前に駆け出した僕たち二人、超至近距離での近接格闘戦が始まった。
リョウが拳を振るう度にボボッと空気を切り裂く音が聞こえてくる。僕のパンチはへろへろして全然音が出ない、威力の差は歴然だ。背の低い僕に当てるのは難しいのか、それとも舐めプのつもりか、幸いにもリョウの力強い連撃は腕や頬を掠める程度で済んでいる。
「雪女でもなんでも出せばいいじゃん。なんで僕と殴り合おうっての?」
「雪女はたしかに呼べますね……。舐めプですよ。ボクは自分が強いのを自覚してるので勝負がすぐ終わらないようにしてるんです」
「秒殺したらつまんないので」
「……ああそうっ!」
徒手空拳での打ち合いはこちらに非常に分が悪い。それをわかっての舐めプだ。圧倒的不利なのに煽ってくるようなバカじゃないことが今の僕にとっては最大の不幸だ。
徐々に回避も厳しくなり、後退の連続を強いられる。これ以上一方的な戦いが続くと、もちろん僕に勝ち目はない。カウンターだ、相手の動きを止めてから油断もついてきっちり反撃しよう。
手で受け止め、そこで水で拳を固定して封じるつもりだった。しかし、正拳を受け止めたはずの右手に激痛が走る。なんなら、見えないだけで大量流血してるんじゃないかと疑うぐらいだ。
「ボクをリズと同じだと思いましたか?」
骨まで響く打撃だ。しかもこれは雷魔法を使ったインチキ(別にインチキではない)とは違う。正真正銘、威力と技術でのダメージだ。
「古流武術かじってるんです。便利ですよ護身には」
「これは護身じゃないよねっ!」
背丈はおそらく男性としては平均的だが、筋肉量があのペラッペラのマウンテン・リズとは違う。ブカブカのフードで誤魔化しているが多分脱がしたらすごい筋肉だ。体重の乗り方が違う。リズの全力パンチはこいつの3割ぐらい、そう思わせるぐらいには拳が重い。
緊急避難。バシャッと現れた大きな水の柱で攻撃と視界を遮ると、視界不良に乗じて距離を取り、木の裏に隠れる。ここはうざったいぐらい生い茂った森林で木がたくさんあるんだ、見つかるはずもない。
「ここだと100メートルぐらいかな?"亀壱"とかの操作を考えると離れすぎるわけにもいかないけど……」
木の裏を渡って移動を繰り返し、さらにリョウと距離を取る。恐怖に安堵が混ざってきたところで、森の奥から鈍い音が響いてくる。同時に、恐怖の割合が大きくなっていった。
「無駄ですよ。武道を舐めない方がいいです」
音の発生源はリョウだったんだ。一撃で木をへし折りなぎ倒していく。そして前進、しらみつぶしだが木の数を減らすことで着実に発見に近づいて行っている。いよいよファンタジーじみた格闘術になってきたな。もう武道の領域じゃないでしょ。逃げて隠れても逃げ場所そのものが消滅しちゃうならどうしようもない。
一本一本、丁寧に折っては倒し、僕を見つけようとする。下手に動けば見つかる中で、動くに動けずとどまらざるを得ない。しかし、見つかるのは姿を見られるからだけではない。音、臭い、第六感。方法はいろいろあるだろうが、リョウは戦士の勘と倒れた木の反響、そして僕の呼吸音で場所を割り出し、僕が隠れていた一本を吹き飛ばしてしまう。しゃがんでいたからよかったものの、頭上をゴオッと音を立てて飛んで行ったのが聞こえたんだ。当たってたら……
「あちゃー……バレちゃった?」
「時間はかかりましたけどね。でも隠れたって無駄って知ってたでしょう、逃げればよかったのではなかったのですか?」
「こんな手をとらなくても僕がいきなり宣言を反故にして幻獣で森を焼き払うとかするかもしれないでしょう?」
「ユーリがいるじゃん。ユーリが負けるのを想像はできないししたくもないけど、放って帰るなんてしたら明日からどんな顔して学校で会えばわかんないよ」
「それにさ、信じてたんだよ。ある意味で。そんなことしないってさ」
水鉄砲、しかし手のひらで水を貯め圧縮する。高圧高速で飛ぶ水はただの牽制に留まらず、しっかり貫きダメージを与えてくれる。はずだったのに。
当たる直前に体を捻り、被弾面積を最小限にしている。しかもその時に体の力を抜き、受ける衝撃さえ後方に抜いていった。
「すごいですよね。生身では死んでしまう攻撃でも技術があれば無傷で済ませられる」
「『学校で合わせる顔がない』と言いましたよね?明日ユーリさんに会えない、死ぬ覚悟ぐらいはしてくださいよ。ボクのは知りませんがあなたの命はデッド・オア・アライブ、どっちでもいいんですよッ」
またヒュンヒュンを超えたブオンブオンとなる拳の連撃が始まった。殴り合いでは勝ち目がない。かといって飛び道具も通用しない。じゃあどうやって勝てばいい?あの鉄拳をどうやって攻略すればいい?
……間合いだ。拳は近すぎても遠すぎてもダメージが下がってしまう。ならもう喰らうこと覚悟で相打ちに持っていくのが最適解だろう。
水を足元に張り加速しながら手に水を貯め、今度は矢ではなく刃物を形作る。前傾姿勢から射程圏内に入れるように突進すると相手の拳が飛び、顔を狙ってきた。顔だけは躱して、腕を全力で振る。体格相応の短い手足では当てるだけで精一杯だけど、首元にナイフが当たると、それだけで血が水に混ざり赤く噴き出していく。
「……やりますね。ウォーターカッターといったところでしょうか?」
「ビンゴ。水流をループさせて回転の力で切れるようにしてるんだ。汎用岩魔法の砂利を混ぜ物にしてね」
高圧の水自体脅威だが、ウォーターカッターはそれだけじゃない。研磨剤を水に入れて高圧で発射することで硬い材料も吹き飛ばして切断できるんだ。そもそもあまり強くやりすぎると僕の手がうっかり切れかねないし。すると、彼も僕の本気に応じて敬意を示してくれるらしい。
「サーシャさんにこんな手があると知っていたら初めからこれを使っていたんですがね」
「遊びはおしまいです。出でよ──」
言いかけたところで水ナイフを投擲、交差させなにかを形作ろうとした両腕に裂傷を負わせる。
「あがっ!!右手……ボクの右腕があっ!!」
「召喚は隙だらけでよかった……じゃないとバランスとれないもんね。いや、そもそもわりと無法だから取れてるか」
構えは継続されているがなにも出てこない。どうやら、過度なダメージか痛みで印が不完全になったのか幻獣を呼び出せないみたいだ。
「さっき信じてるって言ってましたよね!?合図を無視して先制攻撃は卑怯ってもんじゃないですか!」
「それにヒーローが全力を出そうってときは邪魔しないのがお約束でしょう!!」
「へっ、何が正々堂々だよ。森の中で先に不意打ちで術かけてきたのはそっちじゃん」
「それにお約束がなんだ!こっちは最初から遊びはやってなかったんだ。許さなくても別にいいけどやられてもらうよ!」
手に水を貯め、大技の準備を始める。さっきの水鉄砲とは比にならない量で、一撃で終わらせる覚悟を持って。
「幻想の力だけ引き出すこともできるって言ってたっけ?」
「召喚獣の技だけ本体が使えるとこまで、つくづく一緒だね!」
手のひらを合わせて開いて、相手に向ける。そして繰り出すのは"黄龍"の技、"龍靖"だ。"黄龍"はあっちでまだ戦闘中だけど、その技の再現は容易なことだ。手のひらの数倍の太さの水のビーム。当たれば確実の大ダメージの質量攻撃でトドメを刺そうとする。
もちろん、リョウは甘くはなかった。先程と同じように身体を弾速と等速で回転、衝撃を完全に逃がしてしまった。水そのものには殺傷力はないから、こうやって回避することができる。
「危なかったですね……でも芸のない。同じ手が二度目なら通用するって考えですか?」
「通じるよ。だって飛ばしたビームはまだ僕の制御範囲内だ!」
避けたはずの"龍靖"の頭上からの襲来。リョウに逸らされた背中側で軌道を変え、上から打ち下ろす。衝撃を逃がすにしたって逃げ場所は必要だ。地面が壁なら衝撃を受けることはできても流すことはできないはず。威力の100%を保持したまま滝のように垂直に、大量の水が連続で降り注ぎ打ち付ける。これが直撃すりゃ、どんな相手も失神KOだ。多くの場合はね。
「ぐうっ……」
「まだ……負けて……」
彼も例外ではなかったようだ。戦闘継続の意思を口で示そうとし、こちらに向かって傷ついた右腕を伸ばすも、そのまま地面に倒れる。僕の勝ちだ。
すると、しばらくしないうちにさっき吹き飛ばされたユーリが戻ってきた。
「ユーリ!大丈夫だった!?」
「ああ、ゴーレムが消えたのはお前がリョウを倒したからか?」
「たぶんそうかな。"亀壱"たちも戦闘を終えたみたいだ」
今のうちにリョウを動けなくしておこう。こんな時もジャケットというものは便利だ。リョウをぐるぐる巻きにし縛り上げ、体の自由はこれでない。
「そっちはどうだった?ゴーレムは岩っぽい見た目通り耐久力が高いぐらいで強くはなかったからいいが…」
「正直しんどかったね。"尊凰"が倒しきれないぐらいには強かったみたい。まあリョウとの殴り合いが一番嫌だったけど……」
「そういえばこれどうする?埋める?」
「殺害はダメだろ……俺が警察が来るまでこいつを見張ってる。先に行け」
「あっ、そういえば肝試しも目的だけど本題はタイムカプセル探しだったか。んじゃお言葉に甘えて、行ってくるね」
ここはユーリのお言葉に甘えて行かせてもらおう。たぶんここから400メートルぐらい先かな。実は埋めたころにちゃんとタイムカプセルまでの道に印をつけておいたのだ。木に結びつけられた、元水色のリボンの数々。その多くは色褪せボロボロの包帯みたいになってしまったけど、それでもほとんどは木にしがみついているし、落ちたものも腐らず分解されず足元で道を示してくれている。
「えっと、たしかここら辺だったよね」
水で固い土を柔らかくほぐし、そのまま抉って掘り進めることができる。そして、大地から現れたものは、金属製のカプセルだった。直径40センチぐらいだろうか?以外と大きかったな。概ね丸いけど、底の一部は平面になっている。おそらく、転がり防止で自立させるためだ。
「そういえばお菓子のやつだったっけ。当たりが5個ぐらいでたからこのカプセルと交換できたんだっけな」
過去の思い出。ルーシーだけじゃなく、ニコラさんやリンにも手伝ってもらってチョコ菓子(当時ひとつ137円)を食べまくり、やっとの思いで手にした褒賞。協力の結晶の中には、何が詰まっていたんだっけ。
「それじゃ……オープン!」
一人でハイテンションになりながら中身を確認する。しかし、中身にあったのは土色の平たい板1枚だけだった。そんなはずない、と表面を擦ってみると、内側から文字が浮かんでくる。見えた茶色はそういうことか、土がついてりゃそうなるわな。もっとこすっていくと、さらに追加で縦にたくさんの線が入った模様まで現れた。この時、僕はやっと正体に思い当たった。
7年ほど前の週リヴィ、それもとある漫画の完結号だった。そうか、そうだったな。最終回にも関わらずあまりにも話の展開がねじ曲がりすぎて、全世界のファンが悲鳴をあげたというあの伝説の回。今でこそ一部の掲示板とかで擦られてるだけだけど、当時のネットも阿鼻叫喚だった。こうやってタイムカプセルとして埋めたのも、記憶を封印して作品への想いを保つための儀式だったように覚えている。子どもの頃だからネットで見たブログを鵜呑みにしただけだったと思うけどね。それでもここまで何を埋めたのか忘れられたなら、子供だましの儀式にも意味はあったのかもね。儀式そのものを忘れてしまったのだから、さぞ効果も高かったのだろう。
「見つかったみたいだな」
「あっ、ユーリ!」
こっちにやってきたユーリの隣は、あの金髪を伴っていた。
「リョウ!?なんでここに……まさか!!」
「ええ、そうです。このユーリくんはボクが造り上げた偽物、幻獣により生み出した幻です」
「なわけあるか、俺は本物だ……」
「えっ?つまり?どっちがほんと?」
まるで飲み込めないぞ。ユーリはこいつを捕まえとくと言った。だからここには来れないはずだ。しかし、このユーリが嘘をついているようには思えない。じゃあユーリがリョウを拘束もせず連れてきてる?わからん!
「……俺たちは友人同士なんだ、リョウもウグピナツ人だからな。来てもらったのはサプライズ的なやつだ」
「ユーリと違ってボクはハーフですけどね。漢字で書くと亮・ブライアントです」
「なるほど……そうだったんだね。それで本物なんだよね?」
ユーリに右の拳を全力で打ち込む。寸止めのつもりがほっぺに当たったけど、幸い僕の体格が貧弱なこともあってダメージはないようだ。
「おいっ!急になにする……」
殴るときにビビった。このユーリは本物で間違いないね。
「ごめん、でもこれで信頼できる」
「本人確認どうなってんだ……」
「さあ、行きましょう。もう夜も遅いですしね」
帰りはメンバーが一人増えた。新メンバーの参戦でにぎやかになる、のはそうだった。僕はそのにぎやかの仲間入りはできてないってだけで。仲良し二人とその中間の一人がいれば、だいたい一人はあぶれてしまう。これも一種の自然の摂理なのかもしれないけどさ。
「そういえばサーシャさん、ボクがなんでこの森にいたか予想できますか?」
「たしかに……肝試し来るってのは知らないはずだよね?僕の思いつきだったし」
「ユーリが場所を教えてすぐに駆けつけた、とかじゃないよね?」
「はい、違います。またすぐ種明かししちゃいますけど未来視のできる幻獣の力を使ったんです」
未来視……誰だろう?幻獣の範疇で済むのかな?いや、神っぽいナーガも扱いとしては幻獣みたいなもんだったし神かもしれないけど……ラプラスの悪魔みたいなのも出せるのかな?それは出す出さないのようなものなのかは知らないけどさ。
街の明かりが見えたからかはわからないが、少し木々の隙間も空いて森に明るさが少しずつ戻っていく。もうそろそろ森を抜けて肝試し終了、そう思ったとき、また体をひんやりとした感覚が襲った。行きの時と似た、あの徐々に凍えていく寒さだ。
「なんかまた冷えてきたんだけど……今度こそユーリのせい?」
「いや、俺じゃない……サーシャ、逆にお前が気化熱やミストとかで冷やしてる訳じゃないよな?」
「そんなわけないじゃん!湿気そんな感じないでしょ?じゃあリョウだよ!リョウがやってるんでしょ!」
「ぼ……ボクでもないですよ。ほら、雪女だってここにいるし……フェンリルも氷使いですけどやってないって言ってます!!」
白い着物の雪女もでかい犬みたいな白狼も首を横に振って否定の意を示す。フェンリル、意志疎通取れるんだ。
「僕の手持ちの氷使いはこれだけですからね!?レアなんですよ!美形だし!」
論点そこ?しかし、これはまずいことになったかも。僕じゃない、ユーリでもない、リョウだってやってない。人間は誰も森を寒くしたりしていない。
「じゃあ……?」
「はい、たぶんそういうことですね」
「…………」
僕たちはもしかしたら、本当に怪異や神霊の類を呼び出してしまったのかもしれない。
リョウが拳を振るう度にボボッと空気を切り裂く音が聞こえてくる。僕のパンチはへろへろして全然音が出ない、威力の差は歴然だ。背の低い僕に当てるのは難しいのか、それとも舐めプのつもりか、幸いにもリョウの力強い連撃は腕や頬を掠める程度で済んでいる。
「雪女でもなんでも出せばいいじゃん。なんで僕と殴り合おうっての?」
「雪女はたしかに呼べますね……。舐めプですよ。ボクは自分が強いのを自覚してるので勝負がすぐ終わらないようにしてるんです」
「秒殺したらつまんないので」
「……ああそうっ!」
徒手空拳での打ち合いはこちらに非常に分が悪い。それをわかっての舐めプだ。圧倒的不利なのに煽ってくるようなバカじゃないことが今の僕にとっては最大の不幸だ。
徐々に回避も厳しくなり、後退の連続を強いられる。これ以上一方的な戦いが続くと、もちろん僕に勝ち目はない。カウンターだ、相手の動きを止めてから油断もついてきっちり反撃しよう。
手で受け止め、そこで水で拳を固定して封じるつもりだった。しかし、正拳を受け止めたはずの右手に激痛が走る。なんなら、見えないだけで大量流血してるんじゃないかと疑うぐらいだ。
「ボクをリズと同じだと思いましたか?」
骨まで響く打撃だ。しかもこれは雷魔法を使ったインチキ(別にインチキではない)とは違う。正真正銘、威力と技術でのダメージだ。
「古流武術かじってるんです。便利ですよ護身には」
「これは護身じゃないよねっ!」
背丈はおそらく男性としては平均的だが、筋肉量があのペラッペラのマウンテン・リズとは違う。ブカブカのフードで誤魔化しているが多分脱がしたらすごい筋肉だ。体重の乗り方が違う。リズの全力パンチはこいつの3割ぐらい、そう思わせるぐらいには拳が重い。
緊急避難。バシャッと現れた大きな水の柱で攻撃と視界を遮ると、視界不良に乗じて距離を取り、木の裏に隠れる。ここはうざったいぐらい生い茂った森林で木がたくさんあるんだ、見つかるはずもない。
「ここだと100メートルぐらいかな?"亀壱"とかの操作を考えると離れすぎるわけにもいかないけど……」
木の裏を渡って移動を繰り返し、さらにリョウと距離を取る。恐怖に安堵が混ざってきたところで、森の奥から鈍い音が響いてくる。同時に、恐怖の割合が大きくなっていった。
「無駄ですよ。武道を舐めない方がいいです」
音の発生源はリョウだったんだ。一撃で木をへし折りなぎ倒していく。そして前進、しらみつぶしだが木の数を減らすことで着実に発見に近づいて行っている。いよいよファンタジーじみた格闘術になってきたな。もう武道の領域じゃないでしょ。逃げて隠れても逃げ場所そのものが消滅しちゃうならどうしようもない。
一本一本、丁寧に折っては倒し、僕を見つけようとする。下手に動けば見つかる中で、動くに動けずとどまらざるを得ない。しかし、見つかるのは姿を見られるからだけではない。音、臭い、第六感。方法はいろいろあるだろうが、リョウは戦士の勘と倒れた木の反響、そして僕の呼吸音で場所を割り出し、僕が隠れていた一本を吹き飛ばしてしまう。しゃがんでいたからよかったものの、頭上をゴオッと音を立てて飛んで行ったのが聞こえたんだ。当たってたら……
「あちゃー……バレちゃった?」
「時間はかかりましたけどね。でも隠れたって無駄って知ってたでしょう、逃げればよかったのではなかったのですか?」
「こんな手をとらなくても僕がいきなり宣言を反故にして幻獣で森を焼き払うとかするかもしれないでしょう?」
「ユーリがいるじゃん。ユーリが負けるのを想像はできないししたくもないけど、放って帰るなんてしたら明日からどんな顔して学校で会えばわかんないよ」
「それにさ、信じてたんだよ。ある意味で。そんなことしないってさ」
水鉄砲、しかし手のひらで水を貯め圧縮する。高圧高速で飛ぶ水はただの牽制に留まらず、しっかり貫きダメージを与えてくれる。はずだったのに。
当たる直前に体を捻り、被弾面積を最小限にしている。しかもその時に体の力を抜き、受ける衝撃さえ後方に抜いていった。
「すごいですよね。生身では死んでしまう攻撃でも技術があれば無傷で済ませられる」
「『学校で合わせる顔がない』と言いましたよね?明日ユーリさんに会えない、死ぬ覚悟ぐらいはしてくださいよ。ボクのは知りませんがあなたの命はデッド・オア・アライブ、どっちでもいいんですよッ」
またヒュンヒュンを超えたブオンブオンとなる拳の連撃が始まった。殴り合いでは勝ち目がない。かといって飛び道具も通用しない。じゃあどうやって勝てばいい?あの鉄拳をどうやって攻略すればいい?
……間合いだ。拳は近すぎても遠すぎてもダメージが下がってしまう。ならもう喰らうこと覚悟で相打ちに持っていくのが最適解だろう。
水を足元に張り加速しながら手に水を貯め、今度は矢ではなく刃物を形作る。前傾姿勢から射程圏内に入れるように突進すると相手の拳が飛び、顔を狙ってきた。顔だけは躱して、腕を全力で振る。体格相応の短い手足では当てるだけで精一杯だけど、首元にナイフが当たると、それだけで血が水に混ざり赤く噴き出していく。
「……やりますね。ウォーターカッターといったところでしょうか?」
「ビンゴ。水流をループさせて回転の力で切れるようにしてるんだ。汎用岩魔法の砂利を混ぜ物にしてね」
高圧の水自体脅威だが、ウォーターカッターはそれだけじゃない。研磨剤を水に入れて高圧で発射することで硬い材料も吹き飛ばして切断できるんだ。そもそもあまり強くやりすぎると僕の手がうっかり切れかねないし。すると、彼も僕の本気に応じて敬意を示してくれるらしい。
「サーシャさんにこんな手があると知っていたら初めからこれを使っていたんですがね」
「遊びはおしまいです。出でよ──」
言いかけたところで水ナイフを投擲、交差させなにかを形作ろうとした両腕に裂傷を負わせる。
「あがっ!!右手……ボクの右腕があっ!!」
「召喚は隙だらけでよかった……じゃないとバランスとれないもんね。いや、そもそもわりと無法だから取れてるか」
構えは継続されているがなにも出てこない。どうやら、過度なダメージか痛みで印が不完全になったのか幻獣を呼び出せないみたいだ。
「さっき信じてるって言ってましたよね!?合図を無視して先制攻撃は卑怯ってもんじゃないですか!」
「それにヒーローが全力を出そうってときは邪魔しないのがお約束でしょう!!」
「へっ、何が正々堂々だよ。森の中で先に不意打ちで術かけてきたのはそっちじゃん」
「それにお約束がなんだ!こっちは最初から遊びはやってなかったんだ。許さなくても別にいいけどやられてもらうよ!」
手に水を貯め、大技の準備を始める。さっきの水鉄砲とは比にならない量で、一撃で終わらせる覚悟を持って。
「幻想の力だけ引き出すこともできるって言ってたっけ?」
「召喚獣の技だけ本体が使えるとこまで、つくづく一緒だね!」
手のひらを合わせて開いて、相手に向ける。そして繰り出すのは"黄龍"の技、"龍靖"だ。"黄龍"はあっちでまだ戦闘中だけど、その技の再現は容易なことだ。手のひらの数倍の太さの水のビーム。当たれば確実の大ダメージの質量攻撃でトドメを刺そうとする。
もちろん、リョウは甘くはなかった。先程と同じように身体を弾速と等速で回転、衝撃を完全に逃がしてしまった。水そのものには殺傷力はないから、こうやって回避することができる。
「危なかったですね……でも芸のない。同じ手が二度目なら通用するって考えですか?」
「通じるよ。だって飛ばしたビームはまだ僕の制御範囲内だ!」
避けたはずの"龍靖"の頭上からの襲来。リョウに逸らされた背中側で軌道を変え、上から打ち下ろす。衝撃を逃がすにしたって逃げ場所は必要だ。地面が壁なら衝撃を受けることはできても流すことはできないはず。威力の100%を保持したまま滝のように垂直に、大量の水が連続で降り注ぎ打ち付ける。これが直撃すりゃ、どんな相手も失神KOだ。多くの場合はね。
「ぐうっ……」
「まだ……負けて……」
彼も例外ではなかったようだ。戦闘継続の意思を口で示そうとし、こちらに向かって傷ついた右腕を伸ばすも、そのまま地面に倒れる。僕の勝ちだ。
すると、しばらくしないうちにさっき吹き飛ばされたユーリが戻ってきた。
「ユーリ!大丈夫だった!?」
「ああ、ゴーレムが消えたのはお前がリョウを倒したからか?」
「たぶんそうかな。"亀壱"たちも戦闘を終えたみたいだ」
今のうちにリョウを動けなくしておこう。こんな時もジャケットというものは便利だ。リョウをぐるぐる巻きにし縛り上げ、体の自由はこれでない。
「そっちはどうだった?ゴーレムは岩っぽい見た目通り耐久力が高いぐらいで強くはなかったからいいが…」
「正直しんどかったね。"尊凰"が倒しきれないぐらいには強かったみたい。まあリョウとの殴り合いが一番嫌だったけど……」
「そういえばこれどうする?埋める?」
「殺害はダメだろ……俺が警察が来るまでこいつを見張ってる。先に行け」
「あっ、そういえば肝試しも目的だけど本題はタイムカプセル探しだったか。んじゃお言葉に甘えて、行ってくるね」
ここはユーリのお言葉に甘えて行かせてもらおう。たぶんここから400メートルぐらい先かな。実は埋めたころにちゃんとタイムカプセルまでの道に印をつけておいたのだ。木に結びつけられた、元水色のリボンの数々。その多くは色褪せボロボロの包帯みたいになってしまったけど、それでもほとんどは木にしがみついているし、落ちたものも腐らず分解されず足元で道を示してくれている。
「えっと、たしかここら辺だったよね」
水で固い土を柔らかくほぐし、そのまま抉って掘り進めることができる。そして、大地から現れたものは、金属製のカプセルだった。直径40センチぐらいだろうか?以外と大きかったな。概ね丸いけど、底の一部は平面になっている。おそらく、転がり防止で自立させるためだ。
「そういえばお菓子のやつだったっけ。当たりが5個ぐらいでたからこのカプセルと交換できたんだっけな」
過去の思い出。ルーシーだけじゃなく、ニコラさんやリンにも手伝ってもらってチョコ菓子(当時ひとつ137円)を食べまくり、やっとの思いで手にした褒賞。協力の結晶の中には、何が詰まっていたんだっけ。
「それじゃ……オープン!」
一人でハイテンションになりながら中身を確認する。しかし、中身にあったのは土色の平たい板1枚だけだった。そんなはずない、と表面を擦ってみると、内側から文字が浮かんでくる。見えた茶色はそういうことか、土がついてりゃそうなるわな。もっとこすっていくと、さらに追加で縦にたくさんの線が入った模様まで現れた。この時、僕はやっと正体に思い当たった。
7年ほど前の週リヴィ、それもとある漫画の完結号だった。そうか、そうだったな。最終回にも関わらずあまりにも話の展開がねじ曲がりすぎて、全世界のファンが悲鳴をあげたというあの伝説の回。今でこそ一部の掲示板とかで擦られてるだけだけど、当時のネットも阿鼻叫喚だった。こうやってタイムカプセルとして埋めたのも、記憶を封印して作品への想いを保つための儀式だったように覚えている。子どもの頃だからネットで見たブログを鵜呑みにしただけだったと思うけどね。それでもここまで何を埋めたのか忘れられたなら、子供だましの儀式にも意味はあったのかもね。儀式そのものを忘れてしまったのだから、さぞ効果も高かったのだろう。
「見つかったみたいだな」
「あっ、ユーリ!」
こっちにやってきたユーリの隣は、あの金髪を伴っていた。
「リョウ!?なんでここに……まさか!!」
「ええ、そうです。このユーリくんはボクが造り上げた偽物、幻獣により生み出した幻です」
「なわけあるか、俺は本物だ……」
「えっ?つまり?どっちがほんと?」
まるで飲み込めないぞ。ユーリはこいつを捕まえとくと言った。だからここには来れないはずだ。しかし、このユーリが嘘をついているようには思えない。じゃあユーリがリョウを拘束もせず連れてきてる?わからん!
「……俺たちは友人同士なんだ、リョウもウグピナツ人だからな。来てもらったのはサプライズ的なやつだ」
「ユーリと違ってボクはハーフですけどね。漢字で書くと亮・ブライアントです」
「なるほど……そうだったんだね。それで本物なんだよね?」
ユーリに右の拳を全力で打ち込む。寸止めのつもりがほっぺに当たったけど、幸い僕の体格が貧弱なこともあってダメージはないようだ。
「おいっ!急になにする……」
殴るときにビビった。このユーリは本物で間違いないね。
「ごめん、でもこれで信頼できる」
「本人確認どうなってんだ……」
「さあ、行きましょう。もう夜も遅いですしね」
帰りはメンバーが一人増えた。新メンバーの参戦でにぎやかになる、のはそうだった。僕はそのにぎやかの仲間入りはできてないってだけで。仲良し二人とその中間の一人がいれば、だいたい一人はあぶれてしまう。これも一種の自然の摂理なのかもしれないけどさ。
「そういえばサーシャさん、ボクがなんでこの森にいたか予想できますか?」
「たしかに……肝試し来るってのは知らないはずだよね?僕の思いつきだったし」
「ユーリが場所を教えてすぐに駆けつけた、とかじゃないよね?」
「はい、違います。またすぐ種明かししちゃいますけど未来視のできる幻獣の力を使ったんです」
未来視……誰だろう?幻獣の範疇で済むのかな?いや、神っぽいナーガも扱いとしては幻獣みたいなもんだったし神かもしれないけど……ラプラスの悪魔みたいなのも出せるのかな?それは出す出さないのようなものなのかは知らないけどさ。
街の明かりが見えたからかはわからないが、少し木々の隙間も空いて森に明るさが少しずつ戻っていく。もうそろそろ森を抜けて肝試し終了、そう思ったとき、また体をひんやりとした感覚が襲った。行きの時と似た、あの徐々に凍えていく寒さだ。
「なんかまた冷えてきたんだけど……今度こそユーリのせい?」
「いや、俺じゃない……サーシャ、逆にお前が気化熱やミストとかで冷やしてる訳じゃないよな?」
「そんなわけないじゃん!湿気そんな感じないでしょ?じゃあリョウだよ!リョウがやってるんでしょ!」
「ぼ……ボクでもないですよ。ほら、雪女だってここにいるし……フェンリルも氷使いですけどやってないって言ってます!!」
白い着物の雪女もでかい犬みたいな白狼も首を横に振って否定の意を示す。フェンリル、意志疎通取れるんだ。
「僕の手持ちの氷使いはこれだけですからね!?レアなんですよ!美形だし!」
論点そこ?しかし、これはまずいことになったかも。僕じゃない、ユーリでもない、リョウだってやってない。人間は誰も森を寒くしたりしていない。
「じゃあ……?」
「はい、たぶんそういうことですね」
「…………」
僕たちはもしかしたら、本当に怪異や神霊の類を呼び出してしまったのかもしれない。
