ガイアが荼毘に……いや、病床に伏した次の休み、折れた腕を擦りながら動画を見る僕の元にルーシーが乗り込んできた。
「サーシャ?部屋から出ずに何してるんですの?」
「何って……怪我人の娯楽なんてこれぐらいしかないからね……左手が折れてなきゃゲームしてたかなあ」
運の悪いことに、僕の利き腕は左だ。既に勉学にも多大なる支障が出てるし、ご飯も右手ではよくこぼしてしまう。次会った時は治療費ガイアの分ももらわないとね!
「前から思ってたのですけどサーシャはインドアすぎですわ。運動不足なのは自覚してるのでしょう?」
それが病人にかける言葉か。正論であることがさらに僕の心にダメージを与える。でも正しいから反論できない。
「で……でも……この腕の怪我でできるスボーツなんてないよね?サッカーも腕に当たったら折れるし!」
言い訳でかわすしかない。しかしだ、ルーシーはそれを読んでいた。
「だから今日は外に出るだけですの。お出かけ、ですわね」
ならよく……はない。外に出たくない。スポーツをしたくないんじゃなくて、外に出たくないのが本質なんだ。
「日の光を浴びるということに価値があるんですの。ほら、行きますわよ」
腕を引っ張られて、玄関まで連れ出される。ぐいぐいと強い力で抵抗できず、左の腕が伸びきって引きずられ……
ってやめてルーシー!折れてるのそっちなんだよぉぉ!!不思議と痛くなかったけど、折れてる方はやっぱ不安なんだよね。

「で、どうしますの?パパが乗せて連れてってくれると言うことになったのですけど」
ニコラさん……運転できたんだ。メイドや執事に任せず運転できるんだ。やっぱりこの家ほんとに貴族なのかな?それとも近代的貴族とはこうなるものなのだろうか。富める者も貧しき者も、使用者も使用人もみんな車を運転して西洋的邸宅に住むものなのだろうか。漫画のイメージとは違いすぎ……というかそっちのモチーフが古いだけか?東洋にいた"侍"を題材にした漫画はあっても現代に侍はめったにいないように、中世の貴族も元気なのはフィクションの中だけで現実では絶滅危惧種なのかもね。
まあそんなことはどうでもいい。限りなく室内に近い屋内に連れていってもらうか、誘導するか。それが問題だ。
「よし、着替えるからちょっと待ってて。あとどこ行くのか教えてよ。運動はごめんだからね!」
女同士でもプライバシーというものはある。ルーシーにはご退室願おう。
着替えていて改めて思ったけど、僕はほんとに薄い。この細い腕では人を殴り飛ばすなんて無理だし、ぺったんこのまな板では需要を満たせない。いや、後者は後者で需要はあるのか?そんなやつが好きな男はそれはそれでいろいろまずい気もするけど……思考は放り投げて着替えを続けよう。絶望するのは今じゃなくていい。もっと大きな絶望(がいしゅつ)が待っているのだから。

「お待たせ」
「ほんとに待たせるとは思っていませんでしたわよ……軽く30分経ってますわ」
ほんとか。そんなに悩んでいたとは。怪我してると思考もネガティブにはなりがちだからね。仕方ない、仕方ない。……更に気分が落ち込みそうなのは大丈夫かな?そう思っていても、迎えの車はやってきてしまった。ニコラさんが運転席にいる。こう見ると結構似てるな、ゼブル親子は。(たぶんルーシーは母親似だから)顔はあまり似ていないけど髪色は同じ銀髪で、目の色も同じ赤だしで親子だということをこれでもかと主張してくる。髪質も近いから、ニコラさんもオールバックを解き髪を伸ばせばルーシーそっくりの毛先くるくるのロングヘアになりそう。それに行動派なところも一緒だ。思春期特有のツンとした態度はたまにあるけど、二人で出かけてることも多いから仲良しな親子なのは間違いないだろうね。

「サーシャ、車の準備ができたから乗っていいよ。ルーシーの隣でいいかな?」
「はい、じゃあそうします」
4人か。僕、ルーシー、ニコラさん、そしてメイドのリンだ。ニコラさんの妻、ルーシーの母がいない理由は簡単だけど複雑だ。
実はルーシーの母親、僕の養母にあたるはずだった人はもう亡くなっている。僕がゼブルに引き取られる3年ほど前、ルーシーが5歳の頃に事故死している。交通事故、2人で乗っていたオープンカーが後ろからトラックに吹き飛ばされたというものだ。ニコラさんも同じ事故に巻き込まれたそうだが、死の直前で助けられたという。
その違いは、ある人物の到着前に生きていたかどうからしい。彼(彼女?)は高度な回復魔法を使え、その技術は回復専用の天稟魔法にも劣らないという。つまり、かの者は汎用の魔法だけで9割死人だった人間を救ったというのだ。その人がいなければニコラさんも死んでいたが、来たとしてもルーシー母は間に合わなかったようだ。ニコラさんはこの死に別れを非常に後悔していて、ルーシーがいなければついて行きたかった、だそうだ。それほどまでに人が人を愛することができるなら、こないだ抱いた「愛は重いほどいい」という考えも直した方がいいのかもしれないね。

昔話を思い返すうちに、目的地へと迫っていた。そういえば結局どこに連れていかれるか聞いていなかったな。まあ、外に出てしまえばどうせ変わらないんだけど。 
「そろそろですわよ」
「ここって……」
長い運転を終え到着したのはルスラシアの西部、綺麗な海の広がるリゾート地のある"ベーリャシ"だ。高低差が激しく、その差の広がりも急なためにレウシアから行政区画が切り替わったところで既に水面が見えている。そこから坂を行ったり来たり、車を停めたら海の家や屋台の広がる海岸に到着だ。
「ちょっと待って?泳ぐの?」
「そうですけれど何か?」
おいおい、今はまだ夏でもなんでもないでしょうが。まだ5月ですよ、ルーシーお嬢。プール開きもまだでしょ?
「夏でも水は冷たいから入ってしまえば変わりませんわ!いきますわよ!」
「やっぱり!!結局運動じゃんか!!」
まあ水遊びと運動じゃ微妙に違う……よね?そう今は言い聞かせよう。一番の敵は自分であり、一番の味方は自分だ。思い込みひとつで世界の見え方が変えられるというのならそうしてやろう。

「意外と駐車場から距離ありますわね」
「確かに。俺はもう少し疲れてしまったよ。歳なのかなぁ」
「じゃあ……ふーっ……僕は何歳なんですか……げほっ」
酸素ボンベがほしい。まさか坂道の登りだけじゃなくて、下りでも体力をこんなに使うだなんて思っていなかった。流石にこの運動不足っぷりは救えないな。……ガイアが治ったらやっぱり鍛えてもらおうかな?

「それじゃ着替えてこようか。サーシャの分はルーシーが持ってるからね」
「えっ?直接渡せばいいじゃないですか」
「えっとね……俺だけ男だから……ほら、三人は女の子だから俺とは着替え場所別なんだよ」
なるほど、と思っていても、着替えに行くふりして避難できるんだからニコラさんが持っててくれたらなと思ったね。
するといきなりリンが服の裾に手をかけた。冷静に考えればとてつもない凶行だ。この女は公衆の面前で全裸になるつもりか…?されども唖然とする三人は止めることも声を出すことも叶わぬまま、彼女が服を捲りあげていくのを見るしかない。そして彼女の脱衣完了、その下にあるのは下着……ではなかった。

「……服の下に水着着てたのですね」
「プール好きの小学生かよ!!」
水着でよかった。本当によかった。でも正直なところ、リンはなにを考えているのかまったくわからない。常に無表情といった感じで、変わるにしても口元が微妙に動くだけ。感情を読み取るヒントはそこだけだ。なにより、僕は彼女の声を一度も聞いたことがない。しゃべらないんだ、彼女。
意思疎通はハンドサインか芸人の使うようなフリップでしかしてくれないし、その内容通りに行動してくれるとも限らない。それとこれは個人の勝手な感想だけど、背が高いというのも不気味さを増してる一つの要因かもしれない。リンはたぶん180センチ台後半、下手したら190センチある。ニコラさんは174センチを自称していて、ルーシーは157センチと前に教えてくれた。ちなみに僕は144センチだ。つまり、このゼブル家・ベーリャシ観光チーム御一行様の中で一番背が高いのはリンなんだ。……あと胸もでかいし。ルーシーも大きい方ではあるんだろうけど、それを遥かに通り越して大きい。水着、それもビキニ(でいいんだよねたぶん)で見せつけられると本人にその気がなくても……なんか負けた気がする。胸筋も判定に含めていいなら正直こっちでも最下位だよ、僕。
とにかく、概してでかいリンは突飛な行動だけでなく、その体格も相まってなおのこと何を考えているか、心を量りにくい。モニカのことを人間でないと思ってしまったけど、真の狂気は身近に潜んでいたのかもね。
「………………」
「……」
「………………」
「………………………………………」
「じゃ……じゃあまた後で。そこの青い旗の海の家の前で合流しようか」
ニコラさんは背中を見せて去っていく。あの顔、流石にリンの奇行に驚いた……んだよね?ここまでじゃなくても破天荒なマネするようなルーシーも驚いてるし。

そこからは紆余曲折のないまま更衣室に到着。海岸までの行きとは違って、距離はあっても道は平坦で歩くのも楽だったね。さて、ここで逃げの一手を打つしかない。ここまでずっと隠していたし、僕自身もちょっと忘れていた切り札を使うときだ。
「そういえばルーシー……僕の左腕折れてるの忘れてないよね?」
「これじゃ泳ぐこともできないよ?着替えならともかく……夏前の寒いビーチでほぼ全裸で座ってろだなんて酷なこと言わないでしょ?」
どうだ。僕は病人だぞ。大義名分があるんだぞ。固定は強力じゃないけど前腕は包帯でぐるぐるなんだぞ。
「そのことですの?もう治ってるはずですわよ。試しに動かしてはいかがですの?」
えっ?全治一週間だよ、そんなはずはない。包帯を外して試しに虚空を掴んでみる。確かに痛くない。けど……神経が死んでるだけかもしれないじゃん!?
「痛くはないけど……折れてないとはイコールじゃないよね!?」
「そうくると思ってましたわ。リン!!やっておしまい!!」
「いだだだだっ……くない……?」
ルーシーの言葉より速く、リンが僕の左腕を掴んで第四の間接を作るように折ろうとしてくる。でもまったくもって痛みもなければ変形もなし、もちろん腕の間接は肘と肩と手首の三つだけだ。つまり……?
「折れてないでしょう?」
うん、折れてないね。なんで?僕は治りが早い体質でもあったっけ?
「実はリンが夜な夜な治してくれていたんですの。感謝するといいですわ」
リンは両手を解放するとピースサインしだした。しかもその空けたばかりの両の手で。こう見ると感情表現は豊かだな。顔以外のね。これでも顔はニュートラルを保ち、そこから喜怒哀楽を読み取ることはまるでできない。ぴょんぴょん左右に跳ねてるから喜びの感情はあるんだろうけど……これが成人女性の行動なのか?
「それはそれとしてリン、そのまま連行しなさい」
不意打ち。リンはルーシーの命で僕の身体を固定する。今度は腕じゃなく、胴を掴まれて確実に離せない。えっ?ちょっと待って!あっ……力で引き剥がせない。
これ終わったら絶対ガイアのところに行こう。うん、そうしよう。……ガイアもリンに治してもらえばいいかな?って待てよルーシー、その手に持ってるのはなんだよ。
リンのプラカードだ、代わりに持っているルーシーの手のそれは「スープレックスOK?」と書かれていた。NO!答えはNOだからね!!でも声が出せない!!こいつ初めからこれを狙って……!!
勢いよく後ろに仰け反り……僕は投じられた!?何したいんだよこいつ!!地面にではなく、それに並行に吹き飛んでいく。その方向には更衣室がちょうど待ち構えており、ドアの正面に落下。砂がクッションになって痛みはないけど、動けないところをルーシーに確保されてしまった。
「さて、行きますわよ」
砂の上を引っ張られて滑ること3秒、僕は更衣室に閉じ込められたのでした。