していた簪(かんざし)が置いてあるお店に向かう。
わあ。きれい……!
そこには、色鮮やかな簪(かんざし)が並んでいた。
他にもいたお客さんも簪のきれいさにうっとりしている。一つ一つ丁寧に作られているのがわかり、職人さんのこだわりが感じられた。
友達とどの簪が似合うか話し合う姿を見ていると、普通の人間の女の子と同じなんだなと思った。
「どうした? 何か気になる物でもあるのか?」
「うひゃあ!」
じっと眺めていると、不意に背後から近い距離で声を掛けられて、変な声が出てしまう。
「あ、アズマさん!」
背後を振り返り、声を掛けてきた人物に声を上げる。
さっきまで街の妖怪というか、ファンだと思う女の子たちに囲まれていたアズマさんがいた。突然のことにさっきまで簪に夢中だった子たちも簪そっちのけで、アズマさんにくぎ付けだ。
「それが欲しいのか?」
「ち、違います! ただ、かわいいなと思って見ていただけで!」
わたしが手に持っていた紅い簪を尋ねられ、否定し急いで元の場所に戻す。
「アンタに似合うと思うぞ。ちょっと貸してみな」
せっかく元の場所に戻したのに、アズマさんはさっきまでわたしが持っていた簪を取り、深く被っていたフードを少しずらして、髪に近付けた。
「うん。似合ってる。アンタにぴったりだ」
「~~~っ!」
男の人にそんなこと言われたことなんてないから、恥ずかしくて顔を背けてしまう。
この人は何でそんなセリフを、何てこともない顔で言えるの!
と心の中で文句を言う。
「じゃ、コレ買うな」
色々文句を言っている間に買う流れになってしまい、急いで服の裾を掴み止める。
「い、いらないです!」
「いらないってことないだろ。似合ってたし」
「お金ないですし」
「心配すんな。コレはオレからのプレゼントだ」
「わたしは居候の身ですし! 買ってもらうなんて出来ません!」
「そんなこと気にしなくていいのに」
「気にするんです!」
どちらも譲らない攻防。
もし、ここでわたしが折れてしまったら、今後もアズマさんは何でも買おうとする。そんな予感がした。
お店の妖怪には悪いが、ここは一歩も引けない。
そうして、数分間は同じような攻防を繰り広げたているとついに。
「はあ。わかった」
やっとアズマさんが折れてくれた。
よかった。
簪を渋々元の場所に戻すアズマさんを見て、ふうと息を付く。
「ねえ。何あの子」
「アズマ様に向かってあの態度」
「どこの女よ」
安堵していると、背後からコソコソと話声が聞こえてきた。
背後を振り返ると、さっきまで黙って様子を眺めていた女の子たちが集まっていた。
まあ。こういう時は、無視が一番かな。
下手に刺激すると、もっと厄介なことになりそうなのでそう判断した。
「あ、なあ! じゃあ櫛(くし)はどうだ?」
それまで真剣に何かを眺めていたアズマさんは、木製の小柄な櫛を持っていた。
「櫛ですか?」
「ああ。櫛なら毎朝髪を梳かすのに、使うだろ」
「そうですね。無いよりかはあった方が助かります」
「だろ? ならこれをプレゼントさせてくれ」
「……わかりました。このお返しはいつか返します」
「別に気にしなくていいって。俺がしたくてするんだし」
「なら、わたしもしたくてするので」
お会計も終わり、二人でまた攻防していると。
「あら? アズマさん」
お店の外で商品を眺めていたきれいな身なりをした女性が声を掛けてきた。
わあ。きれい。
きれいな黒髪を豪華(ごうか)な髪飾りで一つに止め、黒髪に映える紅い着物を着ていた。頭にはアズマさんたちと同じ獣の耳があり、尻尾もあった。
耳の形がハギさんと同じだから、おそらくこの女性も猫又だろう。尻尾もよく見ると二本に分かれている。
「お久しぶりですわね」
「ああ。久しぶりだな。キンカ」
アズマさんの知り合いのようで、軽い挨拶を交わす。
「わたくし、今ちょうど南の領地から帰ってきたところなんです。アズマさんは何をしていらっしゃったんですか?」
「俺は街の見回りを」
「そうですか。アズマさんは、この土地の領主。お忙しい身ですものね。誰かのために割く時間なんて、ありませんものね」
扇(おうぎ)で口元を隠し、笑っているが最後の言葉を言い終わる時は、鋭い視線に変わった。
美人の起こった顔にビクッと肩が跳ね、怖くなってアズマの後ろに隠れる。
少し顔を出すと、そのことが気に入らないのか。キンカさんと呼ばれた女性はさらに鋭い視線をわたしに向け、何事もなかったかのように笑顔に戻り話を続ける。
「ところで。縁談の件。考えてくれましたか?」
「またその話しか。何度も断ってるだろ。俺は誰かと婚約する気はない」
「どうしてです? わたくしの家と縁ができれば、貴方にとってもいい話しだと思いますよ」
アズマさんの婚約者さんなのかな。
話しを聞いて、そう思ったが反応を見るに違うなとすぐにわかった。
アズマさんが迷惑そうな態度に対して、キンカさんは自分と婚約すればどういいのか語るだけ。相手ことを見ずにただただ自分に都合がいいように進めようとしているのが、はたから見てもわかった。
「今は、お家が破綻してあんなみすぼらしいお邸に住んでいるようですが。わたくしの話をのんでいただければ」
「すまんが。俺はあの家を捨てる気はない」
それまでやんわりと断っていたアズマさんだったが、家の話になった途端空気が変わった。さきほどまでより、声を低くしてキンカさんを睨みつける。
「あの家は俺に残された最後の形見だ。それをバカにするような奴とは、婚約なんて持っての他だ。じゃあな。行くぞ、柳」
「ちょ! アズマさん!」
話しを一方的に切り上げ、背後にいたわたしの腕を掴み、速足にその場を去る。
まるで彼女の静止なんて耳に届いていないかのように。
「あの。いいんですか? お話」
「大したことじゃない。気にするな」
流石に彼女が可愛そうに思い、聞いてみるがアズマさんは静かな声でそう言った。
静かな声だったが、どこかこれ以上踏み込んでくるなと言われている。そう感じたわたしは、その後は何も言えなかった。
後ろが気になり振り向くが、もうあのお店は視えなくなっていた。
視線を戻して、アズマさんの顔を見ると、泣きたそうな。迷子の子供のような。そんな不安そうな顔をしていた。
何と声を掛けようかと思ったが、彼とあの女性とのわだかまりを知らないわたしが、何を言えばいいのかわからず。結局何も言えずに、ただ引っ張られながら歩くことしか出来なかった。
「あ、いたいた! もう、どこ行ってたんですか!」
「悪い。悪い」
しばらく歩いていると、前からハギさんたちがこちらに向かって走ってくるのが見えた。
足を止め、みなさんと合流しハギさんからお叱りを聞き流すアズマさん。
「……何かあったか」
「いや。何も。それより、街の様子はどうだった」
その態度に異変を感じたのか、問題がないか問うクロさんの質問も軽く受け流した。
「いつもと変わらねえ。と言いたいが最近、妖魔が近くにいるらしい」
「そうか。遅くなる前に何か対策をしないとな」
アクロさんからの報告に真剣な表情になるアズマさん。
妖魔って何だろう?
さきほど出た聞き慣れない言葉に内心首を傾げていると。
「きゃあ!」
「よ、妖魔が出たぞ!」
街の妖怪が大声を出して走ってきた。
「急ぐぞ!」
いち早く動いたのはクロさんとアクロさん。次にハギさん。
みなさんが動く中、何が起きているのかわからないわたしにアズマさんが近寄ってきて、抱き上げられる。
「緊急なんでな。振り落とされないようにしろよ」
「うわっ!」
逃げ惑う妖怪たちの波に呑まれないよう屋根に移動して、森を駆け抜けた時と同じスピードで、走っていった。
「きゃああ!」
「逃げろ!」
現場に着くと、そこには見たこともない黒い謎のバケモノが家を壊していた。
その恐ろしさに怯むわたしを落ち着かせるように、アズマさんは微笑んだ。
「数は?」
「一体だけみたいだ」
「そうか」
わたしを下ろし、アクロさんと短いやり取りをする。
「……アズマ。オレがやる」
「ああ。任せたぞ。クロ」
まさか。一人であのバケモノの相手をするのかと疑い、アズマさんに視線を向ける。
「い、いいんですか? クロさん一人で」
「大丈夫だ。アイツは強い。妖魔一匹ぐらいじゃあ、やられない」
彼は焦るわたしとは違い、いたって冷静にバケモノに向かっていくクロさんを見つめる。
その横顔を見ていると、確かな信頼が彼らの間にはあるんだと思った。
これ以上騒いでも迷惑になると思い、わたしも黙ってクロさんを見つめる。
「……」
「グオオ!」
クロさんの存在に気付き、咆哮(ほうこう)を上げるバケモノ。遠くにいても響くその声に思わず耳を塞ぐ。
あんなの一人で本当に相手に出来るの?
ここにいてもわかる。あのバケモノは只者(ただもの)じゃない。下手をしたら殺される。
大丈夫だと言われても、やはり心配がなくなるわけではない。もう一度アズマさんの方を向き、視線で訴える。すると、わたしの視線に気づいたのか。彼はこちらに顔を向け微笑んだ。
「まだ。心配か?」
「はい」
「平気さ。さ、見てろ。これが、オレの右腕の実力だ」
アズマさんがそう言い終わるのと同時に、もう一度バケモノが咆哮を上げ、クロさん目掛けて走り出す。
危ない! 逃げて!
だが、わたしの思いが届くはずがなく、彼はただ真っ直ぐ歩くだけ。
大きな爪を構え、大きく振り下ろす。
やられる!
そう思ったが。
「グオ?」
あれ?
バケモノが爪を振り下ろすまでそこにいたはずのクロさんの姿が忽然(こつぜん)と消えていた。
ど、どこにいったの? さっきまでいたのに。
何が起きたのかわからず混乱する。それはバケモノも同じなようで、クロさんを必死に探していた。
「これがアイツの力だ」
頭上から得意げな声が聞こえる。見上げるとアズマさんがさきほどと同じように微笑んで、私を見下ろしていた。
「な、何があったんですか? クロさんはどこに?」
「そうだな。簡単に教えるのもつまらないし……。アイツと昨日会った時のこと覚えてるか?」
「は、はい」
「なら、アイツがどこから出てきたのかも覚えてるか?」
どこから……?
うーんと頭をひねり、昨日のことを思い出す。
えっと。確か……。
「足元をよく見な」
足元?
思い出せないわたしにアズマさんがヒントをくれる。
ヒントを元に足元を見るが、そこにあるのは影だけだった。
影……あ!
「思い出したみたいだな」
アズマさんの言葉に頷く。
そうか。陰に隠れたんだ。
相手の一瞬を付き隠れる。こんな技、手慣れている人じゃないとできやしない。
すごい……。
心の中で感心していると、バケモノの背後に人影があった。
バケモノも気づき、振り返るがそれよりも早く何かが妖魔の腕を切り裂く。片腕を落とされたバケモノは、クロさんを睨みつける。クロさんは短剣を両手に持ち、敵を威圧する。
その威圧にバケモノは怯み、そのままこの場を去って森に消えて行った。
「ハギ。被害の方は?」
「そこまで出てないよ。一匹だけだったから少し建物が壊れたくらい。怪我人もいない」
クロさんの戦いを見届け、残った三人は手分けして被害の状況を確認した。
とそこに。
「おや。そこにいるのは、出来損ないの妖狐じゃないか」
大軍を引き連れた男性がやってきた。
「面倒くさいのが来たな」
アズマさんはまるで苦虫を潰したかのよう顔を男性に向ける。
「酷いな。僕は事実を言っているだけじゃないか」
男性は余裕そうな表情をしながら肩を竦めて見せる。
「武器をしまえ。お前ら」
「だが」
「いいから」
そのことが気に入らなかったのか。アズマさん以外の三人は各々の武器を構え、男性と対峙したが、アズマさんに言われ渋々武器を仕舞った。
「ふん。躾(しつ)けがなっていないな。これだから低俗の者は」
その様子を見ていた男性は、嫌味をこぼす。
「あの。彼らは一体?」
「あれは、治安維持部隊。さっきの妖魔が出たりした時に、妖魔を倒したりする組織の部隊だよ」
男性が何者なのか気になり尋ねると、近くにいたハギさんが小声で教えてくれた。
「治安維持部隊。でも、来るのが遅かったですよね。もし、みなさんが来ていなかったら、今頃もっと被害が出ていたんじゃ」
「ああ。アイツらは身分の高い者たちしか助けない。それ以外の者が死んでも自分たちは関係ない。悪いのは俺たちだと難癖(なんくせ)をつけてくる」
アクロさんの言葉に「何でそんなことを」と疑問に思うと、
「元々、妖魔を倒すのは領主であるアズマ様たちの役なんだ。でも、十年前の悲劇でアズマ様の家の信用は落ちた。そこで発足されたのが治安維持部隊なんだ」
ハギさんが彼らと治安維持部隊の方たちとの因縁(いんねん)を話してくれた。
「でも、みなさん。さっきまでいろんな妖怪に囲まれていましたよね?」
「それは、アズマが信用を取り戻したからだ。だが、全ての者が納得したわけではない。あの悲劇はそれほどまでに、民の心に深く根付いている」
わたしたちがそうこう話をしている間に、治安維持部隊の隊長さんらしき妖怪と、アズマさんの話も終わりを迎えた。
「まあ。いい。僕たちも暇ではないんでね。失礼させてもらおう」
「待てよ。ここはほったらかしかよ」
「はっ。こんなみすぼらしところ。助けたところで何も利益になりはしない。言っただろ、暇じゃないんだ。そんなこと言うなら、君がどうにかすればいいだろ。ああ、君は民から嫌われているんだったか。アハハ! これは失敬。それにしても、君もかわいそうだな。君は民のために頑張っているというのに、その民たちは君のことを信用していないんだから」
「……そうだな」
男性からの嫌味を品検に受け止めるアズマさん。
「ふん。行くぞ」
その態度が気に入らなかったのか。男性は鼻を鳴らし後ろに控えていた部隊を率いて。この場から去っていった。
「……アズマさん」
心配になり優しく声を掛ける。
「ん? どうした?」
「……いえ。何でもありません」
「そうか? じゃあ、俺たちも帰るか。ここはもう大丈夫みたいだいしな」
いつもと変わらない。軽快な声が返って来て少し拍子抜けした。
周りを見てみると、いつの間にか妖怪たちが力を合わせて、瓦礫(がれき)の撤去(てっきょ)をしていた。
と眺めていると、こちらを睨んでいる妖怪たちの視線を見てしまい、怯んだ。
憎悪。嫌悪。
ここの妖怪たちの視線からはそれらが感じられた。
怖くなり視線を下げるわたし。
すると、背に暖かい感触がして、隣に視線をやるとアズマさんがいた。わたしの視線に気づき、微笑み優しく掌を添えて押してくれた。
あの事件。
それがどれだけアズマさんたち。この街に住む妖怪たちの心に傷をつけたのか。
初めての街の見回りは山ほど知りたいことばかりの出来事で幕を閉じた。
「はあ」
「さっきからため息ばっかりついてるけど。幸せが逃げるわよ」
邸に戻ってからというもの、ため息ばかり吐くわたしに、HINAさんは呆れた声を出した。
「わたし、アズマさんたちのこと何も知らないと思って」
今日あったことを思い出しながらそうこぼす。
「まあ。昨日会ったばかりの他人だもの。知らなくて当然よ」
「それはそうなんですが。ただ、何ていうか。彼らを知らないで、どうやって世界を救えばいいのかわからなくて」
元の世界に帰りたい。
そのことは今でも変わらないが、この世界の現状を目の当たりに、考えがだんだんと揺らいでいた。
「あら。あまり乗り気じゃなかったくせに。どういう風の吹き回し?」
「さっきも言った通りです。わたしは、彼らを知らない。でも、今日一日彼らと供に行動して、少しわかりました。彼らはあのバケモノ、妖魔から街の妖怪たちを守るために必死に戦っている。でも、その努力も知らずに批難される。そんなのおかしいと思って。だから」
そこで言葉を区切り、決心を固める。
「だから、わたし決めました。彼らと友達になって、彼らのことを知って一緒に世界を救おうって。何でわたしが適任なのか、今もよくわからないけど。けど、わたしなりに彼らと向き合おうと思います」
そうわたしは宣言した。
「そう。あなたはそういう子よね」
「ん? 何か言いました?」
「いいえ。何も♪ それで、何から始めるの?」
HINAさんから問いかけられ、考えを言う。
「まずは、みなさんにわたしのことを話します。何で人間であるわたしがこの世界に来たのか。彼らはまだ知りません。そんな人間を置いておくのも、嫌だと思いますし」
「まあ。いいんじゃない。あなたのことは別に秘密にしろとは言われていないし。あ、でも、私のことは言わないでちょうだい」
「わかりました。ありがとうございます」
HINAさんからの了承も得てお礼を言う。
そうと決まれば、善は急げ。
立ち上がり、部屋を出て邸にいるみなさんを探しに行った。
「で。どうしたんだ? 改まって」
アズマさんの掛け声に、広間に集まっていたみなさんの視線が、わたしに集中する。
緊張したが、一つ深呼吸をしてゆっくりと一人ひとりの目を見つめる。そして。
「みなさん。ごめんなさい!」
勢いよく頭を下げた。
「ど、どうしたの? お姉さん。頭下げて」
「そうだぞ。顔を上げろ」
いきなりの事で驚いた声を出すハギさんと、アクロさん。
ゆっくりと顔を上げて、話を進める。
「実は、わたし。みなさんに言わなければならないことがあるんです。わたしがこの世界に来たのは、みなさんの世界を救うためなんです」
いきなりそんなことを言われても、誰も信じないだろう。
でも、嘘偽りでないと伝わって欲しい一心で、話を続ける。
「何を言っているのかわからないと思います。わたしもいきなり見たこともない種族の人にこんなこと言われたら、戸惑います。でも、今はそれでもいいです。だってまだお互いのことを何も知らないんだから。これから知り、そしてわたしの言ったことを信じて欲しいんです」
もう一度、みなさんの目を見つめる。
「お願いします。みなさんの力をわたしに貸してください!」
そして、もう一度頭を下げる。
長い沈黙が続いた。
みなさんいきなりこんなこと言われても、信じてはくれないか。
まあ。当たり前か。と諦めかけた時。
「アンタがあの森にいたのは、そういうことだったのか」
アズマさんの落ち着いた声が聞こえてきた。
ゆっくりと顔を上げ、アズマさんの視線を真っ直ぐに見つめる。
「はい」
アズマさんと初めて出会った時のことを思い出し、肯定する。
「あんたの話、わかった。オレは力を貸すぜ」
「アズマさん!」
「ボクも」
「俺も」
アズマさんの後に続き、ハギさんとアクロさんも承諾してくれた
「クロは? オマエは反対か?」
まだ答えを出していない最後の一人。クロさんの方に視線が集まる。
クロさんは静かに全員の視線を受け止める。
「…………アズマに害をなす者でないなら。別に」
ぶっきらぼうな言葉だったが、クロさんも了承してくれた。
「みなさん。ありがとうございます!」
全員の答えを聞き、もう一度感謝の意を込めた礼を贈った。
「あ、いた」
広間でみなさんと話をしている途中、姿を消したアズマさんを探していると、そう遠くないところで月を眺めているのを見つけた。
月光に照らされ輝く金色の髪。憂いをおびた横顔。その姿が美しく、幻想的でつい見惚れてしまう。
「お。柳か。どうした」
わたしの視線に気づいたアズマさんは、月からこちらに視線をやり、いつもの笑顔を向けてくる。
「突然いなくなったので。探しましたよ」
「すまない。月を眺めたくなってな」
もう一度月に視線を向けるアズマさん。
彼の視線をたどり、わたしも月を見る。今日は満月だった。
「お隣いいですか?」
「ああ」
彼に近付き、隣に腰掛ける。
「きれいですね」
「そうだな」
二人静かに月を眺める。
「ありがとな。柳」
「え?」
不意のアズマさんからの言葉の意味がわからず首を傾げる。
「オレたちに秘密を打ち明けてくれて。それに、知らない世界なのに、救いたいと言ってくれて」
「そんな! 大層なことではありません」
「でも、アンタは元の世界に帰りたいって昨日言ってたよな。それなのに」
「……確かに。元の世界に帰りたいのは、今でも変わりません。もしかしたら帰れないかもしれない。でも、このまま野放しにしていたらもっと妖魔による被害が出てしまう。それは、視たくありません。叶うなら、笑って暮らして欲しい。そう思ったんです」
わたしの言葉を聞き、アズマさんは頷く。
「そうか」
「わたしが言った中に、アズマさんたちも含まれてしますから」
「オレたち?」
「はい」
真っ直ぐに彼の目を見つめる。
彼のきれいな緑色の瞳に、真剣な顔のわたしが映っている。
「みなさんは妖魔と命を懸けて戦っているんですよね。それなのに、みなさんが笑って暮らせないなんて嫌です。頑張っている方には、きちんとそれに見合う暮らしをして欲しいんです! 部隊の方に何か言われても、気にしていてはダメです」
「バレてたのか」
苦笑をするアズマさん。
「なんとなくです。出会ったばかりですが、何だか元気がないような気がして」
日中の出来事が数多をよぎる。
「……上手くごまかせてたと思ったんだが。まさかアンタにバレるなんてな。オレもまだまだってことか」
はあとため息を吐く。
「何か苦しい、辛いことがあったら一人で抱え込まないでください。わたし一人では力になれないこともあるかもしれないけど。クロさん、ハギさん、それにアクロさんもいますから。頼ってください」
「……そうだな」
そう言うと、アズマさんは体を傾けてきた。
「ア、アズマさん!」
いきなりの事で驚く。
アズマさんの頭はわたしの右肩の乗っている。
いきなりの至近距離で心が落ち着かない。
「頼っていいんだろ?」
和らいだ声で問いかけられ、ぎこちなく頷く。
「なら。このままで」
穏やかない時間。
だが、この状況をどうすればいいかわからないわたしは、ドキドキする心臓と、熱くなる頬をしながらなんてことを言ってしまったのだろうと、少し後悔した。
わたしが初めて妖魔を見てから、数日が経った。
あれから、わたしはこの世界の文字の勉強をした。
少しでも、この世界に馴染み、わたしにある力が何なのか知るためだ。
初めは筆で文字を書くのに悪戦苦闘(あくせんくとう)したが、今では少し上手く書けるようになってきた。それに、勉強は元からそこまで嫌いでもなかったから、新しく学べて楽しい。
勉強を教えてくれるのは、ハギ君かアズマさん。ちなみに、ハギ君の呼び方が変わったのは、彼から「ボクに対しては、敬語はいらないよ」と言われたためである。
アクロさんは勉強が苦手なようで、代わりに体力をつける稽古(けいこ)をしてもらっている。もし、妖魔に運悪く出会っても、逃げれるためと教わったが、正直結構きつい。
クロさんは、他のみなさんと違いいつもどこにいるのかわからないから、何も教えてもらえていないが、時々部屋の前に薬草に関する本が置いてある。アズマさん曰く、クロさんは薬草に詳しいため、まとめてくれているのではと言っていた。一度、そのことをお礼したら、「……オレではない」と言われすぐにどこかに消えてしまった。わかりにくいが、これはクロさんなりの優しさなんだと思い、大切に使わせてもらっている。
でも、ここ最近は一人でしている。
その理由は、ここ数日妖魔の目撃が頻繁(ひんぱん)にあり警戒のため、見回りに行って、誰もこの屋敷にはいないから。
一人みなさんの無事を願いながら待つだけではなく、何か手伝えることはないかと聞いたが「アンタはここにいろ。そして、オレたちのことを出迎えて欲しい」と言われた。そんなことを言われたら、大人しく引き下がるしかないため、毎日勉強の復習か、書庫にある書物を読んで待っている。
「暇ねえ」
「はい」
少し休憩していると、今まで静かだったスマホからHINAさんの声がして、相槌を打つ。
「ここが静かなのも、変な感じね」
「はい。いつも誰かしらいますからね」
「騒がしいのも嫌だけど。静かなのもなんだかね」
「そうですね」
すると、「キュウ~」と情けないお腹の音が部屋に鳴り響いた。
「すごいお腹の音ね」
「うっ。恥かしい」
「そういえば、もうお昼ね。何か食べないの?」
「勝手に台所を使ってもいいのかな」
「いいでしょ。さ、行くわよ」
少し躊躇(ためら)ったが、もう一度お腹が鳴り我慢(がまん)できなくなり、HINAさんの後を追い台所に向かった。
「ごちそうさまでした」
「あなた料理できたのね」
食べ終わり、食器を洗っているとHINAさんに意外な声で尋ねられる。
「まあ、少し。元の世界では、お義母さんの手伝いをしていただけですが。あ!」
とそこで、ある名案を思い付く。
「アズマさんたちに料理を作ればいいんだ!」
それは、疲れているみなさんに手料理を作ればいいということだ。
「いきなりどうしたの?」
「何かお返しができればなと思っていたんです。そっか。この手があった。あ、でも、何が好きなんだろ」
うーんと悩み出すわたしに、HINAさんは、
「狐はやっぱり、油揚げじゃない。猫は魚。鬼は肉。狼は……何でもいいんじゃない」
と言う。
「そんな安直な」
「いいから。いいから。で、材料はあるの?」
呆れるわたしとは反対に、HINAさんは楽しそうな声で問いかけてくる。
冷蔵庫のような棚に近付き、中をのぞく。
最初見た時は、そういう原理をしているのかと不思議に思ったが、妖怪の世界だからなにか特別な力で動いているのだろうと納得した。
「えっと。魚と肉はあるけど。油揚げがない」
「なら、街に行きましょ」
「でも、今はいかない方がいいんじゃ」
「そんなに長いはしないし。平気よ。お金はあの狐からもらっているでしょ」
「まあ。何かあった時のためにと、多めに」
この世界に来て、不便がないようにとお金を渡してくれたアズマさんだが、結構な大金を渡され、流石に遠慮した。一時間くらいの言い合いの末、半分のお金になったが使うのにためらい、今でも部屋の箪笥(たんす)に入っている。
多分だが、日本円にしたらすごい額が眠っている。
「お金の心配もないと。なら、早く行きましょ」
さっさと行ってしまうHINAさん。
「ちょ、ちょっと、HINAさん! もー、何でこんなにせっかちなの!」
急ぎ台所を出て、部屋で出かける用の仕度をし、街に出かけた。
「良かったわね。無事に買えて」
「はい。後は帰って何を作ろう」
無事に油揚げを買い終わり、HINAさんと並んで歩いていた時。
「きゃああ!」
「妖魔だ!」
少し離れた所から悲鳴が聞こえてきた。
妖魔という単語を聞き、いてもたってもいられず気づいたら被害が出ている所に向かって走っていた。
「ちょ、柳! 貴方何してるの!」
「何もないか見に行くだけです」
「危ないわ! 貴方は妖魔と戦い力なんてないのに!」
「でも、このまま逃げるだけは嫌なんです」
静止するHINAさん。
確かに彼女の言う通り、わたしには力がないがどうしても放って置けなかった。
「まったく。仕方ないわね。遠くから見るだけよ。いい?」
「はい。ありがとうHINAさん」
わたしの思いが通じたのか。呆れた声を出しながらHINAさんは、引き下がってくれた。
そのことにお礼を言い、走る速度を速める。
「後で狐に怒られても、知らないからね」
確かに怒られるだろうな。と思ったが、それは甘んじて受け入れようと思うのだった。
「酷い」
「これは、またすごいことになったわね」
現場に着くと、そこは酷い有様だった。
初めて妖魔が襲っていた時は被害が少なかったが、今回は多くの建物が壊されあちこちで助けを呼ぶ叫び声や、泣き声が響き渡る。
周りの様子を見ながら歩きていると、一人しゃがみこんでいる女性が目に入る。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ。私は平気。でも、子どもが」
女性の傍に近付き、しゃがみこむ。
女性にはケガがないことを確認し安堵したが、その後の言葉に緊張が走る。
「お子さんはどこに?」
「妖魔に連れて行かれて」
まさかの最悪の事態になった。
「妖魔はどこに行きましたか?」
「森の方に。今、治安維持隊に連絡をして。待っている所なの」
女性が指示した方に顔を向ける。
そして、もう一度女性の方に顔を向け、安心させるために、
「わたしが、お子さんを連れてきます」
と言葉を掛けた。
「あ、あなたじゃ無理よ! 気持ちは嬉しいけど、大人に任せなさい」
「でも、今この瞬間にも、お子さんが妖魔に襲われているかもしれないんですよ! それなのに、ただここで待っているだけなんて、わたしは出来ません!」
そう言って女性の静止を振り切り、次は森に向かって走り出す。
その後をまた、HINAさんが追いかけて大声を上げる。
「ちょっと! 見てるだけって言ったでしょ」
「子どもを助けないと!」
もう何をしても聞く耳を持たないとわかったのか。HINAさんは呆れながらも、ついてきた。
「まったくもお。子どもを見つけたら、すぐに母親の元に戻るのよ!」
「はい!」
返事をして、目的の森に向かって全速力で向かった。
「これは」
森の入り口付近に着くと、そこに見たこともない大きな足跡があった。
「妖魔の足跡ね」
冷静にHINAさんは分析する。
「気を付けるのよ。妖魔は理性がないバケモノ。いつでも襲ってくるんだか」
無言で頷き、森の奥へと続く足跡を追って、森に入っていった。
妖魔に警戒しながら子ども子ども探しをして、奥まで来た所ですすり泣くこえがかすかに聞こえてきた。
その声の方向に向かって足を進めると、
「あ、あそこ!」
探していた子どもを発見した。
「良かった。いた。僕、大丈夫?」
「うっ。ひっく。う、うん」
素早く少年に近付き、どこか大きな怪我はないか確認する。
多少擦り傷はあるが、大きな怪我はないようだ。
「もう、大丈夫だよ。お姉ちゃんとお母さんの所に行こう」
安心させるために、優しく声を掛ける
「怪我してる。ちょっと待ってね」
念のため、持って来て正解だった。
肩から下げていたカバンから、薬草を取り出す。
これは、クロさんが「……持っとけ」と投げやりに寄こした物だ。
薬草を取り出し、少年の手当てをするための準備を素早く進める。
「ちょっと沁みるけど、我慢してね」
鼻をすすりながらも頷く少年に、微笑み傷口に薬を塗る。傷口に薬が沁(し)みるのか時折、顔をしかめる少年だが、大人しく手当てをさせてくれた。
「よし。これで怪我はいいかな。歩ける?」
手当てが終わり、バックに薬草を戻し少年に手を差し出す。わたしが差し出した手を一瞬ためらっていたが、掴んでくれた。
少年を立たせて、慎重(しんちょう)にこの場を去ろうとした時。
「柳!」
今まで静かだったスマホから声がし、背後を見てみると妖魔の姿を捉えた。
「妖魔……!」
急いで気の陰に隠れる。
「大丈夫。怖くないよ」
妖魔の存在に震える少年を慰(なぐさ)め、どう切り抜けるか考える。
「僕、走れる?」
「う、うん」
「なら、森を抜けて、街のみんながいる所まで逃げて」
「お、おねえちゃんは?」
「わたしは、妖魔を引き付けるから」
怯える少年に安心させるため、笑顔で答える。
本当はわたしも妖魔が怖くて仕方がない。
逃げ出してしまいたい。
でも、少年を見つけてみせると、彼のお母さんと約束したからこの役目を放りだしわけにはいかない。
「で、でも。おねえちゃんが」
「大丈夫。お姉ちゃんこう見えて、結構鍛えてるから」
腕を上げて、鍛えているアピールをする。
少年は不安そうな顔をしていたが、わたしの様子を見て頷いてくれた。
「いい。三・二・一で行くよ」
行動をする合図を決める。
「三……二……一……!」
少年は隠れていた木陰から全速力で、走って行った。
だが、その物音に妖魔が反応してしまう。
「グオオオ!」
少年に向かって走り出す妖魔。
「あんたの相手はわたしよ! バケモノ!」
妖魔の死角から持っていた荷物を投げる。そして、妖魔が不意打ちに怯んでいる間に距離を取る。
「こっちよ!」
妖魔の注意を少年からわたしに反らすことに成功し、捕まらないそうわたしも全速力で森を掛ける。
「はあ、はあ、はあ……!」
随分森の奥まで来た頃。息が切れてきたため、少しスピードを緩める
「な、何とか撒(ま)けた」
後ろを振り返ると、妖魔は追って来ていなかった。
上手くいったことに安堵し、近くの木に寄りかかる。
「柳! あんたって子は!」
わたしが休んでいると、怒った声を出してHINAさんがカバンから飛び出してくる。
「もう危ないことはしないで!」
「ご、ごめんなさい」
いつもと違う態度に本当に申し訳なくなる。
「心臓に悪いんだから。もう本当にやめてよ!」
「わかったから。HINAさん静かに!」
でも、流石に大きな声を出すから宥(なだ)めるのに時間がかかった。
「でも、ここどこなんだろ」
HINAさんを宥(なだ)め終わり、改めて周囲を見回す。
「随分(ずいぶん)と奥の方まで、走ってきたわね。あの鬼の稽古(けいこ)がこんなところで、役に立つなんて」
「日々の積み重ねのおかげですね」
アクロさん。ありがとうございます。
と心の中で官署の言葉を述べた。
「ここにいても、妖魔に見つかるし移動しましょ」
「はい。その前に」
地面に落ちている石を掴み、近くの木に少し傷をつける。
「何やってるの?」
「こうやって何か目印を置いていけば、誰か来た時に助けてもらえるので」
目印もつけ終わり、いざその場から移動しようと思ったが。
「グルルルル!」
背後から不気味なうめき声が聞こえてきた。
「柳!」
HINAさんの声に咄嗟(とっさ)にその場から逃げる。次の瞬間には、わたしがいた場所に鋭い爪が空を切った。
もし、あのままいたら確実に———!
死を想像して、鳥肌(とりはだ)が立つ。
「とにかく逃げないと!」
妖魔が攻撃の態勢になる前に、急いでその場から逃げた。
「はあ、はあ、はあ……!」
さきほどよりも足がおぼつかない。
死が。恐怖が。背後から近づいてくる。
「あっ!」
と、逃げるのに夢中になっていて木の幹に気付くことが出来なかった。そのまま足を捕られ転んでしまう。
「グオオオオ!」
すぐに立ち上がろうとするが、妖魔がこちらに飛び掛かってくる光景が目に入る。
「柳! 逃げて!」
HINAさんの必死な声が遠くから聴こえる気がする。
あ、わたし。死ぬんだ。
すべての光景がスローモーションに見える。
死を覚悟したわたしは、目を閉じる。
ごめんね。みんな。お母さん。
ごめんなさい。みなさん。
最後の瞬間。元の世界の友達。家族の顔が脳裏を過る。
それと、この世界でわたしに優しくしてくれた彼らの顔も。
「柳!」
絶望的な場面に、救いの声が聞こえてくる。
誰かに抱えられているのか。浮遊感がする。恐る恐る目を開けると、そこには。
「ア、アズマさん……!」
そこには、わたしを抱え妖魔と対峙する、この世界で信頼できる狐の妖怪だった。
「無事……じゃないな。でも、よくここまで逃げた。後はオレに任せろ」
森を逃げる時にできた擦り傷と、さっき転んだ時にできた怪我を見て眉(まゆ)を顰(ひそ)めるアズマさん。近くの木にわたしを降ろし、改めて正面から妖魔を見据える。
「妖魔……オレの領地で俺の大切な民を傷つけたこと。後悔させてやるよ」
「グオオオオ!」
いつもより低い声で妖魔を威嚇(いかく)するアズマさん。出会ってまだ数日だが、見たこともないその様子に、わたしは声を出すことも出来なかった。
妖魔も彼の様子に警戒し、一際大きな咆哮を上げ高く跳躍した。
「炎よ。燃え上れ」
アズマさんが言葉を紡ぐと、掌から赤い炎が燃え上がる。
きれい。
この危機的状況で、そう思うのはおかいしいかもしれないが、その炎に見惚れる。
「グギャアア!」
アズマさん目掛けて飛び掛かってきた妖魔に、容赦なくその炎を投げつける。
炎の威力が強かったのか。妖魔をその場にのたうちまわった。
「消えろ」
妖魔を見下ろしながら、ドスのきいた声でアズマさんは言う。その威圧にやられて妖魔は尻尾を撒いて、逃げて行った。
「つ、強い」
アズマさん実力を目の当たりにして、感嘆の声を漏らす。
「当たり前だろ。でなきゃ、領主なんて務まらない。怪我、見せてくれ」
片膝をついて、わたしの傷を見る。
「あーあ。派手に転んだな。待ってろ」
彼は高価そうな着物を迷いなく破き、包帯の代わりとして膝に巻き付ける。
「……どうしてわかったんですか?」
「ん? ああ、子どもが助けを求めに来たんだよ」
手当てをしてもらっている間、手持ち無沙汰になり問いかける。
「オレたちも妖魔のことを聞いて、急いで現場に向かった。そこで息を切らした子どもが森にまだ女の人がいるって教えてくれてな」
アズマさんの話を聞き、無事に少年が街にたどり着いたことを知れて、安堵する。
「よかった。あの子。無事だったんだ」
「無事だったんだ。じゃないぞ」
アズマさんは、安堵するわたしに呆れた声を出し、軽く頭を叩いた。
「いて。もう、何するんですか」
「お仕置き。確かに子どもが助かったのはよかったが、アンタも危なかったんだぞ。オレがあと少しここに着くのが遅れてたら、妖魔に殺されてたんだからな」
「はい……」
今日はいろんな人に怒られてばかりだな。
流石に今回は危ないことをした自覚があったので、反省する。
「無事だったからよかったが。オマエが妖魔に殺されそうなところを見て、肝が冷えた。もうこんな無茶なことはしないでくれ。もう、誰も死なせたくないんだ」
「アズマさん……」
真剣な。だが哀しい目を向けられる。
「さて。帰るか。オマエの手当ても屋敷に帰ってきちんとしないとだしな。人間は妖怪と違って脆(もろ)いんだろ」
じっと見つめていると、顔を反らされる。少し残念に思っていると、手を差し出され手を伸ばす。
「あの、アズマさん」
立ち上がり、手をつないだまま帰ろうとするアズマさんの背中に声を掛ける。
「助けてくれてありがとうございます」
「バーカ。当たり前だろ。オマエも大事なオレの領民だからな」
彼は、いつもの余裕そうな笑顔を向けてくれた。
頼りになるなと思っていると。
「あ。足痛むなら、おぶってやろうか♪」
「遠慮します」
頼りになるなと思って見直したのに。
「あ、柳お姉さん! アズマ様!」
森を抜け、街の入り口までやってくると、ハギ君、アクロさん、クロさんが待っていた。
「無事か!?」
わたしたちの姿を見て、三人はこちらに走って来てくれた。
「オレはな。柳は怪我をしてる」
アズマさんの言葉に三人の視線が、わたしに向く。
「わ! ほんとだ! 早く手当てしないと!」
わたしのボロボロの姿を見て、ハギ君は慌てた様子になる。
「……薬草は?」
「あ、子どもに使っちゃって」
クロさんの言葉に正直に答えると、呆れたため息を吐かれる。
「……はあ。馬鹿なのか」
「ちょっと、クロ! そんな言い方ないでしょ! お姉さんは子どもを助けたのに」
「コイツのために、渡したんだ。自分に使わないでどうする」
「だったら、余分に渡しておけばよかったじゃん!」
ケンカを始める二人に、アズマさんが仲裁に入る。
「ハイハイ。そこまで。いい加減柳の手当てのために、邸に帰らせてくれ」
アズマさんの言葉に一旦ケンカを止めてくれる。
「早く行こ!」
「……走らせるな。ネコ」
わたしの手を取り、引っ張るハギ君。その様子にまたクロさんが突っかかり、ケンカが再発しそうになった。
「うわ。痛そう」
「ああ。結構派手にやられたな」
「……自業自得」
三者三葉の言葉を投げかけられる。
邸に戻り、わたしの部屋で手当てをしてもらっていた。
でも、何でみなさんいるんだろ。
こんなに大勢に囲まれ少し緊張する。
「オマエ等。気が散るから部屋から出て行け!」
わたしの手当てをしてくれていたアズマさんは、三人を引っ張って部屋から追い出した。
「たく。他にもやる事があるだろうに」
「あははは」
「笑いごとじゃないからな。たく」
その様子が面白くて笑ったら、怒られてしまった。
「……女なんだから。もっと自分を大事にしろ。傷なんて残したくないだろ」
「はい……あの、怒ってますか?」
「別に。怒ってない」
ぶっきらぼうな声で返される。
これは、相当怒ってるよな。
どう言えば納得してもらえるかと考える。
「でも、妖魔から逃げれたのは、アクロさんとの日々の鍛錬のおかげなので」
思い付いたことを言ったが、何も反応が返ってこなかった。
「……ごめんなさい。ご心配をおかけして」
「はあ。本当に。オレの身にもなってくれ。もうこんなことはしないと、約束できるか?」
居候の身であるから、これ以上は迷惑をかけてはいけない。
それはわかっているが。
「それは……出来ません」
約束は出来ない。
「わたしは、みなさんのことを、この世界のことをもっと知りたいんです。それに、アズマさんたちが傷つくのを黙って見ているのも、わたしは嫌です。だから、出来ません。あ、でも。もう怪我をしないよう、もっと鍛錬もしていこうと思います」
明るい声でそう宣言する。
「そうか。オレたちのことを思ってくれるのは、ありがたいがそれとこれとは話が別だ。約束出来ないような悪い子には、お仕置きが必要だよな」
途端、アズマさんは悪戯(いたずら)めいた目を向けてきた。
「な、何をするきですか?」
「こうするんだよ」
逃げないと!
本能がそう告げ、掴まれている足を引っ込めようとしたが、わたしの行動などお見通しのように、強い力でさらに引っ張られる。
予想していなかったことで、態勢が崩れる。
なんとか手を後ろにして倒れることは防げたが、足を持ち上げられているため恥ずかしい格好をさらしてしまっている。
恥ずかしさに悶えていると、アズマさんは傷口に口を近づけていき、
「な!?」
傷を舐めた。
「な、何してるんですか!?」
「ん? 何って。傷を舐めてるだけだ」
「そ、そんなことしないでください。汚いですから」
まさかの行動に驚き、恥ずかしさなどどこかに吹き飛んだ。
この状況をどうにかしようと、暴れるが力ではかなわなかった。
「ん。暴れるな。消毒ができないだろ」
暴れるわたしを大人しくさせるため、アズマさんはつぅーと太ももに爪を這わせる。
「ひゃ! く、くすぐったいです」
「言っただろ。お仕置きだって」
くすぐったさに身じろぐ。
「自分の身を大事にしない奴には、こうしてわからせないとな。ん」
大人しくなったことを確認すると、中断していた傷口への口づけを再開する。
もう、限界……!
「わ、わかりました。から。もう、話してください」
「ほんとか?」
吐息が膝に当たる。
ビクっと肩を跳ねさせながら、何とかコクコクと首を縦に振る。
「……なら。いい。次やったら、もっと恥ずかしいお仕置きだからな」
やっと、解放される。
持ち上げられていた足をゆっくりと降ろされる。
息が上がり、身体が火照っているわたしとは、正反対にアズマさんはどこ吹く風だ。
その様子に面白くないと思っていると、
「あれ? 傷が治ってる」
さっきまであったはずの膝の傷が跡形もなく、なくなっていることに気付いた。
「ああ。舐めてる時に少し妖力を使って、傷を治しといた」
「ありがとうございます」
「今回だけだからな。にしても、オマエの血美味かったな。飲んだことなんてないはずなのに、どこか懐かしさもあって……うっ!」
「アズマさん!」
話している途中、いきなり苦し気なうめき声を出し、倒れるアズマさん。
急いで彼のもとに駆け寄るが、何が起きているのかわからず、どうすることも出来なかった。
「くっ……! な、なんだ。胸が、苦しい……!」
「大丈夫ですか! アズマさん!」
「はあ、はあ、はあ……くっ!」
瞬間。
アズマさんの身体が光輝く。
「きゃ!」
あまりの眩しさに、目をつぶる。
光が徐々に収まり、目を開けるとそこには、目を疑う光景があった。
「ア、アズマさん……?」
いつもの姿と違うアズマさんがそこにいたのだ。
普段は金髪の髪が、月の光のような白銀に。
二本の尻尾が、九本に増えてゆらゆらと揺れていた。
「これは……!」
アズマさんは、自身の姿を見て驚く。
「なるほど。だから懐かしく感じたのか」
わたしを置いて一人納得するアズマさん。
すると、再び光が彼を包み、収まるころにはいつもの姿に戻っていた。
「元に戻った……?」
たった今、目の前で起きたことが処理しきれずに、呆然としていると。
「アズマ様! 大丈夫!?」
部屋から追い出された三人が、バタバタをやってきた。
「おお。オマエ等。どうした?」
「一瞬、今まで感じたことのない強い妖力を感じた」
「ここに来る途中で、その妖力がなくなったが。平気か?」
クロさん、アクロさんの質問にあっけらかんとした声で答えるアズマさん。
「見ての通り。何もねえよ」
「よかった。もしかしたら、鬼か龍が来たのかと思って、ドキドキしたよ」
「アイツらが自分の領地から出ることなんて滅多にないぞ」
カラカラと笑っていたアズマさんだったが、すぐに真面目な顔になり三人を見回す。
「それよりも、みんな、一度広間に行くぞ。話したいことがある」
ただ事ではないと感じたのか。部屋に緊張が走る。
「今のこと、アイツ等に話してもいいか?」
「はい」
「ありがとな」
手を借り、立ち上がる。
そして、広間に行くため部屋を後にした
