さて、翌日の休日。
私はネイトへのハンカチを手に、大廊下でウロウロと歩き回っていた。
この大廊下はフィオーレ寮、オルニス寮、ビエント寮、トゥングル寮の、各寮への分岐点となる。
つまりこれからネイトに会いに行くには、トゥングル寮へと入らなければならないわけだが……
(えぇ~、緊張する。他の寮に入るってのもそうだし、そもそもフィオーレ寮以外は完全男子寮だからなぁ。そこに女子が一人で行くってのもどうよ?)
と、このような思いから大廊下でウロウロすることになっているのである。
ネイトと同じトゥングル寮の生徒を見かけ、声をかけてみようかとも思ったが勇気が出なかった。
(うぅ~……こんな調子じゃ日が暮れちゃうよ……)
それともモーリス先生に付き合ってもらおうか。
そこまで考えた私の耳に、聞き慣れた声が届いた。
「何やってんだ?」
「クライヴ先輩……!」
オルニス寮に帰るところなのか、何人かのオルニス寮生を引き連れたクライヴの姿があった。
先日オルニス寮生に絡まれたこともあり警戒していたが、彼らは気さくに挨拶してくれて緊張が解けた。
クライヴは彼らを先に帰すと、私の正面に立つ。
「なんだその包み?」
「あ、これをですね、ネイト先輩に渡したくて……」
「ネイト? ネイト・コンステラシオンにか?」
冗談じゃないと言いたげな表情で、クライヴは顔をしかめてみせた。
ネイトはその桁違いの魔力を持っていることから、メインキャラたちからもやや距離を置かれているキャラだ。
クライヴからも例外ではない。
「おまえ、あいつと知り合いなのか?」
「知り合いってほどじゃないんですけど……この間助けてもらったのでそのお礼をしたいんです」
「助けてもらった? 何かあったのか」
「い、いえ。たいしたことじゃないんです」
縄張りを荒らされた肉食獣のようにクライヴが唸ったので、慌てて話をそらした。
「あの、先輩、ちょっとお願いがあるんですけど」
「あ?」
「一緒にトゥングル寮に行ってくれませんか?」
「………」
クライヴは口を閉じると、ジト目になりまじまじと私のことを見続けた。
何か思案している顔なのはわかる。ただ、ちょっと機嫌が悪そうで私はおどおどとした態度でクライヴの言葉を待った。
「……いいぜ」
はあ、とため息混じりにクライヴは言う。
「すみません、面倒臭いこと頼んじゃって」
「……そうじゃねぇよ」
「へ?」
「自分の恋人が他の男の所に行きたいなんて、いい気分しねぇだろうが」
「へぇッ!?」
あまりにも予想外のことを言われ、私は引っ繰り返った声を上げてしまった。
「いやっ、でででもっ、私たち……」
偽りの恋人ですよね、と言おうとして、周りに人がいたため口をつぐんだ。
私があわあわとしばらく慌てていたら、突然クライヴが噴き出した。
「ばぁーか」
「はひ?」
「くっ……ホントあほみたいな顔しやがって……くくっ」
腹を抱え、肩を震わせクライヴはツボに入って笑っている。
私はまたしてもクライヴにしてやられた悔しさに地団太を踏んだ。
きっとさっきのも冗談なのだろうと思うと、慌てふためいた自分があまりにも滑稽すぎた。
「おら、行くぞ」
「わぁあ! 髪ぐしゃぐしゃにしないでくださいよ!」
頭にクライヴの手を置かれながら、私はようやくトゥングル寮へと足を踏み入れるのだった。
***
トゥングル寮は、校章カラーが青なだけに、寮内の色調も青色で統一されていた。モチーフも『月』なため、夜の中に入り込んだようにロマンティックな雰囲気だった。
この寮はとくに魔力を持っていたり、魔力の才能に抜きん出ていたりする男子生徒が集められている。
その中でも一際その才能に溢れ出ているのがネイトなのだ。
ただでさえこの寮の生徒の魔力の高さには驚かされるのに、それをはるかに超えるネイトという存在を恐れる人の気持ちもわからなくはない。
(でもそれでネイトは心を閉ざし気味……って設定なんだよね。ネイトが心を開くのにもけっこうストーリーを進めなきゃいけなくて大変だったんだから)
そんな理由から勝手にだが、ネイト推しのユーザーは根気強いところがあると思っている。
「おい」
ネイトのことを考えて立ち止まっていた私の目を覚まさせるように、クライヴが話しかけてきた。
「ネイトはおそらく自室にこもってるだとよ」
「えっ……訊いてくれたんですか?」
「おまえがぼけーっとしてる間にな」
また頭をぐしゃぐしゃとされ、私は唇を付き出して不貞腐れたポーズを取った。
そうはしつつも、やっぱりクライヴは面倒見がいい。そこは素直に格好いいと思えた。
ともあれ私たちは、クライヴが声をかけたトゥングル寮生徒の案内のもと、ネイトの自室へと向かうことになった。
基本的に寮は二人一部屋だが、ネイトは特別なのか一人部屋らしい。
羨ましいとも思ったが、同室のアイネと過ごす時間は楽しいものだったので、その楽しさが無い一人部屋は逆に寂しいのではないかと思い直した。
そうこうしているうちにネイトの自室前へと着き、案内してくれた生徒と別れた。
「三年生のくせに一人部屋とはな。……って、どうした?」
それまで必死に髪を整え、表情筋を伸ばしていた私は、クライヴに訊ねられ思わずそちらに詰め寄った。
「クライヴ先輩!」
「な、なんだよ……」
「私、変じゃないですか?」
「はあ?」
「その、格好とか髪とか顔とか。いや、顔はどうしようもないんですけど、身なりとか変じゃないですか?」
「べつに……変じゃねえけど……」
「ホントですか? あー、鏡持ってくればよかったー!」
私の圧に押されてか、クライヴはらしくもなく目を丸くしている。
だってまた推しに会うのだ。できるだけ可愛い……というかまともな恰好でお会いしたいに決まっている。
そんな私にちょっと引きながら、クライヴは少し離れたところへ移動した。おそらく私とネイトの邪魔をしないためだろう。気の利く男である。
「ふう……はあ……」
私はラッピングされたハンカチを胸に、いざ扉へと向き直った。
そして意を決し、インターホンを鳴らす……前に、その扉が開かれる。
「ひえッ!?」
「部屋の前で騒がしくしないでもらえますか?」
当たり前と言えば当たり前だが、扉の向こうから出てきたのはネイトだった。
彼はやや不機嫌そうに顔をしかめながら、来客のことを確認する。
それが先日会った私だと気付いたのか、ますます怪訝そうな表情になった。
「……この間、図書室で泣いてた人か」
「あ、あの節はどうもっ、ありがとうございました!」
「まさかまたお礼を言いに来たんですか?」
「いえ! あ、もちろんそれもありますけど、それだけじゃなくて……」
鬱陶しそうなネイトの態度にもめげず、私はラッピング箱をネイトへと差し出した。
さすがに予想外だったのか、ネイトの表情が驚きで固まっていた。
「……は? なにこれ」
「ハンカチです」
「ハンカチ……」
私の言葉を復唱し、ゆっくりとネイトはハンカチを受け取った。
黒い箱に赤いリボンの外装を見ながら、ネイトは信じられないといった顔つきで私の方を向いた。
「これを、俺に?」
「はい。趣味に合うかわからないし私の自己満足ですけど……先日のお礼も兼ねて、受け取ってもらえたら嬉しいです」
「………」
ネイトはラッピングを解き、中から出てきたハンカチを眺めた。
その横顔は美しく、私はそちらに見惚れてしまっていた。
「俺に贈り物、ですか」
「だ……駄目でしたか?」
「……いいや」
そこでネイトは、ふ、と口元を緩ませ、初めて笑みを浮かべた。
「有難く頂戴しますよ」
「……!」
滅多に見ることのできないネイトの微笑に、私は心臓が爆発寸前だった。
イベントなどで実装されるキャラカードのSSRでだって、ネイトはいつもすまし顔が多い。
それなのにこんなに早くネイトの笑顔を見ることができただなんて……
(あぁ~、やっぱり推し最高!)
とにかくそれである。
現実世界で死んでしまったのは悲しいが、この『マジナイ』の世界で第二の人生を歩めることはやっぱり嬉しいことこの上ない。
何より、推しの笑顔は何物にも代えがたい喜びなのである。
だから私がニコニコとネイトのことを見つめていたら、その視線に気付いたのか、ネイトがまたも微笑を返してくれた。
「恐くないんですか? 俺の噂、転入生でも色々知っているでしょう?」
「噂は噂ですし、こうして話していて恐いなんて少しも感じません! だから大丈夫です!」
「……変な奴」
そうは言いつつも、ネイトの紅い瞳は、狙いを定めた蛇のようにギラギラと輝いていて、私は思わずぞくりと背筋を凍らせた。
(ネイトのギャップ……これなんだよね。好感度が上がるとヤンデレ寄りになっていくのがたまらなくてさぁ!)
そうは思いつつ、実際にその想いを向けられるとどんな感じになるのだろうと思った。
ヤンデレに愛されたことがないのでまるで見当がつかないが。
「……入ります?」
「え?」
「部屋」
最低限の単語だけを口にするネイトの意図が読めず、私は首を傾げる。
すると、ネイトは開いていたドアを更にオープンにした。
「お茶ぐらい淹れますけど」
「えっ……」
まさかの申し出に、私は浮足立ってしまった。
そのまま中に入ろうとし、何か忘れていることに気付く。
それを思い出すより先に肩を引かれ、私は後ろへ倒れかけた。
「見過ごせねぇな」
「クライヴ先輩……!」
私の体はすっぽりとクライヴの腕の中に納まっていた。
いや、すっかり忘れていた。そうだ、クライヴと来たんだった。
やらかした、と青ざめる私に反し、ネイトは冷静に状況を見ていた。
「クライヴさん……居たんですね」
「浮かれて俺の魔力も探知できてなかったってか?」
クライヴの挑発めいた言葉に、ネイトは無言を返す。
何故か一触即発の雰囲気になってしまい、私はクライヴの腕の中で慌ててネイトに説明した。
「あのっ、今日はクライヴ先輩についてきてもらったので……! もし機会があれば、今度ぜひ!」
「あぁ? なに他の男の部屋になんか入ろうとしてんだ」
「ひえっ! いやでも推しと……推しとお茶会だなんてそんなイベントスキップできないぃいい」
「なにわけわかんねぇこと言ってんだ」
ついつい推しへのパワーでクライヴに反論してみるものの、クライヴもクライヴで一歩も引き下がらなかった。
わーわーと騒ぐ私たちを前に、ネイトはため息を一つ。
そして、低くて落ち着く声音で言葉を紡いだ。
「メア」
突然その名を呼ばれ、思わず硬直してしまう。
メイトは真っ直ぐと私のことを射抜いていた。
「ハンカチ、受け取りましたので、今日はこれで」
「あ、はい……」
「それとお茶会はまた今度」
「えっ……!」
「あぁ?」
ネイトの言葉に感極まって言葉を失くす私と、不服そうな声を上げるクライヴ。
そうして私はあまり此処に長居するのも悪いと思い、改めてネイトに礼を言い、クライヴを連れてトゥングル寮を後にした。
また大廊下に戻って来た私は、日が傾いていることに気付く。思ったよりトゥングル寮にいたらしい。
なんだかんだ目標は達成でき、良かったと胸をなでおろす。
それもこれも付き合ってくれたクライヴのお陰だと思い、そちらを見た。
すると――
「……なあ」
「はい?」
「おまえ、あの野郎が好きなのか?」
アルバートの時とは違う、真剣な眼差し。
どこか空気も重く、夕焼けを逆光にして立つクライヴの表情が見えないのがどこか恐く感じられた。
私は一度息を呑み、いつもの調子を取り戻す。
「いやいやいや、何言ってるんですか。そりゃあ人としては好きですけども……」
「あの野郎の前でだけ、態度が違わないか? 推しがどうとか言ってやがったし……」
「そう、推しなんです。推し!」
「……推しってなんだ?」
「何て言うんでしょう。人によって定義は違うと思うんですけど……私にとっては、いてくれるだけで元気が出る存在って感じですね!」
「……恋愛の好きとは違うのか?」
「んー、ちょっと違いますね」
まさか推し談義をすることになるとは思わず、一人でケラケラ笑ってしまう。
一方、クライヴの表情はまだ硬い。
何かを考え込んでいるようで、その思案顔は彫刻のように美しかった。
そしてその顔が、吐息を感じるほど私の近くにあった。
「本当に、恋愛感情は無いのか?」
「は……はい」
「………」
「えっ……と」
「………」
「も、もしそういう人ができたならすぐにクライヴ先輩に言いますので……」
クライヴはどうにも、私に好きな人がいるのかどうか気になってしょうがないらしい。
きっとそれは、自分が言い出した『偽りの恋人』のことがあるからだろう。
だから安心させるためにそう言ったのだが、返ってきたのは深く長いため息だった。
「……まあ、そうだな。俺に真っ先に教えろ」
「はい!」
なんだか気持ちの晴れていなさそうなクライヴに、しかし私は気付くことなく、元気よく返事をするのだった。
私はネイトへのハンカチを手に、大廊下でウロウロと歩き回っていた。
この大廊下はフィオーレ寮、オルニス寮、ビエント寮、トゥングル寮の、各寮への分岐点となる。
つまりこれからネイトに会いに行くには、トゥングル寮へと入らなければならないわけだが……
(えぇ~、緊張する。他の寮に入るってのもそうだし、そもそもフィオーレ寮以外は完全男子寮だからなぁ。そこに女子が一人で行くってのもどうよ?)
と、このような思いから大廊下でウロウロすることになっているのである。
ネイトと同じトゥングル寮の生徒を見かけ、声をかけてみようかとも思ったが勇気が出なかった。
(うぅ~……こんな調子じゃ日が暮れちゃうよ……)
それともモーリス先生に付き合ってもらおうか。
そこまで考えた私の耳に、聞き慣れた声が届いた。
「何やってんだ?」
「クライヴ先輩……!」
オルニス寮に帰るところなのか、何人かのオルニス寮生を引き連れたクライヴの姿があった。
先日オルニス寮生に絡まれたこともあり警戒していたが、彼らは気さくに挨拶してくれて緊張が解けた。
クライヴは彼らを先に帰すと、私の正面に立つ。
「なんだその包み?」
「あ、これをですね、ネイト先輩に渡したくて……」
「ネイト? ネイト・コンステラシオンにか?」
冗談じゃないと言いたげな表情で、クライヴは顔をしかめてみせた。
ネイトはその桁違いの魔力を持っていることから、メインキャラたちからもやや距離を置かれているキャラだ。
クライヴからも例外ではない。
「おまえ、あいつと知り合いなのか?」
「知り合いってほどじゃないんですけど……この間助けてもらったのでそのお礼をしたいんです」
「助けてもらった? 何かあったのか」
「い、いえ。たいしたことじゃないんです」
縄張りを荒らされた肉食獣のようにクライヴが唸ったので、慌てて話をそらした。
「あの、先輩、ちょっとお願いがあるんですけど」
「あ?」
「一緒にトゥングル寮に行ってくれませんか?」
「………」
クライヴは口を閉じると、ジト目になりまじまじと私のことを見続けた。
何か思案している顔なのはわかる。ただ、ちょっと機嫌が悪そうで私はおどおどとした態度でクライヴの言葉を待った。
「……いいぜ」
はあ、とため息混じりにクライヴは言う。
「すみません、面倒臭いこと頼んじゃって」
「……そうじゃねぇよ」
「へ?」
「自分の恋人が他の男の所に行きたいなんて、いい気分しねぇだろうが」
「へぇッ!?」
あまりにも予想外のことを言われ、私は引っ繰り返った声を上げてしまった。
「いやっ、でででもっ、私たち……」
偽りの恋人ですよね、と言おうとして、周りに人がいたため口をつぐんだ。
私があわあわとしばらく慌てていたら、突然クライヴが噴き出した。
「ばぁーか」
「はひ?」
「くっ……ホントあほみたいな顔しやがって……くくっ」
腹を抱え、肩を震わせクライヴはツボに入って笑っている。
私はまたしてもクライヴにしてやられた悔しさに地団太を踏んだ。
きっとさっきのも冗談なのだろうと思うと、慌てふためいた自分があまりにも滑稽すぎた。
「おら、行くぞ」
「わぁあ! 髪ぐしゃぐしゃにしないでくださいよ!」
頭にクライヴの手を置かれながら、私はようやくトゥングル寮へと足を踏み入れるのだった。
***
トゥングル寮は、校章カラーが青なだけに、寮内の色調も青色で統一されていた。モチーフも『月』なため、夜の中に入り込んだようにロマンティックな雰囲気だった。
この寮はとくに魔力を持っていたり、魔力の才能に抜きん出ていたりする男子生徒が集められている。
その中でも一際その才能に溢れ出ているのがネイトなのだ。
ただでさえこの寮の生徒の魔力の高さには驚かされるのに、それをはるかに超えるネイトという存在を恐れる人の気持ちもわからなくはない。
(でもそれでネイトは心を閉ざし気味……って設定なんだよね。ネイトが心を開くのにもけっこうストーリーを進めなきゃいけなくて大変だったんだから)
そんな理由から勝手にだが、ネイト推しのユーザーは根気強いところがあると思っている。
「おい」
ネイトのことを考えて立ち止まっていた私の目を覚まさせるように、クライヴが話しかけてきた。
「ネイトはおそらく自室にこもってるだとよ」
「えっ……訊いてくれたんですか?」
「おまえがぼけーっとしてる間にな」
また頭をぐしゃぐしゃとされ、私は唇を付き出して不貞腐れたポーズを取った。
そうはしつつも、やっぱりクライヴは面倒見がいい。そこは素直に格好いいと思えた。
ともあれ私たちは、クライヴが声をかけたトゥングル寮生徒の案内のもと、ネイトの自室へと向かうことになった。
基本的に寮は二人一部屋だが、ネイトは特別なのか一人部屋らしい。
羨ましいとも思ったが、同室のアイネと過ごす時間は楽しいものだったので、その楽しさが無い一人部屋は逆に寂しいのではないかと思い直した。
そうこうしているうちにネイトの自室前へと着き、案内してくれた生徒と別れた。
「三年生のくせに一人部屋とはな。……って、どうした?」
それまで必死に髪を整え、表情筋を伸ばしていた私は、クライヴに訊ねられ思わずそちらに詰め寄った。
「クライヴ先輩!」
「な、なんだよ……」
「私、変じゃないですか?」
「はあ?」
「その、格好とか髪とか顔とか。いや、顔はどうしようもないんですけど、身なりとか変じゃないですか?」
「べつに……変じゃねえけど……」
「ホントですか? あー、鏡持ってくればよかったー!」
私の圧に押されてか、クライヴはらしくもなく目を丸くしている。
だってまた推しに会うのだ。できるだけ可愛い……というかまともな恰好でお会いしたいに決まっている。
そんな私にちょっと引きながら、クライヴは少し離れたところへ移動した。おそらく私とネイトの邪魔をしないためだろう。気の利く男である。
「ふう……はあ……」
私はラッピングされたハンカチを胸に、いざ扉へと向き直った。
そして意を決し、インターホンを鳴らす……前に、その扉が開かれる。
「ひえッ!?」
「部屋の前で騒がしくしないでもらえますか?」
当たり前と言えば当たり前だが、扉の向こうから出てきたのはネイトだった。
彼はやや不機嫌そうに顔をしかめながら、来客のことを確認する。
それが先日会った私だと気付いたのか、ますます怪訝そうな表情になった。
「……この間、図書室で泣いてた人か」
「あ、あの節はどうもっ、ありがとうございました!」
「まさかまたお礼を言いに来たんですか?」
「いえ! あ、もちろんそれもありますけど、それだけじゃなくて……」
鬱陶しそうなネイトの態度にもめげず、私はラッピング箱をネイトへと差し出した。
さすがに予想外だったのか、ネイトの表情が驚きで固まっていた。
「……は? なにこれ」
「ハンカチです」
「ハンカチ……」
私の言葉を復唱し、ゆっくりとネイトはハンカチを受け取った。
黒い箱に赤いリボンの外装を見ながら、ネイトは信じられないといった顔つきで私の方を向いた。
「これを、俺に?」
「はい。趣味に合うかわからないし私の自己満足ですけど……先日のお礼も兼ねて、受け取ってもらえたら嬉しいです」
「………」
ネイトはラッピングを解き、中から出てきたハンカチを眺めた。
その横顔は美しく、私はそちらに見惚れてしまっていた。
「俺に贈り物、ですか」
「だ……駄目でしたか?」
「……いいや」
そこでネイトは、ふ、と口元を緩ませ、初めて笑みを浮かべた。
「有難く頂戴しますよ」
「……!」
滅多に見ることのできないネイトの微笑に、私は心臓が爆発寸前だった。
イベントなどで実装されるキャラカードのSSRでだって、ネイトはいつもすまし顔が多い。
それなのにこんなに早くネイトの笑顔を見ることができただなんて……
(あぁ~、やっぱり推し最高!)
とにかくそれである。
現実世界で死んでしまったのは悲しいが、この『マジナイ』の世界で第二の人生を歩めることはやっぱり嬉しいことこの上ない。
何より、推しの笑顔は何物にも代えがたい喜びなのである。
だから私がニコニコとネイトのことを見つめていたら、その視線に気付いたのか、ネイトがまたも微笑を返してくれた。
「恐くないんですか? 俺の噂、転入生でも色々知っているでしょう?」
「噂は噂ですし、こうして話していて恐いなんて少しも感じません! だから大丈夫です!」
「……変な奴」
そうは言いつつも、ネイトの紅い瞳は、狙いを定めた蛇のようにギラギラと輝いていて、私は思わずぞくりと背筋を凍らせた。
(ネイトのギャップ……これなんだよね。好感度が上がるとヤンデレ寄りになっていくのがたまらなくてさぁ!)
そうは思いつつ、実際にその想いを向けられるとどんな感じになるのだろうと思った。
ヤンデレに愛されたことがないのでまるで見当がつかないが。
「……入ります?」
「え?」
「部屋」
最低限の単語だけを口にするネイトの意図が読めず、私は首を傾げる。
すると、ネイトは開いていたドアを更にオープンにした。
「お茶ぐらい淹れますけど」
「えっ……」
まさかの申し出に、私は浮足立ってしまった。
そのまま中に入ろうとし、何か忘れていることに気付く。
それを思い出すより先に肩を引かれ、私は後ろへ倒れかけた。
「見過ごせねぇな」
「クライヴ先輩……!」
私の体はすっぽりとクライヴの腕の中に納まっていた。
いや、すっかり忘れていた。そうだ、クライヴと来たんだった。
やらかした、と青ざめる私に反し、ネイトは冷静に状況を見ていた。
「クライヴさん……居たんですね」
「浮かれて俺の魔力も探知できてなかったってか?」
クライヴの挑発めいた言葉に、ネイトは無言を返す。
何故か一触即発の雰囲気になってしまい、私はクライヴの腕の中で慌ててネイトに説明した。
「あのっ、今日はクライヴ先輩についてきてもらったので……! もし機会があれば、今度ぜひ!」
「あぁ? なに他の男の部屋になんか入ろうとしてんだ」
「ひえっ! いやでも推しと……推しとお茶会だなんてそんなイベントスキップできないぃいい」
「なにわけわかんねぇこと言ってんだ」
ついつい推しへのパワーでクライヴに反論してみるものの、クライヴもクライヴで一歩も引き下がらなかった。
わーわーと騒ぐ私たちを前に、ネイトはため息を一つ。
そして、低くて落ち着く声音で言葉を紡いだ。
「メア」
突然その名を呼ばれ、思わず硬直してしまう。
メイトは真っ直ぐと私のことを射抜いていた。
「ハンカチ、受け取りましたので、今日はこれで」
「あ、はい……」
「それとお茶会はまた今度」
「えっ……!」
「あぁ?」
ネイトの言葉に感極まって言葉を失くす私と、不服そうな声を上げるクライヴ。
そうして私はあまり此処に長居するのも悪いと思い、改めてネイトに礼を言い、クライヴを連れてトゥングル寮を後にした。
また大廊下に戻って来た私は、日が傾いていることに気付く。思ったよりトゥングル寮にいたらしい。
なんだかんだ目標は達成でき、良かったと胸をなでおろす。
それもこれも付き合ってくれたクライヴのお陰だと思い、そちらを見た。
すると――
「……なあ」
「はい?」
「おまえ、あの野郎が好きなのか?」
アルバートの時とは違う、真剣な眼差し。
どこか空気も重く、夕焼けを逆光にして立つクライヴの表情が見えないのがどこか恐く感じられた。
私は一度息を呑み、いつもの調子を取り戻す。
「いやいやいや、何言ってるんですか。そりゃあ人としては好きですけども……」
「あの野郎の前でだけ、態度が違わないか? 推しがどうとか言ってやがったし……」
「そう、推しなんです。推し!」
「……推しってなんだ?」
「何て言うんでしょう。人によって定義は違うと思うんですけど……私にとっては、いてくれるだけで元気が出る存在って感じですね!」
「……恋愛の好きとは違うのか?」
「んー、ちょっと違いますね」
まさか推し談義をすることになるとは思わず、一人でケラケラ笑ってしまう。
一方、クライヴの表情はまだ硬い。
何かを考え込んでいるようで、その思案顔は彫刻のように美しかった。
そしてその顔が、吐息を感じるほど私の近くにあった。
「本当に、恋愛感情は無いのか?」
「は……はい」
「………」
「えっ……と」
「………」
「も、もしそういう人ができたならすぐにクライヴ先輩に言いますので……」
クライヴはどうにも、私に好きな人がいるのかどうか気になってしょうがないらしい。
きっとそれは、自分が言い出した『偽りの恋人』のことがあるからだろう。
だから安心させるためにそう言ったのだが、返ってきたのは深く長いため息だった。
「……まあ、そうだな。俺に真っ先に教えろ」
「はい!」
なんだか気持ちの晴れていなさそうなクライヴに、しかし私は気付くことなく、元気よく返事をするのだった。