「ここは」
ずるずる。
「僕おすすめの」
ずるずる。
「ラーメン屋なんだよ」
ずるずる。ここは街のラーメン屋、全国展開してるような有名チェーンではないが、それでもおいしい地元に愛されるお店だ。僕はこのお店を特に気に入っている。なにせ僕がラーメンにハマるきっかけになったのだから。
ラーメンは神の(もたら)した奇跡、というのが中学三年間で僕が掴んだ結論、そして真理だ。物が上から下に落ちるのと同じ不変の原則。味も種類も豊富で、同じスープでも麺の硬さや太さで差を出すこともできる。しかも野菜や肉も摂れる完全食。これを至高の食と呼ばずして何をそう呼ぶべきなのだろうか。
「マリーも何か頼む?」
「えっと…サーシャ様のおすすめを聞いてもよろしいでしょうか…」
「あっさりめの塩ラーメンがいいんじゃないかな。脂も少なくて健康的だよ」
たぶん万人向け、かつその中でいちばんおいしいラーメンは塩で間違いないだろう。現代は健康志向だ。誰もがお手軽に健康を求めている時代には、一食でその日必要な栄養すべてを摂れる完全栄養食セットもある。10年前のはまだ四角いプレートに入った無機質(ディストピア飯)な見た目で、味もよくなければ触感もすり潰したペーストばっかで単調・歯ごたえもなかった。それが今や(超高額といった代償はあるにしろ)そこらの個人店が破産するほどにはおいしく、見た目もよくなっている。人間の食への追求というのは恐ろしい。味も健康も両方取ろうとしてしまうのだから。
「…ラーメンに健康的の概念はあるんでしょうか?」
純粋な疑問。だけどあるんだよマリー。塩ラーメンは僕の食べている脂たっぷり・こってりの豚骨に比べたら遥かにヘルシーなんだから。相対的にはあるんだよ。…きっと。

空になった器を残しラーメン屋を出て、マリーと共に駅前に行くことにした。満腹になったためなのか、マリーの緊張も少し解けているような気もする。それともこれぞラーメン効果…?
「時々はここに一緒に食べに来ない?」
「それ…いいですね…!」
それはよかった。ラーメンを一緒に食べる友達なんていなかったから。ルーシーは「行きますわよ」って具合に自分の食べたいお店に連れていくタイプだったしね。

腹ごしらえの次は駅前に行くことにする。駅前は最も人が多い場所で、人数に比例して建物も広く大きい。駅ビルはなんと脅威の20階建てだとか。国外にも展開してるような有名店舗がすごい数集まっている。もちろん、外国からやってきたチェーンもあるし、それこそマリーの故郷"ラリーパ"の店だってある。
駅に近づくほどオフィスビルが増え、住宅は減っていく。都市ジャングルに踏みいりつつあることを理解すると、迷わないように手を繋ぎながら二人進む。

ビルとビルの隙間を抜ければあとちょっとでゴールだ。人二人でいっぱいの幅しかない狭苦しい道を進んでいると、前からも人影が現れた。普通なら片方に寄って来る相手を避けるのが筋だ。だが影にはその意思が見られない。なぜなら、僕と"お話"がしたいのだから。
「やあ、昨日は三馬鹿が世話になったね。サーシャくん」
黒フードの男。まさかまた。
「お知り合いなのですか?」
「いや…僕は知らない。 あっちは僕のこと知ってるみたいだけど」
薄々勘づいてはいる、というか今の発言で確信できる。昨日僕とルーシーを襲った連中の仲間だ。
「サーシャくんだね?お察しの通り俺は昨日の三人の仲間だよ」
「えっと…"禁忌"って呼ばれるのは嫌なんだよね?じゃあ"水獣"のサーシャくん。君の善性に期待してひとつお願いをしようか」
別に"禁忌"と呼ばれるのがそこまで嫌なわけではないけど。ただわけがわからないから説明しろと言いたい。それより今気になるのは"お願い"の中身だ。ろくなものではないだろうけど確認はしてみよう。
「お願いっていうのは?」
「まあそっちもなんとなくはわかるよね。ズバリ、俺と一緒にある場所に行ってほしいんだ」
誘拐というか連行というか。
「断ると言ったら?」
「横の彼女…ローゼンベルク嬢を殺す。ついでで君も殺して持っていくことにするよ。君と同伴者が死ぬ分には構わないというのが我々の見解でね」
なるほど。やはり"禁忌"とは僕を殺すに値する理由なのか。ますますわからなくなってきた。なぜ僕にそんなものが?なぜ彼らが僕を狙っている?
でも今はそんなことどうでもいい。よくはないが…今は巻き込まれたマリーのことを考えるべきだ。僕が捕まるフリをしてそのあと逃げるのが最善手…ほんとにそうかな?場合によってはマリーの命にも手を出す組織なら僕がおとなしく捕まったところで現場を見ていたマリーを殺す、とならない保証はあるのか?いろいろ策を練るうちに時間が切れてしまったらしい。
「…サーシャくんには退く意思が見られないね。じゃあローゼンベルク嬢、君に提案しようか」
「サーシャくんをこっちに渡してくれ。そうしたら君の命は助けてあげるよ。さあ、どうする?」
マリー…それでいい。自分から殴りかかったルーシーならともかく、わざわざ危険に巻き込まれることはない。マリー、答えは「はい」だよ!
「サーシャさん…ここは私に任せて…先に逃げてください!」
予想外の言葉だ。確かに僕が彼女の立場ならそう言ってるかもしれない。だけどそんな選択できない。というよりしたくない。それにそれは死亡フラグだ。出会ったばかりといえど同級生は死なせたくない。
「マリーが気にすることはないよ。僕が背負った因果で他の人に迷惑はかけられない」
ルーシーは強いし、喧嘩を売る相手には強く出る。自分で売った喧嘩なら傷つくことも構わないという戦闘民族だ。それに、ルーシーの強さと好戦的な性格はよく知っている。だからこないだ一緒に戦ってもらった。でも、マリーはそうじゃないかもしれない。…悪い言い方をすれば、僕を守りながら戦えるほど強いとは思えない。強き者は得てして傲慢な性格をしているものだ。能ある鷹が爪を隠すように控えめならまだわかる、でもマリーの振る舞いには怯えのようなものまである。だから一億歩譲って僕と一緒に戦うとかならまだしも、置いて逃げるようなことだけはできない。
「大丈夫です。サーシャ様が逃げる時間を稼げるぐらいには強いと思っていますから」
「それに、サーシャ様には笑っていてほしいんです。私とも仲良くしてくれた、優しい人には幸せになってもらいたいんです」
マリー…早く逃げろといってるでしょうが!
「感動マックスの友情劇は済んだか?もう時間切れだ、二人とも殺す」
強引に話を終了させてきた。男が拳銃を取り出したのが見えた時には、既に三発がこちらに向かって飛んでいる。狭い一本道ではどちらかは当たってしまう。どうすれば…!
「サーシャ様!とりあえず…私の後ろに隠れてください!」
無理やり腕を掴まれマリーの後ろに引きずられる。ダメだマリー!銃弾を庇って怪我しないなんて漫画(フィクション)だけの話だ!
いや、そうでもないのか?そもそもなんでマリーは僕を片手だけで自分の後ろに隠せたんだ?なんでマリーは僕に逃げろと言ったんだ?
思えばマリーはゲーセンの勝負には乗り気だった。弱々しい話し方の割に。じゃあマリーはもしかして…その予感は的中した。
マリーがスカートの中からナイフを引き抜くと、それで虚空を切りつける。切られた箇所に空の色と違う"ポータル"と呼ぶべき裂け目ができたかと思えば、銃弾を飲み込み消してしまった。それに弾丸に当たれば人は死ぬ世界でそれに臆していなかった。マリーは強かったんだ。僕よりも遥かに。
「銃弾が消えた…まさかお前!」
「はい…空間操作能力です」
空間操作。それは時間操作に並ぶ強力な魔法であり、大衆の憧れでもある。瞬間移動から浮遊、そしてマリーのような異空間との接続まで、スケールも強さも絶大だ。それこそ大きな特徴と呼べるものがない水魔法使いからしたらめちゃくちゃ羨ましい。
また二発、三発と撃ち込まれるも、その度に裂け目を生み出し銃弾を防ぐマリー。ナイフを持つ右腕に迷いはなく、向かってくる銃弾の位置に合わせて正確に対処する。
「他の次元へのゲートを作るのか…」
「それがどうした!!それをやられる前にお前をぶっ殺せばいいだけの話だろ!!」
懐からもう一丁を取り出すと正面で構える男。前のナイフ使いが二刀流なら、こいつは二丁拳銃か。
「来いよ!そのナイフで俺の首を狙うつもりならその間にサーシャはお陀仏だぞ!」
「そ…それなら…」
マリーはナイフを垂直に下ろし、頭から膝元までの空間を引き裂く。裂け目から選び出したのは、マリーが己が能力で持ち歩いていた銃器。それも、いわゆる"ミニガン"だ。六つの銃身を備えた、相手が痛みを感じる前に殺すことも容易なほど威力と連射に優れた銃器。一方でその代償としてとてつもない重さを持ち、常人では持ち運ぶことはおろか構えることもできないような代物。西武のガンマン同士の撃ち合いなら間違いなく反則だ。
「はわっ!?なんだよそれ!!それなんなんだよおっ!!」
「えっと…じゅ…銃弾、お返ししますね!」
動揺してキャラが保てていない男を容赦なく撃ち抜く鉛の雨。嵐の夜より酷く耳を貫く銃声が残したものは、過剰すぎる意趣返しとその後の静寂、あとは倒れた成人男性だけ。仲間のはずの僕でさえ意外性に静かにならざるを得なかった。
「あの…サーシャ様…お怪我はありませんか?」
うん、怪我はない。だけどいろいろ衝撃的で何も考えられない。クソ重い銃を軽々と手に持っていたこと、街中で暗殺者に会っても平然としていたこと、そしてマリーが戦闘ではいつもの弱気さを捨て平静になれること。フリーズしてても怪我がないとわかった僕に、少しばかり笑顔になったツインテ少女は一言、
「次はどこのお店に行かれますか?」