"水獣"サーシャと禁忌の呪詛 ‐水影に潜む過去の残滓‐

昨夜は車に乗せてもらい、その後家で治療をしてもらった。疲れて倒れただけで大した外傷はなく、しかもルーシーが帰りの車で応急手当の汎用回復魔法を使ってくれてたらしく、おかげか治りも早かった。ルーシーめ、メイドさんを介さずに直接言ってくれればいいのに。感謝のタイミングがわかりづらくなっちゃうよ。

さてさて、昨日はあんな目にあったけど、気を取り直して学園生活再開だ。昨日の自己紹介でマイナスイメージがついてないといいんだけど…
「あ…あの…」
さっそく話しかけてくれる人がいた。つまり意外と絶望的な心象にはなっていないのだろうか?細い希望を持って声を聴く。それよりもか細い声で話すこの少女の名は、
「こんにちは…マリーです…。あなたは…サーシャ様、ですよね?」
マリー・ローゼンベルクだ。黒を基調としたどこかメイドを思わせるような服装に、リアルでは逆にあまり見ることがないツインテール。丁寧に手入れされた藤色の髪が腰の辺りまで伸びている。僕が言うのもなんだけど、かわいいんだからもっと自信を持てばいいのに。
「ルーシー様とは…その…お知り合いなんでしょうか?」
「ルーシーとは知り合いというか…友達?いや、姉妹だよ」
ガイアにされたのと同じような質問だけど、今度は姉妹であることを初めから伝えてみる。驚かれたりするのかな?似てはないからね。
「姉妹…」
まあその反応になるよね。逆にガイアの適応力が高すぎるんだよ、たぶん。

そういえばローゼンベルク…名前は前に聞いたことがある。
「ローゼンベルクって結構いいお家柄だよね?失礼な質問でごめんだけど」
「いえ…今はそれほどでも。昔の話だそうです。テレス…テレストリア・ローゼンベルク様の時代はゼブル様たちとも近い関係だったそうですが…今はそこまででもないみたいです」
テレストリア?名前は聞いたことあるような気もするけど…ルーシーや養父さんなら知ってるかな?後で聞いてみよう。
「ところで、なんで声をかけてくれたの?友達ならもちろん大募集なんだけど…なにか力になれることはある?」
「えっと…その…この街について教えてもらえないでしょうか…?あっ…もしよければです…」
「私…ローゼンベルク家は隣国にあるので…この街に引っ越してきて時間があまり経ってなくてまだ分からないことが多くて…」
なるほど、確かにそうだ。マリーの実家"ローゼンベルク家"のある国"ラリーパ"はこの学園(と僕の家)がある"ルスラシア"の隣にある。逆になぜ今まで思い出せてなかったのか不思議なぐらい、国外にあるんだった。
「いいよ。放課後、買い物ついでにこの街のおすすめスポットでも教えるね」
「あ…ありがとうございます…。よろしくお願いします」
この街はそれなりに広い。卵が先か鶏が先かは知らないが、"レウシア"というこの街にはビル街から駅地下街、そして同じ"レウシア"の名を冠する高校がある。緊張気味の少女の憂いを祓うために、どこに向かおうか。思案を巡らせ30分、終業のチャイムが鳴り響く。

今日は午前だけで授業は終わり。ルーシーに用事がある、と伝えるとルーシーはルーシーの方でやりたいことがあるらしく、快く送り出してくれた。そのまま僕はマリーを連れて校舎を飛び出したのだ。
学校を出て最初に向かうは校門前の大通り。"レウシア"はルスラシアでも結構な大都市だ。学校の前ですら人で賑わっている。大通りに沿って西に2ブロック進んだ先には複合商業施設"ブラント・コート"がある。学生から社会人まで、帰り道にここにお世話になる人もかなり多い。
「"ラリーパ"にも多分似た感じのところあるよね?」
「はい、家の近くにはなかったのですが…連れていってもらったことはあります」
やはりこういう巨大なお店はどこの国にもあるものか。今度他国に旅行するときは違いを探すのもいいかもしれない。

自動ドアから中に入ると、一階には食品コーナーが広がっている。パンや麺など主食から、肉、魚、野菜…とにかくなんでもある。お菓子すら置いてあるから小学生にも大人気。僕が子供の頃は駄菓子屋に行ってたような気もするけど、近所のお店は潰れちゃったからな。今の少年たちにとってはここが戦場、そして憩いの場だ。
しかしここに来た理由は正確にはこれじゃない。
「マリー、上行こう!」
「は…はい」
エレベーターで階を跨ぎ上昇する。二階には漫画も売ってる本屋があり、四階はゲーム漫画や、アニメのグッズが大量に置いてあるお店のフロアとなっている。その先の五階はあらゆる属性に向けた服が並ぶファッションエリア、最上階たる六階はラーメンからスイーツまでなんでも楽しめる食の楽園だ。しかし僕たちが参る三階は子供向けフロア、特撮の武器や知育玩具がメインの場所だ。されどここには同時にゲームセンターがある。確かに駅の方にもゲーセンはある。しかしだ、買い物ついでにすぐ遊べるという利便性はあちらにはない利点。しかも子供向けのクレーンゲームやエアホッケーだけじゃなく格ゲーの筐体なども置いてある。子供というにはちょっと老いすぎた我々も楽しめる設計となっているとは、なんと素晴らしい。色々眺めているうちに、遊戯台の行列の一角にあるものを見つける。あれは…!!

「マリー・ローゼンベルク…サーシャ・デュアペルはゼブル家代理として…貴殿に決闘を申し込む!」
「け…決闘…ですか?」
「…ごめん。これ一緒にやってほしいだけ。一度こういうかっこよさそうなこと言ってみたくてさ…」
メダルゲーム。リアルマネーをゲーセン専用のメダルに両替して、ゲームを遊んで増やしていくもの。実際は負け続けて3分で全てを失うか、勝ちに勝ってメダルが溢れて困るかのどっちか。余ったメダルを保管してくれるお店もあるけど、そんなのはどうでもいい。今大事なことはひとつ。
「一時間後にどっちのメダルが多いかで勝負しない?」
どちらのメダルが多いかだ。
「勝負ですか…はい、お願いします」
乗ってくれたようでなにより。意外と勝負事には自信があるのかな?メダル100枚からのスタートで、増やし方は自由。どのゲームでもいい。そう取り決めてメダル購入、決闘の始まりだ。
「よしっ、これがいいかな」
叩いて被ってジャンケンポン。じゃんけんで勝ったら右のボタンで相手の頭をひっぱたき、負けたら左ボタンでガードするゲーム。序盤は運には頼らず実力勝負、手堅く堅実に枚数を増やす。元手がなければ大勝負には勝てない。富める者はますます富む、メダルゲームでもそれは変わらないのだ。5枚が2倍になっても10枚だけど、元が500枚なら1000枚に。大きく賭けることができるならリターンも大きくなる。
じゃんけんぽん!グー対チョキ!右ボタン!
じゃんけんぽん!グー対パー!左でガード!
じゃんけんぽん!チョキ対チョキ!あいこならもう1回!
じゃんけんぽん!じゃんけんぽん!じゃんけんぽん!

この完璧な理論で負けるわけがない!そう思ってた時期が僕にもありました。
所詮世の中は運ゲーです。次に挑んだのはメダル落としの台、されどいくら突っ込んでも一枚も落ちてこないのです。失ったものを数えるのはよくないとわかっているはずなのに、取り戻すべくメダルを追加投入。30分で素寒貧。はいっ敗北確定。マリーの方を見てみるとメダルが大漁、大勝ち…!ってわけでもないみたい。マリーはマリーでツイてないみたいで。
追加で待つこと30分、マリーとメダル入れバケツを見せあった結果は両者0。イーブンだった。
「引き分け…ですね…」
「お互い不運だねー」
うーむ、スッキリしない結論になってしまった。この痛み分けの感情をどうやって処理するべきだろうか…?
「ここは」
ずるずる。
「僕おすすめの」
ずるずる。
「ラーメン屋なんだよ」
ずるずる。ここは街のラーメン屋、全国展開してるような有名チェーンではないが、それでもおいしい地元に愛されるお店だ。僕はこのお店を特に気に入っている。なにせ僕がラーメンにハマるきっかけになったのだから。
ラーメンは神の(もたら)した奇跡、というのが中学三年間で僕が掴んだ結論、そして真理だ。物が上から下に落ちるのと同じ不変の原則。味も種類も豊富で、同じスープでも麺の硬さや太さで差を出すこともできる。しかも野菜や肉も摂れる完全食。これを至高の食と呼ばずして何をそう呼ぶべきなのだろうか。
「マリーも何か頼む?」
「えっと…サーシャ様のおすすめを聞いてもよろしいでしょうか…」
「あっさりめの塩ラーメンがいいんじゃないかな。脂も少なくて健康的だよ」
たぶん万人向け、かつその中でいちばんおいしいラーメンは塩で間違いないだろう。現代は健康志向だ。誰もがお手軽に健康を求めている時代には、一食でその日必要な栄養すべてを摂れる完全栄養食セットもある。10年前のはまだ四角いプレートに入った無機質(ディストピア飯)な見た目で、味もよくなければ触感もすり潰したペーストばっかで単調・歯ごたえもなかった。それが今や(超高額といった代償はあるにしろ)そこらの個人店が破産するほどにはおいしく、見た目もよくなっている。人間の食への追求というのは恐ろしい。味も健康も両方取ろうとしてしまうのだから。
「…ラーメンに健康的の概念はあるんでしょうか?」
純粋な疑問。だけどあるんだよマリー。塩ラーメンは僕の食べている脂たっぷり・こってりの豚骨に比べたら遥かにヘルシーなんだから。相対的にはあるんだよ。…きっと。

空になった器を残しラーメン屋を出て、マリーと共に駅前に行くことにした。満腹になったためなのか、マリーの緊張も少し解けているような気もする。それともこれぞラーメン効果…?
「時々はここに一緒に食べに来ない?」
「それ…いいですね…!」
それはよかった。ラーメンを一緒に食べる友達なんていなかったから。ルーシーは「行きますわよ」って具合に自分の食べたいお店に連れていくタイプだったしね。

腹ごしらえの次は駅前に行くことにする。駅前は最も人が多い場所で、人数に比例して建物も広く大きい。駅ビルはなんと脅威の20階建てだとか。国外にも展開してるような有名店舗がすごい数集まっている。もちろん、外国からやってきたチェーンもあるし、それこそマリーの故郷"ラリーパ"の店だってある。
駅に近づくほどオフィスビルが増え、住宅は減っていく。都市ジャングルに踏みいりつつあることを理解すると、迷わないように手を繋ぎながら二人進む。

ビルとビルの隙間を抜ければあとちょっとでゴールだ。人二人でいっぱいの幅しかない狭苦しい道を進んでいると、前からも人影が現れた。普通なら片方に寄って来る相手を避けるのが筋だ。だが影にはその意思が見られない。なぜなら、僕と"お話"がしたいのだから。
「やあ、昨日は三馬鹿が世話になったね。サーシャくん」
黒フードの男。まさかまた。
「お知り合いなのですか?」
「いや…僕は知らない。 あっちは僕のこと知ってるみたいだけど」
薄々勘づいてはいる、というか今の発言で確信できる。昨日僕とルーシーを襲った連中の仲間だ。
「サーシャくんだね?お察しの通り俺は昨日の三人の仲間だよ」
「えっと…"禁忌"って呼ばれるのは嫌なんだよね?じゃあ"水獣"のサーシャくん。君の善性に期待してひとつお願いをしようか」
別に"禁忌"と呼ばれるのがそこまで嫌なわけではないけど。ただわけがわからないから説明しろと言いたい。それより今気になるのは"お願い"の中身だ。ろくなものではないだろうけど確認はしてみよう。
「お願いっていうのは?」
「まあそっちもなんとなくはわかるよね。ズバリ、俺と一緒にある場所に行ってほしいんだ」
誘拐というか連行というか。
「断ると言ったら?」
「横の彼女…ローゼンベルク嬢を殺す。ついでで君も殺して持っていくことにするよ。君と同伴者が死ぬ分には構わないというのが我々の見解でね」
なるほど。やはり"禁忌"とは僕を殺すに値する理由なのか。ますますわからなくなってきた。なぜ僕にそんなものが?なぜ彼らが僕を狙っている?
でも今はそんなことどうでもいい。よくはないが…今は巻き込まれたマリーのことを考えるべきだ。僕が捕まるフリをしてそのあと逃げるのが最善手…ほんとにそうかな?場合によってはマリーの命にも手を出す組織なら僕がおとなしく捕まったところで現場を見ていたマリーを殺す、とならない保証はあるのか?いろいろ策を練るうちに時間が切れてしまったらしい。
「…サーシャくんには退く意思が見られないね。じゃあローゼンベルク嬢、君に提案しようか」
「サーシャくんをこっちに渡してくれ。そうしたら君の命は助けてあげるよ。さあ、どうする?」
マリー…それでいい。自分から殴りかかったルーシーならともかく、わざわざ危険に巻き込まれることはない。マリー、答えは「はい」だよ!
「サーシャさん…ここは私に任せて…先に逃げてください!」
予想外の言葉だ。確かに僕が彼女の立場ならそう言ってるかもしれない。だけどそんな選択できない。というよりしたくない。それにそれは死亡フラグだ。出会ったばかりといえど同級生は死なせたくない。
「マリーが気にすることはないよ。僕が背負った因果で他の人に迷惑はかけられない」
ルーシーは強いし、喧嘩を売る相手には強く出る。自分で売った喧嘩なら傷つくことも構わないという戦闘民族だ。それに、ルーシーの強さと好戦的な性格はよく知っている。だからこないだ一緒に戦ってもらった。でも、マリーはそうじゃないかもしれない。…悪い言い方をすれば、僕を守りながら戦えるほど強いとは思えない。強き者は得てして傲慢な性格をしているものだ。能ある鷹が爪を隠すように控えめならまだわかる、でもマリーの振る舞いには怯えのようなものまである。だから一億歩譲って僕と一緒に戦うとかならまだしも、置いて逃げるようなことだけはできない。
「大丈夫です。サーシャ様が逃げる時間を稼げるぐらいには強いと思っていますから」
「それに、サーシャ様には笑っていてほしいんです。私とも仲良くしてくれた、優しい人には幸せになってもらいたいんです」
マリー…早く逃げろといってるでしょうが!
「感動マックスの友情劇は済んだか?もう時間切れだ、二人とも殺す」
強引に話を終了させてきた。男が拳銃を取り出したのが見えた時には、既に三発がこちらに向かって飛んでいる。狭い一本道ではどちらかは当たってしまう。どうすれば…!
「サーシャ様!とりあえず…私の後ろに隠れてください!」
無理やり腕を掴まれマリーの後ろに引きずられる。ダメだマリー!銃弾を庇って怪我しないなんて漫画(フィクション)だけの話だ!
いや、そうでもないのか?そもそもなんでマリーは僕を片手だけで自分の後ろに隠せたんだ?なんでマリーは僕に逃げろと言ったんだ?
思えばマリーはゲーセンの勝負には乗り気だった。弱々しい話し方の割に。じゃあマリーはもしかして…その予感は的中した。
マリーがスカートの中からナイフを引き抜くと、それで虚空を切りつける。切られた箇所に空の色と違う"ポータル"と呼ぶべき裂け目ができたかと思えば、銃弾を飲み込み消してしまった。それに弾丸に当たれば人は死ぬ世界でそれに臆していなかった。マリーは強かったんだ。僕よりも遥かに。
「銃弾が消えた…まさかお前!」
「はい…空間操作能力です」
空間操作。それは時間操作に並ぶ強力な魔法であり、大衆の憧れでもある。瞬間移動から浮遊、そしてマリーのような異空間との接続まで、スケールも強さも絶大だ。それこそ大きな特徴と呼べるものがない水魔法使いからしたらめちゃくちゃ羨ましい。
また二発、三発と撃ち込まれるも、その度に裂け目を生み出し銃弾を防ぐマリー。ナイフを持つ右腕に迷いはなく、向かってくる銃弾の位置に合わせて正確に対処する。
「他の次元へのゲートを作るのか…」
「それがどうした!!それをやられる前にお前をぶっ殺せばいいだけの話だろ!!」
懐からもう一丁を取り出すと正面で構える男。前のナイフ使いが二刀流なら、こいつは二丁拳銃か。
「来いよ!そのナイフで俺の首を狙うつもりならその間にサーシャはお陀仏だぞ!」
「そ…それなら…」
マリーはナイフを垂直に下ろし、頭から膝元までの空間を引き裂く。裂け目から選び出したのは、マリーが己が能力で持ち歩いていた銃器。それも、いわゆる"ミニガン"だ。六つの銃身を備えた、相手が痛みを感じる前に殺すことも容易なほど威力と連射に優れた銃器。一方でその代償としてとてつもない重さを持ち、常人では持ち運ぶことはおろか構えることもできないような代物。西武のガンマン同士の撃ち合いなら間違いなく反則だ。
「はわっ!?なんだよそれ!!それなんなんだよおっ!!」
「えっと…じゅ…銃弾、お返ししますね!」
動揺してキャラが保てていない男を容赦なく撃ち抜く鉛の雨。嵐の夜より酷く耳を貫く銃声が残したものは、過剰すぎる意趣返しとその後の静寂、あとは倒れた成人男性だけ。仲間のはずの僕でさえ意外性に静かにならざるを得なかった。
「あの…サーシャ様…お怪我はありませんか?」
うん、怪我はない。だけどいろいろ衝撃的で何も考えられない。クソ重い銃を軽々と手に持っていたこと、街中で暗殺者に会っても平然としていたこと、そしてマリーが戦闘ではいつもの弱気さを捨て平静になれること。フリーズしてても怪我がないとわかった僕に、少しばかり笑顔になったツインテ少女は一言、
「次はどこのお店に行かれますか?」
なんだかんだ襲撃を無傷で乗り切っ(てしまっ)た。これも全てマリーのおかげだということで、僕はいつもケーキを買いに行くスイーツ店に彼女を招待するのだった。駅ビルのガラス張りの12階。この位置からだとビル街の先の学校まで見えてしまうぐらい眺めがいいね。20階からだともっときれいだと教えてあげようかな。
「なに頼んでもいいよ。助けてもらったお礼ってわけではないけど奢らせてもらうね!」
「ほ…本当によろしいのですか…?」
首を縦に振りまくる、このまま続けるともげるぐらいには。ヘドバンを見た彼女は少し戸惑いながらも、
「で…ではこちらをお願いします…」
メニューにデカデカと現れているいちごたっぷり・いちご山盛りパフェの"ザ・イチゴ・マウンテン〜ローズ&ベリーソース風味〜(税込3700円)"を注文した。…なんでそこはストロベリーじゃなくてイチゴなんだろう?

「このお店のスイーツ…お…おいしいです!」
満足していただけたようでなにより。僕も嬉しいよ。
「いちご好きなの?」
素朴な疑問。それに"ザ・イチゴ・マウンテン〜ローズ&ベリーソース風味〜(税込3700円)"を食べている少女は、
「いちごは大好きです。それに…これを食べてるとおじい様のことを思い出すんです」
と返してくれた。おじいちゃんか。おじいちゃんもいちごが好きだったのだろうか?
「おじいちゃん?」
「私、ちょった事情があって…お父様やお母様よりもおじい様と過ごした時間の方が長いんです」
「それと"ローゼンベルク"は私の国の言葉で"薔薇の山"を意味しています。だからかローゼンベルク家では誕生日にいちごのケーキを食べているんです。おじい様の作ってくれたケーキはいつもおいしくて…だからいちごが好きになったんです」
なるほど。いちごってバラ科なんだっけ?そのつながりなのだろうか。それはともかく、おじいちゃんとは仲がよかったんだね。よかったよかった。…親子関係はやや不穏みたいだけど。

「あっ、すいません…。私の事ばかり話してしまいました…えっと…勝手ですけどサーシャ様の話も聞いてみたいのですが…よろしいですか…?」
「いやいや、全然大丈夫だよ。じゃあ僕はルーシーとの話でもしようかな…」
せっかくで頼んだ季節外れの"ウォーター・スイカ・パラダイス(税込み880円)"(ウォーターメロンじゃないのかと疑ったけどほんとにスイカだった!)を口に放り込みながら、ひんやりパフェを溶かすような熱を持って過去を語りだす。

「ルーシーはさ、僕のことを助けてくれたんだよ」
あの日だ。ルーシーと初めて会った日。そして、ルーシーに初めて助けられた日。僕はその日のことを、正確にはその日よりちょっと前までのことを覚えていない。9歳の夏頃だっただろうか。その日は夜も暑かったんだ。僕の倒れていた廃墟は炎に包まれていたから。空は暗いのに僕の周りは明るくて、それがよかったんだろう。街外れの明かりを見たルーシーが好奇心でやって来て、目の当たりにしたのが飛び散った瓦礫と潰されかけていた重傷の子供。おかげで見つけてもらえた。

「諸事情あってゼブルに迎え入れてもらったらルーシーが年が近いからか遊びに誘ってきてね、そこから仲良くなったんだよ」
「昔から強引でね、『ここに行きますわよ』って言っては無理矢理手を引っ張って…なんど腕がちぎれそうになったやら」

両親の所在も不明で僕もそれを覚えていなかったからどこに行くべきかでしばらく悩んでいた。僕だけじゃない、ニコラさんやメイドさんまで含んだゼブル家のみんなが。一方でただ一人、ルーシー(8)だけは、
「放っておけないですの」
と家に置くことを強く言い続けていたらしい。ルーシーの強引さかニコラさんの娘への甘さ、あるいはその両方のおかげで僕はゼブル家として過ごすことになった。
過去、マリーとの出会い、それと幼き日々の記憶をざっくり思い出すとこんなものかな。でも、マリーに伝えるのは楽しい部分だけで十分だ。マリーもきっと重苦しい部分を出さないよう配慮して親との事情を話さなかったんだろうからね。

「……そんな感じでさ、今日までずっとルーシーには感謝しております!ルーシーという友達(いもうと)のおかげで一人ぼっちにならずに済んだから!うざったく思うこともあるんだけどね」
「サーシャ様はお話がお好きなんですね、聞いていると楽しい気分になります」
「まあね、好きなことと自分について語らせるときは饒舌ってよく言われるよ」
そう、僕は基本的には人付き合いがうまくないし、話もうまくないけど、特定のジャンルの話だけはすらすら出てくるのだ。だからこそ友達が少ないのかもしれないが。

「今日はありがとうございました。サーシャ様とレウシアについて知れたし…楽しかったです」
「こちらこそ。じゃあまた明日、学校でね」

明日の再開を誓ってマリーも家に向かったところで、今日の振り返り。マリーについてわかったことはみっつ。ひとつ、マリーはかわいい。パフェを食べてる時の笑顔は誰でもかわいいけど、マリーは特段かわいい気がする。ふたつ、マリーは強い。筋力もすごそうだったけど、何よりも能力の格が全然違う。そしてみっつ、マリーは容赦ない。確かになんでもいいとは言ったけども4000円近いいちごパフェを頼んだりするし。こう思うのはちょっとケチくさいか…
なんでだろう、マリーへの評価が甘い気がするぞ。弱弱しい立ち姿への庇護欲か?それとも…マリーの天稟魔法(てんぴんまほう)はほんとは精神操作だったり…?
マリーとお出かけした次の日、今はもう昼休みも終わって5時間目が始まる前だ。5時間目は体育、脇腹が痛くなりそうでなんとも嫌な時間の授業だ。悲しきかな、着替えのために男子は外に追い出され女子だけが残る。はたして彼らが送られた男子更衣室は教室(ここ)よりもいい場所なのだろうか?

女子更衣室(ここ)を天国と考える男子は一定数いるようだけど、ここは別に天国でもなんでもない。背が低く、それ相応に出っ張りのない体型をしている僕にとって周囲の人物は憤怒の情を向ける的になれど、羨望と芸術の対象にはなりえない。これは嫉妬ではない。断じて嫉妬ではない。間違いなく嫉妬ではない。

着替えを終えて、ルーシーを連れてグラウンドに降りる。三階の教室から一階に降りるのには時間がかかるし疲れるから来年は一階の教室がいいな。なにせもう脚が疲れを感じている。グラウンドに着いても終わりじゃないからなおのこと疲れる。広すぎるんだよ、グラウンド。集合場所まではもう100メートルもないはずなのに、体感はその四倍だ。すでにへとへと、グラウンドのど真ん中にへたり込む。

少し遅れて先生が来訪。集まった約30人に指示を飛ばす。
「全員集まったか?じゃあ一列五人で座っといてくれー」
この声…聞き覚えがあると思ったらキリル先生か。我らが担任は体育教師だったのか。確かに結構な筋肉だけど。服の上からはわかりにくいもんだね。明らかになる新事実に感心しながら三角座りしていると、先生はこう続けた。
「たぶん知ってると思うが…今日は体力テストの日だ」
体力テスト…中学どころか小学校の頃から続けて十回目、僕はこのイベントがかなり嫌いだ。全てが個人技。仲間に頼れば最悪なんとかなるチームスポーツならともかく、己の弱さを衆に曝け出すようなこんなイベントなど必要あるか?そして僕がこれを嫌っている理由はもうひとつある。
「二人組を作ってもらおうか、適当にやっとけー」
そう。これだ。僕の同類(いんきゃ)にはこの恐怖をたぶんわかってもらえるはず。だが僕は問題ない。ルーシーがいるのだから!さあルーシー、僕と組もうじゃないかーーと言おうと思ったその時、僕は見てはいけないものを見て聞いてはいけないことを聞いてしまった。
「アリス、わたくしと組みませんこと?」
「構わん」
う…浮気者!なんてひどいことを!この独白は決して届かない。だけどルーシーにはきっとわからない!友達が少ない僕みたいな人間には一人でさえ貴重ということに!

「えっと、サーシャ様…!私と一緒にやってもらえませんか…?」
天使はいた。希望はあった。
「うん、ありがとう。はいよろこんで。むしろこちらからお願いします」
僕、明日からローゼンベルクの姓になろうかな。

「知っての通りドーピングや魔法の使用とか不正は禁止だからなー。まあ発動できないように対策はしてるけど」
先生によるテンプレ通りのルール説明が終わったあと、まず女子は20メートルの区間を一定時間内に往復する持久力のテスト、いわゆる"シャトルラン"に連れていかれた。他の学校では一定距離のタイムでスタミナを測る"持久走"が行われるそうだが、どちらがいいかは定期的に議論の的になっている。

「5秒前、4、3、2…」
無機質なガイダンス。カウントダウンの末、地獄が始まった。8つの音階が行ったり来たり、走っては折り返し、折り返してはまた走る。繰り返していくと一定回数ごとに加速する8音。まだリタイアは極僅か。ここからがスタートと言わんばかりに皆が本気を出し始めている。…それで今は何回だっけ?
「27」
ダメだ、多分酸欠で意識が飛びかけ音すら聞けなくなっていた。
「28」
それが僕の聞いた最後の音だった。

「サーシャ様…?その…大丈夫ですか?」
目が覚めた時にはマリーの膝の上にいた。記録28回。もうこれだけでくたばってしまいそうなぐらいには疲れきってるよ。でもまだ倒れられない(もう倒れたけど)。マリーの記録も測らなきゃいけないからね。

そんなわけで僕が記録係になる。座ったままでいいから楽だね。
ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド、片道。ド、シ、ラ、ソ、ファ、ミ、レ、ド、一往復。こうやって見るとやはりかなりハードだ。必死に走る中にはスライディング敢行する者までいる。戻ることをまるで考えていない。
…で、マリーはどこに行ったかって?…………。

「サ…サーシャ様〜……」
既に体力の限界を迎え僕に抱きついていた。実にその記録、15回。おいおいウソでしょ。100キロオーバーの銃を乱射できる(ばけもの)の力がそんなもんなわけあるまいな。
「前にミニガン持ってたでしょ!なぜにそんなへばってるんだい」
「私…少し病弱で…あとアレを持てるのにはちょっとカラクリがあるんです…」
カラクリ?マリーが閉じてた手を開き指を伸ばして見せる。同時に目に反射した光が飛び込む。この動きと八つの煌めきに関係があるとしたら……
「指輪…もしかしてその指輪?しかも多くない?」
「はい、この指輪…これが大事なんです」
指輪か。しかも両親指を除いた八本の指につけている。薔薇の意匠を施した綺麗なデザインだし、手入れされてるのかシルバーだからか空を反射して青く輝いている。しかし気になるのは指輪の先に付いた尖った装飾の部分だ。
「でも…ちょっと今は説明できません…」
「今…呼吸するのもつらいぐらいには体力が…」
「…僕以上に大丈夫?」

その後もマリーと僕はあがき続けた。……極めて低レベルだったけどね。

長座体前屈。体を一折り、腰からアバラにかけてボキッと嫌な音が響いた。
「……折れたかも」
「サーシャ様!?」
ちなみに保健室に行ったところ折れてなかったらしい。よかった!

立ち幅跳び。どうやらまだルーシーも測ってなかったみたいだ。
「サーシャ?マリーと一緒でしたの?」
「ルーシー…君のせいでペアを見つけるのに相当苦労したんですけど?」
「見つかったならよかったじゃないですの。わたくし以外の友達ができたということでしょう?」
「それはそうだけど…そうじゃない!」
なお、ルーシーにはダブルスコアをつけられ負けた模様。その跳び姿は"飛び"という言葉の方が似合うぐらい美しくて滞空時間の長いものだったよ。敵ながら惚れ惚れしたね。

握力測定。またもバキッ、っと折れた音が聞こえたが今度は僕の体からじゃない。あっちで己が握力を試す男子、その手のひらの中からのようだ。ガイアと…隣にいるのは?
「やるじゃないかユーリ。でもやりすぎな気もするけどな」
「お前さん力強いんだな。見事なもんだぜ」
「……弁償させられたりしないか?」
ただのモブと握力計を破壊した張本人、ユーリ・タッカーか。ユーリについての話はあまり聞いたことがない。力が強いのは羨ましいけど、ここまで来たら日常生活で力加減に困ったりするのかな?今度ガイアづてに聞いてみようかな。

足首を砕きそうになったり、肋骨が折れそうになったりするハードな時間を乗り越えて、すべての項目が埋まった。それぞれに点数をつけ、合計をランクに照らし合わせると…
「ギリギリD判定かな…?足だけは速くてよかったー!」
何を隠そう、僕はクソみたいな燃費(スタミナ)のわりに足が速く、50メートル走は6秒台だったのだ。体が軽いというのは加速に必要なエネルギーが少ないということ、思ったより体が小さいのはメリットかもしれない。
……前言撤回。やっぱトータルで見たらマイナス確定。パワー不足はデメリットにしかなりえないのだ。


授業終わり、グラウンドに残り先生にあの謎(禁忌)について聞いてみることにした。
「あの、キリル先生」
はたして本当に問うべきなのだろうか?僕のそばで話を聞いていたルーシーやマリーも知らなかった。帰ったあとに家の書庫やニコラさんの知識を一通り漁ってみたけどまるで答えは得られなかった。だからといって、これを言ってしまえば命に関わる危険に先生も巻き込んでしまうことになるのではないか?
…伝えることを頼れる先生《おとな》だと信頼してる証として、やっと思いを固める。
「先生は"禁忌"って知ってますか?」
先生は数秒考え込むとこう返した。
「悪いがその質問にはお答えしかねる。なぜなら俺は一切知らないからな」
手がかりなしか、それどころか無意にリスクだけ背負わせてしまったのかと思っていると、
「だがルミナなら知ってるかもしれんな。今度図書館に行ってみろー」
と続けた。図書館のルミナ…生徒?先生の同僚?それでも図書館に現れる怪異ということはあるまい。善は急げ。明日行ってみよう。


いや、急げというなら本来は今日行くべきなのかもしれないけど、今日はもう体力が底を尽きてるから仕方ない。うん。ほんっとーに仕方がない。
翌日の放課後、キリル先生のアドバイス通り図書館に来てみた。昼休みに訪ねてもどうやら閉まってたみたいで、いつもなら空いてるはずなのに珍しいとか。
しかし見つけるのにかなり苦労したよ。こないだの校舎探検では見つからなかった。教室よりひとつ上の四階は二つのエリアに分かれていて、校舎の対角線に沿って分断されている。視聴覚室はこことは別のエリアにあったみたいだね。
重たい木製のドアを開けて入ってみると、まだ誰もいない。明かりもついていない、棚がたくさんの広い部屋。分厚いカーテンが閉めきられているために廊下の光がかすかに射し込むだけの薄闇が広がっている。澄んで涼しい空気まで感じる。それなのにどこかから押し潰されるような気味の悪い閉塞感に浸っていると、
「ごめんねぇ、今日は営業日じゃないんだよぅ」
背後から突然気配と声が現れた。以前もガイアが後ろからひょこっと出てきてたけどあれとは質が違う。幽霊が無から現れ背中に触れたかのような感覚。この部屋には僕以外誰もいなかったはずなのに、存在というものそれ自体が増えたような気がした。
妙に延びたような発声も不安を誘う。

「あれ?その顔、もしかして新入生?」
なぜ顔でわかる。図書館に来ないとかで顔を見ない同学年という線もあるだろう。
「こんにちはぁ、私はルミナ・テネブラエだよぉ。君はどちら様かな?」
「はじめまして、一年生のサーシャ・デュアペルです」
ルミナ!キリル先生の言ってたルミナは彼女で間違いないんだろうか。
「一年生…さてはキリルちゃんの差し金だね?」
間違いないみたいだ。…キリルちゃんとは?仲良しだったのかな。
「キリルちゃんはねぇ、私の担任だったんだよぉ。このちょっと延びる感じの口調もキリルちゃんから感染(うつ)っちゃったのかもねぇ」
にしては度合いが極端すぎる気も。まあやり投げな感じのやる気のない延び方のキリル先生、のんびりで「明日のことは明日考える」みたいなルミナの延び方では差別化はできてるみたいだけど。ちょっと待て、そもそもキリル先生いつからあの話し方になった。思えば自己紹介の時は普通の話し方だったと思うけど…
そういえば、ルミナは図書館では何をしてるんだろう。図書館と言えばルミナ、って感じで教えてもらったけど。
「うーんと…私はねぇ、ここで司書見習いをする代わりに自分の秘密を調べさせてもらってるんだよ」
「君にもなにか調べたいことがあるなら手伝うよ、特別サービスってもんだね」
あれ?どこか会話がおかしいような気がする。いや、言葉の応酬は成立してるしお互いの意思をお互いが理解してるはずだ。だけど何かが抜け落ちてるような。何が?

「ラリーパの郷土史とローゼンベルクの歴史について調べに来たんです。この間友達からテレストリアという名前を聞いたので」
"禁忌"についてはごまかす。暫定的でも関われば命を狙われるのだからなるべく隠し通した方がいいだろう。もう知ってしまった人(とキリル先生)はともかくとしてもね。それに元々ローゼンベルク家についても調べたかったんだ。嘘は言ってない。
「ふぅん、それだけじゃないんだよねぇ?」
「さしずめ本命は…"禁忌"っていったところかな?」
えっ?思考が読めるのか…?それとも僕は心理テストでもやらされてたのか?そもそもなぜ禁忌のことを知ってる?キリル先生から聞いたのか?疑問が絶えない中、答えが明かされるまではそう遠くなく、
「なんてね、勘だよ勘。他人の考えてることがわかる人なんてそうそういないよぉ」
異様な勘のよさとわかった。意外とマジックに種や仕掛けはないものか。
「そこで思考をやめちゃいけないよ」
え?
「それってどういう……」
「違和感がなかった?私との話」
確かにさっき違和感は覚えていた。でも結局その正体はわからずじまい。これに答えがあるのか?
「会話はキャッチボールっていうでしょ?さて、でも君は今本当にキャッチボールをしているのかな?これはトスバッティングだとは思わんかね?」
「トスバッティング…」

トスバッティング。ボールを近くからゆっくりふんわり投げてもらい、それを打つ野球の練習。一方、キャッチボールとはボールを取りやすいように投げ合うこと、会話においては相手に意図が伝わるように考えて言葉を発することだ。お互いに。
…そういうことか。対話と思っていたけどそれは最初の方だけで、実際はルミナが話しているだけだ。つまり、僕はテレパシー的に思考を伝えている…というよりは読み取られていたのか。
「"禁忌"について考えてたことも含め…なんらかの方法で心を読んでたんですよね?」
「正解だよぉ。それじゃその調子でもう一問いってみようかぁ」
「さて、じゃあどうやって私は君の心がわかってたのかな?ヒントはこのうすぐらーい部屋だよぉ」
ヒント曖昧すぎるだろ…!この部屋が暗いことと心が読めることになんの関係が。
「さすがに範囲広すぎたかな…じゃあ『いつもそばにいるのに今は見えないもの』がヒントだよぉ。これならどうだぁ!」
いつもそばにいる…ルーシーか?いや、だとしたらそれが日頃の僕の趣味嗜好を看破する材料になるとしても、今の僕の思考はわからないはずだ。服?たしかに全裸で出歩く人はそうそういないが、それは薄暗いというヒントには反する。なにより僕は脱いでないしね。
となるとなんだ。いつもはあるのに暗い部屋では見えないもの。見えない…存在自体はしてる?何かに隠れてる?
日が物に遮られた時、そこには影が生まれる。人間に遮られれば、無論人の形をした影が足元にいる。そういうことか。光のある場所なら足元には自分の影が這っている。この部屋は暗くて人の影も部屋の闇に溶け込んでしまう。だから見えない。つまり答えは、
「影に関連するなにかですよね?雑に言えば影に干渉することで色々できる、ってことですか」
「ご名答ぉ。影に訊けばいろいろわかるんだよぉ。誕生日とか好きなものとかもね」
「それだけじゃないよぉ。さっきみたいに影からじゃじゃーん☆と出てこれるし、このぐらいの距離感だったらたぶん殺せるんじゃないかなぁ。影に触ったり溶け込んだりできるって言い方が正確だね」

推測もあってたみたいだ。この質問を試験と思うならば合格、ってことでいいのかな。…ヒントは心を読んで教えてくれたのに答えは僕の口から言わせるんだね。形式や雰囲気にこだわるのかな。
「うん、合格。それじゃ正解したご褒美に私の部屋に連れてってあげよう。図書館には"禁忌"の本は置いてないからねぇ。みんなには需要も興味もないみたいだからね…」
僕の答えを聞き喜び、セルフサービスで落ち込んだ彼女に手を取られ、影を掴まれ連いていく。彼女の部屋はそう遠くなく、貸借りカウンター裏にあるドアの向こう側、より高い本密度のある図書館の倉庫だった。

「ようこそマイホームへ。ここが私の住処だよぉ」
私の部屋って…文字通りの意味だったのか。教室二つ分ぐらい、というかかつてそのサイズの大教室だったのだろうスペースに、それぞれ人一人しか通れない隙間しかないぐらい本棚がぎっちり詰まっている。そして、本来なら黒板や教卓があるべきスペースには勉強机、(おそらく個人用だろう)漫画雑誌やラノベ単行本の山、そしてベッドが綺麗に掃除され置いてある。
「たくさんの本…ベッドもあるんですね」
「寝る前まで調べたい時もあるしここに住ませてもらってるんだよ。家賃は学費に含んでもらってるんだよねぇ」
遅刻しなそうで羨ましい。僕も空き教室かロッカーの住人になろうかな?

「好きなだけ読んでっていいよぉ。私も"禁忌"のやつ探してみるから、探して欲しいのがあったら声かけてねぇ」
さて、まずは1番左にある棚から探してみよう。ここには…漫画の雑誌ばっかじゃねぇか!!振り向いたら今度は別の会社の雑誌が。この行には辞書的なものも置いてないのか?
「あーっと、そこら辺はねぇ、30年前ぐらいから図書館で毎週買って公開してる週刊雑誌の置き場なんだよぉ。旬を過ぎて古くなったやつね。入口辺りに『今週のレヴィ』って書いたポップが置いてなかったかなぁ」
週刊レヴィテーション、略して週レヴィ。ルスラシアどころか世界中で知られる超人気漫画雑誌だ。なんならルスラシア原産ではなく、東洋のウグナピツという国のもの。あの海洋国家は世界に色々な文化を出しているのでルスラシアに限らず、世界中に大勢のファンがいるんだとか。僕がいつも読んでるのもだいたいはウグピナツの漫画で、意外とルスラシアの人が描いたやつは読んでない。

「ほら、雑誌の誌面と単行本掲載でセリフが微妙に変わっちゃったりするでしょ?ファン的には読みたいって人も多いだろうから保存してるんだぁ」
たしかに。言葉の間違いや作画ミスは単行本で修正されることが多い。それはネットミームになったり、ファンの間の伝説になったりするが、どのみちレアものには変わりない。"原典"を欲しがる人も多いだろう。逆に単行本に移す際にミスが出ることもあるが、それはまた別のおはなし。
「これ今度借りてもいいですか。」
「うん、もちろんいいよぉ。ただ図書館の蔵書とは扱いが違うから返す時には私に直接言ってねぇ」
棚全体を回って眺めてから一冊を手に取り、ルミナから借りるための許可をいただいた。帰ったら家の単行本と見比べてみよう。

「それはさておき、"禁忌"について知りたいならこれが見つかったよぉ。こっちにそれっぽいのたくさんあるみたいだから読んでみる?」
見つかってたのか。話しながらでも見つけたのか、それとも僕に色々見せたかっただけでもう場所は知ってたのか。とにかく行ってみよう。やっと真実に迫る時だ。
「はい、これどうぞぉ」
ルミナから手渡された最初の1冊は、"二重人格研究ノート"。しかし、イメージしていたのとは違い、沢山の紙を糸で固定したという、手作業感満載のノートだった。
「えっ、こんな感じなんですか?」
「うん。禁忌はねぇ、一応禁忌と呼ばれるぐらいには危険で恐れられてたの。だからすごい昔に禁忌についての研究を禁止して、闇医者とかの実験してる業界にスパイを送って根絶やしにするって作業をやってたの」
「そしたら研究する人はいなくなって、あとは記憶操作の魔法でスパイと政府高官の記憶を消したら完璧。これでこの世のほぼ全ての領域から禁忌に関する知識は消えちゃったんだ」
「でも矮小すぎる村の口伝や海の底に封印された絵巻みたいなのは排除できなかったの。気づけなかったってのはあるけど、気づいた頃には国のすごい人たちはみんな禁忌について忘れて対処もなにもなかったんだよね。存在すら知らないものをどうこうするってのは誰にもできないからねぇ。だからそれみたいなシンプルな本だけしか残ってないし、そういう本は残ってるんだよぉ」
人の紡いだ歴史が消えることはない、いいのか悪いのかは知らないがそんな言葉を思い出した。それにSNSのない昔でさえ消しきれないんだから、現代ならなおさら無理だよね。消そうとしたらむしろ増えるまであるからね。

さて、ルミナの解説が終わったところで、右手で一枚捲ってみる。章タイトルや目次のようなものはなく、最初のページからびっしり並んだ文字の山と脳の構造が置いてある。目が痛い。僕は小説を読むと活字の多さでダメージが入るのに、この圧倒的物量は脳が破壊される。活字離れの弊害に耐えつつ一ページ読み終えても、禁忌についての記述はまだない。

「……わかんないって顔してるねぇ」
嘘つけ絶対心を読んでるでしょ。ルミナの能力の性質上、この心情も筒抜けなわけだけど。それでも読み続ける。何時間(実際は30分強)経ったかもわからないが、20余枚めくったところでやっとそれっぽい記述が現れた。
「『。この青年は事前の兆候なく、本人の自覚もなく二つ目の人格を得てそれが殺人を起こし逮捕された。』」
「『多重人格の原因には強いストレスや過去のトラウマなどがあるとされているが、それらの一般的な原因が一切介在していないという点も珍しい。そこで、かつて禁忌と呼ばれていた技術が関係しているかもしれない』」
"禁忌"……!やっとたどり着いた。だがこの記述だけじゃわからないな。"禁忌"が妄言でなく実在しうるものだとは分かったのは幸い。次行こう、次。
"日記"。一般家庭にあったのだろうただのノート曰く、「こないだ帰ってきてから弟の様子がおかしい。好きだったはずのハンバーガーを食べずに、東洋のコメを食わせろとわめいている。さらっとあいつの口から洩れた禁忌ってなんだ?」だとか。
"後世に告ぐ"。結界術を駆使し水を弾き、海の底に保存されていたこの本が言うには「"禁忌"の調整は完了だ。私は二人になった。これで寝てる間に勉強ができる。…で、どっちの私がゲームをするんだ?」らしい。
「なんとなくはわかったでしょ?」
「はい、ほんとになんとなく、"禁忌"が人格に絡んでるってことが」
しかし後者民間療法的なノリで"禁忌"使ってない?
「正確に言えば"魂"だねぇ。"禁忌"は魂に干渉する技術なんだ」
魂……一寸の虫にも、とは言うが人間にも本当は魂があるのか?正直漫画とかでしか見たことないんだよね。
「うん、この世界には魂ってものは存在する……はずだよ。少なくとも私の家は魂に関係する呪いがかかってるんだってさぁ。禁忌を調べてるのもその呪いを解決するためだね」
そうだったのか。呪い…ルミナの先祖は何をしたんだろう?一族に続く呪いなら、その代償の分だけ得たものもあるのだろうか。
「それと一つ付け加えておくと、"禁忌"のことは本当に誰も知らない。ほとんどの人はね。君を狙う組織があったとして彼らも深くは知らないだろうし、禁忌そのものが知れ渡ることはたぶん心配してない」
「狙われてるのは君に使われた"禁忌"じゃなくて君自身なんだよ。"禁忌"関係以外の理由は知らないけど」

「うん、みんなその単語を聞いても漫画の話としか思わないよきっと。君だってシリアスな場面じゃなかったらそんなものが本当にあるって信じなかったでしょ?」
そうだ。たしかに命に関わるらしいから不安になっていた。大きな組織がなにか陰謀でも持ってるんじゃないかと怖かった。ルーシーやマリーを巻き込むことにも躊躇がないから"禁忌"そのものが触れてはいけない内容で、僕もろとも関係者はこの世から消されるのかとも思っていた。この白髪(はくはつ)司書・ルミナの前では今の心から過去の記憶までお見通しということか。そういう能力だからだけど。
「それをわかってるだろうから一緒にいでもしない限り君以外が狙われるってことはないと思うよ。『知ってるかも』で殺し続けるのはキリがないしサーシャくんって本題を解決する前に国家権力に見つかって組織が解散ってのは嫌がるはず」
「まあだから安心して。キリルちゃんを巻き込んじゃったんじゃないかってのは杞憂だからねぇ」
彼女なりのやり方の慰めか。こんな接し方をしてくれた…というかできた人を知らないから複雑だけど、心に寄り添ってくれてるってのとそれが確信できるのは本当にうれしいよ。

「そういえばサーシャくんって妄想家?普通の人より心を読む時にノイズが多いんだよねぇ」
「いえ、自覚はないです」
なんの意図を持った質問なんだろう。それよりも、ルミナの能力も完全無欠ではなく、個人の感覚や経験に依存する部分は見抜けないっぽいことがわかった。たぶんルミナが敵になったらそこが弱点だな。
「なるほどねぇ、さっきから道理で変な訳だよぉ」
「君の影から聴こえる声が一人分じゃないのは"それ"のせいだったんだねぇ」
「君は私の"同類(なかま)"かもね」
仲間?そりゃ同じ学校の生徒だし、仲間といえば仲間なんだろうけど…

「エーヴィヒ、出番だよ」
耳に辛うじて届くぐらいのささやきを残すと、ルミナはベッドから毛布を掴み取り、自身の上から被せる。布越しで見えないがしゃがむような動作と共に姿勢が低くなり、最後には床に広がって終わった。毛布を捲ってもルミナはいない。どこへ行ったのかと気になっていると、毛布の下、溶け込んだ影から再び姿を現した。

「サーシャ・デュアペル…でよかったか?」
ルミナの目の色が変わった。比喩表現ではなく、この一瞬で先程まで光たっぷりだった黄金の目は血を思わせる深い赤を見せていた。
それだけじゃない。顔も静かな笑みが保たれていた大きな目から、無表情に近いような細く鋭い眼光に変わっていた。

「はじめまして。オレはエーヴィヒ・テネブラエと名乗っている者だ」
エーヴィヒ。ルミナもそう言ってたし…ってちょっと待てよ。
「名乗ってる?それは本名じゃないの?」
「それか。なにせ本名がないからな。初めから魂だけの存在に名を付けてくれるものなんていなかったからな」
「一応お聞きするけど……性別は?」
「気になるよな。肉体は別としてオレ自身は男……のはずだ」
確証はないのか。魂だけの存在には本来そんなものないってことかな。僕も魂だけを引き剥がされたら女の子のままではいれないのかもね。
「オレはルミナの肉体に住むもうひとつの魂。平たく言ってしまえば多重人格みたいなものだな。感覚的にはそう思ってもらえばいい」
多重人格か。正直言って漫画の中でしか見たことがない。しかも任意で人格切り替え可能なものは特に。勝手に入れ替わって無茶苦茶やったり身を苦しめたり、というのがフィクションでは7割、リアルでは10割な気がする。
「影は魂を映し出したもの。影に触れるということは魂に触れるということだ」
「その関係かは知らないがテネブラエ一族は魂に敏感で、代々俺の魂を肉体に同居させてる」
聞いといてなんだけど、突然語り続けたので言葉を返してみる。
「影が魂に触れるって…そのエビデンスは?」
「ない。ルミナやその親族の天稟魔法が影を"そういうもの"だと定義してるからかもしれないな」
「魔法というのはイメージの力だ。魂があると思い込めばそうなるかもしれないし、非実在のオカルトだと思い込んでいればそうならないかもしれない。大昔の人間…いや、人間になる前の猿は魔法を使えなかったというから、想像力や空想が魔法の原動力なのは確かだろう」
中学レベルの魔法学だね。基本的に魔法を使えるのは人間だけ。例外的に魔法を使える猫や犬もいるけど、彼ら彼女らは往々にして知的で賢い。水魔法使いで能力を使ったら全身びしょ濡れで慌てるアホ猫もいたけど、それでも事前に二重三重の逃走経路を確保して魚を盗むとか知性は確かだった。
「つまり僕の水魔法も解釈次第で強くなるんだよね?」
「ああ。たぶんな。成長の余地があるならそうなんだろう」
「話が逸れたな。そして"禁忌"についてだが──」

エーヴィヒが身の上話を終え、やっと本題に入ってくれるその瞬間、話の腰とコンクリの壁を粉砕して黒フードの男がやってきた。けして体格には優れてないが、今までのやつらとは違う雰囲気を感じる。顔には歯を見せた不気味な笑顔を固めている。
「サーシャ、会いたかったです」
「サーシャ、会いたかったです」
160センチほどの小柄な男が壁を突き破って入ってきた。もちろん、身にまとうはいつもの黒フードだ。子供のような見た目をしているが、童顔といえ顔つきも体つきも成人相応だ。
「どうしてここがわかった、サーシャの場所を開示などしていないはずだが」
「親切な人がいたです。青髪で金色の目をした子はここら辺にいないかと聞いたら教えてくれたです」
エーヴィヒ?事情を知ってるの?
「ルミナの能力で勝手に聞いた。すまないな」
エーヴィヒも使えるんだ……ルミナの能力。でもありがたいよ。僕が事情を聞く手間が省ける。しかもしれっと今思考に対して言葉で返してるし。ほんと便利だねルミナの魔法。
「にしても…もしかして外国人?言葉がたどたどしいけど」
世界で書き文字は全部同じだし、話し言葉もだいたい同じだけど、ルスラシア内に方言があるように、国家単位でも発音や言葉の違いが少しある。たしかにラリーパ出身のマリーはルスラシアのとは語尾のイントネーションが違う。こいつは…もっと違う国の出身だな。ワールドワイド・グローバル化め。
「すまないです。この国の言葉に慣れていないです。まさに外国人です 」
国外からもメンバーを集めてるのか。マジでなんなんだこいつらは。
「エーヴィヒ!ここでやる?ちょっとこの棚濡れるけどいい?」
「棚ひとつの水没で済むと思ってるなんてお気楽だねです。俺はあの凡夫どもと違ってまともに戦闘に使える魔法を持ってるです。2体1じゃ勝つのは分が悪いですがサーシャくんを殺して帰るぐらいなら余裕でできるです」
目の前の男は懐から30センチ定規を取り出すと、指先を起点にそれ全体を鋼で包み込んだ。普通のプラ板から生まれ変わり、冷たく光る鋼鉄長方形は剣のようにも見える。
「能力のタネはすぐ割れるだろうから教えてあげてもいいです。簡単に言えば物質の金属化…」
「セキュリティを無視して凶器を持ち込める"鉄の剣"。私の体も金属にできる文字通りの"鋼の防御"。最強の矛と最強の盾兼用です」
「鋼のタフさを水ごときで破れるはずないです。しかし人の肉を鉄で裂くは余裕です。つまりこの勝負、私の勝ちです」
"矛盾"という言葉にはひとつのアンサーが出たようだ。"「自分の持つ盾以外の盾」では防げない矛"と"「自分の持つ矛以外の矛」では貫けない盾"。この世に所有者が自分しかいないのなら確かにそれら同士の衝突は考えなくていいよね。……これ本当に答えになってるかな?そんなことは置きにして、ですです口調を崩さずメタル定規マンは走ってくる。両手両足も金属で覆いながら走ってくる。こちらも戦いの準備をしないと。

室内戦で使いやすい一匹…"尊凰(そんおう)"と"黄龍(きりゅう)"は大きすぎる。閉所ではコントロールに難儀するだろう。なら"亀壱(きいち)"は?サイズは多少現実的だが、刃物の投擲を防ぐことができないのは前の戦いのデータから知られているはず。持久戦を狙っても防御を破られて、本体の僕が血まみれになるのがオチだろう。ならばここは短期決戦、先手必勝。鋼と例えられようとも、実際に鋼鉄だとしても、パワーでガードをねじ伏せればいいだけの話だ。
「来い!!"西虎(せいこ)"!!」
水の虎が足、胴、頭、そして牙の順でゆっくりと形を成していく。全身を作り上げたら細部、爪まで丁寧に練り上げて攻撃準備は完了だ。"西虎"は吠え、目の前の相手を威嚇している。
僕の指示で虎は駆ける。眼前の敵に向かって走り、鋭い爪の一閃が体を斬り裂いた……はずだった。
「まったく効かないです。正直ウォーターカッターにも勝てると自負してるですが……ただの水ならなおさら無理です」
まるでダメージがない。切れたのは黒い服だけで、裂けたフードからは鋼の肉体(物理)が覗いている。言うだけはある。ならば最高火力の"尊凰"を……と最終手段を繰り出そうとすると、それを読み取ったのか声がかかる。
「俺に代わってくれ。一撃で決める」
エーヴィヒが前に出て、奴は磁力に寄せられたかのごとく反応し鋼の物差しの向きが変わる。
「順番が変わっちゃうです。まあどっちでもいいです。始末するだけです」
今度は相手の攻撃のターン。鋭い光を放つ定規がエーヴィヒの喉元を突き抜け……なかった。代わりにまばゆい光がエーヴィヒの右の手のひらから現れ、男の全身を照らしている。窓の見えない暗い部屋が今は外の日差しの下よりも明るくなっている。
「えっ?なんですこの光はです?」
「じょ……定規がプラスチックに戻ってるです!!どんなトリックです!!」
喉に添えた元・元・プラ定規の攻撃が通用しないことに驚き飛び退くと、エーヴィヒの答え合わせが始まる。
「君と同じく魔法を使っただけだ。年季の差か格の違いか、俺の方が強かったみたいだが」
「あわわ……手も胴も鋼から戻ってるです」
「光があらんことを」
エーヴィヒの一言で一瞬弱まった右手の光が今度は網膜を焼くほどに激しくなると、男は力で開けてきた入口の正面まで吹き飛ばされていた。壁に頭を強打、脳が揺れ意識も震えている。
「で…Deathぅ…」
最初からそれが言いたかったのか。それに死んではないでしょ。死んでない…よね?
「すまない。魂を肉体から引き剥がしたから死んでる……死ぬかもしれない」
……………………。思考においても言葉すら出せない。長生きしてるんだろうとはいえ殺人への躊躇なさすぎない?
「冗談だ。だがルミナの能力で記憶はいくらか抜かせてもらった」
「それにこいつらの組織についてわかったこともある。周囲に聞かれないように少し特殊な伝え方をさせてもらうぞ」
殺してないならよかった。ルミナが人殺しにならずに済むからね。そして、エーヴィヒが手を握ると、脳内に大量の情報とエーヴィヒの解説が溢れだしてくる。
組織、嘆きの残党(ラメント・レムナント)。今戦った彼、グレイブ・J・ファーガソン(らしい)は戦闘チームの中間管理職ポジションにいたらしく、ルスラシアでの活動を統括する上司とレウシアを戦場にする部下(入学初日のナイフ使いやマリーが倒したガンマンら)の板挟みだったようで。……それがどうした、本題は本拠地と"禁忌"についてだ。
「奴らの根城は……こいつは知らされてないようだ。尋問されても問題ない、といったようにしてるんだな」
空振り、か。組織の名前がわかるだけでも安心感はあるからいいけど。未知に名前を付けることで既知として、暗闇に光を灯す。天井の照明スイッチの場所が分かるのが1番いい。ルミナだったらそんなこと言ったりしないかな。
「ただ、こいつは"ウォクソム"に集められ、そこで情報を知らされているそうだ。拠点とは言えるだろうな。そこを調べればまた何かわかるかもな」
"ウォクソム"……ルスラシアの西部か。交通機関が少なくアクセスの悪い、人のいない土地なら秘密のやり取りにはうってつけだろう。今度時間と戦力があるときに行ってみよう。ちょっと待て。戦力なんてどうやって引っ張ってくるんだ?またマリーに付き合ってもらおうかな……
「よう、サーシャ」
「あっ、ガイアだ。おはよう」
ガイア…三日前の体力テストで最高評価間違いなしという噂を聞いている。少なくとも体力ではこのクラスどころか学校内でも最上位に値するだろう。
「ガイアはすごいね、僕なんてシャトルラン28回でダウンだよ」
「そのレベルは流石に鍛えた方がいいんじゃないか?よかったら今度イワノフ・トレーニング・アカデミーでも開講してやるぞ?」
「ははっ…インドア派は遠慮しとくよ」
鍛えたい。でも運動はしたくない。それを解決する健康器具とか出てきてくれないかな。
怠惰とは罪業のひとつとされる。しかし、いちいち手や魔法を使うことをめんどくさがった人が機械を創り、僕たちの生きる世が素晴らしい場所になった。怠惰が人間を成長させるんだ。だからこう思っても僕はなんら問題ない。いいね?

「それでな…話は変わるんだが、ひとつ悩みごとがあるんだよ」
ガイアが?人生順風満帆、余裕たっぷり、そう見えるガイアにも悩みごとがあるのか?そうやって見えるのは僕の僻みもセットだからか。
「俺の名前はな、神話の女神の名前なんだ」
そうか…それがどうした。その程度大した問題じゃないだろう。
「なんか言えよ……さてはフィクションに脳をやられてるな?ゲームにこの手の名前が多いのは否定しないしその趣味も否定しないけど結構深刻だからな?」
「大人気漫画の主人公が"ロコリー"だからってその名前をつけるやつなんていないだろ普通?」
そうだね。普通はいない。普通はね。つまりガイアの親は普通ではない、と。
この悩み、たしかに難しいね。親に関する問題は複雑だ。ルーシーみたいに親と仲良しな人もいれば、マリーみたいに不仲っぽいのもいる。そして、僕は産みの親自体がもういないしね。育ての親たるニコラさんには感謝してるけど、それでも僕の血縁上の父母とは会えないし話すこともできない。家庭によって影響も関係も複雑だ。だったらこれが一番だ。

「じゃあ色んな人にさ、自分の名前についてどう思ってるか聞いてみようよ」
本人の感想、これに尽きる。
「ほう?なんかよさそうだけど…理由はあるのか?」
「自分より下を見れば『コイツよりはマシだ』って安心できるでしょ」
我ながらゲスい。ゲスすぎる。でも真髄はこっちにある。
「なんてね。でも、同じ悩みを持つ人とそれを共有するのもひとつの方法だと思うよ。解決はできなくても、一緒に抱えてもらうことで重みは和らぐからさ」
一瞬わずかに驚いたかのように見えた直後、納得してか落ち着いて質問するガイア。その驚きには「お前がそんないいこと言うなんて」って僕への見くびりは混じっていないだろうな?
「なるほどな。じゃあお前から。お前は"サーシャ"って名前をどう思ってるんだ?」
いきなり僕か。まあ言い出しっぺではあるしね。しょうがない、悩めるこの青年のために答えを用意してあげよう。
「うーんと……好きでもなければ嫌いでもないよ。普通?不満があるわけじゃないけどもっとかっこいい名前がよかったなって」
「あと……サーシャって男の子の名前にもあるじゃん?ほら、僕一人称が"僕"だから。たまに間違えられちゃってさ。そこは悩みかもね」
東洋で言えば"マコト"あたりだろうか?こういう中性的な名前の子供は名付けの通りに中性的になるのかもしれない。そしてそれに悩むんだ。まっ、僕はこの歳になっても低身長だし、過去はともかく今と未来ではきっと女の子としか思われないけどね。
「ふむ……一見普通の名前のお前でも不満があるってことか。名前に完全に納得できるってことはないのかもしれないな」
かもね。世の中に完璧はない。色んな漫画でもそう言われてきてる。
「よし、次行くぞ。ルーシーにするか」
おっ、乗ってくれた。さて、僕も正直ルーシーの名前の由来とか満足度は気になってたから、ついでに拝聴してみよう。

「ルーシー?わたくしは結構この名前を気に入ってますわよ。高貴な響きが特にお気に入りですの」
いいの?それで。たしかにルーシーは貴族っぽい言葉遣いと振る舞いは好きだが、それは"それっぽさ"に惹かれてるのであって(貴族教育を施されたことを除けば)結構雑だ。趣味は紅茶飲むことと言ってたけど、だいたい飲んでるのはペットボトルの紅茶"ブラック・ティー・モーニング"なんだ。貴族のお墨付きと言えばそうなのかもしれないけど、格という点では茶葉を使えよと思ってしまう。
「なんですのその顔は?」
「すまんなルーシー、名前の由来って聞いたことがあるか?」
「由来ですの?たしか……お父様は『貴族にふさわしいから』と言ってましたわね」
あの人結構適当なんだな。「〜っぽいと思うから」を名前に適用するなよ。もしかして僕を住まわせてくれるって判断もノリでした訳じゃないよね?どの道感謝はするけどさ。
「次の人行く?」
「そうするか。助かったぜ、ルーシー」
「またどうぞ、ですわよ」
ルーシーの元を離れる、次に話を聞きに行くのはキリル先生のとこだとさ。

「なんで俺なんだ……まあいいけど」
まるでやる気がない。体力測定の時も思ってたけど、自己紹介のときの態度はどうした。一人称も。まあ生徒サイドも大概だからなあ。化けの皮が剥がれるまでは短いものだ。
「俺は30年弱この名前で生きてきたけどな、そんな思うことも別にないんだぞー」
「大して思うところがないってことはよっぽどの変な名前ではないってことなんだろうな」
ふん、そういうものか。無頓着、まあそんなもんなのかもね。
「ところでキリル先生、中学生のころに黒い表紙のノートに魔法陣描いてたってほんとなの?」
「…おい、なんの話だ」
「その頃なりたかった名前は"諸火を征服する漆黒の焔皇帝:レアフ・レムイフ・ブレイザー…"」
「はいストップストップ。それ以上はやめろ…いや、やめてくれ…ください」
キリル先生のギブアップ。そう、キリル先生はかつて重度の中二病患者だったのだ!さて、ここからが僕の腕の見せどころだ。
「これ……こんな恥ずかしい記憶をバラされたくなきゃ……相応の物を用意してもらわないといけないですよねぇ」
煽る。古傷を抉りつつ煽る。生意気なガキと思われようと構わん。社会的な生殺与奪権は僕にある。少し悪く思われたところでどうってことないのさ!
「……まあ考えてやる。そうだな、アイス一本ぐらいならくれてやろう。いやこれで許してくれ。俺にも法律があるからこれ以上は贈賄になるんだ」
しょうがないな、それで勘弁してあげよ。交渉成功、甘味が僕を待ってるぞ。それはそれとして、キリル先生は小声である決心をつけたようだ。
「さてはルミナの入れ知恵だな……後で図書館に行ってやるか。久しぶりにな。ただし、問・い・た・だ・し・に・だ」
その後、図書館でボヤ騒ぎが起こったのはガイアの悩みとはまた別のお話。ルミナ……無事を祈る。

仕切り直して次行こう。次の相手は…
「名前ですか?私の?」
「そう。マリーの名前。名前で悩んでる少年がいるらしいので助けてあげてくださいな」
「えーっと……マリーの由来は……なんだっけ……そ……そんな大層なものではないと思います……」
たまたまが2人集まっただけで、名前に不満や関心を持つ人は少ないのかな?まあそうか、真っ当な名づけするセンスある人じゃなきゃ親になんてなれないもんね。……少なからず例外はいるけど。最低一人はいるけど。
「名前について知っているのは家族とイニシャルがだいたい同じだということです。お母様はローゼンベルクの外から来た方なので例外ですが、私にはモニカという姉がいます。おじい様もマルス・ローゼンベルクでMですよね」
「統一感あるな。それは面白いけど名前で遊んでるわけではないよなまさか」
唐突に明かされるおじいちゃんのフルネーム。マルス、だったのか。それにマリーにはおじいちゃんだけじゃなくてお姉ちゃんもいたのか。前の話を考えるとマリーとは一緒に住んでないのかな?
「お姉ちゃんか…モニカってどんな人なの?」
「ちょっと……怖いですね。何を考えてるのかよくわからなかったので。でも、今のところローゼンベルクでは一番強いので、順当にいけば彼女がローゼンベルクを継ぐんだと思います」
「それはそれとしていい人だと思います。おじい様の家に行くまでは多分一番気にかけてくれてましたし、外で猛獣に襲われそうになったときも助けてくれたんです」
「そうか……ってかこれ名前の話じゃないよな?」
「気づいた?でも会話は膨らませるものだよ」
「それを俺に説くと?釈迦に説法とはこのことだな」
まあそうだな。僕の(対非友人)会話スキルは低いから、ガイアがそれを言われる筋合いはないのだが。
「でさ、次は誰に聞きに行く?」
「ならアリスにするか。着いてきてくれ」
というか僕もずっと着いてくんだ。まっ、楽しいしいいんだけど。

「アリス、ちょっといいか」
「ガイアと……ああ、サーシャか。吾になんの用だ?」
アリスは一人称"吾"なのかよ…!キャラなの?教育なの?どっちなんだい!前に「我が名はアリス」とは言ってたけどあのしゃべり方がずっと続くだなんて思ってなかったよ。
「アリスという名前か?古いとは思っているな。知っているだろうがアリスは隣国の"テイボス"の名前だ。吾もそこの生まれ。シトロンの名は知っていよう?」
シトロンか。名門の三貴族、いわゆる"御三家"のひとつにあたる家だ。ここルスラシアのゼブル、海を越えた先の国家・リーカメイのガルシア、そしてテイボスが本拠地のシトロン。これが"御三家"だ。よく考えたらマリーといい僕といい、貴族と御三家多いなここ。まあ名門校だからそういうものか。
「かつて"テイボス"'の土地には"アリス"という領主がいたという。母から聞いてな。若き頃彼女は名君で、彼女に信仰にも近い敬愛を抱いた者は皆己の子に"アリス"と名付けたそうだ」
「しかし"アリス"は変わった。ある日行方不明になった後に帰ってくれば、その様は暴君へと変わっていた。富を全て我がものとし、ただ目の前を通った者を殺す……国民を虐げる圧政だ」
「それからも400年経ってアリスの名は現代にあまり多くない。過去の変貌を忌む物も確かにいるが、その件が多くの者に忘れられたのも大きいな。古い名前自体に文句はないが、親のセンスは疑ってしまう。娘に暴君の名を付けるなど娘に暴君になってほしいと言ってるようなものだぞ」
アリス、怒っていいよ。むしろキレるんだ。
「まあ吾は暴君…魔王のような生き方に憧れていてな。別に名付けは大した問題ではない」
そうなのかよ、超危険人物じゃん。一人称も尊大なのはそのためか。魔王様を演じてるのね。
「でもそうだ、次は別の名がいい。流石にこの名は変な誤解を生むことも多い。知っている者は知っている話だからな」
「なるほど……じゃあ、次生まれるとしたらどんな名前がいいの?」
「次の名は……リリスがいいな」
リリスか。それも大概古くないか?軽く40年前、親世代の名前だと思う。とはいえリバイバルブームってものは存在するから、今は少なくても次の人生の頃には増えてるのかも。……果たして"サーシャ"はその時代まで残ってるのかな?

「ユーリ、ちょっと聞いていいか?」
次はユーリか。アリスもそうだけど、実はユーリのこともよくわかってない。前にすごいパワーがあるのはわかったけど、口数も少なくて静かだから心を量りにくい。
「どうした。名前か?」
さっきまでの話全部聞かれてたのかな。事情がバレてる。知ってるなら話が早いともいうけど。
「ユーリ・タッカーは本名じゃない、それを最初に言っておく」
えっ?偽名だったの!?この驚きは顔に出てしまったし、ガイアも予想外と言わんばかりに目を丸くしている。
「いや……ちょっと違うんだ。本名じゃないというか愛称でな……俺はこの国の生まれじゃないんだ……」
「なに?そうだったのか?」
「俺はウグピナツ人だ。本名、あるいはウグピナツでの名前は"鷹羽悠里"なんだ」
鷹場…鷹…タッカー……ふうん、そういうことか。週リヴィの原産地、漢字を名前に使う地方の生まれだったんだね。マリーもアリスもそうだしこの学校外国からも人来てるんだな。
「初めにこっちに来た時から"ユーリ"とは呼んでもらってたけどな。幸いにしてユーリはこっちの名前でもあったから。苗字呼びはどうすればいいのかと聞かれた時に"タッカー"って答えたんだ。こっちの方だとこれの方が馴染み深いらしいだろ?」
「まあそうだね。"タカバ"さんはいなくても"タッカー"さんはたまにいるよ」
発音の問題か、文化の問題か。
「ちなみに"ユウリ"は俺の国では女の名前でもある。子供の頃は髪が長かったからかよく間違えられてたんだ」
「ほう…僕と同じだね。僕も昔男の子と間違えられてね……」
意外と話せるんだ、ユーリ。しかしストップが入る。
「おいおいサーシャ、さっきからそうだが俺を置いてかないでくれよ。なんとかしてほしいのは俺の名前のコンプレックスだぜ」
そういえばそうだった。すまないガイア。
「でも、お前らも名前に悩んでるから、別にそう特別なものでもないんだなと思えたぜ。悩みが軽くなった気がする。ありがとな」
それはよかった。……でもガイアの例は特殊だと思うけどね?しかもルーシーやキリル先生はそうでもなかったし……本人が納得してるならそれが一番、そういうことにしとこう。


「さて、先程はお付き合いいただきありがとう」
「そしてここからが本題なんだ。名前は名前で結構悩んでたけどな」
本題?隠してたの?それとも言いにくかった事なのかな。
「実は……最近誰かに尾けられてる気がしてな」
「ストーカーってこと?」
「そうだな、そうともいう」
ストーカーか。たまにニュースになるし、近所で事が起こることもある。理由も色々あって、恋慕から怨恨、果ては無意識まで様々。そう考えると、僕に迫ってきてるあいつら黒フードたちもある意味ストーカーなんだろうか。
「そこでだ、サーシャに少し手伝ってもらおうと思ってな」
「俺を追いかけるストーカーをサーシャが追う…二重尾行だ」
スパイっぽくてかっこいいな。その作戦、乗った!
「いいよ。……もしかして今日の帰りにやるの?」
「もちろんだ。善は急げと言うだろう?」
使い方合ってるかな。でも、思いついたらすぐ行動するというのはたしかに大切だ。僕はそれで何度も後悔してる。やると言ったからにはやってやろう。ガイアと一緒に階段を降りる。
「ちょっとサーシャ、またわたくしを置いて帰るんですの!?」
ルーシーの怒りは無視。たまにはマリーと仲良くしてもらおう。
学校を出てすぐの大通り。ここで"ストーカー"をおびき寄せて尾行をするつもりだ。ガイアが少し先を歩き、僕はガイアのハンドサインで追う手筈になっている。でも、多少綿密に練りこんだはずの計画は一瞬で破綻した。
「こんにちは。ガイア・イワノフと君は…」
「なんだ、サーシャ・デュアペルか」
人に溢れた大通りなのに、背中に張り付く声と気配。それはガイアにもわかっていたようで、
「サーシャ、ここはまずいな。プラン変更だ」
手を引かれてごった煮の中を走り出した。もうストーカーに見つかったし、なぜか僕のことを知っていて作戦も割れてしまった。二重尾行はやめ。こちらが仕掛ける前にバレてしまった以上は一緒に動くしかない。
500メートル、1キロメートル、人をすり抜け、かき分け、吹き飛ばして逃走中。風を便りに汗を飛ばし、風を通じてひんやりを感じる。運動不足には辛い長距離走を終えたところで、背後の気配は消滅。めでたしめでたしと安堵、疲れで目を閉じ、次に開ければ目の前に移動していた。いつの間にか前に立つ黒いフードで顔を隠した存在。またお前らか。
「着いてきてくれてありがとう。誘導通りだね」
公園だ…この時間帯には誰もいない、広くて静かな公園。運動公園と銘打たれているが、この時間帯ではおじいさんすら運動していない。この黒フードは僕たちがここに逃げ込むように調整したというのか?だが、ガイアがいるから安心だ。
もとより、クラスの全員と一対一(タイイチ)で勝負することになったら、あんまり勝てる気はしない。特にルーシー、マリー、ガイアは絶対無理。確かに僕の水魔法は水魔法としては結構強いはずだが、結局はフィジカル勝負の面も大きい。ガイアには魔法でアドバンテージを取っていても総合値では勝てないからね。だから、頼らせてもらうよ。
「また捕まえに来たの?ふふん、今回はガイアもいるしこっちの勝ちは堅いよ」
「捕まえる?いや、私は君と戦いたいだけさ」
戦いに?捕まえにじゃないのか?構えを取り水を出そうとすると、目の前のフードに制止された。
「たぶんサーシャくんじゃ相手にならないぐらい私は強いよ。試してもいいけど…うっかり殺しちゃうのは大変だからね」
「ガイア、私が用あるのは君だけだよ」
僕なんて眼中にもないってか。捕まえるのなんて簡単だから放置でもいいってか。だったら逃げてやりますよ!……って言えたらよかったのに。
そう思うまでの間に、地面から生まれた岩の壁が牢獄を造り上げていた。半径だいたい100メートル、高さはきっと20メートル、天井はなく空が見放題。岩の能力ということは…ガイアが?まさか、こんなことするはずがない。ガイアなら僕を逃がすように置いてくれるはずだ。となると…
「ほう、お前も岩使いなんだな」
「そうだよ。まあそう珍しいものでもないでしょ。メジャーだよね」
黒フードの正体は岩使いだったのか。この規模の岩を一瞬で出せるし、僕たちに追いつくどころか追い越すんだから相当強き者なんだろう。だが、それはガイアも同じだ。さて、二大岩使いの決闘が始まる。ゴングぐらいは鳴らしてやるよっ!
水のハンマーとポケットのハンドベルを取り出しカーン、と高い音を打ち鳴らす。そしたら空気を読んでくれて、二人は互いに向けて走り出した。戦闘開始!!

最初に仕掛けたのはガイアだ。左で地面を強く蹴るガイアはその能力で細身の岩製剣を生み出し、踏み込んだ勢いそのままに地から空へと半円を描く。ガイアの能力は岩と聞いていたが、武器生成で戦うタイプだったのか。徒手空拳と見せかけての突然の武器攻撃。被弾か驚愕のどちらかはするだろうと思っていたが、謎の黒フードも雑魚ではない。いきなり手のひらに出現した剣を恐れることなく黒フードは姿勢を下げて、ガイアの利き手の逆、左腕側に走り込んで難なく回避。右腕に力をこめ打撃を繰り出す一歩手前だった。しかしガイアもまた強者だ。その回避を読んでかガイアは左足を踏み鳴らすと、地面から鋭く伸びた岩槍がそいつを貫く。バックステップで直撃は避けるも、前屈みからの反応が遅れたためフードを裂かれ素顔を顕にされた。だがとても恐ろしい。ガイアの攻撃こそ決まったが、相手に動揺がない。剣が突然現れたのに、顔を切られるところだったはずのに、焦りがまったく見られないことが一番の不安だ。
「やるじゃん、見くびってたよ」
フードの下の顔は白く美しく、藤色のポニーテールが太陽の光で透き通る輝きを放っていた。そしてこれまでの5人と違うことがひとつ。この元・黒フードは女だった。僕とルーシーに路上で喧嘩を売った三人組、マリーといるところを撃ちまくった銃使い、そして図書館倉庫(?)に乗り込んできたファーガソン。ファーガソンは目の前のこいつと変わらない160センチぐらいだったが、彼も含めて全員男だった。嘆きの残党(ラメント・レムナント)には男しかいないのかと思っていたが、どうやら性別関係なく成り上がれるらしい。……人殺しも厭わない組織の癖にグローバル人材といいちゃっかり流行りには乗っかるんだな。
「ならここからは本気出しちゃおうかな」
開幕早々の先制攻撃を受け、全力勝負を宣言する。そして、そう言った時にはガイアは壁まで吹き飛ばされていた。ガイアも僕も、何が起こったのか理解ができない。ひとつ分かるのは、あいつに吹っ飛ばされたということだけ。特急列車の通過を踏切で待つ時のように、ガイアが通った跡から風が僕の元までやってきた。それに煽られ僕も吹き飛びそうになっている。
「なんだ……?今のは人間の出せる威力じゃない……」
口から血を吐きながら苦しそうに感想を言うガイア。ガイアが叩きつけられたうえで、壁に凹みができるほどの超火力。"なにか"をやったはずだ。だがそれがなにかは分からない。

それでも立ち上がったガイアが全力突進、しかし奴はそこにミドルキックを合わせて吹き飛ばす。そこまでも、そこからも一方的な展開が続く。蹴撃、蹴撃、蹴りのラッシュだ。壁で跳ね返ってきたガイアを打ち返し、また壁に反射させる蹴りの壁打ち。足技スカッシュだ。一撃一撃、打ち込まれる度に骨の逝く音が聞こえて観客席の僕も恐怖する。ボキボキ、なんて優しいものじゃない。ゴキッ、でも足りない。ゴシャアッ、という肉体の悲鳴が岩壁と足の間で反響し続ける。
「ぐうっ」
「そろそろ終わりにしようかな」

5発、10発と繰り返されるうちに、トドメのアッパーがガイアの心臓を捉え、彼は打撃点を中心に回転しながら舞い、無抵抗のまま落ちる。ただ、僕は繰り返しの中に答えを見た。
「あれは……!」
ガントレット。腕を包む巨大な岩の塊は剣を砕き骨を折り、重々しい右腕がガイアから様々な粉砕音を轟かせて突き抜ける。それは瞬きのうちに姿を消し、肉の肌だけが残っていた。そして、僕の思考との答え合わせが始まる。
「サーシャくん。君、なんとなくわかったでしょ。打撃の瞬間だけ岩の能力を発動して、殴りや蹴りの威力を増大させてたって」
「サーシャくんならできるのかな?一瞬で能力で生成した水を出し入れって」
できなくはない。僕自身の判断速度の遅さを抜きにすれば"西虎(せいこ)"や"亀壱(きいち)"を瞬間的に出して消すこともできるはず。"西虎"が攻撃する直前に"西虎"を水に戻し、そこから"尊凰(そんおう)"を作って意表を突いたりも可能だ。
おそらく彼女は蹴りの瞬間だけ足に岩の塊を作り、フォロースルーの時点で消した。拳も同じで、岩でサイズを300%増量したのはインパクトの一瞬だけ。同じこと、瞬間的な魔法の発動と解除ができるから僕にはそれが見えて、ガイアにはそれが見えなかったということか。

「私の能力は扱いやすさで言ったらガイア、君に遥かに劣る。なにせ地面からしか岩を生やせないからね。君みたく手のひらから出して近接で奇襲みたいな真似はできないよ。はっきり言ってうらやましい」
「それで殴り勝てるってことは……」
「練度の差ってやつだな。しょうがない。だったらこっちはリーチの差と急襲で殴るしかないな」
ガイアが手の剣を伸ばしたとき、空中に岩の誘導ミサイルを生み出したとき、もう勝負はついていた。ガイアを再び突き上げたのは岩の柱。ガイアの足元から伸びる岩柱がガイアの腹部を強打し撥ね上げたんだ。その光景はふわり、と形容できる軽やかな上昇で、重苦しい骨と岩の衝突音との美しい対比すら覚える。おそらく食らったガイア本人は、もっと鮮明に感じているに違いない。

口から血を吐き、腹から血を垂らすガイアはトレードマークの青、髪の毛の青を鮮血で赤に染めて降下、地面にノーガードで叩きつけられる。
「地面からしか生やせない、でも離れたところでも使える。こういう座標指定の攻撃は難しいけど感覚で覚えるべきだよ」
戦闘テクニックを丁寧に解説してくれたポニテ。しかしガイアはなにも反応しない。気絶した。意識がないから話も聞けない。この怒りはもう抑えられない。宣告通り相手にならないとしても立ち向かうしかない!

「"亀壱(きいち)"!"西虎(せいこ)"!!"黄龍(きりゅう)"!!!"尊凰(そんおう)"!!!!」
手加減なんてしない。確かに僕は弱い。ただそれはフィジカルの話だ!!能力込みならこの程度の相手!!
「4体同時か……やるね。正直このぐらいできるって思ってなかったよ」
それが遺言か?やれ!全員!!
そう命じた時に動けるのは、もう2匹しかいなかった。
「こういうのは破壊すれば一時的には出せなくなる……っぽいよね?」
地面から4本の柱が伸び、地上にいた"亀壱"と"西虎"はガイアの骨同様粉砕された。抵抗なく、貫通するように滑らかに突き刺し吹き飛ばした。幸いにも空に浮かぶ"黄龍"は無傷だが、同じく飛んでいても"尊凰"は片翼をもがれている。当たりだ。僕の水動物は破壊されるとしばらくはその種類の動物が出せなくなる。ダメージ次第だが、
「ちいっ!"黄龍"!」
東洋龍はさらに上昇、岩の攻撃を避ける準備をしつつ、低温高圧の水ビームを放つ。水なのにビームなのか、というツッコミに対しては「ビームとは一方向に向けた流れであるから問題ない」と返しておこう。もし誰かが光以外でレーザーとか言い出したら使っていいよ。
消防車の消火にも並べる火力(火を消すのに火力と表現すべきなのだろうか)で地面を抉り飛ばす。やったか!?……やってなかった。砂煙と水飛沫に紛れて奴は目の前に迫っていた。

「相手にならない、は言いすぎだったね。でも、私の勝ちだ」
足を蹴り飛ばされ地面に仰臥。そして体の上にまたがられると、首を腕が押さえつける。
「そ……そんっ」
強制停止。絞め技で落とされ、目覚めた後には壁はなくなっていた。