逃げ回る相手。間合いを保ち遠距離から炎を撃ち続けてくる。それを躱しつつ、炎の玉をある一点に誘導する。狙うはグラウンドに置かれたスプリンクラーの手前の地面。うまいことスプリンクラーと僕自身に直撃しないように慎重に位置をとり、攻撃の構えで相手の全力の迎撃を誘う。

長い見つめ合いからの先制攻撃のチャンスと思った相手は先程までのより3倍は巨大な火球を放つが、初めから攻撃する気のなかった僕は左に全力疾走、避けつつ見事にスプリンクラーの手前で着爆させる。これで戦局がこっちに傾くはず!
砂利の乾燥を検知したスプリンクラーが作動音と共に水を撒き始める。(果たして乾燥ってレベルなのかな?)予想外の人工降雨に驚く相手を横目に僕は宙に舞った雨水をかき集め、相手の周囲に檻の形を映し出す。

迫り来る水の牢獄。閉じる領域。スプリンクラーの水を操り僕は相手を閉じ込め、炎を掻き消しながら範囲を狭め相手ごと押し潰そうとする。
相手の参ったコールと審判の止めの合図までそう時間はかからなかった。僕の勝ち、準決勝進出だ。

「サーシャ!お前の水魔法はすごいな!」
「えへへ、それほどでも」
卒業戦、中学卒業の恒例行事。3年間学んできた成果を見せるため、仲間や友達と楽しむため、己が強さを見せつけ誇示するため、と理由はいろいろあるが、卒業式の前日に僕らは戦うことになっている。

魔法。それは誰もが持つ力、あるいは一種の特技や個性。サッカーや野球も練習すればある程度上手くなるように、誰でも覚えられる汎用魔法もある。しかしやはり一番注目されるのは生まれつき一つだけ持つ固有の魔法"天稟魔法(てんぴんまほう)"だ。

その中でも大当たりと言われるのは火力・範囲ともに優れる炎魔法、あるいは誰もが憧れる時間操作の魔法などだろうか。一方、僕の持つ水魔法は不遇とされていて、汎用の補助魔法を中心とした戦術が必要になるほど単体では頼りないものとされている。そしてさらに相性次第では…

「せめて勝負ぐらいはしなさいよ」
「勝負する間もないくらい一瞬で負けたんだよ」
この通り。水のバリアに電流を流されて感電、即ダウンしてしまった。水に限った話ではないけど、能力の相性次第では実力差があっても一瞬のうちに逆転が起こって格上が負けてしまうことさえある。僕が格上とは言わないけども、対等ぐらいの自信はあったんだよね。…なら順当か。準決勝敗退です。負けるのって少し悔しいや。いや、やっぱ訂正しよう。だいぶ、相当、めちゃくちゃ悔しい。

いよいよ明日が卒業か、そう思いながら試合を眺めている。もちろん、僕を負かした彼女の戦う決勝が一番盛り上がった試合となり、会場のボルテージもマックス。最後の最後まで展開が読めない接戦には一喜一憂してしまうほどだった。優勝おめでとう、勝者にそう声をかけてみると
「ふんっ!私と戦おうとすらしなかった者からの言葉なんて届きませんわ!」
やっぱり相変わらずつれない。このお嬢様も中学を出て、数ヵ月後には高校生だと思うと時の流れを嫌でも感じてしまう。

そして卒業式、長いようで短い春休みがあっという間に過ぎ、気づけばもう明日には高校の入学式が待ち受けていたのだった。いよいよ僕の新しい物語が始まるんだ、そう思ったところでひとつ大切なことがあるのを思い出した…
「僕はサーシャ・デュアペル。趣味は漫画…いや、読書だよ。好きな食べ物はラーメンで、最近は屋台を巡り歩いたりもしてるんだ。」

明日が高校の入学式、それに新クラスでの自己紹介だ。何度も台本を書き直しては発音し、聴衆の反応のシミュレーションを脳内で繰り広げている。場合によってはそれで1年間の関わりが決まってしまうからもうちょっと練った方がいいのだろう。

趣味は漫画を読むこと。しかし漫画というのは受けが悪いのだろうか?いや、今は漫画もみんな読んでるし週間連載のあの漫画は発行部数1千万部を超えたという。じゃあ一定以上の人気のある趣味ってことでいいはず。よし、じゃあここはやっぱり漫画にしよう。作品は…これはみんな知ってるやつの方がいいよね。共通の話題にもなるはず。盛り上がって友達を作るんだ。

それ以外にもなにか紹介した方がいいことは?…魔法かな。殺し合う相手ならともかく、クラスには自分の天稟魔法(てんぴんまほう)を伝える人が大半だ。似た能力や相性がよさげな能力があるとわかるとそこから友情が始まることもあるし、単純に自慢とかの目的で言うこともあるけど。誰もが持っているものだから共通の話題としては最強かもしれないね。よし、
「僕は水魔法で動物を作るのが…」
…水魔法か。

水魔法はよく不遇と言われている。水は炎や雷と違い明確な実体があるからか操作が難しく、出せる量も比較的少ない。それでいて尖った性能や目立った長所はあまりなく、よく言えばバランス型、悪く言えば器用貧乏と言われてしまっている。結構昔なら部隊の水補給要員として活躍してたこともあったけど、今は水筒を汎用の空間魔法で収納する、みたいなこともできるから水魔法の重要度は下がってしまった。バックアップとしての需要は今もあるみたいだけどね、そもそも戦闘で活躍しにくいのが悲しいところなんだ。

もし水の力で相手の体内の水を爆発させる、なんてことができたら水魔法はすぐ最強になれるだろう。生命活動には水が必要なだけに、どんな人間でも体内に水を持つ。それに干渉して大ダメージを与え放題ならさぞ脅威だったことだろう。でもこの技が夢物語の域を出たのは歴史上一度しかない。しかも遠隔から起爆なんてことはできず、触れた相手の水分限定で。これでもかなり強力だったのは間違いなく、当時は秩序や法に従うことなく暴れ回っていたという。そのぐらいまでできないと水魔法は強くはないということなんだろうね。

その点僕の水魔法は結構正統派にして異質らしい。これは自称だけじゃなくて他者からのお墨付きもしっかりいただいている。効果範囲は通常の3倍の300メートルぐらいあり、通常1体が限界の水で作った人や動物も4体まで出せる。水魔法の基本からは逸脱できてないし、コントロールもうまくはないから反則級とまではいかないらしいけど。
ただこれぐらいなら各都市の上位の水魔法使いにはいくらかいたらしく、珍しいけどいないようなものではないらしい。逆にいえばここから個人の技量次第では僕が最強の水魔法使いにもなれるということかも。まあどうせなら"水魔法使い"じゃなくて"魔法使い"の括りで最強になりたいけど。

でもそれはそれとして嬉しいな。不遇と謳われる水魔法を使う僕でも名門校に行けるなんて。しかも同じ学校の人もいくらかいると聞いて安心だ。僕みたいなタイプはほんと、自己紹介しくじると一年を孤独に過ごす羽目になりかねない。だから友達や知り合いがいるならひとりぼっちは避けられるはず。彼らからも嫌われたりしなければだけど。

…思考ってこうやって横道に逸れていくものだよね。結局最良の自己紹介は思いつかなかったし今日はもう寝よう。明日の僕が名演説を思いついてくれるはずだ。
高校生活初の朝が来た。ベッドを揺する音で目が覚める。こんなことしてくるのは一人しかいない。
「朝ですわよサーシャ。ねぼすけさんを起こしに来てあげましたわ」
ルーシー・ゼブル。お嬢様言葉は別にキャラ付けではなく、正真正銘のお嬢様にしてお金持ちの家の生まれだからだ。だとしても実際の富裕層がイメージ通りの言葉遣いをしているなんてこの家に来るまでは正直思っていなかった。…多分ルーシー限定だよね?貴族"ゼブル家"でもルーシーぐらいしかこの話し方はしてないし、他の家もこうではない…はず。ならやっぱりキャラ付けか。

同居人、あるいは義理の妹と呼ぶべき彼女に急かされ朝食へ向かう。うん、今日もゼブル家の料理はおいしい。ルーシーが高級店だろうと外食に行きたがらない理由がよくわかる。家庭の味が最上級になっているのだから納得だ。これもすべてゼブル家のメイドさんのなせる業!メイドさん最高!
「おはよう、サーシャ」
そう言いながら部屋に入ってきたのは養父であるニコラ・ゼブル、すなわち僕を拾って育ててくれた恩人だ。僕の苗字とルーシー、そしてニコラさんの苗字が違うのはそういうことだ。過去に何があったかはあまり思い出せないけど、きっとなにかあったのだろう。ただひとつ、ニコラさんに引き取って育ててもらったというのは間違いない。

「おはようございます、養父(とう)さん」
「今日から高等学院に行くんだったね?ルーシーがまた迷惑をかけると思うけどよろしく頼むよ」
そう、今日から僕(とルーシー)はレウシア高等魔法学院(こうとうまほうがくいん)、高度な自然科学から文学、もちろん魔法学まで学ぶ学校に通うことになっている。不安半分、期待半分。…やっぱり七三ぐらいかもしれない。

「ところで、ルーシーはまだ起きてないのかい?後で確かめてきてくれない?」
「いえ…さっき僕を起こしに来たのがルーシーで…」
二度寝か。ねぼすけさんはどっちだ。

着替えを終えて、ベッドで上品にぶっ倒れている銀髪少女(ルーシー)を起こし、腕を引っ張りながら学校に連行する。ルーシーは寝起きだと体に力が入らないらしく、どうやって僕を起こしにきたのか不思議なぐらい動けない。いやちょっと待てよ。さっきまでは寝間着のままだったし…じゃあ服はいつ着替えたんだろう?
僕より(だいぶ…やや)重いルーシーを引きずった疲労と新たな出会いへの緊張で、気がつけばすでに学校に着いてしまっていた。まるで道中の時間が飛ばされてしまったかのように。あるいは、もしかしてそういう魔法の影響を受けてたりして…?そう考えると楽しみかもしれない。強い魔法使い(高校生)との新しい出会い…やっぱちょっと怖い。
いつしか学校、そして校舎に到着。事前にクラス割りは知らされているので、それに従い三階の角部屋に向かう。角部屋…?表現合ってるのこれで?一番奥の部屋なら角部屋…だよね?
教室に入ると席の数のわりにそれなりに広く感じられた。正面には中学校の理科室みたいな四つに分かれているタイプのでかい黒板があり、座席は二席がくっついた木製の使い込まれたテーブルが三列×五行。左右に中央二つ、通路が広めに確保されているのか思ったより通りやすく空白感がすごい。これが広さの正体か。
そして着席。僕は教卓から見て右側、一番窓に近いの三行目の左側の席、窓際に座る。そして僕の右隣にルーシーが。僕はルーシーとは隣の席、というか同じクラスということに一番驚いている。確かに血の繋がりこそないけれど、兄弟姉妹は違うクラスに置かれるものではないのかな?とにかく二人で待っていると、四人五人と教室に人が入ってきて、二十分程で先生も参上。だいたい三十人、これでクラスが勢揃いだ。

そして時は来た…というより来てしまった。緊張と不安の止まらない自己紹介タイムだ。
「私はこのクラスの担任を受け持つことになったキリル・メルニチェンコ。まあ自分一人の力じゃどうしようもなくなったときとかはいつでも相談に来てくれていい。先生とはそのためにあるのだから」
先生が先陣を切ったら次は生徒の番だ。名前順に生徒が前に出て名乗っていく。
「我が名はアリス・シトロン」
「俺はガイア・イワノフ、"岩神"のガイアだ」
「氷魔法使い…ユーリ・タッカー」
「"ローゼンベルク"出身の…マリー・ローゼンベルク…です…」
順番は次々と流れていく。僕の順も徐々に迫ってくる。そのうちにルーシーのターンが回ってきた。
「わたくしの名前はルーシー・ゼブルですわ。趣味は紅茶を嗜むこと、特技は"なんでも"ですわ」
さすが生まれながらのお嬢様。こういう場には慣れっこなんだろう。すらすらと続けていくのは見事。でも"なんでも"、はなんかもうちょい言い方なかったんだろうか。ほら、もうちょっと貴族らしい高貴な言い方ってのがさ。

そうこう思っている間にさらに数人が終え、ついに僕の番だ。
深呼吸。深く息を吸って始めよう。まずは名前から――
「僕はサ…サーシャッ…デュアペルです!」
台本は読み込んだはずなのに…!現実は往々にしてうまくいかないものではあるけど、それがここで発動されてほしくはなかった。突然の大声に驚く者が半分、薄く笑う者が半分。そして呆れ顔のルーシーが一人。
周りの反応に少しずつ、僕の顔は熱く赤くなっていく。それこそ製鉄所の鉄板の如く。人生でこれほど顔を赤くする経験はあと三回もないだろう。一度は告白、もう一度は初めてのお酒。残りの一度はきっと…来年と再来年の自己紹介だ。じゃあやっぱ四回ぐらいはあるのかもしれない。
吃りに吃ってしどろもどろに脳内カンペを読み終え席に戻る。周囲の視線が痛い。かわいそうな人を見るような目はやめてくれ…ください。それとルーシー、そのゴミを見るような目はもっとご遠慮願いたい。
意外となんとかなるとはいうけど…ああ、僕の高校生活はどうなってしまうのやら。
「まったくあなたは…もう少し自信を持てばよかったと思うのですけど?」
「返す言葉もございません、でも自信たっぷりってのも楽なことじゃないんだよ」
自己肯定感というものは大切だ。僕のそれは平均より低い気がする。水魔法というものの扱いは悪いし、いっそすべてを不遇なる水魔法のせいにしてしまいたい。でもその水魔法使いの中では僕は恵まれた方だったよね?じゃあ水魔法は関係なさそうなのになぜ…わからない。人間の成長とは理解しがたい。
ルーシーの正論に耳を痛めながら話の続きを試みようとすると、背後に「ヌッ」と形容すべき素早い気配の現れを感じる。
「なあ、お前ゼブルの嬢さんと仲良しなのか?」
不意に声をかけられた。この声の主は、
「サーシャだったよな?俺はガイア。ガイア・イワノフだ」
ガイアか。覚えてる。まだ自分の自己紹介が始まるだいぶ前でメンタルに余裕があったから覚えてる。
なにかスポーツでもやっていたんであろうやや筋肉質な体つき、さっぱりとした印象をもたらす藍色の短髪。話し方も力に溢れていて、同じ青系統の髪なのに僕とは違って友達が多かったんだろうな、と内心めちゃくちゃ羨ましがっている。顔にも出るぐらいに。
「そうそう、姓がイワノフなんでな、"岩使いのイワノフ"とでも覚えてくれ」
ダシャレキャラ?名は体を表す?天稟魔法(てんぴんまほう)は大体の場合親や兄弟と似た系統のものになる。親も岩使いなんだとしたらこのギャグは一族に脈々と受け継がれる伝家の宝刀なのだろうか。
…気を取られきってしまう前に話を戻そう。このままだとお互いが本来の目的を忘れてしまう。
「えっと…ルーシーとの関係?知り合いと言えば知り合い…なんだけど」
ルーシーの方を窺いながら言葉を濁す。姉妹ということを伝えるべきか決めあぐねていると、
「サーシャとは言ってしまえば姉妹ですわね。血は繋がってないので義理の、ではありますけど」
ルーシーは思ったよりもあっさりと姉妹であることを告白した。家庭環境がやや複雑だけどそこを深くは説明しなくてもよかったのか。
「姉妹?そうだったのか。仲良しの姉妹は羨ましいな」
「まあ二人とも、これからよろしくな。楽しい一年にできたらな、って思ってるぜ」
高校初の友人ってことでいいよね?僕からだけの思い込みじゃないことを祈りつつ、友人ができたことを心の底から喜ぶ。それはルーシーも同じのようだ。ひとつ違うのは、ルーシーは既にお互いが友人関係だと確信してるところだけど。
「こちらこそよろしくね」
「よろしくお願いいたしますわ」
「そんなわけで…せっかくだから校舎全体を回ってかないか?何があるか気になるもんでな」
探検か。同じ新鮮なものを見つつ親睦を深めるというのもきっといいことだ。ガイアとルーシーに置いてかれないように着いていく。まずは四階建てのうち、僕たちの教室がある三階を見て回ろう。

「ここはなんの部屋だろう?」
「生物室ですわね。人体模型は置いてないのでしょうか?」
鍵は持っていないし無理やり開けるってわけにもいかない。きっとこれから"深夜の学校で出てほしくないものリスト"トップテン入り間違いなしの人体模型さんがあるかは、また今度授業のときにこっそり確かめよう。
三階を一周して元の場所に戻ってきた。一つ降りて二階に行ってみよう。

「おっ、ここは調理室だな。二人とも料理はできるのか?」
「いや…それがぜんぜん…」
「人並み…程度ですわ」
なにせゼブル家のメイドさんの料理はおいしいのだ。自分で作ることもそんなないので料理スキルは小学生のころからあまり成長していない。自己紹介でもだいたいなんでもできると言っていたぐらいだしルーシーの発言にはやや謙遜が入っているだろうけど。
「逆にガイアは料理できるの?」
「……食べたいならいいぞ」
うん、なんで最初の方黙った。もしかして食品以外の何かを生成するタイプの人間なのか?そんなはずあるまいな。…あるまいな?
二階もだいたい見終わったし、階段を上がって最上階、四階に向かう。

「この部屋は…なんて言うんっだっけな」
「視聴覚室っていうのかな?スクリーンもプロジェクターもいいやつ使ってそうだね」
「うちで契約してるサブスクもここならもっと楽しめそうですわね!」
おいおいルーシーさん。あんたはお金持ちなんだし家にシアタールーム的なの作ってもらえばいいでしょうが。思えば意外にもゼブル家にはプロジェクターのある部屋がないのか。確かにそうだったな。僕もそんな部屋使ったことがなければ見たこともない。映画を見るとしたら自分の部屋のテレビとかあるし。「大画面は映画館で」、これがゼブル家の教育なのだろうか?
校舎内はこれでおおむね全部かな。そこで二人にも下に行くことを提案したら快く着いてきてくれた。そして一階、校舎から出てすぐに。

「体育館だ。なあ、少しバスケやってってもいいか?」
「うん、大丈夫だよ。フリースロー対決とかにでも付き合おうか?…ルーシーが」
「わたくしですの!?」
しょうがないだろう。だってルーシーの方がスポーツできるから。結局僕も巻き込まれたけど。ガイアは10本中8本、ルーシーは7本決め、僕は1本しか入らなかった。勝敗の結果、仕方なく僕はルーシーとガイアにパンをひとつずつ奢ることになり、ついでで僕もひとついただいた。この学校、学食にも期待できそうだ。相当においしいよ、このカレーパン。敗北の痛みは美食で癒すことにしよう。

探索を終えて、明日から使うであろうグラウンドに足を踏み入れ別れの挨拶をする。今日は上級生は来ていないらしく、部活をやってる生徒の姿はない。今この場には僕たち三人だけだ。すぐにゼロ人になるけど。
「じゃあまた明日な。授業も始まるらしいからちゃんと準備はした方がいいぞ」
ガイアは手を振りながら門をくぐり、街の方へ消えていった。
「わたくしたちも帰りますわよ」
「そうだね」
日が暮れてきた。夜がくる前に早く帰ろう。
陽の落ちゆく帰り道、茜色が力を失っていく空の下でルーシーと二人。学校周りのビル街を抜け、住宅街の路地を歩いている。
「まだ明るいのに、月が綺麗ですわね」
「うん、満月だね」
月を見るべく空を見上げていた僕らはぶつかって初めて、真正面の男たちに気づいた。
「ごめんなさ――」
と言いかけたところで彼らの手に持っている物が見えた。直剣、ナイフ、ナックルダスター。三者三様という言葉の通り、三人の男はそれぞれの武器で僕たち二人を素早く取り囲んだ。

「見ろよ、"禁忌(きんき)"さんのお出ましだぜ!」
「横にいるのはゼブルのとこのお嬢さんか。高く売れるぞ」
「本題を忘れるな。そっちの女はあくまでついでだ。俺たちの目的は"禁忌"の確保、あるいは…」
「殺害も止むなし!」
物騒な発言のおかげでわかった。この黒いフードに身を包んでいる彼らは僕の命(とルーシーの身代金)を狙っている。それに"禁忌"?なんのことだかさっぱりわからない。加速する思考。速すぎて呼吸が追いつかずに身は動かない。僕の硬直を破ったのは彼らの暴力、
「私がおまけですってぇ!?なめたこと言ってるんじゃねぇですわよ!アホ面ども!!」
ではなく、ルーシーの先制攻撃だった。静止する間もなかった一瞬のうちの打撃に吹き飛ばされるナックルダスター男。顎を強打され宙に舞い、重力に沿って地面に叩きつけられる。武器を持っているのは彼らだけじゃない。このお嬢様(ルーシー)も代々受け継がれてきたバールを用いて戦闘状態に入っていたのだ。…なぜ貴族がバールを受け継いでいたのかだけはさっぱりだけど。

「わたくしに合わせなさい!」
「う…うん!」
ルーシーの合図で水を呼び出し、路地全体に行き渡らせる。互いに背を向け、それぞれ正面の相手に集中。そして、"彼ら"の出番だ。
「"尊凰(そんおう)"!"亀壱(きいち)"!"黄龍(きりゅう)"!」
大鳥、蛇亀、東洋龍。三種の動物を順番に繰り出し、"黄龍"には倒れているMr.ナックルダスターの拘束を任せる。
「ルーシー!剣持ちは頼んだよ!」
「了解ですの!」
ルーシーには空を飛べる"尊凰"を預けておく。そして僕は大きな体により守りに定評のある"亀壱"と共に、ナイフを構えた男を相手にする。

「ほう…それがお前が"水獣(すいじゅう)"と呼ばれる所以か!」
そうだ。僕はいつしか"水獣"と呼ばれるようになっていた。僕の天稟魔法(てんぴんまほう)四重波(よえなみ)(なだ)』で作る水の動物は四種類。それらが東洋の伝説の生き物"瑞獣(ずいじゅう)"に似ているのと、僕が水使いであることから誰かが"水獣"と呼び始めた。僕自身はこのあだ名を結構気に入ってる。
「知ってるんだ。できたら"禁忌"じゃなくて僕も知ってるそっちの名で呼んでくれると嬉しいな」
走りかかる男。接近と同時にナイフの二刀流が虚空と水亀を切り裂く。恐ろしく速い斬撃。人を傷つけるというより殺すことに慣れているのだろう、その軌道に容赦は見られない。しかし、
「まいったな、火炎放射器でも必要だったか?相性最悪じゃねぇかよ」
水の性質は物理攻撃相手には強力だ。名の知れた剣豪でも魔法を使わずして水の動物を斬り倒すことはできない。斬られる事がダメージにならず、斬られてもすぐに元通り。となると取れる手は主に2つ。魔法を使うか、あるいは、
「じゃあ本体を狙えばいいな!」
直接攻撃。単純だが有効な手だ。というか普通にヤバい。近接戦闘が苦手だからこそ能力を拡張して強くなってきたけど、ツケはいつか回ってくるものだった。ブロック塀を蹴り跳躍、亀の横を通り過ぎるとその鋭い刃は僕の首元を狙う。生まれつきの体格差、性別の差がどうしても表れる筋力差、それに鍛えてこなかったゆえの動きのぎこちなさ。防戦一方、早くルーシーの助けがほしいけどあっちはあっちで忙しい。手も足も出ぬままナイフを避けたり避けたりするうちになんとか"亀壱"を割り込ませ、距離を取る事に成功する。
「距離を取ればなんとかなると、悪くないご意見だ!」
敵のことを高く買ってくれるなんて、意外とリスペクトに満ちた襲撃者なのだろうか。しかし、手から鈍い光を放つ何かをリリースしたらしい。お褒めの言葉と同時に飛ばしてきたのは、
「はっはあーっ!ナイフ使い相手にこれを警戒しないのは愚策の極みってもんだろ!」
投げナイフ!こいつもただのバカではなかったようだ。抵抗があるとはいえ、一メートルほどの厚みしかない水でナイフの貫通を受け止めるのは不可能といえる。僅かに遅くなったナイフは軌道を変えずにまっすぐ向かってくる。

でも止められないなら止める必要はない。薄い水のドームで体を囲い、流れを作る。それに合わせて体をよじることにより、
「なっ…なんだっ!こいつナイフの向きを変えて受け流しやがった!」
場には男の驚愕とあらぬ方向に飛んで行ったナイフの金属音だけが残る。そしてナイフに貫かれても水の動物が無事なことは実証済み。
動揺する彼を無傷の"亀壱"は上からその質量で叩き潰し、ダウンさせる。これでこっちは終わり。ルーシーの方を振り返ると、剣使いが一番手強かったのかまだ戦闘を継続している。だがそろそろ終わりだろう。バールが光を放ち輝いている、それがルーシーの能力。空中から攻撃させていた"尊凰"が降下、チャンスと見て男を掴み動きを封じる。そして、
「これが高貴な者に手を出そうとした…裁きってもんですわよ!」
ルーシーのフルスイングが男の側頭部を打ち抜くと同時に、轟音と共に雷が天から突き刺さる。受けた攻撃を蓄積しそれを雷鳴として放出する。充電と放電とでも形容すべき、そんな魔法を操るルーシーは疲労こそしていても大したダメージはなかったようだ。
「楽勝でしたわね」
「"尊凰"が結構役立ったでしょ。ナイスサポートだったとは思わない?」
「…否定はしないであげますわ!」

雷を浴びて倒れたソードマンを鷹の脚で押さえつけ捕獲、ナイフ使いは亀に潰されたまま、初撃で気絶したナックルダスターさんは龍に巻き付かれた状態で今呼んだばかりの警察を待つ。初日からこれとは先が思いやられる。明日は…きっと……も…っといい日……に………
ドスッ、といった音と共に全身に鈍い痛みが浸透する。追い打ち?いや、これは…
「サーシャ?なんでぶっ倒れてんですの!?」
「もしもし爺や?今すぐ車を出してくださる?あと家で医療の準備もお願いしますわ!」
ああ、疲れて倒れたんだね。ありがとうルーシー。僕動けないから…車に乗せるまでお願いします。