「で」佳都は仕切り直すように言った。手には青色の上靴がある。
 「合宿の話に戻ろう。泉は準備、もうできた?」
 二人は砂っぽい靴箱を出た。
 「いや、まだぜんぜん」
 「えぇ」佳都はわざとらしく驚いた。
 「まだしてないの。もう明日で夏休み始まるのに」
 「はじまっても合宿まで数日あるでしょ」
 「そうだけどさぁ、準備は早めに始めないと。そんなんじゃ忘れ物するよ」
 二人は話をしながら門を出ていく。視界にはいつも通り、古びた家々、田んぼ、それらの間に生い茂る植物たちが映った。ここは田舎だ。そしてそんな風景に似合わない彼が、横をご機嫌そうに歩いている。
 「あぁもう、ほんとに楽しみ」
 佳都はカバンをブンブン振っている。外は夕オレンジ色の夕日で照らされているけど、汗一つかいてない。
 「合宿のどこがそんなに楽しみなの」
 「それは全部だよ。でも特別期待してるのは、海」
 「海?」
 俺は思わず聞き返してしまった。いろんなイベントがあるなかで、大人っぽい佳都が「海」を選ぶなんて意外だ。
 「そうだけど?」佳都は眉を細める。
 「馬鹿にしてんの。『海なんて子供っぽい』ってさ」
 心を読まれたのかと思った。「いやいや」と手を振って知らないふりをする。 
 「意外だなって思って。佳都は海とか嫌いそうだし……。ほら、日差しとかも強いし、なんか田舎っぽいしさ」
 佳都は去年の秋頃、都会のほうからここに引っ越してきた。そのイメージもあってか、彼は着こなしや振る舞いがおしゃれな感じがする。というか、単純に顔が綺麗でおしゃれ。田舎者ばかりのここらでは、彼はいい意味で浮く。
 「確かに日差しはやだけど、田舎っぽいのは好き」
 「そうなんだ。それも意外」
 「僕のことなんだと思ってんの」
 佳都は口元に手をあてて笑った。そういう動作が新鮮で、俺には上品な感じがする。彼は美容にもすごく気を使ってるらしくて、そこらへんの女子よりもはるかに可愛くて、そこらへんの男子よりはるかにかっこいい。もちろん俺も含んで。
 「例えばさ」佳都が囁くように言ってくる。
 「こんな田舎の帰り道も、僕にはすこいいい景色に見える。こんな典型的な田舎風景、アニメでしか見たことないよ」
 「そういうものなのかな」
 俺は佳都の感覚があんまり分からなかったけど、ふいに彼がこちらに手を伸ばしてきた。彼の細い腕が、俺の脇に絡みつく。
 「そうだよ。アニメの中に入った気分。自然が綺麗で、僕たち以外誰もいない。ね、写真とろっか」
 同性らしくないスキンシップに動揺しつつも、なんとかポーカーフェイスを保つ。意識すれば負け。変に動揺したほうがおかしい。俺は脇に全神経を集中させながら、それを悟られないようにした。夕日が赤くて助かった。
 「……こんな風景で映えるの?」
 「映えるよ。都会のほうじゃこんな景色見れない」
 佳都はスマホを顔の前に突き出して、不満そうにこっちを向く。
「そんなこといいから、ちゃんと顔見せてよ」
 そう言って彼の手が前髪に触れてくる。野暮ったい髪の隙間から、佳都と目が合った。恥ずかしい。俺は顔をそらした。
 「俺は、このままでいいから」
 「もったいないなぁ、泉、意外といい顔してるのに」
 「お世辞はいいから」
 「僕は本気で言ってるんだけどね」
 佳都がとろんとして顔で言う。いつもの冗談っぽい感じじゃなくて、瞳に芯があった。俺は「いいから早く撮ろう」と促した。佳都みたいな綺麗な人にまじまじそんなこと言われたら、こんな態度になっても仕方ないと思う。
 「はいはい。じゃあいくよ」
 佳都は不服そうだったが、カメラの前で、その顔は瞬時に変化した。目がきゅるきゅるしていて、少し口角の上がった口元がかっこいい。その横で俺はただピースをした。空気感が合ってなさすぎて、合成写真みたいになっている。
 「無愛想」
 「……慣れてないから、許して」
 「他の人と撮るときもこうなの」
 「友達と撮ったことなんてないよ」
 「マジ?」
 「まじ」
 佳都はまつ毛を逆立てて、腹を抑えて笑い出した。笑いたきゃ笑えばいい。友達に恵まれた人間が、こんな風に前髪でバリアを作っているわけがない。
 それでもあまりにも笑う時間が長くて、俺はだんだん腹が立った。
 「笑いすぎ」
 「だっておかしいんだもん」佳都は目元を拭う。キラッと光った涙が見えた。
 「前々から聞いてはいたけど、ほんとに友達いないんだね」
 「だから言ってたでしょ」
 「そうだけどさぁ……」
 佳都は歩きながらスマホを覗き込んでいる。見ているのはさっきの写真だ。変な顔した俺を、大きくしたり小さくしたりして遊んでいる。ほんとにデリカシーがない。
 「泉の初めてもらっちゃったわけだね」
 「なにその言い方」
 「べつに? 事実を言っただけだけど」
 おちょくるような佳都の表情。俺はもう口を閉ざした。このままいけば、またこっちが恥をかく。
 それから佳都は満足するまで写真のことをいじって、ふと質問してきた。その頃には学校は遠ざかっていて、近くに古い神社が見えていた、
 「泉は友達欲しいの?」
 「べつに」
 「正直になりなよ」彼は腕をつついてくる。
 「そりゃどちらかといえば、欲しい、欲しいよ」
 「そ。なら話しかければいいじゃん」
 「それができたら苦労しない」
 「べつに気負うようなことじゃないと思うけどな」佳都は俺の横顔をジロジロ見る。
 「泉に話しかけられて、嫌な気持ちになる奴なんていないだろうし」
 「知んないけど」
 そんなことを言い合いながら、二人は神社の鳥居をくぐった。いつものショートカット。石でできた道を歩き、変な顔のこま犬の前を通って、また道の方にでる。
 「まあ」
 そこで佳都は思いついたように言った。
 「やっばり泉には友達なんていないほうがいいや」
 なんてひどいことを言うのか、そんな風に思う俺を無視して、佳都は薄く笑っている。赤い唇がテラテラ光っていた。
 「泉には僕だけでいいんだよ」