「呪いとか、マジで……冗談キツイって……なあ、ユジっち。これ全部演出なんだろ? 都市伝説の検証企画とか嘘で、ホントは俺クンに仕掛けた盛大なドッキリだったんだろ? うわ、見事に引っ掛かってハズすぎだろ!」

「牛タル……」

 とうとう現実逃避を始めた牛タルは、MyTubeで見せるいつものキャラ作りを始める。だが、その目元からは止めどない涙が流れ落ちているのだ。

 この場にいる全員が、トゴウ様の呪いは本物なのだと痛感していた。

「ユジっち、俺さあ。マジだったんだよ。マジで咲良と結婚して、MyTuberやりながら楽しく暮らしてけりゃいいなって……思っ、ぇ……ぁぁああああああ!!!!」

「どうした、牛タル!? オイ!!」

「牛タルさん……!?」

「熱い……!! あ゛つ゛い゛い゛い゛い゛い゛ぃ゛ぃ゛!!!!!!」

 涙ながらに未来を語っていたはずの牛タルが、急に尋常ではない叫び声を上げる。

 驚いて傍に走り寄っていくと、牛タルの流していた涙はいつの間にか真っ赤な血に変わっていた。

 熱い熱いと繰り返す牛タルは、その場に留まることができなくなったのか床の上を転げ回る。

 それをどうにか止めようとするが、動きが激しすぎて近づくことができない。

 何か生臭いものが焼け焦げたような悪臭が鼻をついたかと思うと、やがて牛タルの動きがピタリと止まった。

「ぎゅ、牛タル……?」

 恐る恐る声をかけてみるが、反応はない。
 うつ伏せになったその身体を思い切って反転させてみると、俺は胃液が込み上げてくるのを感じた。

 牛タルは目や鼻や口、そして耳からも大量の血液を垂れ流している。

 瞳があったはずの場所には何も無くなっており、ぽっかりと開けた口の中には舌も無くなっていたように見えた。

 周囲には血と何かが溶けたような赤黒い液体が飛び散り、彼がもう生きていないことを伝えてくる。

「こ、こんなの……普通じゃない……どうして牛タルさんがこんな……」

「カルアちゃん、見ない方がいい」

「ユージさん……私、こんなの……っ」

 俺は吐き気をこらえてレールからカーテンを引きちぎると、牛タルの遺体を覆うように被せる。

 白いカーテンは血を吸い込んですぐに赤黒く染まっていくが、そのままの牛タルを放置しておくよりはマシだろう。

 もう意味の無くなった彼の人形も傍に置くと、俺はカルアちゃんの背を押して教室を出るよう促した。

 廊下の空気はいくらか新鮮なように感じられたが、まだ鼻の奥に焦げ付いたニオイが残っているような気がする。

 あんなにも不快なニオイは、これまで生きてきて嗅いだことがない。
 脳か内臓はわからないが、彼の内側の何かが溶け出すほどに熱されたということなのだろうか。

 どれほど理屈を連ねたとしても、こんなのは人間の仕業ではない。頭の悪い俺にだって、その程度のことはすぐにわかった。

「信じたくないけど、やっぱりトゴウ様は本当にいるってことだ。こんな形で確信を持ちたくなんかなかったけどさ……人形探しなんかしたくもないけど、やらないと俺たちもああなるかもしれない」

「わかってます……だけど、一人じゃ怖いので……一緒に行動してもいいですか?」

 不安そうに俺のことを見上げてくるカルアちゃんは、本当ならすぐにでもこんなことはやめたいのかもしれない。

 俺だって、呪われないとわかっていたらとっくにやめている。二人には悪いが、自分の命が大切だ。
 それでも、今はこれ以上の犠牲が出ないうちに人形を探し出すしかないのだ。

「もちろん、一緒に人形を探そう。まずはルールを破らなければいい。その上で、人形さえ見つけられれば犠牲になった二人も救えるかもしれないんだ」

 牛タルがいなくなってしまったことで、俺に人形を探す術は無くなってしまった。一方で、カルアちゃんが隠したのは俺の人形だ。

 第三者がいれば先ほどと同じ方法で人形を探し出すこともできるだろうが、生憎と財王さんもダミーちゃんも居場所を知る手段がない。

 逆に先ほど探したのが牛タルの人形ではなく俺の人形であったならとも考えたが、トゴウ様からあんな風に妨害を受けるのであれば結果は同じだっただろう。

 それにその場合、あんな死に方をしていたのは俺の方だったのかもしれない。

(最低だな……友達が死んだってのに、自分が助かってホッとしてるとか。俺は結局、自分が一番可愛いんだな)

 自分が呪いによって死亡する側だった可能性、そしてハズレくじを引かずに済んだことに安堵している自分に対して、ゾッとした。
 俺という人間はこんなにも薄情な生き物だったのか。

「ユージさんは、校舎の中をどこまで探し終わりましたか?」

「俺はざっと調べたのが一階と、二階の西側かな。カルアちゃんは?」

「私も一階と二階の東側は調べたので、それならまだどちらも行ってない三階を見てみましょうか?」

「なるほど、じゃあ三階に行こう!」

 まだ全体の半分ほど調べ残しがあると思っていたが、カルアちゃんが二階の逆側を調べてくれていたのは嬉しい誤算だ。

 自然とねりちゃんの遺体がある東側を避けて、俺たちは西側の階段から三階へと移動をしていく。

「……考えてみればさ、どんな願いも叶えてもらえるなんて都合のいい話、あるはずなかったんだよな。そんな魔法みたいな話なら、みんなとっくに試してるはずなんだし」

 タダほど怖いものはない、などと言いはするものの。うまい話が転がってくれば、思わず期待を寄せてしまうのが人間というものなのだろう。

 ましてや俺たちは配信者で、それが事実であろうとなかろうと、食いつけるネタがあればそれを逃す理由などない。

「都市伝説なんて、そういうものなんじゃないでしょうか」

 俺の隣を歩くカルアちゃんは、何かを思うように足元に視線を落としながらそう呟く。

「本当に実在するかどうかわからない。だけど、もしかしたら本当かもしれない。そんな些細な好奇心をくすぐって、自分の領域に人を呼び込む。……都市伝説って、そうやって広まってきたのかなって」

「なるほど……怖いもの見たさなんて言うくらいだし、好奇心を刺激されるのは確かだよな。クネクネとか、きさらぎ駅とか、嘘だろって思いつつ結構調べたことあるし」

「私もです。だから願い事を叶えてもらえるなんて話を聞いて、その方法が難しくないものなら……やってみたいと思う人の方が多いんじゃないでしょうか? 結果が証明されているものであれば、逆に誰もやらないでしょうし」

 カルアちゃんは、俺のことを励ましてくれているのかもしれない。
 今やるべきことをと考えてはいても、犠牲になった二人のことが頭から離れるわけではない。

 俺のせいではないと言ってくれたが、この状況を作り上げたのは、間違いなく企画を立てた俺なのだ。

「呪いが本当だっていうなら、願いだってちゃんと叶えてもらわないとな」

 一人だけが願いを叶えられる上に、それ以外のメンバーは呪い殺されるなんて、理不尽すぎると思う。
 けれど、だからこそ俺はこの状況を変えなければならないのだ。

「俺たちはルールを守る。その代わりに儀式をする前の状態に戻して、二人が死んだのを無かったことにしてもらうんだ」

「二人って、牛タルも死んだってコト?」

 階段を上がりきった先に立っていたのは、不思議そうな顔をしたダミーちゃんだった。
「ダミーちゃん……! こんなところにいたのか!」

「死んだってことは、呪われたんだよネ? 牛タルもルール破っちゃったんだ」

 牛タルの死の報せを聞いても、ダミーちゃんの反応は変わらない。あの死に様を目の当たりにしたこともあって、俺たちが動揺しすぎているのか?

 ダミーちゃんの反応は変わらないどころか、なぜか嬉しそうな様子にすら見えるのは気のせいだろうか?

「なあ、ダミーちゃん。ねりちゃんが死ぬ前、トイレで人形見つけてたよな? あれ、もしかして持ち出したりした? 探しに行ったけど、どこにも無かったんだ」

「人形? 見つけたけど、何でダミーがわざわざ持ち出すワケ? 探してんのはダミーの人形だし、他の人形とか関係ないジャン」

「やっぱりダミーちゃんじゃないのか……じゃあ、やっぱりトゴウ様が……?」

 もしかしたらと思ったのだが、やはりダミーちゃんが持ち歩いているわけではないようだ。

 財王さんが見つけたわけでもないだろうし、そうなるとやはりトゴウ様の妨害と考えるべきなのかもしれない。

(というか、それこそルール違反じゃないのか? 隠した人形を見つけるルールなのに、その隠し場所を動かすなんて……)

 文句を言ったところで、トゴウ様が人形を返してくれるわけではない。俺は気を取り直してダミーちゃんに向き直る。

「それならさ、ちょっと協力してくれないか? カルアちゃんが俺の人形の隠し場所を知ってるから、それを聞いて俺の所に持ってきてほしいんだ。それならルールの穴を突いて願いを……」

「なんで?」

「なんでって……そうすれば、この儀式を終わらせることができるからだよ。ダミーちゃんだって、こんなことから早く解放されたいだろ? 残り時間だって少なくなってきてるんだし」

「ん-、却下!」

 しかし、ダミーちゃんはあろうことか俺たちに協力することを拒んできた。しかも、ほとんど考える素振りすら見せない即答ぶりだ。

 まさか拒否されるとは思いもせずに、俺は二の句が()げなくなってしまう。

「ユージの人形渡しちゃったらさ、ユージのお願いが叶うわけデショ? それじゃあ、ダミーのお願い叶えてもらえないジャン!」

「俺のお願いって……叶えてもらうのは俺個人の願いじゃなくて……!」

「儀式を無かったことにするって言ってたよネ。それ、ダミーは叶えてほしくないから却下」

「な、何言ってんだよ……叶えてほしくないって、もう二人も死人が出てるんだぞ? 自分の願いとか、そんなこと言ってる場合じゃないだろ!?」

 思わず声を荒げてしまうが、まさかここにきて自分の願いを優先するだなんて思いもしなかったのだ。

 ダミーちゃんが自分の願いを叶えるということは、死んだ二人が生き返る可能性は無くなるということなのに。

「ダミーちゃん、自分の言ってることわかってますか? このまま自分のお願いを叶えたら、食物連鎖の二人だけじゃない。残りのメンバーも呪いで殺されちゃうんですよ?」

 そうだ、犠牲になった二人だけではない。この願いを叶えるということは、全員の生死を左右することにも繋がるのだ。

 彼女にはそれが理解できていないのかとも思ったが、続く言葉に俺は己の耳を疑うしかなくなってしまう。

「そんなの、最初っからわかってたジャン? ダミーはダミーのお願い叶えてもらいたいし、他の人がトゴウ様に呪われちゃってもしょうがないデショ。だって、そういうルールなんだからサ」

「なあ、ダミーちゃん……それ本気で言ってるのか?」

「本気じゃなけりゃ、こんな人形探しなんてダリィ真似しねーよなあ?」

 言い合う俺たちの前に現れた財王さんは、手に人形を持っている。
 まさか自分の人形を見つけたのかと思ったのだが、それはよく見れば二年三組の教室に置いてきた牛タルのものだった。

「財王さん……! どうして、その人形を持ってるんですか?」

「オメエらがあの教室で騒いでたのを通話で観てたんでな、ありゃヒデェ死に様だわ」

 俺たちの画面からは、ビデオ通話なんて使い物にならなかったというのに。財王さんの画面からは、教室での様子が確認できていたらしい。

 自分に都合の悪いことをしない人間であれば、妨害などしないということなのか。

「それは牛タルの人形ですよ、財王さんのじゃないです」

「ああ、知ってるよ。試しに燃やしてみたんだが……”燃えなかった”。呪いってやつはマジモンだな。自分の人形じゃねーと、燃やすこともできねえときたもんだ」

 わざわざあの場に行って、死人の人形で試してきたというのか。
 あの場ではそんな考えすら及ばなかったが、まさか他人の人形でも願いを叶えられる可能性を考慮したというのだろうか。

 ダミーちゃんとは違って、財王さんは牛タルの遺体を直接目の当たりにしてきたはずだ。だというのに、胸を痛める様子もなければ彼の死を気に掛けてすらいない。

(願い事のことしか考えていないのか……?)

「ところで、テメエらが今話してたことは冗談だよなあ?」

「話してたことって……儀式を無かったことにするって話ですか? もちろん本気ですけど、何か問題がありますか?」

「ハッ! 馬鹿どもが、ンなことさせるわけねーだろうが!!」

 空気を切り裂くような怒鳴り声に、俺とカルアちゃんは反射的に委縮してしまう。まさかこの人も、この期に及んで自分の願いを叶えようというのか。

「MyTuber界のトップになるなんて、そんな願い……人の命と比べるまでもないだろ!?」

「綺麗事抜かすなよ、テメエの願いだって俺と似たようなモンだろうが」

「それはあくまで企画としての話です。こんな状況になった以上、個人の願いなんて叶えてる場合じゃないことくらいわかって……」

「こんな状況だからこそだろうが!?」

 俺は人としてまともな意見を述べているはずなのに、なぜだか財王さんとダミーちゃんにはまるで響いていないらしい。

「こんな状況だからこそって、何を……言ってるんですか……?」

「呪いは本物。つまり、トゴウってやつの存在も本物ってことだ。なら、人形を燃やしさえすりゃあ願いは確実に叶えられる」

「こんな魔法みたいなチャンス、もう巡ってこないよネ。だからダミーも財王も、ユージたちの頼みを聞く理由は無いんダヨ」

「あんたら……狂ってるよ。イカれてる。そこまでして願い叶えて、それでホントにいいのかよ? 人として間違ったことしてるとは思わないのか!?」

 たとえ世界征服できるとしても、一生困らない生活ができるとしても。

 俺には大事な仲間二人を死なせてしまったというこの罪悪感を背負って、自分の願いを叶えてもらうことなんてできない。

 だが、俺とこの目の前の二人の持つ価値観は、どうやら正反対のところにあるようだ。
 互いに顔を見合わせた二人は、まるで新しいおもちゃを与えられた、無邪気な子供のようだった。

「ユージもカルアも好きだけど、ダミーはダミーのことが一番好きだから。ダミーのお願い以外は叶えたくないし、邪魔するなら許してあげないヨ」

「万が一にも先に人形見つけられちまったら厄介だからなあ。悪いが、テメエらには大人しく呪い殺されてもらうぜ」

「ッ……カルアちゃん、逃げ……!!」

 にじり寄ってくる二人から不穏な空気を感じ取った俺は、咄嗟にカルアちゃんだけでもこの場から逃がそうとする。

 けれど、財王さんとの体格差なんて考えるまでもなく圧倒的だ。
 筋肉質な太い腕に首元を圧迫された俺は、抗うこともできずにあっという間に絞め落とされてしまう。

 フェードアウトしていく意識の外側で、カルアちゃんが俺の名前を呼んでいる声が聞こえた気がした。
「……う、っ……痛ッ……」

「あ、ユージ気がついちゃったみたいだネ。オハヨー」

 ぼんやりとしていた意識が徐々に覚醒していくにつれて、俺は手首に痛みを感じるようになる。
 何度か瞬きを繰り返していくうちに、薄暗い室内が少しずつ認識できるようになっていった。

 冷たい床に頬が擦れる。どうやら横たわっている状態のようで、そんな俺の顔をダミーちゃんが覗き込んでいるのが見えた。

 痛みを感じたのは手首が縛られているせいらしく、試しに動かそうとしてみてもガッチリと固定されていて自力では解けそうにない。

「ここは……っ、カルアちゃん……!?」

「ユージさん、ここにいます」

 意識が飛ぶ直前のことを思い出して、俺はカルアちゃんの名前を呼ぶ。

 求めた声は思ったよりもすぐ近くから聞こえてきて、不自由な態勢ながら首を動かしてみると、同じように縛られているカルアちゃんの姿を見つけることができた。

「ダミーちゃん、どういうつもりだよ? 早く人形を見つけないと、俺たち全員呪い殺されるっていうのに……!」

「だって、ユージがダミーたちの邪魔しようとするからいけないんだヨ。願い事は早い者勝ちって、最初のルール説明でも決まってたのに。ルールは守らなきゃダメだって教わらなかったのカナ?」

「その時とは状況が違いすぎるだろ……! 大体、願い事を叶えてもらえるのは一人だけなんだぞ? 俺たちを拘束したって、財王さんがいる限りダミーちゃんの願いが叶うとは限らないし、力の差を考えても死ぬ可能性の方が……」

「ダミーのお願い、教えてあげよっか?」

 唐突な話の切り出し方に俺は言葉の続きを飲み込んでしまう。カルアちゃんと同じく、ダミーちゃんもまた願い事の内容は秘密にしていたのだ。

 俺たちをこんな風に縛り上げて、人の命まで犠牲にして叶えたい彼女の願いとは、一体どんなものなんだろうか?

「ダミーはね、死後の世界を見てみたいんダヨ!」

「死後の世界……?」

「そう! 生きてるうちは絶対に見られないから諦めてたけど、トゴウ様ならダミーのお願いを聞いてくれる。こんなことホントにあるんだなって、死んだねりちゃんを見た時感動しちゃった! だから、ダミー死ぬのは怖くないんだよネ」

「そんな……」

 それじゃあ、仮にダミーちゃんが自分の人形を見つけられなかったとしても。結果的に、彼女の願いは叶えられることとなる。

 だからこそ、呪いを無効とする目的を持つ俺たちの邪魔はしても、財王さんの個人的な願いを叶えさせない理由にはならないのだ。

 濃いメンバーの中でもかなりブッ飛んでいるキャラクターだと思っていたが、それはMyTuberとして作られた姿ではなく、そのままの彼女の姿だったというのか。
 仲が良いように見えたメンバーの死さえ、喜びに変わってしまうほどに。

「それじゃ、また後でネ。って言っても、次にダミーたちが会うのは死後の世界カナ。楽しみにしてるヨ」

 そう告げる彼女は慈悲の欠片もなく、部屋を出ていってしまった。

 俺が目を覚ました時には財王さんの姿は無かったので、縛り上げたことで役割を終えて人形探しに戻ったのだろう。

「どうしてこんな……カルアちゃん、大丈夫? 怪我とかしてない?」

「私は大丈夫です。逃げようとしたんですけど、ユージさんに火を点けるって脅されて抵抗もできなくて、そのまま連れてこられたので……」

「そうだったのか。けど、乱暴なことをされたりしてないなら良かった。……俺、どのくらい気絶してた?」

「数分くらいです。財王さんが部屋を出たのも、ユージさんが目を覚ますほんの少し前だったので。だから、時間はまだあります」

 縛り上げて転がされている時点で乱暴を受けている気もするが、怪我をしていないというのは幸いだ。

 彼女は申し訳なさそうにしているが、本来なら俺がどうにかしなければいけない場面だった。カルアちゃんが責任を感じる必要など微塵もない。

「とりあえず、抜け出す方法考えないとな。このままじゃ、ホントにあの二人のどっちかが願いを叶えて、俺たちは呪い殺されることになる」

 校内を探し尽くした上で見つからなかったというなら、どのみち死ぬのだとしてもまだ諦めもつく。

 だが、こんな状態であの二人の思い通りにさせることだけは許せない。そんなことになれば、食物連鎖の二人にも合わせる顔がないだろう。

「……ユージさん、ちょっとこっちに来られますか?」

「え? うん、多分……よいしょ……」

 俺とカルアちゃんの距離は、間に人一人分程度の隙間があるくらいだ。どうにか身体を捻って動かせば、その距離はすぐに縮めることができた。

「そのまま、私のポケットの中に手を入れられますか? コートじゃなくて、スカートの方なんですけど……」

「えっ!? いや、届くと思うけど……」

 予想外の要求に、俺はあからさまに挙動不審な態度を取ってしまった。

 こんな状況とはいえ、無防備な格好をしている好きな子の、スカートのポケットの中に手を入れるだなんて。本人の許可があるとはいえ、許されることなのだろうか?

「ユージさん、時間がもったいないので早く……!」

「は、はい!」

 だが、俺のそんな心境を知ってか知らずか、催促をしてくるカルアちゃんに観念して俺は不自由な手を伸ばすことにした。

 後ろ手に縛られているので、俺の手がどの辺りにあるのかを目視することはできない。
 最初に触れたのはコートと思われる厚手の生地で、それを捲り上げるようにして両手を進めていく。

「そこ、もうちょっと下の……あっ……! そ、その辺りです」

「ご、ごめん……! あれ、これって……」

 指示を受けながら動かしていた手の甲が、何か柔らかなものに触れた気がする。
 カルアちゃんの反応を聞いてマズイと思ったのだが、そのまま避けようとした手がポケットのふちへと引っ掛かった。

 態勢がきつくて手首や肩がかなりしんどい思いをしたが、指先に触れた固い何かを引っ張り出す。首を傾けて見ると、小さなポケットナイフだった。

「それを開いて、私の方に向けてもらえますか?」

「ああ……いや、俺がやるからカルアちゃんが持ってて。うっかり怪我したら大変だし」

「え、でも……」

「いいから、はい」

 そう言って折り畳まれたナイフを押し付けると、カルアちゃんは思案した末にそれを受け取った。

 開かれたナイフの刃に、俺は手首の拘束された部分を慎重に押し付ける。
 少しくらい怪我をしたって死にはしない。それに、チンタラしていてはどのみち命はないのだ。

 そう思って刃を強く擦り付け続けていく。
 小型なのでなかなか思うように切れてはくれなかったが、やがてブツリと音がして俺の手首の拘束が解かれた。

 どうやら、カーテンか何かを破って紐状にしたもので拘束されていたようだ。無いとは思うが、鎖を使われたりしていたらアウトだった。

 刃に擦れて少し皮膚が切れてしまったが、この程度を気にかけている場合ではない。

「よし……! カルアちゃん、今解くからね」

「はい」

 縄で擦れて痛む手首を軽く撫でてから、俺はカルアちゃんの手首を拘束する布の結び目を解いていく。

 寝転んでいた上体を起こすと、折り畳んだナイフをコートのポケットにしまう彼女の姿が目に入った。

「血ィつけちゃってごめん。ナイフなんて持ってたんだね、お陰で助かったけど」

「いえ。管理されてるっていっても廃校だし、不審者がいたりしたら怖いなと思って。護身用に持ってきてたんです」

 俺はそこまで考えが及ばなかったが、女の子は特に身を守ることには気を配らなければならないのだろう。

 現にそのお陰で命拾いしているのだから、備えあれば(うれ)いなしというやつだ。

(あのナイフがあったら、ダミーちゃんに紙で指切られなくても済んだんだな……)

 思いのほかざっくりと切られてしまった親指が、思い出したように痛みを訴えてくる。だが、呑気にそんなことを考えている時間はないのだ。

「それじゃあ、俺たちも人形探し再開しないとだね。っていっても、今度はあの二人に見つからないようにもしないといけないけど」

「そうですね。でも、絶対に財王さんとダミーちゃんには願いを叶えさせちゃいけないと思います」

「うん、わかってる。絶対に阻止しよう」
 拘束を解いて見回した室内に、俺とカルアちゃんのスマホやタブレットも落とされていた。

 監禁に成功した以上、放置しておいても脅威にはならないと判断されたのかもしれない。幸い破壊されたりはしていないようで、そのまま使用することができそうだ。

 ビデオ通話に関しては、さすがに切られた状態になっている。
 俺たちが自力で抜け出すことは予想していないだろうが、こちらとしても今はその方がありがたかった。

 脱出したことを知られて、また縛り上げられたのでは意味がない。

「そういえば、ここって何の部屋なんだ? 気絶してたせいかと思ったら、やたらと暗い気がするんだけど……」

 運ばれていた時には意識が無かったので、俺は自分の現在地すら把握できていないことに気がつく。

「ここは視聴覚室ですよ。西階段のすぐ傍だったし、室内は財王さんが探した後だったみたいで。監禁部屋には丁度良かったみたいです」

「なるほど、だからダミーちゃんと話してる最中に現れたのか」

 がらんとしていてあまり物が置かれていないが、確かにプロジェクターらしき機材が備え付けられているのが見える。

 普通の教室よりも薄暗さを感じたのは、遮光カーテンを使用しているからなのだろう。

 彼らが探した後とはいえ、俺たちの人形を見つけたとしてもあの二人が教えるはずがない。

 俺の人形の場所はカルアちゃんが知っているのでここではないとしても、彼女の人形はここに隠されている可能性もあるだろう。

 そう思って探しはしたのだが、やはりここでも人形を見つけることはできなかった。

「人形って、こんなに見つからないものなのか……? そんなに隠せる場所ってあったかな」

「そうですね、結構探してきたとは思うんですけど」

 メンバーの人数分なのだから、校舎の中に人形は全部で六つある。
 そのうち一つは俺が隠したものだからこそ見つけられたが、他にまだあと五つ残っているはずなのだ。

 だというのに、これだけ探し回っても見つからないなんてことがあるのだろうか? 少なくとも、建物の三分の二ほどは探し終えている状態であるにも関わらずだ。

「まさか、あの二人のどっちかが見つけて隠し持ってるとか……」

「……可能性、無いとは言い切れませんね。自分のお願いを叶えたい以上、私たちに見つけられたら困るでしょうから」

 もしも隠し持たれているとすれば、俺たちはどうすることもできない。
 トイレに隠されていたはずの人形も行方不明になっているし、トゴウ様が妨害をしているという可能性も否定はできないが。

「少なくとも、トイレにあった人形はユージさんのじゃありません」

「えっ!?」

「隠し場所を教えてるわけではないので、ルール上ではセーフだと思います」

「いや、そうだけど……何がアウトになるかわかんないからさ」

 俺の脳裏には、ねりちゃんと牛タルの死に様が鮮明に焼き付いて離れない。
 カルアちゃんまであんな死に方をしてしまったらと思うと、それだけは絶対に回避しなければならないのだ。

「私の人形を隠したのはダミーちゃんなので、彼女が私の人形を持っていってしまった可能性はあるかもしれません。けど、自分で隠した場所をわざわざ知らせるような真似はしないと思うので、トイレにあったのは私の人形でもないと思うんです」

「それは、俺も思った。……ってことは、少なくともトイレから消えた人形の行方は、追う必要はないってことだよな? 今の俺たちに必要なのは、俺かカルアちゃんの人形なんだから」

「そうなります。なので、私たちにとって一番の近道は、ユージさんの人形を見つけることではないかと」

 ダミーちゃんがカルアちゃんの人形を隠した以上、確かに持ち運ばれている可能性は十分にある。

 隠した人形を動かしてはならないというルールは無いので、恐らくトゴウ様からの呪いを受けることもないのだろう。

(……ダミーちゃんの願い事が本気なら、ルール違反になっても構わずにやってそうだけど)

 そうなってくると、ダミーちゃんの行動はますます読めなくなる。カルアちゃんの言う通り俺の人形の方が見つけられる可能性は高い。

 その隠した張本人である、カルアちゃん自身に隠し場所を聞く方法があれば良いのだが。

「……あ」

「ユージさん、どうかしましたか?」

「あ、いや」

 そこで俺はふと、自分の人形の存在を思い出した。正確には、自分の人形に仕込んでいた隠しカメラの存在にだ。
 元はトゴウ様の存在を信じていなかった俺が、撮れ高のために仕込んだものだったが。

 隠した張本人であるカルアちゃんに聞くことはできなくとも、あのカメラの映像を確認すれば、人形の場所を確認することができる。

(俺は馬鹿か! どうしてもっと早く気付かなかったんだ……!)

「ユージさん?」

「あの、実はさ……俺……」

 不正を働こうとしていたなんて、そんな格好悪いことを好きな子に告白するのは抵抗があった。
 だが、今はそんなちっぽけなプライドを気にかけている場合ではないだろう。

 そう思ってカメラの存在を打ち明けようとした時、室内に突然ガタゴトと大きな音が響き渡る。

 何事かと思って自然とカルアちゃんと身を寄せ合った俺は、プロジェクターがひとりでに起動していることに気がついた。

「何であのプロジェクター動いて……電気、通ってないよな……?」

 これまでずっと、月明かりとタブレットのライトだけを頼りに動いてきた。立ち入り許可を得た時に、廃校なので電気が通っていないという説明だって受けている。
 だというのに、なぜプロジェクターが動き始めたのだろうか?

 白く大きなスクリーンに投影される光は、やがて何かの映像を映し始めた。

 それは擦り切れるまで再生したビデオテープのように荒い映像で、何が映っているのかよくわからない。
 時折、巻き起こる砂嵐で映像が途切れる。

『……ト……ま……』

『……も、を……ます……』

 恐怖よりも俺はその映像が何なのかが気になって、スクリーンに釘付けになっていた。雑音に混じって、少しずつ音声らしきものも再生されていく。

 始めよりも映像がはっきりしてくると、それは恐らくどこかの廃墟らしいということがわかった。

「これって……もしかして、トゴウ様の儀式なのか……?」

 そこに映っていたのは、見慣れない四人の男女だ。

 机を囲むようにして何かを唱えているのだが、聞いているうちにそれがトゴウ様を呼び出す儀式なのだとわかった。

 机の上には、俺たちがそうしたようにロウソクや米、人形などが並べられている。

 多分だが、これはリアルタイムの映像ではない。どうしてかはわからないが、過去に行われた儀式なのだろうと感じ取れた。

「俺たち以外にも、トゴウ様をやった人間がいるってことか」

「ゆ、ユージさん……あれ……」

 薄暗くてわかりづらいが、カルアちゃんの視線はスクリーンの端の方に向けられている。

 同じようにそちらを見てみると、映像が投影されていないはずの端の方に、黒いシミのようなものが見えた。

 俺がそれを認識したと同時に、シミはあっという間にスクリーン全体へと広がっていく。

 色なんてほとんど認識できないくらいだというのに、俺にはそれがなぜか、牛タルが垂れ流していた赤黒い液体と同じもののように思えてならなかった。

「ヒッ……!」

 そこで俺は、情けなくも小さな悲鳴を上げてしまう。

 映像の中で儀式をしていたはずの人物たち。そのうちの、背を向けている人物以外の三人がこちらをじっと睨みつけていたのだ。
 まるでここに、俺たちがいることを認識しているとでもいうみたいに。

 じっとりとした嫌な汗がシャツの下で滲むのを感じる。これ以上ここにいてはいけないと、本能が告げていた。

「カルアちゃん、行こう。ここにいちゃダメだ」

「は、はい……!」

 昇降口の扉のように、ドアが開かなかったらどうしようかと思ったが、そんなこともなく俺たちはすんなりと廊下に出ることができた。
 廊下は何事もなかったかのように静まり返っている。

 視聴覚室の中からも物音は聞こえてこなかったが、もう一度中を覗いてみようとは到底思えなかった。
 物音が近づいてきていないかどうかに気を配りつつ、俺たちは視聴覚室の向かいにあるプレイルームを探すことにした。

 薄汚れた遊び道具があって、少しばかり探索には手間取ったものの、ここでも人形を見つけることはできずに終わる。

 そのまま斜め向かいにある第二音楽室の中も調べてみたのだが、やはり人形は見つからない。
 これだけ探しても見つけられないというのは、やはり何者かの妨害を受けているとしか思えなかった。

「ここにもありませんね。もしかしたら私たちが、見落としてしまっている可能性もあるんでしょうか?」

「暗いし焦りもあったし、その可能性もあるとは思う……けど、誰も見つけられてないっていうのがな」

 人形探しをしたとはいっても、気づかずにスルーしている箇所だってあったかもしれない。

 それにしたって、始めは六人で人形探しをしていたのだ。同じ部屋を探しに来た人間だっていただろう。

 であるにも関わらず、ここまできても誰も人形を見つけることができていない。

 財王さんたちだって、まだ人形を見つけられていないのだ。それは俺たちがこうして生きていることが、何よりの証拠になっていた。

「……ユージさんと同じように、最初の部屋に隠したってことはないでしょうか?」

「最初の部屋って……二年三組?」

「はい。私はユージさんに牛タルさんの人形の隠し場所を聞くまで、あの場所に人形を隠すって発想すらありませんでした。ユージさんも自分で隠しはしても、あの部屋を探してはいないんじゃないですか?」

「言われてみれば……俺以外が同じ部屋に隠してる可能性って、考えてなかったかも」

 妙案だと思っていながら、自分自身が見落としをしていたとは思わなかった。

 あそこには牛タルの遺体があるので、戻るのは気が引ける。それでも、探してみる価値はあるのではないかと思えた。






「カルアちゃん……これ、さっきはこんな風じゃなかったよな……?」

 カルアちゃんの言葉に従ってロウソク部屋を探すことにした俺たちは、慎重に移動をしながら二年三組の教室まで戻ってくることができた。

 途中で財王さんの声が聞こえたが、離れていたので恐らく別の階を探していたのだろう。だが、今はそれどころではない。

 戻ってきた教室の中央にあるロウソクは、最後に見た時よりもさらに短くなっている。時間が経過しているので当然なのだが、問題はその周囲だ。

 コップに注がれた水が、血のように赤く染まっている。いや、これはきっと血液そのものなのだろう。

「これって……トゴウ様の呪いが、進行してるってことなんでしょうか?」

「わからないけど、良い状況じゃないってことだけは確かだと思う。というか、多分マズイんじゃないかな」

 牛タルが転げ回った際に血液が入り込んだのかとも思ったが、コップの外周は驚くほど綺麗なままだ。

 さらに、盛られた塩は天辺(てっぺん)から少しずつ黒ずんできているのが見て取れる。

 それが単なる汚れだと思えなかったのは、生米が椀の中で”(うごめ)いて”いたからだ。

「気色悪い……これ、うじ虫ってやつだよな」

 ホラー映画で目にしたことはあるが、実物の気持ち悪さはその比ではない。

 ましてや一匹二匹ではなく、無数のうじ虫が椀の中でウゾウゾと身体をくねらせているのだ。集合体恐怖症の人間が見たら、恐らく卒倒していることだろう。

 思わず鳥肌が立った腕を擦りながら、俺は目を背けて教室の中を探すことにした。

「急ごう。ロウソクも多分、長くてあと三十分持てばいい方だ」

「……はい」

 カルアちゃんは、口数少なく相槌を打つ。あんなものを見せられて、いくら普段は前向きなところが長所の彼女だって、そうなっても無理はないだろう。

 室内には、まだ悪臭だって漂っている。少しでも気を抜けば、胃の中身をすべてぶちまけてしまいそうなほどだった。

「……何で、ここにも無いんだよ」

 俺たちの淡い期待は、数分も経てばあっさりと砕かれてしまう。もしかしたらと思っていたのに、この教室の中にも人形を見つけることはできなかった。

 あの二人の願いを叶えさせないどころか、このままでは本当に誰も人形を見つけられないまま、時間を迎えてしまうかもしれない。

(そんなのダメだ……俺はみんなを巻き込んだ責任がある。せめてカルアちゃんだけでも、どうにかして救わないと……!)

 本音を言えば、俺だって死にたくはない。
たとえ視聴者数が増えないままだったとしても、俺の動画を視聴してくれるリスナーは確かに存在していたのだ。底辺MyTuberとして、分相応に楽しくやっていければそれでいい。

 だけど、好きな子の命も背負っているとなれば、平凡だった日々に想いを馳せている場合ではない。

「カルアちゃん、三階に戻ろう。まだ探せてない場所もあるし、もしかしたらみんなが同じ部屋の別の場所に隠してた可能性だってあるよ」

「ユージさん……」

 そんな奇跡のようなことは無いとわかっていながらも、今だけは自分たちに都合良く頭を働かせる。

 後ろ向きになっている時間はない。後悔をするのなら、タイムリミットを迎えてからでいいだろう。俺は絶対に諦めない。

「諦めてなんかやるもんか」

 俺はカルアちゃんの手を取って、再び三階への階段を目指す。
 東階段側にはねりちゃんの遺体があるのでできれば通りたくはなかったが、西階段では遠回りになってしまう。

 俺は真っ直ぐ前だけを見るようにして、目的の理科室へと入っていった。

 理科室特有のニオイが、俺はあまり好きではない。ホルマリン漬けのような不気味なものは置かれていないが、薄暗い中で目にする人体模型などは、やはり気味が悪い。

(……あれ?)

 違和感を覚えたのは、本当に偶然だった。気味の悪さは承知だが、人体模型に近づいていく。

 そこをライトで照らした時、俺は身を潜める立場であることも忘れて叫びそうになってしまった。実際には、ほとんど叫んだようなものだったのだろうが。

「あった……!」

「えっ!?」

 俺の声に驚いたカルアちゃんが、小走りにこちらへと駆け寄ってくるのが聞こえる。人体模型の胃袋の辺りに、模型の一部ではないものが埋め込まれていたのだ。

 見間違いかと思ったが、明らかに周りのパーツと質感が違う。それは間違いなく、俺たちが探し求めていた人形だった。

 ようやく人形を見つけられたことへの喜びと、緊張。その中で取り出した人形を照らして、俺たちは言葉を失った。

「これ……ねりちゃんの……」

 見つけたのは、俺のでもカルアちゃんのでもない。ねりちゃんの人形だった。

 これだけ探し回って、やっとの思いで見つけることができただけに、その落胆は想像していた以上に大きい。

 俺の脚は、もうこれ以上動くことを拒んでいるのではないかと感じるほどに、絶望で重くなっていた。

「だけど、やっと見つけられました。トゴウ様から妨害されてるんじゃないかと思ってたけど……これならきっと、私たちの人形も見つけられますよ! ユージさん!」

 そんな俺とは正反対に、カルアちゃんは希望を見出したようだった。
 確かに、これまで異常なほどに見つからない人形に、悪意が働いていると思ったほどだったのだ。

 それでも、こうして人形を一つ見つけることができた。
 絶望だけだと思っていたそれは、何の成果も無い状態だった俺たちにとって大きな前進なのだ。

「……そうだね、うん。ありがとう、カルアちゃん。俺一人だったらきっと、とっくに人形探しを諦めてたと思う」

「いえ、私だってユージさんと一緒だからこそ頑張ろうと思えてるんです。もう一息、一緒に頑張りましょう!」

 ああ、俺はやっぱりたまらなく彼女のことが大好きだ。
 続いて俺たちは、隣にある図書室で人形探しをすることにした。
 図書室とはいっても、探しきれないほどに広いわけではない。面積だけでいえば、他の教室の二倍くらいは使われているようだが。

 本などはすべて撤去されているらしく、空っぽの本棚はがらんとしている。

 本棚はざっと見ればわかりそうなので、隠し物があるとすれば机や椅子の下、あるいは何かの隙間くらいだろうか。

「死角は結構あるんだけど、こっち側には無さそうだな……カルアちゃん、そっちの方はどう?」

「こっちも無さそうです。あ、そこの隙間……う~ん、ここもありませんでした」

「そっか、となると三階にも無いってことになるのか……?」

 じっくりと探しているような時間はないが、急いでいるなりに丁寧に調べているとは思う。

 それでも見つからないとなると、三階にあるのはねりちゃんの人形だけだったということになる。

「屋外に隠すのは禁止だし、目ぼしい場所は大体探したし……やっぱりこうも見つからないってことは、先に財王さんたちに見つけられて持ち歩かれてるんじゃ……」

「そういえば、ユージさん。体育館って探しました?」

「いや、まだ……そうか、体育館……!」

 校舎の中を探すという思考回路から、抜け出しきれていなかったのかもしれない。

 最初のルール説明でも話をしていたというのに、俺はその場所を頭の中から完全に除外しきってしまっていた。

 体育館は、一階の西トイレの隣にある渡り廊下から行くことができる。
 渡り廊下に続く扉が閉まっていたので、通れない場所として壁と同じように無意識に通過をしてしまっていたのだ。

「体育館なら、西側から回って行こうか。急がないと本当に時間がない」

 目的地が決まった俺たちは、すぐに図書室から移動を開始する。廊下を覗いて人影が無いことを確認してから、早足に西階段を目指した。

「渡り廊下は階段のすぐ隣だから、見つからなければ一気に行けると思う」

「財王さんたち、どの辺りを探してるんでしょう?」

「わからない……この辺りにはいないといいんだけど。音もしないし、きっと俺たちとは別の……」

 俺のスマホの着信音が鳴り響いたのは、まさにその時だった。
 音で場所がバレてしまうと慌てて通話ボタンをスライドしたのだが、それはLIME(ライム)でのダミーちゃんからのビデオ通話の着信だった。

「え、ダミーちゃん……? どうして通話なんか……」

 まさか、彼女から着信があるとは思わずに少々混乱する。
 改心したので俺たちに協力するなどと言い出すとは考えにくいが、脱走したのがバレて居場所を探ろうとしている可能性はあるだろう。

 すぐに通話を切ろうかとも思ったのだが、なぜだかかけてきたはずのダミーちゃんは、一向に喋る気配が無い。

「ダミーちゃん?」

 終始テンションも態度も変化が無かった彼女だ。同じく不思議に思ったらしく、カルアちゃんも声をかける。
 少し待ってみたものの、声もしなければ映像が動く気配もない。

「ここって、ひょっとして図工室か?」

「そうみたいですね。……ユージさん、どうします?」

 映像が少し荒くてわかりづらいのだが、特徴的な作業用の大きな机は、恐らく図工室のものなのだろうということがわかる。

 これは彼女のイタズラかもしれない。
 本来ならダミーちゃんの悪ふざけに構っている暇などないし、時間稼ぎをしようとしている可能性だってある。

 それでも俺はなぜだか嫌な予感を拭い去ることができずに、図工室に向かうことにした。

 どのみち西階段を下りていくのだし、二階の階段の斜め前に図工室はある。
 少しだけ覗いてみて、ダミーちゃんのイタズラなら無視して当初の予定通りに体育館へ向かえばいい。

「行ってみよう」

 俺の意見にカルアちゃんは反対することもなく、二人で図工室を目指していく。

 二階に到着しても物音が聞こえる様子はなかったので、俺は極力音を立てないようにして図工室の扉を開いた。

「……ダミーちゃん?」

 室内を覗いてみると、ダミーちゃんは中央辺りの椅子に座っていた。財王さんはいないようだが、呼びかけてみても反応を示す素振りを見せない。

 やはり俺たちを足止めする作戦かと、すぐに(きびす)を返そうとしたのだが。

 ポタリ……ポタリ……。

 耳に届いた規則的な水音に、俺は自然と足を止めていた。音はどうやら、ダミーちゃんのいる方から聞こえてきているようだ。

「ダミーちゃん、ふざけたいなら今度にしてくれよ。人の生死が関わってるんだ、どうしても邪魔するっていうなら……」

 そこまで言いかけた俺の腕を、隣に立っていたカルアちゃんが引っ張る。問うまでもない。その意図はもう、俺にも十分すぎるほど伝わっていた。

 隠れていた月が雲間から顔を覗かせた時、室内は淡く照らされる。

 机に背を預けるようにして椅子に座っていたダミーちゃんには、左肩から右の脇腹にかけて切り傷があった。
 それはぱっくりと開いたその場所から、臓器が視認できるほどの大きな傷口だ。

 水音の正体は、彼女の身体の傷口から床に滴り落ちる血液だったのだ。足元や椅子の周りには、広く血だまりができている。

「な、何で……だって、ダミーちゃんは人形探してたはずじゃ……」

 あらぬ方向を見つめる彼女は、すでに事切れているのだとわかる。彼女は意欲的に人形探しをしていたし、財王に対しても協力的だった。

 だが、目の前の彼女は自らの手で命を絶ったわけでないことだけは明らかだ。

「ユージさん……これって、トゴウ様の呪いですか……?」

「わからない……わかんねえよ……」

 これまでルールの穴を突くような行動は、いくつもしてきている。
 彼女が財王に協力的だったことがルール違反だとは思えないが、何かがトゴウ様の違反のラインに引っ掛かったのだろうか?

 けれどこれは前の二人のように、”明らかに不自然な死に方”というわけではない。やろうと思えば、武器さえあれば。人間の手でもできる殺し方ではないだろうか?

 一瞬、カルアちゃんの持っていたナイフを思い出す。だが、あんな小さなナイフでこんなに大きな傷はつけられないだろう。
 それに監禁状態を脱出してから、俺とカルアちゃんはずっと一緒に行動していたのだ。

(そもそも、カルアちゃんを疑うこと自体がおかしい……ダメだ。異常なことだらけで、まともに考えられなくなってきてるのか)

 これがもしもトゴウ様の呪いではないのだとしたら、犯人は一人しかいない。財王さんが一線を超えたということになる。

(けど、理由がわからない。ダミーちゃんがいたとしても、財王さんにはデメリットは無かったはずだ)

 ダミーちゃんの願いは、死後の世界を見ることだと言っていた。

 それならば、財王さんの願いを叶える邪魔をすることも、財王さんの邪魔になることもない。
 むしろ、財王さんの人形探しを手伝える立場でもあったのだ。

「ユージさん。もしもトゴウ様じゃないとしたら、ダミーちゃんを殺したのは……」

「……やめよう、こんなの俺たちの憶測にしかすぎない。それより今は、体育館に急ごう」

「……はい」

 人形を探すことさえできれば、全員を救うことができると考えていた。だが、俺は甘かったのだろうか?

 もしも俺かカルアちゃんの人形が見つかったとして、儀式を行う前の状態に戻ることができたとして。

 その時に記憶はどうなる?

 記憶まで巻き戻るとしたら、再び同じことの繰り返しになるんじゃないだろうか?

 記憶が残ったまま巻き戻るとしても、自分の願いを叶えられなかったと知った財王さんは、どうするだろうか?

(……いや、考えるのは後だ。どのみち戻せなきゃ、全部意味がなくなるんだから)

 念のためにダミーちゃんのコートのポケットを探ってみたが、そこにあったのは俺が渡したライターだけだった。
 図工室を出た俺たちは、そのまま西階段を下りて渡り廊下を目指そうとする。

 多くの死人が出た。それだけでも気分は重いというのに、もしかすると殺人者まで出してしまったかもしれない。

 楽しく企画を立てて配信をしたかっただけだというのに、どうしてこんなことになってしまったのか。

 慣れないことをせずに家の中に篭ったまま、配信だけをしていれば良かったのだ。そうすれば俺は、今でもパソコンを前にして代わり映えの無い日常を送っていただろう。

 振り払おうとすればするほどマイナスな思考が纏わりつくような気がして、俺は頭を横に振る。

「ユージさん、大丈夫ですか?」

「……ああ、大丈夫。大丈夫だよ」

 カルアちゃんがいなければ、とっくに俺だっておかしくなっていたのかもしれない。

 彼女を守らなければいけない。カルアちゃんの存在だけが、俺を正常な場所に繋ぎとめてくれているような気がした。

 声がしたように感じたのは、その時だ。

「ったく、どこにも見つかりゃしねえ! ふざけやがって! 人形なんざ無くたってオレの願いを叶えりゃいいんだよ!!」

「っ、財王さんだ……!」

 俺たちは咄嗟に、階段横の二年一組の教室に隠れる。廊下で見つかっては逃げ切れないと判断してのことだ。

 声はかなり近かったが、どうやら三階の階段から二階に降りてきているようだった。徐々に足音までも近づいてくることに、緊張感はじりじりと増していく。

 こんな教室では、隠れられる場所にも限界がある。身を潜めてはみたものの、扉を開けられれば二人まとめて一巻の終わりだ。

 だが、無情にも足音は遠ざかるどころかこちらに向かってきているのがわかる。

「……カルアちゃん、そこに隠れて」

「えっ、でもユージさんは……!」

「いいから早く」

 語気を強めた俺に驚いたカルアちゃんは、大人しく教卓の下に隠れてくれた。少なくともあの場所なら、扉を開けても死角になる。

 次の瞬間、目の前の扉が勢いよく開かれた。そこに立っていたのは、確認するまでもなく財王さんだ。
 けれど、向こうはしゃがんでいる俺の姿に気がつくのが一歩遅れる。

 俺はその隙を突いて、スマホのライトを彼の顔面に向けた。薄暗さに目が慣れていたであろう財王さんは、突然の明かりに驚いて顔を背ける。
 そんな財王さんの腹部に向けて、俺は全力で体当たりをした。

 「ぐおっ……!?」

 視界を奪われていた財王さんは、廊下に倒れ込んで(したた)かに後頭部を打ち付ける。
 真っ向勝負では絶対に敵わないが、不意打ちならば話は別だ。

 財王さんが悶絶しているうちに、俺は教室を出て階段を駆け下りていく。

 あのままカルアちゃんを残していくのは不安だったが、予想した通り、怒り狂った財王さんは俺の方を追いかけてきていた。

「クソ野郎が、よくもやりやがったな!? 待ちやがれユージ!! ブッ殺してやる!!!!」

 待てと言われて待つはずがない。体格は劣るが、小学生の頃から足の速さには少しだけ自信があった。今は目くらましのハンデもある。

 一目散に逃げ出した俺は、渡り廊下を抜けて体育館を目指す。
 振り向くまでもなく追ってくる足音が聞こえるが、ハンデのお陰でまだ距離はありそうだ。

 そのまま体育館に入ると、真っ直ぐに駆け抜けてステージに飛び上がる。そして、閉じられた幕の裏側へと身を潜めることにした。

 その直後に、財王さんが体育館へ入ってきたのが足音でわかる。
 体育館の中にいることは間違いないが、この場所に隠れたところまでは見られていないだろう。

 俺は荒い呼吸を、できるだけ音を立てないようにしながら鎮める努力をする。

「ユージ、どこに隠れやがったァ!? ふざけた真似しやがって、すぐに見つけ出してやっからな!!」

 財王さんの怒号が響くが、やはり場所までは特定できていないらしい。その証拠に、隠れやすそうな体育倉庫に目を付けてそちらの扉を開けている。

 タブレットは先ほどの教室に置いてきてしまったが、幸いスマホは落とさずに持ってくることができた。
 見ると、カルアちゃんからのメッセージが届いている。

『ユージさん、無事ですか!?』

 咄嗟の判断だったので、彼女を一人残してきてしまったことは申し訳ない。だが、財王さんと鉢合わせるようなことにならなくて良かった。

『俺は大丈夫。今は体育館にいるから、他の場所はフリーになってるよ』

『わかりました。それなら私は他の場所をもう一度探してみます。ユージさん、気をつけてください』

『了解』

 無事を確認できたことで一安心だが、問題はどうやってここから脱出するかだ。
 体育館の出入り口はひとつしかないので、このまま走り出していっても間違いなくバレるだろう。

 走り続けるにしても限界があるし、恐らく体力に関しては財王さんの方が上だ。長期戦の鬼ごっこは不利になる。

 そう考えながら俺はステージ袖の方に移動をする。
 財王さんから逃げることも考えなければならないが、一番の目的は人形探しだ。財王さんだって、俺のことを探しながら人形探しも並行しているのだろう。

(ここに俺の人形があれば、ロウソク部屋まで走ってもいいんだけどな)

 物事がそう上手くいくはずはないとわかっていながらも、期待を持ってしまうのは仕方のないことだろう。

 もしくはこうしている間に、カルアちゃんが自分の人形を見つけてくれているのが一番いいのだが。

「……うわっ」

 そんなことを思いながら横歩きに移動していた俺は、何かぐにゃりとしたものを踏んだことで思わず声を漏らしてしまう。

 慌てて口を両手で覆って耳を澄ませてみたが、幸い倉庫の中にいる財王さんには聞こえていなかったようだ。
 むしろ動作が乱雑なのか、倉庫からの物音で財王さんがまだそこにいることがわかって助かる。

 そっとしゃがみ込んだ俺は、恐る恐る踏みつけてしまったそれを拾い上げた。

(……マジか)

 幕の裾に隠すように置かれていたもの。それは、カルアちゃんの人形だった。

 ステージ袖や体育倉庫ならまだしも、ほとんど視界の自由は無い幕の裾。こんな場所は、普通に探していたら見落としていたかもしれない。

 これは、最大のチャンスだ。

『カルアちゃんの人形見つけた! 教室で待ってて』

 そう送ったのだが、先ほどはすぐについた既読の文字が今度はなかなかつかない。

 彼女も人形を探しているのでそちらに集中しているのかもしれないが、どこかで入れ違いになることだけは避けたかった。

「こっちにいねえってことは、隠れ場所はソコだなあ? ユージ、いい加減出てきやがれ!! マジでブッ殺されてェのか!?」

 財王さんの声と足音が近づいてくるのがわかって、俺は再び息を潜める。
 人形だけは絶対に手放さないように、コートのポケットへと押し込んでから様子を窺う。

 俺がいるのはステージの上手(かみて)側だが、財王さんの声が聞こえるのは下手(しもて)側からだ。

 彼がステージに上がってくるタイミングを見計らって走り出せば、捕まらずに抜けることはできるだろう。

 一度彼を撒いてどこかに身を潜める必要はあるが、時間が無いので隠れ場所のシュミレーションをしている暇はない。

 財王さんがステージに続く階段を上がりきった瞬間、俺はステージを飛び降りる。

「っ!? この野郎、待ちやがれ!!!!」

 走り出した俺を、怒号で止めることなどできはしない。このまま心臓がちぎれたっていい。

 人生の中で一番というくらい、俺は自分にできる全速力で校舎を駆け抜けた。
「ハア……ハアッ、ハア……」

 本当に心臓がちぎれるのではないかと思ったのは、生まれて初めてだ。
 道端で絡んできた不良から逃げ出した時だって、ここまで本気で走ってはいなかった気がする。

 校舎に戻って西階段を二段飛ばしで駆け上がった俺は、そのまま三階の女子トイレの個室に隠れていた。

 和式だし床なんて汚いし、普段なら絶対にこんなことはしない。
 しないのだが、今の俺にはそんな衛生面を気に掛けているだけの余裕はなかったので、壁に凭れるように床に座り込んでいた。

 今しがたまで聞こえていた怒号は遠ざかって、足音も聞こえなくなっている。恐らくは俺の姿を見失ってくれたのだろう。

『財王さんは撒いたけど、すぐには動けそうにない。カルアちゃんも見つからないように隠れといて』

 念のためにとカルアちゃんにも危険を知らせておく。しかし、体育館で送ったメッセージ以降、彼女からの既読はつかないままだった。

(カルアちゃん、大丈夫かな……)

 不安はあるが、俺が見つかってしまっては元も子もない。
 ライトをつけて、通話も繋いだまま使用を続けていたのだ。元々の充電が少なくて、電源が落ちてしまったのかもしれない。

 スマホ自体をどこかでうっかり落としてしまった可能性だってあるだろう。

 いずれにしても、合流する場所は話し合うまでもなくロウソク部屋だ。残る時間は短いが、いつでも走れるだけの準備はしておかなければならない。

(……そうだ)

 周囲に人の気配が無いことを確認すると、俺はスマホの画面を操作していく。

 通話画面を開いた俺は、110と通話のボタンをタップした。何度かコール音がしてから、通話口の向こうで人の声が聞こえる。

『はい、こちら○×署です。事件ですか? 事故ですか?』

「あっ、あの……! 俺、MyTubeで配信をしてるユージって言います」

 通報は後でと話し合っていたが、警察を呼んでおく必要があるのではないかと思っていた。

 無事にカルアちゃんの人形を燃やして願いを叶えてもらえたとしても、状況次第では怒り狂った財王さんによる殺戮が始まってしまうかもしれない。
 そうなった時、頼りになるのはやはり警察だろう。

『MyTube? ああ、ネットのやつですね。それで、事件ですか? 事故ですか?』

「ええと、事件です。事件! 廃校で都市伝説を試そうとしてたんですけど、作り話だと思ってたらそれが本物で、俺たち呪いを受けてしまって……」

 俺は焦って状況を説明するのだが、聞こえてきたのは隠そうともしない大きな溜め息だ。

『あのね、これは警察の番号。MyTuberは俺も好きだけどね、何でもかんでも動画にすりゃあいいってもんじゃないんだよ。こういうの、本当に困ってる人の迷惑になるのわかってる?』

「あの、イタズラじゃないです……! 人が死んでて、俺だってこのままじゃ呪い殺されるかもしれなくて……!」

『ハイハイ。悪いけど、警察は呪いは専門外なんだよ。呪いなら神社とか、あ~、なんだ? とにかく、そういう専門のところに頼みなさい。いいね。次やったら逮捕するよ』

「ちょ、待ってください! 俺の話を……!」

 電話口の男性は、一方的に話を遮るとそのまま通話を切ってしまった。ツーツーというビジートーンが、耳元で虚しく鳴り響き続けている。

(ちくしょう! 呪いだなんて話をしたのがいけなかったのか、もっと落ち着いて殺人鬼がいるとでも言っとけば……)

 警察に電話をかけることなんてないので、知らず知らずのうちに気持ちが焦っていたのだろう。
 すべてを馬鹿正直に説明する必要などなかったのに、そう気づいても後の祭りだ。

「…………それなら、別の手段を取るまでだ」

 だが、そこで諦めるわけにはいかない。続いて表示したのは、いつも配信で使っている画面だ。

 スマホをインカメラにして、俺は自分のチャンネルで生配信を開始した。もちろん、できる限り声は潜めている。

「リスナーのみんな、こんばんは。予告なしの配信で悪いんだけど、緊急事態で助けてほしい」


『あれ、ユージ配信してるじゃん』

『ばんわ~』

『緊急事態を察知しました』

『なんか画質悪いね。外?』

『声聞こえづらい』


「俺さ、オフ企画をやるって話したじゃん? その撮影に来てるんだけど、ちょっとヤバいことになってて……誰かに通報してほしいんだよね」


『通報って』

『おまわりさんこいつです』

『大きい声で喋って』

『自分で通報したら良くない?』


 急な配信ではあるが、通知で気がついたらしい視聴者が配信を観てくれているようだ。

 百人に満たないくらいの人数が集まっているが、俺の訴えを深刻に受け止めているコメントは見られない。

「もちろん自分でも通報したよ。だけど取り合ってもらえなかったっていうか……だからみんなから通報してもらえたら、警察も動いてくれると思うんだよね」


『まずは君の持っているその機械で110を押してごらん』

『迫真の演技乙』

『ユージ芸風変わった?』

『そういうのいいからゲーム配信して』


 できる限り下手に出てお願いをしてみるが、やはり真面目な話だと思ってはもらえないようだ。配信ができている時点で、余裕があると思われているのかもしれない。

「いや、マジなんだって……! 死人も出てんだよ、映像なら後で見せるから頼むよ……!」


『死人って……マジ?』

『え、もしかしてホントにヤバイの?』

『通報とかしたことないんだけど』

『いやいや、演出の一環でしょ』


 少しずつではあるが、異様な雰囲気を感じ取ってくれた人も出始める。

 この調子なら一人二人は通報をしてくれるのではないかと期待したのだが、ひとつのコメントで空気が一転してしまった。


『あ~、オフコラボの告知ってことか』

『騙されるトコだった』

『ふざけんな、俺の心配を返せ』

『炎上商法狙い?』

『ユージ好きだったけど失望したわ』


 普段は俺の配信を観て慕ってくれていたリスナーたちだったが、こんなにも信頼が無かったというのか。

 次々と流れていく俺を責めるコメントの波に、胸の内が一気に冷えていく思いがした。

 そんな中、物音がしたような気がして慌てて配信を切る。
 財王さんが戻ってきたのかと思ったが、どうやら気のせいだったようだ。息を殺してみても、それ以上音が聞こえるようなことはなかった。

 警察は頼れない。リスナーの助けも望めない。俺たちは自分の力だけで、この状況を乗り切らなければならないのだ。

「……よし」

 意を決した俺は、立ち上がってトイレの個室から出る。きっとカルアちゃんが俺のことを待ってる。一刻も早く、あの教室に向かわなければ。

「うわっ!?」

 だがそう思って踏み出した俺の足は、何かによって滑ってしまう。
 転ぶことはどうにか免れたが、危うく股関節を痛めるところだった。一体何を踏んだというのだ。

 足元を見た俺の視界には、黒い水溜まりのようなものが見える。それをライトで照らしてみると、黒ではなく赤い色も混じっているように思えた。

「これって……もしかして、血か?」

 血液と思われるその液体は、隣の個室の隙間から溢れ出ているようだ。
 少し迷ったが、気になったものをそのままにもしておけないのは配信者の(さが)なのか。

 扉を開けようとしてみるが、何かが引っ掛かっているのかビクともしない。目一杯力を入れてみても同様だった。

 そこで俺は、元いた個室に戻っていく。
 水を流すレバーのついた太い管の部分を踏み台にして、隣の個室の中を覗いてみようと考えたのだ。

 足場は不安定だが、慎重につま先立ちをすることでどうにか中を覗き見ることができた。ここは恐らく、掃除用具入れとして使われていた場所なのだろう。

「……え…………?」

 そこにあったのは掃除用の道具ではなく、大きな人形のようにも見える……人間。

 首元を真一文字に切り裂かれ、大きく開いた傷口から流れ落ちる血液が、時間をかけて扉の外へと流れ出したようだった。

 俺が驚いたのは、そこで人が死んでいたからではない。流れ出る血液を目にした時点でそんな予感はしていたからだ。

 問題は、その人物が誰であるのか……だ。


「――……カルア、ちゃん……?」
 今日だけで、死んだ人間を立て続けに三人も見てきた。言い方は悪いかもしれないが、今は人の死で動揺しているだけの時間の余裕などない。
 だが、その相手がカルアちゃんとなれば話は別だ。

「うそ……嘘だろ……? 冗談だよな? なあ、カルアちゃ……ッ、ぐえ!」

 身を乗り出して彼女に手を伸ばそうとした俺は、バランスを崩してそのまま隣の個室に落下してしまう。

 狭い個室の中なので、必然的に彼女の上に落ちてしまった俺は、慌てて身体を退けようとする。
 だが、身体を伝う血がぬるついていて思うように立ち上がれず、少しばかり苦戦した。

 扉が開かなかったのは、内開きのそれをカルアちゃんの身体が塞いでいたからだ。

 触れることは躊躇(ためら)われたが、重くなった彼女の身体をどうにか抱き上げると、そっと移動させて扉を開ける。
 出血量を見れば明らかだが、氷のように冷たい身体はもう手遅れであることを伝えていた。

「どうして……まさか、アイツが、財王さんがやったのか……?」

 俺のことを見つけられなかった財王さんは、校舎の中を血眼で探し回っていたはずだ。
 隠れろとメッセージを送りはしたが、既読がつかなかったのは彼女がそのメッセージを見ていなかったからということになる。

 首の切り傷は明らかに人の手でやられたもののように思えるが、カルアちゃんがここで死んでいるのは不自然でもある。

 俺はずっと、財王さんに追われていた。体育館を出て真っ先にここに駆け込んだのだから、財王さんが後からここに来てカルアちゃんを殺害するのは不可能だろう。

 そんなことをすれば物音で気がつく。たとえ他の場所で殺害して、遺体をこの場所に運んだとしてもだ。

「なら……トゴウ様の呪いなのか?」

 しかし、それも不自然ではないだろうか? 逃げ回ることはしていたが、人形探しを諦めたわけではない。
 彼女の人形を隠したのは俺ではないのだから、見つけたことを伝えるのもルール違反にはならないはずだ。

 妨害をされることはあったが、ルールという縛りがある以上、トゴウ様が気まぐれで手を下すとも考えにくい。
 それに、直感的に感じているこの違和感の正体は一体何なのだろうか?

「こんなの……わかんねえよ……」

 考えたところで、結果は変わらない。
 カルアちゃんがこの儀式を終わらせるための唯一の希望だった。その彼女が、死んでしまったのだ。

 俺たちはもう、呪い殺されるのをただ待つしかない。

「いや、まだだ……まだ終わりじゃない」

 諦めかけた俺の背中を押したのは、血で染まり沈黙するカルアちゃんの姿だった。最後まで前向きに、この呪いから逃れようとしていた彼女に、俺は何度も励まされた。

 俺がここで諦めてしまったら、カルアちゃんも、他のメンバーたちの犠牲も無駄になってしまう。

 彼女に向かって両手を合わせてから、俺はカルアちゃんのコートのポケットを探る。
 そこに俺の人形があったりしないだろうかという期待からだったが、そんな場所に隠すはずもない。

 微力でも武器になればと思ったのだがナイフは見つからず、ポケットの中にはハンカチとリップクリームだけが入っていた。

「カルアちゃん……俺、行くよ。絶対に自分の人形を見つけてみせる。だから、もう少しだけ待ってて」

 言葉を返すことのない彼女にそう告げて、俺はそっと扉を閉めた。
 ポケットからスマホを取り出すと、画面の操作をする。表示した録画アプリの再生画面には、俺の顔が映し出されていた。

『……と、これでちゃんと映ってるか? よし、大丈夫そうだな。スマホにもちゃんと届いてる。動画の成功はお前にかかってるんだから、頼むぞ~』

 カメラに向かって話しかける俺は、こんな惨劇が起こることを知らずに隠しカメラのチェックをしている。一度画面が暗転し、次に映った画面は大きくブレていた。

 これは俺が人形をリュックから取り出す際のものだ。そこから視点は天井に固定となり、人形を取り囲む俺たちの姿が見切れている。

『トゴウ様、トゴウ様。盛物を致しますので、どうか願いを叶えてください』

 そうして儀式を始めた俺たちは、一人ずつ人形を手に取っていく。
 俺の人形を手に取ったのは、もちろんカルアちゃんだ。カメラがあるなんて知らないカルアちゃんは、当然映りのことなんて考えてはくれない。

 彼女の胸元が近づいてきたかと思うと、画面は真っ暗になってしまった。恐らく、俺の人形は彼女に抱き締められる形となっているのだろう。

『…………と、……ね』

「……ん?」

 カルアちゃんが何かを言ったように聞こえたのだが、音声が小さくて聞き取れなかった。

 場面を少し戻して音量を上げてみようとした時、外ではっきりと物音が聞こえて、俺は反射的に停止ボタンをタップする。

「ユージィ! いい加減出てこい、今出てくんならさっきまでのことは水に流してやってもいいぞ!! ただし今すぐに出てくることが条件だ!!」

「……嘘ついてんじゃねえよ」

 財王さんが元々威圧感のある声をしていることを差し引いても、水に流そうという人間の声色ではない。
 のこのこと顔を出した瞬間、俺の顔は彼の握力で粉砕されてしまうかもしれない。

 実際そんな握力があるのかはわからないが、少なくともそんな想像をさせられるくらいには、殺気立っているのを感じ取れた。

 とりあえず、万が一の時の証拠となる。俺がもし財王さんを殺してしまったとしても、正当防衛を主張できるよう動画の撮影は続けておくことにした。

「ここかァ!?」

 男子トイレのドアを蹴り開けたらしい音が、派手に響く。
 このままいけば、次は確実に女子トイレの方を探しに来るだろう。迷っている時間はない。

 俺はできる限り静かに素早く女子トイレを出ると、そのまま階段を駆け下りていく。

「チッ、そっちに隠れてやがったのか!! 待てこのカマ野郎!! もう逃がさねェぞ、どこまでも人をおちょくりやがって!!!!」

 駆け下りる足音で俺の存在に気がついたらしいが、声が聞こえた時にはもう俺は二階の廊下を走り出していた。

 また身を潜めるべきかと思ったが、万が一の可能性に賭けたかったのだ。
 ルールの抜け穴を突いたカルアちゃんが、俺の人形をあの教室に置いてくれていることを。

 滑り込んだ教室の中は、カルアちゃんと人形探しをした時と変化していなかった。

 ロウソクの立てられた机の上も見てみたが、残念ながら俺の人形が置かれている、なんて都合のいい展開にはならない。
 おまけに、ロウソクはあと十分と持たずに燃え尽きてしまうことだろう。

 結局俺は、何も成し遂げられないまま全員の命を奪ってしまうのか。

「いや……まだ時間はある」

 十分しかないと捉えるか、まだ十分残されていると捉えるか。

 犠牲になったメンバーが生き返るかどうかは、俺の踏ん張りにかかっているのだ。その事実だけが、俺を突き動かす。

「ユージ!! どこだァ!?」

 財王さんの声が近づいてくるが、俺が教室に入るところまでは視認できなかったのだろう。

 今のうちにと動画を再生した俺は、リスクを承知でスピーカーの音量を上げる。カルアちゃんが俺の人形を抱き締めたシーンだ。

『……もうすぐ……だけのものになるね、ユージくん』

「え……? これって、カルアちゃんの声……だよな?」

 音質が悪いとはいえ、聞こえる声は確かにカルアちゃんのものだ。
 けれど、彼女は俺を『ユージさん』と呼ぶ。そこに不自然さを感じはしたが、続く映像に俺は驚いた。

 彼女の胸元から離れたと思った人形は、そのままカルアちゃんのコートのポケットに入れられたのだ。
 映像を先送りしても画面は暗いままで、録画可能時間を過ぎたために途中で停止となってしまう。

 だがこの映像が確かなのであれば、俺の人形はずっとカルアちゃんのポケットの中にあったということになる。

 ……けれど、それはおかしくないだろうか?

(俺……確認したよな、ポケットの中……)

 トイレの中で血まみれになっていたカルアちゃんのコートを、俺は確かに探したのだ。

 だとすれば、俺の人形はどこに消えてしまったというのだろうか?