マリーとお出かけした次の日、今はもう昼休みも終わって5時間目が始まる前だ。5時間目は体育、脇腹が痛くなりそうでなんとも嫌な時間の授業だ。悲しきかな、着替えのために男子は外に追い出され女子だけが残る。はたして彼らが送られた男子更衣室は教室(ここ)よりもいい場所なのだろうか?

女子更衣室(ここ)を天国と考える男子は一定数いるようだけど、ここは別に天国でもなんでもない。背が低く、それ相応に出っ張りのない体型をしている僕にとって周囲の人物は憤怒の情を向ける的になれど、羨望と芸術の対象にはなりえない。これは嫉妬ではない。断じて嫉妬ではない。間違いなく嫉妬ではない。

着替えを終えて、ルーシーを連れてグラウンドに降りる。三階の教室から一階に降りるのには時間がかかるし疲れるから来年は一階の教室がいいな。なにせもう脚が疲れを感じている。グラウンドに着いても終わりじゃないからなおのこと疲れる。広すぎるんだよ、グラウンド。集合場所まではもう100メートルもないはずなのに、体感はその四倍だ。すでにへとへと、グラウンドのど真ん中にへたり込む。

少し遅れて先生が来訪。集まった約30人に指示を飛ばす。
「全員集まったか?じゃあ一列五人で座っといてくれー」
この声…聞き覚えがあると思ったらキリル先生か。我らが担任は体育教師だったのか。確かに結構な筋肉だけど。服の上からはわかりにくいもんだね。明らかになる新事実に感心しながら三角座りしていると、先生はこう続けた。
「たぶん知ってると思うが…今日は体力テストの日だ」
体力テスト…中学どころか小学校の頃から続けて十回目、僕はこのイベントがかなり嫌いだ。全てが個人技。仲間に頼れば最悪なんとかなるチームスポーツならともかく、己の弱さを衆に曝け出すようなこんなイベントなど必要あるか?そして僕がこれを嫌っている理由はもうひとつある。
「二人組を作ってもらおうか、適当にやっとけー」
そう。これだ。僕の同類(いんきゃ)にはこの恐怖をたぶんわかってもらえるはず。だが僕は問題ない。ルーシーがいるのだから!さあルーシー、僕と組もうじゃないかーーと言おうと思ったその時、僕は見てはいけないものを見て聞いてはいけないことを聞いてしまった。
「アリス、わたくしと組みませんこと?」
「構わん」
う…浮気者!なんてひどいことを!この独白は決して届かない。だけどルーシーにはきっとわからない!友達が少ない僕みたいな人間には一人でさえ貴重ということに!

「えっと、サーシャ様…!私と一緒にやってもらえませんか…?」
天使はいた。希望はあった。
「うん、ありがとう。はいよろこんで。むしろこちらからお願いします」
僕、明日からローゼンベルクの姓になろうかな。

「知っての通りドーピングや魔法の使用とか不正は禁止だからなー。まあ発動できないように対策はしてるけど」
先生によるテンプレ通りのルール説明が終わったあと、まず女子は20メートルの区間を一定時間内に往復する持久力のテスト、いわゆる"シャトルラン"に連れていかれた。他の学校では一定距離のタイムでスタミナを測る"持久走"が行われるそうだが、どちらがいいかは定期的に議論の的になっている。

「5秒前、4、3、2…」
無機質なガイダンス。カウントダウンの末、地獄が始まった。8つの音階が行ったり来たり、走っては折り返し、折り返してはまた走る。繰り返していくと一定回数ごとに加速する8音。まだリタイアは極僅か。ここからがスタートと言わんばかりに皆が本気を出し始めている。…それで今は何回だっけ?
「27」
ダメだ、多分酸欠で意識が飛びかけ音すら聞けなくなっていた。
「28」
それが僕の聞いた最後の音だった。

「サーシャ様…?その…大丈夫ですか?」
目が覚めた時にはマリーの膝の上にいた。記録28回。もうこれだけでくたばってしまいそうなぐらいには疲れきってるよ。でもまだ倒れられない(もう倒れたけど)。マリーの記録も測らなきゃいけないからね。

そんなわけで僕が記録係になる。座ったままでいいから楽だね。
ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド、片道。ド、シ、ラ、ソ、ファ、ミ、レ、ド、一往復。こうやって見るとやはりかなりハードだ。必死に走る中にはスライディング敢行する者までいる。戻ることをまるで考えていない。
…で、マリーはどこに行ったかって?…………。

「サ…サーシャ様〜……」
既に体力の限界を迎え僕に抱きついていた。実にその記録、15回。おいおいウソでしょ。100キロオーバーの銃を乱射できる(ばけもの)の力がそんなもんなわけあるまいな。
「前にミニガン持ってたでしょ!なぜにそんなへばってるんだい」
「私…少し病弱で…あとアレを持てるのにはちょっとカラクリがあるんです…」
カラクリ?マリーが閉じてた手を開き指を伸ばして見せる。同時に目に反射した光が飛び込む。この動きと八つの煌めきに関係があるとしたら……
「指輪…もしかしてその指輪?しかも多くない?」
「はい、この指輪…これが大事なんです」
指輪か。しかも両親指を除いた八本の指につけている。薔薇の意匠を施した綺麗なデザインだし、手入れされてるのかシルバーだからか空を反射して青く輝いている。しかし気になるのは指輪の先に付いた尖った装飾の部分だ。
「でも…ちょっと今は説明できません…」
「今…呼吸するのもつらいぐらいには体力が…」
「…僕以上に大丈夫?」

その後もマリーと僕はあがき続けた。……極めて低レベルだったけどね。

長座体前屈。体を一折り、腰からアバラにかけてボキッと嫌な音が響いた。
「……折れたかも」
「サーシャ様!?」
ちなみに保健室に行ったところ折れてなかったらしい。よかった!

立ち幅跳び。どうやらまだルーシーも測ってなかったみたいだ。
「サーシャ?マリーと一緒でしたの?」
「ルーシー…君のせいでペアを見つけるのに相当苦労したんですけど?」
「見つかったならよかったじゃないですの。わたくし以外の友達ができたということでしょう?」
「それはそうだけど…そうじゃない!」
なお、ルーシーにはダブルスコアをつけられ負けた模様。その跳び姿は"飛び"という言葉の方が似合うぐらい美しくて滞空時間の長いものだったよ。敵ながら惚れ惚れしたね。

握力測定。またもバキッ、っと折れた音が聞こえたが今度は僕の体からじゃない。あっちで己が握力を試す男子、その手のひらの中からのようだ。ガイアと…隣にいるのは?
「やるじゃないかユーリ。でもやりすぎな気もするけどな」
「お前さん力強いんだな。見事なもんだぜ」
「……弁償させられたりしないか?」
ただのモブと握力計を破壊した張本人、ユーリ・タッカーか。ユーリについての話はあまり聞いたことがない。力が強いのは羨ましいけど、ここまで来たら日常生活で力加減に困ったりするのかな?今度ガイアづてに聞いてみようかな。

足首を砕きそうになったり、肋骨が折れそうになったりするハードな時間を乗り越えて、すべての項目が埋まった。それぞれに点数をつけ、合計をランクに照らし合わせると…
「ギリギリD判定かな…?足だけは速くてよかったー!」
何を隠そう、僕はクソみたいな燃費(スタミナ)のわりに足が速く、50メートル走は6秒台だったのだ。体が軽いというのは加速に必要なエネルギーが少ないということ、思ったより体が小さいのはメリットかもしれない。
……前言撤回。やっぱトータルで見たらマイナス確定。パワー不足はデメリットにしかなりえないのだ。


授業終わり、グラウンドに残り先生にあの謎(禁忌)について聞いてみることにした。
「あの、キリル先生」
はたして本当に問うべきなのだろうか?僕のそばで話を聞いていたルーシーやマリーも知らなかった。帰ったあとに家の書庫やニコラさんの知識を一通り漁ってみたけどまるで答えは得られなかった。だからといって、これを言ってしまえば命に関わる危険に先生も巻き込んでしまうことになるのではないか?
…伝えることを頼れる先生《おとな》だと信頼してる証として、やっと思いを固める。
「先生は"禁忌"って知ってますか?」
先生は数秒考え込むとこう返した。
「悪いがその質問にはお答えしかねる。なぜなら俺は一切知らないからな」
手がかりなしか、それどころか無意にリスクだけ背負わせてしまったのかと思っていると、
「だがルミナなら知ってるかもしれんな。今度図書館に行ってみろー」
と続けた。図書館のルミナ…生徒?先生の同僚?それでも図書館に現れる怪異ということはあるまい。善は急げ。明日行ってみよう。


いや、急げというなら本来は今日行くべきなのかもしれないけど、今日はもう体力が底を尽きてるから仕方ない。うん。ほんっとーに仕方がない。