「菊池竜也?」
県外の高校に進学したのは無駄だったと、入学早々に昇降口で声をかけられて思い知る。
「違う」
「違わねえだろ。お前明邦学園に行ったんじゃ無かったのかよ。転校してきた?」
「違うっつってんだろ」
「なんだよ。俺は國近徹人。須山西中だった。菊池と同じチームか。最高だな」
クニチカ…テツンド、変な名前。
無視して上履きを履き、シューズボックスにローファーを投げ込んで教室へ向かう。
昨日入学式があり、今日から通常授業だ。
一学年に七クラス。後ろから付いてくるデカい男は昨日同じクラスにはいなかった。
「待てって」
國近が隣に並んできた。やけに背が高く、バカでかい手が上から覆いかぶさるように顔をつかみ、まじまじとのぞき込まれる。
「よく見たら別人だな…、お前の方がイケメン。ごめん」
「あっそ。竜也に言っとく」
「え!やっぱり親戚?」
無視して先に進む。
「なあ、待てって」
無視して教室に入ると、大男は違うクラスだったようでそれ以上追っては来なかった。
「おはよー坂本」
「おはよ、柊斗」前の席の坂本が振り返る。
教室には半数ほどの生徒がもう登校してきているが、特進クラスの1年生は男女別教室になっているため、見渡す限り全員男子だ。
「当たり前だけど男しかいないよな」
坂本が言った。
入学して2日ではまだこの新しい環境には慣れない。
制服のブレザーは172センチの身長より少し大き目に作ってあった。
たぶんあと少しくらいは伸びるだろう。
髪は中学生の頃より短く切って爽快だ。
以前は双子で同じ学校だったので、間違えられないように弟が短髪で兄は長め、というルールを長年守っていた。
「1年間の我慢。2年生になったら進路別に別れるだろ」
「彼女欲しい」
「坂本ならすぐ出来る」
坂本は人懐っこい性格だ。
昨日初めて会ったばかりだが、すぐに連絡先を交換した。
坂本は他のクラスメイトにも声をかけて、クラスのグループトークも作り、昨日のうちにクラスの全員がグループに入った。
坂本は時間割の画像を投稿し、他のクラスメイトも必要な学用品のメモを載せたりして、さっそく役に立っている。
このクラスの生徒たちは難関大学を目指すためにここへやってきた。
中高一貫校から高校受験して来たものもいるが、それ以外はほとんどが公立中出身だ。
昨日教室に入ってすぐに今までの人生で感じたことの無い落ち着いた気持ちを感じた。ここが自分のいるべき群れだ、とでもいうような不思議な感覚だった。
「陸上経験者ですか」
陸上部の体験入部に顔を出す。
特進から来たのは自分一人だけだった。
「違います」
胸に『フウナ 2年』とシールが貼ってある、陸上部のジャージを着た髪の長い女の子に聞かれて答える。
フウナ先輩はシールに『キクチ 1年 未』と書いて、真新しいジャージの胸に貼ってくれた。
他の1年生たちは経験者のようで『ナグモ 1年 短距離』『ハヤシ 1年 走幅跳』などと書かれている。
「菊池くんは何かスポーツやってた?」
経験者が説明を受けている輪から離れ、フウナ先輩と二人で話す。
「小学校まではサッカーで、その後はスポーツは特にやってません」
「部活は?」
「帰宅部」
「中学のマラソン大会で学年順位は覚えてる?」
「毎年学年5位以内」
「運動会ではリレーに選ばれたりは?」
「してました」
「アンカー?」
「はい」
「だけどスポーツは本格的にしたことは無いんだ。それで特進クラス?」
「はい」
「うちの部に決めて。大歓迎」
フウナ先輩はニコッと笑った。その後は監督に挨拶し、他の入部希望者と一緒に体力テストを受ける。
「あちー」
シャトルランを終えて水道で頭を洗う。
汗だくになるのは久しぶりだった。
「お前も『キクチ』なの?」
向かい側の水道を使っていた大男が素っ頓狂な声を出した。國近だ。
胸にフウナ先輩が貼ってくれた『キクチ』というシールがあるのを見られた。
「テツンド!早く戻れ!」
校庭からサッカー部の誰かが國近を呼んだ。
「ウス!今行きます!キクチ、明日の昼一緒に食おう。じゃあな!」國近は走ってサッカー部の群れに戻って行った。
「ウィース」
翌日の四時間目が終わってすぐに、教室に予告通り國近が迎えに来た。手には弁当の入っていると思しき手提げ袋を下げ、もう片手にはデカい水筒を持っている。
「國近徹人じゃん。知り合い?」坂本が言った。
「弟の知り合い。今日だけ一緒に飯食ってくる」
「どこで飯食うの」
「旧館の図書館側にテーブルとベンチがあって、そこで飯食ってもいいらしい」
二人で言葉少なに歩いて旧館の方まで来た。
肌寒いからセーターを着てきて正解だ。
旧館の暗い廊下は昼休みだと言うのに人はまばらで、図書館の前を過ぎると誰もいなかった。
ギィと重い音を立てて、旧館の廊下から屋外へ出る。
確かにそこにはずらり並んだ古びた屋外用のテーブルとベンチがあった。
「ごめんな」
「なにが」
國近は弁当箱を開け、やけにきっちりと並んだ卵焼きを食べていた。手は大きいが、箸を持っている様子を見るに器用そうではあった。
「菊池が双子だって知らなかった」
「別に…國近をからかってただけ」
弟の菊池竜也はサッカーのU15日本代表で、去年の国際大会で活躍し、期待の若手としてサッカー界隈ではちょっとした有名人だった。
竜也も今年の春から私立の高校に入学したが、もうすぐサッカーのために海外留学する。
「昨日菊池が走ってたの見たよ。速いな」
「初めて競技として走った。中学は帰宅部」
「陸上部に入るのか」
「入る」
しばらく無言で弁当を食べる。
「菊池、それで足りるか」
「部活始めたから足りないかも。竜也は俺の倍の大きさの弁当を持っていってる。國近の弁当には負けるけど」國近が笑った。
「昨日、家で竜也に変な名前でサッカー部のデカいヤツから話しかけられたって言ったら『テツンドだろ?』ってお前の名前すぐ出てきた。今すぐ10センチ背を伸ばせ、トレセンのキャンプで会おうだって」
「簡単に言うよな。どっちも難しい」
「今何センチ?」
「183。できれば190欲しい」
「うちのサッカー部強いの」
「まあまあ。俺たち世代はけっこういいメンバーそろってる」
「次の試合いつ?」
「もうすぐ1年生の試合が学校である。応援に来てよ」
國近の温厚そうな茶色い目がこちらを見ていた。
整った優しげな顔で女の子にモテそうだ。
「菊池はなんて名前。教えて」まだ國近に下の名前を教えていなかった。
「笑うなよ」
「笑わない。俺より変な名前いないだろ」
「……菊池柊斗。シュート。親父がサッカー好きで、シュートって付けた。竜也の方は母親が好きな歌手からとった。名前が逆の方が良かったって千回くらいは言われた」
「そうか?菊池はシュートって顔してる。竜也は強気な顔してるから、名前と合ってる」
「シュートって顔ってどんな顔だよ」
「綺麗な顔。…柊斗、試合応援に来て。あと、たまに昼メシ付き合って欲しい」
國近は竜也を紹介してほしいのだろう。
竜也からはテツンドに連絡先を教えてもいいと言われていて、スマホを取り出したところで予鈴が鳴った。
「戻ろう」
「どうだった、國近徹人」坂本が聞いた。
「どうって普通にいいヤツ。弁当箱はデカかった」
「菊池は隣の県から来たから知らないよな。アイツこの辺りでは有名人だから」
「サッカーで?」
「それもあるけど、違う。サッカーなら菊池の弟の方が百倍有名人だろ。國近は芸能人の✕✕✕と付き合ってる」
「✕✕✕?俺ドラマ見てた。けっこう好き」
「サッカーの遠征の飛行機で✕✕✕から國近に声かけて来たって話。✕✕✕がよく会いに来てて、そこら辺で普通にデートしてる。俺も一回見かけたけど、死ぬほどかわいい」
「モテる次元が違うな。アイドルか…男子クラスの俺たちってなんなんだろうな。勉強漬けの寂しい三年間になりそう」
「抜け駆けすんなよ、菊池」坂本はニヤリとした。
「フウナ先輩は陸上部とは絶対に付き合わないらしいよ」
一緒に陸上部に入った南雲が教えてくれた。
南雲がフウナ先輩に憧れの目線を向ける。
入学して一ヶ月が経った。
おそらく陸上部男子全員が恋をしているフウナ先輩は、ジャージ姿で髪をポニーテールにしてストレッチしている。
お世話係は体験入部の時だけだった。
ストレッチとアップを終えてボトルの水を飲んでいると、ふいに後ろから肩を組まれ、驚いて振り返ると國近だった。
「今週末、試合に出る。観に来て」
外周を走って来たのだろう。
肩にまわされた腕からは走った後の熱気が伝わってきた。
國近はニッと笑ってゴールキーパーの手袋をつけながらグラウンドのほうへ移動して行った。
「國近じゃん。仲いいんだ」
南雲はサッカーに興味がなく、竜也の事も知らなかった。それでも國近の事は知っている。
部活のあとに校内放送で呼び出され、職員室まで書類を取りに行く。入学時にもらいそびれた書類があるらしかった。
廊下の明かりは薄暗く、古いが贅沢な造りの校舎はまるで映画のセットのようだ。
片手に書類を持って昇降口まで行くと、國近がジャージのまま校舎に入って来た。
「國近、お疲れ」
「ウッス。部活終わり?」
「終わった。もう帰る」
「教室に忘れ物したんだ。夜の学校苦手だから、柊斗も取りに行くの付き合って」
「そんなデカくてなにが怖いんだよ」
一旦シューズボックスに戻した上履きを履いて、國近の後についていく。
國近は教室につくと明かりを付けて机の中を探り、何も持たずに出てきた。
「無かった」
「無くても大丈夫なやつ?何忘れたんだ」
教室に入り、誰かの机に腰掛けて辺りを見る。
「柊斗、こっち来て」
名前を呼ばれて頭の後ろにキーパーのバカでかい手がまわるのを感じ、背中にも手がまわって引き寄せられ、唇に柔らかい感触があった。
驚きで体がこわばり、何も言えず國近の顔を見る。
「練習の後でアドレナリンが出過ぎてる。もう少し付き合って」
再び唇が合わさり、体も抱きしめられ、大きな手がこのだまし討ちのような行為を詫びるように髪をなでた。
「國近…怖い」
カスレ声がやっとの事で口から出る。
國近から解放された。
二人無言で校舎から出て、國近はサッカー部の部室の方へ歩いて行った。
相談できる相手は1人しかいなかった。
「竜也さあ、サッカー部に練習や試合した後にアドレナリンが出て、興奮が冷めなくて変なことするやつっている、」
「……陸上部で何かされた?」
「されてない」
「柊斗、ごまかしてもわかる。何されたんだよ。殴られた?ケンカ?」
双子で仲が悪いパターンもあるようだが、自分たちには当てはまらない。同じ顔で煩わしい時もあるが、竜也とはずっと仲が良かった。
今でも並んで歩いていると、たまにスッとどちらともなく手を繋いでしまうことがある。
さすがにこの歳で手を繋いでいるのはおかしいので一瞬で離すが、家にいる時はたいてい二人一緒にいた。
「竜也が心配するような事は無い。キスされただけ」
「はあ?絶対だめだろ。どんな女だよ」
「男」
「変態男は殺せ。先輩?」
「同級生。次にされそうになったら逃げる。心配してないで、早くスペインにいけ」もうすぐ離ればなれだ。
「心配だから柊斗も連れて行く」
「絶対無理だろ」くっついてきた竜也を笑って押し退ける。
生まれる前からずっと二人一緒だった。
泣き虫の竜也としっかりものの兄だったのがすっかり逆転され、竜也は日本代表になり、それでも自分にとっては守りたい大切な存在だった。
もしかすると、この先の人生でもう一緒に住む事は無いだろう。
「竜也、スペインで頑張れ。応援してる。…なんだよ、泣くな」
「やっぱり柊斗も連れて行く。スーツケースに入る練習して」
抱きついてきた竜也の背中をポンポンと叩き、泣くのを堪える。
お兄ちゃんは泣いてはいけないのだ。
「柊斗、昼メシ食いにいこう」
翌日、國近が誘いに来た。自分の弁当を持って立ち上がり、教室を出る。
「雨だな」
話しかけられたが無視した。昨日の今日で話す気にはなれず、昼の誘いを断って人前でもめ事を起こしたくなくてついてきただけだった。
旧館の外のテーブルとベンチは相変わらず無人だった。
今まで國近と3回一緒に弁当を食べたが、一度も他の生徒がいた事はない。
「謝らねえの」
二人きりになり、思っていた事を口から出す。
「謝らない」
「謝れ!」
雨宿りをしていた鳥が怒鳴り声に驚いて、雨の中に飛び立っていった。
「柊斗」
手をつかまれて、しまったと思う。ここは二人きりだ。
「こっち見て」
「なんだよ!」
「ゲイ?」
驚いた。今まで誰にも気が付かれた事はなく、竜也にさえ言ったことは無い。
「違う」
「俺はゲイ」國近が言った。
「嘘つくな。勝手にキスもするな。本当に最悪……」
圧倒的な体格差がありつかまれた手を振り払う事も出来ない。
5時間目はサボった。
人生で初めてのサボりで、國近に連れられて二人で旧館の『心理室』と書いてある謎の部屋に入り、國近は部屋の内側から鍵を閉めた。
「お前自分のやってる事わかってんのか。退学になるぞ」
「ウン」
抱きしめられて、頭が混乱する。
ふいに首筋を吸われた。
「アッ」声が出て、声を出した事にさえ罪悪感を感じる。
「かわいい声」國近が言った。
「意味がわかんねえ。好き勝手してないで謝れ」
「頭では謝らなきゃって思ってる。でもどうしても謝れない」
「離せ、國近」
「無理。どうしても離せない」
埃っぽい部屋の床に國近が座り、その膝の上に乗せられていた。
「彼女いるんだろ」
「……」
「彼女に悪い」
「別れる」
國近はスマホを出して『別れよう』と彼女に送った。
画面がみえたが、噂通りの人のようだった。
スマホはすぐにやかましく震え始め、國近は電源を切った。
「どこ行ってたんだよ」
「旧館の心理室って札がかかってる物置」
「一人で?」
「國近。飯食ってそのまま…。無駄話してた」
「サッカーのこと?」
「俺にサッカーの話してもしょうがねえじゃん。竜也と似てるのは顔だけ。色々、くだらねえ話」
「國近って頭いいんだろ。サッカーのために普通コースにいるらしいな」
「うん…」
坂本との会話に曖昧に返事をした。
実際はひたすら体を撫で回されながらキスされていて、話どころではなかった。
その日の部活はフラストレーションがたまっていたせいか、走ることがいつもよりも数倍楽しかった。
「今日、いいね」フウナ先輩から声をかけられる。
「ありがとうございます」
「その調子」笑いかけられて、ドキっとする。
本当に自分はゲイなのだろうか。
「いいなあ、菊池。俺も頑張ろう」南雲が言った。
自分がゲイなのかはよくわからなかった。
女の子を見て、かわいいと思う。
でも男の子の方が、一緒にいて気になることが多かった。
中学1年の時に、たまに竜也が家に連れて来るサッカー部の明智という子がいた。
部活終わりに泊まりに来た明智と3人で子供部屋にいて、くだらない話をしていた。
「柊斗の事好きって女の子いるよ」
「え、誰」本人より竜也が食いついた。
「背が低い、テニス部の子」
「ああ、未來ちゃんなら友達」
「ミクちゃんってどの子?」
「うちのクラスだから竜也は知らない」
竜也が飲み物を取りに行った時にそれは起きた。
「明智はキスした事ある?」
「ある」意外では無い回答。明智は背も高く、ボランチらしい落ち着きがあって、同世代よりどこか大人っぽかった。
「ドキドキした?」
「全然。口くっつけるだけ。あれって意味あるか?柊斗ともしろって言われたら出来る」
「ん」
ふざけてキス待ち顔をすると、すぐ隣に座っていた明智は、事もなげにチュと唇にキスした。
「普通しないだろ」
「え!」
部屋に竜也が戻ってきた。
「竜也お茶ちょうだい」
コップを竜也の手から取って一気飲みしてから顔を隠す。
「柊斗顔真っ赤じゃん。どうした?」
「俺が柊斗にキスした」
明智の顔も真っ赤だった。
「はあ?なんでキス?柊斗顔見せて。口ケガした?」
「転んでぶつかったわけじゃない。柊斗がキスしてって言ったから」
「ふざけただけなのに、明智が本当にしたんだ。俺恥ずかしくて死ぬ」
「平気だって、柊斗、柊斗顔見せて。顔を見せてくれなければ明智を殺す」
「ええー!俺そこまで悪いことしたかよ」
「明智は悪く無い。恥ずかしがってる俺が悪い。キスなんか大したこと無いのに」なんとか顔を上げて竜也を見る。
「たぶんママのお腹にいた時に俺とキスしてる。だから明智はノーカウント」竜也が両手でほおをさすり、唇も指でぬぐうようになでた。
その日の夜、明智は子供部屋の床に敷いた布団で寝ていて、竜也と自分は部屋に2台並べて置かれたベッドに寝た。
明智と竜也はあっという間に寝ついたが、騒いだ手前気恥ずかしくて1人だけなかなか寝付けない。
起き上がり、そっと部屋を出てキッチンへ行き水を飲む。
親も寝ていて、明かりの消された部屋の中を窓から入る光が照らしていた。
もう1人階段を静かに降りてくる音がしてキッチンに入ってきた。
「柊斗」
後ろからささやき声が聞こえる。
「明智も水飲むだろ」
「うん。今日ごめんな」グラスの水を渡す。
「騒いで恥ずかしいから忘れよう」
「柊斗、忘れる前にもう一回キスしていい?」
明智の目が暗闇でこちらを見ていた。
目を閉じてキスした。
まだ中学1年でキスする、というのは唇をくっつけるという以上の知識はなく、一度唇が離れてからもう一度された時に、明智の手を握った。
明智が抱きついてきて、抱きしめられたままもう一度キスした。
「すげぇドキドキする」明智が言った。
それからはことある事に明智と二人きりになってはキスしていたが、1年生の終わりに明智が関西に引っ越して呆気なく初恋は終わった。
県外の高校に進学したのは無駄だったと、入学早々に昇降口で声をかけられて思い知る。
「違う」
「違わねえだろ。お前明邦学園に行ったんじゃ無かったのかよ。転校してきた?」
「違うっつってんだろ」
「なんだよ。俺は國近徹人。須山西中だった。菊池と同じチームか。最高だな」
クニチカ…テツンド、変な名前。
無視して上履きを履き、シューズボックスにローファーを投げ込んで教室へ向かう。
昨日入学式があり、今日から通常授業だ。
一学年に七クラス。後ろから付いてくるデカい男は昨日同じクラスにはいなかった。
「待てって」
國近が隣に並んできた。やけに背が高く、バカでかい手が上から覆いかぶさるように顔をつかみ、まじまじとのぞき込まれる。
「よく見たら別人だな…、お前の方がイケメン。ごめん」
「あっそ。竜也に言っとく」
「え!やっぱり親戚?」
無視して先に進む。
「なあ、待てって」
無視して教室に入ると、大男は違うクラスだったようでそれ以上追っては来なかった。
「おはよー坂本」
「おはよ、柊斗」前の席の坂本が振り返る。
教室には半数ほどの生徒がもう登校してきているが、特進クラスの1年生は男女別教室になっているため、見渡す限り全員男子だ。
「当たり前だけど男しかいないよな」
坂本が言った。
入学して2日ではまだこの新しい環境には慣れない。
制服のブレザーは172センチの身長より少し大き目に作ってあった。
たぶんあと少しくらいは伸びるだろう。
髪は中学生の頃より短く切って爽快だ。
以前は双子で同じ学校だったので、間違えられないように弟が短髪で兄は長め、というルールを長年守っていた。
「1年間の我慢。2年生になったら進路別に別れるだろ」
「彼女欲しい」
「坂本ならすぐ出来る」
坂本は人懐っこい性格だ。
昨日初めて会ったばかりだが、すぐに連絡先を交換した。
坂本は他のクラスメイトにも声をかけて、クラスのグループトークも作り、昨日のうちにクラスの全員がグループに入った。
坂本は時間割の画像を投稿し、他のクラスメイトも必要な学用品のメモを載せたりして、さっそく役に立っている。
このクラスの生徒たちは難関大学を目指すためにここへやってきた。
中高一貫校から高校受験して来たものもいるが、それ以外はほとんどが公立中出身だ。
昨日教室に入ってすぐに今までの人生で感じたことの無い落ち着いた気持ちを感じた。ここが自分のいるべき群れだ、とでもいうような不思議な感覚だった。
「陸上経験者ですか」
陸上部の体験入部に顔を出す。
特進から来たのは自分一人だけだった。
「違います」
胸に『フウナ 2年』とシールが貼ってある、陸上部のジャージを着た髪の長い女の子に聞かれて答える。
フウナ先輩はシールに『キクチ 1年 未』と書いて、真新しいジャージの胸に貼ってくれた。
他の1年生たちは経験者のようで『ナグモ 1年 短距離』『ハヤシ 1年 走幅跳』などと書かれている。
「菊池くんは何かスポーツやってた?」
経験者が説明を受けている輪から離れ、フウナ先輩と二人で話す。
「小学校まではサッカーで、その後はスポーツは特にやってません」
「部活は?」
「帰宅部」
「中学のマラソン大会で学年順位は覚えてる?」
「毎年学年5位以内」
「運動会ではリレーに選ばれたりは?」
「してました」
「アンカー?」
「はい」
「だけどスポーツは本格的にしたことは無いんだ。それで特進クラス?」
「はい」
「うちの部に決めて。大歓迎」
フウナ先輩はニコッと笑った。その後は監督に挨拶し、他の入部希望者と一緒に体力テストを受ける。
「あちー」
シャトルランを終えて水道で頭を洗う。
汗だくになるのは久しぶりだった。
「お前も『キクチ』なの?」
向かい側の水道を使っていた大男が素っ頓狂な声を出した。國近だ。
胸にフウナ先輩が貼ってくれた『キクチ』というシールがあるのを見られた。
「テツンド!早く戻れ!」
校庭からサッカー部の誰かが國近を呼んだ。
「ウス!今行きます!キクチ、明日の昼一緒に食おう。じゃあな!」國近は走ってサッカー部の群れに戻って行った。
「ウィース」
翌日の四時間目が終わってすぐに、教室に予告通り國近が迎えに来た。手には弁当の入っていると思しき手提げ袋を下げ、もう片手にはデカい水筒を持っている。
「國近徹人じゃん。知り合い?」坂本が言った。
「弟の知り合い。今日だけ一緒に飯食ってくる」
「どこで飯食うの」
「旧館の図書館側にテーブルとベンチがあって、そこで飯食ってもいいらしい」
二人で言葉少なに歩いて旧館の方まで来た。
肌寒いからセーターを着てきて正解だ。
旧館の暗い廊下は昼休みだと言うのに人はまばらで、図書館の前を過ぎると誰もいなかった。
ギィと重い音を立てて、旧館の廊下から屋外へ出る。
確かにそこにはずらり並んだ古びた屋外用のテーブルとベンチがあった。
「ごめんな」
「なにが」
國近は弁当箱を開け、やけにきっちりと並んだ卵焼きを食べていた。手は大きいが、箸を持っている様子を見るに器用そうではあった。
「菊池が双子だって知らなかった」
「別に…國近をからかってただけ」
弟の菊池竜也はサッカーのU15日本代表で、去年の国際大会で活躍し、期待の若手としてサッカー界隈ではちょっとした有名人だった。
竜也も今年の春から私立の高校に入学したが、もうすぐサッカーのために海外留学する。
「昨日菊池が走ってたの見たよ。速いな」
「初めて競技として走った。中学は帰宅部」
「陸上部に入るのか」
「入る」
しばらく無言で弁当を食べる。
「菊池、それで足りるか」
「部活始めたから足りないかも。竜也は俺の倍の大きさの弁当を持っていってる。國近の弁当には負けるけど」國近が笑った。
「昨日、家で竜也に変な名前でサッカー部のデカいヤツから話しかけられたって言ったら『テツンドだろ?』ってお前の名前すぐ出てきた。今すぐ10センチ背を伸ばせ、トレセンのキャンプで会おうだって」
「簡単に言うよな。どっちも難しい」
「今何センチ?」
「183。できれば190欲しい」
「うちのサッカー部強いの」
「まあまあ。俺たち世代はけっこういいメンバーそろってる」
「次の試合いつ?」
「もうすぐ1年生の試合が学校である。応援に来てよ」
國近の温厚そうな茶色い目がこちらを見ていた。
整った優しげな顔で女の子にモテそうだ。
「菊池はなんて名前。教えて」まだ國近に下の名前を教えていなかった。
「笑うなよ」
「笑わない。俺より変な名前いないだろ」
「……菊池柊斗。シュート。親父がサッカー好きで、シュートって付けた。竜也の方は母親が好きな歌手からとった。名前が逆の方が良かったって千回くらいは言われた」
「そうか?菊池はシュートって顔してる。竜也は強気な顔してるから、名前と合ってる」
「シュートって顔ってどんな顔だよ」
「綺麗な顔。…柊斗、試合応援に来て。あと、たまに昼メシ付き合って欲しい」
國近は竜也を紹介してほしいのだろう。
竜也からはテツンドに連絡先を教えてもいいと言われていて、スマホを取り出したところで予鈴が鳴った。
「戻ろう」
「どうだった、國近徹人」坂本が聞いた。
「どうって普通にいいヤツ。弁当箱はデカかった」
「菊池は隣の県から来たから知らないよな。アイツこの辺りでは有名人だから」
「サッカーで?」
「それもあるけど、違う。サッカーなら菊池の弟の方が百倍有名人だろ。國近は芸能人の✕✕✕と付き合ってる」
「✕✕✕?俺ドラマ見てた。けっこう好き」
「サッカーの遠征の飛行機で✕✕✕から國近に声かけて来たって話。✕✕✕がよく会いに来てて、そこら辺で普通にデートしてる。俺も一回見かけたけど、死ぬほどかわいい」
「モテる次元が違うな。アイドルか…男子クラスの俺たちってなんなんだろうな。勉強漬けの寂しい三年間になりそう」
「抜け駆けすんなよ、菊池」坂本はニヤリとした。
「フウナ先輩は陸上部とは絶対に付き合わないらしいよ」
一緒に陸上部に入った南雲が教えてくれた。
南雲がフウナ先輩に憧れの目線を向ける。
入学して一ヶ月が経った。
おそらく陸上部男子全員が恋をしているフウナ先輩は、ジャージ姿で髪をポニーテールにしてストレッチしている。
お世話係は体験入部の時だけだった。
ストレッチとアップを終えてボトルの水を飲んでいると、ふいに後ろから肩を組まれ、驚いて振り返ると國近だった。
「今週末、試合に出る。観に来て」
外周を走って来たのだろう。
肩にまわされた腕からは走った後の熱気が伝わってきた。
國近はニッと笑ってゴールキーパーの手袋をつけながらグラウンドのほうへ移動して行った。
「國近じゃん。仲いいんだ」
南雲はサッカーに興味がなく、竜也の事も知らなかった。それでも國近の事は知っている。
部活のあとに校内放送で呼び出され、職員室まで書類を取りに行く。入学時にもらいそびれた書類があるらしかった。
廊下の明かりは薄暗く、古いが贅沢な造りの校舎はまるで映画のセットのようだ。
片手に書類を持って昇降口まで行くと、國近がジャージのまま校舎に入って来た。
「國近、お疲れ」
「ウッス。部活終わり?」
「終わった。もう帰る」
「教室に忘れ物したんだ。夜の学校苦手だから、柊斗も取りに行くの付き合って」
「そんなデカくてなにが怖いんだよ」
一旦シューズボックスに戻した上履きを履いて、國近の後についていく。
國近は教室につくと明かりを付けて机の中を探り、何も持たずに出てきた。
「無かった」
「無くても大丈夫なやつ?何忘れたんだ」
教室に入り、誰かの机に腰掛けて辺りを見る。
「柊斗、こっち来て」
名前を呼ばれて頭の後ろにキーパーのバカでかい手がまわるのを感じ、背中にも手がまわって引き寄せられ、唇に柔らかい感触があった。
驚きで体がこわばり、何も言えず國近の顔を見る。
「練習の後でアドレナリンが出過ぎてる。もう少し付き合って」
再び唇が合わさり、体も抱きしめられ、大きな手がこのだまし討ちのような行為を詫びるように髪をなでた。
「國近…怖い」
カスレ声がやっとの事で口から出る。
國近から解放された。
二人無言で校舎から出て、國近はサッカー部の部室の方へ歩いて行った。
相談できる相手は1人しかいなかった。
「竜也さあ、サッカー部に練習や試合した後にアドレナリンが出て、興奮が冷めなくて変なことするやつっている、」
「……陸上部で何かされた?」
「されてない」
「柊斗、ごまかしてもわかる。何されたんだよ。殴られた?ケンカ?」
双子で仲が悪いパターンもあるようだが、自分たちには当てはまらない。同じ顔で煩わしい時もあるが、竜也とはずっと仲が良かった。
今でも並んで歩いていると、たまにスッとどちらともなく手を繋いでしまうことがある。
さすがにこの歳で手を繋いでいるのはおかしいので一瞬で離すが、家にいる時はたいてい二人一緒にいた。
「竜也が心配するような事は無い。キスされただけ」
「はあ?絶対だめだろ。どんな女だよ」
「男」
「変態男は殺せ。先輩?」
「同級生。次にされそうになったら逃げる。心配してないで、早くスペインにいけ」もうすぐ離ればなれだ。
「心配だから柊斗も連れて行く」
「絶対無理だろ」くっついてきた竜也を笑って押し退ける。
生まれる前からずっと二人一緒だった。
泣き虫の竜也としっかりものの兄だったのがすっかり逆転され、竜也は日本代表になり、それでも自分にとっては守りたい大切な存在だった。
もしかすると、この先の人生でもう一緒に住む事は無いだろう。
「竜也、スペインで頑張れ。応援してる。…なんだよ、泣くな」
「やっぱり柊斗も連れて行く。スーツケースに入る練習して」
抱きついてきた竜也の背中をポンポンと叩き、泣くのを堪える。
お兄ちゃんは泣いてはいけないのだ。
「柊斗、昼メシ食いにいこう」
翌日、國近が誘いに来た。自分の弁当を持って立ち上がり、教室を出る。
「雨だな」
話しかけられたが無視した。昨日の今日で話す気にはなれず、昼の誘いを断って人前でもめ事を起こしたくなくてついてきただけだった。
旧館の外のテーブルとベンチは相変わらず無人だった。
今まで國近と3回一緒に弁当を食べたが、一度も他の生徒がいた事はない。
「謝らねえの」
二人きりになり、思っていた事を口から出す。
「謝らない」
「謝れ!」
雨宿りをしていた鳥が怒鳴り声に驚いて、雨の中に飛び立っていった。
「柊斗」
手をつかまれて、しまったと思う。ここは二人きりだ。
「こっち見て」
「なんだよ!」
「ゲイ?」
驚いた。今まで誰にも気が付かれた事はなく、竜也にさえ言ったことは無い。
「違う」
「俺はゲイ」國近が言った。
「嘘つくな。勝手にキスもするな。本当に最悪……」
圧倒的な体格差がありつかまれた手を振り払う事も出来ない。
5時間目はサボった。
人生で初めてのサボりで、國近に連れられて二人で旧館の『心理室』と書いてある謎の部屋に入り、國近は部屋の内側から鍵を閉めた。
「お前自分のやってる事わかってんのか。退学になるぞ」
「ウン」
抱きしめられて、頭が混乱する。
ふいに首筋を吸われた。
「アッ」声が出て、声を出した事にさえ罪悪感を感じる。
「かわいい声」國近が言った。
「意味がわかんねえ。好き勝手してないで謝れ」
「頭では謝らなきゃって思ってる。でもどうしても謝れない」
「離せ、國近」
「無理。どうしても離せない」
埃っぽい部屋の床に國近が座り、その膝の上に乗せられていた。
「彼女いるんだろ」
「……」
「彼女に悪い」
「別れる」
國近はスマホを出して『別れよう』と彼女に送った。
画面がみえたが、噂通りの人のようだった。
スマホはすぐにやかましく震え始め、國近は電源を切った。
「どこ行ってたんだよ」
「旧館の心理室って札がかかってる物置」
「一人で?」
「國近。飯食ってそのまま…。無駄話してた」
「サッカーのこと?」
「俺にサッカーの話してもしょうがねえじゃん。竜也と似てるのは顔だけ。色々、くだらねえ話」
「國近って頭いいんだろ。サッカーのために普通コースにいるらしいな」
「うん…」
坂本との会話に曖昧に返事をした。
実際はひたすら体を撫で回されながらキスされていて、話どころではなかった。
その日の部活はフラストレーションがたまっていたせいか、走ることがいつもよりも数倍楽しかった。
「今日、いいね」フウナ先輩から声をかけられる。
「ありがとうございます」
「その調子」笑いかけられて、ドキっとする。
本当に自分はゲイなのだろうか。
「いいなあ、菊池。俺も頑張ろう」南雲が言った。
自分がゲイなのかはよくわからなかった。
女の子を見て、かわいいと思う。
でも男の子の方が、一緒にいて気になることが多かった。
中学1年の時に、たまに竜也が家に連れて来るサッカー部の明智という子がいた。
部活終わりに泊まりに来た明智と3人で子供部屋にいて、くだらない話をしていた。
「柊斗の事好きって女の子いるよ」
「え、誰」本人より竜也が食いついた。
「背が低い、テニス部の子」
「ああ、未來ちゃんなら友達」
「ミクちゃんってどの子?」
「うちのクラスだから竜也は知らない」
竜也が飲み物を取りに行った時にそれは起きた。
「明智はキスした事ある?」
「ある」意外では無い回答。明智は背も高く、ボランチらしい落ち着きがあって、同世代よりどこか大人っぽかった。
「ドキドキした?」
「全然。口くっつけるだけ。あれって意味あるか?柊斗ともしろって言われたら出来る」
「ん」
ふざけてキス待ち顔をすると、すぐ隣に座っていた明智は、事もなげにチュと唇にキスした。
「普通しないだろ」
「え!」
部屋に竜也が戻ってきた。
「竜也お茶ちょうだい」
コップを竜也の手から取って一気飲みしてから顔を隠す。
「柊斗顔真っ赤じゃん。どうした?」
「俺が柊斗にキスした」
明智の顔も真っ赤だった。
「はあ?なんでキス?柊斗顔見せて。口ケガした?」
「転んでぶつかったわけじゃない。柊斗がキスしてって言ったから」
「ふざけただけなのに、明智が本当にしたんだ。俺恥ずかしくて死ぬ」
「平気だって、柊斗、柊斗顔見せて。顔を見せてくれなければ明智を殺す」
「ええー!俺そこまで悪いことしたかよ」
「明智は悪く無い。恥ずかしがってる俺が悪い。キスなんか大したこと無いのに」なんとか顔を上げて竜也を見る。
「たぶんママのお腹にいた時に俺とキスしてる。だから明智はノーカウント」竜也が両手でほおをさすり、唇も指でぬぐうようになでた。
その日の夜、明智は子供部屋の床に敷いた布団で寝ていて、竜也と自分は部屋に2台並べて置かれたベッドに寝た。
明智と竜也はあっという間に寝ついたが、騒いだ手前気恥ずかしくて1人だけなかなか寝付けない。
起き上がり、そっと部屋を出てキッチンへ行き水を飲む。
親も寝ていて、明かりの消された部屋の中を窓から入る光が照らしていた。
もう1人階段を静かに降りてくる音がしてキッチンに入ってきた。
「柊斗」
後ろからささやき声が聞こえる。
「明智も水飲むだろ」
「うん。今日ごめんな」グラスの水を渡す。
「騒いで恥ずかしいから忘れよう」
「柊斗、忘れる前にもう一回キスしていい?」
明智の目が暗闇でこちらを見ていた。
目を閉じてキスした。
まだ中学1年でキスする、というのは唇をくっつけるという以上の知識はなく、一度唇が離れてからもう一度された時に、明智の手を握った。
明智が抱きついてきて、抱きしめられたままもう一度キスした。
「すげぇドキドキする」明智が言った。
それからはことある事に明智と二人きりになってはキスしていたが、1年生の終わりに明智が関西に引っ越して呆気なく初恋は終わった。



