「神楽柳《かぐらやなぎ》さん。あなたにはこれから妖怪の世界に行き、世界を救ってもらいます!」
 みんなは、目の前に浮かぶスマホから少女の声で、こんなこと言われたら何て答える?
 アニメやマンガみたく「わかった!」と承諾する? それとも「いや。めんどくさいから。パス」と断る?
 まあ、みんな答えなんてそれぞれだよね。
 かく言うわたしはと言うと。
「……」
 現実を受け入れらず呆然としています。
「それではさっそく……」
「ちょ、ちょっと待って!」
 すぐに話が進みそうになり、慌てて止める。
「その。その前に少し状況を整理してもいい?」
「ああ。そうよね。いきなり世界を救ってもらいます。と言われてもなに言ってるんだと思うよね。私もそう思う。では、少し前のことを振り返りましょう。そう数分前のこと」
 と言って、少女は勝手に回想を始めた。

  〇 〇 〇

わたし、神楽柳は春から高校二年生になった。
 いつものようにお母さんに見送られて家を出て、最寄りの駅に向かっていた。
 何気ないいつもの日常。
 今日も変わらず日常が過ぎていくと思っていた時。
 強い風が吹きつけた。
 一度立ち止まり、風がやむのを待つ。
 すると、強風に煽《あお》られる桜の花びらを見つけた。
 一枚のピンク色の花びらがひらひらと舞い踊りながら、落ちてくる。それを掌《てのひら》で受け止める。まだきれいな花びらだったため、しおりにしようと思い丁寧にしまう。
 そのまま歩き出そうとしたが、ふと周りを見渡すと知らない場所にいた。
 目の前には寂れた神社。
 わたしがさっきまで歩いていたのは、近所にある公園の近くだったはずなのに。
 雨風にさらされ鳥居も本殿もボロボロだった。長いこと放置されているのか、周りも草木が辺り一面伸びきっていた。
 雰囲気も相まって、日本から異世界に飛ばされたと錯覚してしまうような空間。
 夜には幽霊が出てもおかしくないこの場所が不気味に感じ、急いで出て行こうと鳥居を潜る。
 とその瞬間———。
 また強風が吹き、どこにもなかったはずの大量の桜の花びらに囲まれる。
 驚きのあまり目を閉じる。だんだん風が弱まり、恐る恐る目を開けると、そこは白い空間に変わっていた。
「え? いきなり何!?」
 さっきまでいた神社にいたのに!?
 何かのドッキリか、マジックに巻き込まれたのかとパニックになる。
「ふう。やっと連れて来れた」
 すると、いきなり少女の声がして辺りを見回す。が当然わたし以外は誰もいない。
「だ、誰! どこにいるの!」
 声が裏返ったが、精一杯大声を出す。すると、カバンがひとりでにゴソゴソと動き出す。
「うわっ!」
 いきなりのことでカバンを放り投げて、距離を取る。
「ちょ。ちょっと。いきなり投げないで。私は繊細なんだから、もっと丁寧に扱ってちょうだい」
「あ、ごめんなさい。じゃなくて。あなたは?」
「教えてあげるから、ひとまずカバンのチャック開けてくれる? いい加減外に出たいの」
 そんなこと言われても、何がいるのかわからないのに開ける勇気なんてわたしにはない。
「まだ!」
 急かさないで!
 心の中でそう願いながら、恐る恐るカバンに近付き、ゆっくりとチャックを開ける。半分ほど開けたところで。
「やっと出られた!」
「わああ!」
 中から勢いよく何かが飛び出し、驚いてその場で尻餅をついてしまった。結構強めに。
「いったた」
「あはは。ごめんなさいね。やっと暗いところから出られて、嬉しくてつい」
 打ち付けたお尻を摩り、声がする方に目線を向ける。そこにはわたしのスマホが宙に浮いていた。
「な、何でスマホが浮いてるの!?」
 ありえない光景に思わず大声を出してしまう。
「まあ、この私に掛かれば物を浮かすことくらい、朝飯前よ」
 声しかないがなぜか声の主が胸を張っているのが、想像できた。
だから聞き覚えのある声だったのかと、一人納得する。
「じゃあ、元の場所に返してもらうことも」
「あ、それは無理なの。ごめんね」
 あっさりとわたしの言葉は否定される。
「他にもあなたが気になっているであろう、なぜスマホから知らない少女の声がするのか。あの神社は何なのか。それもほぼ言えないけどね!」
「何もないじゃん!」
 と思わず突っ込んでしまった。
「じゃあ、何を教えてくれるんですか?」
「お! 気になる? 気になるよね!」
 何か、だんだんムカついてきたな。殴ってもいいかな。いや。これはそもそもわたしのスマホだし。画面が割れるのは避けたい。なら、電源を切ればいい?
 そんなことを考えていると、少女は一度コホンと咳ばらいをして。
「神楽柳さん。あなたにはこれから妖怪の世界に行き、世界を救ってもらいます!」

  〇 〇 〇

「と今までのことを振り返って、状況の整理もできたはずだし。早速妖怪の世界に———」
「いやだから、ちょっと待って!」
「もう何でよ。もういいでしょ!」
「よくない、よくない!」
 すぐにどこかに送ろうとする少女を全力で止めると、なぜか怒られた。
「その世界を救う? ことってわたし以外に適任いると思うんですが」
「いないから、あなたに頼んでいるの。お願い!」
 ダメだ。埒が明かない。
 このまま言い合っても同じ問答しか繰り返さないと思い、はあとため息を付いた。
「本当に。あなたにしかできないことなの」
 さきほどまでの声と違い、真剣な声になる少女。
「このままだと、世界が壊れる。でも、あなたの力があれば救えるの」
「……そうはいっても、わたしただの普通の人間だよ。そんな特別な物なんて持ってない」
「いいえ。あなたにはとてもすごい物があるわ。それにあなた自分が何者か知りたくない?」
 何者なのか。それはものすごく気になる。
 わたしには、幼いころの記憶が無く、両親もいない。今暮らしている人は、血の繋がりがない。迷子になっていたところを助けてくれて、そのまま育ててくれた。その人にはとても感謝しているが、わたしの本当の両親に会ってみたいとずっと思っていた。
 でも、わたしはそのことを一言も彼女に言っていないのに、なぜ知っているのか。
「……あなた本当に何者なの? どうしてそのことを」
「ふふ。私は何でも知ってるの。あなたが知りたがっていること。でも、今はまだね。私の話に乗って妖怪の世界に行き、世界を救ってくれたらいずれ知ることになるわ」
 こんな話本当かどうかなんてわからない。そもそもこれは夢かもしれない。それでもほんの少しでも、可能性があるのなら。
「……わかった。あなたの話信じる」
 わたしは覚悟を決めた。
「ありがとう。それじゃあ」
「あ、ちょっと待って」
 と少し不安があり、また止めてしまう。
「その、世界を救うのはわたし一人だけなの? 協力者とかいないの?」
 これではい、そうです。なんて言われたら流石に心が揺らぐ。というか、さっきの発言を撤回したい。
「ああ。それなら大丈夫、だとは思うかな?」
「どういうこと?」
 歯切れが悪く、つい聞き返してしまう。
「いや。協力はしてくれるだろうけど。彼ら基本自由だし。あなたの頑張り次第なところもあって」
「つまり?」
「まあ、あなたが気に入られれば何とかなるよ。うん!」
 何だがすごく不安になってきた。
「他に聞くことはないね。それじゃあ、いっくよ~!」
 わたしの不安などよそに、少女は元気な掛け声を出す。すると、またどこからかの花びらが舞ってわたしを取り囲んだ。
「これから、この世界で困難なことばかりだと思う。でも、彼らと力を合わせれば乗り越えていける。それで、この世界を救って、秘密も知って欲しい」
「え?」
「……柳。あなたの幸運を祈っているわ」
 少女の声がだんだん遠くなっていき、聞こえなくなる。それと同時に桜も消えた。
 ひらひらと落ちる桜を眺めながら、今度はどこにいるのかとあたりを見渡す。
 後ろには、少女と話す前に最後に見た古びた神社。回ろはわたしなんかよりも背が高い木々が伸び、太陽の光を遮っていた。足元の草も伸び放題だ。
 うん。ここは森だな。
「……って。これからどうすればいいのよ!」
 いきなり森の中に置き去りにされ、つい大声を出してしまう。
「何か服も変わってるし。いつの間に……」
 学校の制服からいつの間にか服装が、和服のようなものになっていた。なぜか少し肌が出ているような気もするが。
「まさか。これはあの子の趣味? あ、名前聞くの忘れてたし。はあ」
 もうどうすればいいかわからず、とりあえず見覚えのあるボロボロの神社の本殿に座り込む。森の中は静かで時々鳥の鳴き声が聞こえてくる。でも、本当にここは妖怪の世界なのかな。わたしがいたところと大して変わらないような。
 なんてぼんやりと思っていると、突然遠くの茂みがガサガサと音を立て始めた。森だし熊が出たのかと思い、隠れようとするがいい隠れ場所が見つからない。オロオロとしているうちに音は近づいてくる。近くにあった木の棒を持って熊を待ち構えていると。
「あれ? 女の子だ」
 茂みから出てきたのは熊ではなかった。
 木の間から漏れる日の光に照らされる金色の髪に、派手な着物を着た青年だった。
「お嬢さん。そんなところで何を? てかその木の棒は何?」
「く、熊かと思いこれで追い払おうと」
 嘘をつくこともないので、素直に言う。
「アハハ!!」
 すると、青年はお腹を抱えて笑い出した。
「わ、笑わないでください!」
「い、いや。熊相手にそれで立ち向かおうなんて。お嬢さん、強気だね。アハハ」
 な、なんなのこの人!
 笑い続ける青年にだんだん腹が立ってきた。何か言ってやろうと口を開くが、それより先に青年が話しだした。
「ハア。面白い。こんなに笑ったの久しぶりだよ。ねえ、そっちに行ってもいいかい?」
「嫌です」
「ふーん。まあ、行くけど」
 じゃあ、聞かなくてもいいじゃん。と了承もしていないのに、こちらにやってくる青年に心の中で突っ込む。
 目の前に来た青年姿を見て、わたしは驚愕した。
 さっきは、陽の光で見えていなかったが、青年の頭には人間にはない動物の耳が生えていた。
「うん? どうしたんだい?」
「……み、耳が」
 黙り込んだわたしを心配してか、青年は首を傾げた。その動きに合わせて耳も一緒に動く。どうやら作り物ではないみたい。
「耳? 別に珍しくもないと思うが。他にも獣の妖怪なんているし」
 本当にきちゃったんだ! と心の中で叫び頭を抱えて座り込む。いちよう、念のため頬を引っ張ってみたが、痛かった。夢ではないみたい。夢であってほしかった。
「だ、大丈夫か? どこか痛いのか?」
「いえ。ただ現実が受け入れられなくて」
「そ、そうか。大変だな?」
 気遣うような青年の声が隣からした。下を向いていた視線を横に向けると、青年もしゃがみこんでいた。ああ、高そうな着物が汚れる。
 なんてことをぼんやりと思う。
「えっと。お嬢さん。アンタ人間か?」
「そうですけど」
 青年の質問に答えると、彼は何か考え込む。
「ここ何年かは迷い込んでこなかったが。あれの影響か」
 ブツブツと独りごとを言う。その様子をまじまじと眺める。
 女性よりも長いのではと思う綺麗なまつ毛。真っ赤な夕日のような紅い瞳。秋の田んぼに稔る稲穂のような金髪の髪。とても絵になる光景だった。
「惚れたか?」
 その様子をジーっと眺めていると、考え事が終わった青年が意地悪な顔をして聞いてくる。
「ご、ごめんなさい。じっと眺めて」
 いきなりのことで驚いたが、見ていたことがバレて恥ずかしくなり、謝罪をしながら熱くなる頬を隠すように下を向く。
「はは。別に照れることでもねえのに。面白いな」
「か、からかわないでください!」
 からかわれたことが恥ずかしく、顔を背ける。
「ごめん、ごめん。機嫌直してくれよ。な?」
 本当に悪いと思っていない声で謝罪されるが、無視する。
「おーい。無視は酷いな。本当に悪かったって思ってるって」
 それでもまだ無視する。
「……なあ。本当にごめん。こっち向いてくれないか?」
 だんだん落ち込んでいる声になり、流石に悪いことをしている気分になり、ゆっくりと顔を青年の方に向ける。
「むっ!」
「はは。やっとこっち向いた」
 顔を向けたらいきなり頬をつねられる。
「い、いひゃい!」
「んー? 何て言ってるのかわからないな~」
 離して欲しくて胸を叩くが、なおも頬をつねられる。
「ひゃめて!」
「やめて欲しい?」
 コクコクと首を縦に振る。
「しかたない。アンタのかわいい顔も見れて満足したし。ほれ」
 やっと離してもらい距離を取り、睨む。
「騙《だま》すなんてひどいです!」
「騙してない。勝手にアンタが落ち込んでいると、勘違いしたんだろ」
「いじわる」
「誉め言葉として、受け取っとく」
 言い合いが終わり、青年は立ち上がる。
「そろそろ帰らないと。奴らも来るし。アンタ、帰る場所はってあるわけないか」
 青年はうーんと考え込む。
「うん。決めた。アンタ、連れて帰るよ」
「そ、そんな! 泊まる場所とか、自分で見つけるんで気にしないでください!」
「そうは言うけど。アンタ、金持ってるのか?」
「う。そ、それは……」
「ないだろ。別に迷惑とか思ってるなら考えすぎ。オレが連れて帰るっていってるんだし、ここは甘えときなよ」
「…………わかりました」
 青年の言うことに渋々頷く。
「よし。なら」
 と青年はわたしの元まで歩いてきて、左手を差し出した。その手と青年を交互に見てから恐る恐る手を取る。
「あ。そういえば。アンタ名前は?」
「神楽柳、です」
「柳か。いい名前だ。アンタにぴったり。俺はアズマ。種族は妖狐。よろしくな」
 そういうと青年、アズマさんは微笑んだ。
「歩いて森を抜けるでもいいんだが。ちょっと失礼するぞ。よっと」
「うわっ!」
 何をするのかと思ったら、アズマさんに抱きかかえられた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「な、何で抱えるんですか!? 下ろしてください!」
「こっちのほうが早いからいいの。にしてもアンタ、さっきの色気のない声だな」
「わ、悪かったですね」
「いいや。アンタはその方がかわいいよ。あ、そうだ。しっかり俺の首にしがみついてな。でないと、振り落とされるぞ?」
「え?」
 何でと問う前にアズマさんが走り出した。
 しかも、ものすごい勢いで!
 風になったような勢いに目を開けていられなくなり、ぎゅっと目をつぶりアズマさんの首に強くしがみつく。
「あ、そうだ。ちょっと寄り道するな」
 何で!?
 そう問う前に方向転換された。
「柳。目開けてみな」
 数分後。いきなり立ち止まったと思ったらそう言われた。恐る恐る目を開けると。
「わあ!」
 そこには綺麗な風景が広がっていた。
 目に映る家々は日本家屋が多く並んでおり、赤い光が灯されていた。空には満月と星が輝き、夜の空を照らしていた。
 都会では見れない光景に見惚《みほ》れ、感嘆のため息を吐く。
「どうだ。きれいだろ」
「はい……」
 目の前の風景に視線を奪われながら返す。
「気に入ってくれてよかったよ。ようこそ、妖怪の世界へ。歓迎するぜ」
 その後、存分に風景を楽しんだわたしは、またアズマさんに抱えられながら森の中を抜け、屋根を飛び越えながら街を掛け抜けた。
 森の時より速度を落としてくれたから街の様子も見ることができた。街にはアズマさんと同じで、動物の耳と尻尾が生えている妖怪たちばかりで活気があった。
「どうだ、俺の領地は?」
「そうですね。みんな楽しそう———」
 と言葉が続く前に耳を疑うような言葉が聞こえ、途中で止まる。
「今、何て言いました?」
「え? 俺の領地って言ったんだが」
 誰の? 俺の? アズマさんの?
 と頭の中で変換していく。
「アズマさんの!?」
 ようやく理解し始めて驚き、出会ってからのアズマさんの行動や言動を振り返る。
 軽い感じで、距離感が近い。見た目も派手なため、とてもではないが領地を治める方には見えない。
 そんな態度が顔に出ていたのかアズマさんは、わたしの顔を見て不服そうになる。
「何だ? そんな感じにはとても見えないって感じだな」
「いえ。そんなことは」
 心の中を言い当てられて、とっさに顔を背ける。
「はあ。酷いな、見た目だけで判断するなんて」
 そう言いもう一度ため息をこぼすアズマさん。流石に悪いことをしたと思いそっと視線を向けると、頭の上にある耳もペタンと下がっていた。
 か、かわいい……!
 その様子にキュンとしていると視線が合う。
「何だ? 悪びれてる感じがしないな。本当に思っているのか?」
「も、もちろんです!」
 慌てて取り繕う。
「まあ、いいけど。これからもっと俺の魅力を知っていけば、いつか好きになるかもしれないしな」
「いや。それはないと思います」
 ありえないことなのですぐに否定する。
「何でだよ」
「わたしだって元の世界に帰りたいんです。恋にうつつを抜かしている暇はないんです」
「そうかい。なら用心しとくんだな」
 アズマさんは妖艶に笑ってそう言った。
 それからは特に会話もなかったが、街の様子を見ているだけでも目的の場所に着くまで退屈はしなかった。
「ほら着いたぜ」
 ゆっくりと下ろしてもらい、目の前の建物を見上げる。
「で、でかい……」
 着いた場所は街から少し離れた丘にひっそりと佇《たたず》む邸《やしき》だった。
「おーい。そんなところに突っ立ってないで早くこっち来い~」
 あまりのことに呆然としていたら、いつの間にかアズマさんは入口の前に立っていた。慌てて後を追い、一緒に屋敷に入る。
 邸は外見で見ただけでも大きかったが、中も広く一人では迷子になりそうだ。
「今戻ったぞ~。ってあれ? 誰もいない」
 長い廊下を歩き、少し奥まった部屋に着くと、アズアさんは部屋の障子《しょうじ》を開けて声を掛けるが中には誰もいなかった。
「あ、そうか。今、全員出てるのか」
「他にも誰かいるんですか?」
「ああ。俺の他には、猫、鬼、狼の妖怪がいる。どいつも面白いヤツばかりだから、楽しみにしてな。そうなると、まずアンタを部屋に案内するか。付いてきな」
 アズマさんを先頭にまた来た道を戻る。
「さあ、ここが今日からアンタの部屋だ」
 廊下を歩き、きれいな花がたくさん咲く庭の近くの部屋にたどり着き、部屋の中に通される。
「ほとんど使われてないけど、掃除はしてたから。布団は後で新しいのを持ってくるよ。他に欲しい物があれば遠慮なく言ってな」
「あ、ありがとうございます。拾っていただいた身なのに」
「気にするなって。俺の領地でアンタは困ってた。ならアンタはもう俺のところの民の一人であって、助けるなんて当たり前なんだ」
 アズマさんはわたしと視線を合わせるように少しかがみ、わたしの頭に手を置いた。
「柳。アンタが元の世界に帰れるよう俺も力を貸す。だからそれまで安心してここにいろ」
「……はい」
 真正面からこんなことを言われるとは思わず、照れて顔を背けてしまう。そんなわたしの態度を気にすることなくアズマさんは、優しい手つきで頭を撫で続ける。
「と、ごめんな。疲れてるだろうに引き留めて。他の奴らが帰ってきたらまた迎えに来るからそれまで部屋で休んでな」
 離れていく手を寂しく思いながら、去っていくアズマさんに頭を下げる。
 一人部屋に残されたわたしは、さっきまで撫でてもらった頭に置いた。まだアズマさんのぬくもりが残っている感じがして照れていると。
「まあ。恋にうつつを抜かしてる暇はないって言ってたのに。もうほだされたの?」
「うわっ!」
 部屋にはわたし一人しかいないはずなのに、耳元から声がして驚いて声を上げる。声がした方に顔を向けると、そこにはわたしのスマホが宙に浮いていた。
「恋をするのはいいけど。あの狐はオススメしないかな。私は」
「あ、あなた! いつから」
「ん? ずっとよ。あなたを森に飛ばしてからずっとポケットにいたの。あなたが一人になるのをずっと待ってたんだけど、あの狐がいたせいで、なかなか出られなかったの」
「そ、そうなんだ。というか聞きたいことたくさんあるんだけど」
「まあ。答えられるかわからないけど、どうぞ」
 また質問が却下されるのかと思ったが、どうしても気になっていたことを口にする。
「あなたって、名前あるんですか?」
「……あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてないです」
「あら。私としたことがうっかりしてたわ。ごめん。ごめん」
 本当に思っているのかわからない声で謝られてもな。
 ジーっと冷めた目でスマホを睨む。
「そんなに睨まないで。これから教えるから。そうね……HINAと呼んでちょうだい」
 謎の人物、HINAさんがそう名乗ると真っ黒だったスマホの画面に、『HINA』と表示された。
「他にはないの?」
「後は……ここはいったいどこなんですか?」
「そうね。説明を聞いているだけでは難しいかもしれないから、画面を見てもらった方がいいかも」
 HINAさんがそう言うと、画面に見たこともない地図が表示された。
「ここは妖怪が暮らす世界。あなたの暮らす世界では幽世《かくりよ》と呼ばれるところよ。この世界は東西南北と中央で領地が別れているの。北は鬼。東は天狗《てんぐ》。西は妖狐。南は龍がそれぞれ統治してる」
 HINAさんの説明と連動して画面が切り替わる。
「わたしは今、西にいるんだ」
「そう。この四つの中では南か西か直前まで悩んだの。でも、あの様子を見るにここでよかったみたいね」
「そ、そんなことありません!」
 さっきアズマさんに頭を撫でられた場面を見られていたことを思い出して、顔が熱くなる。
「またまた。あの狐が気になるの? でも、さっきも言ったけど私はオススメはしないよ」
「今はそんなこといいじゃないですか。それより話の続きを。四つの領地はわかりましたけど、中央はどんな妖怪がいるんですか?」
「中央には妖怪はいない。中央にはこの世界にとっての神様。姫巫女《ひめみこ》様が住んでいるの」
「姫巫女《ひめみこ》様?」
「姫巫女様のおかげでここ数百年は平和な世が続いていた。けど、その姫巫女様の力が弱まって、世界は壊れかけているの」
「え?」
 この屋敷に来るまでに見た光景を思い出す。森はわたしの世界と同じように木が生い茂っていて、自然なところだった。
 街は多くの妖怪で賑(にぎ)わっていて楽しそうに暮らしていた。
 とても世界が壊れかけているようには見えなかった。
「わたしがここに来るまでに見た光景はそんな感じしなかったけど」
「街から出たらわかるわ。世界は今バケモノたちに浸食されている。バケモノに対抗する手立ては今の彼らにはない。けど、あなたが来たことで状況は変わったの」
「事情はわかったけど。わたしは何をすれば?」
「それは———やばい。あいつらが来る。まあ詳しいことはまた今度。じゃあ!」
 とHINAさんは何か言いかけて、一方的に話を切った。
「ちょ、ちょっと! 何で大事なことをいつも言わないの!」
 HINAさんがいなくなったことで床に落ちそうになるスマホをキャッチして話すが、もちろん画面は暗く声など聞こえてこない。
 はあとため息を吐き、肩を落とす。
「女の子! どこにいるの!」
「待てよ! バカ猫!」
 落ち込んでいるわたしとは反対に廊下はなにやら騒がしくなっていた。
 そういえば、HINAさん。あいつらが来るって言ってたな。
 一体誰が来るのかと思い、スマホをポケットに閉まって立ち上がり障子を開けようとした瞬間。わたしが開ける前にすぱーん! と勢いよく開いた。
「わああ! 本当に女の子だ!」
 勢いよく開きに驚いているわたしの目の前には、銀髪でアシンメトリーな髪型の少年が目を輝かせて立っていた。
「君ってニンゲンなんでしょ! へえすごい。ボクが妖怪になってから初めて見るニンゲンだ! ねえねえ。名前なんて言うの? 教えて教えて」
「え、えっと」
 琥珀色の瞳を輝かせる少年の勢いに押されて、一歩後ずさりながら頭上を見てみるとアズマさんと同じで耳があった。この男の子の耳は髪と同じグレーだが、先端は黒くなっていた。
 背後では尻尾がユラユラと楽しそうに揺れていた。見間違いじゃなければ、たぶん尻尾は二本。
「コォラ、バカ猫! 何してやがる!!」
「いった!」
 どうしたものかと困っていると、少年の頭上に拳骨《げんこつ》が落ちた。
 見ているだけでも痛そうな拳骨を食らった少年はその場にしゃがみ、頭を押さえる。
「だ、大丈夫!?」
「だ、大丈夫だけど」
「女子《おなご》の部屋に無断で入るなんて、男として恥ずかしくないのか!」
 少年が心配になり隣にしゃがみこむと、頭上から大声が聞こえてくる。顔を上げると茶髪の短髪、緑色の瞳、程よい筋肉と左胸から右の脇腹にかけて三本の傷跡がある男性が、拳を握って立っていた。
 は、裸《はだか》!?
 ほとんど裸に近い服を着ている男性の姿に顔が熱くなり、目を伏せる。
「いったいんだよ。バカ力!」
「お前が無断で入ったりしなければ、俺だって殴らねえよ!」
 わたしの事なんて余所に二人はケンカをし始める。
 どうすればいいのかと迷っていると。
「お前ら。いい加減にしろ。柳が困っているだろ」
 聞き慣れた声がケンカを始めた二人の仲裁に入る。
「でも、アズマ様!」
「だが!」
 食い下がろうとしない二人に声の主、アズマさんはそれぞれに軽く小突いた。
「ハイハイ。話しは後で聞いてやる。大丈夫か、柳。いきなりこんなことになって、驚いたよな」
「いいえ。大丈夫です。えっと彼らは?」
 差し出された手を握り、立ち上がったわたしは冷戦状態になっている二人のことを尋ねる。
「ああ。紹介するよ。こっちに小さい方はハギ。猫又。でこっちの図体のでかい方は、アクロ。鬼だ。二人ともケンカはするが頼れる仲間だよ」
 紹介でてもらった二人を改めて見る。猫の妖怪のハギさんはわたしとそう背も変わらないくらいの背丈の少年。猫ということは猫又というやつかもしれない。
 次に鬼のアクロさん。さっきは肌色が見えて頭上まで見れなかったが、よく観察すると額から二本の角が伸びており、一本はなぜか折れていた。
「三人だけなんですか?」
「いや。もう一人いるんだが。クロ。出てこい。柳に紹介できないだろ」
 わたしが尋ねるとアズマさんは困った表情をして、影に話し掛ける。
 何しているんだろうと不思議に思っていると、突如アズマさんの影がグニョグニョと動き始めた。
「か、影が! 動いて」
 驚いていると、影からピョコっと黒い耳が片方が出てきた。もう片方はフードに隠れていて見えない。それから少し待っていると顔が半分出てきた。
「おいクロ。ちゃんと出てこないと失礼だろ」
「……人間になんて、これで十分だろ」
「そんなことないぞ。初対面でいい印象を持ってもらわないと。これから長い付き合いになるかもしれないし」
「……チッ」
 今、舌打ちした?
 少し傷つくわたしなんて余所に影の中に妖怪が出てきた。黒い服に身を包み、口元を布で覆った、黒髪に青い瞳をしている青年。
「……クロ」
「……え?」
「オマエな。他に言うことあるだろ」
「……アズマの陰にいる。アズマ専属護衛。以上」
 それだけ言ってクロさんは再びアズマさんの陰に帰っていった。
「……」
「すまん。アイツ口下手でな。悪い奴ではないから」
 何も言えないわたしに、アズマさんがフォローを入れる。
「……個性的ですね」
 どうにか口を開いて出た言葉は、何とも言えないものだった。

「今日は、もう疲れただろ。部屋でゆっくり休みな」
 あの後、みなさんの紹介が終わったアズマさんは持って来てくれた布団と着替えを部屋に置き、残りの二人を連れて部屋を出て行く。
 ハギさんがわたしに引っ付き「一緒に寝る!」と言い始めてまたアクロさんとひと悶着あったが、何とか引きはがすことができ、今は部屋から出て月を眺めている。
「これからどうなるのかな」
 見知らぬ世界に一人ぼっち。
 不安しかないが、帰るためには世界を救うしか方法はない。
 重い腰を上げて部屋に戻る。
 布団に横になると、だんだんと瞼が重くなってきた。
 見知らぬ土地で寝るれるか不安だったが、我ながら随分と図太い神経をしていた。
 かすかに香る花の匂いに包まれながら、わたしは深い眠りについた。